【集団遺伝学】「アイヌ人と渡来人の混血は7世紀が始まり」…国立遺伝学研究所at SCIENCEPLUS
【集団遺伝学】「アイヌ人と渡来人の混血は7世紀が始まり」…国立遺伝学研究所 - 暇つぶし2ch1046:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/13 08:19:12.93 PKOj9wiX.net
>>981
『アイヌは原日本人か』
刊行当初さえ既に完全に間違ってた知識が33年後に正解になることはない。
きちんと説明してやったよな?

お前…頭、おかしいんじゃない?

1047:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/13 23:08:31.12 3CTgS0b9.net
アイヌは先住民じゃないw
これはだましだよ
アイヌは九世紀頃北方から南下してきただけ

1048:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/13 23:57:02.07 j9iW2jix.net
>>984
>アイヌは九世紀頃北方から南下してきただけ
そんなの遺伝子レベルで否定されてること

1049:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/14 00:59:13.88 nKIu8kZV.net
壮大なアイヌ詐欺がばれそうになって必死\(^o^)/

1050:白馬青牛 ◆MSPArYuLmJK6 @\(^o^)/
15/10/14 01:03:13.07 phfinYbd.net
>>982
歴史時代でも沖縄のグスク期は九州からの移民が多かったこたぁね当たり前じゃなぁか。
>>983
最新の研究でさえ、十年後に残るかどうかじゃし、日本人の起源なんか十九世紀以来かわらんわ。
ほいで、わりゃ、学説を流行のトレンドの勘違いしとんか?
>>984
われが云うんは、オホーツク文化人のことじゃけぇ、続擦文文化の縄文系のアイヌ人のことじゃ
無ぁわ。

1051:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/14 01:24:17.86 fO0xsFYF.net
とうだいだからね

1052:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/14 01:31:10.42 HND32tmb.net
>>987
図5みれば分かるけどそれで徳永勝士は中国南部との混血を否定してる

1053:白馬青牛 ◆MSPArYuLmJK6 @\(^o^)/
15/10/14 02:27:44.03 phfinYbd.net
>>989
URLリンク(www.geocities.jp)
「2)琉球人については、緑三角(B54-DR4)の遺伝子セット、すなわち中国南部からの影響が比較的
  新しい時期(グラフから読み取ると500年~1000年前)に推定される。」
と、徳永氏も琉球への中国南部からの影響は否定されとるまあ。
 ほいからシャベル型の歯ものう。
URLリンク(s.webry.info)
「この形質はアジア人(モンゴロイド)特有の形質として認識されていますが、程度の差こそあれ多くの
民族にみられるもので、これまで様々な研究がなされています。その起源は古く、ヨーロッパの
ネアンデルタール人や、さらに古い北京原人などにも認められていることは前回紹介しました。
ネアンデルタール人や、さらに古い北京原人とは直接類縁関係のない新人になってこの形質が
出現した要因については溝口氏が次のように述べています。
「北極圏へ移動した新人が狩猟で得た肉を食べたり、道具を作るときに第3の手として切歯を
利用した。また、南半球へ移動したオーストラリア原住民も狩猟生活に適応し、発達した
シャベル型を持つようになった。切歯を使うことにより、切歯にかかる負荷に耐えうる形態が
選択された。
 その後、北方適応した人々が温暖な地にもどってヨーロッパ人やアジア人にシャベル型を
伝えたが、現代のヨーロッパ人は牧畜生活に適応してシャベル型を失った。一方、現代の
アジア人も農耕生活によりシャベル型を失いつつある。」
歯のような硬い組織が、数万年という地質学的に見れば比較的短い期間の中で、このように形を
変えて行くということはとても面白いですね。」

1054:白馬青牛 ◆MSPArYuLmJK6 @\(^o^)/
15/10/14 02:37:04.10 phfinYbd.net
>>989
いずれにせよ、徳永氏は歴史無知ゆえ、HLAでも出来るだけ古い時期を想定したがるのう。
1000年前にゃ中国南部から沖縄へは渡海移住は無理じゃし、日本で云う室町期以降じゃろうに。
まあ、本土日本へも中国南部系が移民帰化するんは戦国から江戸初期が多いいし、古い時代の
渡海移住は夢のまた夢の妄想よのう。

1055:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/14 04:12:46.54 +4PxtKBq.net
1:石器時代の遺跡が50か所しかない(日本では一万以上発見されている)
2:一万年前~五千年前までの間、遺跡が発見されない(半島人が絶滅、半島無人状態)
3:五千年前以降 縄文土器が多数発見される(北九州式縄文土器に酷似)
4:九州でとれる貝の装飾品や釣り針が発見されている
5:人骨の発見(四千年前)鹿児島大学調べによると頭骨の後ろ頭部分が大きく張り出しており
  現代の半島人の後頭部(絶壁)と大きく違いがある。(直接の先祖ではない)
6:九州北部の人骨と酷似しており、この時代九州→半島(無人)への移住が行われていたと推察できる。
7:Y染色体遺伝子分析により日本の渡来人による混血や始祖説は間違いであることが証明された。
8:ミトコンドリア遺伝子で日本側の遺伝子が母体と確認された(女性は生き残り男性は死滅した証明)
9:三国史(三国史記ではない)では、韓(馬韓)の南に倭人が住んでいるという記述あり、半島南部に日本からわたった人々が住んでいた。
10:三国史記(半島の史書)にダッカイという人物が倭のタバナ国より渡来し王族の元となったと記されている。
   「脱解本多婆那国所生也。其国在倭国東北一千里」新羅4代国王
11:倭国とは南半島と日本列島全体を示すもの。
12:王族の婚姻について系譜から読み取れるもの、妻はほとんど金姓であること。
   近親婚が常態化、 王族がそうであれば下々まで同じである、
   欧米の調査によれば、遺伝子的に半島人は非常に変化が乏しくほぼ同一。

1056:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/14 04:19:08.66 AAQKPk9Z.net
弥生人は稲作を伝えたんだろ。稲作は当初揚子江の温暖な地域で行われていた
華北は雑穀地帯で稲作など紀元前1000年の時はしていない
そもそも水が不足している。半島に華北経由で稲作が伝わるのは不自然
揚子江から直接半島や日本に移住してきたんじゃないか
日本が一時半島南部を勢力下に置いたのも揚子江から来た同族だったからじゃないか?
米の化石は日本の方が朝鮮半島より古いものが発見されている
山東半島や満州なんか当時稲作なんかしてない

1057:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/14 04:21:43.42 +4PxtKBq.net
>>993
それすでに常識

福建省あたりから海流に乗ってれば自動で日本につく 季節による

逆は難しい

1058:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/14 22:17:42.95 +9QJRbhG.net
直毛出っ歯の弥生人

1059:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/14 23:05:15.05 yoxuQHNt.net
>>932
 マルクス主義も外圧への反感から生まれた思想なので、外圧が強まるほど、尊王攘夷の気分も強まる本質は変わらないということでしょうか?
そういえば、マルクス主義の実践のなかでレーニンは民族自決を打ち出しますが、第三世界ては民族主義と結びつき、
ソ連、最近の中国共産党において帝国主義に変容しますね。
日本においては、進駐軍(主としてアメリカ)とそれにくっついてマルキシストを攻撃してくる親米派への反感が、
日本人のマルキシストを勇気づける神話をこしらえさせ、異民族への抵抗の神話として、後の時代まで
受け継がれているということでしょうか。
>>936
 沖縄本島以北の南西諸島の先史時代の遺物はほとんど九州に繋がっているよ。
おまけに曽畑式土器なんかは九州南部に限らず朝鮮まで繋がっているし、この前も伊江島のナガラ原第三貝塚から
ゴホウラ貝の腕輪を装着した人骨が見つかっていたけど、ゴホウラ貝の腕輪は九州北部や山口県の弥生遺跡から見つかる装飾品で、
これも九州北部・山口まで繋がっているし、九州南部から沖縄というより、朝鮮や本州から九州→南西諸島という
もっと大きな北から南への人の流れを考えたほうがいいと思う。
 港川人は今より海面が低い旧石器時代の人骨で、新石器時代以降の南西諸島の集団とは繋がらないし、
当然、縄文人とも繋がらない、おそらく沖縄で滅んだ集団で、北上した形跡も増えた形跡もないよ。
ついでに、>>929の土肥直美さんは台湾新石器時代中~後期(約5千年前~2千年前)の人骨も調べられているけど、
同時代の沖縄の人骨とは似ていないと書いている。
八重山諸島の波照間島の大泊浜貝塚(11世紀~12世紀、グスク時代初期)で見つかった人骨は、
フィリピン人に似ていたらしいけど。
>>938
 九州南部の隼人は日本語が通じないんで、そのひと回り向こう側の南西諸島の集団が日本語を喋っていたとは
思えないけど、琉球語は日本語の影響が強い。
>>940
 そういえば、沖縄の本土復帰運動は共産党員が率先してやっていたらしいですね。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
>>961
 その、朝鮮南部の縄文人だけど、この金海の礼安里遺跡から出土した人骨(右下)みたいに、
URLリンク(e-asia2.board.coocan.jp)
なぜか顔面が平たい傾向にあって、>925でも部分的に北方適応した縄文人と書いたけど、元々朝鮮にいた韓人の可能性もあるよ。
こっちは顔面が隆起している縄文人(右)。
URLリンク(pbs.twimg.com)
まぁ、>>929の沖縄の頭骨の資料のように縄文人自体その多くは顔面が平たかった可能性もあるけど、
いずれにしても朝鮮から南下した縄文人だろう。

1060:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/14 23:39:13.30 yoxuQHNt.net
>>962
 ただ、ネグロイドもモンゴロイドもコーカソイドも集団間の形質差があるんで、同時に形質変化しているか、
他の何かが混じっているようにも見える。
例えば、アフリカ南部のコイ・サン型はモンゴロイドみたいな顔をしているし、
URLリンク(kwekudee-tripdownmemorylane.blogspot.jp)
これはソマリアの人のYouTubeのチャンネルでソマリ人が映ってる動画がたくさんあるんで、適当に見て確認してほしいんだけど、
アフリカ東部のエチオピア型は西南アジアのコーカソイドに似ていて、
URLリンク(www.youtube.com)
これもまたガーナの人のYouTubeのチャンネルでガーナ人が映ってる動画がたくさんあるんで、適当に見て確認してほしいんだけど、
アフリカ西部のギニア湾の沿岸の熱帯林に広がっているギニア型は顔も体も丸っこくずんぐりしていて、
サハラ砂漠以南のサバンナから森林地帯に広がっているスーダン型はいわゆるアフリカの人でイメージされるタイプで、
ギニア型に比べると顔も体も縦に長めで突顎が強く(逆にギニア型は弱い)、ガーナは両者の形質が入り混じっているんだけど、
特にギニア型は独特なものがある。
URLリンク(www.youtube.com)


1061: ギニア型の特徴だけど、ガーナはこういうスタイルが悪い人が多い。 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ghanaian_dancing_Azonto_Move_3.jpg それから上の動画にもちょっと映ってるけど、サハラ砂漠以南のサバンナから森林地帯にかけてはエチオピア型ほどではないけど 顔も体もスラッとしていて大柄で、顔のパーツの配置が整っているタイプもいる。 こういうの。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b7/Pineapple_230.gif 熱帯林の延長線上でアフリカの内陸に行くと、とても小柄なピグミーとかもいるけど、 モンゴロイドもコーカソイドもけっこう形質に幅があるんで、それぞれ他の何かが混じっているようにも見える。 >>964  アフリカではガーナはギニア型の影響なのか比較的唇が薄い人が多いです。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9a/Drumming_%287250728078%29.jpg この左とか。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/af/Ghana_men_stand_together_%287250583452%29.jpg  なるほど、旧人との混血も考えられますか。



1062:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/15 00:18:13.35 UepLlqAl.net
>>992
 6は九州と半島が逆だろう。
URLリンク(www.han.org)
「       --------------------
  上顔高が 70mm, 身長が 162cmを超える渡来系弥生人の骨は、(山口県)響灘(ひびきなだ)沿岸部・島根半島など
西中国沿岸部の砂丘遺跡と、福岡平野・筑紫平野・熊本平野など遠賀川以西の北部九州平野部に分布する
かめ棺墓遺跡から出ているが、これらの渡来系弥生人の特徴にも地域差があることがわかっている。
  個々の骨を渡来人タイプと縄文人タイプに分けて地域ごとの比率を調べた中橋孝博によれば、
響灘沿岸部では渡来人タイプが全体の75%を占めるのにたいし、北部九州平野部ではそれより10%ほど多く、
島根半島では響灘より10%ほど少ないという。
       --------------------
  渡来人タイプの割合を数値化するなど、考古学も進歩したものです。渡来人タイプの割合が
やや低い島根県古浦遺跡は弥生前期と考えられているようですが、弥生時代は古くさかのぼるほど
縄文の割合が大きいようです。その一例として、古浦遺跡では抜歯の風習も縄文式と渡来式が入り乱れているようです。
  時代がくだり、前期末から中期と考えられている響灘遺跡では渡来人の割合も高くなり、
抜歯もほとんど渡来式だったようです。さらに中期から後期と考えられている北部九州の遺跡では、
一段と渡来度が高くなるとともに、抜歯の風習もすたれつつあったようです。
  これらの結論として、池田氏はこう結びました(注2)。
       --------------------
  三地域の渡来系弥生人集団のあいだにみられる渡来形質の濃淡、抜歯の施行率と様式の違いは、
このように時期差で説明でき、金属器が北部九州に出現する時期は、渡来形質と渡来系様式の抜歯を特徴とする弥生人が
響灘・玄界灘沿岸部一帯で急増する時期にあたる。
  したがって、これらの金属器とその製作技術を持ち込んだのは、前期末から中期初頭にかけて渡来した朝鮮半島の
無文土器時代人であり、渡来人の規模は縄文弥生移行期にくらべてはるかに大きかったと考えられる。
       --------------------」

1063:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/15 00:19:07.76 UepLlqAl.net
>>993
 ただ、渡来系は稲作の技術セットを最初からパーフェクトに備えてるプロじゃない。
URLリンク(www.geocities.jp)
「稲作伝播時期の最有力候補、日本で言う縄文晩期は、海の向こうでは前期無文土器時代。
韓半島の検丹里遺跡で出土したものは、工具に使う木材を取るための伐採石斧、加工するための柱状片刃石斧、
扁平片刃石斧、鑿状片刃石斧、という、一連のラインが出来上がっている。
ところが、北九州で出土するものは、伐採石器がやたらと薄く、このラインにふさわしくない形状をしている。
山口はもっとアレで、もう少し後の弥生前期になっても、柱状片刃石斧に相当するモノがない。
韓半島のようなラインが整うのは、弥生前期末になってのことであり、これは瀬戸内地域とほぼ同時期であるそうな。」
「つまり、ある日海の向こうからやって来た人々が、ここいらへんからパーフェクトな稲作をどんどん
広めていった、という考えは、現段階の出土物からは成立し得ない、ということ。稲作ってのは、
米持ってくればすぐできるようなものではなくて、田んぼを作る技術とか、 田んぼを作るための道具とか、
道具を作るための道具(←ここで取り上げてる石斧ってのはコレ)とか、そういう技術がなけりゃ
できないってわけだ。」
いわばアマチュアで、渡来系もまた稲作の技術を導入する側で、渡来系は雑穀も育てるよ。
URLリンク(www.yoshinogari.jp)
「 Q. どんなものを食べていたの?
A. 弥生時代になると、中国大陸や朝鮮半島から米作りが伝わりました。また、米の他にも、さまざまな海の幸、
山の幸を食べていました。
•小麦、アワ、キビ、豆、瓜、ドングリ、クルミ
•イノシシ、鶏、シカ、クマ、タヌキ、イヌ
•フナ、コイ、サメ、スズキ、アジ、オオタニシ、カワニナ、ヤマトシジミ
これらのものを煮たり焼いたりして食べていたのでしょう。当時は箸を使わず、手づかみで食べていたようです。
魏志倭人伝には倭人の食生活について「倭の地は暖かく、冬も夏も生野菜を食べる」「飲食には高杯を用い、手づかみで食べる」
「人々は生来酒が好きである」とかかれています。
各地の遺跡から出土する炭化穀物などにより、弥生時代には米の他に、小麦、アワ、ヒエ、小豆などの雑穀が
栽培されていたことが明らかになっています。」
中国南部から直接渡来していれば、道具類でもいくつかの一致が見られると思うけど、これがそうでもない。

1064:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/15 00:25:29.11 TSn3lf7g.net
>>998
遺伝子や遺物からも九州→朝鮮半島というルートは明らか


■韓国勒島出土人骨に関する形質人類学的研究
URLリンク(kaken.nii.ac.jp)
>日本の弥生時代中期相当の、韓国南部の人骨の形質や古病理学的分析を進めてきた。
>恐らくは、日本の土器が搬入されたのではなく、「日本人が移住していた」と考えられる。

■沖縄周辺で発生し九州へ来たミトコンドリアM7a遺伝子が沖縄人に24%、九州人に12%、そして韓国人にも4%近く存在する
>「一般的に集団が移動すると、起源地から離れるにつれて、もともと持っていた塩基配列の多様性は減少する。
>M7aの集団は海に沈んだ起源地から琉球列島に来た後、南九州に入ったのだろう」
URLリンク(ime.nu)

琉球諸島周辺で発生し沖縄から九州に入ったmtDNAが九州に12%で韓国にも4%近くあるから日本から韓国への移住があっただろうね
これだけじゃなく他のmtDNAも日本から入っただろうし父系はさらに多いだろ

1065:名無しのひみつ@\(^o^)/
15/10/15 00:30:10.29 TSn3lf7g.net
>>999
魏志倭人伝には、狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とする記事があり、
考古学的にも当地の3世紀の遺跡には、倭系遺物の出土が多い。
好太王碑文に倭国が海を渡って、百済・新羅を臣民にしたとの記述
が見られる時期に、 朝鮮の正史「三国史記」に、百済が皇太子を、
新羅が王子を、倭国に人質に出した記事がある。
「日本書紀」も同様で、400年前後に倭国が朝鮮半島南部に勢力を
広げたことで一致。 宋書には、5世紀後半に、倭国に新羅・任那
などの軍事権を認めた叙任がある。

これらの文献資料は、全て調和的。
考古学的には、畿内発祥の埴輪を並べた前方後円墳が、古墳時代
中期~後期(5~6世紀) になると、朝鮮半島南部にいくつも
見られるようになり、倭国の勢力拡大を裏付けている。

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