他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 13at RONGO
他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 13 - 暇つぶし2ch264:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:44:36.63 WeHPztdI.net

もし結婚生活が暗礁に乗り上げそうになったら、自分の伴侶の好ましい所と、
夫や妻としての自分の至らない所を表にして比較してはどうか。
あなたの人生の転機となるかも知れない。

265:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:44:50.11 WeHPztdI.net

われわれはお互いに相手を尊敬すべきだ。どっちみちお互いに大した人間ではないのだから。
百年もすれぼ完全に忘れ去られてしまう。人生は自分の手柄話を
とくとくと述べたてるには短すぎる。相手に話をさせよう。

人から押しつけられた意見よりも、自分で思いついた意見のほうを、
われわれは、はるかに大切にするものである。とすると、人に自分の意見を
押しつけようとするのは、そもそも間違いだといえる。
暗示を与えて、結論は相手に出させるほうが、よほど利口だ。

人と会うたびに何か親切を尽くしてあげることだ。
一日が終ったら、自分の親切が何をもたらしたか、よくかみしめてみよう。
たった一回の親切にどんな大きな意味があるか、ちょっと分らないだろうが、
これだけは確かである。親切は相手が好きだというしるしであり、
親切を受ければ、相手もある程度までこちらが好きになる。

人と会う約束ができることは、相手の信頼を得たしるしである。
もし約束を破れば、相手から盗みをしているのだ。
といっても金を盗んでいるのてはない、「人生」の銀行から
時を盗んでいるのだ。相手にとって一生取り返しがつかない時を。

人はだれでも他人よりも何らかの点で優れていると考えていることを忘れてはならない。
相手の心を確実に掴む方法は、相手が相手なりの
重要人物であるとそれとなく、あるいは心から認めてやることである。

人を動かす秘訣は、この世に、ただ一つしかない。
この事実に気づいている人は、はなはだ少ないように思われる。
しかし、人を動かす秘訣は、間違いなく、一つしかないのである。
すなわち、みずから動きたくなる気持を起こさせること…これが、秘訣だ。
かさねていうが、これ以外に秘訣はない。
もちろん、相手の胸にピストルを突きつけて、腕時計を差し出したくなる気持を
起こさせることはできる。従業員を首きりでおどして、協力させることもできる。
少なくとも、監視の目を向けている間だけは。鞭やおどしことばで
子供を好きなように動かすこともできる。しかし、こういうお粗末な方法には、
常に好ましくない跳ね返りがつきものだ。
人を動かすには、相手の欲しているものを与えるのが、唯一の方法である。

人間にもっとも必要な特質とは何だろうか。管理者の能力、偉大な精神力、
親切心、勇気、ユーモアを解する心、こんなものはみな違う。
もっともそのどれもが、ごく重要であるが。私の考えでは、それは友人を作る能力である。
一言にして言えば、相手の最大の長所を見出す能力である。
デール・カーネギー

266:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:45:53.65 WeHPztdI.net

人間は理性の動物ではない。感情に動かされやすい、偏見に満ちた、
自負心に動かされて行動する動物である。
人を相手にする時は、常にこの心掛けを忘れないことだ。

267:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:46:29.20 WeHPztdI.net

人間嫌いを直す簡単な方法は一つしかない。
相手の長所をみつけることだ。長所は必ずみつかるものだ。

他人に興味を持つことによって自分自身を忘れよう。
毎日、だれかの顔に喜びの微笑が浮かぶような善行を心がげよう。

動作はことばよりも雄弁である。微笑はこう語る。
「わたしはあなたが好きです。あなたのおかげでわたしはとても楽しい。
あなたにお目にかかって嬉しい」。犬がかわいがられるゆえんである。
われわれを見ると、犬は喜んで夢中になる。自然、われわれも犬がかわいくなる。
心にもない笑顔そんなものには、だれもだまされない。
そんな機械的なものには、むしろ腹が立つ。わたしは真の微笑について
語っているのである。心あたたまる微笑、心の底から出てくる笑顔、
千金の価のある笑顔について語っているのだ。

友人が欲しければ友人の事をいつも心にかけるように心掛けることだ。
相手の名前を覚えればその人に対して口では言い尽くせない好意を示したことになる。
その人に対して好印象を与えたことになる。
自分の名前を覚えてくれたことで、相手の自尊心は高まるからだ。

友人を得、こちらの考えに同調させる最も確実な方法は、
相手の意見を十分に取り上げてやり、相手の自尊心を満足させてやることだ。

女性は、誕生日や記念日を重視する。その理由は…これが、男性にはわからない。
普通、男は、あまり多くの日付を覚えなくても、けっこう暮らして行ける。
だが、忘れてならない日も若干はある。たとえば、1492年(コロンブスのアメリカ大陸発見)と
1776年(アメリカの独立宣言)、それに、妻の誕生日と自分たちの結婚記念日だ。
初めの二つは、場合によっては忘れてもよかろう。しかし、あとの二つは絶対に忘れてはならない!
デール・カーネギー

268:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:46:46.04 WeHPztdI.net

子供の大望を聞いて笑ってはいけない。
子供にとって、笑いはからかいを意味することが多く、
からかいほど心を苦しめるものはない。
子供が身のほど知らずの大望について語る時に親のなすべきことは、
その大望についてあらゆる観点から、よく話し合ってやることだ。
そしてできることなら、どうすればその目標に成功する望みをもって近づけるか、
その方法を助言してやる。それからさあ、やりなさいと前進を勧める。
ありとあらゆる激励を与えてやる。
何よりも、子供が自力でできる事には手を貸さないことだ。
自分で自分の成功を育てる特権と感激を取り去ってはいけない。

幸福になりたければ、やれ恩を返せだの恩知らずだのと言わないで、
人に尽くす喜びだけを生き甲斐にしようではないか。

恨みを抱くな。大したことでなければ、堂々と自分の方から謝まろう。
頑固を誇るのは小人の常である。にっこり握手して自分の誤ちを認め、
いっさいを水に流して出直そうと申し出てこそ、大人物である。

成功には何のトリックもない。
私は、私に与えられた仕事に全力を尽くしてきただけだ。

最上の議論をうる唯一の途は、それを避けることにある。

現代生活は忙しい。用件はさっさと述べ、
言うべきことを言ったら、そこで話をやめて、相手に話の場を譲る方がよい。

目つき、口ぶり、身ぶりなどでも、相手の間違いを指摘することができるが、
これは、あからさまに相手を罵倒するのとなんら変りない。
そもそも、相手の間違いを、なんのために指摘するのだ?
相手の同意を得るために?とんでもない! 
相手は、自分の知能、判断、誇り、自尊心に平手打ちを食らわされているのだ。
当然、打ち返してくる。考えを変えようなどと思うわけがない。
どれだけプラトンやカントの論理を説いて聞かせても相手の意見は変らない。
傷つけられたのは、論理ではなく、感情なのだから。

相手に本当の興味を持とうと努力すれば、こちらに興味を持たせようと
二年間悪戦苦闘の末、やっと得られる友人より、多くの友人が二時間もあれば得られる。
言い換えれば、友人を得る最上の方法は、まず自分が友人になることだ。
デール・カーネギー

269:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:47:06.70 WeHPztdI.net

相手の考え、行動には、それぞれ、相当の理由があるはずだ。
その理由を探し出さねばならない。そうすれば、相手の行動、さらには、
相手の性格に対する鍵まで握ることができる。ほんとうに相手の身になってみることだ。

相手は間違っているかも知れないが、彼自身は、自分が間違っているとは
決して思っていないのである。だから、相手を非難しても始まらない。
非難は、どんな馬鹿者でもできる。理解することに努めねばならない。
賢明な人間は、相手を理解しようと努める。

相手を腹の底から笑わせることができれば、友人になる道が開ける。
相手が一緒になって笑うのは、いくらかでもこちらが好きな証拠だ。

自分の長所、欲求を忘れて、他人の長所を考えようではないか。
そうすれば、お世辞などは全く無用になる。
うそでない心からの賞讃を与えよう。”心から賛成し、惜しみなく賛辞を与え”よう。
相手は、それを、心の奥深くしまいこんで、終生忘れないだろう…与えた本人か忘れても、
受けた相手は、いつまでも忘れないでいつくしむだろう。

議論に勝つことは不可能だ。もし負ければ負けたのだし、たとえ勝ったにしても、
やはり負けているのだ。なせかといえは仮に相手を徹底的にやっつけたとして、
その結果はとうなる? やっつけたほうは大いに気をよくするだろうが、
やっつけられたほうは劣等感を持ち、自尊心を傷つけられ、噴慨するだろう。

議論に勝つ最善の方法は、この世にただ一つしかない。
その方法とは議論を避けることだ。毒蛇や地震を避けるように議論を避けるのだ。
デール・カーネギー
アメリカの実業家、作家。
(Dale Carnegie, 1888 - 1955)

270:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:47:35.89 WeHPztdI.net

いまだかつて、敵をつくったことのないような人間は、けっして友を持つことはない。

信仰のあらゆる形式を超えて信仰にしがみつけ。

恋して恋を失ったのは、まったく愛さないよりもましだ。

時には今日なく、永劫には未来なく、永遠には過去はない。

時間の谷間では、しばしば時間の丘が永遠の山をさえぎる。

暗の中に泣く児、泣く声のほかは知らぬ児。

現代には現在なく、来世には未来なく、未来には過去なし。

男は猟師であり、女は獲物、つやつやと光った狩られる動物である。

男同土の相違は、せいぜいのところ天と地くらいだが、
極悪の女と最善の女の相違は、天国と地獄の距りがある。

自愛・自識・自制、この三者だけが
人生を導き、高貴な力にいたらしめるものである。
テニソン
イギリスの詩人。
(Alfred Tennyson, 1809 - 1892)

271:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:47:52.75 WeHPztdI.net

「人類に対する愛」ということばは、
自分が心の中でつくりあげた人類に対する、つまり己れに対する愛である。

いかなる科学の力を借りても、またどんな利子をもって釣ったところで、
人間はけっして不平なしに、財産や権利を分配することはできません。

いちばん簡単で、いちばん明白な思想こそが、いちばん理解しがたい思想である。

もちろん金は絶対的な力である。と同時に、平等の極致でもある。
金の持つ偉大な力は、まさにそこにあるのだ。金はすべての不平等を平等にする。

世の中には、恋人とか情婦としては通用するが、
ほかになんの役にも立たない女がいるものだ。

人は思想をとらえようが、思想はつねに人間よりも現実的である。

人生において何よりもむずかしいことは、嘘をつかずに生きることだ。
そして自分自身の嘘を信じないことだ。

人生は苦痛であり、人生は恐怖である。だから人間は不幸なのだ。
だが、人間はいまでは人生を愛している。それは苦痛と恐怖を愛するからだ。

人類の最も偉大な思考は石をパンに代えるということてある。
ドストエフスキー

272:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:48:37.78 WeHPztdI.net

娘の恋は母にとっては死である。

感情は絶対的である。そのうちでも嫉妬はこの世で最も絶対的な感情である。

真実を語るものは機知のない人間だけである。

神が存在しないならば私が神である。

神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ。

私の欲しいのは金ではなく、また金の力でもない。
金の力でえられるもの、またその力なくしては、どうしてもえられないものが
必要なのだ。それは孤独な落ちついた権力の意識だ!

