他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 16at RONGO
他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 16 - 暇つぶし2ch92:名無しさん@お腹いっぱい。
19/04/16 17:52:43.38 s/ZPLTf1.net
★ユダヤの格言より
賢人になる七つの条件
1.自分より賢い人がいるときは沈黙。
2.人の話の腰を折らない。
3.答えるときにあわてない。
4.常に的を射た質問をし、筋道だった答えをする。
5.まずしなければならないことから手を付け、後回しにできるものは最後にする。
6.自分が知らないときはそれを認める。
7.真実を認める。

知識について
・知識は水に似ている。高いところから低いところへ流れる。
・人が生きている限り、奪うことが出来ないものがある。それは知識である。
・耳と耳の間に、最大の資産がある。
・あなたが知識を増やさないということは、実は知識を減らしていることになる。
・知識は浅いとすぐ失われる。

勉強について
・一日勉強しなければ、それを取り戻すのに二日かかる。
・恥ずかしがる人は、よい生徒にはなれない。人はどん欲に学ばなければならない。
・学んだことを復習するのは、覚えるためではない。何回も復習するうちに、新しい発見があるからだ。
・1つの庭を手入れするほうが、多くの庭を持ってほったらかしにするよりはよい。
 1つの庭を持つ人は鳥を食べることができるが、多くの庭を持つ人は鳥に食べられてしまう。
・最も大切な事は、学習ではなく、実行である。
・出逢った人すべてから、何かを学べる人が最も賢い。
・偉人を過大に評価してはならない。同じように、小人を過小に評価してはならない。
・私たちは権威ある先人たちの教えから多くのことを学ぶべきだが、
 といって背に大量の本を積んだロバになってはならない。
・自分の肩書きを人に教えようとする人間は、すでに自分の人格を傷つけている。
・知者が間違うときは、恐ろしいほど根本的に間違う。
・善と悪を区別できるだけでは、まだ賢者とは言えない。
 二つの悪の中から小さい方の悪を選ぶことができる者が賢者である。
・人間は、20年かかって覚えたことを、2年で忘れることができる。

93:名無しさん@お腹いっぱい。
19/04/16 17:53:02.96 s/ZPLTf1.net
教育について
・子供は幼いときは厳しくしかり、大きくなったらしかるな。
・幼い子供は厳しくしつけるべきだが、子供が怯えるようなことがあってはならない。
・子供は、両親が家で話すことを街でしゃべる。
・子供は、両親の話し方をまねる。性格はその話し方で解る。
・自分のことだけ考えている人間は、自分である資格すらない。
・豊かな人とは自分の持っているもので、満足できる人のことである。
・人を賞賛できる人こそ、本当に誉れ高き人である。
・真に貧しい者としてとどまっているのは、知性のない者だけ。
・自分が相手と同じ立場に立ったことがないのなら、その相手を批判する資格はあなたにはない。
・どんな質問でも、必ずしも答える価値があるとは限らない。
・ヤギには前から近づかない。馬には後から近づかない。愚か者にはどの角度からも近づかない事だ。

書籍について
・本のない家は,魂を欠いた体のようなものだ。
・もし、本と服を汚したら、まず本から拭きなさい。
・もし生活が貧しくて物を売らなければならないとしたら、まず金、宝石、家、土地を売りなさい。
 最後まで売ってはいけないのは本である。
・旅の途中で故郷の町の人々が知らないような本に出会ったら、必ずその本を買い求め、故郷に持ち帰りなさい。

克己について
・何も打つ手がないときにも、ひとつだけ必ず打つ手がある。それは、勇気を持つことである。
・失敗を恐れる方が、失敗を犯すよりも悪い。
・自分より賢い者に負ける方が、自分より愚かな者に勝つよりも得だ。
・相手の立場に立たないで、人を判断するな。
・もしあなたの周囲に傑出した人がいないなら、あなたがならなければならない。
・自分の力ではどうにもならないことは、心配するな。
・神は超えられない試練を人には与えない。

金について
・金は道具である、道具に支配される者などいない。 だから、道具はできるだけ多く持っている方がいい。
・富は要塞であり、貧苦は廃虚である。
・金は、本質以外のモノなら何でも買える。
・すべて金で買うことができるが、知性だけは買うことができない。
・金をなくしても、何も失わない。誇りをなくせば、多くを失う。 勇気をなくせば、すべてを失う。
・金のために結婚する者には不良の子が育つ。

その他
・貧乏人と病人の忠告にはいつも真意がある。
・小さな穴は、大きな船を沈めてしまう。
・利害関係ができたときにはじめて、友人かどうかが分かる。
・人は仕事がないと政治に関わり始める。

賢人になる七つの条件
1.自分より賢い人がいるときは沈黙。
2.人の話の腰を折らない。
3.答えるときにあわてない。
4.常に的を射た質問をし、筋道だった答えをする。
5.まずしなければならないことから手を付け、後回しにできるものは最後にする。
6.自分が知らないときはそれを認める。
7.真実を認める。

94:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:03:59.86 O6sY2uta.net
以下しばらく、ショーペンハウアーの名言

運命がカードを混ぜ、我々が勝負する。

才人は、誰も射ることのできない的を射る。
天才は、誰にも見えない的を射る。

孤独を愛さない人間は、
自由を愛さない人間になってしまう。
なぜなら、孤独でいるときにのみ、
人間は自由になれるのだから。

私達は、他人と同じようになろうとして、
自分の4分の3を失ってしまう。

自分の幸せを数えたら、
あなたはすぐに幸せになれる。

船というのは、
荷物をたくさん積んでいないと、
不安定でうまく進めない。
同じように人生も、
心配や苦痛、苦労を背負っている方が
うまく進めるものである。

笑うことが多い人は幸福であり、
泣く事が多い人は不幸になる。

他人の欠点や愚行を自分から探すような人は、
間違いなく不幸になる。

誰もが自分の視野の限界を、世界の限界だと思い込んでいる。

95:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:05:09.56 O6sY2uta.net

読書は他人にものを考えてもらうことである。
本を読む我々は、
他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。
習字の練習をする生徒が、
先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。
だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。
読書にいそしむかぎり、
実は我々の頭は、他人の思想の運動場にすぎない。

紙上に書かれた思想は、
砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない。
歩行者のたどった道は見える。
だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、
自分の目を用いなければならない。

人生の幸福にとっては、
われわれのあり方、つまり人柄こそ、
文句なしに第一の要件であり、
最も本質的に重要なものである。

人は、その生涯の最初の四十年間において本文を著述し、
続く三十年間において、これに対する注釈を加えていく。

大切なのは、普通の言葉で非凡なことを言うことである。

私達は持っていない物について、
常に思いを張り巡らせるが、
一度手に入れると興味を失う。

天才というのは知性によってではなく、狂気によって生まれる。

人生というものは、通例、裏切られた希望、挫折させられた目論見、
それと気づいたときにはもう遅すぎる過ち、の連続にほかならない。

幸福な結婚など滅多にない。
それは主目的が現在の当事者ではなく、将来の世代にあるというのが、
そもそも結婚の本質だからである

女性は精神的近視である。

名声は得るのは難しいが、維持するのはやさしい。
この点で名声は名誉と反対である。
名誉は一度でもくだらぬ行為をすれば失われて二度と回復できなくなる

96:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:06:21.17 O6sY2uta.net

宗教は蛍のようなもので、
光るためには暗闇を必要とする

生きていくために最も大切なのが健康であり、
次いで、生活を支える手段、つまり安心して使える収入である。
これに引きかえ、名誉、栄光、位階、名声などは、これらの本質的財産と競争できない

才知に富む人間は、隠遁閑居を好む、
ことに精神的に優れた人であってみれば、いっそ孤独すら選ぶ

後世まで轟く名声は、種子から始まってゆっくりと成長していく樫の木に似ている。
一方、はかない名声は一年間ですぐ成長する植物であり、
誤った名声にいたっては、素早く伸びて、いち早く滅び去る雑草の類である

俗物は精神的な欲望を持たず、肉体的な欲望だけを持っている

人生をうまく切り抜けるには、先を見越すことと、大目に見ることの二つが効果だ。
先を見越す細心さがあれば、損失や損害を防ぐことができる。
大目に見る寛容さを持てば、争いから逃れられる

人間は、独りでいる間だけが自由である

私は依然として独りであった。しかし私は正直に云う。これは私の悪い故ではない。
その精神と心情とにおいて人間と云い得る人ならば
私は決して排斥もせず、避けもしなかったのである

孤独はすぐれた精神の持ち主の運命である

思ったことをすぐに話したり、人の言うことを鵜呑みにしたりしてはいけない。
むしろ、道徳面でも教養面でも、他人の言葉には多くを期待しないほうがいい

人々がふつう運命と言っているものは、たいていは自らまいた種のことである

人の意見には反論しないほうがよい。
変なことを信じている人の考えを変えようとしたら、何年経ってもケリがつかない。
人の感情を害するのは簡単だが、人を矯正するのは、相当難しい

この男が朗らかな人間だとすれば、
若いか年取っているか、貧乏なのか金持か、などということはどうでもいい。
要するにこの男は幸福なのだ。

何事も、成功までには3段階ある。
第一段階、人から笑い者にされる。
第二段階、激しい抵抗と反対にあう。
第三段階、それまで、笑いものにしたり、反対したりした人達がいつの間にか、
『そんなことはわかっている』と同調するようになる

97:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:06:51.72 O6sY2uta.net

低級な頭脳の人間は、手当たり次第に何でもかんでも取り上げて、
乱痴気騒をしては、その場を凌ごうとする

気取った文体で書く者は、ごてごて飾り立てる者に似ている。
ジェントルマンはどんなに質素な身なりでも恐れない。
気取った文体は、凡庸な脳みその証である

われわれの接触する人間の大多数は道徳的には悪人、
知的には愚鈍か頭が狂っているから、
社交は危険な、むしろ有害な傾向の一つである

大衆に大受けする本には、手を出さないこと。
愚者のために書く連中は、いつの時代も俗受けするのだと達観すること

一生の終わりごろは、人が仮面舞踏会の終わりに仮面を取るのと似たようなものだ。
自分が一生の間、接触してきた人たちが、本当はどのような人間であったか、
今となっては明らかとなる

そうだ。勇敢に生きろ、そして勇ましく胸を張り、運命の打撃に立ち向かえ

私が、実際見出した者は役にも立たない奴か、
頭の悪い男か、心根のよくない、趣味の下等な者より他になかった。

孤独は、幸福と平静な気持ちの、源泉であるから、
孤独に耐える修行をすることを、若いころの主要な研究科目のひとつとすべきであろう

評論雑誌は、誠実で清廉潔白、まれにみる知識と
比類なき判断力を兼ね備えた人物によって書かれたものであらねばならない

だまされて失った金銭ほど、利点の大きな使い方はない。
そのお金で、用心深さを買ったということだから

文体とは、人の心が外に現れたものである。
その人の外見よりも正確にその人を映し出している。

すべての享楽と、すべての幸福とは消極的なものだが、 労苦は積極的なものだ

普通の人々は時間をつぶすことに心を用い、
才能ある人間は時を利用することに心を用いる

名声は長つづきするものであればあるほどそれだけ遅くやってくる

98:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:07:20.39 O6sY2uta.net

天才は、何者にも妨げられず自分を相手とし、
自分の思想と作品とを事することが痛切な欲求となり、自由な余暇を財産とする

人生には正真正銘の本質的な価値などない。
人生はただ、欲望と幻影によって動きつづけるだけだ。

安定していないこと。それこそが世界がここにこうして存在するときの定まった形なのだ。

過ぎたことに腹を立てたり、未来のことを心配したりして、
せっかくのよい現在のひとときをしりぞけ、
あるいは軽率にもこれを台なしにするのは、全く愚かな話である

誰かが嘘をついていると疑うなら、信じたふりをするがよい。
そうすると彼は大胆になり、もっとひどい嘘をついて正体を暴露する。

独創的で非凡な、場合によっては不朽でさえある思想を抱くためには、
しばらくの間世界と事物に対して没交渉になり、
まったく新しい未知の姿で現れてくるようにせよ

虚栄心の強い人にご忠告申しあげるが、
たとえどんな素晴らしい話がおできになるにしても、
話をするよりはずっと黙っておいでになったほうが、
あなたの得ようとする他人の評価は、はるかに得やすくもあり、
またそのほうがずっと確実に得られるとしたものである。

金持ちに不幸な思いをしている人が多いのは、
精神的な仕事をなしうる興味を持ちあわせていないから。

誰も人様をほめるのは、自分にもそれができる見込みがあると思う範囲に限られる

私は、私の全生を通じて恐ろしく孤独を感じた。
そして常に嘆息して云った。今、私に一人の友を与えよと。願いは無駄だった。

アリストテレスが表明した
「賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求める」という命題が、
処世哲学の最高原則だと考える

ほとんど丸一日を多読に費やす人間は、次第に自分でものを考える力を失っていく。

人は通常、金を貸すことを断ることによって友を失わず、
金を貸すことによってたやすく友を失う

天才は過度の神経力、精神的感受性によって生まれる

99:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:08:16.73 O6sY2uta.net

自分の欠点に気づくには、その同じ欠点を他人が持っているのに気がつき、
それを心の中で非難・批判するのが適切なやり方だ。
自分を矯正するには鏡が必要となる

健康な乞食は、病んだ国王よりも幸福である

種類のいかんを問わず、自己の特技を、
何ものにも妨げられずに発揮できることこそ究極の幸福である

低級な頭脳の人間は、手当たり次第に何でもかんでも取り上げて、
乱痴気騒をしては、その場を凌ごうとする

医者は人間の弱い面だけを見て、法律家は人間の悪い面だけを見る。
さらには宗教家は人間の馬鹿な面だけを見る

人間の幸福の二つの敵は苦痛と退屈である

精神的に貧弱で、下等な人間であればあるほど、それほど社交的だということが知れる

煩悩に動かされなければ、退屈で味気ない。
煩悩に動かされれば、苦痛になる。
それ故、有り余る知性を与えられた人だけが、幸福な人間になる


音楽とは、世界がその歌詞であるような旋律である。

愚鈍な人間は、ひとりになると社交よ、芝居よ、遠足よ、娯楽よと、
ひっきりなしに目先が変わっても、死ぬほど辛い退屈は、凌ぎがつかない

天才は平均的な知性よりは、むしろ狂気に近い。

真理はむきだしのままが最も美しい。
表現が簡潔であればあるほど、深い感動を与える。
そうすれば、聞き手は雑念に惑わされずに、スッと真理を受け取ることができる

俗物は精神的な欲望を持たず、肉体的な欲望だけを持っている

富は海水に似ている。
飲めば飲むほど、のどが渇くのだ
名声についても同じことが言える

男同士は本来、互いに無関心なものだが、女は生まれつき敵同士である。

100:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:08:38.97 O6sY2uta.net

人が誇りを持てるのは、自分には卓越した能力と
特別な価値があるのだという揺るぎない確信を得たときだけである

人間は苦悩に満ちた世界に住んでおり、ここから逃げ出すには、
おのれの全存在を無限にきびしく否定すること、
すなわち現実の否定、克服しかない

匿名批評家の愚かしくあつかましい言動は、
国王のように「われわれ」と一人称複数形で話すことだ。
一人称単数形にするばかりでなく、「小生」という縮小詞を用いるべきだ

芸術の唯一の起源は理念の認識であり、芸術の唯一の目標はこの認識の伝達である。

人間が完全に融和できるのは、自分自身を相手にしたときだけである。
友とも、恋人とも完全に融和はできない。

才知に富む人間は、隠遁閑居を好む、
ことに精神的に優れた人であってみれば、いっそ孤独すら選ぶ

大多数の人々は主観的であるため、自分自身以外のものには一切関心がない。
したがって、すべてについて自分自身に関連づけて考える。
個人的に関わりがあれば、彼らの注意をひき、とらえて離さない。
彼らの利益や虚栄心に反すれば、間違っていると見なされる

生きていくために最も大切なのが健康であり、
次いで、生活を支える手段、つまり安心して使える収入である。
これに引きかえ、名誉、栄光、位階、名声などは、これらの本質的財産と競争できない

物書きには、テーマがあるから書くタイプと、書くために書くタイプの二種類がある。
第一のタイプは思想や経験があり、それは伝えるに値するもの。
第二のタイプはお金が要るので、お金のために書く。書くために考える

天才は、何者にも妨げられず自分を相手とし、
自分の思想と作品とを事することが痛切な欲求となり、自由な余暇を財産とする

他人はなるべく賞賛したくないから、
自分で自分を賞賛する心境に達した人が幸福なのだ

大がかりな事物に取り組む学問は、なかなか最終目標に達することができないが、
芸術はいたる所で目標に達している。なぜなら芸術は特定の対象を世界の奔流から取り出し、
この個物だけを単独に分離して取り組むからだ。芸術は個物によって表現される

幸福な生活とは何かと言えば、
生きていないよりは断然ましだと言えるような生活のことである、
とでも定義するのが精一杯であろう

101:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:09:00.35 O6sY2uta.net

世間でいわれている幸福は、これに先だって、苦しみや欠乏があり、
また幸福を得た後も、後悔、苦悩、虚しさ、飽満の感覚につきまとわれるものだ

人間は苦悩に満ちた世界に住んでおり、ここから逃げ出すには、
おのれの全存在を無限にきびしく否定すること、すなわち現実の否定、克服しかない

女たちの虚栄心は、たとえ、それが男たちの虚栄心より大きくない場合でも、
全く物質的な事物、すなわち、自分を美しく飾ることとか、
ついでは、浮華、贅沢、壮麗といった面に熱中する悪癖がある。

種類のいかんを問わず、自己の特技を、
何ものにも妨げられずに発揮できることこそ究極の幸福である

たいていの人は、人生を振り返ってみたとき、
自分が一時しのぎの連続で生涯を暮らしてきたことを発見する

天才は過度の神経力、精神的感受性によって生まれる

幸福に寄与する道は、名誉欲という動機を理性的に見て、
妥当と肯かれる程度までに、引きさげることだ

私たちの抱える苦悩のほとんどは、他人との関わりから生じるものである

睡眠は死からの負債である。睡眠は生命を維持するために、死から借りるものである。

すぐれた文体であるための第一規則は、
「主張すべきもの」があること。これさえあれば、やっていけるのだ

どういうところか少しも知らずに紛れ込んだ難所が、私達の生である。

われわれが生きていて喜びを感じるのは、
何かに向けて努力・追求している時か、純粋に知的活動をしている時だけである

我々の視野、活動範囲、交際範囲が狭いほど、我々の幸福は大きくなる。
それらが広いほど、我々は煩わしく、また不安に感じる度合いが大きくなる。
なぜなら、それらは心配、願望、恐怖が増大し広がるからである。

高潔な人格と優れた精神の持ち主は、若い時に、
世渡りの知恵や人間についての知識に欠けていることを
さらけ出してしまうことが多く、だまされたり、迷わされたりしやすい。
それに対して、平凡な人間は、ずっと早く、巧みに世の中に順応する

自然は、獅子には爪と歯とを、象には長い牙を、
猪には短い牙を、牛には角を、烏賊には水を濁らす墨汁を与えたように、
女性に対しては、自己防衛のために、「いつわる力」を与えて、武装させたのだ

102:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:09:27.22 O6sY2uta.net

人生は苦痛と退屈のあいだを、振り子のように揺れ動く

凡人の脳みそは、どれもこれも似通っている。
全員、一つの同じ鋳型からつくられている。
同じ場面に遭遇すると、誰もかれもがまったく同じことを思いつき、
さらに各人のさもしい魂胆が加わる

俗物には俗物なりの虚栄心がある。
金や位階、権威や威力などで他人を凌ぎ、それによって他人に
尊敬されたいという虚栄もあれば、同じ俗物の中でも傑出した奴と付き合って、
虎の威を借る狐のような気分に浸る虚栄もある

強い人間は自分の運命を嘆かない

才知に富む人間ならば、ひとりぼっちになっても自分の持つ思想や、想像に慰められる

睡眠は死からの負債である。睡眠は生命を維持するために、死から借りるものである。

内面の空虚から生ずるのが、社交や娯楽や遊興や奢侈を求める心。
これらのために多くの人が浪費に走り、やがて貧困に落ちる。
こうした貧困を最も安全に防ぐ道は、内面の富、つまり精神の富である

単なる学者が天才を見る態度は、我々が野兎を見るがごときである。
けだし、死んで初めて調理し味食しうるからである。
だから、天才が生きている間に学者がなすべきことは、
それに向かって矢を射ることだけである。

大がかりな事物に取り組む学問は、なかなか最終目標に
達することができないが、芸術はいたる所で目標に達している。
なぜなら芸術は特定の対象を世界の奔流から取り出し、
この個物だけを単独に分離して取り組むから。
芸術は個物によって表現される

人生とは元来、不安なものである。この不安の闡明に一生を懸けても惜しくない

われわれは、暖かさを求めて、無意識にストーブや日向に近づくように、
心地よい優越感を与えてくれそうな相手に接近する

過ぎたことに腹を立てたり、未来のことを心配したりして、
せっかくのよい現在のひとときをしりぞけ、
あるいは軽率にもこれを台なしにするのは、全く愚かな話である

103:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:09:46.32 O6sY2uta.net

個々の人間にあっては、隠退と孤独への傾向の増加は、
つねにその人間の知的価値の程度に応じて生ずる

私は一介の案内者にすぎない。
人生の答えは、各自が古典や東洋の宗教をひもといて見つけてほしい

礼儀正しさが人の本性に訴えかける働きは、熱がロウに伝える働きのごとし。

あきらめを十分に用意することが、人生の旅支度をする際に何よりも重要だ。

人間は、独りでいる間だけが自由である

人生の情景は、粗いモザイク画に似ている。
この絵を美しく見るためにはそれから遠く離れている必要がある。
間近にいては、それは何の印象も与えない。

強姦によろうと結婚によろうと、
神の目から見れば子供を産むという同じコースでしかない。

世界はまさしく地獄にほかならない。
そして人間は一方ではそのなかでさいなまれている亡者であり、
他方では地獄の鬼である。

富籤を全部一手に買いしめるような人は、
否応なしに非常な損失を蒙らざるをえない

人の社交本能も、その根本は直接的な本能ではない。
つまり社交を愛するからでなく、孤独が恐ろしいからである。

過去の幸せを思い出し数えれば幸せになれる

だれでも「賢者を認めるには、それだけの賢さがなければならぬ」という
クセノパネスの言葉を思いだして、ひとさまをほめることで自分のほまれにしようとする

無知は富と結びついて初めて人間の品位をおとす。

人生とは無意味な悪の連続である。

結婚するとは、彼の権利を半分にして、義務を二倍にすることである。

104:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:11:21.94 O6sY2uta.net

ある人間の状態をその幸福によって、評価しようとするならば、
彼、彼女を満足させるような事柄ではなく、
彼、彼女を悲しませるような事柄を尋ねるべきである 。

学者とは書物を読破した人、思想家、天才とは人類の蒙をひらき、
その前進を促す者で、世界という書物を直接読破した人のことである。

105:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:12:06.60 O6sY2uta.net

恵み豊かに夢みる小児期、歓喜に溢れた青年期、
労苦に充ちた壮年期、肉体はくずおれ往々にして悲惨な老年期、
死病の責苦、そして最後に断末魔の苦悩、
―まるで、現存在は何かの錯誤なので、
この錯誤の諸々の帰結が徐々に、そしていよいよ明らさまに、
曝露されていくのででもあるかのように見えはしないか
アルトゥール・ショーペンハウアー  『自殺について』より

106:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:12:25.59 O6sY2uta.net

自発的にこの世から去っていったような知人や友人や親戚をもっている人はいるか。
これらの人達を一体誰もが犯罪者に対するような
増悪の念をもって回想しているとでもいうのだろうか。否、断じて否!

僧侶どもが一体如何なる権能によって、
我々の敬愛する多くの人達がなした行為に対して犯罪の刻印をおしたり、
また自発的にこの世を去っていく人達に対して名誉ある埋葬を拒んだりするのか。
僧侶どもに弁明を要求すべきである。という意見を有している

自殺を非難する通俗的な論拠を冷静に反駁している書物が、
まるで詐欺でもあるかのように忍び歩きを余儀なくさせられ、
挙句、外国において庇護をうけるにいたったことは我が国の大いなる恥辱だろう

107:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/02 18:12:45.15 O6sY2uta.net

誰でも次のような悔いに悩まされたことがあるかもしれない。
自ら思索をつづけ、その結果を次第にまとめてようやく探り出した一つの真理、
一つの洞察も、他人の著した本をのぞきさえすれば、
みごとに完成した形でその中におさめられていたかもしれないという悔いである
けれども自分で獲得した真理であれば、その価値は書中の真理の百倍もまさる。
ここでゲーテの言葉を引用する。
「汝の父祖の遺せしものを、おのれのものとすべく、自ら獲得せよ」
自説を保証する他人の権威ある説を学び、そして自説の強化に役立てるように

以上、ショーペンハウアー

108:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:28:39.33 rNPLCH7D.net

世間普通の人たちは、難しい問題の解決にあたって、
熱意と性急のあまり、権威ある言葉を引用したがる。

自分の心の奥底にある考えだけが、真実と生命を内に秘めている。
人間が本当に完全に理解できるものは、これしかないからである。

人は、ある種の外的活動を必要とする。
なぜなら、内側は不活発だからである。

女性はすぐれた才能の持ち主となることはできようが、
しかし天才の持ち主とはなれない。
なぜなら、女性は常にどこまでも主観的なものだから。

礼儀は賢いことであり、非礼は愚かなことだ。
非礼を不必要に気ままに行うことによって敵をつくることは、
わが家に放火すようなものだ。

いかなる財産も、ちょっとしたチャンスに手に入れたものである。

我々はすでに持っている物についてはたまにしか考えないで、常に欠けている物を考える。

人生は、幼年期には遠くから見た舞台装飾に、老年期には間近に見た舞台装飾に似ている。

読書しているときは、我々の脳はすでに自分の活動場所ではない。
それは他人の思想の戦場である。

他人の考えを読み取ることは他人の食べ残しを食べるようなもの、
他人の脱ぎ捨てた衣服を着るようなものだ。

老年の歳月における人生は、悲劇の第五幕に似ている。
人間は悲劇的な最後が近いことは知っているが、
それがいかなるものであるかは知らない。
ショーペンハウエル

109:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:29:00.89 rNPLCH7D.net

精神の豊かな人は、まったくの孤独の中でも、
おのれひとりの想念や幻想にすばらしい楽しみを見出すことができるが、
愚か者の場合は、社交、観劇、遊山、宴会などが
入れ替わり立ち替わり絶えることなく続いても、
死ぬほどの退屈から彼を防ぐ手立てはないのである。

善、すなわち一切の幸福と一切の満足とは消極的なものである。
言いかえれば、それは単に欲求が鎮まり、苦痛がやんでいるということにすぎない。

信仰の強制は、不信仰を喚起するだけである。

時は、時をよく用いる者には親切である。

礼節とは、道徳的にまた知的に貧弱な互いの性質を
互いに無視し合いながら、非難しまいという暗黙のうちの協定である。

軽信というものは、善良に生まれついた人に具(そな)わる特徴である。

障害と闘って勝つことが、人間を幸福にするのだ。

泣くことは自分自身に対する同情である。

はなはだしい災難は別にして、善悪いずれの場合にも、
重大なのはその人にどんなできごとが起こったかということより、
その人がそのできごとをどう受け止めたか、
つまり、さまざまな観点から見たその人の感受の仕方や度合いである。

なんびとにもせよ、まったく突如として、人は生きているのである。

我々の肉体が衣服に包まれているように、我々の精神は虚偽に包まれている。
ショーペンハウエル

110:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:29:16.59 rNPLCH7D.net

真理はむきだしのままが最も美しい。
表現が簡潔であればあるほど、深い感動を与える。
そうすれば、聞き手は雑念に惑わされずに、スッと真理を受け取ることができる。

我々は朝を生の本質と見、これを神聖に扱わなくてはならない。

三種の貴族がある。
1.血統と位階の貴族、
2.財力の貴族、
3.精神的貴族
が、すなわちそれである。

逆境における友というものは、果たして稀であろうか。
反対である。誰かと友情を結ぶや否や、その人は苦境にさいして金を借りたがる。

天才は自分の実生活にかけては大抵、不器用極まりない。

知的でない楽しみはすべて低級である。
その目的が何であっても、行きつくところはすべて、
願望、期待、懸念、達成などへの欲望である。

悪書を読まないことは良書を読むための条件である。

重要な思想を誰にでもわからせるように表現するほど難しいことはない。

男性の愛情は、彼が肉体の満足を得た瞬間から急降下する。
ほかの女はすべて、征服した女より多くの魅力をもつように思われて、
彼は心変わりする。それに反して、女性の愛情はこの瞬間から増大する。

不道徳行為を望むのは、大きな誤謬の永続を望むことである。

普遍的な真理に対して人がいかに無関心でも、
個別的な真理に対しては実に執着が強い。
ショーペンハウエル

111:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:29:45.90 rNPLCH7D.net

何故女が不幸に対して男より深い同情を示すかといえば、
推理能力に弱みを持っているからである。

宗教は無知の子供であり、その母より永くは生き延びることが出来ない。

信仰は愛のようなもので、強制することはできない。

憐憫はあらゆる道徳律者の基準である。

どのような運が降りかかろうと、喜びに浮かれることのないように、
悲しみに暮れることのないように、万物は流転し、
そして運もまた、いつ変わるとも知れないのだから。

良書を読むための条件は、悪書を読まないことである。

世論は振り子の運動の法則に従う。

時間は上手く用いるものには親切である。

金銭は、人間の抽象的な幸福です。
だから、もはや具体的に幸福を享楽する能力のなくなった人は、
その心を全部、金銭にかけるのです。

われわれのすべての災禍は、
我々がひとりきりではいられないことに由来する。

善、愛、高潔な心を動かしやすい行為や愛の業を行わせることができるのは、
つねにただ他人の苦悩に対する認識にほかならない。

人間は孤独であるかぎり、彼自身であり得る。
ショーペンハウエル

112:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:30:14.33 rNPLCH7D.net

人間の嫉妬は、彼らがみずからいかに不幸に感じているかを告げるもので、
彼らが他人の行為に絶えず注目しているのは、
彼らみずからが退屈していることを示すものだ。

未だかつて、自分は本当に幸福だと感じた人間は一人もいなかった。
もしそんなのがいたら、多分酔っぱらってでもいたのだろう。

悲しみのほぼすべては他人との関係から生まれる。

卑しい人たちは、偉人の欠点や愚行に非常な喜びを感じる。

熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものになる。
食べ物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。

幸せを数えたら、あなたはすぐ幸せになれる。

読書で生涯を過ごし、さまざまな本から知恵をくみとった人は、
旅行案内書をいく冊も読んで、ある土地に精通した人のようなものである。

人はなんでも忘れることができるが、
自分自身だけは、自分の本質だけは忘れることはできない。

知は力なり―とんでもない。
きわめて多くの知識を身につけていても、少しも力を持っていない人もあるし、
逆になけなしの知識しかなくても最高の威力をふるう人もある。

虚栄心は人を饒舌にし、自尊心は沈黙にする。

人々は閑暇を犠牲にして富裕を得る。
だが、富裕は自由な閑暇があってこそはじめて望ましいものとなる。
富裕のために自由な閑暇を犠牲にしなければならないならば、私にとって富裕が何になるだろうか。
ショーペンハウエル

113:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:30:33.51 rNPLCH7D.net

すべての人間は、他人の中に鏡を持っている。

多く笑う者は幸福であり、多く泣くものは不幸である。

人生の幸福にとっては、我々のあり方、すなわち人柄こそ、
文句なしに第一の要件であり、最も本質的に重要なものである。

世界は悲惨な者にとってのみ悲惨であり、空虚な者にとってのみ空虚である。

求めていた対象を、はじめに辿った道では見つけえなかったのに、
全く別な道で見つけることも少なくない。

真理はそのままでもっとも美しく、
簡潔に表現されていればいるほど、その与える感銘はいよいよ深い。

名誉は、外に現れた良心であり、良心は、内に潜む名誉である。

永遠は一瞬の中にある。

人間は、自分の頭脳や心を養うためよりも何千倍も多く、
富を得るために心を使っている。
しかし、私達の幸福の為に役立つものは、
疑いもなく人間が外に持っているものよりも、内に持っているものなのだ。

世間普通の人たちは難しい問題の解決にあたって、
熱意と性急のあまり権威ある言葉を引用したがる。
彼らは自分の理解力や洞察力の代わりに他人のものを動員できる場合には心の底から喜びを感ずる。

書物を買い求めるのは結構なことであろう。
ただし、ついでにそれを読む時間も、買い求めることができればである。

自分でおこなった貴重な省察は、できるだけ早く書きとめておくべきである。
ショーペンハウエル

114:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:30:57.09 rNPLCH7D.net

推理する能力を持っている人はたくさんいるが、
判断する能力を持っている人は少ししかいない。

もっとも美しい思想でも、書きとどめておかなければ
完全に忘れさられて再現不可能になるおそれがあり、
最愛の恋人も結婚によってつなぎとめなければ、
我々を避けてゆくえも知らず遠ざかる危険がある。

凡人はただ時を過ごすことだけを考え、才能を持った者は、時を活用することを考える。

わたしたちがごく幼い時分、わたしたちを育て、
ものを教えこむのに、女が全く適役であるのは、
女というものが、みずからも、子供っぽく愚かしくて、
そのうえ、身近の物ごとだけを見ている、
いわば、一生、大きな子供であるからである。

最大の愚挙は肉欲の充足や一時的な快楽、金儲け、昇進、勉学、名声のために、
おのれの健康を犠牲にすること。健康第一、他のことはむしろないがしろにすべきである。

生存中に同時代の人々の感謝を受けたいと思う人は、
その時代と同じ歩調であゆまなければならない。
ところがそうすれば決して偉大な仕事はできない。
だから何か大事業を志す人は、目を後世に向け、後世のために自分の作品を仕上げなければならない。

人に対しては、寛大すぎても優しすぎてもいけない。
交際上の優位を持つには、他人を何ら必要としないこと、
そしてそういう素振りを見せること。

優秀な人間は誰しもある種の人間嫌いの感覚から自由になれないだろう。

天才は過度の神経力、精神的感受性によって生まれる。

愚か者は100人束になっても、1人の賢者に及ばない。
ショーペンハウエル

115:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:31:53.49 rNPLCH7D.net

男たちが、長い間の勤労と大いなる辛苦をかさねて、やっと築き上げた財産も、
女どもの手に渡ると、その無知のために、またたく間に蕩尽される。

自己に満足し、自己がすべてであると言うことができれば、
それこそ幸福にとって最も好ましい性質。
幸福は自己を愛する人のものである。

俗物には俗物なりの虚栄心がある。
金や位階、権威や威力などで他人を凌ぎ、それによって他人に尊敬されたいという虚栄もあれば、
同じ俗物の中でも傑出した奴と付き合って、虎の威を借る狐のような気分に浸る虚栄もある。

孤独にされると、愚者はたとえ美服をまとっていても、
自分の貧しい個性の重圧から脱却できず、ただ溜息をつくばかり。
すぐれた素質をもつ者は、孤独な貧しい環境にあっても、
自分の思想を生かして充実した生活をおくることができる。

どのような不幸に際しても、何よりも強い慰めとは、
自分より、もっと不幸な他の人たちを見ることによって得られる。

女性は精神的近視である。

災いを避けることなく、勇敢に災いに立ち向かえ。

賢明な人は、苦痛や不快感から解放されようと努力し、
できるだけ困難に遭遇せずにすむ、静かでゆったりした、つつましい暮らしを求める。

低級な頭脳の持ち主は、退屈を大いに持て余す。

大いなる知性の持ち主は、この世界に生きていても、
本当の意味で、そこに属しているわけではない。
幼い頃から、ほかの人たちと自分がかなり異なっていると感じている。
ショーペンハウエル

116:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:32:50.11 rNPLCH7D.net

うわべだけの文学は、あたふたと駆け抜けてゆく。

男性の間では、愚かで無知な者が、
女性の間では醜い女が一般に愛され、ちやほやされるのがつねである。

才知に富む人間は、何よりまず苦痛のないように、
痛めつけられることがないように努め、安静と時間の余裕とを求める。

女性の性格には、根本的欠陥として、『不正』ということが見出される。
この欠陥は、理性的な判断や熟慮の乏しさに伴って生ずる。

天才は、神経の活動が圧倒的に強烈になっているため、
苦痛に対する感受性が極度に高まっている。

ゲーテも言っているように、ただ苦しみだけが人をいまよりすぐれた境地に高めてくれる。

人間精神の最高級の業績は、冷淡に迎えられ、長い間冷遇される。
やがて高級な精神の持主が近づいてきて、この功績に共鳴し、声価を顕揚する。

女たちには、ある事物についての純客観的な関心をもつ能力が欠けている。

無知で裕福な者は、快楽のためだけに生き、獣同然の暮らしを送る。
この手の人間は、富と余暇を有意義に使っていない点でも非難されるべき。

凡人の知性が個々の人に奉仕する責任があるのに反し、
天才の知性は人類全体へ奉仕する責任がある。
凡人は三分の二が意志、三分の一が知性から成るのに対し、
天才は三分の二が知性、三分の一が意志から成る。

早くから孤独になじみ、まして孤独を愛するところまできた人は、
金鉱を手に入れたようなものだ。
ショーペンハウエル

117:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:34:06.32 rNPLCH7D.net

動物に同情することは、その人の性格の良さと完全に一致している。
動物に残忍な人はけっして良い人ではない。

誇りの中でも最も安っぽいのは民族的な誇りである。
民族的な誇りのこびりついた人間には、誇るに足る個人の特性が不足している。
個人の特性が不足していなければ、
何もわざわざ自分を含めた幾百万の人間が共通に具えている要素に訴えるはずがない。

世間でいわれている幸福は、これに先だって、苦しみや欠乏があり、
また幸福を得た後も、後悔、苦悩、虚しさ、飽満の感覚につきまとわれるもの。

人が、努力を惜しまず、幾多の困難や危険に遭遇しながら、
手に入れようとしているものは、他人からの評価を上げることを目的としている。
地位、称号、勲章はもちろん、富、学問や芸術までもが、
人からの尊敬を得るためのものである。
愚かで、何とも嘆かわしい。

誰も人様をほめるのは、自分にもそれができる見込みがあると思う範囲に限られる。

天才とは客観性を備え、精神に客観的方法をとらせることのできる人物にほかならない。
天才は主観的な自分自身に拘束されることがないので、
意志のままに動かされる凡人とは全く逆の方向をたどる。

だれも、生まれる前の私について何も知らないのだから、
死んだあとの私についても、何も知らなくていい(死の直前の言葉)

女性の狡猾さは、本能的といってもよく、
その嘘つきの傾向を全然なくしてしまうことは出来ない。
ショーペンハウエル

118:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:36:36.18 rNPLCH7D.net

青年期には観察力が、老年期には思考力が強く出る。
したがって、青年期は詩の時期であり、老年期は哲学の時期である。

いま持っている財産は、これから起こるかもしれない害悪と災害に対する防壁と
みなすべきであり、世の快楽を手に入れる許可証とみなすべきではない。

芸術の唯一の起源は理念の認識であり、芸術の唯一の目標はこの認識の伝達である。

謙遜は平凡な能力を持つ人間の場合には、単なる誠実である。
偉大な才能のある人間の場合には、偽善である。

われわれの人間の本性の愚かしさには三つある。
名誉欲と虚栄心と誇りとがこれである。

男同士は本来、互いに無関心なものだが、女は生まれつき敵同士である。

平凡な人たちは、すぐに仲間になるが、優れた人はそうはいかない。
しかし、優れた人たちも、似たところがある相手を見つけると、嬉しくなるもの。

そうだ。勇敢に生きろ、そして勇ましく胸を張り、運命の打撃に立ち向かえ。
ショーペンハウエル

119:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:37:06.61 rNPLCH7D.net

不運が眠っているときには、起こさないようにそっとしておくことだ。
ちょっとしたつまづきなら軽い傷ですむが、
それがもとで転倒してしまうと、致命傷を負いかねない。

もう少し多くを知り、もう少しゆっくり生きよ。

人には労せずしてすべてがうまくいく時期があるかと思えば、
何をやってもうまくいかない時期もある。
どんな人も、つねに賢人でいることはできない。

どんな長所をもった人物も、世間の支持がなければ、石ころだらけの道を歩まねばならない。
善意の衣をほどよくまとえ、他人にあらさがしされることはまずない。
世間はそいういう人の短所は見たがらない。
バルタサル・グラシアン
哲学者

120:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:37:28.11 rNPLCH7D.net

だから覚えておいてくれ、徐々に色あせていくなら、いっそ燃え尽きたほうがいい 
ピース、ラブ、エンパシー  カートコバーン。

7歳の時からあらゆる一般人を憎むようになってしまった。
なぜなら他の人間はあまりにも簡単に他人の感情を共感しあっているから。
なぜなら自分は人間を愛し人にとても気の毒な気持ちでいるからだと思う。

希望と思いやりに溢れたがんばり家の女神を妻に持ち、
かつての自分に良く似た娘は愛や歓びに満ち、
娘に善くしてくれる無垢な人たちみんな誰彼なくキスをする。
そんなことがとりとめがつかないほどの恐怖感を与えるんだ。
フランシスが自分のように惨めで、自棄で、やがて自殺するロック歌手になるなんて想像に耐えられない。

フランシス、コートニー。俺は、これからは祭壇にいるから。
コートニー、フランシスを頼んだ。
俺がいなくなったら、もっともっと幸せに過ごすことができるフランシスの人生のために。
アイラブユー。愛してる。

「ネバーマインド」が子供を育てられるくらい売れることを祈りたいよ。

何かもっとメチャクチャにヘヴィなもの、
だけど同時にメロディアスなものを求めていた。
ヘヴィ・メタルとは違うもの。アティテュードの異なるものをね。

たとえコートニーと俺が離婚するようなことがあっても、
あの娘の前では二人の間に気まずい空気が流れるような状況には決してしない。
その手のことは、子供をダメにしかねないからな。
でも、そうなってしまうのは、親があんまり賢くないのが原因なんだ。

自分はもうずっと長いこと、音楽を聴くことにも、曲を作ることにも、
何かを書くことにも、喜びを感じなくなってしまった。
ステージ裏に戻って、ライトがすべて消え後、熱狂的な聴衆の絶叫をもってしても、
聴衆の愛と崇拝を喜び楽しんでいたフレディマーキュリーが感じたように
喜び楽しみを感じることはできなかった。
フレディマーキュリーみたいにできるのは本当に立派だし羨ましいと思う。
カート・コバーン(アメリカのボーカリスト)

121:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:40:09.65 rNPLCH7D.net

ロックの核心は反体制、反権力だ。
成功した俺にもうロックは歌えない。聴衆を誰一人ごまかしたくない。

気がついたら俺も、他のロックスターがやっているのと、
あるいはやらされているのと同じことをしていた。
つまり、手紙にも返事が書けないし、最近の音楽を把握しておけないし。ほとんど監禁状態だ。
外の世界が、俺にはおよそ異質に感じられるんだ。

自分だってみんなに嘘をつくの嫌だ。ただの一人も騙したくない。
自分が考える最も重い罪とは、100%楽しいのだと嘘をつき、ふりをして、人を騙すこと。
時々ステージに出て行く前にタイムカードでも押しているかのような気分にかられていたんだ。

自分は惨めで、ちっぽけな、何の価値もない、魚座の、救いようもない男。
どうして楽しむことができないんだ。分からない。

人間みんなどこか必ず良いところがある。
だから本当に人が好きだ。あまりにも愛しているので悲しくなってしまうんだ。

感謝しなくちゃいけないだ。だから出来る限りの力を尽くしてがんばってみた。
(本当なんだ、信じて欲しい、それでも足りないんだ)。
自分や自分達が沢山の人達に影響を与え、そして楽しんで貰えた事は重要だと思っている。
きっと全てを失ったときに初めてそのありがたみが分る世界一のナルシストなんだ。
自分はあまりにも繊細すぎるんだ。
子供のころに持っていた熱狂を取り戻すには、
少し鈍感でなければならないのに、あまりにも神経質で感じやすい。
この最後の三つのツアーでは、みんなやファンにはすごく感謝している。
それでもこの不満、罪悪感、感情は解消できなかったんだ。

本当は知性があるのに、最低な人間のように振舞っている奴らのことは
それなりにリスペクトするよ。

俺には女神がいる。夢と共感を勝ち取った妻、
そして俺に、昔の俺ってもんを気づかせてくれる、愛情と喜びに満ち溢れた娘が。
そしてそれが、どうにもならないくらい俺をおびえさせるんだ。

つまらない人間になるほど幸福にはならないようにと願っている。
カート・コバーン

122:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:40:47.30 rNPLCH7D.net

俺が言いたいのは音楽理論なんて時間の無駄だということ。
ドリアンモードなんてセンスが悪いテクニック分析屋のためにあるのさ。自分の音楽を作れよ。

だんだん消えていくくらいなら、激しく燃え尽きた方がましだ。
覚えておいてくれ。消え去るより、燃え尽きた方がいいんだってことを。

日本のライブの警備にはムカついたね。
アメリカでもあんな風にオーディエンスが警備員に殴られることはあるけど、
日本での押さえ方は非常識だよ。
おかげでこっちも気になって演奏しにくいし、本当に最低だったよ。

とにかく速くて、アッという間だった。
どう対処していいかわからなかったんだ。
ロックスター講座なんてのがあったら、受けたかったよ。役に立ったかもしれない。

何でみんな叫ぶんだ?俺たちの中に、みんな何を見ているんだ?

とにかく俺は、そのグランジとやらで気恥ずかしい思いをするのに疲れてしまった。
俺はもうそういうものは越えちゃったんだよ。

俺は本当に暗いガキだったんだ。
毎晩、ある時間になると俺は自分を罵りながら床に就いた。
息を止めて頭を破裂させようとしたこともある。
頭をブッ飛ばせば、みんなが悲しんでくれるんじゃないかと思いながら...。
死にたかった。殺したかった。ブチ壊したかったんだ。

俺達は常にポップな曲を書こうと心がけている。
パンクとポップにそれほど大きな違いはないというのが俺の意見なんだ。

コートニーと俺がそんなにいかれていると思わない。
ふたりとも、いままでの人生に愛を欠いていて、それをもの凄く欲している。
だから、目指すものがあるとすれば、
それはできる限りの愛情をフランシスに与えることなんだ。
それなら悪いことにならないだろう。
カート・コバーン

123:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:41:17.42 rNPLCH7D.net

俺が18でニルヴァーナのファンだったら、
急にポップ・スターになるのは耐えられないぜ。

みんなにとって人とうまくやって共感し合うのがあまりにも容易なことに見えたってだけで。
ここ何年かの君たちからの手紙や気遣いに対して、
俺の焼け付くようにむかむかする腹の底から、ありがとうと言いたい。

練習のしすぎは、砂糖の入れすぎみたいなもの。

他の誰かになりたがることは、自分らしさの無駄遣いだ。

(あなたにとってギターとは?という問いに答えて)死んだ木。

すごく幸せな気分だ。今日僕は友だちを見つけたから。彼らは僕の頭の中にいる。

俺が曲を書くに当たっては、歌詞が最も重要性が低い。
ひとつの曲の中で2度、3度と話が変わることもあるし、
タイトルに至ってはまったく何の意味もなかったりする。

俺はわざと世間知らずのままでいて、俗っぽい情報から自分を遠ざけている。
これがしらけた態度をとらないですむ唯一の方法だから。

バージンのまま死ぬ奴なんて一人もいない。
俺たちはみんな世の中にやられちまうからな。

若者の使命は堕落・腐敗と戦うことだ。

学んだことを基準に、人について判断してはいけないことを知ったよ。
俺には何も判断する権利はないんだ。それが俺の学んだ教訓さ。

聴くことにも創ることにも、もう随分長いこと興奮を覚えなくなっていた。
そういったことに俺は言葉に尽くせぬ罪を感じている。
カート・コバーン

124:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:45:07.36 rNPLCH7D.net

幸せいっぱいになりすぎると退屈だから嫌なんだ。
何か妙なことをやらかす程度に神経が病んだままでいようと思う。

シナリオは繰り返す。言葉によるコミュニケーションは出尽くした。
テレビのコメディも、俺達の会話も台本に過ぎない。

誠実なエンターティナーと、正直な詐欺師を見分けるのは難しい。

俺はあなたの側にも母の側にもついたことはない。
なぜなら、大人になる過程でふたりとも同様に軽蔑していたからだ。

悲劇をありがとう。俺のアートの為にも必要だ。
パンクロックはアートだ。俺にとってパンクは解放を意味する。
俺が状況主義者パンクロックに関して唯一問題だと思うのは神聖なもの全ての完全なる否定だ。

コマーシャルな世界じゃ破壊的になんかなれないさ。
そんなことをしたら、磔にされちまう。逃げようがないんだ。
俺たちはやってみたけど、それで潰されるところだった。

俺の歌詞は矛盾の塊だ。
俺の心の中にある非常に誠実な考えや気持ちと、
もう長年使い古されたありがちなボヘミアン的理想主義に対する辛らつで、
できればユーモアを交えた攻撃との二つにパッキリ分かれている。

人間誰しも長所がある。俺はただ人を愛しすぎるんだ。
愛しすぎて、あまりにも情けない。
情けなくて、ちっぽけで神経質な、歓迎されない女々しい魚座のジーザス野郎に思えてくる。

パンクは音楽的自由だ。
それは、言いたいことを言って、やりたいことをやって、弾きたいものを弾くってことだ。
ウェブスター辞書を引くと、「ニルヴァーナ」とは苦悩・苦痛・外界からの解放とある。
僕が思うパンク・ロックの定義と極めて近い。

未来を覗いて、これから十年先もニルヴァーナの曲がプレイできるなんて言うことは、
俺にはできない。絶対に無理さ。俺は、自分の歳に合わせて曲を変化させたりしたくない。
カート・コバーン

125:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:45:48.09 rNPLCH7D.net

色あせていくくらいなら、いっそ燃え尽きるほうがいい。

俺が考える最大の罪は、自分を偽り、
まるで100%楽しんでるかのようなふりをして、他人をはぐらかすことだ。

俺はスターミュージシャンになる。
そして自殺して、栄光の炎のなかで消滅するんだ。ジミ・ヘンドリックスのように。

俺は多分、独りでないと物事を楽しめないナルシストって奴なんだ。
感受性が強すぎるんだよ。
かつて子供の頃に持っていた情熱を取り戻すには、もう少し鈍感になる必要がある。

俺は常に物事を疑ってみることを知っていた。
人生を通してほとんどの歴史の本とかに書いてあることや、
学校で習うことを信じたことはないんだ。

死ぬのは怖くない。死後には完全な安息がある。
別の人間に生まれ変わることは、俺にとって最も輝かしい希望だ。

ただ派手にやらかして、カッコつけて、女にモテたいがためだけに
バンドを始める奴がいるなんて、俺にはどうしても信じられない。

パンク・ロックの意味するものは、自由であって然るべきなんだ。
自分の好みのものを片っ端から好きになって、受け入れる。
何でも好きなものを、好きなだけ下手に演奏する。
いいもので、情熱が感じられればそれでいいのさ。

ドラッグは時間の無駄だ。記憶や自尊心、自負心にまつわるすべてのものごとを破壊する。

ファンたちにリクエストがある。
もし君らの中に、何らかの形でホモセクシャルや肌の色が違う人、
あるいは女性を嫌っている奴がいたら、これだけお願いしたいんだ。
俺たちに関わるな!ライブにも来るな、レコードも買うな。
カート・コバーン

126:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:46:06.92 rNPLCH7D.net

人生はみじめさ、孤独、苦しみに溢れている。
そしてそれはあまりに早く終わってしまう。

毎年、私は1本の作品を作りますが、
それは喜劇かもしれないし殺人の悲劇かもしれません。
私はひたすら滑稽なわけではなく、完全に悲劇的なわけでもなく、
ただ単に現実的なのだと思います。

実際には、自分の作品が根本的に変わったとは思っていません。
私のコメディには多くの悲哀が見受けられると言う人もいます。

私が最初に愛したもの、それは悲劇です。
イングマール・ベルイマン、テネシー・ウィリアムズ、アーサー・ミラーが好きでした。
喜劇のことは考えてもいませんでした。

人を笑わせることができると気づいた時、この道に駆り立てられました。
皆が私に「退屈にさせないでくれ!」と言ったのです。

"表面的には楽しい瞬間のある本質的な悲劇"なのです。

頭で理解できることに価値はない。

人生には大きく分けて二つの種類がある。一つはひどいもの、もう一つは悲惨なもの。

チャンスに恵まれている人もいれば、そうでない人もいる。
彼らは違う列車に乗って旅をしますが、行き先は同じです。
歳を取り、病気になり、そして死ぬ。全て無に至るのです。

到着し、場所をロケハンし、そこから受けたインスピレーションで変更を加えていく。
私を魅了するものに。これが私の観光の仕方なのです。
ウディ・アレン(映画監督)

127:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:46:34.59 rNPLCH7D.net

とにかくニューヨークには素晴らしい撮影スポットがたくさんある。
生き生きとして、エキサイティングで、神経質な街なんだけど、そこが好きだね。

僕にとっては、ニューヨークそのものがとても想像をかきたてる存在だから、
朝マディソン・アヴェニューを散歩して仕事に行く人々や学校へ行く子供たちを眺めるだけで
たくさんのアイデアがわいてきて、もっとこの街についての物語を語りたくなる。

僕のロマンティックな映画はすべてニューヨークが舞台、
僕は、ニューヨークという都市自体を登場人物の一人だと考えている。

彼女は私の意見に従ったし、彼女にも数多くの意思決定(権)を
ギフトのように与えた。多くの物事を彼女に任せたんだ。

自分には知性というか深さというか、才能がない。偉大なものがないんだ。

殺人は道徳的な面と強迫観念的な側面においてこのテーマを発展させ、掘り下げます。

良心の呵責の念を誇示するのは簡単なことですし、
その上、とても滑稽なことのように描くことも出来ます。
もしこれが別の時代で私自身が演じるなら、この作品は喜劇となったことでしょう。

人生とは愚かな悲劇なのでしょうか?
私たちは常に罪悪感をとともに生きていく運命なのでしょうか?
神は私たちを見捨てたのでしょうか?どうしたら過ちを犯さないで天国に行けるのでしょうか?
私はヴェニスで泊まっているホテルを出た途端、道に迷います。水しかないにもかかわらず…。

二人の兄弟というアイデアに魅了されました。
なぜなら家族の絆はとても強い依存関係を作り出すからです。
彼らは優しい二人の青年ですが、とてつもない頼みごとを持ちかける叔父に
完全に依存しているので、当然そこに悲劇が繰り広げられるわけです。

ドストエフスキー、チェーホフ、彼らは私の人生とともにある魅力的な作家たちです。
彼らが存在について取り組む方法がとても好きなのです。
ウディ・アレン

128:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:53:37.68 rNPLCH7D.net

始めさえすれば、もう八割は成功したのと同じだ。

私はあの世なんて信じない。だけど、着替えと、少しばかりの金は持っていくつもりさ。

時々は失敗することを覚悟できないなら、チャンスもない。

僕は現実が嫌いだ。でもおいしいステーキを食べるのにこれ以上の場所はない。

人生は芸術を手本にしない。質の悪いテレビ番組を手本にするのだ。

成功の9割は、信じる気持ちから生まれる。

恋愛とはサメのようなものだ。常に前進してないと死んでしまう。

恋をすることは苦しむことだ。苦しみたくないなら、恋をしてはいけない。
でもそうすると、恋をしていないことでまた苦しむことになる。

心は、心が望んでいるものを望むんだ。そこにロジックなんてないよ。
誰かと出会って恋に落ちる。ただ、それだけさ。

長続きするたった一つの愛は片想い。
ウディ・アレン

129:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:54:02.08 rNPLCH7D.net

神様は何かわかりやすい啓示をくれるべきだよ!
たとえば、スイス銀行に僕名義でお金を振り込んでくれるとかさ。

もし時々失敗することもないというのなら、
それはあなたがあまり革新的なことをしていないという証拠だ。

もし神様を笑わせたいのなら、君の将来の計画を神様に話してごらんなさい。

時間とは、すべてのことが同時に起きるのを防ぐ、自然の法則である。

世の中には2種類の人間がいる。善人と悪人だ。
安眠できるのは善人のほうだが、
起きている時間をはるかに愉しんでいるのは悪人のほうだ。

人生は悲惨かみじめかどちらかでしかない。

今まで生きてきて残念に思うことのひとつは、
僕が、僕以外の誰か他の人ではないと言うことだね。

自信とは、問題の本質を理解していないときに現れるものだ。

死ぬのは怖くない。ただ事が起こる時、そこに居合わせるのがイヤなんだ。

君にとって僕は無神論者だろう。でも神にとって僕は誠実な反対勢力なのだ。
ウディ・アレン

130:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:54:18.19 rNPLCH7D.net

(自分を一言で説明するとしたら)臆病だね(笑)

これまで訪れたバルセロナ、ローマ、そしてパリすべてが魅力的な都市で、
それぞれの都市からインスピレーションがわいてくるんだよ。

僕はこれまで30作以上もニューヨークで撮影してきたわけだから、
違った環境であれば当然のように刺激を受けるんだ。

パリという都市は究極のアートといえるだろう。
これまで訪れた都市とは全く違った顔を持っている。
見ているだけで目の保養となり、観客は日に照らされたり、
雨の降ったパリの街並みを映画音楽と共に楽しんだりできると思うんだ。
本当に素晴らしい街だと思っているよ!

本来の自分になりなさい。

雨は人を結びつける。家から出られなくなるから、誰かと一緒にいたくなったりする。
恋人たちがいて、ふたりが一緒のときは、いつも雨が降るような映画を撮りたい。

ジャズ・ミュージシャンのルイ・アームストロングに会える機会もあったけれど、
あえて会わなかったよ。僕が偉人たちに会いたくないのは、
彼らも僕らと同じ心配性で欠陥を持っている普通の人々だと気付きたくないからだよ。

(オーウェン・ウィルソンを主役にした経緯は?)完全に偶然の産物といえるだろうね。
僕自身も誰がこの主役に適しているかわかっていなかったんだ。

グルーチョ・マルクスには会ったことがあるけど、
実際に彼に会ったら、それまでの僕が彼に対して抱いていたマジカルな要素が
消滅してしまったんだ。彼を、まるで僕の叔父や家族みたいな
ありふれた存在に感じてしまったんだね。

劇中に登場する偉人たちは、誰もがその習慣や特性を知っている有名人だ。
だから僕らは、単に彼らに似ているだけでなく、
演技もしっかりできる俳優を雇う必要があったんだよ。
偉人たちに似ていて、演技もできる俳優を探し出すのには苦労したし、時間もかかった。
ウディ・アレン

131:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:54:44.20 rNPLCH7D.net

僕は自分のアイドルに会いたいと思ったことがないんだよ。

笑いを伴わない行為の中で、セックスが最も楽しいものだ。

人生は、「酷いこと」と「惨めなこと」に分けられる。
「酷いこと」とはあれだよ、末期の患者とか。それに盲目の人とか不具者とかだよ。
そういった人たちは、どうやって人生を乗り切っているのか。
すごいことだと思う。その他は、すべて「惨めなこと」だよ。
だからもし君が「惨めな人」なら、それは感謝するべきだ。
「惨めである」というのは、運の良いことなのだから。

セックスと愛の違い。セックスは緊張をやわらげてくれる。愛は緊張を作りだす。

最近『白鯨』を読み出したのに、結末を知らずに死ぬのが残念だ。

セックスと死の違いは、死は一人でもやり遂げられるし、
誰もからかったりしないってことだ。

自分が持っていないものじゃなくて持っているものを好きになること。
これが幸せでいる才能さ。

一夜にして成功するには10年かかる。

成功の80%は、人を出し抜いた結果だ。

私は速読のクラスを取り、『戦争と平和』を20分で読んだ。
ロシアについて書いてあったと思う。

ハートはハートが望むものを望むんだ。そこにロジックなどない。
誰かと出会って恋に落ちる、それだけだ。
ウディ・アレン

132:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:55:13.95 rNPLCH7D.net

パリス・ヒルトンのように、有名であることが有名で、
特に何をするわけでもないように見えるが、
おそらく彼女の周りに居ると楽しいのかもしれないね。

絵画、音楽、ダンス、映画など、どんな芸術の形態であれ、
決してパーフェクトにはならない、
いつもそれに向けてトライできるだけなんだ。

ほとんどは(有名になることに)値しない人ばかりで、全く普通なのに、
突如とてつもなく有名になっている。

僕が脚本を書いたことで、ある意味彼ら俳優は無意識に僕のように演じているだけで、
主役を演じている俳優が僕の真似をしているわけではない。
あくまで、僕の書いた言葉とリズムが僕の話し方になっているだけなんだ。

誰もが人間として、自分自身を守るために、死を拒否することは自然な行為だと思う。
ただ、人々は死に関してジョークを言うことがないが、
僕はよく死についてジョークで語ることが多いね。

彼は人に厳しい批評家ではなかった。
特に僕の場合は、彼が影響力のある批評家だったから、
大きな(成功への)手助けになったと思う。彼が(がんの治療であごの)手術をしてからは、
ニューヨークにあまり来なくなったが、昔はよくニューヨークを訪れ、
僕の家にも彼の素晴らしい奥さんを連れてきて、話したことがあった。
彼の死は非常に惜しまれることだろう。

(ここ10年のアメリカの作品で、これが映画芸術だと思えた興味深い作品)
おそらく、マーティン・スコセッシの作品だね。僕は彼の作品一番好きなんだ。

(ロジャー・エバートについて)彼とは仕事を通してずいぶん長い間知人だった。
映画批評家としてはいつも優しい人物で、僕が映画製作を始めてすぐの頃、
僕を勇気づけてくれたし、他の人々(映画関係者)に対しても同様の対応をしていた。

映画製作を終えて、ほぼ良い作品だが満足せず、
次回作でパーフェクトに製作しようとして、
結局それもパーフェクトじゃなくて、再トライすることになる。
ウディ・アレン

133:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:55:45.29 rNPLCH7D.net

人生を通してパーフェクトを追求するが、それを手にすることはできない。
手にすることができないことが、むしろ僕はマジカルだと思っているよ。

確かに僕は毎年映画を製作しているけど、
決して急いで製作しているわけではないんだよ。

もしみんながそろって一番気に入った作品とすれば、
仮に自分の気に入った作品ではなく、
ほかの人たちが気に入った作品であっても同意できるし、話し合うこともできる。

傑作が作れるのなら時間をかけるだろうけど、
実際にはそんな簡単なことではないんだ。

ある人がオーウェンを提案してきたとき、僕は
「彼はカリフォルニアのサーファーみたいに落ち着き払っていて、
ビーチのイメージがあるから違う」と言ったんだよ。
ただ、しばらくしてから、彼には才能があって面白いうえに、
良い俳優でもあるじゃないかと思い直したんだ。

彼は非常に博識な人物だ。僕が予想していた人物とは異なっていたよ。
彼はビーチにいるサーファーというよりは、洗練された知識人だね。

多少は俳優と話すこともあるけれど、ほとんどは俳優とは話さないね。

僕は演技力のある俳優を雇って、彼らに(演技を)任せている。
もし彼らが(演技上で)ミスをした場合には、(その演技に対して)より大げさにとか、
より細やかにとか指示することがあるが、大概良い俳優をキャスティングすれば、
その必要もないんだよ。

今年の春にアジアの諸国を訪れて、(撮影の)可能性のある国を探索しようと思っている。
多くの人々がその可能性について僕に話してくれて、それが楽しみだ。

ベストと決定してしまうと、なかなか僕個人は同意できる作品がないんだよ。

日本にも訪れて、ジャズの演奏をしたいと思っているよ。伝統的なジャズが日本では有名だからね。
ウディ・アレン

134:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 17:56:56.90 rNPLCH7D.net

宝島なんてないと思ってる。子供たちがたくさんいる。
だけど、本当はそう思い込んで世界を狭くしてるだけじゃないのかなあ。
出会えたら素晴らしい人とか、心打たれる風景はたくさんある。
出会う前、見る前に諦めちゃいけない。

あんまり自分がやりたいと思っていることを分析しようと思ったことはないんです。
分析した途端にくだらなくなってくるから。

半分素人の方がいいんですよ。
それは自分が選択して、自分がプロだからやるんじゃなくて、
自分がこれをやりたいと思うから、これをやっているんだという…
やっぱり精神の方が大事なんですよ。

僕は思想家になるよりも、目の前にいる子供たちに
映画をつくってるということが一番大事だと思えたから、
思想家になんかなりたくないですから。
だいたい、僕が言ってるようなことはもっと立派なお坊さんたちが遥か昔から言ってるんです。

