【哲学】人間に「自由意思」はあるのかat SCIENCEPLUS
【哲学】人間に「自由意思」はあるのか - 暇つぶし2ch433:日本語ウィキペディアには、掲載内容の公平性はあるのか,2@\(^o^)/
16/04/05 17:19:19.46 3l262ohd.net
.
>413の続き
eig35153は2011年10月29日に、自由意志の科学の節に、↓ 以下の内容を書き込んだら速攻削除された。
.        *** リベットの実験程度で、人間の自由意志は否定できるだろうか ***
リベットの実験によって人間の自由意志は幻想だの錯覚などと言う唯物論者の論理破綻は、 次の点に見て取れる。
.    “ モニターの指点がそこに来た時に、その意志が生じたかを被験者に後で教えてもらって “。
実験は計測精度の高い脳活動計測や筋電活動計測によって計られるが、単純な神経系の励起である筋電位と
複雑な脳活動である精神の始発とが、唯物論者ならではの物質的同一視座として考えられている。
被験者による精神の始発の証言と、計測器による脳活動開始がなぜ同等として語られるのか。
なぜなら、人間の任意の行使では “ 実験環境内の雰囲気 “ すら排除できない。
そのような機械計測に掛からない要素を含めて、” 自由意志 “ は開始されるだろう。 すなわちそれは
“ 指曲げ “ に係わる今現在の身体姿勢や実験環境の変化など、諸々の情報が “ 加算総和 “ されて
実行意志がピークになれば、それが脳前頭活動の準備電位となるのかも知れない。
.    *** 痛覚にも強弱があるのに、必迫性の無い実験室での自由意志計測は意味があるのか ***
痛覚計測のために痛覚の “ 強弱刺激 “ を行えば、それに応じた神経系の反応が計測されるが、
リベットの実験のような、実験室内での自由意志発現時の計測と言っても、被験者がその実験で、
自己の自由意志を行使しなければならないような特段の必迫性が無ければ、逆に被験者が自己の意識力を弱めて、
実験室内の雰囲気に任せるような事にはならないのか。
しかし、白熱した議論での即答応酬などのように、相手の論点を理解しその応答として言明を組み立てて即答で発話する場合や、
ピンポンのような俊敏さを必要とするスポーツでの瞬時の判断など、リベットの実験からはこのことを全く説明できない。
.


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch