ねずさん(=小名木善行)ってどうよat SISOU
ねずさん(=小名木善行)ってどうよ - 暇つぶし2ch415:右や左の名無し様
15/09/29 08:35:28.94 btSS9iQ9.net
静御前の舞
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
この記事は義経記の内容を恣意的に翻案したものと推察致します。
そもそも義経がしずやしずの歌を静に贈ったということはありません。この歌は伊勢物語にもある古歌を一部変えたもので、もとの歌は
古の賤の苧環繰り返し昔を今になすよしもがな
です。"しずやしず"の歌も"古の"の歌も、はじめの5-7は"繰り返し"を引き出すための序詞で、文言自体に深い意味はありません。
更に"静"と"賤"は同じ音で、しずやしずとした場合リズムも良く、義経と静の関係を暗示するような意味もあるでしょう。
どちらにしても、伊勢物語の歌の意味もこちらの歌の意味も同じで"昔を今になすよしもがな"です。もう昔のことは返ってこない、という述懐です。
もちろん
以下引用
この「しつ?やしつ?」の舞を、静御前か?白拍子た?ったから「賤」て?ある、なと?と書いているものもあるけれと?、とんて?もない話て?す。
義経は、静御前を「苧環の花」にたとえているのて?す。
引用終
お得意の造反有利的解釈ですね。氏にとってはとんでもなく感じられることかも知れませんが、これが静の苧環の花、では繰り返しになりません。麻織の苧を巻いたもの、という詞が"繰り返し"を引き出す序詞です。
苧環、は花の苧環ではなく、麻布を織るための苧のことです。賤は、綾に対するもので賤機織は麻布です。麻の苧を績む作業(紡績作業)は糸を繰ることを何回も何回する作業ですので"繰り返し"を引き出すための序詞となります。
苧環の花とこれを結びつけるのは自然ではありますが、静を苧環の花に例えたと受け取るのは間違いで、あくまで二次的な意味です。ところで蛇足になりますが"賤"に対する"綾"は絹織物です。
賤を"賤しい"と受け取るかどうかですが、この時代に謙遜の詞として"賤しい"を使うことは自然のことですので(利仁芋粥のことにも用例がありますね)静本人が賤しいとへりくだるのを"とんでもない話です"とは不見識といえましょう。
(そもそもも賤機織自体が華やかな綾織と比較した上での粗末な織物という意味の謙遜表現です)
続きます

416:右や左の名無し様
15/09/29 08:37:00.42 btSS9iQ9.net
続き
更に君が代についても牽強付会な解釈をされていますね。
以下引用
静御前は着替えを済ませ、舞台に出ました。会場は鎌倉の御家人たちて?埋め尽くされています。
静御前は一礼すると、扇子をとりました。そして舞を舞いはし?めました。
曲目は、「しんむしょう」という謡曲て?す。
歌舞の伴奏には、畠山重忠・工藤祐経・梶原景時なと?、鎌倉御家人を代表する武士たちか?、笛や鼓・銅拍子をとりました。
満員の境内の中に桜か?舞います。
その桜と、春のうららかな陽光のもとて?、静御前か?舞う。
素晴らし�


417:「声、そして素晴らしい舞て?す。 たた?......、何かものたりないのて?す。心ここにあらす?なのて?す。 続けて静御前は『君か?代』を舞いました。けれと?舞に、いまひとつ心か?こもっていません。 引用終 義経記では、皆感心したと書いてあります。物足りない、心がこもっていない云々というというのは氏の想像もしくは捏造です。 そして、鼓の工藤祐経が早く終わらせようとして調子を上げたので、静は"君が代の"と声を上げた、となっています。 彼女が"君が代の"と上げたことで聴衆がこれで終わりだと解釈して祐経に対して不満をあわらしたのです。そして静は追加の二曲を舞うことになります。 更に氏は"君が代を舞った"とおっしゃっていますが、この説明は現在"君が代"といわれている歌を歌ったり舞ったりしたと言う意味ではありません。そうであれば"君が代の"ではなく"君が代は"もしくは"わが君は"です。 ここは白拍子の歌舞の終わりとして主人の健康を祈る詞を述べたので、皆がもっと舞えと要求したということです。 氏の価値観でも、頼朝に対して静が挨拶の言葉を述べるの古き良き日本の作法としては当然と解釈されることでしょう。



418:右や左の名無し様
15/09/29 09:28:36.06 btSS9iQ9.net
ついでにもうひとつ。
氏は古典の中の出来事も現代の価値観でしか解釈できないようです。
引用
ここて?ひとこと注釈を挟みます。大峰山は、たしかに女人禁制の山て?す。
しかし、義経一行は、 頼朝に追われた逃避行て?す。
いわは?緊急避難行動中て?す。
たしかに静御前は女性て?すか?、大峰 山に入る姿を誰かに見られているわけて?はありません。
関所か?あるわけて?もありません。つま り、女人禁制とはいっても、女性を連れて入ろうとすれは?、いくらて?も入ることか?て?きる状態 て?もありました。
人か?見ていなけれは?、見つからなけれは?、何をやってもいいと考えるのは、昨今の個人主義の弊害て?す。
昔の日本て?は、人か?見ていようか?見ていまいか?、約束事は約束事、決まりは決まりて?す。
引用終
義経の生きていた時代は、天皇の病気を治すのに祈祷するしかないような時代で、皆迷信深いのです。
女人禁制の山に、追っ手のかかっている義経が女を連れて入れば神罰、仏罰でつかまってしまうかもしれない、と、まずは考えるでしょう。
更に家来も主人が神罰、仏罰にあうのに巻き込まれるのはごめんだと考えます。弁慶あたりはわかりませんが身分の低い者は怖がって逃げてしまいます。
氏は"右近と敦忠の恋の行方", URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com) でも、右近が呪いをかけたような解釈をされています。
これらは氏が時代考証なしに古典を解釈しようとしているということの現れに他なりません。
ところで、現代人にルールを守らせるためには、理路整然と説明できなればなりません。氏のトンデモ説明では無理です。

419:右や左の名無し様
15/09/29 18:56:01.60 YkZAqUfx.net
氏はよく「マスコミが個人主義を蔓延させた」云々言っていますが、
私の知るマスコミは、自分だけが良ければよいという考えが蔓延ることを憂う
ものが多いと感じます。
感覚の違いでしょうかね?

420:右や左の名無し様
15/09/29 20:52:22.69
>>364
氏はよく「和の心」というフレーズを使われますが、氏の言う「和の心」は「全体主義」が根底にあるので本来の意味よりも「自民族中心主義」的な印象を受けてしまいます。
「全体主義」の反対は「個人主義」ですが、マスコミが「個人主義的」というよりも、
「氏の意向」に沿わないものはマスコミでも教育でも著書でも全てが「偏向」ととらえられているだけなんですよね。
自身が一番「偏向」しているのに、自分と合わないものはすべて間違っているとする態度。氏に和の心なんてみじんもなく、氏こそが「個人主義」の極みなんじゃないですか。

421:右や左の名無し様
15/09/30 13:58:37.06 Vo/teXV3.net
>>364
個人主義はいけないものではありません。氏にはそもそも個人主義と利己主義の区別がついていないのでしょう。更に、意図的にこの二つを混同させることによって、個人主義=悪と閲覧者に刷り込みたいのです。
個人主義の方向には進むべくして進んでいるだけです。
自分の気にくわない状況が発生すると、ウヨクもサヨクもマスコミ陰謀論を持ち出しますが、マスコミは視聴者の望む物を出さなければ視聴率は稼げません。
彼の欲しているのは戦前の村社会への回帰なのでしょうね。起こり得ないことです。

422:右や左の名無し様
15/09/30 20:34:34.13 FeJ5ykyR.net
日本の誇らしい話を創作して、さも史実のふりをして幾つも幾つもあげていく。
日本人はさも優秀な民族でございます。
まるで出来損ないの優生思想だ。
こんな事で愛国心が向上したりするのかね。
これは氏が自虐史観と言って批判している事のベクトルをそのまま反対にしたに過ぎない。
そう見えるだけで、他より優れている民族や国家等有りはしないのに。
幻想を作り続ける事に必死で、ひどく滑稽だ。

423:右や左の名無し様
15/09/30 20:57:11.09 hNvtritx.net
自分たち日本人が優れていて、隣国の人は劣っていると、そう思い込みたい人が
大勢いる。
だからこそ、氏がそれなりに保守界隈で幅を利かせているということなのでしょう。
歴史から学べることはたくさんあります。しかし氏の捏造史観に思考を乗っ取られるようでは、
目が曇ってしまう。
小名木さん、最近blogのコメント数が減っていますね。もう無理しなくてよいのではないですか?
歴史知らないんでしょう?
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
>さらにいいますと、日本書紀の天武天皇12(683)年には、
>「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ」とあります。
>ここでいう「銅銭」というのは、上の写真にある「和同開珎」のことで、
>使うなと書かれている「銀銭」は、おそらく富本銭のことを指しています。
和同開珎は和銅年間(708~)に作られたからそう呼ばれているんですよ。
天武天皇の時代に言及されるはずがない。あと富本銭は銅銭です。
緑青のついた画像、見たことありません?

424:右や左の名無し様
15/09/30 21:07:28.20 hNvtritx.net
そういえば、上で書いた石槨の役の件、私が書いたんですが、
私は別に日本書紀を通読してるわけでも暗記しているわけでもない、
素人に毛が生えた程度の古墳好きです。
なぜ私がそんな記述を知っていたかという話です。
5年くらい前に奈良県明日香村の牽牛子塚古墳の発掘の時、真の斉明天皇陵はどこかという
話題が世間を賑わせていて、考古学者は「牽牛子塚古墳こそ真の斉明天皇陵だ」と主張する一方、
宮内庁は「斉明天皇は石槨の役を廃止させたので巨石を使った古墳は作らせないはず」として治定を
変更しようとはしませんでした。その年はこの話題の記事が各新聞にたびたび登場したのです。
もしあなたが歴史に関心をもって世の情報に触れていたなら、この程度の話キャッチできないものでしょうか。
石槨の役の件のみではあなたの歴史に対する姿勢をどうこういうことはできないかもしれませんが、
その他のあなたの誤り、無知を以ってすれば証拠は十分、あなたは歴史を知る気も学ぶ気もないということが
よくわかります。

425:右や左の名無し様
15/09/30 21:30:03.31
>>366
ねず氏は「日本を取り戻す」と言った安倍首相の信奉者のようだ。
私はアンチ安倍でもないが、安倍政権が
示した今後のスローガンの中に
 「ニッポン一億総活躍社会」
 というのがあるが・・・
 いや、これはアカンでしょ。

 「一億総」とつくこれまでの日本語は、
 「一億総玉砕」
 「一億総懺悔」
 と戦争のことばかりが思いだされる。
 よくても
 「一億総中流社会」
 「一億総白痴化社会」
 ・・・よくないか。
 ま、こんなものである。
 個性を見ず、「一億」と束ねてしまえば
 あとにくるのは玉砕、懺悔、中流、白痴と
 否定語がくるのが常だ。
 言いたいことはそうではなく、
 一億の人が個々に活躍してくれる社会を
 作りたいということなのだろうが、
 それはこの言葉では伝わらない。

 しかしねず氏にはこの標語はシンクロするんだろうなと思う。
「個人」を大切にしない「個人主義」がお好きなようだから。

426:右や左の名無し様
15/09/30 21:36:04.36 FeJ5ykyR.net
>>368
その記事で目が点になったのは以下の部分
>シュメール語と日本語の共通点を指摘する人は多いのですが、
>もしそうであるとすれば、日本本土でも同じ時代に銀貨が使われていたわけで、なんだか古代のロマンが広がります。
どう逆立ちしたら古代シュメールと紀元後の日本が同じ時代になるのか。
そもそも銀というのは通貨の代わりとしてもメジャーな方でしょうに。
しかも宋銭等の大陸からの圧倒的な流入(輸入)とその流通を無視して"米経済"なるファンタジーの結論。
為替手形の流通すら世界から見ても早期に流通していたというのに。

427:右や左の名無し様
15/09/30 21:53:31.23
370
すみません、
個人を大切にする、個人主義がお嫌いの間違い。
すみません見切り発車更新がねずレベルですな。

428:右や左の名無し様
15/10/01 08:51:20.45 SfmB7I+y.net
ご高説の裏づけ資料とするのであれば、もっとしっかりと調査していただきたいものです。
裏づけ資料がこのように欠陥だらけでは信じる人がいなくなります。私などはもともと信じていないので良いですが、このままでは信者まで失うでしょう。
そういう意味で、以前には彼のブログに書き込ませていただいていました。しかし、彼は迎合的なコメントしか公表承認しないので、せっかく書いたものを無駄にするのもいやなのでこちらに書き込むようにしました。

429:右や左の名無し様
15/10/01 23:53:33.79 uPfY8KXm.net
>>373 同じくです。
誤りを指摘するからには、失礼があってはいけないと思い
資料にあたって検証し、自分の読み違いではないか何度も読みなおし
時間をかけてコメント文を作成したのに、
コメントを承認されず訂正もされず、無視されたのは本当に時間の無駄でした。
そんなわけで自分もこちらにいます。

430:右や左の名無し様
15/10/02 05:25:28.92 g/eTvFLN.net
>>374
氏がご自分で考証できるのは北斗の拳くらいのものなのでしょう。それ以外のものはネットから持ってきてコピペしているのではないでしょうか。
百人一首の歌を間違えるのは仕方が無いとしても、明らかな間違いを訂正もせずにそのままにしておく神経が私には理解できません。吟唱もまともに出来ないものかがあるようですが、そのくらい厚顔無恥でないと国体が護持できないのでしょうか?

431:右や左の名無し様
15/10/03 02:09:15.92 O07ZtuhL.net
今回のポスト、百人一首の件は他のみなさんにお任せするとして、
いよいよ大学教授をけだもの扱いしています。
なんかここ最近どんどんエスカレートしているのは気のせいでしょうか?
前からここまでやってましたっけ?それともやっぱり焦


432:ってるのでしょうか?



433:右や左の名無し様
15/10/03 07:49:45.61 HC0J7HEV.net
>>376
何せ造反有理の黒衛兵ですから、自分の意見と同じでない人はみんなサヨクです。
氏よりも広い視野を持っている人は氏と違う意見を持っています。しかし、大学の先生などはわざわざ彼を相手にしてくれません。
そのあたりもまた氏の癪の種なのではないでしょうか。

434:右や左の名無し様
15/10/03 09:12:27.29 O07ZtuhL.net
>>377
>氏よりも広い視野を持っている人は氏と違う意見を持っています。しかし、大学の先生などはわざわざ彼を相手にしてくれません。
>そのあたりもまた氏の癪の種なのではないでしょうか。
その通りだと思います。氏は承認欲求の非常に強い方だと推察します。
認めてもらいたくてたまらない、だからこそ「目からウロコだとよくいわれる」
「〇〇の専門家から認められた」という記述がたびたび登場するのでしょう。
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
今日のポストですが、氏にしては珍しく掛詞や文法事項について割と細かい
考察がなされています。(それがどこまで正しいかは私は判断しないことにします)
いつもの「全然違います」という論法とは異なる印象を受けます。
このスレッドには氏の百人一首本をお持ちの方がいらっしゃるかと思うのですが、
氏は以前からこの歌についてここまでの考察をされていたのでしょうか?
最近批判が多いので、改めて勉強されたのでしょうか?
それでも「技巧が凝らされすぎているからもっと深い意味があるはず」というのは、
やっぱり無理やりでしょう。考えすぎだと思います。
>あくまで歌合の席で、旅宿逢恋をテーマに詠んでいます。
>「だから間違いなく恋の歌です」と言い張るのは、幼稚園の子供か小学校低学年レベルです。
>そのくらいの年齢なら、それで「たいへんよくできました」と花マルをもらえるかもしれません。
このスレッドの意見を「幼稚園児」と新たな切り口で批判しているように見えます。
ちなみに「歌合」というワードは氏のブログにおいては昨日のポストが初出です。
やっぱり、最近勉強した?

435:右や左の名無し様
15/10/03 10:04:32.78 HC0J7HEV.net
>>378
私は、氏の本を持ってはいません。氏がブログに書いている内容があまりに粗雑で、間違っていることが往々にしてあるので、ご意見申し上げているだけです。
多分こちらに書き込んでいる方も、わざわざ本を買うような方はいらっしゃらないと思います。
まあ氏のことですから、本に書いてあることと全く違うことをブログに書いたとしても誰も驚きません。こちらは本を読むつもりも無いので、ブログと本の間の誤謬を指摘することはありませんから氏にとっては安全です。
もちろん、氏の現在の読者がブログと本の間の誤謬を指摘してくる可能性もありますが、氏はこちらは簡単にコントロールできると考えているのでしょうね。

436:右や左の名無し様
15/10/03 10:15:22.75 HC0J7HEV.net
>>378
今日の記事、ざっと見てみました。
なんだか怒ってるみたいですね。

437:右や左の名無し様
15/10/03 10:44:58.16 O07ZtuhL.net
>>380
私がブログを読んでいるのはここ3か月くらいで昔のことはわかりませんが、
ここ2,3週間特に宣伝が露骨になっているような気がします。
ブログのコメント数も減少、CGSのコメント数も著減しています。
このスレッドすら勢いがかなり落ち込んでいる。
これは氏の勢いの陰りなんじゃないか、と思います。
多分氏もこの流れを敏感に感じ取り、焦ってるんでしょうね。

438:右や左の名無し様
15/10/03 11:07:26.89 HC0J7HEV.net
>>381
ここを見てあのブログに行く人もいるので、トラフィックがあがるのではないかと考えていたのですが、違うのですね。

439:右や左の名無し様
15/10/03 15:59:44.85 49UtAyxZ.net
>>378 様
皇嘉門院別当の和歌の解釈については、ねずさんの百人一首本も概ね同じです。
ただ、ご自分の見解と異なる人を「幼稚園児」とか「ケダモノ」などと表現していないという違いがあります。ブログでも、そのように他人を悪し様に言わなければ「そういう解釈をする人もいるんだな」で終わる話が、何故わざわざ品を�


440:コげるような事をするのでしょうか。 それと「歌合」は初出ではありません。 例えば天徳内裏歌合、これは「忍ぶ恋」の41番と42番を解説するに避けて通れない歌合ですから。削除された記事を例に出して申し訳ないですが、確かにありました。



441:右や左の名無し様
15/10/03 16:06:46.24 49UtAyxZ.net
>>383
一応補足ですが、
>そういう解釈をする人
というのはもちろんブログ主様のことです。

442:右や左の名無し様
15/10/03 16:51:21.94 O07ZtuhL.net
>>383-384
どうもレスありがとうございます。
このスレ見て必死で勉強したのかななんて思った私の見当は外れてしまったようです。
文法の話も多少なりともできる人だったんですね。
それでもその他の歌で文法や読み方など、大きな間違いを犯しているところを見ると、
付け焼刃でやっているのでしょう。
インスタントに本を書いて上手く宣伝して稼ぐ。そういう才能はある人なのかもしれません。
でも今回の記事で正統派解釈をしている人を幼稚園児、けだものと罵倒するコメントを追加しているところを見ると、
やはりこのスレを意識していると思わざるを得ません。
>ブログでも、そのように他人を悪し様に言わなければ「そういう解釈をする人もいるんだな」で終わる話が、何故わざわざ品を下げるような事をするのでしょうか。
私も同意見です。従来説を激しく攻撃してさえいなければ、「こういう考え方の人なんだ」と軽く考えて、
このスレッドに書き込んでいろんな記事を検証することもなかったと思います。

443:右や左の名無し様
15/10/04 00:41:06.93
氏の言う日本人らしい奥ゆかしさや思いやりをかなぐり捨ててでも「勉強ができる人」を「支邦人、朝鮮人」と同列に見下すのかがよく分かりません。

URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
以下引用
それって、まるで支那人、朝鮮人と同じマインドです。
そういう人が中世の日本の和歌を解釈しようとしても、わかるわけなどないのです。
たとえそれが優秀な大学生や、有名大学の教授であっても、です。
いくら勉強ができて頭が良くても、人の心をもたなければ、それはケダモノでしかありません。
なぜなら「文化は心が織りなすもの」だからです。
心がなければ、文化もないのです。
引用終わり

「勉強ができても・・」
よく学歴コンプレックスのある人や、学生時代勉強しなくて後悔した人にありがちな言いぐさですね。

下品と言うか氏自身、育ちがあまりよくない人なのかと疑ってしまいます。(出身とかではなく、親御さんの言葉遣い等の問題です)

若い頃勉強ができなかった人が何かのきっかけで大人になってから知識を蓄え、昔馬鹿にされた意趣返しをしているような感じがします。

444:右や左の名無し様
15/10/04 01:20:16.49 rp1cgyie.net
>>383
>「忍ぶ恋」の41番と42番
これは40番と41番の間違いです。
ついでにですが。
40番 平兼盛
【忍ぶれど色に出でにけり我が恋はものや思ふと人の問ふまで】
41番 壬生忠見
【恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか】
この二首は天徳内裏歌合で交わされた名勝負でした。
どちらも優劣つけがたい歌だったため、勝敗を決める判者が判定に困りながらも
結局兼盛が勝者とされています。
しかし忠見の和歌を推す歌論も根強く存在して、千年来の論争となっているようです。
この勝負を小名木氏がどのように言っているかというと、
(兼盛の歌は)純朴な心を感じさせるのに対し、
(忠見の歌は)やや技巧に走りすぎ、その分、純粋さが損なわれています。(ねずさんの百人一首本P265)
だそうで、それが勝敗を分けたとのことです。
白洲正子、田辺聖子、島津忠夫等は、兼盛のほうが「技巧的」だと言っていますが、
小名木氏は忠見の歌のどの部分をもって「技巧に走りすぎ」と言われたのでしょうか?

445:右や左の名無し様
15/10/04 02:30:05.82 gwXFdcDS.net
>>3


446:85 >>383-384 >>ブログでも、そのように他人を悪し様に言わなければ「そういう解釈をする人もいるんだな」で終わる話が、何故わざわざ品を下げるような事をするのでしょうか。 >私も同意見です。従来説を激しく攻撃してさえいなければ、「こういう考え方の人なんだ」と軽く考えて、 >このスレッドに書き込んでいろんな記事を検証することもなかったと思います。 私も同じ考えです。それがご意見申し上げはじめたきっかけです。 最近気づいたのは、他のブログやYahooの知恵袋などでも彼のトンデモさについての記事がありますね。 でも、彼が彼の説だけで衆目を集めることは難しいので、いちいち造反相手を規定してシャドーボクシングを演じて見せないとならないのではないでしょうか。 少なくともこれで彼の現在の閲覧と違ったデモグラフィーに"拡散"できているわけで、それが吉と出るか凶と出るかは別ですが。 とはいえ、削除依頼を出しているようなので、そこまでの考えは無いのかも知れません。



447:右や左の名無し様
15/10/04 09:28:16.11 rp1cgyie.net
天皇と鎌倉幕府
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
今日のポストは一体何でしょうか。
以下引用
そして、もうひとつ。
貴族にも、寺社にもくみしない、まったく新たに開梱した新田がありました。
これが武士たちの土地(領地)です。
この新田は、自衛する以外、そもそもは誰も守ってくれなかったわけで、だからこそ開墾百姓たちは武装し、それが後年、武士となっていきました。
つまり、鎌倉時代のはじめ、国内は、
1 公家たちの領地領民
2 寺社の領地領民
3 公家にも寺社にも所属しない令外の民としての武士たち
という3層構造になっていたのです。
だからこそ、化外の民である新田の開墾百姓たちは、土地や身を護るために、新たな統治機構を必要としたのです。
そこに、源氏や平家の誕生の理由があるし、頼朝の幕府解説の意味もあったわけです。
引用終わり
続きます。

448:右や左の名無し様
15/10/04 09:33:42.05 rp1cgyie.net
>>389 つづき
小名木氏は今日のポストで斎藤武夫先生の「授業つくりJAPAN」を取り上げながら
上の記述を刷り込ませていますが、斎藤先生の本にはそんな事は書いてありません。
以下、斎藤先生の「授業つくりJAPAN」本から引用します。(P105)
(注)以前は農民が武装して武士になったと考えられていたが、現在は武士の出自は貴族であるという説のほうが有力である。
(中略)
『盗賊、強盗、海賊、放火など、犯罪が増えて、平和な秩序が失われてしまったので、農民達や、役人として地方にやってきた貴族たちが、自分の平和は自分で守ると、そのために自ら武器を持ち、武芸に励み、いざという時にそなえるようになったというわけです。
(後略)』
引用終わり
小名木氏は化外の百姓が武士になったと言っていますが、斎藤先生は武士の出自は貴族(と農民)と書いています。
小名木氏は斎藤先生の本を読まずにこのポストを書いているのでしょうか。
また、斎藤先生の本から引用するまでもなく、平氏や源氏は天皇の子孫ではありませんか。
そのような武家を「令外の民」だと「化外の民」だの、書くだけでふるえます。

449:右や左の名無し様
15/10/04 10:32:05.07
面白いリンクを見つけました。氏が「知性的」であると感じられない理由が分かった気がします。氏はことごとくが後者にあてはまりますね。

「知的であるかどうかは、五つの態度でわかる。」
URLリンク(blog.tinect.jp)

以下引用
一つ目は、異なる意見に対する態度

知的な人は異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす

二つ目は、自分の知らないことに対する態度

知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。また、それについて学ぼうする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、それを隠し学ばない

三つ目は、人に物を教えるときの態度

知的な人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている

四つ目は、知識に関する態度

知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。そうでない人は、「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ知識を得ようとしない上、役


450:に立たない知識を蔑視する五つ目は、人を批判するときの態度知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。そうでない人は、「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。引用終わり



451:右や左の名無し様
15/10/04 11:37:31.82 jNdTUmMjO
■在日韓国人の道徳的感覚の異常性

※大前提、朝鮮人(韓国)に日本人の常識は通用しない

1:韓国人との契約は交わしても無駄、
平気で約束を破り、さらに被害者面をしてきます

2:韓国人は妬み嫉みを妄想で恨に変え、末代まで恨み続けます

3:韓国人にとって良い事は自分のおかげ 悪い事はすべて日本人のせいである

4:韓国人は恩を受けても感謝することなく、仇で返すのが通常である

5:韓国人は常に日本人の悪口を真偽問わず吹聴して回ります、しかし日本人に対しては 韓日友好と叫んでいます

6:韓国人はフェアプレイの概念が存在しません

7:韓国人は努力する事よりも、他人の足を引っ張ることに情熱を注ぎます。

8:韓国人は何事も「ゴネればゴネるほど得だ!」という価値観を持っています。

9:韓国人は震災や事件、事故で日本人が死んだと聞いたらとても喜びます

10:韓国人にとって英雄になる手っ取り早い方法は日本人を殺す事です。

11:日本人は韓国人に殺されても文句を言ってはいけないと本気で思っています

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(明治18年(1885年)3月16日) 福沢諭吉『脱亜論』
■もはや韓国とは「基本的価値を共有」していない= 外務省
URLリンク(www.j-cast.com)

452:右や左の名無し様
15/10/05 00:28:09.51 gO++pM94.net
今日の記事、どうもコメントの承認・未承認の問題について誰かがコメントしたようで、
氏が返信をしています。元のコメントが見えない状態なので、何を言われているかは不明ですが。
以下引用
たんぽぽさん、いつもありがとうございます。
普段は、コメントへのお返しはしていないのですが、ちょっとだけ書きますね^^
私は、いただいたコメントは、すべて読ませていただいています。
コメントの承認・非承認に際しては、「誰からのコメントか」ではなくて、あくまでそのときにご記載いただいた
内容だけで判断させていただいています。
コメントの内容への論評もしません。
意見はそれぞれの自由だし、それを論評できるだけの力も私にはありません。
ねずブロは、どこまでも私自身への勉強ノートです。
たくさん勉強させていただき、自分の魂を少しでも高めていきたいと思って書いています。
ですので、いろいろなコメントがありますが、私自身が勉強になったと思うコメントを承認させていただいています。
なぜなら、あとで何度でも読み返し、自分が勉強させていただくことができるからです。
それだけです。
あまりナーバスにならず、これからも笑顔でいきましょう^^
引用終わり
常連さんからのコメントのようで、批判あるいは改善要望があったのでしょう。
あまりナーバスにならず、というところを見ると、厳しいものであったか、多少なりとも
感情的なコメントであったのではないかと推察します。
しかし「勉強になったと思うコメント」が2chで見かけるような嫌韓コピペだったりするのは、
どうかと思うのですがね・・・
それに、コメントを論評する力がないのに、学者や長らく唱えられている従来説を論評(というか罵倒)
する力はお持ちなんですねぇ・・・
変なの。

453:右や左の名無し様
15/10/05 01:53:36.02 quB/fMTD.net
>>393
> コメントの内容への論評もしません。
> 意見はそれぞれの自由だし、それを論評できるだけの力も私にはありません。
なかなか面白い。

454:右や左の名無し様
15/10/05 07:52:06.84 quB/fMTD.net
殷富門院大輔とドアの鍵
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)


455:0 突っ込みどころが複数あって考察してゆくと次々と発散してしまってまとまりませんががんばってみます。 この歌の解釈の上で重要な鍵は、歌合せ、題詠、歌枕、本歌取り、でしょう。 引用 一般の解釈では、「濡れて色が変ったはずの袖が、まるで濡れていないと思えるほど濡れた」→「だからこれは血の涙に違いない」 →「恋で血涙を流しているのだから、そうとう悔しいに違いない」→「だからこの歌は失恋して相手を恨んで詠んでいる歌だ」と説いているようです。 しかも「見せばやな(=あなた方に見せてあげたいわ)」というのです。 ここまできたら、もう精神異常の世界です。 これではまるで怪談話です。 引用終わり 氏がこの解釈をどこから"一般的解釈"として持ち出してきたのか不明です。いつもどおりシャドーボクシングの相手を作りたい、ということなのでしょうがきわめて稚拙です。 まともな文学者の解釈ではない、このようなものを彼はなぜ一般的な解釈として持ち出したのでしょうか。単に攻撃しやすいからでしょうね。



456:右や左の名無し様
15/10/05 08:01:20.57 quB/fMTD.net
続き #2
私は自分はきわめて常識的な感覚を持っていると考えていますので、その感覚で考えてみます。
まず、この歌には本歌があります。本歌取りは平安時代後半の短歌に非常によく用いられる技巧で、氏が敬愛していると称しておられる藤原定家もこれを多用しています。
この歌が歌合せで発表されたときにも参加者や判者は基礎知識として本歌を理解してました。何しろ作者は三十六歌仙の一人です、その人の勅撰集にとられた歌です。歌人としてそれを知らければ公式の場には出られません。
古歌、故実についての共通知識の下に短い言葉で十分な効果を発揮させるのがこの時代の和歌です。現代人が鑑賞する場合も、その時代の古歌、故実についての知識が無ければとんでもない解釈になってしまいます。
氏は和歌、短歌の共通認識をご存じなく、一足飛びに氏の政治的な希望に歌の解釈を合致させようとしています。これが、氏の解釈もしくは氏が"一般的解釈だ"と紹介する解釈がおかしなことになっている理由です。
この歌の本歌は、以下のものです。
松島や雄島の磯にあさりせしあまの袖こそかくはぬれしか (源重之 後拾遺 827)
一首の意味は簡単に言えば、松島の雄島の磯で漁をしている海人の袖でもなければ私の袖よりも濡れている袖はない、という意味です。
自分の袖を海で仕事をしている漁師の袖と比べて、濡れていることを強調しています。松島の雄島、は歌枕で、この歌は名所歌として詠まれたものなのでしょう。
この本歌を下敷きにすると、
見せばやな雄島の海人の袖だにも濡れにぞ濡れし色は変はらず
は、以下のように解釈できます。
古歌で雄島の海人の濡れた袖と自分の袖の涙を比べた人がいたけれどその歌で海人の袖になぞらえられた濡れた袖も高々普通の涙で濡らしただけです。
私が紅涙で濡らした袖のように赤く色が変わってしまったわけではないでしょう。
この染まってしまった袖を恋するあなたにお見せしたいものです。
現代の恋人同士の間でも、涙の跡を見せたい、位のことをラブレターに書くことはありますが、これはその古代編です。一般の解釈も対して変わらないでしょう。
続きます

457:右や左の名無し様
15/10/05 08:05:05.63 quB/fMTD.net
続き #3
以下引用
この歌は、歌会で公式に発表された歌です。
女性が、公の場の人さまの前で、「私、恨んでます」などと声�


458:bノ主張するものなのでしょうか。 どこかの国の民族と違うのです。 バカにしないでもらいたいとさえ思います。 引用終 いつどおり下品なおっしゃり方です。 この歌は歌会に出されたものではなく、歌合に出されたものです。 歌合というのは、普通の歌会と違い、与えられた題で歌を詠み、左方、右方と番えて審判が勝敗を決めるものです。一般の歌会も題詠が普通ですが、組み合わせの勝ち負けなどはつけません。 千載集の詞書には、歌合せし侍りける時恋の歌とて詠める、となっています。題詠ですから、実経験ではなくフィクションの世界です。 上にも書いたように、このレベルではまだ恨みを詠んだとまでは云えない、というのが私の意見ですが、恨みを詠んだ場合でも正式な歌合せの席だから恨みの歌が出せない、という氏の考えは以下の理由から私には全く理解不能です。 氏は "歌会の席で実在の人物を非難する事" と "歌会につれない男を非難するフィクションの歌を出す事" との違いが理解できずに罵倒しているようです。恥ずかしい方です。 たとえば、内裡歌合せの"恋すてふ"の歌と"忍ぶれど"の歌の勝ち負けの話は皆様ご存知と思いますが、壬生の忠見が負けたことを苦にして衰えて亡くなってしまったという話がまことしやかに語られています。 死んでしまったというのは作り話だとは思いますが、技巧を尽くした歌を詠んで勝つことをとても真剣に考えていたことがわかります。恨みの歌であれば恨みが生々しく伝わるような歌が詠めなければ勝つことは出来ません。 続きます。



459:右や左の名無し様
15/10/05 08:15:53.35 quB/fMTD.net
続き #4
更に、氏は紅涙をとても大仰に受け取って(これが氏がこの歌を恨みの歌と考える原因となっています)、精神異常などの暴言を吐いておられます。しかし、これは和歌の世界での白髪三千丈的表現です。
以前に指摘させていただいたように、氏は抽象表現や比喩の表現を理解することは不得意のようですが、もう少し訓練を積む、もしくは読んですぐに反応するのではなく少し時間をかけて読み取る習慣をつけることをお勧めいたします。
悲しいときには血の涙がでる、というのは中国の故事によるものですが、古代、中世の日本でも普通に用いられる比喩でした。
実例を少し申し上げれば、
-白玉とみえし涙もとしふればからくれなゐにうつろひにけり 紀貫之
-色かはる露をば袖におきまよひうらがれて行く延べの秋かな 俊成卿女 (定家姉)
などの歌があります。
作り物語では、伊勢物語の男が狩の使いとして斎宮に逢う段の結末は"男も人知れず血の涙を流せどえ逢はず"となっています。
古代、中世の比喩と申し上げましたが、現代でも、MS Wordでこうるい、けつるいと入力して変換すると工場出荷状態の辞書ファイルなら紅涙、血涙と変換されるほど一般的な言葉です。
現代ではこのような大げさな比喩を使う人はあまり見かけませんが言葉としてはまだまだ現役なのです。
もう一つ申し上げておきますと、氏は"雄島"に関してもとんでもない解釈をされています。私には彼がそのように解釈する根拠が全く理解不能です。
雄島の海人、という言葉がこの歌に出てくるのは、本歌取の元となった歌に雄島の海人が出てくるからです。本歌の名所がそのまま引き継がれたというだけのことです。
以上、氏の語解釈については今さら私から申し上げることもないので、省略いたします。
皇嘉門院別当の記事についても発散方向なのですが、後ほど考察致をアップ致しますのでお待ちください。

460:右や左の名無し様
15/10/05 21:44:04.48
>>391
なるほど、見事におっしゃる通りとなっています。
小名木氏は下手に知的にふるまおうとするから返って反感を買うのだと思います。
ただの愛国おっさんではだめ


461:だったのでしょうか。



462:右や左の名無し様
15/10/05 21:38:53.53 gO++pM94.net
>>395-398
いつも分かりやすい解説ありがとうございます。
氏はこの歌の解説を書くのに苦労したとのことですが、
それはきっと無理矢理自分の気に入る解釈を導き出すのに苦労したということなのでしょうね。
ところで、さっき昨日の記事のコメント数を見たら、昨晩より1つ減っておりました。
あれ?と思いましたが、>>393のコメントが消されているようです。
うっかり痛いところを突っ込まれかねないコメントを書いてしまったと気づいたのか、
誰かに何か言われたのか、あるいはこのスレで突っ込まれたから消してしまったのか。
いずれにせよ、全文コピペしといて良かった。
ファンを離れさせないように、たまには謙虚な姿勢になってみたのでしょうか。
でも普段の言行とあまりに乖離したことを書いてしまったのは、逆効果かもしれませんよ、小名木先生。

463:右や左の名無し様
15/10/06 04:27:57.94 4nwySlR8.net
>>385
>このスレ見て必死で勉強したのかななんて思った私の見当は外れてしまったようです。文法の話も多少なりともできる人だったんですね。
>それでもその他の歌で文法や読み方など、大きな間違いを犯しているところを見ると、付け焼刃でやっているのでしょう。
>インスタントに本を書いて上手く宣伝して稼ぐ。そういう才能はある人なのかもしれません。
百人一首のようなポピュラーな古典は文法の話も含めて掛詞、縁語の説明位は、インターネットで解説がいくらでも見つかります。Yahoo! Japanの知恵袋などは古典に限らず宿題の相談であふれています。
質問の中には、全文を品詞分解してほしい、のようなものもあり、丸投げするなと注意人もいるし、やってくれる人もいるようです。
ただしインターネットから得られる情報の確度については、比較的よいものからいい加減なものまでさまざまなので、それを判断する目を養わなければなりません。
今回の記事の中や、以前のながすねひこの記事の中の用語、文法談義を見るとかなり文法もあやしいと思われます。以下に続く考察をごらん下さい。
百人一首の解説サイトの例としては簡単なサーチで以下のようなものが見つかりますがこれらだけではありません。個々の歌でサーチすればもっといろいろと情報があります
URLリンク(www.ogurasansou.co.jp)
URLリンク(www.caruta.net)
これらのサイトの情報と氏のトンデモ以外の説明はとても似ているケースが多いのですが、もともと正統的な百人一首の解釈にそんなに差異があるわけもないので、私の気のせいなのでしょうね。
氏は2ちゃんねるでもかなり勉強していると思います。まじめに相手にして問題を指摘してくれる人は他にはなかなかいないと思われますので。

続きます

464:右や左の名無し様
15/10/06 04:30:54.72 4nwySlR8.net
続き1
以下の記事について考察いたします。
皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ身を尽くしてや恋ひわたるべき
引用
この歌は歌会において、「旅宿逢恋」というテーマで出詠された歌です。
『千載集』(八〇七)の詞書に「摂政右大臣の時の家の歌合に、旅宿逢恋といへる心をよめる」とちゃんと記されています。
引用終
おっしゃるとおりですが記事の内容を読むと氏がサーチしてコピペしただけで内容を理解していないことが明白です。
摂政右大臣の時の家の歌合、が何を意味するのか考えましょう。
ここで摂政といわれているのは、藤原兼実です。1189年に摂政になる前、兼実は1166年から1189年の間右大臣を務めています。
この詞書の意味は"摂政兼実が右大臣であったときの右大臣家の歌合で、旅宿逢恋という題で詠んだ"ということです。
千載集の成立は1188年ですので、この詞書はもともと右大臣の家の歌合となっていたものを後の書写のときに訂正されたのかもしれませんがなんともいえませんし、ここではそれは重要ではありません。
続きます

465:右や左の名無し様
15/10/06 04:32:35.33 4nwySlR8.net
続き2
兼実の家の歌合で有名なものは1175と1180の記録がありますが、別当の歌はそれらの歌合の記録には入っていません。
大切なのは、この歌合なるものが、兼実が右大臣であった1166


466:-1189の間に開催されたものであることです。 以下引用 ということは、おそらく歌合の前に、皇嘉門院と別当との間で、 「皇嘉門院様。私がこの歌を歌会に出詠しようと思います。」 「別当、おまえは、崇徳院様のために、皆の者に立ちあがれとお言いかえ?」 「はい。してみとう存じます。 引用終 崇徳上皇 (天皇在位は1123-1141) の配流は1156年、崩御は1164年です。この歌が歌合せに出されたのは崇徳上皇が崩御されてからということになります。 これでは氏のお説のように別当が崇徳院ために立ち上がれという意味がありません。 また、崇徳天皇の退位で、近衛天皇 (1141-1155) が即位されます。皇嘉門院は近衛天皇の准母になっておられたので崇徳天皇が退位された時点で皇太后になり、この歌会の時点でも皇太后です。 更に、右大臣である (そして後に摂政となる) 兼実は皇嘉門院と腹違いの姉弟である上に皇嘉門院は兼実を猶子としていたので、皇嘉門院は右大臣と天皇の庇護を受けることが出来る立場です。 彼女はその後没落せずに宮廷での生活を全うしています。もともと皇嘉門院は経済的、社会的に恵まれず崇徳上皇の権力への回帰と庇護を必要とするような立場にはありませんでした。 別当の歌は"身を尽くしてや恋渡るべき"の係り結びを反語と解釈して、まだ崇徳上皇に未練を残している皇嘉門院に、すでに切れている相手をずっと思い続けるのは無駄ですよ、もうあきらめなさい、といっているようにも読み取れます。 これはもちろん皇嘉門院に対してかなり失礼なことになります。皇嘉門院と別当の関係にもよりますが、ここはただの恋の歌と受け取るべきでしょう。 続きます



467:右や左の名無し様
15/10/06 04:37:41.41 4nwySlR8.net
続き3
ところで氏は"別当"は第一秘書に相当するとおっしゃっています。
引用開始
この歌を詠んた?皇嘉門院別当は、「保元の乱」て?追われた「崇徳院」の皇后の聖子(皇嘉門院)に仕えていた女性て?す。
別当というのは、家政全部を司る役職て?すから、いわは?皇嘉門院の第一秘書といっても良いて?す。
引用終
女房は本人の職務ではなく、親戚や婚姻関係の人の役職をで呼ばれる、と言うのが古典読み取りの際の常識です (小路名と言うものもありますが関係がないのでここでは省きます)。
私の知っている範囲では、本人の職務で別当と呼ばれる女官は御匣殿別当だけなのですが、これは女官と言うよりは天皇の妻妾ですので中宮、女御などと同じく本人の地位で呼ばれるのでしょう。
皇嘉門院別当の場合も、古典常識をわきまえている人であれば、まず縁者に何かの別当職をしているものがいたためこの名前になったと考えます。
この別当についてはほとんど情報がないということです。
皇嘉門院の弟である兼実の歌合に招かれるたと言う史実から、皇嘉門院にも歌人として認められていて、よい関係であったとは想像できますが、"皇嘉門院の第一秘書"であったなどと言う情報はありません。
続きます

468:右や左の名無し様
15/10/06 04:38:53.83 4nwySlR8.net
続き4
藤原定家を尊敬されている氏はもちろん彼の"世上乱逆追討雖満耳不注之、紅旗征戎非吾事"をご存知かと思います。
定家は百人一首を編纂するときにもこの方針を守っていると考えられますので、定家が恋の歌の部立てに入れた歌を無理やり政治的なメッセージに結びつけることは定家の本意に外れていると考えます。
特に氏の結び付け方はあまりに根拠がないものばかりなので、私には氏が定家を(百人一首を)ご自分の主張の拡散の手段として利用しているだけのように感じられております。
定家が多少なりとも政治的な配慮をしていると考えられる相手は後鳥羽院と順徳院くらいのものでしょう。実朝も可能性がありますが、百人一首に選ばれた彼らの歌はもともと恋の歌ではありません。
続きます

469:右や左の名無し様
15/10/06 04:46:05.97 4nwySlR8.net
続き5
ここで、氏の今回の記事の中の誤謬のいくつかを指摘させていただきます。
引用開始
疑問の係助詞


470:「や」を受けて推量の意味になりますか?、もとも と「へ?し」は意志・命令の助動詞て?す。つまりこの歌は、「や」を「も」に変えるた?けて?、 「身を尽くしても恋ひわたるへ?し(命懸けてでも恋い続けるへ?き)」と意志・命令の意味になっています。 さらに歌には掛詞か?多用され、いくつもの意味を重ねるなと?たいへんに技巧を凝らしています。 「寂れた難波江のたかか?遊女の恋」を詠むのに、ここまて?技巧を凝らすということも、有り得ないことです。 しかもこの歌を出詠したのが、皇嘉門院の別当という高級女官です。 つまり、この歌はあまりにも異例つ?くめなのて?す。 引用終 この中には二つ大きな間違いがあります。 間違い#1 文法がでたらめです。"身を尽くしても"は現代口語であり、文語では"身を尽くすとも"です。"身を尽くしても恋ひわたるべし"は、現代口語と文語の混成文で、文語として解釈しようとして意味不明になります。 "身を尽くしてや恋ひわたるべき"と"身を尽くすとも恋ひわたるべし"では一文字の違いどころではありません。 また、文章に小さな修正を入れると違った意味になるのは普通のことですので、あえてそれを言い立てて自分の主張に誘導する氏の文学的な常識は大きく疑われるところです。 以前の記事、ながすねひこのところでも"なかすど"などと言うどこの時代の言葉だかわからないような詠み方と解釈を主張されておられたと記憶しています。 私は氏に文語文法をしっかり勉強する事をお勧めしたいと考えています。コピペではないご自分の言葉で語りだすとすぐに間違いばかりになってしまうのでは信者を維持できません。 続きます



471:右や左の名無し様
15/10/06 04:52:24.67 4nwySlR8.net
続き6
間違い#2
"「寂れた難波江のたかか?遊女の恋」を詠むのに、ここまて?技巧を凝らすということも、有り得ないことです" とおっしゃっていますが、これは間違いです。
歌合の場ですから、誰の恋であれしっかりと技巧を凝らした歌を詠む事はあたりまえ、と言うのは以前の考察に書いたとおりです。
遊女の歌を詠んだら技巧が凝らせないのであれば、勝ちたい場合は遊女の歌を詠まなければよいだけの話になります。
大げさに"異例づくめ"などという言葉を振り回して、いかにも氏ががこの分野に明るいと言う印象を与えようとしている底意でもあるのでしょうか。注意しないとなりません。
ところで俊成卿女の歌にも、これもまたかりそめ臥しのさゝ枕一夜の夢の 契りばかりに、と言うのがあります。これも旅宿逢恋の歌です。
俊成卿女歌集の中では旅の部に分類されていますが、遊女を引っ張り出してきて解説しようとすれば出来ないこともないこの歌も、笹、竹の縁語を盛り込む技巧を凝らしています。
この他、多く詠まれている宇治の橋姫系の歌にもあやしいものがあります。遊女を歌に技巧が使えないのではそもそも旅宿逢恋の類の題で歌合が出来ません。
以上簡単にまとめてみましたが、時代背景の理解や考察が不十分な上に、簡単な文法上の問題も絶えない、と言うことがお分かりいただけたと思います。
詠みにくいといけないと考えて、細切れにしてしまいましたが、とりあえずここまでが考察の結果です。

472:右や左の名無し様
15/10/06 04:54:48.80 4nwySlR8.net
>>400
> >>395-398
> いつも分かりやすい解説ありがとうございます。
> 氏はこの歌の解説を書くのに苦労したとのことですが、
> それはきっと無理矢理自分の気に入る解釈を導き出すのに苦労したということなのでしょうね。
>
ご返信ありがとうございます。
おっしゃるとおり、こじつけが難しかった、ということで間違いないでしょう。
皇嘉門院の記事も考察いたしましたのでご覧下さい。

473:右や左の名無し様
15/10/06 05:02:53.63 4nwySlR8.net
申し訳ありませんが、236からの考察記事の引用部分の濁点が "?" に化けるようです。これは以前から発生していたのですが簡単に入れ替えることもできませんし、意味がわからなくなるほどでもないのでご容赦ください。

474:右や左の名無し様
15/10/06 22:40:20.36 ZxDEf2oi.net
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
今日の記事です。以前の神武東征の話をしていますが、
前回より多少マイルドな話になっています。それでもイツセノミコトの発言は
ちょっとこじつけな気がします。
ところで小名木氏は漢字の成り立ちがお好きなようですが、
氏に敬意を表してその方向から、今日の記事を検証してみようかと思います。
以下引用



475:ワ瀬命のお名前の「五」は、五穀豊穣の「五」です。 五穀とは、五種類の主要な穀類のことです。 米、麦、あわ、きび、豆です。 ここから転じて、穀物全般のことを、五穀といいます。 「瀬」は、浅瀬です。 作物を稔らせる浅瀬といえば、誰がどうみても田んぼです。 要するに「五瀬命」は、そのまま田畑で作物を稔らせる農業指導者であったということがわかります。 引用終わり 「瀬」という字について、新漢語林より一部見やすくして引用します。 形声。水+頼(賴)。音符の賴は刺(ラツ)に通じ、切れ目が入るの意味。 水がくだけて流れるはやせの意味を表す。 引用終わり 字義を読んでも、水に関係する意味としては、流れる水に関連する意味しかありませんでした。 さて、田んぼは水が「流れている」のでしょうか。 一方で本居宣長の古事記伝にはイツセノミコトの語源を厳稲としている記述があるそうなので、 小名木氏の「五穀豊穣の神」という記述は絶対に誤りとは言い切れません。



476:右や左の名無し様
15/10/07 06:32:52.03 r1i83FMg.net
>>410
少し検索すると五瀬命が豊穣の神というような情報が出てきますね。
その情報から逆に五瀬が穀物と田に結びつくようなトリビアを出して事情通であると印象付け、信者を引きつけようというお考えでしょう。
彼の信者層のレベルを考えると悪いやり方ではないのですが、誰が考えても瀬が水田というのはいただけませんね。
瀬は浅瀬です、と断言調ですが、川を瀬と淵に分けた場合、瀬は浅く流れが早い場所、淵は深く流れが遅い場所と言うことになります。
この浅い、と言うのも水田と比べればずっと深いものです。また、おっしゃるとおり水田には流れがありません。
瀬が水田である、と主張されるのであれば、古事記の時代にそのように用いられていたと言う用例を提示するべきでしょう。いつものことですが、氏が何の根拠も示さずにこのような主張をされるといい加減な思いつきとしか受け取れません。
本居宣長の著書には何かそのような記述があるのでしょうか。

477:右や左の名無し様
15/10/07 16:49:08.42 ikGCLdzuw
今日の記事

引用開始

いま学者といえば、たいてい本の虫になっている人達で、自分で体を動かすことはあまりされないようですが、このように、「体を動かさないで頭だけを使うのが学者」というようになったのは、実は戦後のことです。
引用終了

またまた、勝手に学者のことを定義してますね。「本を読むのが学者」、つまり研究とは本を読むことだと思っているところがすごいですね。
おそらく、本当に真摯に研究している学者さんとのつきあったことはないのでしょうね。

478:右や左の名無し様
15/10/07 19:46:27.48
>>412
学者と一口に言っても、地学者や生物学者はフィールドワークをしますし、
今回のテーマに関わる農学者だって実際に農業を実践しています。
広い農地を所有する大学農学部の話、知らないんでしょうか?
化学者だって手を動かして実験を繰り返しますし、かなり体力勝負なところがあります。
文系では歴史学者は本ももちろん読みますが、自ら伝承を聞き取りに行ったり、
容易には手に入らない文献を自ら探し回ったりもするでしょう。
考古学者などの発掘作業は、もはや肉体労働と言っても過言ではありません。

氏の言葉を借りれば、上記のようなことは「ちょっと考えればわかること」
で、氏の話は「全然違います」ということになるのですが、ここでも氏の
コンプレックスの強さが表れています。

479:右や左の名無し様
15/10/07 20:00:46.00 Ieqyic0p.net
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
今日の記事より引用します。
だいたいまともな書


480:籍を焚書して、アカ系の学者が捏造した本だけを世に残し、 「本も論文も引用先が明らかでなければ信頼に値しない」などと、おかしな空論が言い出されるようになったのは戦後のことです。 それまでは、一流の学者は、自分で考え、自分で行動して得た一次情報を提供す人でした。 当然、引用先なんてありません。必要に応じて引用先を明らかにすることはあっても、引用がなければ論に値しないなどというのは、 頭のおかしなヘンタイの所業でしかない、引用先が大事なら、引用先の文書を読めば良いのであって そのような論は論考の名に値しないというのが一般的な考え方でした。 引用終了 これは我々のように小名木氏が引用元を明確にしないことでもって批判している 人たちのことを言っていると思っていいのでしょうね。最近その手の奥歯に物が挟まったような 物言いが増えているのは、このスレが伸びていることと関係しているのだと思います。 こうやって遠回しに、言質をとられない小名木氏はずるい人だと思います。 真正面から「誰々が私を何々と批判するが、それは当たらない」と反論すればいいんです。 先日わざわざ「2ちゃんねる」という言及までして逃げ道を作っておくというのは、ファンからすれば 幻滅でしょう。 このままではあなたとあなたのファンは荒唐無稽を信奉し、反論する人を罵倒するただのカルト集団と化してしまいますよ。 次に、なぜあなたが引用元を提示しなければならないのかという理由を示します。



481:右や左の名無し様
15/10/07 20:39:00.27 Ieqyic0p.net
百人一首や古代史、古事記の解釈などに関するあなたの著述は以下の2つの内容に
分けることができると思います。
1. 従来説に対する反論
2. ねず流新解釈(あるいは戦前の解釈と称されるもの)
さて、1の従来説に対する反論というものは、学問の世界でもよく行われることですが、
当然これはその説を具体的に指摘することが必要です。従来説のどこがどう間違っているか
きちんと論じなければ、話は始まりません。そのためには、従来説がどのようなものかというのを
はっきりさせ、検証しないといけません。
不祥事を起こしたり不正を働いた企業を批判する場合でも、その企業が一体何をしたのか、
行ったことのなにが悪かったのかという分析がなければ、的外れな批判になってしまう。それと似ています。
さて、あなたの従来説に対する反論ですが、あなたが取り上げる従来説というものは、
一般的に知られる従来説とかなり異なっている場合が多々あります。
たとえば、>>48-49での江上氏の騎馬民族征服説について、あなたはこれの内容をブログ記事で
取り上げ批判していますが、その内容は一般的に知られるものとおおきく異なっているとの批判があります。
あなたが自分の説を主張し続けたいなら、その批判を否定しなければならない。「いやいや江上氏の説は私の言うことが正しいんだ。
ここでこのように本人が言っているではないか」と言うべきなのです。このような話をあなたが
しないのであれば、「小名木氏の騎馬民族征服説の解釈はおかしい」という批判は的を射たものという
ことになってしまう。そのために必要なのが、あなたが批判対象とする従来説の「引用元」です。
対象を明確にして批判を行うことで、あなたの理論は盤石になります。
しかしあなたはそれを行わない。それではシャドーボクシングと言われても仕方ないことです。
百人一首の一般的解釈への批判も同じことです。
従来説の批判を行う際に引用元が重要なのは、このように理論の筋を通して、世間に受け入れてもらうために
重要だからです。

482:右や左の名無し様
15/10/07 20:47:47.29 Ieqyic0p.net
私たちもあなたの著述に反論する際、引用元を示して、どこがどうおかしいのか、
具体的に反論しています。批判には対象を明確にすることが必須だからです。
私たちの論に未熟な点がないとは言い切れませんが、その時はいつでも反論してよいのですよ、小名木さん。
従来説を批判するということは、革命を起こすことと同じことです。
あなたは平和を愛する、対立を好まないといつも�


483:ィっしゃいます。これ自体は良いことだと思います。 しかし、その言葉と裏腹に、あなたはすでに学問の世界に戦いを挑んでいるのです。 革命を起こそうとするなら、それに対する逆風も跳ね返さないといけない。 神武天皇が大和を平定するときにナガスネヒコを討ったのと同じことです。 我々にはあなたが従来説をゆがめて紹介しているようにしか見えない。これに対してあなたは、 あなたの言う「従来説」の明確な引用元を紹介せず、あなたに対する反論を封殺している。 これでは議論になりません。反論を打ち消せるような論述ができなければ、その時点であなたの 著述は詭弁でしかない。 そうやって詭弁を積み重ねていくから「論ずるに値しない」と言われてしまうのです。 あなたの著述はすでに、ただ単に引用元がなければダメだ、という次元を超えているのです。 例えば、身に覚えのないことで逮捕された人が警察に対して、「どうして逮捕されたんだ!証拠はあるのか!」 と言ったとしましょう。そこで警察が「逮捕するのに証拠がいるのか!」と言って聞く耳を持たないとします。 これは理不尽以外の何物でもない。あなたがやってるのはこの警察がやっていることと同じです。



484:右や左の名無し様
15/10/07 21:07:14.87 Ieqyic0p.net
次に、2. ねず流新解釈(あるいは戦前の解釈と称されるもの) についてです。
新解釈には、当然論拠が必要で、かつその論拠が妥当なものでないといけません。
百人一首などのあなたの新解釈には一応論拠が用意されていますが、その論拠は上に
書かれている通り、これまでの長い研究の積み重ねの結論を参照すると
妥当なものとは考えがたい。これに対してあなたが「自説の論拠が妥当である」と
いうには、やはり引用元が必要になるのです。
我々は主に昔の話を議論しています。自分の目で確かめることができないことを話しているのです。
自分の目で確かめられないことを議論するには、根拠が必要です。その根拠は必然的に歴史書や
これまでの歴史解釈を参照することになります。これまでの歴史解釈は長年の議論に耐えてきたものです。
これを無視することはできません。これを無視した新解釈は、やはり革命を起こすのと同じことです。
「戦前から唱えられていた説だ」と主張したいなら、どうぞ持ってきてください。
それともGHQはその本を一冊残らず焼き尽くしたというのでしょうか。そして戦前からの学者は
占領統治下でそれまでの説を忘れてしまったとでもいうのでしょうか。
なお、一次情報を発信する場合は引用元を示すことはできませんが、それを発信する
学者は代わりに「実験結果」「検証結果」を根拠として示します。そしてこれらは従来説と
矛盾しないか、従来説を打ち崩すだけの信頼性があるものと証明されなければ、新設として
受け入れられません。もちろん従来説の存在しない新たな分野で発信するなら話は別ですが、
これはもっぱら理系の世界の話です。
また、書物の上の歴史を議論する場合には「実験」というものははなはだ難しいことです。

485:右や左の名無し様
15/10/07 21:14:50.02 Ieqyic0p.net
長々と読みにくい乱文、大変失礼しました。
ただまだ書き足りない気分なので、もう少し書かせてください。
小名木氏の論述をこのように考えてみると、保守を標榜する割には
なかなかに(2ちゃんねる的な意味で)サヨク的な印象です。
伝統を打ち崩し、反論を封殺し、感情的に人を罵倒する。
なかなか香ばしい。
ブーメランというやつでしょうか。
「小名木善行は工作員だ」なんて陰謀論はそれこそ語るに値しませんが、
そのうち皆からこう言われ始めるでしょう。(そういうブログも見かけたことがあります)
実は今朝の記事でも氏のサヨク的要素が現れていたと思います。
記事の内容ではなく、編集についてです。重箱の隅をつつくような話ではありますが、
小名木氏の姿勢について考える上では参考になるかと思いますので、投稿します。

486:右や左の名無し様
15/10/07 21:54:50.31 Ieqyic0p.net
今朝の記事に以下の記述があります。
引用開始
ですからたとえば幕末の適々斎塾を開いていた緒方洪庵にしても、進んで長崎まで勉強に行っているし、
塾を開いてからも、自ら種痘のために、


487:大阪各地を回って一般の人達が疱瘡に罹らないよう、 種痘の普及に努めていました。 以上引用終わり 二行目の「疱瘡に罹らないよう」の記述は、最初の記事発信時には「ライ病に罹らないよう」 という記述でした。辛うじて検索エンジンにその痕跡が残っていたのでご参照ください。 http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org549739.jpg もしや種痘が天然痘ワクチンの元祖であることも知らなかったのでしょうか。 それとも単なる書き間違いでしょうか。 また、いまどきハンセン病にそのような呼称を用いること自体不見識で、 昔の表記に則るとしても「癩病」「らい病」という表記が妥当かと思われますが、 そんなことはささいなことです。 問題は明らかな誤情報を一旦発信しておきながら、訂正文もなしに突然これを修正したことです。 ブログの修正など、本来は管理人の自由ですし、素人ならこれも許容の範囲内かと思いますが、 著述家を名乗って少なからず世に影響力を持っている人のやることではありません。 ミスは誰しもあることですが、それをなあなあにしてしまうことは、朝日新聞が 慰安婦報道で問題を起こしたもののミニチュア版です。



488:右や左の名無し様
15/10/07 21:55:17.19 Ieqyic0p.net
また、ここからは私の推測・憶測となります。誤りの可能性もあります。
そのミス修正の過程についてです。
私が記事の修正に気付いたのは、午前中のことです。その際記事のコメント欄には
未承認のコメントが1件ありました。
もし記事の修正がこのコメントをきっかけになされていて、氏がこれを返信なく未承認のままと
していたならば、なおさら大きな問題となってしまいます。
もしコメント以外をきっかけとして気づかれたのならこの批判を取り下げます。
いずれにせよ、小名木氏の記事修正はミス隠ぺいを伴う不誠実な形だと思います。
他の記事にも明らかな誤りは多数指摘されてるのに、どうしてこの記事だけ修正したのでしょうか。
自身の無知を晒さないため?それならプライドのために記事の訂正をなあなあにした朝日新聞と
全く同じになってしまいます。

489:右や左の名無し様
15/10/08 02:08:53.77 1LuUlFwg.net
>>418
> 伝統を打ち崩し、反論を封殺し、感情的に人を罵倒する。
私もこれと同様の印象を持っています。
以前にも申し上げたように、氏は 造反有理 と言う紅衛兵のスローガンの下に行動していると私は推察しております。
昔は毛沢東語録を愛読されていたのかもしれません。もしかすると今も。

490:右や左の名無し様
15/10/08 08:08:46.92 hmRVSyTA1
素人のおじさんが学者ゴッコするからこうなるんですけどね。
素人がブログでなにを書こうが自由ですが、自分が著述家であると
自覚しているならば、文献、引用元を明記してくれないと困ります。
インターネット、ウィキペディアがソースだから引用できないのは
丸見えなんですがね。

491:右や左の名無し様
15/10/08 10:50:43.87 1LuUlFwg.net
>>417
いわゆる"焚書"については私も以前に書きましたが出版社のレベルのことのようです。つまり禁書となった本を新たに入手することは出来なくなったが、図書館や個人所蔵のものは特に回収されていないようです。
証拠となる過去の資料がない、と言うことのよい言い訳と言うだけのことですね。
ところで、氏は文語文の一次資料から情報を正しく読み取ることができるのでしょうか。
今まで見てきた初歩的な文法上、用語上の過ちを見ているとかなりあやしいと感じるのは私だけではないと思います。

492:右や左の名無し様
15/10/08 21:27:43.84 jRFKU+6W.net
>>421>>423
大変遅ればせながらで恐縮ですが、貴殿の「氏が紅衛兵のよう�


493:セ」という旨の記述が ようやく腑に落ちました。 紅衛兵は毛沢東を信奉し、毛の意見と少しでも違う人々に「走資派」というレッテルを張り、 反革命派の粛清という名目の下糾弾、ときに処刑しました。 毛沢東の主目的たる劉少奇らの打倒のみならず、知識階級も徹底的に打倒され、 青少年たちは学校の教師を引きずりおろしました。「持たざる人々」であった プロレタリアートの若者にとっては、さぞ気持ちいいことだったと推測します。 小名木氏は、自らの意見と異なる人、特に学者・政治家たちを「反日・左翼」とレッテル貼りし、 徹底的に糾弾・罵倒しています。構図としてはまさに文化大革命時代の紅衛兵と全く同じでしたね。 私ももっと早く貴殿の意図に気付きたかった。「持たざる人々」がまま陥ってしまうネトウヨの 世界の人々には、気持ちいいことだと思います。 さて、文化大革命における紅衛兵の暴走は毛沢東の当初の意図を超え、内ゲバを起こし ついには多数の死傷者を出すに至り国中を混乱に陥れることとなりました。 小名木氏は日心会で内部対立の引き金を引いたという話がありますが、さすがに 世間を混乱に陥れることはないでしょう。氏には毛沢東のようなカリスマ性もバックグラウンドもない。 一方で私には、四人組のように厳しい判決をつきつけられる小名木氏の未来が見える気がします。



494:右や左の名無し様
15/10/08 21:57:25.75 jRFKU+6W.net
焚書された本が残っているという認識は小名木氏にもあるようです。
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
以下引用
GHQが焚書にした図書ばかりを集めた私設図書館に行ったことがあります。
一歩入った瞬間に感じたことは、本からオーラが出ているように感じたことです。
その中の1冊を手にとってみました。
ある大学教授が書いた本でした。
教授自身が、東南アジアの山中深くに単身分け入って、そこに住む村人たちと起居をともにしながら、彼らの持つ文化や伝統、風習を調査したときのことを記したものでした。
内容は、誰も本にしたことがないことを、本にしていたものです。
内容は、すべて著者の教授の実体験です。
巻末に引用文献一覧などありません。
あるわけありません。
世界ではじめて自主的に行った実態調査なのです。引用のしようがない。
こういう本が、焚書にされたのです。
引用終わり
一方で「焚書されたのでない」と言い、もう一方で「焚書された本を読んだ」という。
奇妙な話です。
焚書された本が残っているなら、「戦前なら当たり前だった」和歌の解釈も、
古墳の起源も、どこかしらに残っていると思います。
引用することは可能です。都合よくそれらのみが一冊残らず燃やされてしまったとでも
おっしゃるのでしょうか。
引用なんて重要じゃないと氏は随分前からおっしゃっていますが、時に引用がないのは根拠がないのと同じになります。
天皇陵の治定は幕末から明治にかけて行われていますが、それは記紀や延喜式を初め、多くの書物を
参照し、伝承を集めて検討し、議論して、当時の最高水準の歴史学で以って行われたそうです。
議論に耐えられぬ根拠、すなわち歴史書を碌に参照していない根拠に基づいた説は相手にされなかったでしょう。
小名木氏の論拠は現状では批判に耐えられません。だからといって批判を封殺するのは、
それこそ論外で、戦前も含めた歴史学の先達の顔に泥を塗るようなものです。

495:伸太郎東南アジアの山中深くに単身分け入って
15/10/08 22:27:59.78 +sys35FZ.net
ストレート ワンというマルチ商法の社長 >> URLリンク(blogs.yahoo.co.jp)

496:右や左の名無し様
15/10/09 10:58:29.43 wpkT62YV.net
>>425
氏は発言するたびに矛盾を撒き散らしていますね。
おっしゃるとおり、私設図書館にある、と言うことは残っていると言うことです。残したことによって誰も逮捕されたり投獄されたりもしていないでしょうね。
それほど貴重なものであれば、資金を募って再販をすることも出来ます。スキャンしてPDFにすればすぐに配布できます。そうすればよいのに。
氏が国士の方々にそれらの資料の重要性を納得させることが出来れば資金などすぐに集まるはずでしょう。
それと以下の部分ですが
> 教授自身が、東南アジアの山中深くに単身分け入って、そこに住む村人たちと起居をともにしながら、彼らの持つ文化や伝統、風習を調査したときのことを記したものでした。
> 内容は、誰も本にしたことがないことを、本にしていたものです。
> 内容は、すべて著者の教授の実体験です。
氏の場合、過去の研究者の成果を否定する場合にも、も否定する対象の成果すらまともに説明できない状況です。研究者が実体験を客観的に記録した資料と氏のトンデモ資料が比較になると思っているのでしょうか。

497:右や左の名無し様
15/10/10 03:47:13.17 GwZ7G/qc.net
>>424
ご理解いただけて幸いです。
氏の教条主義的で子供っぽい態度がよく似ているように思われました。
また、理論や証拠を尊重せず現状を否定すること自体が目的となってしまっているようにも見え、これは毛沢東が紅衛兵を操るときに使った造反有理と言うスローガンと重なります。

498:右や左の名無し様
15/10/10 19:42:04.99 eoQzNHiS.net
今日図書館で氏の著作を読んでみようかと思いましたが、
どれも貸出し中でした。やっぱ意外と人気あるんだ・・・

499:右や左の名無し様
15/10/11 08:11:18.28 +/6op9K2.net
>>429
うちの近所の図書館にはおいてません。買う気は全くないので読めません。

500:右や左の名無し様
15/10/11 19:55:20.67 tJQFkkuo.net
URLリンク(www.youtube.com)
今回のCGS日本の歴史ですが、まだ古墳は残土って言いたいみたいですね(11:30くらい~)
「朝鮮半島から古墳が出てきたのは名誉なこと。なぜならそこに水田があって、
みんなを食わせようとしたということだから。これを壊すことは収奪と同じ」
ここでいう「古墳が出てきた」というのは、話の流れから朝鮮半島から前方後円墳が見つかったということだと思います。
それが破壊されたという話もネット界隈ではよく出回ってますから。
私も聞いたことがあって、改めて調べてみましたが、デマという指摘があります。
「「韓国の前方後円墳が隠蔽のために破壊された」は間違い」、で検索してください。(リンクはNGワードで書き込めないようです。)
仮に本当に前方後円墳が破壊されたとしても、朝鮮半島の古墳はそれ以前から存在しています。
古墳=残土だとして、前方後円墳の破壊が収奪とつながるというのは意味をなしません。
もっとも、古墳が残土を盛っただけでないというのはこのスレでも論証されていることです。

501:右や左の名無し様
15/10/11 20:08:13.11 tJQFkkuo.net
また、朝鮮では白村江の戦いで食糧調達の代わりに食人をしていたという旨の発言がありますが、
文献的な根拠はあるのでしょうか。
氏の過去の記事です。
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
以下引用
ところでみなさまに質問です。
魏の曹操は、当初50万、後に公称100万の大軍を率いて、魏の首都である洛陽(らくよう)から、赤壁まで兵を引き連れて進軍しているのですが、そのときの兵たちの食べ物(糧食)は、なんだったのでしょうか。
また、食べ物はどのように調達したのでしょうか。
(中略)
で、何を食べていたのでしょうか、という質問になるわけです。
まあ、冒頭の書き出しが「人食い人種がやってきた」ですから、答えはもうおわかりと思います。
(中略)
ですから命令された将軍は、攻めてこいと命令されれば、行かなくてはならない。
兵たちの食料調達は、将軍持ちです。
けれ�


502:ヌ将軍は、みずから農園を開いているわけではありませんし、移動先での食料調達も、自分たちの手で行わなければなりません。 そして支那の人肉食は、古来からの一般的習慣です。 食料として殺す人々は、行軍途中にある村や町の人々です。 老若男女子供を問わず、片端から食べる。食べる。 引用終わり 赤壁の戦いで通常の食糧調達の代わりに人肉を食べていたと主張しています。 文献はもちろんありません。 そこで「赤壁の戦い 人肉」で調べてみたところ、確かに人肉を食べたケースはあったようですが、 それは忌避されるものであったということのようです。 http://sangokusousou.blogspot.jp/2012/03/blog-post_6462.html 一般的な習慣、とはやはりゆがめられた表現と取らざるを得ません。 氏のいつもの手法ですね。



503:右や左の名無し様
15/10/11 20:39:51.19 tJQFkkuo.net
加えて動画では、今日のポストでもそうですが、「シラス・ウシハク」の話が出てきますね。
この話、氏の十八番のようです。確かに氏の言うとおり、この二つが区別されていたという説が
以前から唱えられているようです。
しかし、天皇の統治の実態がいわゆる「シラス」というものであったかどうかは疑問です。
たとえば雄略天皇は次々と皇子を殺し、人を処刑し、地方豪族の妻を奪ったりしたとか、
武烈天皇は女性に残虐行為を働いたりするなど、暴君であったと記紀に伝承があります。
無論これらは政治的意図があって残された記述である可能性もありますが、
少なくとも古代において「天皇は常に民の幸せを願って云々」という感覚はなかったのでしょう。
やはり天皇にも名君・暴君がいたという認識であったということです。
ここから考えれば国譲りの「シラス・ウシハク」も、仮に氏の言うとおりの使い分けがされていたとしても、
「天皇の統治正当化のための方便」と考える方が妥当です。
上述の武烈天皇の極悪エピソードは、次の血統が離れていた継体天皇の統治を正当化するために作られたという説もあります。
同じように考えれば、天下り前の葦原の中つ国は不幸であったと描かれるのは自然なことだと考えます。
もっとも、天下り前の日本もそんなに悪いようには描かれてはいませんが。
ともあれ、小名木氏の「シラス国は日本古来の形である」というのはファンタジーであると思います。

504:右や左の名無し様
15/10/11 20:51:14.74 tJQFkkuo.net
「シラス・ウシハク」について、もう少し調べてみました。
この区別に関しては井上毅という人物が戦前唱え始めたもので、
ナショナリズムの高揚のために言われ始めたという説があるようです。
参考文献:象徴天皇と神話―シラスとウシハクをめぐって― 田村安興
URLリンク(ir.kochi-u.ac.jp)
もっと明確に「シラス・ウシハク」の区別がなかったということができるなら、
氏の十八番の理論は崩れることになりますが、個人的には、氏の言うほどでなくとも
多少なりとも区別があったという印象も受けますので、何とも言えません。

505:右や左の名無し様
15/10/12 22:02:32.43
結局、矛盾だらけの氏の「シラス・ウシハク」思想を見ていると、
国家神道そのものが欺瞞だったのかと思ってしまいます。

506:右や左の名無し様
15/10/13 22:31:07.95 3bZU5l89.net
やまと新聞の百人一首、9月8日を最後に更新が途絶えているようです。
何があったのでしょうか?

507:右や左の名無し様
15/10/14 00:59:37.15 FxRZk9E+.net
>>436
やまと新聞の編集が彼の歌の解釈があまりにひどいことに気づいたのでしょう。
あの程度の古典知識で歌を解釈して"研究家でござい"では、やまと新聞自体の人を見る能力まで疑われてしまいます。

508:右や左の名無し様
15/10/14 19:14:29.69 bECvpZBc.net
ねず氏推薦のやまと新聞、かなりツッコミが入っています。
URLリンク(k)


509:inpy.livedoor.biz/archives/cat_50034694.html http://meiji19-yamato-tteka.doorblog.jp/ Wikipediaを読んでいても、現行の「やまと新聞」とかつて存在した帝都日日新聞社の改称である 「やまと新聞」は別団体ではないかという印象を受けます。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%A8%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A4%BE 所詮はネット上の情報で、疑惑にしか過ぎない話ではあります。 それにしても、「やまと新聞社主催」の百人一首動画が、なぜ「小名木善行」名義で youtubeにアップロードされているのでしょうか。不自然で奇妙です。 👀Rock54: Caution(BBR-MD5:f2c519fe5384e767e1c9e99abdcfc293)



510:右や左の名無し様
15/10/14 21:54:47.70 DkdWw6Y8.net
ヨコ入りすまん。
まあ、読んでやってくれ。
知り合いが保守系出版社を立ち上げたんだわ。
マスコミは左巻きがほとんどだから保守系は大事にしないとな。
出来たばかりだからみんなで応援してやらないか?
あたま出版
URLリンク(atama-pub.net)
社長がハゲあたまだからこの名前だってww
保守系マスコミが成長したらまともな情報が広まって
まともなやつが増えると思うんだが
嘘と捏造ばかりのマスコミは潰れて、
まともな保守系がどんどん増えるようにしないといかんでしょ。

511:右や左の名無し様
15/10/15 08:57:01.26 u6Zg6mLr.net
>>438
なるほど。もともと氏とのやまと新聞がズブズブの関係なのですね。だとするといまさらやまと新聞側が何かすると言うのも変な話です。
まあ、私としては過去の研究者の成果を全く無視して、あのようないい加減な解説を拡散している氏の態度に疑問を持っていたので、どのような理由にあれそれが収まればよいのですが。
ところで明治時代のやまと新聞は、永井荷風も記者をやっていたと思います。こちらは東京スポーツの前身と言うことで現在のやまと新聞とは関係ありません。
氏、およびやまと新聞は、この二社を意図的に勘違いさせて会社の歴史が長いようによそおっているのではないか、という気もします。

512:右や左の名無し様
15/10/15 19:49:17.65 UYr9rlfk.net
>>440
私も会社の歴史を長く見せようとしている説に賛成します。
ボロが出てきて批判がわいてきたからか知りませんが、
氏のブログでは最近やまと新聞をとりあげていないようです。

513:右や左の名無し様
15/10/15 20:14:55.68 UYr9rlfk.net
今日の記事です。
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
麻(大麻)をテーマにしたポストです。
大麻規制の是非に関しては、巷間ですでに議論が広がっていることで、
賛否両論あると思います。個人的にはやはり規制されてしかるべきと思いますが、
大麻の是非は置いておくとして、妙な記述を引用します。
以下引用
以前、お相撲さんから大麻反応が出たといって大騒ぎになったことがありましたが、繰り返しますが土俵は大麻の煙で清めるのです。
その煙を吸ったお相撲さんを検査すれば、大麻反応は(あたりまのことですが)出ます。
それがなぜ、あのような大騒ぎになったのか。
相撲協会内で在日コリアンが権力を取ろうとしてマスコミを動員して騒ぎ立てただけのことです。
ひどい話です。
引用終わり
大麻の茎は規制の対象外で、薬理作用を有するTHCは少ないといわれています。
茎から発生した煙を間接的に吸入したくらいで、大麻反応が陽性になるのは???です。
また、「お相撲さんから大麻反応が出たといって大騒ぎになったこと」というエピソードは、
2008年の


514:露鵬と白露山の件だと思います。私も覚えています。 今調べたら、それは「抜き打ち検査」で見つかったとのことでした。 なぜこの二人だけが陽性になるのか、氏の説が正しければ大多数が陽性反応となるはずです。 加えて、この二人はロシア人だったはずです。なぜ「在日コリアン」は ロシア人たった二人を狙い撃ちにして大麻問題をふっかけなければならないのでしょうか。 日本人やモンゴル人を含めて狙った方が確実に騒ぎが大きくなります。 これらの謎から導き出せる答えは、氏の上記記述が捏造なのではないか、ということです。



515:右や左の名無し様
15/10/16 19:34:25.10 kpxhqf9I.net
やまと新聞の百人一首の動画、思い出したように更新されています。
このスレで指摘されたそばから更新とは・・・やはり関係があるのでしょうか。
今日の記事も怪しさ満点です。
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
以下引用
ちなみに、朝鮮半島の南半分が倭国であった時代に、なぜ支那の魏などが日本と国交を持とうとしたのかには理由があります。
当時、朝鮮半島南部で、倭人たちは鉄を掘っていました。
そして「たたら製法」で倭人たちは、鉄を精錬し、これで農機具や食器を作っていました。
その鉄を、魏はさかんに輸入しました。
魏といえば、三国志で魏の曹操が「やたらに強い人物」として描かれますが、魏の曹操が強かったのは明確な理由があり、曹操は魏の軍隊に鉄製の剣や楯を持たせたのです。
呉や蜀は、青銅器の武器です。
そして青銅器の剣と、鉄の剣がぶつかれば、青銅製の剣は哀れなどあっさりと折れてしまいます。
強度があまりにも違うのです。
引用終わり

516:右や左の名無し様
15/10/16 19:36:03.87 kpxhqf9I.net
「朝鮮半島の南半分が倭国であった時代」とは、任那日本府説に則ってのことでしょう。
前も書きましたが、南半分は言い過ぎです。それはともかく、任那が日本の支配下にあったと
言われているのは広開土王碑や日本書紀から推定すると、4世紀以後のことだと思われます。
神功皇后が三韓征伐を行った時代も新羅が成立していたわけですから、やはり4世紀以後ということになります。
一方魏は265年に滅んでいます。話が合いませんね。
また、魏・呉・蜀が自力で鉄を生産できないと読み取れる記述がありますが、
これも信じがたいことです。中国では三国時代以前から鉄器時代に入っており、
わざわざ日本から輸入する必要はなかったはず、むしろ日本の製鉄技術は大陸から
伝わったとさえ言われています。出土品などからは明らかに日本の鉄の方が後です。
こういう歴史の話をするときは文献や考古学的根拠を提示しなければなりません。
過去の時代のことは自分の目で見ることができませんから、当然のことです。
こうやって息をするように嘘をつく、つつけばつつくほどボロが出るのが小名木善行という
人なんですね。最近はいちいちツッコむのに飽きてしまった人が多いのか、このスレの勢いも
がくっと落ちてしまいました。残念なことです。

517:右や左の名無し様
15/10/16 19:51:59.80 kpxhqf9I.net
URLリンク(www.youtube.com)
心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花
氏は何度も動画内で「折らやば」と読んでいます。まさに"ヤバ"い。なんちゃって。
また動画内で、菊のことを皇室の紋章として扱っています。
はて、天皇の菊の紋の起源はもっと後だった気がするぞ、と調べてみたら、
どうやら後鳥羽天皇の時代のようです。
後鳥羽天皇の生年は1180年、この歌の作者の凡河内躬恒の没年は925年ごろです。
単純に計算しても、歌がつくられた200年以上後に菊の紋が成立したということになります。
やっぱりやまと新聞の動画、あのままフェードアウトしておいた方がよかったんじゃないですか、小名木さん?

518:右や左の名無し様
15/10/16 21:13


519::46.16 ID:yoNPAqNK.net



520:右や左の名無し様
15/10/17 06:23:45.30 tJKhyHzV.net
>>443
>やまと新聞の百人一首の動画、思い出したように更新されています。
>このスレで指摘されたそばから更新とは・・・やはり関係があるのでしょうか。
関係あるでしょうね。やはりズブズブの関係だということです。
でもあまりにわかりやすい反応で、かえって面白いですね。姑息、と言うのを絵に描いたようです。
ただ、氏は最近は歌について自信を失ったのか、書かないようになってきたので、私もあまり書き込まなくなっています。過去のものにもいろいろと面白いのがあるので、今後はそれについて考察して書き込むように致しましょう。
氏は歌に限らず語彙、文法、時代考証などすべてにいい加減なことが目立ちます。更に歌については正しく吟唱することも出来ませんこのような知識レベルの氏が歌を鑑賞できるとは全く考えられません。
そのレベルで日本文化を代表しているかのような上から目線での物言いは繰り返しになってしまいますが、まじめに研究している研究者の皆様に失礼以外の何者でもありません。

521:右や左の名無し様
15/10/17 06:53:29.96 tJKhyHzV.net
>>446
ひとはいさ、を、ひとはいざ、と発音してませんか? 一つの歌に二つの間違いですか???
そして、解釈もまちがってます。
まず、古今集の詞書です。
初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に、久しく宿らで、程へて後にいたれりければ、かの家の主人、"かく定かになむ宿りは在る"と言ひ出して侍りければ、そこに立てりける梅の花を折りて詠める
初瀬に詣でるときにいつも泊まっていた家に久しぶりに行ったら、主人に"いついらしても良いように準備してし待ちしておりましたのに"と言われたので、そこに咲いていた梅の花を折って歌とともに渡した、
と言う意味です。ここで人と言っているのは宿の主人のことで、
主人のあなたは準備して待っていたと言うけれど、本当ですか? でも梅の花だけは昔と同じに咲いてよい匂いがしていますね。
と言うことで、主人が言った、ずっとお待ちしていましたのに、と言うようにお愛想に対して、ほんとにそう思っているの? と疑ったような形で歌を詠んでいます。
下手するとかなり失礼なことになりますが、そのあとの、花ぞ昔の云々で、それを暗に打ち消していると見てよいでしょう。主人とはこのようなきわどい(取り様によっては失礼になるような)冗談も交わせる良く知り合った仲だったのでしょう。
氏の解釈は、他人に取ってはどのようなものが故郷かわからないが、自分にとっては昔と同じに梅の花が香っているここが故郷だ、と言うようなものですが、これでは"ぜんぜん違います"。

522:右や左の名無し様
15/10/17 12:05:37.72 Y6Oi76Ac.net
今週のCGSです。
URLリンク(www.youtube.com)
仏教伝来がテーマになっていますが、例によって朝鮮を下げ、日本を上げるような
話が目立ちます。これでは日本を見下している(といわれている)韓国の歴史教育と
同じになってしまいます。それもホンマかいなと思いますがね。
少なくとも朝鮮からさまざまな技術が伝来したのは明らかで、それが日本の文化に
大きな影響を与えていたのは事実です。それをことさら「日本のほうが優位だった」と
いうのはみっともないことだと思います。ネトウヨ一般にいえることですが、感情論抜きで歴史を語れないのでしょうか。
また、今回も多少ボロを出しています。
2:37~ 百済の「聖明王」を「さいめいおう」と読んでいます。単純に「せいめいおう」と読んでいたらいいものを・・・
11:20~ 行基が民衆に布教を始めた時代を「ヨウロウ天皇」の時代と言っています。
そんな天皇いたか?と思って調べたら、行基が布教を始めたころの元号が「養老」でした。
もちろん「養老天皇」なんていません。
普段「天皇のシラス政治が云々」言ってる割には、この間の諱と諡の件も含め、
やっぱり天皇を知らないようです。

523:右や左の名無し様
15/10/17 20:37:23.45 tJKhyHzV.net
>>445
>はて、天皇の菊の紋の起源はもっと後だった気がするぞ、と調べてみたら、
どうやら後鳥羽天皇の時代のようです。
>後鳥羽天皇の生年は1180年、この歌の作者の凡河内躬恒の没年は925年ごろです。
>単純に計算しても、歌がつくられた200年以上後に菊の紋が成立したということになります。
菊の御紋の成立は900年以前と言うことは、戦前では常識でした。ただしGHQの焚書によって全ての証拠は隠滅されて居ます。という記事がそのうち氏のブログに出てくるかも。

524:右や左の名無し様
15/10/17 20:42:33.61 tJKhyHzV.net
>>449
>15:20~ 行基が民衆に布教を始めた時代を「ヨウロウ天皇」の時代と言っています。
>そんな天皇いたか?と思って調べたら、行基が布教を始めたころの元号が「養老」でした。
>もちろん「養老天皇」なんていません。
養老帝はいらしたのですが、GHQの焚書で全ての情報が失われているんですぅ。ということなのでしょう。

525:右や左の名無し様
15/10/17 21:10:03.81 tCL1yCRB.net
>>450-3
そんなバカなこと、するわけ・・・あるかもしれません。小名木氏なら。
トンデモをトンデモで覆い隠すようなことが続くと、いよいよ各所から見放される
ときがくると思います。このスレッドの住民は現在貴殿と私の2人がメインとなってしまいましたが、
もう何人かのかつてのスレ住民たちは、氏を見限ってしまったのでしょうね。

526:右や左の名無し様
15/10/18 01:19:11.50 /yLYbUjW.net
>>452
氏のブログのコメント数も減少していますね。
やはり心ある人たちがコメントしていたのをやめたと言うことはあると思います。
氏の記事がいい加減だというコメントは2010年以前から指摘されているようです。それでも氏は内容を改めるようなことをしていません。過去には訴訟沙汰もあったようですが、これは情報の正確性の話ではなかったと思います。
氏がご本人のブログでどのような政治的な主張をされようと勝手ですが、間違った主張でまじめな研究者を侮辱することは許せないので、私は今後もこちらで考察内容の発表を続ける所存です。

527:右や左の名無し様
15/10/18 02:24:24.17 5UgzNgK6.net
今回のcgsは嘘のオンパレードだと思う。
最後の方で神社を中心に統治をしていたと言う話が・・・。
初耳だし、何処からこういう話が出てくるの???。
二人してそうなんですよみたいな事も言い合ってる。
出典が無いという事は、お得意の妄想炸裂だろうけど。
仏教を信仰する蘇我氏が仏具で金儲け???。
この後、仏教寺院が多く建てられる時代が来るけど、
特定の氏族が暴利を貪った事実が有るならぜひ教えて欲しい。
この人歴史の何を知っているんだ???。
また、中国や半島の事を貶した時にこの人が口にする、
ヒヒヒヒヒと言う笑いはっきり言って下品極まりない。

528:右や左の名無し様
15/10/18 20:15:09.51
>>452
スレ住人といえるか分かりませんが、いつも拝見していますよ。
氏の言っていることがひどすぎて、いちいち指摘するのがばかばかしいと思い書込みするのをやめた人もいるかもしれませんが、私の場合、誰かが書いていたみたいに氏の文章を読んでいると頭痛、というか吐き気がしてくるんです。

ある種の人たちにとっては心地よい文章なのでしょうけれども。(一種のマインドコントロールなのか)

このスレというフィルターを通すと大丈夫ですので、トンデモの指摘は今後もして頂きたいと思います。

529:右や左の名無し様
15/10/18 21:55:03.57
>>455
いやはや、私も氏のむちゃくちゃぶりにあきれはて、
なかなかツッコミの文章を書くのも時間がかかるのでフェードアウトしかかっておりました。
しかし貴殿のレスを頂きましたので、まだこれからも頑張ります。
ちょうど良い頭の体操と、文章を書く練習にもなりますし(笑)

530:右や左の名無し様
15/10/18 22:14:02.70 pTUfBH4H.net
今日の記事です。
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
以下引用
その中華民国は、大正元(1912)年の成立を自称していますが、これは嘘です。
その年にあったのは、孫文の中華民国臨時政府であり、国際社会に認知され承認された正規の政府ではありません。
簡単にいえば、いまこの瞬間に私が「葦原のシラス国臨時政府」を名乗り、初代太政大臣を自称した・・・ようなものです。
要するにはっきり言って、誰も相手にしていない。
そういう政府です。
その中華民国が、国際社会に認知され承認されたのは、先の大戦中の昭和18(1943)年11月のことです。
このとき、カイロにおいて、英米が「南京国民政府」として承認しました。
そしてその承認された中華民国政権は、そのわずか6年後の昭和24(1949)年には、米英の支援を受けたにもかかわらず中共軍に敗れ、支那大陸を追われて台湾に亡命しました。
それがいま台湾にある政権です。
引用終わり
サラッとうそを書いているのはいつも通りですね。

531:右や左の名無し様
15/10/18 22:40:07.81 pTUfBH4H.net
1915年、日本は中華民国政府にいわゆる「対華21か条の要求」を出します。
「支那政府」と書かれてはいますが、相手は中華民国政府です。
1922年には、日本・イギリス・アメリカ・フランス・イタリア・中華民国・オランダ・ベルギー・ポルトガル
の9か国でワシントン会議が行われています。
1943年に初めて国際社会に承認されたというような書き方をしていますが、
これら2つの条約・会議を見ても真っ赤なウソだとわかります。
氏の記述での1943年11月のカイロでの件は、カイロ会談の話をしているのだと思いますが、
(これは日本を批判するための会談ですね。このことを隠すのはなにか意図があるのかも知れません。)
また、カイロ会談の結果だされたカイロ宣言でも「中華民國」表記です。
そもそも、1937年までに蒋介石は首都を南京から武漢・重慶に移しており、
南京は日本軍が陥落させていました。
いわゆる南京大虐殺は日中間の大きな禍根となり現在まで問題が尾を引いていますが、
氏は事件を論じる上での前提条件である戦況もご存じないと見えます。
論じるための知識もないのに、よく「大虐殺はねつ造だ」と言えたものです。(URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com))
加えて1940年には汪兆銘が「南京国民政府」を樹立しています。(これは日本の傀儡政権と考えられています)
1943年に中華民国が「南京国民政府」として認められるはずがない。
これからも日々、小名木氏のウソを検証していきたいと思います。

532:右や左の名無し様
15/10/19 21:51:37.36 Aw8mjyfL.net
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
「稲作日本起源説」を唱える小名木氏です。日本が中国に稲作を教えてやったとほのめかしています。
逆ウリナラ起源説ですね。日本でコメが自生していたという根拠は今のところみつかっていないそうですが。
ここでは諸説ある稲作伝来ルートについてはあまり触れず、氏の誤りを指摘していきます。
>平安時代の貴族の女性の衣装として、十二単は有名ですが、その時代の日本列島の気温はやや寒冷化が進んでいました。
>ですから重ね着をしないと寒かったわけで、それが十二単という姿になっています。
平安時代は温暖化していたといわれていて、マラリアが広まるほどだったそうです。寒冷化は誤りだと思います。
>なぜなら、もしそうであるならば、福建省あたりから、朝鮮半島に稲作が伝播する過程で、
>山東半島のあたりや遼東半島のあたりにも稲作が形成されなければならないからです。けれど、その痕跡はありません。
山東半島の稲作遺跡として、楊家圏遺跡、荘里西遺跡など、B.C.2500~2000の遺跡が発見されています。これが
朝鮮半島経由の稲作伝播説の根拠のひとつとなっているようです。
続きます

533:右や左の名無し様
15/10/19 22:54:50.91 Aw8mjyfL.net
>そして朝鮮半島では、いまから1万2千年前から7千年前までの5千年間、
>人類が朝鮮半島に生息していたいことを示す遺跡が、ひとつも見つかっていません。
日本語の検索エンジンでは具体的な遺跡名を見つけることが困難なようですが、
朝鮮半島の古代史区分として「櫛目文土器時代」というものがあり、B.C.8000-1500として
規定されているようです。「人がいなかったというのはかなり怪しい」と言わざるを得ません。
おそらくこの話の大元はこの本でしょう。
URLリンク(www.tendensha.co.jp)
著者は理系出身者で建設業に従事していた人物です。
他のネット上の記事では「10000年前から5000年前朝鮮に無人時代があった」旨の記述が、
B.C.10000-5000年前にいつのまにか変わって広まったのではないかと思います。
私が見た限り、無人時代をB.C.10000-5000年とするネット上の記事はこの本が出版されて以降のものです。
>「江」というのは、入江のことです。
>川ではなく、海の一部だという意味です。
新漢語林で「江」を引いてみると字義には川のことだと書かれています。
入江など、海に関する意味は日本独自の意味合いとのことです。
ちなみに入江の「え」は訓読みです。
小名木氏は中国や朝鮮から日本に技術や文化が伝わったという説に対抗し、
「日本から技術や文化が伝わった」という考え方を打ち立て、それに見合う資料を
ひっぱり出してきているようです。
もう少し裏を取る努力をされてはいかがかと思います。
私もだんだん氏の論述のどこを調べたらボロが出るか、勘が働くようになりました。

534:右や左の名無し様
15/10/20 00:14:06.00 eC3Jzl4s.net
>>460
何時も面白く読んでます。
この人の基本的な事の間違いとして、
縄文時代の人口は圧倒的に東日本の方が多かった事を知らない或は無視している。
だから簡単に
>亜熱帯ですから、ドラゴンフルーツのような果物もたくさん生育していた
なんていい加減な事を言ってしまう。
森からの恵みは東日本の方がはるかに多かった。だから人口も多かったわけだ。
稲作についても、陸稲と水稲の違いを全く無視している。
縄文時代のプラントオパールの多くは陸稲と考えられている。
陸稲と水稲の違いは社会的な意味合いにおいても大きいと考えられている。
陸稲は焼畑農耕に対し水稲は水田での農法となる。
つまりこの人の言う様に、初めから水田ありきではない。
また、その違いは収穫量に表れ、連作障害を考えると圧倒的となる。
水田の広まった事によりは日本は東西の人口比が逆転する程となる。
更に、wikiによると
熱帯ジャポニカ(陸稲)温帯ジャポニカ(水稲)となっている。
これ等の事から、水田の開発及び伝播は氏の言う様に単純ではありえない事が明確となる。
水稲の栽培について
>これは亜熱帯の雨季と乾季を、人工的に演出
なんて言ってますが水稲は水田がmustなことを考えるとおそらく誤りでしょう。

535:右や左の名無し様
15/10/20 05:10:58.12 gXCFygt+.net
>>460
> >「江」というのは、入江のことです。
最近"瀬"についても"浅瀬"で、田のことだと発言していましたね。
とにかく語彙力がない人です。少し検索して、自分の説に都合が良いものを見つけると、すぐにそれに飛びついて確認をしない、と言うやり方をされているようです。
> 小名木氏は中国や朝鮮から日本に技術や文化が伝わったという説に対抗し、
> 「日本から技術や文化が伝わった」という考え方を打ち立て、それに見合う資料を
> ひっぱり出してきているようです。
おっしゃるとおりです。何が何でも日本起源にしないと気がすまないようですね。通常ウヨクの方たちが韓国朝鮮に対して、何でも韓国朝鮮起源にしないと気がすまないと揶揄しているのと同じことをされているようです。
同じ遺伝子を受け継いでいるがために、同じ行動を取っていると言うことなのでしょうか。
> もう少し裏を取る努力をされてはいかがかと思います。
> 私もだんだん氏の論述のどこを調べたらボロが出るか、勘が働くようになりました。
そうですね。わたしは主として歌を考察していますが、同じように感じています。基本的に氏がネットからコピペしたと見られる部分のほうが、氏のオヤジギャグ的な追加部分よりも信頼性が高いことが多いです。
ただしコピペ部分も対して検証していないので、そっくり間違っていることもしばしばですが。

536:右や左の名無し様
15/10/20 21:46:46.08 MYsiXodK.net
あれ?氏のブログのコメント欄に珍しく安倍首相批判のコメントが認可されています。
何かの間違いか、それとも姿勢の変化か、あるいはただのポーズが・・・
安保法成立1カ月乏しい説明 首相「経済優先」シフト
安保法成立1カ月乏しい説明 首相「経済優先」シフト
URLリンク(news.goo.ne.jp)
国を代表する総理大臣が有権者である国民
を騙している。 憲法の規定を犯して強行採
決した違法の法案に付いて丁寧に法案を説明
していくと言明している。
 嘘話を繰り返す詐欺師と同じ手口を弄して、
その内に国民が忘れるとでも思っているのだ
ろう。 これでは到底国民の負託を受けて国
会議員を務める資質がないのである。
詳細は
【経済・政治の掲示板】最新版
URLリンク(www.aixin.jp)
【経済・政治の掲示板】最新版タイトル一覧はこちらをクリックして下さい。
2015/10/20(火) 10:07 | URL | 愛信 #EBUSheBA[ 編集]

537:右や左の名無し様
15/10/21 11:11:02.03 vwuxSJC3.net
>>463
なげやりになってきたんじゃないですか?

538:右や左の名無し様
15/10/22 15:22:46.86 vzXBppuU.net
>>439
売れるといいね。
右派というか保守というかはともかく、
こういう出版社があっても良いと思う。

539:右や左の名無し様
15/10/22 22:21:13.55
>>463
色々な意味で劣化が激しいですね・・。

540:右や左の名無し様
15/10/22 22:24:48.91
旭化成建材の手抜き工事の問題についての記述

以下引用
おかげでいまの日本は、そもそも建造物が災害に弱いだけでなく、耐用年数経過による経年劣化で災害にいたらずとも自然崩壊しかねない建造物を抱え、しかも万一の災害発生時の対処や復興は「困ったときの自衛隊頼み」以外にすべをもたない国になっています。

しかもその状況下で、いまだにカネをもらって「自衛隊反対」を歌う馬鹿者たちがそこいらじゅうにいるという体たらくです。

文化を失い、誇りを失うということの情けなさを、目の当たりにする思いです。
引用終わり

手抜き工事問題から自衛隊の話を無理やりつなげたり、韓国批判。
いつものパターンですが。

価格競争に走ると無理が生じるところは同意しますが、小名木氏自身は、ご自身の会社を潰したことについてどのようにお考えでしょうか。

541:右や左の名無し様
15/10/22 23:10:47.74
>>467
サンデーモーニングの「風を読む」という番組は、一見まったく無関係なネタでも政権批判につなげることで有名で、こないだなんかラグビーW杯の話題を安倍政権批判につなげていました。
小名木氏がやってることも同じ、いや、デマやウソが大量に含まれる分より悪質です。
風が吹けば桶屋が儲かる。。。

542:右や左の名無し様
15/10/23 01:25:05.39 IPFR3bgE.net
動画で百人一首の解説聞いたけどむちゃくちゃだろコイツ。
どこにでもいる近所のただのシッタカジジイレベル。

543:右や左の名無し様
15/10/23 02:35:44.43 DrvZGCtJ.net
>>469
同意しちゃいますね。
何でも文句つければいいと思ってる説教くさいジジイ。

544:右や左の名無し様
15/10/23 14:14:12.56 DrvZGCtJ.net
トンデモおじさんの顔も声もあまり好みではないので気が進まなかったのですが、見てみました。
やはりトンデモでした。
倭塾 第22回公開講座
やまと新聞 小名木善行の「百人一首」 37番歌 文屋朝康
白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
まず、ぶんやのあさやす、とおっしゃっていますが、ふんやのあさやすですね。
次に、この説明からでは歌の内容を理解しているとは受け取れません。
つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
の部分だけを解釈すると、緒を通していない玉が散らばってしまった、と言う意味です。そして氏の説明は、嵐で緒を通していない玉が散らばってしまった、と言うように聞こえます。
氏の本にはそのように記述されているのでしょうか? そうだとしたらとんでもない恥さらしです。
白露に風の吹きしく秋の野は、という上の句とこの下の句を続けて解釈すると
秋の野の草の上に白露がおいているところに風が吹いて、露が緒を通していない珠のように散らばって行く
と言うような意味になります。つまり秋の野に降りている露を玉と見立てたのがこの歌の眼目なのですが、これを理解されないで解説していらっしゃるのでしょうか。

545:右や左の名無し様
15/10/23 20:46:26.22 Lo9+LFOE.net
今日の記事、神代文字についてです。
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
相も変わらず歪曲とねつ造に近い誤りの数々、ツッコミ待ちなんじゃないかと疑ってしまいます。
以下引用
古事記の序文に、天武天皇の詔(みことのり)として、次の記載があります。
「天武天皇は申されました。
 『諸家が持っている帝紀や本辞は、事実と異なるし、またその多くに虚偽の記述がある。
 いまその誤りを改めなければ、幾年も経ないうちに、日本はなくなってしまうであろう。
 歴史は国家の大本です。そこで巷にある様々な帝紀から撰録し、旧辞を取捨選択して、
 偽りを削り、まことを定め、後の世に伝えたいと思う。』」
引用終わり
「日本はなくなってしまう」なんて書いてありません。「其旨欲滅」つまり
歴史の本旨がなくなってしまう、と書かれています。
URLリンク(www.seisaku.bz)
結論の部分で「日本はなくなってしまう」という部分を使って話をしているところをみると、
自分の思想に沿わせるためにねず流解釈をした、ということでしょう。
また、
>漢字が伝わったのは、仏教伝来と同じく、西暦552年のことであったといいます。
この話も???です。考古学的には仏教伝来以前に作られたことが明らかな
金錯銘鉄剣に漢字が刻まれていますから、少なくとも定説ではないと思います。
検索してもそれらしい説が見つからない。
ひょっとして
URLリンク(ja.wikipedia.org)
に引かれた隋書の記述を単純に持ってきてたりして。

546:右や左の名無し様
15/10/23 22:29:18.84 x0joWXL7.net
以下引用
それだと「金印」の存在の説明ができないからです。
「漢委奴国王」と記された金印は、江戸時代に福岡県の志賀島で発見されましたが、
この金印は、西暦57年に倭国にある奴国の国王が漢に使いを送り、漢の皇帝が授けた金印であることは、
支那の歴史書である『後漢書』に明確に記されています。
漢字渡来とされる年より、500年近くも前の出来事です。
(中略)
印鑑は、万国共通で、文書に押印するものです。
つまり、1〜2世紀の日本で、文字が存在しなければ、漢の皇帝も、魏の皇帝も、日本に「金印」を贈ることなどありえないことです。
引用終わり
金印は封泥に用いられるもので、文書に押印するものではありません。
>つまり鉄の生産技術は、倭人たちだけのものだけであったということです
そんなわけありません。>>443-444参照のこと。
>この時代、濊族は、汚らしい、人間にさえ分類されないゾンビのような存在、
>ただの原始的な人食い人種としてしか認識されていません。
相変わらず出典がありません。
それにしても小名木さん、人食い大好きだなぁ(笑)


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