他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 16at RONGO
他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 16 - 暇つぶし2ch283:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:46:29.94 jQxX6wbN.net

こんなはずじゃなかったのに、という考えは捨てなさい。こんなはずなのだから。
ウェイン・ダイアー

284:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:48:18.55 jQxX6wbN.net

法律とは、本来ごく少数者のためのものなのだ。
ごく少数の異常な純粋、この世の規矩を外れた熱誠、
……それを泥棒や痴情の犯罪と全く同じ同等の《悪》へおとしめようとする機構なのだ。

人間を一番残酷にするのは 愛されているという自信だよ。

世界が必ず滅びるといふ確信がなかつたら、どうやつて生きてゆくことができるだらう。

人間はあやまちを犯してはじめて真理を知る。

人生が生きるに値ひしないと考へることは容易いが、
それだけにまた、生きるに値ひしないといふことを考へないでゐることは、
多少とも鋭敏な感受性をもつた人には困難である。

幸福がつかのまだという哲学は、
不幸な人間も幸福な人間もどちらも好い気持にさせる力を持っている。

幸福つて、何も感じないことなのよ。幸福つて、もつと鈍感なものよ。
幸福な人は、自分以外のことなんか夢にも考へないで生きてゆくんですよ。

この世のもっとも純粋な喜びは、他人の喜びをみることだ。


長い準備があればこそ決断は早い。
そして決断の行為そのものは自分で選べるが、時期はかならずしも選ぶことができない。

男が女より強いのは、腕力と知性だけで、
腕力も知性もない男は、女にまさるところは一つもない。
三島由紀夫

285:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:48:34.36 jQxX6wbN.net

女性はともすると、自分の力でもないものを楯にして、相手を軽蔑する。

人間の想像力の展開には永い時間を要するもので、
咄嗟の場合には、人は想像力の貧しさに苦しむ。

天才はどんなに若く死んでも薄命であってはならない。

精神を凌駕することのできるのは習慣という怪物だけなのだ。

ほしいものが手に入らないという最大の理由は、
それを手に入れたいと望んだからだ。

愛というものは共有物の性質をもっていて
所有の限界があいまいなばかりに多くの不幸を巻き起す。

われわれは自分の弱さをいやがる気持ちから人の長所をみとめる。

女性はそもそも、いろんな点でお月さまに似てをり、お月さまの影響を受けてゐるが、
男に比して、すぐ肥つたりすぐやせたりしやすいところもお月さまそつくりである。

男の嫉妬の本当のギリギリのところは、
体面を傷つけられた怒りだと断言してもよろしい。

美しい女と二人きりで歩いてゐる男は頼もしげにみえるのだが、
女二人にはさまれて歩いてゐる男は道化じみる。
三島由紀夫

286:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:48:51.23 jQxX6wbN.net

不安こそ、われわれが若さからぬすみうるこよない宝だ。

なぜ大人は酒を飲むのか。大人になると悲しいことに、
酒を呑まなくては酔へないからである。
子供なら、何も呑まなくても、忽ち遊びに酔つてしまふことができる。

生まれて来て何を最初に教わるって、それは「諦める」ことよ。

無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰の裏返しにすぎぬ。
無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱の裏返しにすぎぬ。

恋愛とは、勿論、仏蘭西(フランス)の詩人が言つたやうに一つの拷問である。
どちらがより多く相手を苦しめることができるか試してみませう、と
メリメエがその女友達へ出した手紙のなかで書いてゐる。

決定されているが故に僕らの可能性は無限であり、
止められているが故に僕らの飛翔は永遠である。

人生とは何だ? 人生とは失語症だ。
世界とは何だ? 世界とは失語症だ。
歴史とは何だ?歴史とは失語症だ。
芸術とは? 恋愛とは? 政治とは?
何でもかんでも失語症だ。

人間に忘却と、それに伴う過去の美化がなかったら、
人間はどうして生に耐えることができるだろう。

感傷といふものが女性的な特質のやうに
考へられてゐるのは明らかに誤解である。
感傷的といふことは男性的といふことなのだ。

女を抱くとき、われわれは大抵、
顔か乳房か局部か太腿かをバラバラに抱いてゐるのだ。
それを総括する「肉体」といふ観念の下(もと)に。
三島由紀夫

287:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:49:16.80 jQxX6wbN.net

精神分析を待つまでもなく、人間のつく嘘のうちで、
「一度も嘘をついたことがない」といふのは、おそらく最大の嘘である。

老夫妻の間の友情のようなものは、友情のもっとも美しい芸術品である。

記憶はわれわれの意識の上に、時間をしばしば並行させ重複させる。

まことに人生はままならないもので、
生きている人間は多かれ少なかれ喜劇的である。

鈍感な人たちは、血が流れなければ狼狽しない。
が、血の流れたときは、悲劇は終ってしまったあとなのである。

神聖なものほど猥褻だ。だから恋愛より結婚のほうがずっと猥褻だ。

女はたえず美しいと言われていることを、決してうるさくは感じないのである。

人間の美しさ、肉体的にも精神的にも、およそ美に属するものは、
無知と迷蒙からしか生まれないね。
知っていてなお美しいなどということは許されない。

幸福がつかの間だという哲学は、不
幸な人間も、幸福な人間も、どちらも好い気持ちにさせる力を持っている。

罪といふものの謙遜な性質を人は容易に恕(ゆる)すが、
秘密といふものの尊大な性質を人は恕さない。
三島由紀夫

288:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:49:58.00 jQxX6wbN.net

どうにもならない自分を信じるということは、あらゆる点で、人間として僭越なことだ。

傷つきやすい人間ほど、複雑な鎧帷子を身につけるものだ。
そして往々この鎧帷子が、自分の肌を傷つけてしまう。

若さはいろんなあやまちを犯すものだが、
そうして犯すあやまちは人生に対する礼儀のようなものだ。

愛することにかけては、女性こそ専門家で、男性は永遠に素人である。

初恋に勝って人生に失敗するというのは良くある例で、
初恋は破れるほうがいいと言う説もある。

若さが幸福を求めるなどというのは、衰退である。

本当の美とは人を黙らせるものであります。

文学でも、強い文体は弱い文体よりも美しい。

軽蔑とは、女の男に対する永遠の批判である。

現実というものは、袋小路かと思うと、また妙な具合にひらけてくる。
三島由紀夫

289:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:50:15.98 jQxX6wbN.net

抜けたところのない人間は、男でも女でも、人気を博することはむづかしい。

秘密は人を多忙にする。
怠け者は秘密を持つこともできず、秘密と付合うこともできない。

人間の弱さは強さと同一のものであり、
美点は欠点の別な側面だという考えに達するためには、年をとらなければならない。

偶然とは、人間どもの理解をこえた高い必然が、
ふだんは厚いマントに身を隠しているのに、
ちらとその素肌の一部をのぞかせてしまった現象なのだ。

愛から嫉妬が生まれるように、嫉妬から愛が生まれることもある。

忠告が社会生活の潤滑油となることは滅多に無く、
人の面目を潰し、人の気力を阻喪させ、
恨みをかうことに終わるのが十中八、九である。

悲しみとは精神的なものであり、笑いとは知的なものである。

退廃した純潔は、世の凡ゆる退廃のうちでも、いちばん悪質の退廃だ。

好奇心には道徳がないのである。
もしかするとそれは人間のもちうるもっとも不徳な欲望かもしれない。

人生は、成熟ないし発展ということが
何ら約束されていないところに怖ろしさがある。
三島由紀夫

290:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:50:44.28 jQxX6wbN.net

世の中って、真面目にしたことは大抵失敗するし、
不真面目にしたことはうまくいく。

私は、恋愛が羞恥心の消滅とともに消滅することを信じて疑わない。

目に見えるものがたとえ美しくても、
それが直ちに精神的な価値を約束するわけではない。

貞女とは、多くの場合、世間の評判であり、
その世間をカサにきた女のヨロイである。

どんな邪悪な心も心にとどまる限りは、美徳の領域に属している。

寡黙な人間は、寡黙な秘密を持つものである。

恋人同士といふものは仕馴れた役者のやうに、
予め手順を考へた舞台装置の上で愛し合ふものである。

不安は奇体に人の顔つきを若々しくする。

歌舞伎役者の顔こそ偉大でなければならない。

生きることが難しいなどといふことは何も自慢になどなりはしないのだ。
三島由紀夫

291:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:51:39.85 jQxX6wbN.net

青年の苦悩は、隠されるときもつとも美しい。

善意も、無心も、十分人を殺すことのできる刃物である。

あまりに永い苦悩は人を愚かにする。
苦悩によつて愚かにされた人は、もう歓喜を疑ふことができない。

死は事実にすぎぬ。行為の死は、自殺と言ひ直すべきだらう。
人は自分の意志によつて生れることはできぬが、意志によつて死ぬことはできる。
これが古来のあらゆる自然哲学の根本命題だ。
しかし、死において、自殺といふ行為と、
生の全的な表現との同時性が可能であることは疑ひを容れない。
最高の瞬間の表現は死に俟たねばならない。
これには逆証明が可能だと思はれる。

女は決して征服されない。
決して!男が女に対する崇敬の念から凌辱を敢てする場合がままあるやうに、
この上ない侮蔑の証しとして、女が男に身を任す場合もあるのだ。

やたらと人に弱味をさらけ出す人間のことを、私は躊躇なく「無礼者」と呼びます。

論敵同士などといふものは卑小な関係であり、
言葉の上の敵味方なんて、女学生の寄宿舎のそねみ合ひと大差がありません。

個人が組織を倒す、といふのは善である。

理想的な「他人」はこの世にはないのだ。
滑稽なことだが、屍体にならなければ、人は「親密な他人」になれない。
三島由紀夫

292:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:51:59.61 jQxX6wbN.net

どんな時代にならうと、権力のもつとも深い実質は若者の筋肉だ。

人間、正道を歩むのは却つて不安なものだ。

男が金をほしがるのはつまり女が金をほしがるからだといふのは真理だな。

自殺しようとする人間は往々死を不真面目に考へてゐるやうにみられる。
否、彼は死を自分の理解しうる幅で割切つてしまふことに熟練するのだ。
かかる浅墓さは不真面目とは紙一重の差であらう。
しかし紙一重であれ、混同してはならない差別だ。

嫉妬こそ生きる力だ。

ユーモアと冷静さと、男性的勇気とは、
いつも車の両輪のやうに相伴ふもので、
ユーモアとは理知のもつともなごやかな形式なのであります。

裏切りは、かならずしも悪人と善人のあひだでおこるとはかぎらない。

男性は本質を愛し、女性は習慣を愛する。

どんなに平和な装ひをしてゐても「世界政策」といふことばには、
ヤクザの隠語のやうな、独特の血なまぐささがある。

「強み」とは何か。知恵に流されぬことである。分別に溺れないことである。
三島由紀夫

293:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:53:02.63 jQxX6wbN.net

男の世界は思ひやりの世界である。
男の社会的な能力とは思ひやりの能力である。

この日本刀で人を斬れる時代が、早くやつて来ないかなあ。

もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、
どうして死の尊厳をも重んじないわけにいくだらうか。
いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。

潔癖さといふものは、欲望の命ずる一種のわがままだ。

真の危険を犯すものは理性であり、その勇気も理性からだけ生れる。

正しい狂気といふものがあるのだ。

この世に一つ幸福があれば必ずそれに対応する不幸が一つある筈だ。

「自分の子供が可愛い」などといふ感情はワイセツな感情であつて、
人に示すべきものではないらしい。

愛するということにかけては、女性こそ専門家で、男性は永遠の素人である。

無秩序が文学に愛されるのは、文学そのものが秩序の化身だからだ。
三島由紀夫

294:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:53:19.97 jQxX6wbN.net

今の時代はますます複雑になって、新聞を読んでも、テレビを見ても、真相はつかめない。
そういうときに何があるかといえば、自分で見にいくほかないんだよ。
いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。
だいたい、“右”というのは、ヨーロッパのことばでは“正しい”という意味なんだから(笑)

あらゆる文章は形容詞から古くなっていく。

現状維持というのは、つねに醜悪な思想であり、
また、現状破壊というのは、つねに飢え渇いた貧しい思想である。

僕はいはゆる美人を見ると、美しいなんて思つたことはありません。
ただ欲望を感じるだけです。不美人のはうが美といふ観念からすれば、
純粋に美しいのかもしれません。
何故つて、醜い女なら、欲望なしに見ることができますからね。

人生には濃い薄い、多い少ない、ということはありません。
誰にも一ぺんコッキリの人生しかないのです。

ヒットラーは政治的天才であつたが、英雄ではなかつた。
英雄といふものに必要な、爽やかさ、晴れやかさが、彼には徹底的に欠けてゐた。
ヒットラーは、二十世紀そのもののやうに暗い。

戦争が道徳を失はせたといふのは嘘だ。道徳はいつどこにでもころがつてゐる。
しかし運動をするものに運動神経が必要とされるやうに、
道徳的な神経がなくては道徳はつかまらない。
戦争が失はせたのは道徳的神経だ。この神経なしには人は道徳的な行為をすることができぬ。
従つてまた真の意味の不徳に到達することもできぬ筈だつた。

自分を理解しない人間を寄せつけないのは、芸術家として正しい態度である。
芸術家は政治家じゃないのだから。

何か、極く小さな、どんなありきたりな希望でもよい。
それがなくては、人は明日のはうへ生き延びることができない。

忘却の早さと、何事も重大視しない情感の浅さこそ人間の最初の老いの兆しだ。
三島由紀夫

295:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:54:13.19 jQxX6wbN.net

このごろは、ベタベタ自分の子供の自慢をする若い男がふえて来たが、
かういふのはどうも不潔でやりきれない。
アメリカ人の風習の影響だらうが、誰にでも、
やたらむしやうに自分の子供の写真を見せたがる。
かういふ男を見ると、私は、こいつは何だつて男性の威厳を自ら失つて、
人間生活に首までドップリひたつてやがるのか、と思つて腹立たしくなる。
「自分の子供が可愛い」などといふ感情はワイセツな感情であつて、
人に示すべきものではないらしい。

三千人と恋愛をした人が、一人と恋愛をした人に比べて、
より多くについて知っているとはいえないのが、人生の面白味です。

男といふものは、もし相手の女が、彼の肉体だけを求めてゐたのだとわかると、
一等自尊心を鼓舞されて、大得意になるといふ妙なケダモノであります。。

目標をめざして努力する過程にしか人間の幸福は存在しない。

何を守ればいいんだと。ぼくはね、結局文化だと思うんだ。

天才というものは源泉の感情だ。そこまで堀り当てた人が天才だ。

崇高なものが現代では無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力がある。

日本人は絶対、民主主義を守るために死なん。
ぼくはアメリカ人にも言うんだけど、
「日本人は民主主義のために死なないよ」と前から言っている。
今後もそうだろうと思う。

事件に直面して、直面しながら、理解することは困難である。
理解は概ね後から来て、そのときの感動を解析し、
さらに演繹して、自分にむかつて説明しようとする。

そんなに、「どうせ私なんぞ」式外交ばかりやらないで、たまにはゴテてみたらどうだらう。
さうすることによつて、自分の何ほどかの力が確認されるといふものであります。
三島由紀夫

296:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:54:53.92 jQxX6wbN.net

政治的スローガンとか、思想とか、
さういふ痛くも痒くもないものには、人間は喜んで普遍性と共有性を認めます。
毒にも薬にもならない古くさい建築や美術品は、
やすやすと人類共有の文化的遺産になります。

打算のない愛情とよく言ひますが、打算のないことを証明するものは、
打算を証明するものと同様に、「お金」の他にはありません。
打算があつてこそ「打算のない行為」もあるのですから、
いちばん純粋な「打算のない行為」は打算の中にしかありえないわけです。

