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- 暇つぶし2ch1:しじみ ★
20/08/10 08:57:30 CAP_USER.net
中国の歴史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する邪馬台国は、女王卑弥呼(ひみこ)の存在とともに多くの歴史ファンを魅了してきた。しかし、「邪馬台国がどこにあったのか」という最大の謎については、江戸時代以来、論争が続く。大きくは九州説と近畿(畿内)説の二つに分かれる中、近年になって相次いでいるのが九州説を唱える書籍の出版だ。考古学界では近畿説が圧倒的優位に立つ中、なぜ九州説の「逆襲」ともいえる状況が生まれているのか。【西部学芸グループ・上村里花】

 「『九州説ですか』と聞かれた時は『7割は九州説、3割が近畿説』と答えている」。昨年12月に「続・邪馬台国論争の新視点」(雄山閣)を出版した福岡県小郡市埋蔵文化財調査センター所長の片岡宏二さん(考古学)は、邪馬台国の所在地についてそう語る。では、その「3割」とは何か。片岡さんが挙げるのが、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡を中心とした遺跡、遺物の多さだ。

 そもそも纒向遺跡が邪馬台国の最有力候補に躍り出たのは、卑弥呼が活躍したとされる3世紀前半の大型建物跡が2009年に見つかったのがきっかけだ。同時代の建物跡としては国内では最大級で、佐賀県の吉野ケ里遺跡で最も大きな「主祭殿」の約1・5倍となる。3棟の大型建物群が東西に一直線に並ぶ計画的な配置に「これこそ卑弥呼の宮殿」とヒートアップ。18年には建物群の近くで出



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