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【斧谷稔】大富野教信者の会part42【井荻麟】
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819 名前:通常の名無しさんの3倍[sage] 投稿日:2007/03/05(月) 02:00:35 ID:???
富野 たとえば、その神だ! とポンと言ってしまうのはすごく簡単なんです。そうなると僕はどちらかというと
無神論者なのかもしれないけれども、神の存在を設定したいと思う訳です。つまり人がいない前に神という概念は
絶対に存在しなかったのではないかと感じている訳なんです。
これがどういう事かと言うと、神なり宗教なりというものは、以前はもっと大変曖昧模糊とした形だったと思うのです。
人が何かに頼らなければならない時、あらゆる物に命が有るのではないか---という概念が発生したの
ではないでしょうか?目の前にある強い物の存在に人が圧倒されて、その力に対して異敬の念を持つのではないか。
たとえば、なぜこんなに大きな岩が有るんだろう---この岩は邪魔だからどかしたい---けれども動かせない・・・
そういった事があった上で、「この大岩は動いてはならないものではないのだろうか?」
という大変素朴な考え方が出て、さらに、ここに岩の存在が有るのではないかという、岩の存在そのものに対して
敬意をはらう気持ちが出来たのではないかいとも思うのです。単純な説明かもしれませんが、かつての人は、ひとつ
の動かない石にさえそういった気分を持ったのではないかという気さえするのです。特に古代の人々が自然現象、
つまり嵐や雷に神様という存在を感じたのは、それらが圧倒的な力の存在であったからなんでしょう。そして、それを
コントロールし得ないからこそ、その力を認めていくという人の有り様があったのだと思います。
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