自分の顔と折合いをつけながら、だんだんに年をとってゆくのは賢明な方法である。

国家がなくなって世界政府ができるなんという夢は、非常に情けない、哀れな夢なんです。
…資本主義国家も国家が管理している部分が非常に大きくなっておりますから、
実際の国家の時代という点では、国家の管理機能はむしろ
史上最高ぐらいまで達しているのではないか。

音楽の美は、その一瞬の短さにおいて生命に似ている。

この世には最高の瞬間といふものがある。
この世における精神と自然との和解、精神と自然との交合の瞬間だ。

私は民主主義と暗殺はつきもので、共産主義と粛清はつきものだと思っております。
共産主義の粛清のほうが数が多いだけ、始末が悪い。
たとえば暗殺が全然なかったら、政治家はどんなに不真面目になるか、
殺される心配がなかったら、いくらでも嘘がつける。

あらゆる忠義によるラジカルな行動を認めなければ、
天皇制の本質を逸すると僕は言っているわけです。
場合によっては共産革命だって、もし錦旗革命だったら
天皇は認めなければならないでしょうね。天皇制の本質なのかもしれませんよ。
それをよく知らないで、右翼だとかファッショだといってバカにしきって
戦後共産党がやっていたのは共産党がバカだといいたいね。

どんな政治体制でも歴史的な基盤があって、徐々に形成されたものであるので、
その点では日本の天皇制もまったく同じだと思います。
ですから民主主義が悪いとか、天皇制がいいとか悪いとかいう問題じゃなくて、
その国その国の歴史的基盤に立った政治体制ができていくということは当然だと思います。

私は、言論と日本刀というものは同じもので、
何千万人相手にしても、俺一人だというのが言論だと思うのです。
一人の人間を大勢で寄ってたかってぶち壊すのは、言論ではなくて、
そういうものを暴力という。つまり一人の日本刀の言論だ。
三島由紀夫

297:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:55:26.28 jQxX6wbN.net

人間の心は、眼や表情にもあらわれるが、
後姿にはっきりあらわれることを忘れてはならぬ。

幸福とは微笑のようなものだ。
微笑は微笑しようと思っても出来るものではない。
泉のように自然に、静かに湧いてくるものである。

割り切りとは、魂の弱さである。

夫婦の間に、あるいは両親と子どもの間に、
肉親だから何ごとでも自由に語れると思ったら間違いだ。

多忙であることによって、
自分は何か仕事をしたという錯覚を抱くことが出来る。

人は後姿について全く無意識だ。
そして何げなくそこに全自己をあらわすものだ。後姿は悲しいものだ。

歳月は慈悲を生ず。
亀井勝一郎(文芸評論家)

298:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:55:43.18 jQxX6wbN.net

自殺とは人間的能力のへの窮極の確信なのである。
ある意味で野心であり、虚栄ですらあるかもしれません。
けっして自己放棄ではありません。

繊細な感受性とは、ニュアンスへの鋭敏さともいえるだろう。
日本語でいうなら陰翳(いんえい)への愛だ。

善事は罪悪感を抱きながらせねばならない。

伝説には民衆の愛憎と夢が託されている。

結婚とは青春の過失であるとある作家は言ったが、過失であって結構なのである。
お互いにしまったと思いつつ、「お互いに、しまったわね」などと
ニヤニヤ笑いながら、さし向いで言うようになったらしめたもので、
それが夫婦愛というものだ。

(河上徹太郎の「批評の悦び」を読んで)あまりに批評家という言葉にとらわれすぎている。
僕は自分が批評家とよばれようとよばれまいと大して意に介さない。
もう少しゆとりある一個の人間であればいい。
徹底した客観などというものは認められないのである。
政治のみならず、文学においてさえ客観の姿ほどあいまいなものはない。

