16/07/04 06:34:18.75 IiGsLOlp.net
続き
既に例示した藤原俊成 (平安後期)、藤原定家 (鎌倉初期) や、徳川慶喜 (江戸) なども通常は有職読みされます。
有職読みされる位の地位の男性については他の資料も残っているので、プライベートでどのように呼ばれていたかもわかります。
女性の場合公式の場に出ることがなく、家族以外の人間が本名で呼びかけることはありませんでしたから、有職読み以外の発音が残っていないというのが現実です。
”「聖子」なら、「せいこ」とも「きよこ」とも読める”とねずきち氏がご自分おっしゃっているとおりで推定できる読み方は複数ありますが、研究者としてはある名前が明白に一人の人と結びつくことが重要です。
ですから、誰が読んでも一意に決まる読み方として、音読みでそれを実現していたとは確かですが、それは戦後サヨクがはじめたことではありません。
そもそも何と呼ばれていたかわからなかったものに便宜的な解を与えたまでで、それをサヨクと結びつけるのはかなり無理があります。
有職読みが過去から用いられていた簡単な例を挙げておきます。
能楽 ”定家” はもちろん戦前からありますが昔から ”ていか” と呼ばれています。
謡の中では ”是は式子内親王の御墓にて候、又此葛をば定家葛と申候 (これはしょくしないしんのうのおはかににてそうろう、またこのかづらをばていかかずらともうしそうろう) “となっています。
謡曲が作曲された時代から式子内親王と定家がそのように呼ばれていて、読み方が戦後サヨクの捏造で無いことを明らかにしています。