一番近いものには厳しくすべきだけども、
遠く離れてやってるスタッフに対しては、配慮を自分でも持っていないとと思うんですよ。
外注はひどいとかね、十把一絡にそういうことをすぐ言う奴がいますけど、
もう大っ嫌いですね、そういう奴は。

半端な仕事はやっちゃいけないですね。それは本当に思います。

商売ってのは、苦労するに決まってるんです。

中小企業は特にそうですね。
なんかやっぱり、みんな同じような待遇で、ちゃんと扱いたいと思ってても、
それができないから、アルバイトにしたり日給月給にしてやってるわけで、
それは申し訳ないなあっていう気持ちがどっかに働かないとやっぱり嫌です。
宮崎駿

135:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:02:21.65 rNPLCH7D.net

才能はたいていの人が持っているんだけど、
才能のあるなしじゃなくて、それを発揮するエネルギーがあるかどうか。

どこか日本の中に深い森があって、そこに入ってはいけなくて、
そこにいろいろな動物がいて、それで散歩道もないんです。
そういう世界が、深い森があるんだよという話が、
親が子供たちに話せるような国ができたらいいなあと、本当に思うんです。

とんでもない才能もっててね、情熱があって、
それで人をちゃんと説得したり、話が通じたり、
コミュニケーションできる能力をもっている。
これがとても大事なことなんです。
コミュニケーションの能力がなくて、才能のある人間はけっこういるんですよね。

次があるとかないとかっていう話はもういいですよ。
それに関しては、天命だと思ってますから。

自分の才能を見極めるっていうのは一番恐ろしいことですから、辛い時もある。
買いかぶるというか、やたらに根拠のない自信を持つ瞬間もある。
その間を揺れ動きながらやるしかない。

つい偉そうに文化人ヅラして「子育ての環境とは」などという発言を
してしまうことがありますが、たいてい誰も聞いていません。
つまり、いくら発言をしてもなんの影響力もないのです。
必要なのは、理念を語ることではなくて実際になにかをやることです。

実写は楽ですからね。
ビールが美味しいでしょ、一日労働するから。
そうするとそれで充実しちゃうんですよ。
どうも実写の人を見てると、そういう感じがするんですよ。
宮崎駿

136:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:02:38.05 rNPLCH7D.net

僕は何かつくりたくなるとか、自己顕示欲とか、見栄とか、
そういう業をいっぱい持っていますから、
自分がこのままとりすまして、いいご隠居になるとは全然思っていないんです。
だけど、なんかやるためには一回自由になりたいですね。

子供っていうのは、可能性の生き物なんですよ。
たくさんの選択肢を、毎日持ってるんです。
大人も実はそうなんですけどね。

自分がそれを好きか嫌いかってこと以外に、
自分がそれをできるか、できないかってことを見極める必要がある。

堀越二郎のご子息とその奥さんが、スタジオを見たいって、
訪ねてきてくれたんですよね。おふたりには感心しましたね。
こんなご夫婦がいらっしゃるんだ、と思って。
会った人みんなファンになっちゃったんですよね。

『風立ちぬ』で色指定をやってくれた保田道世さんはですね、
もうリタイアした人なんですよ。「ちょっと出てきてくれ」「もうあたしはダメよ」
って言ってたんですけど、「骨は拾うから」とかね。
「社葬にするから」とか。これはプロデューサーが言ったんですけど(笑)。

この前、弁当がない日があって。外食しに駅の反対側へ何年ぶりかで行ってみたら、
人の通り方はそっちのほうが少ないから、貧相なんですよ。
だけど同じ色なんですね。自分の町がしょぼくなってんのかと思ったら、
「ああ、日本、同時多発にしょぼくなんてんのかな」と思ったんだけど。

通じない人は何も通じない。もうほんとに無教養ですからね!
歴史的感覚なし!何も知らない!「ダメだこいつら」って。
いや、自分のスタッフのことを言ってるんですよ?
ほんとに無知蒙昧。覚悟も教養もない!なんでしょうねえ、この教養のなさは。

今はっきりしてることは、どういうことになるかっていったら、
東京の半分は外国人になりますよ。ロンドンとかパリがそうなったように。
それで、アジアのEUを作るしかないんです、もう。
そういう方法しかないんですよ、いいとか悪いとかじゃなくて。と、僕は思います。
宮崎駿

137:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:02:54.07 rNPLCH7D.net

日本で子供の数が減ってくのはもう必然だし、
むしろ増えるよりも減って助かったと思ってますよ、僕は。
今増えてたらもっと絶望です。

『風立ちぬ』は幸運な映画です。
庵野が声をやってくれるって言ったことも幸運だしね。
音を、ドルビーやめてモノにしようと覚悟をした時、
プロデューサーも含めてそれでいこうというふうに一致できたのも、幸運だと思うんですよね。

戦争映画では絶対出てこないアングルで描こうと思ったんです。
でも、零戦をどういうふうに描くかっていうのはね、本当に難しいんですよ。
飛行機ものに共通のアングルがあるんです。それから絶対逃れなきゃいけない。

腰痛は自分の脳味噌が原因だと思うと腹立つよね。
「おまえ、脳味噌!何やってんだこの野郎!」
って言うこの僕は一体何物なんだろう?とか、そういうレベルに今、なってますけど。

"破滅に向かって行く時代"を舞台にした「風立ちぬ」を製作することについて、
私の家族からも、自分自身からもスタッフからも疑問が出ました。
それにどういう風に答えるかで作りました。
映画を見ないで論じても始まらないと思いますので、是非お金を払って見ていただけると。

(引退後の予定について語った言葉)
車が運転できる限りはアトリエに通うが、今は休息の時期。
そのうちにやりたいことも出てくると思うが、今の段階では約束すると破ることになるから。

自分で、すぐ自分を許せる人間は、大した仕事をやらない。

他にもやりたいこといっぱいあるんですよ。
仕事っていうのは、離れるとわかった途端に、ものすごく未練が残るものですから。
だから、自分の知り合いたちのリタイアを見てみても、リタイアが下手ですね。
そういうのを見るとね、未練というのは一番みっともないものです。
宮崎駿

138:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:03:08.81 rNPLCH7D.net

人間の目ってのは、ものを見る時に目線が走っていく、
そのほんのわずかな0・何秒の走っていくっていう動体が、
イメージとしてひとつの映像になるんですよね。

もう、僕は朝3時間はリタイア生活してますから。
朝起きてからゴミ拾いに出て、コーヒー飲んで帰ってきて、
家でメシ食って出てくるまでの3時間というのは、作品のことは考えない。ゴミのことを考えてる。

自分も含めて、人っていうのは愚かなんだなあっていう、
人間が考えてるより人間は複雑で、同時にそんなに賢くないんだなっていうことを
うんざりするほど思い知りました。だからといって、
僕は理想のない現実主義者になりたいと思ってる人間じゃないですから、
そういうふうになるつもりは毛頭ありませんけど。

(引退記者会見での言葉)
僕は何度もやめるといって騒ぎを起こしてきた人間なので、
どうせまただろうと思われてると思うんですけど、今回は本気です。

ぼくらが子供のころにみたものや聞いたものをいじくって、
自分たちの味付けで出しているだけです。バトンタッチみたいなもんです。
これを次の世代の人に渡せたらいいですね。

いつの間にか、シャープペンシルで描く中国のアニメーターに
ほとんど依存するような形に日本のアニメーションがなっちゃって、
自分たちはもう、そこに根を下ろすことができないんで。
もうジブリひとり旅に行くしかないっていう。

一人ひとりが立ち止まったら、色が黒かろうが白かろうが、
ボスニア・ヘルツェゴビナにいようが奥尻島にいようが、みんな同じなんだ。
家族のことを思って泣いたり叫んだり。

人間の中に、暴力・攻撃的な衝動というものが、あるんだと思うんです。
それをなくす事は出来ないので、むしろどういうふうにコントロールするかという事が、
人間や人類に課せられた大きな課題だと思うのですけども。
宮崎駿

139:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:03:27.50 rNPLCH7D.net

日本の鉛筆、もの凄くいいんですよ。
もうドイツの文房具なんか遥かに超えてますよ。
でも高いですから、鉛筆は。
「シャープペンシルのほうが地球にやさしい」なんて言いかねないんだけど。
だから鉛筆という材料をなくして未来があるのかっていう話です。

ほんとにみんながわかんなくなったとき、
素っ頓狂なものをやるしかないんですよ。
そういう役割でここに置かれてるんで。だから、わたしはつらいんですよ。

最新流行のものはほとんど見てない。
「好きなことをやってるだけで十分だ」って言って、昔ながらに生きているんですよ。

企画の発端ていうのは思いつきでも何でもいいんですよ。
ただそれに肉付けしていく過程でキチンとやらなくちゃいけないんです。

人もミミズもみな同じというところに、もう一回戻ったほうがいいよ。

人間が貴いと思う、“無私”とか“純粋”というこころの働きは、
そこらにある石ころにもあるものです。
最も人間的なのは“権謀”や“術策”とかで、これは自然にないものです。

意気地なしですよね。みんな善良で、やさしい連中なんだけど、
なんだろう、どうしてこんなに意気地なしなんだろうと。
そういうオス蜂をいっぱい育てた巣箱だったんですね、この日本の社会は。

人間だけが生きるのではなくて、
獣にも木々にも水にも生きる場所を与えるべきなのです。
そういう思想が、かつての日本にはありました。

天災で、どんなに悲痛な思いをしても、
この国の人々はそれでも生き続けようとする力を持っている。
宮崎駿

140:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:03:49.31 rNPLCH7D.net

最近の映画には成長神話みたいなものがあって、
そのほとんどは成長すればなんでもいいと思ってますね。
だけど現実の自分を見て、お前は成長したかと言われると、
僕なんか何かこの60年、ただグルグル回っていただけのような気がするんです。

本を読むから考えが深くなる、なんていうことは
あまり考えなくてもいいんじゃないでしょうか。
本を読むと立派になるかというとそんなことはないですからね。

一人ひとりが自分は何をするかを考える時です。
それぞれができる範囲のことをやればいい。
木を残すことと近所を掃くことは、価値としては同じではないかと思うのです。

もう、とことん考える。ありとあらゆる方向を探るんです。
とことん困ると、奥のほうでふたが開くんです。
そのふたが開くと、最初に考えもしなかった方向が見えたりする。
それでも、一歩進めるんです。

ぼくはいつも目からうろこが落ちたいと思ってるんです。
全然落ちないですけど……。「こんなものみたいんじゃない」って思ってしまう。
だから意地張って頑張ってるんです。
でも、作るたびに「もう引退だ!」とわめいているんですけどね。

ジブリでいつも作業が始まる前に、
掃除をしてくれるおじいさんとおばあちゃんがいるんですけど、
たぶん一番丁寧なあいさつをするのは鈴木さんと僕です。
本当によくやってくれるもんねえ。
「どうもありがとうございます。おはようございます」って言うと、
向こうも「おはようございます」って。ほんとそうなんですよ。
だから、その前を、ボソーッとした顔して耳栓なんかして
音楽なんか聴いてるやつが通るとね、蹴飛ばしたくなるんですよ。
お前たちの国は滅びるぞってね。

部屋で最新式のコンピューターに向かってポコポコやってるところから
クリエイターは出てくるんじゃなくて、
もっと古いものの集積の中から出てくるんだと思うんです。
宮崎駿

141:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:04:12.77 rNPLCH7D.net

世の中で一般的にいっぱい言われているような、
こういうものを訴えたいからとか、というので作品を作ったらくだらないものです。
『命の大切さ』って、だったら『命は大切だ』って書きゃいいじゃないですか。
そういうふうにテーマを簡単に抜き出せるものは、みんな、いかがわしいと思いますね。

理想を失わない現実主義者にならないといけないんです。
理想のない現実主義者ならいくらでもいるんですよ。

僕は思いつめないように、思いつめないようにやってきたんです。
思いつめて、この企画がいま通らないと、僕は生きている甲斐がないなんて思うと、
すぐ生きた甲斐がなくなっちゃいますから。

みんな自分よりバカだと思ったらおしまいですよ。
自分の方が才能があるとか、そういうものの見方で
見る人間っていうのはいますけど、
あるいはなにがなんでも自分のものをやらなければ生きては帰れないとかね、
そういう人間の方が僕が見てる範囲だと伸びないですね。

他人に迷惑をかけないなんてくだらないことを
誰が言ったのか知らないんですけれども、
人間はいるだけでお互いに迷惑なんです。
お互いに迷惑をかけあって生きているんだというふうに認識すべきだってぼくは思う。

人間は決定的なことって言葉で考えたりはしないんです。
「どうして僕は、彼女が好きなんだろう」って考えたりはしない。
そんなことは分析したって無駄なんですよ。

人間だけはつくることできないですからね。場所はつくることができても。

ボクは女性が強い方が落ちつくんですよ。
宮崎駿

142:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:04:28.00 rNPLCH7D.net

日本人の没落というときに、何が一番気になるかといったら、
今後右肩上がりの経済成長が続くとか、
マルチメディアがどうしたとかいうことよりも、
この国にいる子供たちが元気なのかどうかということが、僕は一番気になります。

いまのような、どこに自分たちが行くんだろうと、
自分で考えないとわからない時代が来たときに、
歴史的なことに対する無知とかいうのはいずれしっぺ返しが来る。

幼いときにしこみ過ぎるとだめになるんです。
少年野球のエースが、たいてい肩やヒジを壊しちゃうみたいに、
好奇心そのものを奪ってしまう。

若い人たちは何か作品を作っても
「まあ、それだけのものだ」っていう見きわめをつけてしまってる。
善良だし、ちゃんと働くけど、どこかさめてるんですよね。
でも(そんな時代の境遇に)押し流されたらいけないんです、
絶対に。自分たちのやり方や生き方を見つけないといけないんですよ。

今は、人間の都合のいいものだけが自然だと思われています。
蚊やハエは要らないものだから自然ではない。殺したってかまわないんです。
でも、そのような人間中心主義的な考えは根本的に間違いだと思います。
人も獣も木々も水も、皆等しく生きる価値を持っている。

シータは、田舎娘だから、首なんかもすっごく太くしたんです。
今の子供たちは、お姫さまを登場させると、それだけでひねくれちゃう、
「かわいく生まれていいわね」って。
じゃ、お姫さまなしでやろうと思って。
でも、人間ってキラキラしてると魅力的ですよ。

ボクのキャラは、人間の思いのある一部を取り出したキャラなんです。
メカも、小さなものが好きなんです。
『ヤマト』みたいなバカデッカイコックピットだと、チームワークなんてないでしょ。
宮崎駿

143:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:04:43.14 rNPLCH7D.net

この、なんか、人がボロボロ崩れていくような傾向というのは、
一段と激しく、はっきりしてる。どこに辿り着くか、見当もつかないけど。
どうも人間の世界で起こってることと、自然界で起こってることが連動してるから。
日本だけじゃないんですよね。東アジア全域もすごいし、ブラジルもひどい。

風景を大きな画面でウワァーッと一生懸命描いたところで、
スクリーンに映してみたら、べつに大きく描くことなかったんじゃないかって、
きっと感じるでしょうね。

嘘かほんとうか、ドイツ人に日本人が、
「なんでこんなにみっともなく飛行機をつくるんだ」と聞いたら、
「百姓が乗るものだからこれでいいんだ」と答えたという笑い話があります。
アメリカにもその種の話がありまして、
「カウボーイが乗るのに、なんできれいにしなきゃいけないの?」とかね。

少年時代の堀越二郎の夢に出て来る草原は、空想の世界の草原です。
でも、終わりの草原は現実で、「あれはノモンハンのホロンバイル草原だよ」って
スタッフに言っていたのですけれども。
だいたい今の人はだれもそんな地名さえ知りませんね。
ぼくの想像で描いたホロンバイルですが。

線だけはいまの技術でデジタル化すると、
にじみを掃除してしまうものですから、全然ぼやけないできれいに表示されます。
すると、丸見えになってしまったようで、はっきりわかりすぎて
ちょっとガッカリしたりするんです。
もう少しぼやけてくれた方がいいと保守的な自分は思うんですが(笑)。

堀越二郎の声はずいぶんいろんな候補が出まして、
この人は芸達者だとか、人気があるとか、それこそたくさんの声を聞きました。
ところがどれもこれも納得できなくて選びあぐねていたところ、
ほとんど同時に、鈴木プロデューサーとぼくが「庵野がいい!」って気づいたんです。

堀越二郎はよくしゃべる人間ではないですから、
そうすると、やっぱり存在感が大事なんです。
思い入れたっぷりに演技されるよりも、ボソッとしゃべってくれたほうが
いいんですよね。それで、庵野がいい、と。ほんとによくやってくれました。
宮崎駿

144:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:04:57.87 rNPLCH7D.net

ジブリのスタッフに見覚えのある飛行機を描いてもらうと、
みんな一生懸命描くんですけど、たいがいアメリカ機かソ連機です。
ちょっとした線の違いでどちらかに変わる。ドン臭く描くとソ連機(笑)。
スマートに描くとアメリカ機になるんです。そういう線の違いなんですね。

堀越さんが、靖国神社の遊就館に置いてある零戦の前で、
こっちを向いてにっこり笑っている写真があるんです。
そのときに風防を前から初めて写真で見たんですけれど、
もう度肝を抜かれましたね。これはすごい風防だと。

丘の上で菜穂子が絵を描いているシーンがありますけど、
あれはふつうに描くと人物が荒くなってしまうので、
その部分だけ160%に拡大して、菜穂子だけ大きく描いて、
縮小してはめ込んで精密にするというようなことをやっています。

ぼくはもう剽窃するのは上手な人間ですから。

フレームってぼくらが呼んでいる画面というのは、
横30センチ、縦が18センチぐらいの大きさです。
それ以上大きくなると、手間がもの凄くたくさんかかってしまうんです。
部分的に大きく描いてはめ込むことは、いまの技術なら可能なのですが、
それもやっぱり手間の問題になりますね。

いまのドイツ人もさほど親日的ではないのではないかとぼくは思っているんです。
ジブリにはドイツ人でイタリア国籍を持っている女性スタッフがおりまして。
ぼく、彼女に「ドイツ人は日本人に好感を持っていないだろう?」
って聞きましたら、「よくご存知ですね」ってニッコリ笑いました。

堀越二郎のことを描かないと、かつてのこの国のおかしさは出てこない。
そう考えたんです。けっきょく堀越二郎という人の正体はつかめませんでした。
まあ、つかむ必要もないとも思った。
堀越二郎の評伝をつくったってしようがないと思った。
それで堀辰雄なんです。
宮崎駿

145:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:05:21.06 rNPLCH7D.net

大きく描いたからといって細かな表現が生まれるわけじゃないんです。
むしろ大きく描くと描く人間の注意力も薄くなります。
人間は自分の見える範囲で描いてますから、
小さく描いても大きく描いてもだいたい絵としての密度はおなじということになります。

昔はコピーしてセルにするときに、絵が滲んでモヤモヤしてしまうんですが、
モヤモヤしてしまうおかげで、そこにあるけど見えないだけ、
というような空気を作り出せました。
いまデジタルでやると、滲みなく線がもうピシッとはっきりでてしまう。
点だけ打っていくと、点だけにしか見えないのですよ。

零戦だってぼくは描きたくないと思っていました。
「こんなややこしいもの描けない」って、ずっと思っていましたし、
試写を見ても、やっぱりへたくそだなあって思いました。
ぼくらがやっている精度では零戦は描けないんです。
小さく描いたものが、映画画面でこんなでかくなりますから。

全然傾向が違いますけれども、堀越二郎と本庄季郎という人は
二人とも日本を代表する飛行機設計家だったと思います。
ものすごく合理的なのが本庄さんで、堀越さんはなんかとらえどころがなくて、
そしてカリスマ性がありますね。堀越さんは不思議なオーラを持っている人ですね。

実生活で存在感ある人間のほうがいい声を出すんです。
たとえ下手でも。『耳をすませば』のお父さん役で
評論家の立花隆さんに出ていただいたこともあります。
「娘の部屋に、ノックもしないで入るお父さんなどいるはずがないよ」
とかってシナリオにいろいろ文句をつけていましたけど(笑)。

「不安がるのが流行っているけど、流行に乗っても愚かなる大衆になるだけだからやめなさい」と。
「不安なときは楽天的になって、みんなが楽天的なときは不安になれ」とね。
よくわかんないけど(笑)。

近頃、年をとったせいかぼくなんかもよく
「この国はどうなるんでしょうか」と聞かれるんですよ。
若い人たちはやたら「不安だ、不安だ」と言うんですが、
ぼくは「健康で働く気があれば大丈夫。それしかないだろう」と言い返しています。
宮崎駿

146:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:06:03.21 rNPLCH7D.net

ぼくの親父は戦争に負けたら負けたで、
平気でアメリカ兵と友人になってそいつを家に連れてくるような男でした。
そのときぼくは四歳だったんですが、アメリカ兵が家に来たとき、
日の丸のついているオモチャの飛行機を、隠したことをはっきり覚えているんです。

食い物がなくなったら、ひとは農業をやりますよ。
クマやサルがいっぱい出てくるようなところになっても、
しようがないから、そこで農業をやるようになると思います。

隣に保育園をつくっていちばん得をしているのは、じつはぼくなんです。
どんなに陰々滅々となっても、子どもたちの顔を見ると
「よしッ、気を取り直さなきゃ」と思うんですよ。
「君たちの未来は真っ暗だ」なんて言えませんからね。

年金のために子どもを産まなきゃいけない、なんて発想だけは、
絶対やめたほうがいいですね。ばかげた発想です。
違いますね。年金のためじゃなく、女性は子どもを産んだほうがいいんです。
将来が不安だったら、子どもを抱えたほうがちゃんと生きられると思います。

福島第一原発の事故のときは、あれを支えていた体制が
「旧軍」とちっとも変わっていないかったことに気づいて、
もう、吐き気がしました。

消費生活だけしていたって、ろくなことはないですよ。
そう思いませんか?

戦争前の、ぼくの記憶にない世界は灰色にしか思えなかった。
ところが親父は「いやあ、いい時代だった」って言うんです。
「浅草はよかった」とかって。かつてはこれが信じられなかった。

思うにジャンニ・カプローニという人はルネッサンスの人ですね。
なんて面白い人だろうと感心するんです。
レオナルド・ダ・ヴィンチもいろいろ考えましたが、
つくらなかったものと、つくってもダメだったもののほうが多いですから。
宮崎駿

147:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:06:19.81 rNPLCH7D.net

突然ルーマニアの娘もやって来ました。
『キャプテン翼』というアニメーションを見て日本語を勉強し、
日本語でアニメーションを見たくてこちらに来たとか。
かれらは独学で日本語を喋れるようになったんです。凄いですね。

庵野と出会ったのはもう30年も前のことです。
大阪から出てきたとき庵野は23歳で、ぼくは43歳。ちょうど20歳違いです。
庵野はそのままスタジオに住み込んで『風の谷のナウシカ』の
作画スタッフをやることになりました。
最初見たときは、宇宙人が来たと思いましたよ。

ぼくカプローニっていうおじさんがだんだん好きになってきたんです。
映画では、「これは美しい夢なんだ」と言い、
そのあとで「呪われた夢だ」って言ってもらいました。

日本軍は中国へ行って酷いことをやって、
南方に行っても酷いことをやって、多くの日本の兵隊さんが餓死した。
ニューギニアの餓死寸前だった兵士の手記も読みましたが、
なんというか、つまり、ほんとうに屈辱的だったんです。

アニメーションというのはけっこう不便なものでして、
嘘をついてもいいやと思えるものはいいのですが、
嘘ついたとたんに怒涛の如くいろんな抗議が出てきそうなものは難しいです。

日本のアニメーションが外国に受け入れられているなんていっても、
こんなもので浮かれていたら絶対間違いです。
まして経産省あたりが日本の輸出産業として
アニメーションをどうこうするとか言っていますが、
ぼくははっきり言ってそんなのバカだと思っています。

ぼくらにイタンビューに来たドイツの漫画雑誌の編集者とか
アニメーション関係の連中というのは、ピアスを鼻とか口とかにつけていたり
髪の毛をおっ立てていたりして、来るヤツ来るヤツほぼ全員が、
ドロップアウトしたようなスタイルの連中でした。
映画祭に来るのは概ねへんなやつらです。
宮崎駿

148:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:06:41.84 rNPLCH7D.net

ぼく、『草枕』が大好きで、飛行機に乗らなきゃいけないときは
必ずあれを持っていくんです。どこらでも読めるところも好きなんです。
終わりまで行ったら、また適当なところを開いて読んでりゃいい。
ぼくはほんとうに、『草枕』ばかり読んでいる人間かもしれません。

漱石のいい読者ではないんですけれど。
ぼくは漱石の作品より、漱石そのものが
好きになってしまったと言えるかもしれません。

尾道を歩いてて、あれが『男たちの大和』の撮影現場だってところを見たら
兵員の格好したエキストラが歩いてるんですよ。
全部、ロングから見てもデブなんですよ。
それじゃ海軍なんか表現できっこないじゃない!どうかしてる。
映画ってもう少し、世界に肉迫するものだったんじゃなかったのか。

プロパガンダのためにやるもんじゃないって、僕は思いますよ。
だからね、『風立ちぬ』で自分のことを描いたって言われるとイヤなのは、それです!
僕は自分のことを描いたんじゃない、堀越二郎を描いたんだ。
二郎を取り戻したんです。僕流に取り戻したんです。

日露戦争の挿話はみんなかっこよすぎますからね。
水野広徳の『此一戦』なんかを読んでいても談話話みたいです。

太平洋戦争開戦時の日本の戦艦は十二隻でしたか。
大和、武蔵、陸奥、長門、扶桑、山城、伊勢、日向、金剛、比叡、?名、霧島。
あの城郭型といわれるすごい艦橋は、あれ、役人根性でデカくなったのでしょうね。
あの艦橋の高さは日本海軍がだめになった証拠だと思います。

僕もときどき小狂人になります。

『風立ちぬ』で関東大震災の隅田川を描かなきゃいけなくなったので、
「よしッ、浅草の松屋デパートを描けるゾ!」と思っていたんですよ。
あれが復興のシンボルになるだろうと勝手にイメージしていたら、
時代がずれていたことがわかりましてね。残念ながら描けなかった。
宮崎駿

149:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:09:10.72 rNPLCH7D.net

カーブを描く昔の道で、両側にお茶の垣がある道なんかは、
真横から見たら奥まで見えないんだけど、手前から見た瞬間、奥だけ見える。
動いているので、奥がチラッと見えた瞬間にもう通り過ぎている。
それが脳の中で1本の道として出来上がるんですね、映像として。

原発を再開したい連中は、なんかかんか言いながら再開したがるだろう。
所詮、何も見えていないから。大体、使用済み核燃料が原料だったら
採算上は資産になるけど、あれはものすごい負債ですからね。
負債として認めた途端に全部崩れるわけでしょう?
もう大負債なわけですよ、永代の。

『風立ちぬ』で、僕は僕の堀越二郎を取り戻したと思ってるんです。

毎朝決まった道のゴミ拾いをして、コーヒーを飲みに行く。
それから戻って朝めしを食って同じ道を通ってスタジオに行く。
毎朝ゴミ拾いしてる時に出会うのって同じ人たちですよ。
ほんとは「あなたは何のご職業ですか?」って訊きたくてうずうずしてるんだけど。
「年収はいかほどですか?」とかね。

今、自分は半径20メートルで生きています。映画もテレビも観ない。
盛り場へも行かない。インターネットもケータイも持たない。
自分の観たものだけで世界の気配を感じようとしています。

3・11以降、ペラペラペラペラものを書く人が増えてね、頭くるんですよ。
「黙ってろこいつら!」って。そう思わない?おたおたしてるんですよね。
もっともらしくしゃべってるけど。何をこんなに騒いでんだ、と。

50年もやってきましたからね、アニメーションを。
その時に、身過ぎ世過ぎでアニメーションをやらない、っていうことでやっていくと、
そういう意味では、堀越二郎がどういうふうに生きたかっていうのはね、
どういう姿勢で自分の仕事に取り組むかってことにあてはめて、理解できますよ。

零戦神話はほとんどが嘘の塊です。
宮崎駿

150:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:09:30.83 rNPLCH7D.net

僕は、福島の原発に行かなきゃ行けないと思ってるんですけど。
もう羽交い絞め同然にプロデューサーに止められましたけどね。
「向こうでマスコミが待っててすぐ捕まるから」とか、絶対嘘だと思ったんですけど。
でも、行きますよ。行ってこなきゃいけないと思ってるんで。

ぼくが日本の軍用機でじっさいに見たことがあるのは、零戦の風防だけです。
物置の土間に新品の風防が二つ置いてあるのを見ました。
そのときはなんだかわからなかったんですけど、ピカピカ光っていました。
まだ色も塗っていない新品だったのだと思います。

インターネットの検索による、なんというのか、
コピー文化というようなものがいまの世の中を支配していますが、
どうなのでしょうか。これ、四十年来の謎だったんだというようなことが、
あっさりチョロッと出てくる。で、チョロッと消えていくんですね。

わがまま放題にやらせてもらいました。
やりたいけれどがまんしたってことはないです。
それについてプロデューサーが口を挟んでくることもないし、
「やれるもんならやってみろ」みたいな感じになっていますから(笑)。

ちかごろ画面が妙に明るくなってきたんです。
もう四十年ちかく前に『アルプスの少女ハイジ』というテレビアニメを
つくったのですが、画面の背景はほとんど緑色ですから、
それをバックに赤い服を着たハイジがチラチラ走っていると、
かつてはしっくりと調和して、元気がいい、という印象でした。

いま、橋に照明を当ててその下を屋形船で通るというような趣向もあるようですが、
あの趣向はちょっとどうかな、と思います。

日本橋の風景もなんとかならないものか、と思います。
なんだかヘソのない町になっちゃいましたね。
そのうち将来的に、もしかしたらまた海に戻るんじゃないかと、
ぼくは思ったりもしているのですが。
宮崎駿

151:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:09:48.46 rNPLCH7D.net

じつは就職するときに戸籍謄本を取って見たら、
母親の実年齢がはじめてわかりました。
それと親父の隠された半生が全部あきらかになったんです。
親父にはおふくろとの結婚の前に最初の奥さんがいたということが、
はじめてわかった。しかも学生結婚なんです。

自分の住んでいるところに関心を持てるような映像が
できないかなあと思うんですけどね。
江戸東京博物館なんかも、そういう映像があれば、
一発でわかることがいっぱいあるのに、と残念に思うんです。

新河岸川。この川は荒川の西岸を流れて岩淵水門の先で
隅田川と合流するのですが、江戸のはじめの頃から、
上流の川越から川船が上り下りしていたんです。
その様子をなんとかしてアニメーションにできないかと思って
いろいろ画策したことがあるんです。

「ぼくは火縄銃でいくよ」と宣言して、
いまもコンピュータはまったくやらないんです。
ほんとうに変わってしまいましたね。
まわりに聞くと、みんなテレビなんかもう見ないと言いますし。

父が死んでからしばらくして、
小津安二郎の『青春の夢いまいづこ』という映画を見て呆然としました。
主人公の青年が父そっくりなんです。
この映画を見て、親父は真似したんじゃないかと思うくらい。
アナーキーで、享楽的で、権威は大嫌い。デカダンスな昭和のモダン・ボーイです。

ぼくの親父は秀才では決してなかったと思います。

中国の戦闘機の名前が「殲」幾つといいますね。
殲滅の「殲」です。ぼくは、これはよくない名前だなあと思った。
ナチスのゲーリングが戦闘機に「屠殺機」という名前を使ったことがあるんです。
「殲」だの「屠殺」だのといった名前をつける空軍って……。
宮崎駿

152:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:10:22.17 rNPLCH7D.net

ぼくは飛行機が好きなくせに、博物館に並んでいる飛行機は
なんだか死体みたいな気がしましてね、ぜんぜん興味が湧かないんです。

膨張する中国を横に見て、その大陸とこの原発だらけの列島
をどう共存させるのかという戦略的な視点が必要なのに、
ちっぽけな岩礁一つを巡って、チョッカイを出し合っている様子というのは、
まことにバカげていますね。

映画ができあがって、「これだけお金がかかりました」って
この前数字を見せられて、「ああ~。こんなの回収不能だあ!」って、
ぼくはひっくりかえりそうになったんですけど(笑)。

アニメーションというのは、一定の観客数がいることによって
成り立っている部門ですから、今後は確実にだめになっていくんです。
少なくとも、惜しみなく時間とお金と才能を注ぎ込むような、
そういうアニメーションを作る機会は減っていくと思います。

ぼくはいずれ中国の共産党政権は崩壊すると思っているんです。
でも、それは平和になるなんていう意味じゃなくて、
大混乱時代になると思うんです。そんな時代を前にして、
この国は人的資源がやせ細っていくという問題を抱えながら、
どうやって生き延びていくのか。
宮崎駿

153:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:11:31.34 rNPLCH7D.net

優柔不断ほど疲れることはない。そして、これほど大きなエネルギーの無駄もない。

戦争は誰が正しいかを決めるのではない。誰が生き残るかを決めるのだ。

「自制の効用」は、列車におけるブレーキの効用に似ている。
間違った方向に進んでいると気づいた時には役に立つが
方向が正しい時は、害になるばかりである。

あなたが何を信じようと、慎みを忘れてはいけない。

最も優れた愛は、互いに命を与え合うものである。

知識を身につける機会があれば、たとえ不完全なものでも無視してはいけない。
無視するのは、劇場に行って芝居を見ないのと同じだ。

自分の意見と違う意見に腹を立てず、
そういう意見が出た理由を理解しようとする術を学ぶことが大事である。

嫌いな人間、国家、信条がなければ、大抵の人は幸せになれない。

愛というものは、地中深くにしっかりと根を張り、
天にも届かんばかりの大きな枝を張った大樹になるべきものである。

義務感は、仕事においては有用であるが、人間関係においてはいやなものである。
人は、他人に好かれることは望むが、
我慢強いあきらめをもって耐えてもらうことは望まない。
多くの人びとを無意識かつ努力しないで好きになれることは、
おそらく個人の幸福のあらゆる源泉のなかで最大のものであるだろう。
バートランド・ラッセル

154:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:11:56.05 rNPLCH7D.net

幸福な生活とは、その大部分が静かな生活であることにかかっている。
なぜならその静かな雰囲気のなかでだけ、真の喜びは生き続けられるのだから。

神経衰弱が近づいた徴候の一つは、自分の仕事は非常に重要であり、
休暇をとったりすれば種々の災難をもたらすことになると思いこむことである。

恐怖はどのようなものであれ、直視しないことによってよりひどいものになっていく。
考えをよそへそらそうと努力すれば、
目をそむけようとしている幽霊の恐ろしさが一段と増してくる。

賢人は、妨げうる不幸を座視することはしない一方、
避けられない不幸に時間と感情を浪費することもしないだろう。

首尾一貫した目的だけでは人生を幸福にするのに十分ではない。
しかし、それは幸福な人生のほぼ必須の条件である。

最も満足すべき目的とは、一つの成功から次の成功へと無限に続いて
決して行き詰ることのない目的である。
そして、この点で建設は破壊よりも一段と大きな幸福の源であることがわかるだろう。

愛を恐れることは人生を恐れること。
そして、人生を恐れる人たちは、ほとんどの部分が死んでいる事と同じなのだ。

実際、人類の大半が愚かであるということを考えれば
広く受け入れられている意見は、馬鹿げている可能性のほうが高い。

常識外れの思想を持つことを恐れてはいけない。
今日の常識のほとんどは、元々常識外れの思想から生まれているのだから。

浪費するのを楽しんだ時間は、浪費された時間ではない。
バートランド・ラッセル

155:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:12:47.16 rNPLCH7D.net

世界の災いの一つは、何か特定のことを独断的に信ずる習慣である。
理性的な人間なら、自分が絶対に正しいなどとむやみに信じたりはしないだろう。
私たちは常に、自分の意見にある程度の疑いをまじえなければいけない。

私は両親の愛にまさる、偉大な愛を知らない。

幸福になる秘訣をお教えしよう。できるだけいろいろなものに興味を持ち、
物ごとであれ人間であれ興味を感じるものを無視せず、
できるだけ好意的に接することだ。

愛情を受け取る人間は、一般的にいえば愛情を付与する人である。

他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である。

私たちが愛する人々の幸福を願うのは当然である。
だが、自分達の幸福を棄ててまでこれを願うべきではない。

諸君が自分自身に対して関心を持つのと同じように、
他人が自分に関心を持っているとは期待するな。

愛国心とは喜んで人を殺し、つまらぬことのために死ぬことだ。

科学は既に知っていること。哲学は未知のこと。

人間、関心を寄せるものが多ければ多いほど、ますます幸福になるチャンスが多くなり、
また、ますます運命に左右されることが少なくなる。
かりに、一つを失っても、もう一つに頼ることができるからである。
バートランド・ラッセル

156:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:13:18.08 rNPLCH7D.net

何かをやれるという最良の証拠は、
他人がすでにそれをやり遂げたという事実である。

私は、どんなに前途が多難であろうとも、
人類史のもっともよき部分が未来にあって、過去にないことを確信している。

世論に流されないのは、力であり、幸福の源泉である。

希望というものは、絶望から生まれるのです。

愛を受け取る人間は、愛を与える者である。

次に起こる戦争は勝利に終わるのではなく、相互の全滅に終わる。

道徳は、つねに変化している。

最上のタイプの愛情は、相互に生命を与え合うものだ。

私たちは知りすぎている一方で、感じなさすぎる。
ついには、人生の大切な源泉である創造的な感動を感じなくなるのだ。

道徳を云々するものにとっては、退屈こそひとつの重要な問題である。
というのは、人類の罪悪の少なくとも半分は、
退屈を恐れるあまりおかされるものであるから。
バートランド・ラッセル

157:名無しさん@お腹いっぱい。
19/05/16 18:14:05.54 rNPLCH7D.net

因襲にぜんぜん屈服しない男女から成り立つ社会のほうが、
みんなが画一的になるような社会よりも面白い社会であろう。

素晴らしい人生とは、愛に鼓舞され、知識に導かれた人生だ。

自分に起こるどんなことも、宇宙から見ればまったく取るに足らないことだ。

幸福の秘訣はこういうことだ。あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。
そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、
できるかぎり友好的なものにせよ。

われわれにとって最も不愉快な人種は、
相手を見境なく分類して、分かり切ったレッテルを貼る人々である。

何か不運に見舞われそうになったら、
起こり得る最悪の事態について真剣に、慎重に考えてみよう。
この起こり得る最悪の事態をしっかり見据えたら、
それも結局大した災難ではないと思うための理由を考えてみよう。
その理由は必ずあるものだ。

すばらしき人生は、愛に鼓舞され、知識に導かれたものだ。

自分で自分の価値を過大評価しないように。

不幸な人間は、いつも自分が不幸であるということを自慢しているものです。

愛を恐れることは、人生を恐れることだ。
人生を恐れるものは、すでにほとんど死んだも同じだ。
バートランド・ラッセル


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch