ねずさん(=小名木善行)ってどうよat SISOU
ねずさん(=小名木善行)ってどうよ - 暇つぶし2ch231:右や左の名無し様
15/09/01 22:37:03.11
>>192
色々調べてみましたが、強訴を秋にするっていう根拠はどこにも見当たらないですね。
ネットでやっと見つけた、あらホントだったのか、と思ったらソースは小名木氏の本だった・・。

232:age
15/09/02 10:45:07.12
≫198
>東大出ですから文法詳しいのでこれはサ行変格活用で、とか言って、
文法の講義は上手だってことで評判がよくなって

氏が文法を軽視しているのがよく分かる発言です。
このスレを見ても明らかなように、文法の知識は話にならないレベルです。

それでもって本を出すということは、英語が全く話せない人が翻訳本を出すくらい
滑稽な話です。

233:右や左の名無し様
15/09/02 21:14:58.33
百人一首コーナーにおける本のなかでただ一つ著者の出身大学を明らかにしていない本。
確かにライトな本なら、そういうこともありうるだろうが、印税のため定価を高くしたためか、無駄に立派な装丁の本なのに、作者の経歴があの程度しか載っていないのは明らかに不自然です。

234:右や左の名無し様
15/09/02 22:55:57.11 Lf9z6UlL.net
自らの本名と過去を隠し、学問的出自すなわち学歴も明らかにしていない人が、こんなことを言っていたようです。
通名を廃止せよ
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
あなたはなぜ本名で活動しないのですか?
かつての活動を指摘するレスをなぜ削除依頼に出すのですか?
なぜ学問の世界に首をつっこみながら、自分がどこでどのように知識を得たか明らかにせず
「戦前は当たり前だった」とお茶を濁し続けるのですか?
あなたは何を隠し、何をしようとしているのですか?

235:右や左の名無し様
15/09/03 07:47:07.26 GFbpo1Sp.net



236:日本人が通称名を使うのは戦前は当たり前のことだったから(当たり前過ぎて記録も残っていない)ですか?多分。



237:右や左の名無し様
15/09/03 19:24:10.01
官報情報
平成26年(フ)第1365号
 債務者 小名木伸太郎
1 決定年月日時 平成26年2月26日午後5時
2 主文 債務者について破産手続を開始する。
3 破産管財人 弁護士 大林 憲司
4 破産債権の届出期間 平成26年3月26日まで
5 財産状況報告集会・一般調査・廃止意見聴取・計算報告・免責審尋の期日
平成26年5月22日午後2時30分
6 免責意見申述期間 平成26年5月22日まで

破産開始決定後も、慰安婦がどうだのの動画をバンバン上げています。
本やアフィリエイトで儲けたなら、踏み倒した人にお金返してあげましょうよ。

238:右や左の名無し様
15/09/03 21:12:28.69
>>206
ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人! 第二巻を出した頃ですね。
印税って差押にならないんだろうか

239:右や左の名無し様
15/09/06 03:54:19.88 Bm4EfoDr.net
小野小町とやごとなき君
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
うつつにはさもこそあらめ
夢にさへ人めをもると見るがわびしさ
ブログ主は、以下のように断じています
引用

嘆きや寂しさを詠んだ歌だというのです。
この美しい絵と、嘆きや寂しさでは、なんだかそぐわないような感じがします。
ところが歌を音読してみるとわかりますが、この歌からは嘆きや哀切感は感じられません。
むしろ透明感や可憐さや美しさを、ことばから感じます。

引用終
つまり彼の論理展開は、
1. 現代作家の描いた絵に小町の歌が書いてあった
2. その小町の歌は一般には嘆き、哀切を詠んだものといわれるものである
3. しかしブログ主には、その絵からは哀切の情は感じ取れない
4. #3の理由から、ブログ主は歌の解釈を無理やり変更している
ブログ主は、歌の内容を理解しようとせず、自分のこの歌に関する先入観に適合するように歌を解釈しているのです。これは文学者が文献に対するときの態度ではなく、文献を自分の目的に利用しようと考えている商業者の態度です。
実はこれがいつもの彼のパターンです。恋の歌を、平安時代の貴族が恋の歌ばかり読んでいるのが気に食わないので、題詠の恋の歌を無理やり平和を願う歌とこじつける、というようなやり方ですね。
余計な恥をかかないためにブログ主に、先入観を捨てて、まずは謙虚に文言を読み取って、理解しようと勤めることをお勧めします。また、そのときに、単語の持つ意味は時代とともに変遷している、ということにも注意を払うほうがよろしいでしょう。

240:右や左の名無し様
15/09/06 18:27:43.13 kDZNa5Ev.net
ちょっとごめんね。
専ブラとIEとではレス数が合わないから。

241:右や左の名無し様
15/09/06 21:31:00.46 qiwbu+6y.net
古墳時代という嘘 〜実は墓ではなかった!?〜【CGS 日本の歴史 2-3】
URLリンク(www.youtube.com)
相も変わらず>>23のようなことを言っていますが、さすがに今回は批判コメントが
ちょこちょこ見られますね。
以下引用
(本シリーズの内容はあくまでねずさんの提唱する一説です。必ずしも正しいとは限りません。しかし教科書や多数説だけを見るのではなく、色々な証拠から多角的な考察をしてみることが重要�


242:ナす。) 引用終わり CGSの中の人にも半分見放されているのが情けないところです。 というかこんなこと書くくらいなら上げなければいいのに・・・



243:右や左の名無し様
15/09/06 21:34:56.65 qiwbu+6y.net
残土を積むなら小規模な土饅頭をたくさん作った方が効率がよいと思うんですけどね。
古墳が崩れないようにするために堀を作った、というのは微妙な話です。
大抵の古墳というのは段を重ねたような構造になっています。
土を持って堀を切るだけでは、長い年月の風雨でこの段はすぐに崩れてしまうでしょう。
しかし測量図をみれば分かるように、多くの古墳はその段を現在まで維持しています。
なぜそうなるかというと、「版築」と呼ばれる工法で、土をしっかりと突き固めているからです。
これは発掘によって明らかにされています。
これだけでも、古墳は「残土を計画的に盛った」というだけで説明できる話ではないですよね。
れっきとした土木工事として、古墳がつくられたと想像できるはずです。
おまけに、古墳の中には石室があり、古墳によっては他地方から持ってこられた石材を用いられている
ことがあります。
大阪高槻の今城塚古墳に阿蘇のピンク石が運ばれるなどの例もあります。
強制的に労働させたかは昔のことで諸説あり真相はわかりませんが、古墳建造に
多大の労力がかけられたことは明らかです。
さらに埴輪。ブログを読むと小名木氏は人型埴輪しかご存じないような印象を受けますが(違ってたらすみません)
多くの埴輪は円筒埴輪や朝顔形埴輪と呼ばれるものです。
また「葺石」とよばれる拳大~人頭大の石を古墳の表面に並べるのです。
そして出来上がった古墳の築造当時の姿はこのようなものだったと推定されます
URLリンク(blog-imgs-38.fc2.com)
URLリンク(blog-imgs-54-origin.fc2.com)
本当に、工事で出た残土を計画的に盛っただけ、ですか?

244:右や左の名無し様
15/09/06 22:02:07.48 qiwbu+6y.net
「古墳は山の上にはない」という話ですが、そうでないという実例を挙げましょう。
自分の知っている例だけですが100m超級のいわゆる大古墳をいくらか提示します。
より小規模な古墳なら数えきれないほどあるのですが。
鶯塚古墳   奈良県 墳長103m 標高341m←枕草子に登場
森将軍塚古墳  長野県 墳長100m 標高490m
金蔵山古墳   岡山県 墳長165m 標高115m
湊茶臼山古墳  岡山県 墳長125m 標高100m
尾上車山古墳  岡山県 墳長130m 標高 50m
中山茶臼山古墳 岡山県 墳長125m 標高160m←宮内庁治定・大吉備津彦皇命墓
残土をふもとから山の上に運んだ・・・はずはないですね、古墳の周辺から土を持ってきたんでしょう。
いやいや、権力を誇示するために、巨大古墳を山の上、多くは頂上に作ったと考えるのが自然です。
また、墓としての古墳造営は民衆の負担であるということは、天皇の知るところでもあるようです。
日本書紀天智天皇紀、天智天皇は斉明天皇の陵を造営するに当たり、次のような言葉を発しています。
「我、皇太后天皇の勅したまえる所を奉るしより、万民を憂へ恤む故に石槨の役を起こさしめず。」
万民のために石室を作らない、という意味になります。
小名木氏は「残土を盛っただけというのは戦前の常識」と言っているようですが、
古墳造営が民衆の負担であったということは「天皇の常識」であったのではないでしょうか。

245:右や左の名無し様
15/09/07 08:16:31.91 shBNMysL.net
>>212
役、は徴用ですね。
石槨の役といえば、墓を作るための労働力の提供ということになり、徴兵などと同じような位置づけのものでしょう。
ブログ主は日本書紀を呼んでいるのでしょうか? いないでしょうね。

246:右や左の名無し様
15/09/07 15:39:22.71 shBNMysL.net
つまり、天智天皇が停止するまでは、墓を造るための人員の徴用が行われていた、と読み取れます。
戦前には日本書記の記述は違っていたというのでしょうか?

247:右や左の名無し様
15/09/07 17:29:42.21 shBNMysL.net
>>170
今日の書き込みでは季節感に気を使っているようですよ。

248:右や左の名無し様
15/09/07 19:36:34.49
>>214
多方面に置いて「天皇が傲慢な支配者であったと左翼が捏造しているがそれはウソ」という理論でねじこんできますが、ここまで何でもかんでもその理屈を持ってくると読者もいよいよ飽きてきているのではないかと思いますが・・。
この神谷宗弊氏という聴き手もいい加減、気付かないのか・・。
まあ、最近の若者は本もろくに読まず、ネットとねずさんばっかり見てたら盲目的に信じてしまう人も多いのですかね。

249:右や左の名無し様
15/09/07 19:58:34.37 zHgPD5pU.net
動画では「大きい古墳だから堀を作る」と言っていましたが、
堀のない大きな古墳もありますし、堀のある小さな古墳もあります。
古墳を知らないのに古墳を語ってるんです。
古典を知らずに百人一首を語り、現代史を知らずに戦争を語る。
そんな人です。小名木氏は。

250:右や左の名無し様
15/09/07 21:14:15.21 G3tY6zjj.net
>>210 の動画 URLリンク(www.youtube.com)
エジプトのピラミッドは古墳と違って奴隷がムチでしばかれながら造ったかのように語られていますが、ピラミッドも奴隷労働ではなく公共事業のようなものだったと言われていますよね。古墳と同じようなものだと思うのですが。
うちの近所にも >>211 様が挙げられたような再現古墳があり、付属図書館で復元作業の資料を読んだことがありますが、よくぞここまで残された遺跡から忠実に調査して築造当時の姿を蘇らせたものだと感心したものです。
本当に、素人目にはどうでもいいような細かいことまで検証しつくした上で復元しているのです。
よく知りもしないで単なる思いつきを上から目線で語られたくないですね。百人一首やその他についても以下同文です。

251:右や左の名無し様
15/09/07 22:33:18.67
URLリンク(www.youtube.com)
(12:50)
昔、僕らの子供の頃は古墳なんか見学に行きますと、売店のおじいちゃんとかは普通に言っていましたよ。
こんなものは、田んぼなんか作ったら盛り土なんかいくらでもできるようになっている。作んなくちゃいけないんだ。
どうも今どきの学者っていうのはみんな(豪族が刺激して始まったとか←聴き取り不能)言うんだけれども、
学者って言うのは勉強しすぎて“このへん”がちょっとおかしくなるのかなって言っていました。その通りだと思います。

書き起こし終わり。

前々から思っているんですが「今どきの学者」ってなに?

252:右や左の名無し様
15/09/07 22:46:36.17
よく古墳を巡っていると、地元のご老人や古墳ファンの方に荒唐無稽な持論や誤解を語られることがあります。
小名木氏もそのような人に出会ってしまったんでしょうかねえ?
はたまた作り話か。

自由に想像すること自体は古代史の醍醐味なので、別に素人が多少通説を無視してもどうということはないのですが、仮にも「国史研究家」を名乗り、学者にいいがかりをつけ、挙句の果てにそれで金を稼ごうというのはいただけません。

253:右や左の名無し様
15/09/07 23:24:44.16
>>220

にわか知識や発想力(捏造力?)があっても根本的な教養がないので
根拠のない言いがかりが目立ちますね。
化けの皮はとっくに剥がれているのですが、はて信者はどこまでついていくか。

254:右や左の名無し様
15/09/08 00:15:00.08 mBKhL8t6.net
Amazonのねずさんの百人一首本のページで、
「この商品を買った人はこんな商品も買っています」
のリストも見ても、和歌や古典の書物はほとんど出てきません。
つまり、ほとんどの読者はねずさんの脳内に興味があるだけで
和歌や古典に親しむ気はさらさらないようです。

255:右や左の名無し様
15/09/08 00:28:00.16
>>218
ミカドは「古往今来」、民を愛し続けているから、
いつの時代においても民を苦しめるようなことをするはずがない!!

・・私の説以外は全部間違い(←氏いわく「ぜんぜん違います」)とするなら、思考回路は戦前日本どころか「北朝鮮」と一緒ですね。

256:右や左の名無し様
15/09/08 00:35:03.07
>>222
本当ですね。戦争の本が目立ちます。
この本を読んで「俺は愛国者だから和歌も知っている」
なんて顔をされたらたまりませんね・・。

257:右や左の名無し様
15/09/08 00:50:27.23 LYbVrR12.net
古墳時代の大阪は河内湖を有し、海岸線も今より内陸寄りだった。
大仙古墳に関しては今でも海岸線から5㎞程に有り、当時はまさに海岸線ギリギリという感じ。
おまけに盛り土して堀作って突き固めて石積んで埴輪並べて石室作って・・・。
残土の処理で言ったらただ捨てる(埋め立て)方が100倍楽。
残土説なんて従来説の対論にすら成らないと思うわ。
古墳時代は大体400年として、その間に全国で総数16万基以上の古墳が造られた。
平均として年間400基以上。1日1個のペース。
残土だとしたら日本が田畑で埋め尽くされるがな。

258:右や左の名無し様
15/09/09 00:25:31.65 c+66MVq1.net
もう、皆さんうんざりされているかもしれませんが
あの方の百人一首の解説について指摘をさせていただきます。
紫式部の和歌 
【めぐり逢ひてみしやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな(影)】
紫式部が言いたかったこと【CGSねずさん】
URLリンク(www.youtube.com)
以下文字起こし
(8:40)
いわゆる対立と闘争という、個人主義的な考え方
あるいは共産主義的な考え方からすると、この歌はどうみても
「友達が来た。めぐり逢ったと思ったらすぐに帰っちゃったわ!
 なによあいつ?はんっ今日もきれいなお月様ね!」
そういう目で見たらそういう風にしか見えなくなる。
で、そういうことを大学の先生が言い始めたりすると、
下の方、一般の人たちはわからずに、
「あぁ、そういうものなのかな。千年前の人ってひどくつまらないことに感動していたのね」
っていうふうになってしまう。
文字起こし終わり
続きます。

259:右や左の名無し様
15/09/09 00:26:48.36 c+66MVq1.net
>>226 続き
このスレッドですでに何度も指摘されていますが、
「友達が来た。めぐり逢ったと思ったらすぐに帰っちゃったわ!
 なによあいつ?はんっ今日もきれいなお月様ね!」
などとおっしゃる大学の先生は存在するのでしょうか。
また、仮に一般人がそれを聞いたとして
「あぁ、そういうものなのかな」
と信じる人がいるとでも思っているのでしょうか。
一般人を馬鹿にしすぎていませんか。
それから、また「雲隠れにし」を「くもにかくれにし」と独自の読み方をしていらっしゃる。
「くもがくれ」という語句はこの和歌にとって重要な単語ですよ。
せめて読み方ぐらいはまともに伝えていただけませんかね。

260:右や左の名無し様
15/09/09 04:20:51.15 KOglSa6s.net
少し情報を追加させていただきます。
まず、この歌は新古今和歌集の1499にとられています。詞書は、
早くより童ともだちに侍りける人の、年頃経て行き逢ひたる、ほのかにて、七月十日の頃、月にきほひて帰り侍りければ
となっています。
以下引用 (書き起こしありがとうございます)
いわゆる対立と闘争という、個人主義的な考え方
あるいは共産主義的な考え方からすると、この歌はどうみても
「友達が来た。めぐり逢ったと思ったらすぐに帰っちゃったわ!
 なによあいつ?はんっ今日もきれいなお月様ね!」
引用終
なぜ個人主義、共産主義が歌の解釈に影響を与えるのかわかりません。和歌の解釈には、一般的な知識と詠まれた時代背景に関する知識が重要ですが、ブログ主さんはどちらも備わっていないようです。
対立、というのはともだちが勝手にさっさと帰ったことに対して式部が気分を害している、ということであればそれは大きな間違いですが、それにしてもあまりに浅薄な対比ですね。非常に低レベルとしか言いようがありません。
本当に早く帰ったのかどうか。この歌の解釈をするにはまず七月十日の月がいつ沈むかを考えなければなりません。個人主義者でも共産主義者でも、ブログ主さん以外はみなさんまずそこを考えるでしょう。
当時は太陰暦で暦日と月齢は一致します。月齢10の月は午後三時頃出て、次の日の午前一時くらいに沈みます。ともだちは"月にきほひて"帰ったということなので、夜中頃に帰ったのでしょう。
続きます

261:右や左の名無し様
15/09/09 04:25:04.58 KOglSa6s.net
続き
また、出会いの場所は式部の家もしくは局でしょう。年頃経て行き逢いたるといっても、その頃の貴族の女性が毎日買い物に出歩いたり、出先で人にばったり会うような生活はしていませんのでこのともだちは、彼女のところにたずねてきたのです。
夜中まで一緒にいたのに"ほのかにて"といっているのは、それまでの長年の無沙汰を解消するに十分な時間を一緒にすごすことができなかった、という彼女の感情から出た言葉です。もっと一緒に居たかったのでしょう。
雲隠れにし、は、ともだちがが帰ったということと、月が沈んだこと両方にかかっていて、特に雲に隠れたわけではありません。"居なくなった"という意味で"雲隠れ"という言葉を使っています。雲に隠れる、という言葉が出てくる事自体大間違いです。
ブログ主さんの情報源はインターネットのみと推察します。インターネットで検索すると、ブログ主さんが"学者の解釈、サヨクの解釈"と主張しているものによく行き当たります。
しかし、上の説明の時間軸のみを考えてもこれらの解釈がまともな研究者が主張できるものではないということがわかるでしょう。
ブログ主さんは、インターネットにあふれる情報の中から、正しいものを選択できないのでしょう。しかし自分の不明を棚に上げてそこで出てきた情報が一般的な研究者のものだとして攻撃して居ます。
まずは詳しい解説書を読むか、長い文章が読めないのであれば専門家の講義を受けることをお勧めします。
ご指摘のように細かい間違いは枚挙に暇がありません。私も引き続き指摘するように致します。

262:右や左の名無し様
15/09/09 13:53:50.00 KOglSa6s.net
彼は"最近"夜半の月かな、としているものが多いという言い方をしてますが、ビデオを見ていると"最近の学者さんがそういい始めた"というように見えます。
本当に知らないのか、それとも最近の学者さんを貶めるために意図的にそういう発言をしているのかわかりませんが現実には以下のとおりです
現紫式部集、新古今和歌集では"月影"となっていますが、百人一首では"月影"、"月かな"が混在しています。
宗祇の応永13年(1407年)の百人一首抄では"月影"、尾崎雅嘉の天保4年(1834年)の百人一首一夕話では"月かな"となっています。
ですから最近といっても190年くらい前にはすでに"月かな"というテキストが存在します。またこのテキストはかなり広く普及したものです。
"最近"、"月かな"とするテキストが多いので最近の"学者"はとんでもないということの論拠とするためには少し出現が古いのです。
尾崎雅嘉の著作に誤植があったというわけではないでしょうから彼が引用した引用元がすでに"月かな"であったと想像できます。
彼の書き込みを見ていると、研究者、"学者"に対してかなりのコンプレックスを持っていることが読み取れます。そのコンプレックスの結果、学者がトンデモ解釈をしているような書き込みをしたり、
一般的に疑念の無い解釈に、造反有利とばかりに言いがかりをつけたりしているのでしょう。

263:右や左の名無し様
15/09/09 22:08:33.17 Rfst2P0T.net
>>229
>ブログ主さんの情報源はインターネットのみと推察します。インターネットで検索すると、ブログ主さんが"学者の解釈、サヨクの解釈"と主張しているものによく行き当たります。
そのネタ元の記事はどのような文脈でその解釈を取り上げているのですか?
できればそのURLを提示していただけたら、氏の考え方をより理解する
助けになるかと。

264:右や左の名無し様
15/09/10 02:24:52.47 IeUN0lDS.net
>>231
この式部の歌の場合などは、この歌の内容で検索するといくつかのサイトに行き当たります。
たとえばこれ
URLリンク(www.ogurasansou.co.jp)
URLリンク(www.caruta.net)
他にもいくつもあります。
こういうサイトの多くは、研究者が情報を提供しているのでもなく、内容も皮相的な解釈で、専門的な研究者の情報とはいえません。
また、読者層が広く、中学生くらいからでもわかるような無いようでなければ商業的になりたちません。
しかしサイトの目的が学術的なものではないので得に問題は無いでしょう。
しかし、ブログ主さんが"学者の゛説"と定義して攻撃しているものには、この手のサイトに見られる皮相的な解釈が多いのです。
中学生の古典常識でできる程度のものを、"学者説"として攻撃対象としています。彼に出典を明確にしてほしいと質問しても無回答です。
彼のブログの歴史上の人物などについて記述している記事を参照すると、多くの情報をWikipediaに頼っているようです(検索してみればいくつもありますので特にどれとは申し上げません)。
これを考えると、Wikiには詳し説明されていない歌の内容などについては、一般サイトを探しているのだろう、というのが私の推測です。
少しでもまともな古文の講義を受けたこととがある人であれば、インターネットにの古典解説情報の多くが不十分なものであることはすぐにわかります。
しかし、彼は手っ取り早いシャドーボクシングの相手が必要なだけなので、深くは調査せずにそのまま利用しているのでしょう。

265:右や左の名無し様
15/09/10 20:42:49.63 m7jwrDi1.net
なるほど、ネットで情報を集めてネットで公開してできるインスタントネトウヨ商法・・・
ちなみに古墳残土説の元ネタはこれかもしれません。
URLリンク(www.rui.jp)
URLリンク(www.rui.jp)
もっとも、この人は素人で、従来の説を左翼呼ばわりして攻撃したりはしていませんが。

266:右や左の名無し様
15/09/10 22:01:17.15 opuRJY8w.net
スレリンク(sisou板)
の 118 、やまと新聞の百人一首動画におけるねず読みに追加がありましたので。いちおう前のも貼っておきます。
URLリンク(www.youtube.com)
奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき
第二句 通常「もみじふみわけ」と読むべきところ「こうようふみわけ」と読んでいます。
URLリンク(www.youtube.com)
鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける
第二句 通常「わたせるはしに」と読むべきところ「わたらせるはしに」と読んでいます。
URLリンク(www.youtube.com)
筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞ積もりて淵となりぬる
初句 通常「つくばねの」と読むべきところ「つくばみねの」と読んでいます。
New! → URLリンク(www.youtube.com)
小倉山峰のもみぢ葉


267:心あらばいまひとたびのみゆき待たなむ 第二句から第三句 通常「みねのもみじば/こころあらば」と読むべきところ「みねのもみじ/はごころあれば」と読んでいます。 ……わざとやってない(´д`;)?



268:右や左の名無し様
15/09/10 22:06:27.58 m7jwrDi1.net
>>234
「はごころあれば」って・・・ちょっとクスッと来ますね(笑)
なんというか五七五七七のリズムで読もうとしてないんですかね。
字余り字足らずの歌もありますけど、それにしても歌のリズムの美しさのわからない人です。

269:右や左の名無し様
15/09/10 22:20:48.75 opuRJY8w.net
>>235
もう、ネタ提供するためにやってるとしか思えないんですけど(苦笑)。
リズムもアレですけど「あれば」というのは彼の文法のまずさを露呈してますね。

270:右や左の名無し様
15/09/11 04:47:54.38 Q3wqtsL+.net
>>234
戦前はみんなこう読んでいたんです (キッパリ)。その頃はテープレコーダーも無かったので証拠はありませんが。

271:右や左の名無し様
15/09/11 16:01:44.39 Q3wqtsL+.net
>>234
なぜこのレベルで歌の本など書こうと考えたのでしょう?
周りの人が止めなかったんでしょうか。恥さらしですよね。

272:右や左の名無し様
15/09/11 18:21:47.98
>>238
戦略的な考えがあったのではないですか。(お金儲けの)
氏の信奉者に和歌に造詣が深い人はいないと氏自身があなどっていたのか。
しかし執筆に時間はかかっているかもしれませんね。なにせ知識ゼロからの出発ですから。
色々別の史実などを無理やりこじつけて分厚い本にしていますけれども、中身はほとんどありません。

273:右や左の名無し様
15/09/11 18:25:05.82
でも素人でもわかるボロが出てしまっているので、結局自分の首を自分でしめている感じになってしまっていますね。

274:右や左の名無し様
15/09/11 20:48:58.38 FvM+iHcL.net
URLリンク(www.youtube.com)
今週のCGSです。
冒頭で先週の古墳の話について、「これはねずさん説」と批判コメントに
言い訳するようなことをしています。
というか、CGSの中の人も、この説はむちゃくちゃだって最初からわかってたでしょ?
開拓の残土を古墳の造営に活用した可能性はあるかもしれません。そう考える学者もいます。
しかし残土を盛ったから古墳ができたんだ、という主張はピンボケしています。
小名木氏は「そうとしか考えられない」と言っていますが、上で反論があるように、
立派な古墳を作ることが主目的であるとしか考えられません。
百歩譲って盛り土は残土を盛っただけだとしても、版築を行ったり、
石室づくりや葺石の設置、埴輪づくりには大変な労力がかかるのは明らかです。
古墳時代後期に巨大古墳が急に消えた点について、まだなぞが多く、学説はさまざまですが、
やはり「ブームが去った」と考えて差し支えないように思います。
政治が安定して権力を誇示する必要がなくなったのかもしれません。
ただし、古墳の規模が小さくなったといっても、内側は豪華になっています。
前期~中期の巨大古墳の時代には、石室は板石を積み上げて作り、装飾もそこそこ。
なかには木棺を粘土で包んで埋葬した例もあります。
しかし巨大古墳が消えたころには、石材も巨大化、加工も丁寧になり、漆塗りの棺や
終末期には高松塚古墳のような壁画古墳が登場するようになります。
権力者の関心が、外面でなく、内面に向くようになったのではと個人的には思います。
何分古代史には謎が多い。そこが魅力的なんです。
「○○が△△なのは□□に決まってる!学者は嘘つきだ!」なんて考えるのは
古代史探求の面白みを捨ててしまっています。
続きます。

275:右や左の名無し様
15/09/11 20:58:15.24 FvM+iHcL.net
もし見ていたら・・・
神谷さん、小名木氏と一緒に恥を晒す必要はないと思いますよ。
「この話は学術的にどうこうでなく・・・」などとおっしゃってますが、
既存の学説、学者を批判するには、学術的な話をしないといけません。
学術の世界のお作法にのっとって、根拠をもって語らないといけません。
攻撃的な話をして(させて)おいて、「あくまで一説」と逃げの手を打つのは、真摯な政治家とは思えない。
この話は、素人のおっさん達が妄想で語り合う分にはだれも文句をつけないことだと思いますが、
自称国史研究家と政治家が一緒になってYoutubeで拡散してしまっては、世間(あるいは支持者)から、
「トンデモをまき散らす人々」と思われても仕方のないことです。。

276:右や左の名無し様
15/09/11 22:59:05.30
>>241
なんだか急に歯切れが悪くなっていますね。
以下書き起こし
(3:37)
(神谷氏)
もちろんこれは「学術的」にどうこうって言うことよりも、小名木さんが今までいろんなところにまわられて、
地元の方たちにお話を聞いたりしたら、地元のことがそういうふうなことをおっしゃっていたということで、
そう考えるのが「合理的だろう」という「小名木説」というふうに見ていて頂いて、ハイ。

(小名木氏)
ここを気を付けて頂かなくてはいけないのですが、「つくる会」の教科書をモチーフにして資料もお借りしながらやっていますけれども、
あくまでここで毎回ご説明しているのは「ねずさん説」であって、学会の一般的な、いわゆる通説とされるものでもないし、
もちろん文科省の学習指導要綱にのっとったものでもない。
ただ、普通に常識を働かせて考えていったら「これ以外の解釈がないだろう」と言えるものではないかと思っています。
実際古代史の研修をやってらっしゃる先生とお話したことがあるんですけれども、「古墳盛り土説」、
これをお話したらまさに「目から鱗だ」とおっしゃっていましたね。
書きおこし終わり

>ただ、普通に常識を働かせて考えていったら「これ以外の解釈がないだろう」と言えるものではないかと思っています。

無理やり感がでていますね・・。
「私が勝手に考えました」と言っているようなもの。
そして「古代史の研究をやってらっしゃる先生」とは誰なのか・・。
百人一首の本の帯にも「国語の先生18人中18人が納得の新解説」とありますが、
この「国語の先生」って誰なのか。
小名木氏「応援団」の中に一人でも専門家がいるなら名前くらい出してもいいと思いますけれどもね。

277:右や左の名無し様
15/09/12 00:02:38.84
>>243
「古代史の研究をやってらっしゃる先生」というのが実在するとして、
一応小名木氏も「歴史を研究してる」という人ですしねぇ。
小名木氏は一瞬「古墳の研究」と言いかけましたが、そこがミソなのかもしれません。
つまり、考古学的なバックグラウンドを持たない人、と。

278:右や左の名無し様
15/09/12 00:51:03.49
>>244
なるほど。
ネット等からにわか知識だけを植え付けた人間が文化人の顔をしている時代ですから、
「研究している人」だけでは分かりませんね。

そもそも学術研究に限らず「論理」には必ず「客観性」が必要であり、
それがないとどこかで矛盾や無理が生じてしまいます。
氏の言葉によく「補助線を引くと見えてくる」とありますが、その「補助線」というのが
氏の歪んだ「主観」であると考えます。

279:右や左の名無し様
15/09/12 01:00:21.50 5ZL72UsF.net
>>242
他の動画も見るに、神谷氏もCGSもねず氏も思想としては同じでしょう。
>西洋とは違い、国民は大事にされていた。(神谷)
>奴隷なんかはいなかった。(神谷)
過去の物証や文献から自説を構築するのではなく、
こうであってほしいと言う願望を過去に投影しているに過ぎない。
氏に至っては、すべての歴史を根拠もなしに自分の"シラス・ウシハク"思想に帰結させる。
当然、記紀に対する史料批判も全く


280:しない。 古墳が造られなくなった時期は寺社が造られるようになった時期と重なります。 学説の一つとして、権勢を誇る構造物が古墳から寺院へ移ったというのが有ります。



281:右や左の名無し様
15/09/12 01:31:21.14
>>245
>それがないとどこかで矛盾や無理が生じてしまいます。
その通りですね。客観的に推論しようとする研究者たちですら、
矛盾が生じないように慎重に説を立て、それでも頭を抱えるような難題に直面するわけですから、まともに研究したことない人が「常識で考えた」ところで、
矛盾を解決するような結論が導けるはずがない。
そういうのは「思いつきで適当なことを言ってる」って言われるんですよね。

282:右や左の名無し様
15/09/12 01:44:20.55 1y0zCgQa.net
>>246
ここで神谷氏に語りかけても、無駄なんでしょうね・・・
小名木氏はよく「墓でない古墳」を引き合いに出されますが、
これはごく少数の例しかないわけです。殆どの古墳は埋葬の痕跡があるか、
なかったとしても、遺物は埋納されていることが多く、ただ「残土をもる」以上の
目的があったと考えるべきです。
上記の湊茶臼山古墳は埋葬の痕跡のない古墳という珍しい例ですがここは埴輪が見つかっています。
真相は負傷ですが、何らかのアクシデントがあったか何かで埋葬ができなくなったと考えるのが妥当で、
決して残土を盛っただけではありません。
そもそも氏の言う「計画的に残土を盛る」という言い方が何となく逃げを感じる表現なんですよね・・・
「計画的に」とつけられると、私が「石室、埴輪などに労力が割かれている」と反論しても、
「だから『計画的に』です。労力がかかって当たり前です」と言われはぐらかされてしまいそう。。。
それでも古墳は「墓を作るのが第一目的」というのが最も妥当な見解ですが。

283:右や左の名無し様
15/09/12 04:27:44.43 U5E/q7J4.net
>>242
妄想や間違いが多すぎて、いまさら多少の訂正や修正で何とかなるレベルではありません。この人を押し立てているようではCGSも鼎の軽重を問われてしまいます。すぐに手を引くことをお勧めするのですが。
まあうまく売り込んだのでしょうね。

284:右や左の名無し様
15/09/12 09:04:07.64
氏のトンデモぶりは、もはや「サヨク」とか「ウヨク」とかではないですね。
身内であるはずの「右寄り」の方々からも「おかしい」という声が上がっているのですから。
氏自身も矛盾に気づいているかもしれませんが、気づかないふりをして「これ以外の解釈がない」とか
出所のない学者批判とかをしてお茶を濁しているか、もしくは自分自身をマインドコントロールにかけているか。

振り上げたこぶしは簡単にはおろせません。
恥の上塗りをし続けなくてはいけないのは気の毒なことです。

285:右や左の名無し様
15/09/12 09:16:34.30
>>250
氏は間違いなくこのスレを見ています。
(個人的には>>84は氏の書き込みではないかと思っているのですが・・・)
百人一首の解釈についても暗にこのスレに反論にならない反論をしたりしてますし。でも最早それ以外にも反論しようのないおかしな点が多く浮かび上がっています。実際このスレで具体的な反論一つ挙らない。
氏のファンはそれなりの数いるはずで、氏が記事で2ちゃんねるに触れてますから中にはこのスレの存在を見ている人もいるはずです。
それでもそれらしい書き込みが現れない。氏のファンもこのスレの批判を黙認せざるを得ないのではと思います。

286:右や左の名無し様
15/09/12 09:35:14.54
>>251
そうですね。
氏はコンプレックスが強く自己顕示欲、自己愛の塊のような人ですから、
このスレを見ていないはずはないですね。
黙殺されるのが氏の営業上、精神衛生上、得策であるはずなのに反応してしまわれるのは
氏の性格を表わしているのだと思います。
このスレをご覧になった氏のファンはどう考えられるのでしょうか。
(いまも「承認待ちコメント」が結構あるのが気になるところですが)

287:右や左の名無し様
15/09/12 15:54:13.54 1y0zCgQa.net
氏の古墳に関する言説の変遷をたどってみました。
調べた限り、「古墳残土説」の初出はこの記事のようです。
征服の日本的意味
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
以下引用
古墳がなぜ出来たのかは、わからないとされています。
けれど一説によれば、地元の土木工事の結果である、ともいいます。
堤防や、新田開発、灌漑用水の掘削などの大規模土木工事は、大量の土砂の掘削を伴なう。
その土砂は、どこかに積み上げなければなりません。
土砂の積み上げと、工事を遂行し、みんなをまとめてくれた大将の遺徳を讃え、みんなで感謝する。
その一石二鳥が、古墳という盛土の墓所となったのではないか。そんな説です。
逆にいえば、古墳のあった場所は、古代において、その古墳で使用された土砂をはるかにしのぐ、
大規模な土木工事が行われたところである、といえないかという仮説です。
それを裏付ける文献はありません。
けれど、古墳はなるほど平野部に集中している。それが証拠といえば証拠です。
まあ、古墳の成立の理由はともかくとして、合理的な農業の推進、そして自然災害から民を守るためには、
大規模な土木工事と、それを行うだけの技術力が、不可欠です。
引用終わり
このころは「残土説」(残土という単語はありませんが)を「仮説」としてとりあげています。
まだ謙虚な姿勢が見えなくもありません。例によって出典はありませんが、
きっとどこかで聞いた話なのでしょう。

288:右や左の名無し様
15/09/12 16:01:47.17 1y0zCgQa.net
上記記事は2013年6月1日のものです。
次の記事はこれ
土木工事はどこからきたのか 2013年6月11日
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
では古墳は、なぜ造られたのでしょうか。
よく言われるのは「豪族の墓」という説です。
豪族たちが、自分の権威の象徴として、造らせたというのです。
けれど、そういうなら、なぜ盛り土した古墳なのでしょう。
巨大な石の墓標だってよかったはずです。
この件について、私は、公共工事としての土木工事を推進したときに
生まれた土砂を盛り土していたところに、これを推進した豪族たちが自身の墓を置いたという説を支持しています。
(中略)
実際に古墳がなぜできたかは別な議論にするとしても、
すくなくとも日本における古墳がすでに3世紀には築造されていたということは、重大な事実です。
こうした公共工事としての大規模土木工事を行うだけの技術が、すくなくとも3世紀の日本に「あった」ということだららです。
引用終わり
ここまではまだ「土木工事技術」の象徴としてこの「説」を持ち出しています。

289:右や左の名無し様
15/09/12 16:11:47.37 1y0zCgQa.net
しかしその1年後、2014年6月29日の記事になると、学者をバカ呼ばわりし、
「シラス・ウシハク論」に結び付けるような取り上げ方になっています。
わたしたちのご奉公 URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
それ以後は皆さんご存知のように、「古墳は残土をもってできた」という話がさも
当然のように出てきて、「豪族がムチでしばいて民衆を使役したなんてウソ」という
話に発展していきます。
そして今回の動画に至っては「ねずさん説」となっていて、なんか最初と話が違うような・・・
一体どうなっているのでしょう?
聞いた話を未確定の話として最初にさりげなく取り上げ、後の記事でさも明らかな事実のように取り上げる。
この手法は>>111-112などで取り上げた「韓国戦争」の時にも使われたと思われます。
常套手段?
これで「国史研究家」として金を稼ぐとは・・・学問に対する謙虚さなんて持ち合わせていないことが、
ここからも読み取れます。
それでも本を出したり、政治家と動画に出たり、歴史検定の講師になったりと、
自分を売り込む技術には長けているようです。
どうかその才能を、もう少し真っ当な方向に使っていただきたいものです。

290:右や左の名無し様
15/09/12 22:14:38.41
>>255
トレースありがとうございます。
スタン�


291:Xに一貫性がないのは、知の作法のない、その辺のおっちゃんがそのときの都合で態度を変えているだけですね。以下、内田樹氏のコラムでおもしろいものがあったのでご紹介しておきます。http://blog.tatsuru.com/2014/09/05_1112.php(以下引用)例えば、20年、30年前にはなかったことですけど、街のあんちゃん、おっさんたちがウィキペディアで仕込んだばかりの一知半解の知識で、「こんなことも知らないのか」と学者に向かって喧嘩を売ってくるようになった。この人たちって、単一の論件については偏執的に詳しかったりするのです。数値や日付や書名や人名をぺらぺら諳んじてみせる。そして「自分のような素人でも知っていることを知らない学者にはこの論件について語る資格はない」と一刀両断する。ほとんどこのワンパターンです。彼らにとっては情報というのは「量」ではかるものであって、「質」についての判定がありうるということを知らない。彼らは学者というのをただ「知識を大量に持っている人」だと見なしているので、自分が知っていることを知らない人間はいきなり「自分と同程度かそれ以下」に格付けされる。(中略)この専門家を切り捨てることの全能感はたいへんに強烈なので、一度味をしめた人間は必ずこれにアディクトしてしまう。そして回復不能の情報弱者へと自己形成してしまう。専門家も知らないような知識にすぐにアクセスできるというのはネットがもたらしたすばらしい恩恵ですけれど、それは同時にある種の全能感を人々に安売りしてしまった。体系的な勉強なんかしなくても、キーボードをちゃかちゃか叩けば、この世のことはすぐに知れると思い込んでいる。(引用終わり)若干、氏にぴったり当てはまらないところもありますが、氏はネット社会がもたらしたモンスターといったところでしょうか。



292:右や左の名無し様
15/09/12 23:44:34.35
興味深いコラムですね。
ネットとはうまく付き合わなければいけない。
小名木氏にも、そのファンにも、私たちにも言えることです。

293:右や左の名無し様
15/09/13 01:06:53.46
>>257
256です。コメントありがとうございます。
自戒をこめて・・
簡単にネットで情報が収集できてしまうので、「一つの物事の多面性を認識し、持論を紡ぎ上げていく為に必要な要素を学ぶという作業」がひどくなおざりになってしまっています。

こんな人が上梓できてしまう時代です。
そして簡単にアクセスできてしまう現代において、自分自身で情報リテラシーを身に着けないと、
傲慢で勘違いした人間になってしまい、結局それが日本人の品位を下げてしまうのではないかと思いました。

294:右や左の名無し様
15/09/13 02:04:27.89 rlMfd22AQ
愛国ビシネスも中身があれば否定はしないが、この人は中身も最悪なんですな。
それに騙される保守?もネトウヨも情けないな。

295:右や左の名無し様
15/09/13 16:33:15.92 4EzUSDJL.net
氏は学問的にも問題がありますが、他にも悪質なところがあるように思います。
一見世間一般でいう「ネトウヨ」と一線を画し、「対立は好まない」と
上品なそぶりを見せ、人の信頼を得ようとしています。
しかし氏の言説をつぶさに見れば、やっていることはいわゆる「ネトウヨ」と大差なく
遠回しに他民族をバカにしたり、学者・政治家をバカにしたりと、言動が一貫していません。
それでも支持者が多数いるのは、この表をつくろう上手さを使って氏がこれまで人生を歩んできたのではと
思わせられます。

296:右や左の名無し様
15/09/13 19:02:58.14
>>260
>一見世間一般でいう「ネトウヨ」と一線を画し、「対立は好まない」と
>上品なそぶりを見せ、人の信頼を得ようとしています。
私たちの感じるとらえようのない不快感の正体はここで


297:すね。そして、いわゆる「ネトウヨ」と氏の本質は同じなのに、一線を画そうとするところに無理があり、氏のブログの同じエントリの中でも論理破綻しているところが散見されます。こういう「文化人のそぶりをして、やっていることは低劣なネトウヨと同じ」というところが氏の巧みなところです。軽薄でうさんくさい人間が人をあざけるということは世間でもよくありますが、日本の美徳や教育を語る人が不特定多数に配信すると騙されてしまう人がいる、これがネット社会の怖いところです。



298:右や左の名無し様
15/09/13 19:11:41.80 BlEOdFnv3
しかし、文化人のそぶりをするなら、もっと勉強しなさいよ。
この人のソースはネットなんて学者を名乗る資格はないですね。
おっちゃんの与太話ならば分かるが、仮にも国史研究家を名乗るならば。
素人のおっちゃんでも反中反韓国を唱えれば、保守のフリを出来るなんて
大劣化だと思います。

299:右や左の名無し様
15/09/13 22:00:00.49
>>262
氏はある意味、日本の病巣をよく表していると思います。
こういうモンスターはこれからも現れると思いますよ。

300:右や左の名無し様
15/09/13 23:27:49.62 1dwgLjmP.net
>>260
彼が対立を好まないというのは、シャドウボクシングの相手を作り出すためのエクスキューズです。
彼は学者がこういうことをいっているが大間違いだ、と言うのを自分のトンでも説をぶちあげる枕詞にしています。
しかし多くの場合実際にはそんなことを言っている学者はいないのでソースを明確にできません。
その言い訳が、対立をしたくないからなのです。

301:右や左の名無し様
15/09/14 06:31:12.73
>>264

その通りですね。存在しない相手を叩き、根拠を求められると困るので
「対立を好まない」と体のよい言い訳をする。
いもしない相手をせせら笑うCGSの氏の表情は狂気に思えてしまいます。
嘘も百回言えば真実になる、といったところでしょうか。

302:右や左の名無し様
15/09/15 22:33:53.28 GPZncYOWi
>>265
氏のいう“察する心”も根拠を求められないための言い訳ですね。

303:右や左の名無し様
15/09/16 00:16:55.10
>>266
巧妙ですね。
ファン心理につけ込むことに加え、保守的な読者の心をくすぐる「日本人の心」とやらで自分の粗をマスクすると。
しかし氏の考え方は私の思う「日本人の心」とはかなり離れているように思いますが。

304:右や左の名無し様
15/09/16 05:03:19.88 hNfvuQYT.net
百人一首の日
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
引用
後鳥羽院は「もはや鎌倉政権との武力衝突やむ無し」として、さかんに過激発言を繰り返しています。
このままでは、後鳥羽院の要請に応じて地方の武士団が挙兵し、世は再び戦乱の世となってしまいます。
「それでも戦うべきだ」と後鳥羽院はおっしゃいます。
けれど定家は、「それは違う。断じて違う。短慮を起こさず、どこまでも平和の道を築いていくべきだ」と主張します。
後鳥羽院はそんな定家に激怒しました。
「お前の顔など見たくない。二度とオレの前に顔を出すな。歌会にも出入り禁止じゃ!」
この時点で藤原定家は、政界を引退し歌人として、歌の指導などをして生きています。
それが歌会にさえ出入り禁止という。
つまり、後鳥羽院のこのお言葉は、定家に死ねと言っているようなものです。
定家は謹慎処分となりました。
都を事実上追い出され、小倉山に蟄居(ちっきょ)です。
引用終
定家と後鳥羽上皇の関係はあくまで歌の上での結びつきと考えられています。定家が上皇に対してこのような政治的な進言を差し上げる立場にいたとは考えられません。
定家の日記、名月記はちょうどこの期間断絶していて、実際にどのような会話があったかについては記録がありません。
またこの時期の他の史料、たとえば玉葉、増鏡やとはずがたりなどにもこのような記述はありません。
玉葉には勅勘があったことは書かれているようですが、詳しく記述されていません。
基本的には後鳥羽院での歌合せの定家の野外柳の歌に後鳥羽上皇が気分を害して閉門を申し付けたという話がある程度です。
(後鳥羽上皇が定家の庭の柳の木を勝手に上皇の庭に植えるために取り上げたことをあてこすったと考えたためといわれています)
つまりここで彼が論じているのは彼のでっち上げで史料の裏づけはまったく無いものですが、彼はそれを史実のように書いています。
これでは国史研究家というよりは国史捏造家です。

305:右や左の名無し様
15/09/16 06:31:49.38 hNfvuQYT.net
あやめと菖蒲とかきつばたの見分け方
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
この記事の中で彼の引用している二首についてご説明しましょう。
以下引用
五月雨(さみだれ)に 沼の石垣水こえて
いずれかあやめ 引きぞわづらふ
-中略
歌の意味は、簡単に言ったら「あまりに美しくて感情がたかぶり、どの姫があやめ御前かわからず病になってしまいそうです」というものです。
-中略
娘の讃岐は、
 わか?袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
 人こそ知らね かわく間もなし
と詠みました。
「潮干に見えぬ沖の石」は、引き潮になってもまだ見えない海面下の石のことです。
平家全盛の時代にあって、隠れて見えなくなってしまっているシラス国の本来の姿を、讃岐はこのように詠み、世に平穏が戻らないことを、涙が「かわく間もなし」と歌っています。
引用終
まず第一首目
引きわずらう、の解釈を間違えています。インターネットで検索すると同じ間違いをしているものが多く、彼の情報源が透けて見えます。
わずらうには病気になるという意味もあります。ただし、動詞の連用形にわずらうを続けた場合、~しにくい、という意味を持ちます。たとえば西行の
風吹けば 花の白浪 岩こえて 渡りわずらう 山川の水、を、渡れないで病気になってしまうと現代語訳したらとんでもないことは良くわかるでしょう。
この歌は、五月雨で水が深くなってあやめの根を引きにくくなってしまいました (あやめの根を引いて来て(取って来て)長さを比べて勝ち負けをつける宮中の行事に掛けています) 
という意味を表向きに詠みつつ、選ぶのが難しくてわからない、という意味を裏に忍ばせているのです。わずらう、を病気の意味に取るのはきわめて初歩的な間違いで減点対象ですね。
続きます

306:右や左の名無し様
15/09/16 06:34:40.74 hNfvuQYT.net
次に讃岐の歌です
こちらは、石に寄する恋 という題で詠まれた歌で、千載集 恋2に取られています。恋2といえば、少し深くなったくらいの関係を詠んだものです。
千載集の選者は藤原俊成、定家の父で、定家も編集に参加していたといわれています。もし定家がブログ主様の解釈のような解釈をしたのであれば千載集では雑の部に入っていたでしょう。
ブログ主様は、百人一首の選者、再発見者として定家、宗祇の功績を大きく持ち上げているのですが、実際には定家、宗祇の歌に対する解釈を全く理解しておられないようで、実際に原文献を読まれていないと推察致します。
十七条憲法には、第十六条に「古之良典(古の良典を用いよ)」とあります。最近の解釈をインターネットで探すだけではなく、古典の文献を実際に詠んで見られることをお勧め致します。

307:右や左の名無し様
15/09/16 07:34:09.30 hNfvuQYT.net
次回は、彼の偏った恋愛感、文学感などについて考察致します。
請うご期待。

308:右や左の名無し様
15/09/16 20:53:56.10 dD6bGqlx.net
>>271
期待


309:しています。 さて、今日のポスト 耳塚 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2767.html ですが、例によって出典のない怪しい話をつらつら並べています。 以下引用 つまり、日本には耳を削いで戦勝の証とする習慣は、なかった、ということです。 そして耳を持ち帰った武将は、これを不名誉なこととされた、ということなのです。 ただし、日本側の武将が、このときすくなくとも2万人の耳を削いだことは間違いのない事実です。 ですから朝鮮がこれを恨むというのは、それはそれで理由のあることです。 けれど、日本側で亡くなった戦死者は、病死も含めて全員耳を削がれ、体は食べられているのです。 言いかえれば、5万人の犠牲が出ているわけです。 引用終了 どこをどう調べても、出兵された日本人が朝鮮人に食べられたという記録は出てこないのですが、 誰か見つけたら教えてください。 むしろ日本がエスカレートして兵士以外の耳や鼻を削いだという話のほうによくでくわします。 「朝鮮は食人文化がある」といいたいのかもしれませんが、秀吉が出兵するまで平和だった朝鮮が、 わざわざ病死した人を食べるなんて、不自然な話だと思います。



310:右や左の名無し様
15/09/16 21:18:09.54 dD6bGqlx.net
また、この記述もすごいこと言ってます。
以下引用
また、このとき朝鮮を侵略したという件に関しても、そもそも朝鮮半島の南半分、つまりいまの韓国のあるあたり一帯は、もともと古代においては日本の領土です。
それを彼らが侵略したから、日本は朝鮮半島と古代において縁を切ったのです。
つまり、もともと侵略したのは、朝鮮人であり、その朝鮮人が半島南部の倭国(日本)の領土領民を侵略し、ここに日本は分け入ったわけです。
つまり、泥棒が持っていったモノを、日本は取り返しに行ったわけで、それを泥棒から侵略されたと言われる筋合いはありません。
引用終わり
任那日本府説に立って話をしているのでしょうが、これは議論の分かれる部分です。
それでも日本の支配地域が「朝鮮半島南半分」とはずいぶん誇張した表現ですね。
それはともかくとして、古代に日本人が朝鮮半島に進出して一部を支配下に置いたことは「泥棒」では
ないのでしょうか。日本書紀的に言うと「神功皇后の三韓征伐」など、現代的な
価値観で見れば侵略と言われても仕方ない。(史実かどうかは置いといて)
そもそも近代国家に至るまで、世界は現代でいうところの侵略し合いされ合いだったのに、
それを泥棒だなんだと言い出せば、天皇は地方豪族を武力で支配下に置いたわけですから(神武東征・四道将軍など)、
これもある意味泥棒になってしまい、歴史は語れなくなります。
もっと史料に基づいて、客観的に歴史を語るべきです。
時代が時代だったので、そういうものとして考えないと、「恨み千年」の思考に陥ってしまいます。

311:右や左の名無し様
15/09/16 21:23:20.83 dD6bGqlx.net
最後の記述がこれです。
引用開始
ただし、どこまでも平和を願う日本にとって、2万人の耳を削いだことは、これは武家の暴走としてやはり認めてはいけないことだと思っています。
そうした歴史の恩讐を越えて、新しい未来を拓くことを私は望みます。
引用終了
「歴史の恩讐を越えて」など、どの口が言っているのかという思いです。
このポストを含め、ブログの記事では事実の確認もいい加減にしながら、ことさら日本を美化し、
被害者意識をたきつけるような投稿を山ほどされているではないですか。
よく保守派が中国・韓国などの反日教育をやり玉にあげますが、小名木氏はこれを逆の立場から
やっているに過ぎません。

312:右や左の名無し様
15/09/16 22:57:19.40 qJkpM2tY.net
江戸石門心学とISO26000
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
以下引用
けれどそんな悪口のために、塾生が梅岩のもとを離れてしまう。
そこで石田梅岩がどうしたのかというと、彼はますます努力したのです。
他人が悪口を言いふらすことを止めることはできません。
ならば、彼自身にできることは、ただひたすら精進して、より良い講義を続けるしかない。
石田梅岩は、むしろ悪質なうわさをバネにして、勉強を重ねていくわけです。
そしてそうすることによって、はじめのうちは荒削りだった彼の思想は、どんどん完成形に近づいていきました。
引用終わり
バッシングに耐えて勉強を続けた石田梅岩にご自分をなぞらえておられるようです。
梅岩のようにひたすら精進し勉強を重ねたいと思ってらっしゃるのでしょうか?
ならば、氏が小馬鹿にしている古典文法をまずは勉強してほしい。
万葉集や和歌集に目を通してほしい。
本来なら、ブログで百人一首を解説していた時、方方からの指摘に
真摯に向きあえば良かったのであって、今からでは遅い気もしますが・・・

313:右や左の名無し様
15/09/17 02:44:24.61 0UY5QOFH.net
>>275
ドラマクイーン (キング?) ですね。
#122さんも指摘されていますが、まずまともに吟じることもできない模様ですし、そもそも引用しているテキストも不明確です。
おっしゃるとおりいまさらでは遅いでしょう。散々恥をらしていますから。

314:右や左の名無し様
15/09/17 03:04:39.59 0UY5QOFH.net
小倉百人一首と日月神示
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
この記事の中でもいろいろのトンデモ主張をしていますが、もっとも滑稽なのは最後の部分です。これも彼のドラマキング性を現しています。
以下引用
私の解説が「異端」というご指摘については、「そう思うなら読まなければよい」だけのことです。
おそらくは読んでもいないでしょう。
読んでもいないのに、批判だけは一丁前にする。
そういうところが、そもそもなってない(つまり子供)なのだ、と申し上げたいと思います。
引用終わり
この記事の少し前に、私は"彼の記事の中で"学者の意見"として否定している内容は彼自身のでっち上げ、もしくは異端ともいえる解釈でしかないからもっとよく調査してから記事を書かないと後で恥をかくことになる"とコメントしました。
例によってこのコメントは未承認のままです。
彼は現代文の読解力にも問題があるのか、この指摘を、彼自身の説が異端であると解釈し、得意になったものと思われます。異端、という言葉に酔ったのでしょう。
実際のところは、彼の説は歌論というものでは全くありませんので、正統、異端などという範疇を全く外れたものですので、一応ここで彼の理解の間違いを正しておきます。

315:右や左の名無し様
15/09/17 22:58:37.53 Aet2JshM.net
8月31日の記事の中に、
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
>日本の敗色が濃くなる中で、「それでも戦争を継続する」という選択は、いまの私達の目から見ると異様なことに思える方が多いかもしれません。
>けれどそれこそが、戦後のGHQと左翼の宣伝工作にうまく乗せられてしまっている証(あかし)です。
 異様どころか、まともな思考力がある人なら、連合艦隊は壊滅、航空戦力も大半を失い、制海権は奪われ資源は欠乏、制空権もほほ失い全国の主要都市はほぼ焼け野原・・・
誰でもこんな状況の中で本土決戦を叫ぶ少壮軍人の行動はキチガイ沙汰以外の何者でもないと思いますが。
 この人の言い方だと、ポツダム宣言を受諾するしかないと主張していた米内海軍大臣、部下の暴発を押さえるため腹芸をしていたが、実のところは戦争継続は不可能と
判断していた阿南陸軍大臣、鈴木貫太郎首相(元海軍軍人)、阿南の友人の安井藤治国務大臣(この人も�


316:ウ軍人)も軍人でありながら勝つための努力を放棄している とんでもない存在と言うことになりそうですよね?  とにかく、この人の作文を読んでいるとどっかがズレているというか、めまいがして仕方がないんですが。



317:右や左の名無し様
15/09/18 04:09:14.15 /Ol4wObt.net
この方は抽象思考が苦手なように思われます。字面をそのままに解釈してしまうのです。以前にあげさせていただいた衣の舘の歌などはよい例です。
和歌には二重、三重の意味を持たせたようなものがあります。
それが理解できないままに、自分が結び付けたい結論に抽象思考したことを装って無理やり結びつけるので、わけがわからずに読者のめまいを誘うのでしょう。
また、文章上のレトリックにも不慣れなように見受けられます。たとえば"歴史にifは禁物"という言い回しをサヨクが発明したものと毛嫌いされておられます。
私もこの言い回しは好きではありませんが、それはあまりに多用されて陳腐な言い回しだからです。
しかし言い回しはどうあれ、いくらもしこうしていたら、と考えてもすでに起こってしまったことは変わりません。もしこうしていたら、と考えておかなければ歴史から学ぶこともできないのです。
歴史にifは禁物、という言い方をした場必ずその後には、違うやり方をした場合にどのような成果が期待できたか、という分析が続きます。
ですからこれは過去の建設的な分析を始めるための枕詞と捕らえるべきです。
彼がこの言い回しを嫌う理由は、歴史にifは禁物、という言い回しが使われる場合は、過去に失敗した作戦について、こうしていればましな結果になったという分析が続くことが多いからとも思われます。
"皇軍の作戦は常に正しかった"という立場を取っている彼には、分析すること自体をサヨクの行為とすることが脳内正当化のために必要なのでしょう。
そういう意味では、これはレトリックを理解していないという問題では無いのかもしれません。しかし、単に過去の皇軍の作戦に全く間違いは無かった、という態度を取っているだけでは次の戦争に勝つことは出来ません。

318:右や左の名無し様
15/09/18 05:52:36.11 /Ol4wObt.net
彼の恋愛感について私が持っている印象をまとめさせていただきます。
定家が百人一首に選んだ歌の多くは、その出典である勅撰集では恋の部に分類されているものです。しかし彼はこれらが恋の歌ではない、と主張しています。
彼自身が、百人一首から古代、中世の貴族が文弱で恋愛ばかりにかまけていたと読み取って、脳内でこれを何とか正当化したいと考えたのでしょう。
恋愛の歌に無理やり恋愛とはかけ離れた政治的な意図や世界平和、民の幸せなどを結びつけて、昔の日本人はみんな恋愛など二の次で崇高な目的を目指して行動していた、と宣伝しようとしています。
これは彼の行動パターンに多く見られるもので、限られた知識で理解したものを一般的な(もしくは学者の)解釈と規定して (もちろん間違っていたり不十分だったりします)、それを攻撃して自分の主張を押し付けるというものです。
これではサンゴに傷をつけた新聞記者とかわりがありません。
世界的にも時代にかかわらず、詩歌や文学と恋愛は密接な関係にあります。恋愛を詠んだ詩歌が恋愛を詠んだものでないと無理やり否定するほうがずっとおかしなことです。
彼は考えてもいないかもしれませんが、政治関係の情報は貴族の日記が残っています。和歌やつくり物語と違い読んでおもしろいとは限らないので活字版を作って出版するだけの手間を掛けられないというのが実態でしょう。
もし彼が本当に国史研究を志すのであれば、女房文学の女子高生版を作ったりするのではなく、過去の政治家の日記の翻訳をするほうが説得力がある結果を得られるでしょう。
ところで日本の、特に短詩形の文学は、座の文学です。詩は作られるだけでなく作者が属する社会(古代では宮中が主でしたが、近代では庶民の座まであります)の中での�


319:、有されて意味を持ちます。 和歌の場合は、座への共有の手段としては歌会への参加や、100首歌の発表から、連歌、連句の座への参加などいろいろなものがありました。 続きます



320:右や左の名無し様
15/09/18 06:00:20.12 /Ol4wObt.net
続きです
現代でこそ、詩歌に実体験を詠むというのが主流になっていますが、これは正岡子規以降のことで、ハレの歌として作られるものの多くは題詠で、恋は題詠の大きな部分を占めていました。
ですから、恋の歌が多いことが恋のことしか考えていないことにつながるかといえば、そんなことはありません。彼は、百人一首はひとつの詩歌作品とみなせると新発見したかのように吹聴しておられますが、百首歌というものはその頃からよく行われていたものです。
一般には一人で百首の歌を詠みそれをひとつの大きな詩歌の作品とするもので、定家は過去の作家の歌100首集めて百首歌を作っただけです。
百首歌には題に関する規定もあり、以前に書いたように堀川百首が規範となっているようですが、四季、恋、花、月などをバランスさせて配置します。恋の歌が多いのは、上に書いたように詩歌と恋の関係が密接であるため、もともと多くの優れた恋の歌があったのでしょう。
また、定家も参加していた連歌の座、俳諧連句などでは恋の句は重要視されています。後代の一般的な式目では恋の句には必ず恋の句をつけ、5句までの連続を許すように規定されています。
ですから、定家が百人一首を編纂した時に恋の句を多く入れたことはかなり自然なことといってよいでしょう。
世界の中でも、1000年以上も前の恋の歌が大量に残っている文化がどのくらいあるか考えてみてください。恋の歌がこれほど残っているということはその時代の文化の成熟度や社会の安定度を示すポジティブな指標です。
彼のスタイルを借用させていただければ"勘違いしないでよね、昔の貴族はみんな世界平和のことしか考えてなかったんだからね"ということです。
しかし、そのように恋愛が汚いものかのように無理やり否定するというやり方はまるで女子高のツンデレ風紀委員のようで、しかもそれがオヤジでは可愛くも面白くもありません。
ところで、紫式部や清少納言の文章を女子高生風に現代語に翻案するのは私には異様に感じられます。橋本治の桃尻訳から始まったもので、これを考え出した橋本氏には敬意を表しますが、それ以降は単なる模倣でしかありません。
そもそも紫式部も清少納言も現在残っている文章を書いたのは20台半ばを過ぎてからですので、お局風ということはあっても女子高生風はありえないでしょう。

321:右や左の名無し様
15/09/18 12:48:01.45
>>278
日本人は平和を愛し、争いを好まない国民性だと言っておきながら、
「日本は軍事強化せよ」と言ったり、氏はどこに向かって行っているのかわかりません。
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
氏の幼稚な戦争趣味は前々からですが、自身の記事どうしで矛盾が出てきたり、
また同じエントリの中で矛盾していたり、もう支離滅裂です・・。

322:右や左の名無し様
15/09/18 20:33:02.72 O1CS20MR.net
しっかし今朝のポストも本の宣伝丸出しでしたねぇ
ちょっと露骨すぎ・・・

323:右や左の名無し様
15/09/18 22:25:03.59 O1CS20MR.net
>>275
清少納言の話を再びしていますから、またこのスレッドを意識した書き込みですね。
ここも実に滑稽です。
以下引用
昨今、論説というのは、別な書物からの引用が示されなければ、論説の名に値しないといわれます。
けれど、これには大きなパラドックスがあります。
どういうことかというと、日本の真実を書いた戦前からの書籍は、GHQの焚書によって、世の中から姿を消しているからです。
つまり、左翼版の本しかない中で、引用文献が明示されなければ論に値しないと言うのなら、左翼に偏向した論説しか世の中に出まわらない、という筋書きができてしまっています。
けれど本当に価値


324:があるのは、オリジナルです。 引用が大事なのではなくて、その人の論考が大事なのだと思います。 引用終わり 「戦前は当たり前」という主張に対し「戦前からそんな解釈なかっただろ」と批判したら、 今度は「焚書で消された」と主張していますね。 「藤原定家の解釈と言われているものも戦後左翼の捏造だ」と言いたいのでしょうか? さすがにそこまでは言わないでしょうか(笑) 「大事なのは引用より論考」という意見には賛同しますが、あなたの論考は 人の意見を罵倒している内容が多くを占めています。それには引用が前提となります。 また、仮にも研究家なら論考が良ければ何を言ってもよいわけではありません。「日本は素晴らしい」と言うためなら 考古学的に実証されている事柄を無視していいわけでも、デマをまき散らしていいわけでもありません。 根拠のない論考ということを脇に置いていても、あなたの言っていることはすでに支離滅裂です。 我々の批判をただの悪口としかとらえられないのなら、これ以上 あなたの著作は人々に受け入れられないでしょうし、いま神谷氏をはじめ今支援している 人々からもいずれ見放されるのではと、余計な心配をしてしまいます。



325:右や左の名無し様
15/09/19 00:37:54.16 5pKukLAM.net
今週分が来たもよう
URLリンク(www.youtube.com)
この人のトンデモ説を聞くたびに神話を学校で教えなくなったのは正解だと思う
神話は歴史ではないし過去を刷り込んだものでもない。
また、神様の領域と人間の領域は別として考えるべき。
古事記では分けてあると連呼してみた所で、歴史として氏が扱っている事には全く変わりない。
"神話が語る国の始まり"と言う題名自体がすでに歴史として扱ってますよ。
7000年前から天皇家として続いてた??? 竹内文書でも読んでろよと言いたくなる。
ウワカタサマ??? 天皇の前は大王(オオキミ)です。
伝承の都合のいい所だけを取り上げて、史料批判を全くせず取り扱うのは滑稽極まりない。
大体、氏を初めとするネトウヨは神話と言うと何故に記紀の官製神話しか語らないのか。
彼等にとって日本とは大和朝廷のみから続くものとしか見ていない事の裏返しだろう。
氏が良く使う国史と言う概念そのものに対しても批判の声がある。
日本は単独で存在してきたものでは無いし、国の領域も一定としたものではない。
現在の日本国の領域を国史として括る事そのものに無理がある。
日本国自体もその名称を使用し出したのは7~8世紀に過ぎない。
それ以前には日本国も日本人も存在などしない。

326:右や左の名無し様
15/09/19 02:48:32.91 nCVKnO3R.net
>>284
おっしゃるとおりです。私も彼が自分の意見のみを述べ立てるだけであれば特に何も申し上げません。
しかし以前から申し上げているように彼は過去の何世代にもわたる研究の成果を罵倒した上で自分のトンデモ説を押し付けるというやり方をしています。
彼にとっては式子内親王の歌を恋の部に撰入した藤原定家もサヨクなのでしょうか? 名月記の承久の乱の記事の欠落はGHQの焚書によるものなのでしょうか?

327:右や左の名無し様
15/09/19 15:49:32.58
氏の思考回路は単純すぎるのでだいたい分かりますよね。

氏は「子どもは『素直』」「『純真無垢』な子供達の心をもてあそび・・」
と教育がゆがめられたと繰り返し言っておられますが・・・

大人ですら氏のトンデモ説に付和雷同しているくらいです。
ましてや子供に「教育」となると、氏が言った全く同じことが言えます。
大人ならまだおかしいぞと「気づく力


328:」があるからまだいいですが、お願いなので次世代を担う子供にいいかげんな説を伝播させないでほしい・・。目的(国粋主義的美談)のためには作り話でもなんでも手段を選ばない、というのはいかがなものかと思います。



329:右や左の名無し様
15/09/19 18:09:38.11 nCVKnO3R.net
>>284
もうひとつ申し上げれば、焚書というのはかなり大袈裟な表現だと言うことです。GHQは図書館や個人の蔵書の没収はしていないということです。つまり、いわゆるGHQの焚書のせいで出典を明らかにできないということはありません。

330:右や左の名無し様
15/09/19 19:12:43.57 QmKnoSud.net
>>285
やっぱり氏はレッテル貼りで話をしているようです。
今の日本の歴史教育も、かなり記紀に則って行われています。
神話は取り上げていませんが、記紀を無視しては古墳時代・飛鳥時代は語れないわけです。
古典の教科書では、ヤマトタケル説話を原文で載せています。決して教育でないがしろに
されているわけではないんですが・・・
それに氏は記紀を読んでいないと思います。
神話と歴史を分けていると言われていますが、人代でも神話に近いエピソードは
よく出てきます。古代とはそういう宗教と政治が分化していない世界です。
また、氏の古墳に関する記事を見れば知識が足りないこともよくわかります。
垂仁紀の埴輪説話も、天智天皇の「石槨の役」の話もしらないようです。
箸墓は昼は人が造り、夜は神が造った、という話も知らないのでしょう。
何せ古墳は残土ですから。
そんな人が、記紀で何を語ろうというのか・・・

331:右や左の名無し様
15/09/19 19:32:12.31 QmKnoSud.net
>>288
GHQの焚書といえば、いつだったかveggyという雑誌の記事で、内海聡医師と真弓定夫医師の対談を思い出します。
両氏、とくに内海氏はよく「トンデモ」と揶揄される現代医療否定論者で、
たびたび問題発言をしてニュースになっています。
その対談で内海氏が「日本の医療は昔は素晴らしかったのに、GHQの焚書で日本の素晴らしい書物はすべて失われ、
日本人ははいまやアメリカの実験台としてワクチンを打たされている」という趣旨の発言をしていました。
探したら内海氏が似たような発言をした記事がありましたので引用します。
URLリンク(true-health2.com)
以下引用
で、まあそういう人たちは何するかつったらキリスト教とかね、ユダヤ教の人が多いわけですけれども、
そういう人たちが、日本にね、色んな文化を持ち込んでくると。クリスマスとかね、ハロウィンとかね。持ち込んでくる。悪魔大感謝祭ですよね、あれね。
クリスマスって大体キリストの誕生日じゃないですよね。あれなんか間違えたこと言いました?
僕。日本っていうのはもう、GHQですね、あの、二次大戦が終わってから、GHQがやってきて、
要するに、白人とかですね、欧米の人たちにとって不都合な歴史ってのは、ほとんどみんなですね、
文献上はですね、燃やされてなくなっちゃいました。GHQがやったまあ焚書坑儒とかって言われてますけれども、
そういうですね、昔の歴史の、本当の意味でですね、そういう研究をしてたものは、全部亡くなってしまって、
皆さんにとっては、洗脳されるに都合がいいような、そういうものだけが、歴史の中として残ってるんです。
引用終わり
私はその時初めてGHQの焚書を陰謀論として使う人を見たのですが、小名木氏の話と通じるものを感じます。
続きます

332:右や左の名無し様
15/09/19 19:32:35.55 QmKnoSud.net
ここから先は私の穿った見方で、それこそ妄想に近いものがあるかもしれませんが、何かのご参考になれば。
内海氏はホメオパシーを推進する団体に以下の寄稿をしています。
URLリンク(www.homoeopathy.ac)


333:.php 小名木氏も同じ団体で講演を行うことがあるようです。 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2157.html http://osaka.homoeopathy.ac/2015/02/211-adcf.html もしやお互い似たような情報源から話をしたり、情報交換などしたりしているのかな、 などと勘ぐってしまいます。



334:右や左の名無し様
15/09/19 21:35:25.28
>>291
なるほど奇妙ですな。
そもそもなぜねず氏がホメオパシー東京校‎なるところで講師となって話をするのか。独特の交友関係がありそうです。
そして、そのニッチな部門で「GHQの焚書」なんていう根拠のない持論をお互いに主張するなんて関連性をさぐりたくなりますね。

「歪められた」とか「焚書」とか都合の悪いことは全部人のせい。
汚職が露見した政治家のように軽薄に見えてしまいます。

335:右や左の名無し様
15/09/19 23:00:00.53
>>292
ホメオパシーの団体が保守系の論客を呼ぶことはままあることのようで、
小名木氏と内海氏が同じイベントに同席することもあったようです。
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
ただ直接の関わりがあったかは不明ですね。
もし小名木氏がニセ医学の話をし始めたら、いろいろ要注意ですね。
今非常にアツい分野で、医学の素養がない一般人をひっかけ易く、かつ専門家は忙しい人が多いのでいちいち批判する人は少ないですから。

336:右や左の名無し様
15/09/19 23:52:17.46
>>293
なんだか胡散臭さが二乗される感じです。
リンク先も「承認待ちコメント」が多数あるのが気持ち悪いです。

337:右や左の名無し様
15/09/20 03:45:07.66 wl1K+3Bc.net
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
天下の公民(3:八幡太郎義家)
この記事の最後にある 注2 を見ると彼の和歌、短歌についての知識が乏しいことがわかります。
この歌については私もこのスレの前にコメントさせていただいていますが、ブログ主様は、もともと二重の意味のある義家と貞任の歌の応答の一つの意味のみを取り上げてそれをサヨク学者の解釈だと喧伝し、
もともとの二重の意味からも外れているご自分の第三の解釈を正しいと吹聴しておられます。そして、この注は、彼の第三の解釈に対するコメントが複数入ったために言い訳として追加されたものと推察しています。
ブログ主様は歌を詠むことはされていないようですし、特に巧拙を判断する立場にはおられないでしょう。正直なところ、この方に歌の良し悪し、巧拙を論じる権威があるとは私には考えにくいところです。
この注について少しコメントさせていただきます。まず注2の全文を下に引用致します。
引用開始
注2)日本における和歌というのは、五七五七七という短い言葉に、さまざまな「心」つまり意味をもたせ、詠み手に多くの想像を膨らませさせ、その膨らみがより大きいものが良い歌、とされます。
たとえてみれば、物体(文字)としては1枚のCD(五七五七七の言葉)にすぎないけれど、その中に様々な意味(情報)が込められているわけです。
CDが読み取る機械がないと読めないように、歌もその歌に込められたメッセージを、その歌が詠まれた背景や人、あるいは感情、情景などを理解しないと意味をとることができません。
そしてそこに込められた複数の複雑なメッセージが多ければ多いほど、つまり想像力が膨らませれるほど、その歌は良い歌とされたわけです。
このことは和歌だけでなく、俳句や日本画においてもまったく同様で、日本の芸術の、ある意味特徴といってもいいものといえるかもしれません。
ですから、上にご紹介した学校の教科書の歌の解釈も、あながち間違いではない。ただ、もっと深く読む必要があるし、そうすることによって、歌のおもしろさがますます増して来るということだと思います。
引用終
以下、長いので分割


338:してコメントいたします。



339:右や左の名無し様
15/09/20 03:50:03.23 wl1K+3Bc.net
1. 日本における和歌というのは、五七五七七という短い言葉に、さまざまな「心」つまり意味をもたせ、詠み手に多くの想像を膨らませさせ、その膨らみがより大きいものが良い歌、とされます。
コメント
この方はいかなる権威を持って歌の良し悪しの判断の基準を規定されているのでしょうか?
用語の問題ですが"和歌"にはいろいろな種類があります。一般的なものは短歌、長歌、旋頭歌ですが、中世歌謡のような形の定まりにくいものもあります。また、一般的に和歌という場合現代短歌を含みません。
"五七五七七という短い言葉で表現される"のは"短歌"ですので、ここでは短歌というべきです。ただし、短歌といった場合現代短歌までを含むことになりますので、それを除外するような説明を追加される必要があるでしょう。
古代、中世位には、掛詞、縁語を多用したを歌が歓迎されていたようです。
たとえば藤原定家の
真木の戸をたたく水鶏の曙に人やあやめの軒の移香
のような、掛詞と縁語のテンポが主体でで成り立つ歌もあります。意味はご自分でお調べいただくとして、特に民の幸せを願っても律令体制の崩壊を歌ってもいません。
現代短歌を考えれば、佐々木信綱の有名な
行く秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一片の雲
を考えると、これは特に縁語も掛詞も何も使わずに薬師寺の塔の上の小さな雲を詠んだものです。私にはブログ主さんにこれらの歌の巧拙、良し悪しを論じる権威があるとは全く考えられません。

340:右や左の名無し様
15/09/20 04:02:50.93 wl1K+3Bc.net
2. たとえてみれば、物体(文字)としては1枚のCD(五七五七七の言葉)にすぎないけれど、その中に様々な意味(情報)が込められているわけです。
CDが読み取る機械がないと読めないように、歌もその歌に込められたメッセージを、その歌が詠まれた背景や人、あるいは感情、情景などを理解しないと意味をとることができません。
そしてそこに込められた複数の複雑なメッセージが多ければ多いほど、つまり想像力が膨らませれるほど、その歌は良い歌とされたわけです。
コメント
不適切な比喩ですね。機械的読み取りレイヤーの直後にコンテクスト解釈のレイヤーが存在するわけではありません。もう少し論理を緻密に組み立てていただきたいものです。
さらにここでもまた根拠不明の良し悪しの判断基準を持ち出しておられます。桑原武夫でもお読みになって考えをおまとめになってみては如何かと思うのですが、サヨクだからだめなのでしょうか?
3. このことは和歌だけでなく、俳句や日本画においてもまったく同様で、日本の芸術の、ある意味特徴といってもいいものといえるかもしれません。
コメント
再度用語の問題を指摘させていただきますが、俳句は明治時代、正岡子規以降一般的になった用語です。それ以前は発句、俳諧であり、句の独立性が低いものでした。
和歌と同等のレベルで論じるのであれば俳句と比較するのは不適切で、俳諧、発句と比較するべきです。巧拙の判断基準は両者同じではありません。
思いつきや持論のサポートの為に、日本の伝統芸術の評価基準を規定するなど、まじめに伝統文化を志している人たちにとっての冒涜です。

341:右や左の名無し様
15/09/20 04:14:41.54 wl1K+3Bc.net
4. ですから、上にご紹介した学校の教科書の歌の解釈も、あながち間違いではない。ただ、もっと深く読む必要があるし、そうすることによって、歌のおもしろさがますます増して来るということだと思います。
コメント
ブログ主さんはこの歌が二重の意味をもつことを理解していませんでした。それを指摘されたことに対して、理解できなかったと認めることをしたくないので、あながち間違いではない、というような上から目線の言い方になるのでしょう。
彼はこの歌の皮相的解釈(古着だからほころびた)のみを理解できたので、それをサヨクの学者説として散々叩いてしまいました。そのあとで、実はあれは間違いで、、、とはいいにくいのはわかります。
また、もともと学者叩きのために持ち出したことで、これを認めてはブーメランになってしまいます。
とはいえ、これを続けてゆけば同じことが起こるたびに発言を糊塗し続けるしかありません。持論の展開に和歌を道具に使うことは止めるか、もしくはどうしても和歌を使いたい場合、まず専門家に歌の講義を受けることをお勧め致したいところです。
重ねて申し上げておきますが、義家と貞任の衣の舘の歌の応答では、義家が詠みかけた 衣の舘はほころびにけり、に対して貞任が返歌で、衣が古くなってほころびた、
という意味と長年続いた戦のために衣川の舘が落ちたという二つの意味を持たせることが出来たからこそ、義家は貞任を評価したのです。
この歌の応答は二つの意味があるからこそ評価されるものであり、どちらかの意味があながち間違いではない、という片付けられる話ではありません。
私はこの方の政治的な主張の正当性については判断する根拠を持っていないのですが、一事が万事ということがございます。ここまでいい加減な歌論を振り回される方は政治論も同様�


342:ネのではないか、と感じるのが人情というものです。 そのように感じておられる方は多いのではないでしょうか。



343:右や左の名無し様
15/09/20 06:21:13.88 W1DtYj/Eg
和歌の知識は自分も乏しいですが、先行研究の解釈をしても、日本は素晴らしいにならないんですかね?
なんでわざわざ、オリジナル?トンデモ?解釈をする必要があるか訳がわかりません。

344:右や左の名無し様
15/09/20 08:52:56.42
私事で大変申し訳ないのですが、わが社にも氏の信奉者がいらっしゃいます。
同じように「日本の心」という言葉を多用され、当然氏の本はすべて持っておられ、
私にも購入することを強く勧めて来られます。
しかし、その方自身に日本の心があるかどうかは甚だ疑問です。
離れていても気づく程強い臭いの香水をし、ごてごてと目立つネイルアート。
まず身なりだけでも茶道をされた人でなくても、日本家屋や人様の家にいくのに不適切だということはわかりますね。
韓国のことを「溺れる犬は棒でたたけ」という諺が同国の国民性のすべてを
表わしていると言われたり、いろいろとおっしゃることが極端です。
靖国はじめ神社参拝をすすめられますが、お寺や仏像、日本美術にはさほどご興味はないようです。
いつもおっしゃることが大抵インターネットか氏のブログで、自分を大きく見せるために
ちょっと知識をかじったような感じです。
こちらがたまに反論すると真っ赤な顔をして言葉をかぶせて来られます。
氏の分身のような感じであまり関わりたくないのですが、何かと私に対抗するため近づいてこられます。
例によってものすごくコンプレックスの強い方で、困ったものです・・。

345:右や左の名無し様
15/09/20 09:17:16.76
(↑続きです)
またその方は、ひな祭りの時期に、段飾りの「雛人形」を指して
「雛人形は天皇皇后とその使者をあらわしている。日本人なら飾るべき」と主張されていましたが、
おそらく出所はこちらだと思います。

URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
>ひな人形は、ひな壇に飾られますが、このひな壇は、天皇皇后両陛下のおわします御所を模したものです。

氏やこの方がご存知だったか分かりませんが、いわゆる段飾りの雛人形が一般に飾られるようになったのは、江戸中期以降、一般家庭でも飾られるようになったのは開国以降で長い雛人形の歴史からするとごく最近のことです。

ひな祭りの起源は諸説ありますが、平安時代の「ひいな遊び」が起源という説が有力だそうです。
また雛人形は子の成長を願う庶民がして菜の花に服を着せたり地域それぞれのしきたりがありました。
やがて庶民が豊かになるにつれ豪華な段飾りが登場しますが、天皇家とその使者というより婚礼を模したものとされています。

(↑親戚筋が人形店をやっているので父から聞きましたが、“また聞き”なので真偽はご自身でもご確認くださいませ)

とにかく「日本の心」と取ってつけたように言うはやめて頂きたいです。
しきたりの多くは国とか天皇というより、身近な人の幸せを願って自然発生的に庶民に息づいたものであり、
時代とともに変化していくもので「絶対的なもの」ではありません。

その方は「しきたりや風習が薄れているのは日本人の『愛国心』が薄れているからだ」
と言っていますが、「郷土愛」と言い換えればそうかもしれませんが、この方が言うとちょっとずれている感じがします。

ここで言っても仕方がないのですが、仕事中にスマホをいじるのはやめて頂きたい(苦笑)

346:右や左の名無し様
15/09/20 09:18:53.47
>>299
もちろん先行研究でも「日本は素晴らしい」ということはできるでしょう。
一部学者からは国粋主義に利用されることを嫌われるかもしれませんが、それは好みの問題ということになるかと。

しかし、氏はどうしても革新的なことを言いたいようです。
氏は「目からウロコ」というフ


347:レーズが大好きなようで、そんな革新的なことをいうことで人々を啓蒙しているという意識があるのではと推察します。事実、氏の肩書を「啓蒙著述家」として紹介しているサイトもあります。どうしても、そのような立場に拘るが故に、批判されるとどうしても反応してしまうのでしょう。多分このスレッドは、氏のファンの人にはあまり影響を与えてはいないでしょうが、氏本人には少なからず影響を与えているようです。



348:右や左の名無し様
15/09/20 09:59:49.91
>>295
注2)が氏のオリジナルの文章なら氏らしさが現れていますね。
コメントを無視、未承認とされながらも、コメントを意識して微妙に軌道修正する。
しかし色々なところで馬脚をあらわしてしまっています。

349:右や左の名無し様
15/09/20 10:03:03.76
>>302
同意見です。しかし「目から鱗」という言葉は聞き手が使う言葉であって、言っている本人が使うとうさんくさく聞こえますね。

350:右や左の名無し様
15/09/20 13:02:00.14 Ldx9Lagm.net
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
他のブログでもそうなんだけど、この日本礼賛記事の気持ち悪さは何だろう。
>さて、ニュースからは、次の三つの言葉が「日本人の特性」をあらわすキーワードになっているように思います。
>「①冷静さ ②優しさ ③団結力」です。
なんでこういう結論が出てくるのか理解できない。
他の地域との比較も無く、何故1つの事件でこんな結論が出てくるのか。
>日本ミツバチの行動を通して、日本人の心を知る授業であった。
何でこの2つが結びつくのか理解不能。
>国にもよりますが、昨今では、ごく一部の二カ国を除いては、他の国との混血児のほうが「まともな子」であるケースも多いのだそうです。
>なぜなら彼等彼女らは、外国人である母親等から、その国の歴史や伝統、偉人のことを実に誇らしげに教えられているのです。
>それが彼等のアイデンティティになっています。
その人たちが2世3世なら、外国人では無く日本人である可能性の方が高いのでは?
そもそも教育するのが何故に母親前提なのか。父親が何故日本人の前提なのか。
論理の構築の仕方が非科学的に映るのは和歌や歴史等の他の記事と同じ感じ。

351:右や左の名無し様
15/09/20 16:52:26.74
>>300-301
てっきりその方、男性かと思いきやネイルアートしてるということは、若い女性?
愛国ポルノにハマってしまったのですね。
もし、投稿者様が男性なら、ひょっとするとあなたの気を引こうと頑張っているのかもしれません(笑)
「愛国」は何も持たない人でも、その国に属するというだけで誇りをもつよすがにできる。特に昨今、中韓の反日デモなどがよく報じられる現在ではその手の本がよくウケます。
少々嘆かわしさを感じるところですが、時代柄、仕方ないのですかね。
それにしてもその方、もう少しマシなネタ元を探すべきでしょう。
氏の著述のおかしさに気付けないというのは、その人の教養や人間性が知れてしまうというものです。

352:右や左の名無し様
15/09/20 17:27:48.41 uPy2toi7.net
氏の投稿を見て、「左翼(あちらの方々)には理解できないのです」というような
フレーズをよく目にすることに気づきました。なかなか巧妙ですね。
(大抵は存在しない)他人を敵に仕立て上げて攻撃し団結を図ると同時に、
他人を見下し侮蔑し、それに引き替え我々は素晴らしいのだと、
ある種選民思想を煽っているようです。まさにファンにとってはとても気持ちの良い著述です。
こうやって氏が読者を「啓蒙」している。恐ろしい人だと思うと同時に、ファンはそんな都合の良すぎる
著述に疑問を差し挟まないものなのかと思ってしまいます。

353:右や左の名無し様
15/09/21 00:15:05.26
>>306
300です。
私事の書き込みに対しコメントありがとうございます。
氏の信奉者の方はご指摘のとおり女性ですが、若くはないですね(笑)
40代後半で私よりだいぶ年上です。そして私は男性でなく女性です(笑)
なぜ私に絡んでこられるのかはよく分かりませんが、私が幼いのころから茶道や書道をしたり、着物に慣れ親しんでいるからですかね。・・といっても大したことはないのですが。変に対抗心を持たれても困ります。
ちなみにお茶の先生は世界遺産にもなっている神社の社家のお宅ですが、「日本人の心」とか言われることはほとんどありません。それが普通になっているからなんでしょうね。ましてや天皇が国を思ってどうこうなんて言われたことなんて一度もありません。
なので最近になって急に思い立ったように「日本人の心」とか云い出す方々が非常に気持ち悪く感じます。
他者や他国を悪く言って相対的に自分の地位を上げる行為はとても知的で成熟した人とは言えないですし、
自国を盲目的に賛美することも逆に個人の自信のなさの表れだと思います。

354:右や左の名無し様
15/09/21 00:44:13.57
>>305
「愛国ポルノ」というワードがでてきて、納得しました。
私もこの文章が気になっていました。

>国にもよりますが、昨今では、ごく一部の二カ国を除いては、他の国との混血児のほうが「まともな子」であるケースも多いのだそうです。

ごく一部の二か国って氏が嫌うあの2か国ですよね。
「純真な子供」「素直な子供」「子ども達の笑顔」とか子供が左翼に毒されたと言いたいときそういう表現を使われますが、この方って子供にまで差別するんですね。本当に了見が狭い方です。

そして日本のためと公共心をうちだしながらも、自身へのカンパや自著の宣伝、アフェリエイトで私腹を肥やす意図が満載のブログ。
「啓蒙」というより単に氏の飯のタネ化している読者も読者です。

355:右や左の名無し様
15/09/21 01:05:30.72
そもそも、道徳の授業って、「日本って素晴らしいんだよ」という話をするためのものなのでしょうか?
そこからまず違和感を覚えます。
物語や伝記のエピソードから、自分はどうあるべきなんだろう、こういうときどうしたらいいんだろうか、などと考えを巡らせるのが私の受けた道徳教育でした。
なんだか気味の悪さをかんじてしまいます。

356:右や左の名無し様
15/09/22 00:32:20.11 yzwNW2iqe
>>302
成る程。納得しました。
先行研究を紹介しただけでは確かにインパクトはありませんからね。
最近ではインスタントな愛国が流行っていることが気色悪いです。
ネットの普及で簡単に情報が入るようになったからだと
思いますが、とりあえず天皇崇拝、とりあえず靖国といったように
無知な人間でも簡単に愛国者のように振舞っています。
しかし、愛国を語るなら、その前提になる知識も必要ですし
普段の立ち振る舞いも大切になるでしょう。
小名木氏はリアルなネットウヨクだと思います。

357:右や左の名無し様
15/09/22 10:33:03.35 LQIZ3yWt.net
本日分
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
>野盗といえば野党ですが
氏の考えに反する勢力は全て左翼で悪者ですか・・・。
語るに落ちた。音で遊んでるだけ。
最早、学問を語る資格なし。

358:右や左の名無し様
15/09/22 13:29:21.38
>>312
既出のポストですが、
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)

以下引用
なぜ教室が荒れるのでしょうか。
当然です。
専業主婦の母親がいつも家にいるわけでなく、子供達は家でほったらかし。
メディアは韓流に汚染され、日本的道徳心を破壊し、個人主義を礼賛し、
自分さえ良ければ他人はどうなったって構わないと、嘘ばかりをまきちらす。
学校では日教組が教育を政治にすり替えて、子供達から道徳や歴史を奪


359:う。引用終わり色々言いたいことはありますが、例えば母親が専業主婦でない家の子供は荒れる、なんて時代錯誤のステレオタプもいいところです。よからぬことで世間を騒がすニュースがあれば、それは氏の固定観念で嫌うものから生まれ、逆にいわゆる「いい話」があれば、「やっぱり日本は素晴らしい」という氏の考えにどんなことでも根拠づけられていきます。自分と価値観が合えば「神格化」させ、合わなければ「悪魔化」させる。何事も「物事には両面がある」ということは頭のいい人ならわかっています。したがって、最初は氏のブログを「なるほど面白い」と思っていた人も、途中で違和感を持って離れていった人も相当数いるようです。氏も「去る者追わず」でいいのですが、代わりにどんどん低劣なネトウヨファンが増加し、氏のファン層の知性が劣化している感じがします。



360:右や左の名無し様
15/09/22 15:20:55.27 3oUvRHXu.net
>>312
今はなき(ほとんど)次世代の党も野盗ですか。。。

361:右や左の名無し様
15/09/23 13:22:13.55 Teu6AJ7E.net
今日の記事、本文の一部が歌にまぎれこんでいるのがありますね。
コピペでしょうか?

362:右や左の名無し様
15/09/23 19:00:27.48
粗悪な他国文化批判

URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
以下引用
さて、こうしてキムチは、日本から渡来した箸文化と、唐辛子、これに日本の統治時代の「路上糞便の禁止令」に、大正時代の白菜の普及が加わって、いまのカタチとなりました。

つまりキムチは、朝鮮の伝統食などではぜんぜんなくって、ほぼ、大正時代にいまのキムチのカタチとなった、非常に歴史の浅いものにすぎません。
要するに、キムチはあくまで「朝鮮名物」であって、「伝統食」ではないのです。

韓国の歴史教科書では、オクレていた日本に、あれも教えてやった、これも教えてやったなどと、
様々な文化を日本に教えてあげたのだと記載しているそうですが、さて、日本が韓国から教わったものって、何があるのでしょうか?

仏教ですか?
仏教は、韓国発祥ではありません。
陶磁器ですか?
陶磁器は、日本では縄文時代から長くつくられています。
キムチですか?
もともとは漬け物でしかありません。しかも発酵食品文化というのは、日本古来の食文化です。
文字ですか?
ハングルを朝鮮族の公式な文字として採用したのは日本です。

引用終わり

363:右や左の名無し様
15/09/23 19:01:04.13
Author:会社員(30)さんのブログより引用
URLリンク(sankaniokuru.blog.fc2.com)

再びだが、何を言っているのかさっぱり分からない。
「実はキムチは朝鮮にとって外来文化だ」から始まり、「唐辛子と白菜は日本から朝鮮に渡った」
という話が続き、「キムチは(朝鮮の)伝統食ではない」という結論になっている。
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)

原材料が外国由来なら外来文化なのだろうか? 日本には唐辛子も白菜もあったがキムチは生まれなかった。
キムチの味は朝鮮で完成し、それが朝鮮人という集団で共有され伝播した。文化の定義を満たしている。
伝統を称するにはある相当の歴史の長さが求められるので、100年前まで古代に近い生活を
していた朝鮮に適さないのは理解できるが、「伝統」と「外来」は別問題だ。
結局この筆者は何が言いたいのだろう?

もし仮に朝鮮人が「唐辛子も白菜も朝鮮人が発明したものだ」などと主張していたら
この記事の本文は成り立つし、正しい歴史を語る意義あるものだ。
しかしキムチに関してそ�


364:フ原材料が日本から渡ったのだなどと語っても意味が無い。文化が完成したのはそれが渡った先の地なのだから。彼によく似た主張がある。それによれば漢字をはじめ日本の文化はもともとオレ様達が教えてやったもの。5000年の歴史を持つオレ様達は日本だけでなくアジア諸国の父のような存在、らしい。そう、中華思想だ。引用終わりやはり下品ですね・・。隣国を憎むあまり自身も隣国的な思想に染まったのか。



365:右や左の名無し様
15/09/23 21:07:42.76 WMSIc6UB.net
>>312 様の引用記事を読んで頭痛が。
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
以下引用
この「ナガスネヒコ」は、古事記では「那賀須泥毘古」と書かれています。
そしてこの名前は6字とも音だけをとった当て字ですと書かれています。
素直に読んでみたら「なかすど」です。
要するに、近隣の人達を襲って民衆を泣かせていた、人々を泣かす男、悪いやつ、つまり野盗の群れだったということがわかります。
引用終わり
「泥」は現代においても音読みは「デイ」訓読みは「どろ」であって、「ど」とは素直には読めないのですが。
万葉仮名においても、「ど」あるいは「と」の漢字に「泥」を当てることはありません。
URLリンク(www1.kcn.ne.jp) 参照
根拠の無いデタラメな読み方をもとに何を論じられても納得できるわけがありません。
仮に「なかすど」と読んでみたところで
>要するに、近隣の人達を襲って民衆を泣かせていた、人々を泣かす男、悪いやつ、つまり野盗の群れだったということがわかります。
いや、わかる人がいたら奇跡じゃないでしょうか。

366:右や左の名無し様
15/09/23 22:30:03.09 WMSIc6UB.net
>318
>この「ナガスネヒコ」は、古事記では「那賀須泥毘古」と書かれています。
そしてこの名前は6字とも音だけをとった当て字ですと書かれています。
これに関して、古事記原文は
「登美能那賀須泥毘古 自登下九字以音」となってますね。
読みは「とみのながすねびこ」です。
何故勝手に「登美能」を外したのでしょうか。

367:右や左の名無し様
15/09/23 22:30:40.98 WMSIc6UB.net
>318
>この「ナガスネヒコ」は、古事記では「那賀須泥毘古」と書かれています。
そしてこの名前は6字とも音だけをとった当て字ですと書かれています。
これに関して、古事記原文は
「登美能那賀須泥毘古 自登下九字以音」となってますね。
読みは「とみのながすねびこ」です。
何故勝手に「登美能」を外したのでしょうか。

368:右や左の名無し様
15/09/24 00:20:44.87 bRVSrB7l.net
>>318
音韻の研究者が聞いたら怒りますね。

369:右や左の名無し様
15/09/24 02:57:54.34 bRVSrB7l.net
>>319
追加の疑問があります。
1. 那賀須泥をなかすどと読んだとすると、これは重箱読みですね。また、この場合なかすど、はなかすぞの転訛だとおっしゃりたいのでしょうか。その時代には一般にはなかすぞと発音されていたのか、なかすどと発音されていたのか?
私も研究しているわけではありませんが、なかすぞ、をなかすどに転訛させたのは吉本だと思っていたのですが。。。
2. これに続く古事記の原文では、登美能那賀須泥毘古を登美毘古と省略しています。那賀須泥毘古とは省略していません。筆者がどのようにこの省略形に行き着いたのか知りたいところです。

370:右や左の名無し様
15/09/24 05:12:45.61 bRVSrB7l.net
>>318
これでまた、目からウロコとか言い出す人が出るんでしょうね。

371:右や左の名無し様
15/09/24 18:47:11.32 LwVrbix/K
>>172

ナガスネヒコと省略する事自体は、日本書紀の記載が長髄彦であるし、
トミビコよりもナガスネヒコのほうが人口に膾炙していると言えるかと思います。

ただ、氏はブログで

「この名前は6字とも音だけをとった当て字」

と書いているのです。実際は

「自登下九字以音」

で9文字ですから、意図的に削らなければ6字になりません。では何のために削ったのか?知りたいですね。


神倭伊波礼毘古命にしても、氏は

「原文にはちゃんと注釈があって、「神倭以下の5文字は音だけをとったあて字である」とちゃんと書かれています。」

と書いていますが、実際の記載は

「神倭伊波礼毘古命 自伊下五字以音」

です。「伊より下五字」を「神倭以下5文字」に改変しています。

「古事記の原文に○○と書いてある」というので古事記を見てみると書いてあることが違う、なんてことがあったら、何も信用できなくなります。

これでまた古事記本を出版するおつもりでしょうか。
今度はまともな学者さんに監修していただきたいものですが、、、

372:右や左の名無し様
15/09/24 18:49:42.25 LwVrbix/K
>>324 はいろいろ投稿を間違えました。すいません。

373:右や左の名無し様
15/09/24 18:48:10.64 f8CZhY10.net
>>322
ナガスネヒコと省略する事自体は、日本書紀の記載が長髄彦であるし、
トミビコよりもナガスネヒコのほうが人口に膾炙していると言えるかと思います。
ただ、氏はブログで
「この名前は6字とも音だけをとった当て字」
と書いているのです。実際は
「自登下九字以音」
で9文字ですから、意図的に削らなければ6字になりません。では何のために削ったのか?知りたいですね。

神倭伊波礼毘古命にしても、氏は
「原文にはちゃんと注釈があって、「神倭以下の5文字は音だけをとったあて字である」とちゃんと書かれています。」
と書いていますが、実際の記載は
「神倭伊波礼毘古命 自伊下五字以音」
です。「伊より下五字」を「神倭以下5文字」に改変しています。
「古事記の原文に○○と書いてある」というので古事記を見てみると書いてあることが違う、なんてことがあったら、何も信用できなくなります。
これでまた古事記本を出版するおつもりでしょうか。
今度はまともな学者さんに監修していただきたいものですが、、、

374:右や左の名無し様
15/09/25 03:17:54.85 UKWdrzrC.net
>>326
なるほど。"ながすねひこ"のほうがポピュラーであることは確かにおっしゃるとおりです。
彼は、"原文は自登下六字以音となっていいる" と主張していることになります。明白な間違いですね。
悪意の捏造ではないとは思いますが、彼の古典の読み方はめちゃくちゃで、これで正しい意味が解釈できるのか?と心配になりますし実際に間違っていることが多いように思います。
彼の場合、現代語の知識のみで古典を語ろうとしているところに大きな問題があります。
那賀須泥の件でも、"泣かすぞ"は現代の言い回しです。古代の言い回しでは、泣かせむぞ、となるのではないでしょうか。
また、"ど"が"ぞ"の転訛ということを前提としてですが、これも本来は古代に"ど"といっていたものがどこかで"ぞ"と転訛した、ということを証明していただかないとなりません。
今日の記事にも同じような間違いがあります。
秋の七草
URLリンク(nezu621.blog7.fc2.com)
秋の七草の記事では、彼が引用している
我が里に今咲く花のをみなへし堪へぬ心になほ恋ひにけり (2279)
は、原文 吾郷尓 今 咲花乃 娘部四 不堪情 尚戀二家里
となっており、おみなえしの表記は"娘部四"です。このほかにも"姫押"と表記されている場合もあり、"女郎花"という表記が出てくるのは万葉集成立後のようです。
また、彼は女郎花の"女郎"を近世の意味で解釈していますが、万葉時代では近世の女郎に相当するのは遊女(あそびめ)などで、"女郎"は"郎女"と同じ意味で貴婦人の意味です。
"女郎"が売春婦の意味を持つようになったのは近世以降です。
このような未熟な論証を慰安婦正当化に結び付けてしまうと逆効果になるとは全く考えておられないようですが、そもそも未熟だという認識が無いのでしょうね。
続きます

375:右や左の名無し様
15/09/25 03:24:50.65 UKWdrzrC.net
続き
ところで"侵略的外来種"の定義は環境省のサイトで簡単にわかります。
"外来種の中で、地域の自然環境に大きな影響を与え、生物多様性を脅かすおそれのあるものを、特に侵略的外来種といいます。"
アメリカザリガニがニホンザリガニを駆逐し、セイヨウミツバチがニホンミツバチを駆逐し、ブラックバスやブルーギルが在来種の淡水魚を駆逐したように、
外来種が反映することによって古来の種が絶滅する事が問題となっています。
筆者が"痩せた土地でもよく育ち繁殖力旺盛"とおっしゃっている葛は、豊かな土地ではますます蔓延して在来種と競合します。そして在来種を駆逐する可能性が高いということです。
もともと砂漠だったところを人手をかけずに長期間かけて緑化する、ということが葛で可能になるのであれば、導入することに意味がありそうに思います。
しかし農耕作物や脆弱な在来種との競合が懸念される地域に導入するのは素人でもためらうでしょう。
最近では遺伝子レベルでの多様性の保護が重要視されています。
たとえば、違う系統のメダカや鑑賞品種のメダカの放流などが大きな問題になっているほどですから、葛のような影響が大きい植物が侵略的外来種とみなされるのは当然でしょう。
彼の
"ちなみに「クズ」を「世�


376:Eの侵略的外来種ワースト100」という悪者にしたてあげた国際自然保護連合ですが、 このワースト100の中味を見ると、そこで対象とされている「侵略的外来種」には、豚やヤギ、ハツカネズミ、ヒキガエルにアマガエル、 魚の鯉やニジマス、海岸のワカメなども指定されています。 どういう基準で「侵略的外来種」と認定しているのか、よくわかりません(笑)" という発言ですが、彼のこのような問題に対する意識の低さを物語っているように感じるのは私だけでしょうか。




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