小林秀雄は江戸の職人である。小林秀雄は栄養料理の名手である。
只 この料理が必ずしも吾々の美観をまんぞくさせぬ。

いくつになっても、こっぴどく自分をやっつけてくれる先輩を持つことは、
悔しいけれど、人生の幸福である。

井伏鱒二、太宰治等の作家に長く交わり、
ともすれば生硬になりがちな批評家の批評筋肉といったものを、
柔らかくもんで貰ったことも記しておきたい。

愛情がこもっていて無口な人こそ、人生の伴侶としてふさわしい。
亀井勝一郎

299:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:56:02.39 jQxX6wbN.net

私の感情としてあった中国人侮辱感は、
その半面にヨーロッパ人やアメリカ人への劣等感を伴っていた。
今度の戦争で無条件降伏するよりもずっと以前に、
我々は「ヨーロッパ近代」に無条件降伏してきたのではなかったか。
それで私の対米英戦争肯定の気持の中には、
この劣等感に対する反発のあったことにも気づくのである。
少なくともそれが私の民族主義のひとつの根拠になっていたのだ。
しかし戦争責任の根本は中国侵略の肯定である。

私自身は中国を旅したこともなく、中国人と交わることもなかったが、
しかも心中では、いわれなき蔑視あるいは軽侮の感情をもち、
この国と戦わねばならね悲しみを身にしみて感ずるようなことはなかったのである。

ここ(薬師寺)へ来て初めて仏像の美しさがわかります。

私はその(文芸批評家の)間にあって、自分の凡庸さがわかり甚だ困惑してきた。
それだけに刺激されるところ多く、勉強になった。

死そのものよりも、死についての想像の方が、遥かに我々を恐怖させる。
亀井勝一郎

300:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:56:17.98 jQxX6wbN.net

女性が弱いというのは嘘である。
世の中に何が強いと言って、無神経な事ほど強いことはない。

絶望は人生に必ずつきまとうものだ。
絶望しないような人間はある意味でたよりない人だといえる。
なぜなら小さな自己に満足し、なんらの努力も考えごともしない人に、
絶望は起こりえないからだ。

人生は無限に深い。我々の知らないどれほどの多くの真理が、美が、
あるいは人間が、隠れているかわからない。それを放棄してはならぬ。

徒党というものは一面からいえば孤独に耐え得ざる精神の休憩所だ。

理想の夫、理想の妻を得ようとするから失望するのだ。
凡夫と凡婦が結婚するのである。

教養の真のあらわれは、その人の「はにかみ」にある。

青年時代に一番大切なことは、いつまでたっても解決できないような
途方にくれるような難題を、自己の前に設定することではなかろうか。

私は年をとるにつれて、幸福の反対を不幸だとは思わなくなった。
幸福の反対は怠惰というものではなかろうか。
亀井勝一郎

301:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 18:56:49.35 jQxX6wbN.net

明日とは、実は今日という一日の中にある。

「明日は」「明日は」と言いながら、今日という「一日」をむだにすごしたら、
その人は「明日」もまた空しくすごすにちがいありません。

人間と人間のつながりは、程度の差はあっても、誤解の上に成立しているものです。
お互いに自分でもわからぬ謎をもって生きている以上、
当然のことだと言っていいでしょう。
善意の誤解の上に、恋愛や友情は成立すると言っていいと思います。

未完成の自覚を持って、絶えず努力してゆくところに青春がある。
たとい若くても、自己満足におちいっているなら、その人は老人に等しい。

読書の目的は、要するに自分の原点を発見するという事に尽きる。

孤独はそれを求めたり、感じたりしているときよりも、
むしろ予期しないときに来るものだ。
例えば明確に断言する、決断する、そういう時ふと自分に奈落を感じる場合があろう。

恋愛にも日曜日がなければならない。
それが辛うじて永続させる方法であり、つまり「忘却」の逆用である。

結婚生活を末永く導いてゆくものは、
普通の意味での恋愛でもなく、また情痴の世界でもなく、
それらを経た後に来る慈悲人間のあるがままの姿への愛情であろう。
亀井勝一郎

302:名無しさん@お腹いっぱい。
19/06/03 20:32:42.96 jQxX6wbN.net
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他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 17
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303:名無しさん@お腹いっぱい。
19/09/09 21:00:22.86 cPilGeu9.net
tesuto


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