私はなにか善を行おうとする希望を持ち、そこに悦びを感ずることもできる。
だが同時に、悪を行いたいとも思い、そこにも悦びを覚えることができる。

自然法則はキリストを欺瞞の真只中に生きさせたし、キリストを欺瞞のために死なせた。

謙譲な愛は、暴虐よりもずっと効果の多い怖ろしい力である。

選ばれた者は、凡人社会の法を無視する権利がある。

金は鋳造された自由である。
ドストエフスキー

273:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:49:04.83 WeHPztdI.net

お前を永遠に愛すると言うことは、
ろうそくがお前が生きている間燃えつづけると言うに等しい。

すべての幸福な家庭は、互いに似かよっているが、
不幸な家庭はどれもが、それぞれの流儀で不幸である。

人間を法則に服従させるという思想は、人間を隷属させることであり、
神の法則に従うという思想は、人間を開放する思想である。

古人はわれわれに英雄叙事詩の模範を残した。
そのうちで、英雄が歴史の興味の全部をなしている。
だから、われわれはかかる種類の歴史は、この人間時代で
なんらの意味も持たないという考え方に慣れることができない。

善をなすには努力が必要である。
しかし、悪を抑制するには、さらにいっそうの努力が必要である。

女…それは男の活動にとって大きなつまずきの石である。
女を恋しながら何かをすることはむずかしい。
だが、ここに恋が妨げにならない唯一の方法がある。
それは、恋する女と結婚することである。

嫉妬とは、愛の保証への要求である。

家庭愛は自愛と同じである。
したがって犯罪行為の原因とはなるが、それの弁解になることはない。

富裕階級に逸楽を提供することを目的としているわわれの芸術は、
売春婦に似ているどころではない、それ以上のなにものでもない。

愚かな人間は沈黙しているのが最もよい。
だが、もしそのことを知ったならば、その人はもう愚かな人間ではない。

憤怒は他人にとって有害であるが、憤怒に駆られている当人にはもっと有害である。
トルストイ

274:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:49:19.04 WeHPztdI.net

戦争というものは、最も卑しい罪科の多い連中が権カと名誉を奪い合う状態をいう。

最上の幸福は、一年の終わりにおいて、
年頭における自己よりも、よりよくなったと感ずることである。

死の恐怖は解決されない生の矛盾の意識にすぎない。

理性はしばしば罪の奴隷となって、これを弁解する。

真の宗教とは、人間が彼らをとりまく無限の大生命に対して
彼らの生活を、この大無限に結合させ、
それによって自己の行為を指導するという関係を確立することである。

真の愛は個人的福祉の放棄の結果である。

神の国は目で見るべきものではなく、また語るべきものではない。
神の国はここにあり、かしこにあり、それゆえに神の国はわれわれの心の裡にある。

神は真実を見られるが、速やかにはお示しにならぬ。

自由の量が多ければ多いほど、必然の量は少なくなり、
必然の量が増加するにつれて自由の量は減ずる。

芸術は一種の虚偽である。私はもはや美しい虚偽を愛しえない。

芸術は人類進歩の機関のひとつである。人間はことばを通じて思想のうえで交わり、
芸術の形象を通じて、現在のみならず、過去と未来の
あらゆる人間と心持ちのうえで交わっている。

芸術は技芸ではなく、それは、芸術家が体験した感情の伝達である。

言うべきときのほかは言うな。書かざるをえないときのほかは書くな。
君は作家である。書かざるをえないときのほかはけっして書いてはいけない。

金は新しい形式の奴隷制である。それが旧い形式の奴隷制と異なるところは、
奴隷に対してなんら人間的な関係を持っていない非人格的なところにある。
トルストイ

275:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:49:53.13 WeHPztdI.net

この膝は神以上に屈せず。

すべて昨日という日は、阿呆どもが死んで土になりにいく道を照らしたものである。

われわれは善良な農民を欲している。彼らは軍隊の力をつくるものである。

キリストは愛によってひとりで天国を建設したが、
今日までキリストのために何万人という人々が死んだことか!

一歩一歩はい上がるのは冒険家ではなくて、幸福を追っかけている男のすることだ。
人生はとるに足りない夢だ。いつかは消え去ってしまうのだ。

三つの敵意ある新聞は千の銃剣よりも怖ろしい。

人間はあらゆるものを発明することができる、ただし、幸福になる術を除いては。

俺のような人間は、百万人の生命を犠牲にするくらい屁にも思っていない。

勝利は最も根気のある者にもたらされる。

子供の将来の運命は、その母の努力によって定まる。

戦いは最後の五分間にある。

最も偉大な将軍は過失のもっとも少ない者だ。

王位はビロードで蔽われた金ぱくをきかせた一片の木片にすぎない。

生きたいと思わねばならない。そして死ぬことを知らねばならない。

生きている兵卒のほうが、死んだ皇帝よりもずっと価値がある。

社会には剣と精神という二つの力しかない。
結局のところ、つねに剣は精神によって打ち負かされる。
ナポレオン

276:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:50:14.58 WeHPztdI.net

「女は誰をいちばん憎むか」鉄が磁石に問うた。
「私はお前をいちばん憎む。なぜなら、お前は牽くことをなし、
しかも、お前のもとへ牽きよせる十分の力をもたないからである。」

あなたがたの実力以上に有徳であろうとするな。できそうもないことをおのれに要求するな。

あらゆる人間は、いかなる時代におけるのと同じく、現在でも奴隷と自由人に分かれる。
自分の一日の三分の二を自己のために持っていない者は奴隷である。

あらゆる種類の確信に拘束されない自由さは、懐疑家の意思の強さに屈している。
信念を欲すること、肯定においても否定においても、無条件なものを欲することは、弱さの証拠である。

ある巨匠の作品を演奏するピアニストが、その巨匠を忘れさせて、
まるで自分の生涯の物語を語っているとか、まさになにか体験しているふうに
みえたとき、最もうまく弾いたことになろう。

いちばん危険な党員とは、その人間が脱党したら党派全体が瓦解するような人である。だから最良の党員である。

お前たち高名なるすべての賢者よ、お前たちは、民衆と民衆の迷信に奉仕してきたし、
真理には仕えなかった! そして、それゆえにこそ、人はお前たちに畏敬を払った。

たいていの男たちは、誰も彼らの妻をかっさらってくれないことを嘆く。

どちらも相手をとおして自分個人の目標をなにか達成しようとするような
夫婦関係はうまくいく。例えば、妻が夫によって有名になろうとし、
夫が妻をとおして愛されようとするような場合である。

なんじの敵には軽蔑すべき敵を選ぶな。なんじの敵について誇りを感じなければならない。

ひとは女を深いと思う。なぜか? 女の場合、底まで行けないからだ。女は浅くさえもないのだ。

ほかの人に懺悔してしまうと、当人は自己の罪は忘れるが、たいてい相手の人はそれを忘れない。
ニーチェ

277:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:50:35.73 WeHPztdI.net

みずから敵の間へ躍りこんでいくのは、臆病の証拠であるかもしれない。

278:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:51:03.78 WeHPztdI.net

ものの始めを採すことで、人間は蟹になる。
歴史家は後ろ向きにものをみる。ついには後ろ向きに信ずるようになる。

よい格言は、時の歯がたつには堅すぎる。
そして、いかなる時代にも栄養のたしになるのに、幾千年の歳月にも食いつくされはしない。

われわれが不意にある事柄について問われた場合に思いつく最初の意見は、
一般にわれわれの意見ではなく、われわれの階級・地位・素性に
つきもののきまり文句にすぎない。

われわれのうちで、最も勇気のある者でさえ、
自分が本当に知っていることに対する勇気を持つのは稀なことにすぎない。

キリスト教徒はただひとりしかいなかった。そして、その人は十字架の上で死んだ。
この瞬間、以後<福音>と呼ばれているものは、すでに彼が
生きてきたものの正反対、すなわち<禍音>であった。

キリスト教道徳は奴隷の道徳、弱者の道徳である。
生の拡大をさまたげ、本能の発揮を抑え、人間を萎縮させ、退化させる道徳である。

世論とともに考えるような人は、すべて自分で目かくしをし、自分の耳にせんをしている。

乞食…乞食は一掃すへきである。げ
だし何か恵むのもしゃくにさわるし、何もやらないのも、しゃくにさわるから。

人間が神のしくじりにすぎないのか、神が人間のしくじりにすぎないのか。

人間は深淵に架けられた一条の綱である。
渡るも危険、途上にあるも危険、うしろをふりかえるも危険、
身ぶるいして立ちとどまるのも危険。
人間において偉大な点は、それが橋であって目的でないことだ。
人間において愛されうる点は、それが過渡であり、没落であることだ。

人間は行動を約束することはできるが、感情は約束できない。
思うに、感情は気まぐれだからである。

勇気…攻撃する勇気は最善の殺戮者だ、死をも殺戮する。

南国の勤勉は営利欲ではなく、他人に絶えず必要とされるからである。
食わんがためだけなら勤勉は不必要である。北国のそれは、その反対である。

友たるものは、推察と沈黙に熟達した者でなければならない。

279:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:51:33.38 WeHPztdI.net

君は言う「善行のためには戦いを犠牲にせよ」と。
私は言う「善戦のためには万物をも犠牲にする」と。

哲学者とはなにか。
つねに尋常でない事物を経験し、見聞し、猜疑し、希望し、夢見る人間だ。
ニーチェ

280:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:52:07.18 WeHPztdI.net

善とはなにか…人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
悪とはなにか…弱さから生ずるすべてのものである。

善にも強ければ、悪にも強いというのが、いちばん強力な性格である。

善悪において一個の創造者となろうとする者は、まず破壊者でなければならない。
そして、いっさいの価値を粉砕せねばならない。

国家というものは、個人相互に対して個人を保護するための賢明な制度である。
国家の品種改良をやりすぎると、結局は個人は国家によって弱められ、
そのうえ瓦解され…したがって、国家の本質的目的が根本的に無に帰してしまう。

国家におけるいっさいは虚偽である。
かむことを好む者は、ぬすみたる歯をもってかむ。彼の腸すらにせものである。

地球は皮膚をもっている。そしてその皮膚は
さまざまな病気を持っている。その病気のひとつが人間である。

多くのつかのまの愚行それを諸君は愛という。
そして諸君の結婚は、一つの長期間にわたる愚行として、
多くのつかのまの愚行に終止符を打つ。

多くの人間は、その記憶があまりにもよいという唯一の理由から思索者になれない。

多く考える人は党員には向かない。というのは、党派などを突き抜けて考えてしまうからである。

女のもとへ赴こうとするならば鞭を忘れるな。
ニーチェ

281:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:53:01.73 WeHPztdI.net

婦人にはあまりにも永い間、暴君と奴隷とがかくされていた。
婦人に友情を営む能力のないゆえんであって、婦人の知っているのは恋愛だけだ。

学者はよく監視し合うが、最善の信頼を互いに払うことはしない。
小さい好策にすこぶる長け、あしなえた知識を持つ人々を待ち伏せる。

宗教は間接的にも直接的にも、教義としても比喩としても、
いまだかつてひとつの真理を含んだことはない。
というのは、どんな宗教も不安と欲求から生まれたものであるからである。

幸福とは何か…権力が成長しつつあるという感情…抵抗が克服されるという感情である。

恋愛から結ばれる、いわゆる恋愛結婚は、誤謬をその父とし、必要をその母とする。

悪意というものは、他人の苦痛自体を目的とするものにあらずして、
われわれ自身の享楽を目的とする。

悲観をその基盤とし、不幸と悲哀を善とするこの道徳…この善悪の
価値表は、速やかに破り捨てなければならない。

戦争を非難していえば、戦争は勝者を愚かにし、敗者を邪悪にする。
戦争を弁解していえば、さきに述べた二つの作用のいずれの場合でも野蛮にさせ、
それによってより自然的にならしめる。

才能が一つ多いほうが、才能が一つ少ないよりもより危険である。

新聞の強味は、そこで働くひとりひとりが全然、義務も束縛も感じないところにある。

日常生活で、人々がおおむね正直なことを言うのはなぜか。
神様が嘘をつくことを禁じたからではない。
それは第一に、嘘をつかないほうが気楽だからである。

本をめくることばかりしている学者は…ついにはものを考える能力を
まったく喪失する。本をめくらないときには考えない。
ニーチェ

282:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:53:26.32 WeHPztdI.net

極端な行動は虚栄、普通の行動は習慣、中庸な行動は恐怖に
帰せられるならば、過去を犯すことはまずなかろう。

正義とは、ほぼ同等の力の状態を前提とする報償との交換だ。

正義は支払い能力のない者を大目に見のがすことをもって終わる。
…正義のこの自己止揚、それがどんな美名で呼ばれているかを知っているか…いわく恩恵。
それはいうまでもなく、最も強大な特権である。

武装平和とは、自国と隣国を信頼せず、
半ば憎悪、半ば恐怖から武器を放棄しかねる意向上の不和である。

母親は息子の友人が成功すると嫉む。母親は息子よりも息子の中の自分を愛しているのである。

毎日少なくとも一回、何か小さなことを断念しなければ、
毎日は下手に使われ、翌日も駄目になるおそれがある。

汝が平和を求めるならば、それは新しい戦いの準備としての
それでなければならない。永い平和よりも短い平和を求めよ。

犠牲行為によって計画される道徳は半野蛮的階級の道徳である。
ニーチェ

283:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:53:50.56 WeHPztdI.net

犯罪者は犯罪のゆえに苦しまず。恥辱のゆえに、なされた愚行に
対する立腹のゆえに、常習になったもののないことのゆえに苦しむ。

生きるとはなんのことか…生きるとは…死にかけているようものを、
絶えず自分から突き放していくことである。

男たちは、自分の職業が他のいかなる職業よりも大切だと信ずるか、
自分で思い込ませる以外に、その職業を持ちこたえることはまずできない。


男の幸福は「われ欲する」ということであり、
女の幸福は「彼欲する」ということである。

私の真理は怖ろしい。というのは、今まで嘘が真理と
呼ばれてきたのだから、あらゆる価値の価値転倒…これが私の方式だ。

私はお前たちに超人を教える。人間は超克さるべき何物かである。
お前たちは人間を超克すべく何ごとをなしたか? 超人は大地の意義である。

私はキリスト教に対するこの永遠の弾劾を壁という壁、壁さえあればどこでも書き付けたい。
私は盲目でも読める文字を持っている。私はキリスト教を一大呪詛と呼ぶ。

私は人間ではない。私はダイナマイトだ。
…私は宗教的な人と接触したあとでは手を洗わずにはすませない。

科学者が天才視されないのは、単なる理性の児戯にすぎない。

脱皮できない蛇は滅びる。意見を脱皮していくことを
さまたげられた精神も同じことである。それは精神であることをやめる。
ニーチェ

284:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:54:12.28 WeHPztdI.net

自己の思想を氷の上へおくことを心得ていたい人は、論争の熱の中へ身を投じてはいけない。

芸術…芸術こそ至上である! それは生きることを可能ならしめる偉大なもの、
生への偉大な誘惑者、生の大きな刺激である。

苦しみをともにするのではなく、喜びをともにすることが友人をつくる。

血と格言をもって書く者は、読まれることを望まず、暗誦されることを欲する。

論争に応ずる場合には、
双方にとっていちばん不愉快なやり口は、立腹して黙っていることである。
というのは、攻撃者側は、一般的に沈黙を軽蔑のしるしと考えるからである。

道徳的理想の勝利は、他のいずれの勝利と同じく、
「非道徳的」手段によって、つまり暴力・虚言・誹謗・不正によってえられる。

霊魂は肉体が衰え、いまわしくなり、飢えることを欲した。
こうして肉体と地から脱れようと思った。
哀れ、その霊魂こそ痩せ、いまわしくなり、飢えたのだ。

高さがいるから階級が必要なのであり、階段とそれを登っていく人たちの矛盾が
必要なのだ! 人生は登ろうとする。登りながら自己を克服しようとするのである。
ニーチェ

285:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:54:31.31 WeHPztdI.net

大多数の専制は集合化された専制である。

悪い人々が結託するとき、善人たちは団結せねばならない。

政府は人間の欲望を満足させる知恵の案出物である。

教育は国民の安価な防備である。

迷信は弱々しい心の宗教である。
バーク
イギリスの政治家、史論家。
(Edmund Burke, 1729 - 1797)

286:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:55:20.86 WeHPztdI.net

われわれは生産をあまりにも重視し、消費をあまりにも軽視しすぎる。

因襲に全然屈服しない男女から成り立つ社会のほうが、
みんなが画一的になるような社会よりも面白い社会であろう。

売春婦の真の犯罪は職業道徳の空虚さを赤裸にしたことである。

恋愛のために出世をすべて犠牲にするのは、痛ましくも英雄的である場合もあるが、
愚行であろう。だが、出世のために恋愛をすべて犠牲にすることも
同じく愚行で、けっして英雄的ではない。

父親の生物学的機能は、子供をその無力のあいだに保護することで、
この生物学的機能が国家に継承されるならば、父親はその存在事由を失う。

生活のための闘争といっているものは、正直なところ、成功のための闘争にほかならない。

真の世論に対して関心を示さないのは、まさにひとつの力であり、幸福の源泉である。

道徳を云々する者にとっては、退屈こそひとつの重要問題である。
というのは、人類の罪悪の少なくとも半分は、退屈を恐れるあまり犯されるものであるから。

道徳律はつねに変化している。
バートランド・ラッセル

287:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:55:44.14 WeHPztdI.net

あらゆる人間の闘争のうちで、男の芸術家と母としての女の闘争ほど残忍・悲惨なものはない。

あらゆる歴史は、天国と地獄の両極端の間にある世界の振動の記録にすぎない。
一期間というのは、その振子のひと振りにすぎないのに、各時代の人々は、
世界がつねに動いているので進歩しているのだと思っている。

たとえ話は嘘ではない。なぜならば、それはけっして起こらなかった事柄を述べているのだから。

できうるかぎり早く結婚することが女の務めであり、
できるだけ永く独身でいることが男の務めである。

われわれの人類に対する最大の罪は、彼らを憎むことではなく、
無関心であることだ。それは非人間性の精髄だ。

人間の法律とはなんですか? 人間を絞殺するひとつの口実です。

人間の道徳とはなんですか。上品ぶった奴で、生産をせずに消費する一つの口実です。

人類から愛国主義者をなくすまでは、平和な世界は来ないであろう。

健全な肉体は健全な心の生産物だ。

哲学者は自然の水先案内人だ。

嘘つきの受ける罰は、人が信じてくれないというだけのことではなく、
ほかの誰をも信じられなくなる、ということである。

地獄は名誉・義務・正義、その他の怖ろしい徳の故郷なのだ。
地上の悪事はすべて、こういう名のもとに犯される。

女というものは、自分の身についた不潔の疑いには我慢できないのだ。

女の歓びは男の自惚れを傷つけることである。

娘は父親が世話し、息子は母親が世話すべきである。
父親・息子と母親・娘の法則は、愛の法則ではない。それは革命の法則であり、
解放の法則であり、有能な青年が疲れ果てた老人どもを圧服する法則である。
バーナード・ショー

288:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:56:24.22 WeHPztdI.net

家庭は少女の監獄であり、婦人の感化院だ。

幸福と美は副産物にすぎない。

性的にいうと、女は自然が最高の完成を保全するために工夫したものであり、
男は自然の命令をいちばん経済的に果すために女の工夫したものだ。

愚者は自分が恥ずかしく思うことをすると、それは自分の義務だと言い張るものだ。

戦争において、いざ戦おうとするのに必要とするのは、多少の熱い血と、
勝つことよりも負けるほうが危険である、ということを知るにある。

教会は謙譲を教えるとともに、みずから謙譲を学ばねばならない。

生涯の幸福! それに耐えうる人間は生きていけない。それは地上における地獄となろう。

男の義務と責任は、子供のためにパンをうる仕事で終始するのだ。
女にとって男は、子供をつくって育てるための手段にすぎない。

真の芸術家は妻を餓えさせ、子供をはだしにし、七十歳になる母親に
生活の手助けをさせても、自分の芸術以外のことは何もしないのだ。

私が愛する女のむら気は、私を愛する女の無節操によってのみ相殺される。

私の愛する女の将来は、私を愛する女の悪魔のような貞操によってのみ相殺される。

結婚というものは、人間のつくった制度のうちでいちばん放縦なものなのだ。
結婚が人気のあるのは、つまりこのためだ。

結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから。

美徳は悪徳を慎むのではなくて、悪徳を望まないことから成り立つ。

食物を愛するよりも誠実な愛はない。
バーナード・ショー

289:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:56:54.23 WeHPztdI.net

ごまかされて幸福なのは、真の幸福でないことを忘れてはならない。
高い精神的誇りのうちに、たとえ瞬間にもせよ、みずから感ずる幸福は、
漠然たる盲信のうちに長年月を酔生夢死する幸福よりも、ずっと大なることを忘れてはならない。

われわれが友人に求めるのは、われわれの行動に対する賛意ではなくして理解である。

人間…動物の間の貴族。

人間が偉大になればなるほど、罵倒の矢に当たりやすくなる。小人には罵倒の矢さえなかなか当たらない。

偉大なる精神は、偉大なる精神によって形成される。
ただし、それは同化によるよりも、むしろ多くの軋轢による。ダイヤモンドがダィヤモソドを研磨するのだ。

悪魔は理論家である。悪魔は現世のよさや官能の悦びや肉などの
代表であるにとどまらず、彼はまた人間理性の代表者でもある。

暗黒時代には、宗教ほど諸国民を導くのに最適なものはなかった。
というのも、暗黒の中では眼の見えない人がいちばんよい案内役で、
目あきよりもずっと確かだからである。しかし、昼になって明るくなっても
眼の見えない人に案内させているとすれば、それは阿呆である。

率直なご意見を伺いたいとか、きびしくご批評下さいと言いながら、
内心ではただ称讃のことばだけを待っている。
…率直に批評した者が、それによって憎まれなくとも、
より多く愛されることは、まずありますまい。

美しき五月となりて、花のつぼみもゆるとき、わが胸も愛の想いにもえいでぬ。

自由への愛は牢獄の花。牢獄にいて、はじめて自由の価値を知る。

賢者は新しい思想を考え出し、愚者はそれを広める。
ハイネ

290:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:57:15.79 WeHPztdI.net

「しかし、ただ死し、往け」と、ああ、すべてが往き、往かねばならぬところ、
わが世に生まれ、悩み生きた前のわが在りし虚無に帰りいくこと。

すべての悲劇は死をもって終焉し、すべての茶番は結婚をもって終わる。

わが生命は、齢もてかぞうべきにあらず、鋤のごとく、しわをのこすときのみ
重ねたれば、わが頭に刻まれし畝問にも似て、深くわが魂に彫りつけられぬ跡もなし。

われわれは人を愛する心の薄きにあらず、自然を愛する心の深きなり。

佳き古き時代…すべての歳月は古くなるとよくなる。

嘘とは何か。それは変装した真実にすぎない。

国を建つるには千年の歳月も足らず、それを地に倒すには一瞬にして足らん。

女は「恋人」を恋するが、次からは、すべて恋を恋する。

彼女が予を愛するよりも予は英知を愛す。

忙しさは悲しみを忘れさせる。

恋と結婚は、同じ故郷に生まれた仲でありながら
ほとんど結びつかぬということは、さびしいこと、
人間のはかなさの悲しい愚かなこと、また罪でもあろう。

知恵は悲しみだ。最も多く知る者は、宿命的な真理を
最も深く嘆かねばならぬ。知恵の樹は生命の樹ではない。

知識は幸福を意味しない。いわんや科学は、
無知と一種の無知ともいうべき知識とを交換することにしかすぎない。

私は母国を愛すとも、母国民は愛していない。
バイロン

291:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:03:15.55 WeHPztdI.net

どんな真面目な仕事も、遊戯に熱してゐる時ほどには、人を真面目にし得ない。

292:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:03:43.37 WeHPztdI.net

女に於ける嫉妬は愛の高雅な情操によるのでなく、
実には猛獣の激情に類するところの、野蛮の本能によるのある。

崇高な不徳は讃美される。
だが卑陋なけち臭い者共は、どんな事情に於ても許され得ない。

幸福人とは、過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、
不幸人とは、それの反対を記憶している人々である。

愛は、その愛するものを独占しようと願つてゐる。
しかしながら、愛はそれに成功してしまつた後では、
競争もなく、嫉妬もなく、退屈で褪め易いものにかはつてくる。

教育は猿を人間にしない。ただ見かけの上で、人間によく似た様子をあたへる。
猿が教育されればされるほど、益々滑稽なものに見えてくる。

最も親しき友人といふものは、常に兄弟のやうに退屈である。

父は永遠に悲壮である。

都会の生活は非人情であり、
そしてそれ故に、遥かに奥床しい高貴の道徳に適つてゐる。
萩原朔太郎

293:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:04:52.63 WeHPztdI.net

いかなる身分でも、気晴しができる限り幸福である。
…それは自己自身を考えることから心をそらしてくれるところの幸福である。

294:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:05:22.20 WeHPztdI.net

いちばん小さい物を軽蔑し、いちぼん大きい事物を信じない人間から何がえられようか。

おなたは君公であられるから、あなたの価値を私が高く評価することは
必要ではございません。必要なことは、私があなたに敬礼することです。

お前は主人から可愛がられ、おだてられたからといって、それだけ奴隷でなくなると思うのか? 
奴隷よ、お前は実におめでたい。お前の主人はお前をおだてているが、いまにお前を打つであろう。

われわれはつねに現在にいたためしがない。来るのがとても待ちどおしくて、
その歩みを早めさせようとするかのように未来を待ちこがれているか、
あるいは、あまりすみやかに過ぎ去るので、
その歩みを引きとめておこうとするかのように、過去を呼び返している。

われわれは理性によってのみではなく、心によって真実を知る。

カなき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。
力なき正義は反抗を受ける。なぜならは、つねに悪人は絶えないから
正義なき力は弾劾される。それゆえ正義と力を結合せねばならない。

キリスト教の信仰は二つの真理、すなわち人間の自然性の堕落と、
イエス・キリストの贖いとを両立させるところにある。

クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら、大地の全表面は変わっていたであろう。

世論はいわば世界の女王であるが、力は世界の暴君である。
パスカル「パンセ」

295:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:06:23.80 WeHPztdI.net

人々は互いにへつらうことばかりをやっている。
…人間同士の結びつきは、かかる相互の欺瞞のうえに築かれる。

人々は宗教を軽蔑している。彼らは宗教を嫌悪し、宗教が真実であるのを怖れている。
これを矯正するには、まず宗教が理性に反するものでないことを示してやらねばならない。

人の性質は、いつまでも前のほうにのみ進めない。ひき汐あり、さし汐がある。

人は多くの場合、他人と異なるのみならず、
また、いろいろなときにおける自分自身と異なることが多い。

人は恋愛を語ることによって恋愛するようになる。

人間には二種類しかない。一つは、自己を罪人だと思っている義人であり、
他の一つは、自己を義人だと思っている罪人である。

人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
むしろ同時に二つの極端に達し、その中間をすべて満たすことによって、それを示すものである。

人間は一本の葦にすぎない。自然のうちで最もひ弱い葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。

人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない、自分自身においても、また他人に対しても。

人間は天使でもなければ、獣でもない。
しかし不幸なことは、人間は天使のように行動しようと欲しながら、獣のように行動する。

人間は考えるために生まれている。ゆえに人間は、ひとときも考えないではいられない。

人類は、いわば不断に学ぶ唯一の存在である。
パスカル

296:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:06:43.09 WeHPztdI.net

判断の道徳とは、基準を持たない精神の道徳を軽蔑する。
というのは、精神に科学が属しているように、判断には感情が属しているからである。

多くの宗教家が互いに相反しているのをみる。だから、ひとつを除いて、
他はみな虚偽である。どの宗教も、それ自身の権威に基づいて
信じられることを欲し、不信仰者をおびやかす。

心情は理性の知らないところの、それ自身の道理を持っている。

悲しみは知識である。多く知る者は怖ろしき真実を深く嘆かざるをえない。
知識の木は生命の木ではないから。

政治においては、世襲の権利によって統べる愚かな殿様ひとりのほうが、
権勢を欲しがってなぐり合いをする無数の生半可な利口者よりも危険性が少ない。

時は苦しみや争いを癒す。というのは、人が変わるからである。
人はもはや同一人ではないのである。

死は、その危険なしにそれを考えるよりも、それを考えずに受けたほうが、より容易である。

真理が支配しているときに平和を乱すことがひとつの犯罪であると同様に、
真理が破壊されようとしているときに平和にとどまることも、
やはり、ひとつの犯罪ではないか?

知恵は知識にまさる。

自然はそのすべての真理を、それぞれそれ自身のうちにおいた。
われわれの技巧は、それらの一方を他方のうちに閉じこめようとする。だが、それは自然的ではない。

誤った法律を改正する法律くらい誤ったものはない。
法律は正義であるがゆえに従うといって服従している者は、
自分の想像する正義に服従しているのであって、法律の本質に服従しているのではない。

高慢は、われわれの悲惨や誤謬の真只中においても、きわめて自然な仕方で
われわれをとらえている。われわれは人の語り草になるならば、喜んで生命までも棄てる。
パスカル「パンセ」

297:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:07:16.98 WeHPztdI.net

初恋は麻疹の如し。何人も一度は免れずして経験し難し。

善き事を思へるは善き事を思へるに過ぎず、
悪しき事を思へるは悪しき事を為したるなり。

囚人は前科を誇り、宗教家は懺悔を誇る。

外交官と幽霊は微笑をもつて敵を威嚇す。

女の子は売品なり、男の児は非売品なり、
前者の売れざると、後者の買はれたるとは嘆きなり。

女子の涙は勝利の涙なり、男子の涙は降伏の涙なり。

女子は月経に支配せられ、男子は月給に支配せられる。

女性が英雄を好むのは、英雄に征服されようとしているのではない、
英雄を征服しようとしているのだ。

少女の恋は詩なり。年増の恋は哲学なり。

己れを喪へる生は死よりも意義なし、己れを喪はざる死は生よりも意義あり。

戦争の前は憤怒なり、戦争の中は悲惨なり、戦争の後は滑稽なり。

捨てられたる政治家の壮語すると、破れたる靴の鳴るとは悲し。

生命は刹那の事実なり、死は永劫の事実なり。

男子は、一個の女性を礼賛するのにその全生命を以てするが、
全体の女性を礼賛するには舌のみを以てする。

男子は結婚によつて女子の賢を知り、女子は結婚によつて男子の愚を知る。

男子は羽織より売り始め、フンドシに至りて窮まり、
女は肉より売り始め、羽織に至りて窮まる。

聖人の死は自己の復活なり。豪傑の死は他人の復活なり。
長谷川如是閑

298:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:07:48.65 WeHPztdI.net

あらゆる知恵の中で、結婚についての知識がいちばん遅れている。

ヴァイオリニストが同じ音楽を演奏するのに
いくつかのヴァイオリンを必要とするといわれているように、
男は四六時中、ひとりの女を愛しえないのも理に適っている。

人生…人間喜劇。

善良な夫は、けっして夜早く寝ないし、朝は遅く目覚める。

女というものは、善良な夫をつくり出す天才にちがいない。

愛することから始めて反感にいたるときには、愛に戻ることはけっしてない。

男の初恋を満足させるものは、女の最後の恋だけである。

男は年をとると与えるものがなくなり、ただ受けとるばかりだ。
恋人を愛するにも、恋人の裡にある自分を愛する。若いころには、自分の裡にある恋人を愛する。

結婚は一切のものを呑み込む魔物と絶えず戦わなくてはならない。
その魔物とはすなわち、習慣のことだ。

芸術の使命は、自然を模倣することではなくて、自然を表現することである。
バルザック

299:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:08:26.86 WeHPztdI.net

へつらい者…右を向けと言われ、そのとおりにすると、うしろから
足蹴にされることがないように、腹ばいになったまま、えらい人に近づこうとする人間。

博学…学問に勤勉な人の特色であるところの一種の無知

友情…天気のいい日は二人乗るが、悪い日は一人しか乗れない船。

商業…Aなる者がBなる者から、Cなる者の商品を奪い、その埋め合わせに
Bなる者がDなる者のポケットから、Eなる者の所有にかかる金銭をかすめとる取引の一種。

外交…祖国のために嘘を言う愛国的行為。

宗教…「希望」と「恐怖」を両親とし、
「無知」に対して「不可知なもの」の本質を説明する娘。

平和…二つの戦争の時期の間に介在する、だまし合いの時期。

幸福…他人の不幸を眺めることから生ずる快適な感覚。

忍耐…それによって凡人が不名誉な成功を収めるくだらない美徳。

愛国者…政治家に手もなくだまされるお人好し。征服者のお先棒をかつぐ人間。

成功…自分と同輩者に対して犯す、ただひとつの許すべからざる罪。

戦争…平和の技術が産み出す副産物。
国際親善の時期に、政治情勢が最大の危険に直面する。

批評家…自分に機嫌をとる者が誰もいないところから、
自分は気むずかしい人間だと自負している連中。

政治…主義・主張の争いという美味のもとに
正体を隠している利害関係の衝突。私益のために国事を運営すること。
ビアス「悪魔の辞典」

300:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:08:49.70 WeHPztdI.net

政治…仮装して行う利害得失の争い。

教育…それぞれ理解力に欠けていることを、監者に対しては赤裸に示し、
患者に対しては隠匿して見せないようにすること。

正義…忠誠・税金・個人的奉仕に対する酬いとして、度合いの差はあっても、
一国の政府が市民に売りつける品質のおちたる商品。

武勇…虚栄心と義務感と賭博者の希望から成り立っている軍人特有の混合物。

歯医者…お前の口に金属を入れ、お前のポケットから硬貨を引き出す男。

歴史…おおかた悪い支配者と、馬鹿な兵士とによって惹起された、
おおむね事業ではない出来事に関する、おおよそ誤っている記述。

法律家…法律の網をくぐる技術に練達している者。

無宗教…世界中の偉大な信仰の中で、いちばん重要な信仰。

知合い…相手が貧乏だったとか無名であった場合には、顔見知りくらいだといわれ、
金持ちだったり、有名だったりする場合には親密な人間だ、といわれる友人関係をいう。

礼儀…文句なく是認される偽善。

結婚…共同生活体のひとつの場合で、一人の主人と一人の主婦と、
二人の奴隷とから成り、それでいて全部合わせても
二人にしかならない状態あるいは境遇。

議論…他の人々の思い違いをますます強固なものにする方法。

退屈な人間…聞いてもらいたいときに話をする人間。

金銭…手放す場合はともかく、いくら持っていてもなんの利益ももたらさない結構な代物。
教養のしるし、あるいは社交界の入場券。持っていても悪くない、持ちはこび自由な財産。
ビアス「悪魔の辞典」

301:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:09:53.94 WeHPztdI.net

「幸福」ということばには、何か憂鬱な調子がある。
それを口にするとき、すでにそれは逃げ去っている。

よい思想はけっして人間独自の仕事ではない。
それは人間をとおして流れ出るだけのものである。

われわれが、人生で当面する憎しみの大半は、
単に嫉妬か、あるいは辱かしめられた愛にほかならない。

人生において、最も堪えがたいことは、世の経験を積んだ多くの人々の言によると、
悪天侯がつづくことではなく、雲ひとつない日がつづくことなのである。

仕事に対する考えを整理するとか、熟考するとか口走るのは、
おおかた仕事を逃れる口実である。

何かにつけて憤怒をいだくうちは自己を制御していない。
すべての悪に対しては、平静な低抗が最高の勝利をおさめる。

十字架は重い。しかし不思議なことに、それは汝を担うが、
汝はそれをほとんど担ったことがない。

心配に対する最上の対策は忍耐と勇気である。

忠告は雪に似て、静かに降れば降るほど心に長くかかり、
心に食い込んでいくことも深くなる。

恐怖はつねに人間の中に何か正しくないことが生じた徴侯である。
…恐怖は、苦痛が肉体に対して果すのと同様に、精神に対しても貴重な警告者の役目を果す。

悦びがなんであるかは、元来、多くの苦しみを耐え忍んできた人のみが知っている。
その他の人たちは、真の悦びとは似ても似つかない単なる快楽を知っているにすぎない。
ヒルティ

302:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:13:31.94 WeHPztdI.net

悪人が受けるおもな罰は、彼ら悪人が善心に立ちかえった瞬間に、
よりよくなろうと願っても、もはや善の道に還ることができないという点にある。

才能と意志の欠けているところにいちばん嫉妬が生ずる。

旅路の仕度すでに整いたれば、あまりに重荷を負うベからず。
神の和ぎと恵みのうちに悦びもて彼処に進まん。

日々の新聞は、完全によいことを称讃することはめったになく、
逆にほとんどつねに、効果のありそうな、耳目をそばだたせるような
悪いことを書きたてている。

明日は試練に応じた新しい力をもたらすであろう。

河の氾濫が土を掘って田畑を耕すように、病気はすべて人の心を掘って
耕してくれる。病気を正しく理解してこれに耐える人は、より深く、より強く、より大きくなる。

神に代わって人間を支配する三つの力であるカネと名誉と享楽との
関係を断ったときに、人は初めて自分を自由に感じよう。

諸君が求める最も美しい死は、魂と肉体の休息から生ずる肉体的生命の平穏な中止であろう。

高慢はつねに相当量の愚かさに結びついている。高慢はつねに
破滅の一歩手前で現われる。高慢になる人は、もう勝負に負けているのである。
ヒルティ
スイスの法学者、哲学者。
(Carl Hilty, 1833 - 1909)

303:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:14:01.34 WeHPztdI.net

ものを書くのは他人のためであって、自分のために書くのではない。

人生とは精神の生殖作用である。

人間が宗教の始めであり、人間が宗教の中心点であり、人間が宗教の終わりである。

信仰とは意見であるが、その意見は真理を含んだ意見である。

宗教にとっては、神聖なるもののみが真実である。
哲学にとっては、真実なるもののみが神聖である。

法律なければ刑罰もない。

近世の課題は、神の現実化と人間化…つまり神学の人間学への転化と解消であった。
フォイエルバッハ
ドイツの哲学者。
(Ludwig Andreas Feuerbach, 1804 - 1872)

304:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:14:32.27 WeHPztdI.net

お世辞を言うにはカネがかからないが、大多数の者はお世辞に対して大金を支払っている。

今日の卵をうるよりも明日の鶏をうるほうがよい。

信仰とは、耳で見ることである。

勇敢な行為はけっして勝利を欲しない。

多くの人たちは逆境に堪えうるが、軽蔑に堪えうる者は少ない。

妻は絶えず夫に服従することによって彼を支配する。

学習は善人をいっそうよくし、悪人をいっそう悪くする。

慈善と尊大は異なった目的を持つが、両者はともに貧者を養う。

最初の呼吸が死の初めだ。

猫は九つの命を持ち、女は九匹の猫の命を持つ。

男は火であり、女は麻布である。悪魔がやってきて、彼らを燃えあがらせる。

立証が多過ぎることはなにも立証しないことである。

結婚前には目を見開き、結婚してからは目を閉じていることだ。

親しくなればなるほど危険が増す。

記憶は心の貯蔵庫である。
フラー
イギリスの神学者、警句家。
(Thomas Fuller, 1608 - 1661)

305:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:15:01.32 WeHPztdI.net

あらゆる支配を免れし完全なる自由は、
他の人々による節度を有せし支配に少なからず劣るなり。

不正を非難する人とは、己れが不正をなすことを怖れて
非難するにあらずして、不正を被らんことを怖れて非難するなり。

人間のことはなににてあれ、大いなる心労に値せず。

人類の暴君たる法は、本性に反する多くのことをなすべく、しばしばわれわれに強制す。

俗衆の神々を否定することが冒涜にあらずして、俗衆の見解を神々に適用することが冒涜なり。

哲学者の全生涯は、まさに死にいたることと、その死を成就することとにほかならず。

子供はすべての動物のうちで最も取り扱いがたい。
というのは、子供はまだ鍛練されていない思慮の泉をもっとも多くもつだけに、
動物のうちで最もずるく、すばしこく、高慢であるからなり。

寡頭政治とは、財産の評価に依存する政府にて、
そこで富者が権力を有し、貧者が力を奪い取られる。

専制君主の懇願には強制がまじる。

少年たちの勉学を強制と厳格さによりて訓練せず、
彼らに興味をいだかせるべく導くならば、彼らは心の張りを発見せん。

少年を暴力と厳しさによって教え込もうとするな。彼の興味を利用して指導せよ。
そうすれば自分の能力がどこに向いているか、少年自身で見出しやすくなる。

恋する者の狂乱は、あらゆる狂乱の中で最も幸いなるものなり。

戦争と極貧は国制の転覆を強制し、法律を改変す。

本質と存在の融合が最高度に実現されるのは、まさに愛をとおしてのみである。

正義とは、己れにふさわしきものを所有し、己れにふさわしきように行為することなり。
プラトン

306:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:15:33.16 WeHPztdI.net

あまりに寛容な法律はほとんど守られず、あまりに厳格な法律は励行されない。

どんな馬鹿でも、あら探しをしたり、難くせをつけたり、
苦情を言ったりできる…そしてたいていの馬鹿がそれをやる。

もろもろの悪行は、禁じられているがゆえに有害なのではなく、有害なるがゆえに禁じられている。

よい法律家は悪い隣人。

わたしは、人の意見に真っ向から反対したり、自分の意見を断定的に
述べないことにした。決定的な意見を意味するようなことば、たとえば、
「確かに」とか「疑いもなく」などということばはいっさい使わず、
その代わりに「自分としてはこう思うのだが…」とか「わたしにはそう思えるのだが…」
ということにした。相手が明らかに間違ったことを主張しても、
すぐそれに反対し、相手の誤りを指摘することをやめた。
そして、「なるほどそういう場合もあるだろうが、しかしこの場合は、
少し事情が違うように思われるのだが…」というぐあいに切り出すことにした。
こうして、今までのやり方を変えてみると、ずいぶんと利益があった。
人との話し合いが、それまでよりもよほど楽しく進む。控え目に意見を述べると、
相手はすぐ納得し、反対する者も少なくなった。わたし自身の誤りを認めるのが
大して苦にならなくなり、また、相手の誤りも、たやすく認めさせることができるようになった。
フランクリン

307:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:15:56.46 WeHPztdI.net

一つの党派が、その全体としての目的を達成するや否や、各党員は
自己の個人的利益に熱中し、お互いに排除し、党を分裂させ、紛糾を大きくする。

三人の信頼するに足る友がある。老いたる妻、老いたる犬、それに貯金。

人間の幸福は、稀にしかやって来ないような幸運の大きな部分によって
つくられたのではなくて、日々生まれるわずかの利益によってつくられる。

人間は道具をつくる動物である。

今日の一つは明日の二つにまさる。

今日は昨日の生徒である。

借金する者は悲嘆にくれる。

借金というものは、人を束縛し、債権者に対して一種の奴隷にしてしまうものである。

口論はだれにもできるゲームだが、双方とも決して勝てない奇妙なゲームだ。

幸福になるためには二つの道がある。欲望を減らすか、持物をふやすかである。どちらでもよい。

従順でない娘は取り扱いにくい妻である。
フランクリン

308:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:16:13.11 WeHPztdI.net

怒りと愚行は相並んで歩み、悔恨が両者のかかとを踏む。

愚行の第一段階は己れ自身の賢明さを隠匿することにあり、
第二段階はそれを告白することであり、第三段階は忠言を侮ることである。

明日なさねばならないことがあったなら、今日のうちになせ。

書記の職をやめさせて他人にやらせたいならば、私からその職を取り上げるがよい。
私は辞職して、私の敵にいつか復仇してやる権利を捨てるようなことはしない。

神は癒し、医者は治療代をとる。

立っている農夫は、ひざまづいている紳士よりも上にいる。

良い戦争、悪い平和などがあったためしがない。

虚弱な者にとって、朗らかな顔は上天気と同じくらいうれしいものだ。

諸君は100年も生きるつもりで働け。諸君は明日死ぬつもりで遊べ。

議論したり反駁したりしているうちには、相手に勝つようなこともあるだろう。
しかし、それは空しい勝利だ。相手の好意は絶対にかち得られないのだから。

貨幣は繁殖力と結実力を持つものであることを思え。

貿易によって破滅した国はいまだかつてなかった。

金を貸した者は、金を借りた者よりも記憶がよい。

長年の経験が私に教えたことが少なくとも一つある。
相手が不快なことを口走っても嫌がらずに、むしろ積極的にそれを取りあげて、
少しでも相手の意見を尊重していることを示すのだ。
そうすれば相手もこちらの意見を尊重してくれる。
フランクリン
アメリカの政治家、外交官、著述家、物理学者。
(Benjamin Franklin, 1706-1790)

309:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:16:35.41 WeHPztdI.net

ある人が嘘を吐くということを考えてみれば、それは、その者が神に対しては
大胆であり、人間に対しては卑怯である、ということにほかならない。

わが心を打ち明ける友を持たない人々は、己れと己れの心とを食う人喰い鬼である。

不可思議…それは知識の種である。

世には悪のために悪をなす者はいない。
みんな悪によって利益・快楽・名誉をえようと思って悪をなす。

人の天性は良草を生ずるか、雑草を生ずるか、そのいずれかである。
だから、折をみて良草に水をやり、雑草を除かねばならない。

健康な身体は魂の客間であり、病身は監獄である。

党派は低いもの、微力なものほどその結合が固い。

国家が若い時代には武事、中年には学問が栄える。国家が衰亡する時代には工芸技術と商業が栄える。

多くのとるに足りないへつらい者にとりまかれた最大のへつらい者は己れ自身である。

大胆な人間の適切な用い方は、これを頭目として指揮させず、
部下として他の指図を受けさせることにある。

妻子を持つ者は、運命に人質を入れたものである。
というのは、妻子は善であれ、悪であれ、大事業の足手まといになるから。

嫉妬はつねに他人との比較においてであり、比較のないところには嫉妬はない。

宗教は生活の腐敗を妨ぐべき香料である。

平和は戦争よりもよい。というのは、平時において息子たちは父親たちを埋葬し、
戦時において父親たちが息子たちを埋葬するからである。
フランシス・べーコン

310:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:17:34.04 WeHPztdI.net

忍耐というのは集結された根気である。

悪賢い人は勉強を軽蔑し、単純な人は勉強を称賛し、賢い人は勉強を利用する。

愛することと、賢くなることとは不可能だ。

時間を全然消費しなければ、年において若くとも、時間においては老いていることもありうる。

歴史は人間を賢明にし、詩は多才あるものに、数学は鋭敏にし、
自然哲学は深遠にし、倫理学は重厚ならしめ、論理学と修辞学は議論に秀でさせる。

真の友を持てないのは、まったく惨めな孤独である。友人がなければ世界は荒野にすぎない。

租税を過大に課せられた国民は大帝国なるに適さない。

空威張りする人間は賢者に軽蔑され、愚者に感嘆され、
寄生的人間にたてまつられ、彼ら自身の高慢心の奴隷となる。

結婚する男は七年も老いたと思うであろう。

結婚のための愛は人間をつくるが、友情の愛は人間を完成する。

虚偽を加味することは、金銀貨の混合物のように、
金属をより実用に役立たせるかもしれないが、その質を低下させる。

裁判官としての職務は、法律を解明することに存し、法律を制定することではない。

迷信の首魁は民衆である。すべて迷信においては、賢者たちが愚者どもに追随する。
そして正常の場合とは反対に、まず実行があって、あとから理論がこれに当てはめられる。

金はこやしのようなもので、散布しない場合は役に立たない。

金はよい召使いだが、場合によっては悪い主人でもある。

高位にある人間は三重に下僕である。
すなわち、君主または国家の下僕でおり、名声の下僕であり、仕事の下僕である。
フランシス・べーコン

311:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:18:13.55 WeHPztdI.net

あまり若いうちから党派に所属していると、仲問に囲まれているという心地よさと
ひきかえに、自己の判断を売る、という危険を犯すことになる。

われわれがある人間を僧む場合、われわれはただ彼の姿を借りて、
われわれの内部にあるなに者かを憎んでいるのである。

人生は一頭の馬である。軽快なたくましい馬である。
人間はそれを騎手のように大胆に、しかも細心に取り扱わなければならない。

天才は万人から人類の花と認められながら、いたるところに苦難と混乱を惹起する。
天才はつねに孤立して生まれ、孤独の運命を持つ。天才が遺伝することはありえない。

孤独の宗教、それはまだ本物ではない。宗教は共通のものにならねばならない。
宗教は礼拝と陶酔、祝祭と秘法を持たねばならない。

学問とは、相違を発見することに没頭することにほかならない。…学問とは識別の術である。

平和は天国の原始状態でもなく、合意によって秩序づけられた共同生活の一形態でもない。
平和はわれわれが熟知していないもので、ただ探求し、予感しているだけのものだ。

幸福を追い求めている限り、君はいつまで経っても幸福にはなれない、
たとえ最愛のものを手に入れたとしても。

救いの道は右にも左にも通じていない。
それは自分自身の心に通じる道である。そこにのみ神があり、そこにのみ平和がある。

木は神聖なものである。木と話し、木に耳を傾けることを知るものは真理を知る。
木は教養も処分も説かない。木は個々のことにとらわれず、生の根本法則を説く。

私がとても愛している徳がたったひとつある。その名は「わがまま」という。

精神は、真理に対して従順である場合にのみ有益かつ高貴である。

自己の運命を担う勇気を持つ者のみが英雄である。

芸術はいちばん感覚的なもので始まり、いちばん抽象的なものに通ずることができた。
あるいは純粋な観念の世界に始まり、いちばん血の気の多い肉に終わることができた。
ヘッセ

312:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:18:32.76 WeHPztdI.net

あらゆる愚鈍を汲みつくし、底にある英知に到達する。

人間は異郷に生まれて来る。生きることは故郷を求めることである。
考えることは生きることである。

恋人はミルク、花嫁はバター、妻はチーズ。

暴政を顛覆しようと欲する者は、まず暴君に仕えねばならない。

病気は千もあるが、健康は一つしかない。

自然にも国家と同じように多くの法律があったならば、神でも自然を支配しきれないであろう。

苦痛は英知の父であり、愛情は母である。

銀行の出納係に似ている学者が少なくない。
多くの金を出す鍵は持っていても、そのカネは自分のものではない。
ベルネ
ドイツの政治的作家、文芸評論家。
(Karl Ludwig Borne, 1786 - 1837)

313:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:18:53.32 WeHPztdI.net

いかなる政府も、有力な野党なくしては永く安全はありえない。

どんな女も結婚すべきであり、どんな男も結婚すべきではない、とつねづね考えている。

人と話をする時は、その人自身のことを話題にせよ。
そうすれば、相手は何時間でもこちらの話を聞いてくれる。

人生は運命にほかならない。青年は過ちを犯し、壮年は争い、老年は悔悟する。

仲買人はAの相手方をごまかし、Bの相手方を略奪する。

保守的政府は組織化された偽善である。

恐怖はわれわれをして人間性を感じさせる。

成功の秘訣は目的への節操である。

成功は「大胆不敵」の子供である。

批評家というものは、文学や芸術の面で失敗した連中である。

時は貴重であるが、真実はそれよりもっと貴重である。

最も力強い人間は公人ではない。世界を支配するのは私的生活である。
諸君が評判になればなるほど力弱くなる。公人は責任ある地位にある。
責任ある地位にある人間は奴隷である。

確立した目的を持つ人間は、それを実現せねばならない。
その実現のために、実在しようとする意志に対しては何物も低抗しうるものではない。

誠実にまされる知恵なし。

逆境にまさる教育はない。
ベンジャミン・ディスレーリ
イギリスの政治家。
(Benjamin Disraeli, 1804 - 1881)

314:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:19:13.40 WeHPztdI.net

おお主よ、われに力と勇気を与えたまえ、わが肉、わが心を嫌悪の念なく見んがために。

宿世は短し! 墓は待つ、墓は飢えたり!

恋愛が面倒なのは、それが共犯者なしではすまされない罪悪だという点にある。

恐怖の魅力に酔いうる者は強者のみ!

死していたずらに涙を請わんより、生きながらにして烏を招き、汚れたる脊髄の端々をついばましめん。

神は、支配するために存在することすら必要としない唯一の存在である。

老若を間わず棺桶が同じ大きさだということは、聡明な死が示す怪奇な、魅惑的な趣味のシンボルだ。

過去は幻影としての刺激を保ちながら、その生命の光と動きを取り戻して現在となる。
ボードレール

315:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:19:32.83 WeHPztdI.net

人間は幸福ではない。しかし、つねに未来に幸福を期待する存在なのだ。
魂はふるさとを離れて不安にふるえ、未来の生活に思いをはせて憩うのだ。

卑しい心がその奴隷となって苦しむ嫉妬は、
学問もあり、気性のすぐれた者にあっては競争心となる。

女は彼女と恋に陥っている男を憎むことはまずないが、
多くの場合、女は彼女と友だちである男を憎む。

学者は「自然」の探求を喜び、愚者は余計なことを知らぬのを喜ぶ。

真の幸福はどこにも定着しない。探すとどこにも見つからないが、
いたるところに存する。金ではけっして買えないが、いつでも手に入れられる。

神の謎を解くなどと思い上がるな、人間の正しい研究課題は人間である。

自愛は現在の意識で当面の利益をみ、理性は未来と結果を考える。

蟻の共和国と蜜蜂の王国に学ぶがよい。
蟻は富のすべてを共同に分け合い、政府はなくとも混乱を知らない。
蜜蜂は君主の支配はあっても、つねに個々に富と財産を保持する。

迷信は暴君に恐怖を与え、圧制に参与し、
援助を与え、征服者を神とし、人民を奴隷にした。
ポープ
イギリスの詩人。
(Alexander Pope, 1688 - 1744)

316:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:20:27.17 WeHPztdI.net

すべての悲運の中においても、最も大なる不幸は、昔幸福なりしことなり。

怒りは一時の狂気なり。汝が怒りを制さざれば、怒りが汝を制せん。

悪徳からの逃避は美徳の始まり。
ホラティウス
ローマの詩人。
(Horatius, B.C.65 - B.C.8)

317:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:20:46.01 WeHPztdI.net

なに者にもまして価値のある意見を吐く批評家は大衆である。

人がいちばん鼻をかむのは、教会を除いたら葬式のときだ。

人の大望を鼻であしらう人間とはつき合わぬことだ。それが小人の常だから。
しかし真の大人物に会うと、すばらしいことに、
こちらも大人物になれそうな気持にしてくれる。

人の生涯で必要なすべては無知と信頼であり、そうすれば成功は保証される。

人間だけが赤面できる動物である。あるいは、そうする必要のある動物である。

人間の一生には、投機に手を出してはいけないときが二度ある。
それができる余裕のないときと、それができるときが、すなわちそれだ。

文学・音楽・劇にみられる批評家の仕事は、
あらゆる商売のうちで最も下卑なものである。

王たちはたいてい無頼漢だ。

相手に気に入られる最上の方法は、
あなたが聞いたとおりに、相手が語ったことを再び語ることだ。

真実はわれわれが持ついちばん価値のあるものだ。それを経済的に使おう。

立腹したら四つ数えよ。怒り狂ったら誓え。

花野菜は大学教育を受けたキャベツである。
マーク・トウェイン
アメリカの作家、小説家。
(Mark Twain, 1835 - 1910)

318:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:21:09.91 WeHPztdI.net

すべての国家が持つべき重要な基礎は、その国の新しいもの、旧いもの、
あるいはまた両者の混合したものとを間わず、善法と良兵とにある。

やむをえざるときの戦いは正しく、
武器のほかに希望を絶たれるときは武器もまた神聖である。

キリスト教の信仰は、善良な人々を暴虐不正な者どもの餌食にしてしまった。

人は善よりも悪に傾く。

元来人間は、父親が殺されたことはすぐ忘れるが、
その遺産をなくしたことは、なかなか忘れない。

君主は狐と獅子を選ぶべきである。獅子は陥し穴に対して
みずから防ぐことはできないし、狐は狼に対して防ぐことができない。
したがって、わなを知るためには狐となり、狼を走らせるためには獅子とならねばならない。

君主は私が列挙したような善徳を、ことごとく備える必要はない。
ただ備えているようなふうを装うことが絶対必要である。

徒党・党派が相伴ってくる分裂は国家に有害であり、
徒党・党派なくして維持される分裂は国家を助ける。

忍従とか謙譲を義務とするあらゆる宗教は、
市民に対して消極的な勇気のみしか鼓吹しない。

政治家はキツネの狡知とライオンの威を必要とする。

統治術の大きな目標は永続ということであろう。
これは自由よりもずっと貴重であり、他のいっさいのものにまさる。

運命はわれわれの行為の半分を支配し、他の半分をわれわれ自身にゆだねる。

高慢な相手には、屈従すれば勝てると考えるのは誤りである。
マキァヴェリ

319:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:23:01.15 WeHPztdI.net

「自分としては賛成しかねるのだけれど、全体で決まったことなので…」
などというのは、責任者としてとるべき責任の自覚に欠けている。

いくつになってもわからないのが人生。
わからない人生を、わかったつもりで歩むほど危険なことはない。

いろいろ問題のあることがむしろ望ましい。
経営者としては瞬時も休めるときがないという時代こそ、
生きがいを感じるときである。

お互い経営をするものが、下手な経営、非能率的な経営、利益を
あげない経営をすれば、そこが損をするだけではなく、その損失は全部の国民に影響するのである。

かりにある国がいちばんいい政治をやっているのであれば、
代わってその国に政治をやってもらう。
そして税金の一部をロイヤリティーとして支払う。そ
れでも国費が三分の一になったら、国民は得である。
われわれ経営者はそれをやっている。

なぜ経営をせねばならないかという、
その「なぜ」がわからなければ、経営は成り立たない。

まず熱意を人並以上に持ち続けられるかどうかが、経営者としての必須条件だ。
これに知識をかけ算し、経験を足し算せねば真の知恵はわいてこない。

もの知りだけでは経営はできない。山野をのり越え苦境を切り抜けた、
その汗と涙のなかから知恵を生みだした者でなければ、経営を成功させることはできない。

人事問題は、経営を左右する。

何が正しいか、ということに生命を賭すことが
できないならば、経営者を辞したほうがよい。

即断、即行できる見識と機敏な実行力は指導者に不可欠の要件だ。
松下幸之助

320:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:30:20.02 WeHPztdI.net

困難な仕事を避けてはいけない。困難な仕事に
立ち向かい克服してこそ、真の経営者といえる。

321:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:30:35.57 WeHPztdI.net

大衆はきわめて賢明であり、きわめて公正である。
われわれはつねにこの賢明にして公正な大衆の期待にいかに応え、
いかに奉仕するかという点に、経営の根本をおいて仕事を進めなければならない。

心を許して遊ぶようでは、経営者とはいえない。

愚人の経営もいけないが、賢人の経営もいけない。
衆知による経営でなければならないということだ。

愛のない経営が好ましくないように、
愛なり慈悲の少ない政治は許されるはずがない。

成功は運がよかったから。失敗は自分に力がなかったから。
そう考えて経営をやってきた。

機会というものは真に熱意を持って事に当たっておれば、
随所にあるものではないだろうか。

水の流れも澱めば腐る。経営も日に日に新しい流れが
なくてはいけない。そうでないと、衰え、進歩が止まってしまう。

決断することが経営者の仕事である。だからといって先頭に立つ必要はない。
最後部で指揮を執る。先頭に立ったら、ただの一人にすぎない。
松下幸之助

322:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:31:03.60 WeHPztdI.net

社会の発展に寄与するために何をなすべきかを、お互い経営者は考えねばならない。
わが業界、わが企業という考えだけをすることは許されない。

私はこれまで、できるだけ無理をしないということで、経営をすすめてきた。
いいかえれば、自分の力の範囲で仕事をしてきたということだ。

私は経営を公明正大にやってきた。いかなる商品も売れるからといって
不当な利益をむさぼったこともないし、この価格が適当適正だと
考えたものについては安易な値引きをすることもしなかった。

経営がうまくいくのもいかないのも、国がうまくいくのもいかないのも、
外部ではなく内部に原因がある。

経営が好きで、辞を低くして知恵を集めることができるものは、
誰でも経営者になれる。

経営が好きであれば、かりに遊んでいても、
そこからふっとヒントを得て、それを経営に有効に活かすことができる。

経営というものは、非常に躍動的な、しかも生きた総合芸術である。
経営には真理が活かされ、善も美も活かされている。
そして国家社会のために大きな貢献をするのが、経営である。
こう考えると、経営というものは、ほんとうに崇高な総合芸術である。

経営とは、総合的な生きた芸術である。白紙の上に平面的に
価値を創造するだけでない。立体というか四方八方に広がる芸術である。
となれば、経営者はまさに総合芸術家。したがって単なる金儲け、
単なる虚栄のための経営であってはならない。
人生とは何か、人間とは何かという哲学がなければならない。
そうでなけれぱ名画を描くことはできるものではない。

経営には、勇気が必要である。
その勇気は、何が正しいかというところから生まれてくる。

経営には、理屈でない、目に見えない、言うに言えない要因が働いて、
想像もできないような成果を生みだすことがある。
松下幸之助

323:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:31:27.59 WeHPztdI.net

経営にも、万一の場合に備えて、設備や資金などのダムをつくり、
ゆとりをもった経営をすすめていくことが肝要である。そうすれば、
いかなる経営環境のもとでも安定的な経営をすすめていくことができるだろう。

324:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:31:43.22 WeHPztdI.net

経営は「私」のものではない。私企業であるけれども、その本質は「公」である。
単に会社あるいは個人の名において運営しているにすぎない。

経営をいちばん熱心に真剣に考えるのは、中小企業の主人公だ。
大企業の経営者は困難を直接肌で感じないから、おのずと行動に力弱さが出てくる。

経営をすすめるとき、気宇は大きく、神経は濃やかでなければならない。

経営学は知ることができる。
しかし、生きた経営というものは、教えるに教えられない、
習うに習えない、自得するしかないものだ。

経営理念は、まず経営者が考えて考え抜いて、自身で心の底から、
これだ、と思えるもの、さらに従業員も株主も納得できるもの、
広く世間の人びとが賛成してくれるもの、
そして天地自然の理にかなっているものでなければならない。

経営者が社員の給料を増やすことは大事である。
しかし、社員が魂を打ち込んで仕事ができる環境を整えることのほうが、さらに大事である。

経営者でも、政治を知らない人はダメである。政治家でも、経営を知らない人はダメである。

経営者というものは、平時にあっては後方で采配を振るっていればよい。
しかし、非常時には、みずから難局にあたって率先垂範するべきである。

経営者に欠くことのできない条件は、体験、カン、判断の速さ、実行力、勇気の五つである。
松下幸之助

325:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:32:09.20 WeHPztdI.net

経営者の立場に立つ人は、先憂後楽という考え方をもっていないといけないと思う。
およそ経営者たる者は、人と共に憂い、人と共に楽しむということではいけない。
人よりも先に憂い、人よりも後に楽しむという志がなければならない。

経営者は、いつも将来というものが頭にないといけない。
五年後、十年後にどうなるか、どうすべきか。そのうえで、今どうしたらいいのかを考える。
将来から現在を考えるのが、経営者としての発想である。

経営者は、つねに死を覚悟して、しかもつねに
方向転換する離れわざを心に描ける人でなければならない。
松下幸之助

326:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:32:41.24 WeHPztdI.net

経営者は、事を誤って事業が失敗したような場合には、
自分が破産しても、たとえ一円でも従業員に渡すということを
考えなくてはいけない。それが経営者の心がまえである。

経営者は、社員に経営の成果を知らせる責任がある。
社員の働きがあればこその成果である以上、それが社員に対する礼儀というものだ。

経営者は、自分の商売から、業界、産業界、さらには、社会、政治、
国家、世界まで広げて、一連の責任を自覚することが要望されている。

経営者は事にあたり、まず冷静に判断し行動しなければならない。
そしてそのうえでそっと情を添えることが肝要である。

自分だけ儲けようという考え方は、どこかに弱さがある。
社会とともに発展するのだ、世の中のためになる仕事をするのだ、と
考え実践してこそ、経営に力強さが生まれる。

適正な利益というものは、企業の使命達成に対する報酬である。
だから、利益なき経営は社会に対する貢献が少なく、
その本来の使命を果たしえていないといえる。
松下幸之助

327:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:33:17.53 WeHPztdI.net

ジャーナリストは公平な批評家であるよりも、むしろ党派的意見の代表者である。

人は自分の想像力で作り出したものに対して嫉妬する。
…しかし嫉妬において想像力が働くのは
その中に混入してゐるなんらかの愛に依つてである。

人は軽蔑されたと感じたときによく怒る。だから自信のある者はあまり怒らない。

勤勉であることは人間を知らず識らず屈従的ならしめる。

取締政治は人間性の明るい方面を見ないで暗い方面のみを見てゆく。
それは民衆に対する封建的な考へ方であるが、
官僚政治はとかくそのやうな傾向を有するのである。

同じ職業の者が真の友人になることは、
違った職業の者の間においてよりも遥かに困難である。

幸福は常に外に現はれる。
単に内面的なことであるといふやうな幸福は真の幸福ではない。

幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのやうに感じられるほど
今の世の中は不幸に充ちてゐるのではあるまいか。

政治の過剰は政治的思考の充実を示すものでなく、
反対に政治の科学性の没却、政治哲学の貧困を語るものである。

死の恐怖は浪漫的であり、死の平和は古典的である。
死の平和が感じられるに至つて初めて生のリアリズムに達するともいはれるであらう。

独断家は甚だしばしば敗北主義者、知性の敗北主義者である。
彼は外見に現はれるほど決して強くはない。
三木清
京都学派を代表する、兵庫県出身の哲学者。
(みき きよし, 1897 - 1945)

328:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:33:54.15 WeHPztdI.net

悪よ、汝わが善たれ。汝によりせめて分かれし帝国を
天の王とともに維持し、汝により過半を治めよう。

悪魔は羞じろうて立ち、善のいかに怖るべきかを感じ、
徳のその像いかに愛しきかをみる。

成上がりの情念は理性より主権を奪い、それまで自由なる人々を奴隷にす。

朝が昼の証を示すごとく、幼き時代は成人の証となる。

汝往くはひとりにあらず、夫もともに往く。
汝彼に従うべく定まる。彼のとどまるところを郷土と思え。

生命を愛すな、憎むな。生くるかぎりよく生きよ。その永き、短きは天に譲れ。

男は思索と勇気のために、女は柔和とゆかしき典雅とのためにつくらる。
ミルトン

329:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:34:11.29 WeHPztdI.net

わが行く道に茨多し されど生命の道は一つ この外に道なし この道を行く

人生にとつて健康は目的ではない。しかし最初の条件なのである。

人間は神がつくったということは僕は信じられない。
神がつくったものとしては人間は無常すぎ、不完全すぎる。
しかし自然が生んだとしたら、あまりに傑作すぎるように思うのだ。

何にも特色がなくても正直に働く人は、それは新しい世界の基礎になる。

友情の価値は両方が独立性を傷つけずにつきあえるという点にあるのだ。

死の恐怖を味あふことは、
その人がまだ生きてしなければならない仕事をしていたいからだ。

生まれけり、死ぬるまで生くるなり。

結婚するのも幸せだし、結婚しないのも幸せだ。
どっちにも人間としての喜びがある。

自分は俗衆に理解された時、芸術は使命を果たし、
同時に価値を失ふものと思つてゐる。

風流には嫉妬はない、利己的なものはない、
没我的であり、非人工的なものである。

馬鹿な者は独身の間は結婚した時のよろこびを空想し、
結婚すると独身時のよろこびを空想する。
武者小路実篤

330:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:34:45.89 WeHPztdI.net

すべての人間にとりて共通のあらゆる多くの禍いのうち、最大なるものは悲しみなり。

すべての自由人は法というひとつのものに屈従するも、
奴隷は法と主人の二つのものに屈従する。

われわれの考えること、言うこと、行うこと、すべてこれ「運」にして、
われわれはただ「運」の発行する手形の権利譲渡にすぎず。

主人とはいえ結局は家庭の一奴隷。

人間は、不幸にありては希望が救いの主。

女は必要悪なり。

娘ほど荷厄介なる、取り扱いがたきものなし。

時は免れがたきすべての禍いの医者なり。

沈黙は賢者には十分なる答えなり。沈黙は同意を示す。

父親たちは彼らの娘につき自慢し、
母親たちは彼女らの息子につき自慢しがちなものなり。

男心をそそるただひとつの、正真正銘の愛の媚薬、
それは思いやり深い気立てなり。男はつねにこれに参る。

神々に愛さるる者は若くして死す。

結婚は邪悪なるも必要なる邪悪なり。

都合のよきときに、富み栄えている人にへつらう友は、まことの友にあらず、都合の友なり。
メナンドロス
古代ギリシアの喜劇作家。
(Menandros, B.C.年 - B.C.292)

331:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:35:07.64 WeHPztdI.net

人は生まれ、苦しみ、そして死ぬ。

人生とは、切符を買って軌道の上を走る車に乗る人にはわからない。

人間の不幸のひとつは、彼らがはや性的魅力を失ってから
ずっと以後まで、性欲だけが残っていることである。

人間はすべて暗い森である。

作家は創造の熱望を持つが、同時にそれによって食うという
罪のない熟望を持つ。そして作家は名声と富を追う。

思い煩うことはない。人生は無意味なのだ!

結婚はすばらしいことだが、結婚という習慣をつけたことはミステークだと思う。

良心は、個人が自己保存のために啓発した社会の秩序を見守る守護神だ。

親が子に対する愛情こそは全く利害を離れた唯一の情緒である。

金銭は第六感のようなもので、これがないと他の五感も満足に働かない。
モーム
イギリスの小説家、劇作家。
(William Somerset Maugham , 1874 - 1965)

332:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:38:22.72 WeHPztdI.net

人々がどんなことを言おうとも、
女の最大の野心は愛を吹き込むことだと信じている。

人々は、たいがい無我夢中に急いで結婚するから一生悔いることになる。

人間たちが罪を持ち込むことができぬほどに無垢なものは存在しない。

女は、せいぜい胴衣とズボンの見分けがつくくらい頭が進歩していりゃたくさんさ。

愛はしばしば結婚の果実である。

政治なら心得てます。知っていることも知らぬふり、知らぬことも知っているふり、
聞こえることも聞こえぬふり、何でもないことを重大な秘密のように隠し、
探偵を放ち、要人を養い、目的を口実に手段の卑しさを
高尚に見せかけること。これが、政治なのでございます。

議論は議論から道理を追っ払う。

雌鳥は雄鶏より先に唄ってはいけないものだ。
モリエール
フランスの劇作家。古典主義の三大作家のひとり。
(Moliere, 1622 - 1673)

333:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:51:40.45 WeHPztdI.net

「考える」ということばを聞くが、私は何か書いているときのほか考えたことはない。

すぐれた最良の政体とは、いかなる国家にとっても、その国家が
維持されてきた政体であって、その形態も、そのおもだった便益も習慣に依存する。

どこに死がわれわれを待っているかわからないのだから、いたるところで
待とうではないか。死を予測するのは、自由を予測することである。
死を学んだ者は屈従を忘れ、死の悟りは、あらゆる隷従と拘束からわれわれを解放する。

もしも私が再びこの人生をくり返さねばならないとしたら、
私のすごしてきた生活を再びすごしたい。過去を悔まず、未来を怖れもしないから。

よい結婚というものがきわめて少ないことは、
それがいかに貴重で、偉大なものであるかという証拠である。

よい結婚の試金石、その真の証拠は結合の継続する時間による。

よい結婚は…恋愛を同伴し、その性質を帯びることを拒む。
むしろそれは、友愛の性質を模倣しようと努める。

われわれの職業の大半は狂言である。そのたずさわる役目が変わるたびに、
新たな姿や形をとり、新たな存在に変質する者もある。

われわれは、賢明になるためには、まず馬鹿にならなければならない。
己れを導くためには、まず盲目にならなければならない。

われわれは嘘の看板を掲げて名誉をえようとする。
徳はただそれ自体のためにのみ追求せられることを欲している。
それで、たまたま人間が他の動機から徳の仮面を冠っても、
徳はやがてわれわれの面上からそれをはぎとる。
モンテーニュ「随想録」

334:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:52:05.85 WeHPztdI.net

われ何を知るや。

不可思議はあらゆる哲学の根本である。

不幸は、大半が人生に対する誤った解釈のしるしである。

他のあらゆる学識は、善の意識を持たない者には有害である。

他人のために暮らすのはもうたくさんだ。
せめて、このわずかな余生を、みずからのために生きようではないか。

健康は実に貴重なものである。これこそ人がその追求のために、
単に時間のみならず、汗や労力や財宝をも、否、生命さえも捧げるに価する唯一のものである。

善行は、それに報いることができると思われるかぎり快く受け取られる。
その限度を超えると感謝の代わりに僧悪が返ってくる。

嘘ばかりつく人間だと思えば、こちらは正反対を信じていればよい。
嘘と真実を使い分けるから厄介である。

夫婦の仲というものは、あまりに始終いっしょにいると、かえって冷却するものである。

女の美しさ以上に美しいものは世の中にはないのに、
女たち自身が技巧を尊び、粉飾をこととしている。

帝王の行為は、その死後において審判されなければならない。

心にもないことばよりもむしろ、沈黙のほうがどれほど社交性を損わないかもしれない。

怒りは奇妙な用法を有する武器である。
他のすべての武器は、人間がこれを用いるものだが、この武器はわれわれを用いる。
モンテーニュ「随想録」

335:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:52:29.31 WeHPztdI.net

愚者の最も確かな証拠は、自説を固守して興奮することである。

最上の死は予め考えられなかった死である。

泣くことも一種の快楽である。

無知と無頓着こそは、よくつくられた頭脳を休めるのに、
なんとらくな、柔かい、健康的な枕であろうか。

生命の剥奪が不幸でないわけを悟りえた者にとっては、この世になんの不幸もない。

私たちは死の心配によって生を乱し、生の心配によって死を乱している。

私の理性は曲げられたり、折られたりするようには仕込まれてはいない。
そうされるのは、私の膝である。

私は農民を愛する。
というのは、彼らは曲がった判断をくだすほど学問を持っていないからだ。

臆病は残酷性の母である。

諸君は、生きれば生きるだけ諸君の生を減らす。
それだけ生の毀損になる。諸君が生命の不断の営みは、すなわち死の建設である。

賢者が愚者から学ぶことのほうが、愚者が賢者から学ぶことより多い。

身分にふさわしくない特性によって、人を称讃しようとするのは、
その特性自体は称讃すべきものであっても、やはり一種の侮辱である。

運命は理路整然である点において、
人間の知恵がおしたてた規則を見事に凌駕している。

食べているうちに食欲は起こるものだ。
モンテーニュ「随想録」

336:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:57:44.15 WeHPztdI.net

「法律の前における自由」は、「神の前における平等」という表現を
政治的に翻訳したものである。憲章の各条項は、福音書の翻訳でなければならない。

もし新聞がなかったら、フランス革命は起こらなかっただろう。

人は二つの方法によって生きる。つまり、社会に従うか、自然に従うかである。

人間の意識とは、もろもろの妄想・欲望・意図が混然と
雑居しているところであり、夢想のるつぼであり、恥ずべき思考の巣窟なのである。

債権者は残酷な主人よりも悪い。
主人は身体を剥奪するだけであるが、債権者は体面を破壊し、威信を破滅する。

哲学は思考の顕微鏡である。

天才は無限に突出している突起である。

女は弱し、されど母は強し。

思考は理性の労働であり、空想はその愉しみである。

極端な無邪気さは極端な嬌態に近い。

海よりも雄大な光景がある。それは天だ。天よりも雄大な光景がある。それは良心だ。

生きている者とは、闘っている者だ。
心と欲が固い運命に満ちている者だ。高い運命のけわしい峰をよじ登る者だ。

神は、人間に適するものを知り給うて、天を遠くに、すぐそばに女をおかれた。

運命は花崗岩よりも堅固だが、人間の良心は運命よりも堅固である。
ユーゴー
フランスロマン主義の詩人、小説家。
(Victor-Marie Hugo, 1802 - 1885)

337:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:58:10.39 WeHPztdI.net

お互いに友人だといっても、それを信ずるのは愚か者である。
この名ほど世間にありふれたものはなく、その実、これほど天下稀なものはない。

しやべるのもいいが、黙っているのはいちばんいい。

人は自己より小さい者の助けを必要とすることがしばしばある。

各自が己れの仕事をしていけ、牝牛の番はちゃんといる。

忍耐と長時間は、往々にして力や怒りよりも効果がある。

新聞のあらゆる編集者は害毒を流している。

最強者の理屈がいつも最もよいとされる。

詐欺師をだますのは二重の歓びである。

遠くにいると恐怖を感じるが、近くに迫ると、それほどでもない。

音を立てない人々は危険である。
ラ・フォンテーヌ
フランスの詩人。
(Jean de la Fontaine, 1621 - 1695)

338:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:58:33.01 WeHPztdI.net

ずるい人間は、すぐに他人もずるいと思い込む。
彼らはけっして欺かれはしないが、ひとをも欺くこともできない。

むら気な女とは、もはや愛していない女である。
浮気な女とは、すでにほかの男を愛している女である。
移り気な女とは、はたして自分が愛しているのか、また誰を愛しているのかが
自分でもわからない女である。無関心な女とは、誰をも愛さない女である。

よき医者とは、特効のある薬と治療法とを有している者をいう。
それを持っていない場合には、持っている医者に自分の患者を依頼する者をいう。

われわれが他人を認めるのは、
彼らとわれわれとの間に類似のあることを感ずるからである。
誰かを尊敬するというのは、彼を自分と同等にみることであるらしい。

われわれが偉人に近づけば近づくほど、平凡人だということが明らかになる。
従者にとって偉人が立派にみえることは稀である。

われわれはわれわれの幸福を、われわれの外部に、他人の評判のうちに求める。
他人はみなへつらい、軽率かつ不公平で、ねたみや気まぐれや
偏見に満ちていることを百も承知なのに。

世に抜きん出るには二つの方法がある。自分自身の努力によるか、
他人の馬鹿さ加減を利用するか、そのいずれかである。

人は精神の力によって大きな悲しみから脱けられるものではない。
…人間はすこぶる弱いから、否、非常に浮気だから、すべてを思いあきらめる。

人生は短く、ものうい。それは徹頭徹尾、欲望のうちにすごされる。

人間には三つの事件しかない。生まれる、生きる、死ぬ。
生まれることは感じない。死ぬことを苦しむ。そして生きることは忘れている。

倦怠は怠惰によってこの世に入ってきたものである。
人間が快楽や賭博や社交を求めることの中には、かなりの怠惰が入っている。
仕事を愛する者は自己を十分に持っているわけである。
ラ・ブリュイエール

339:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:58:47.05 WeHPztdI.net

偉人とは、あらゆる職業ができる人間である。
裁判所・軍隊・書斎・宮廷等々どこでも立派にやりこなせる人間であると思われる。

党派根性は、偉大な人間さえも大衆の卑小に低下させる。

女性は恋愛においては、たいていの男よりも徹底する。
だが、友情においては、男が女にまさっている。
女が互いにけっして愛し合わない原因、それは男である。

嫉妬には体質が大いに関係する。嫉妬は必ずしも大きな熱情の証拠ではない。

専制政治のもとでは祖国などない。
他のものがそれに代わっている。利益・栄誉・帝王への忠勤。

小人がこびへつらうのは、自分に対しても他人に対しても、
低劣な評価しか持たないからである。

年がら年中嫉妬の種ばかりまいているような女たちは、
少しもわれわれが焼餅をやいてやるに及ばないであろう。

恋愛と友愛は互いにしりぞけ合う。

恋愛においては、いかにむずかしいことがあっても、友愛におけるよりも、人の欠点を許す。

愚者とは、自惚れるために必要な才知すら持たない者である。

愛すまいとするが、意のままにならなかったように、
永遠に愛そうとしても意のままにはならない。

敵にぬれぎぬを着せ、彼らをけなすために嘘をつくことは、
それ自身に復讐することで、あまりにも大きい利益を敵にあたえる。
ラ・ブリュイエール

340:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:59:34.57 WeHPztdI.net

新聞記者の領分は、たかだか政治についてむなしい臆測を働かせ、
人心のおもむくところについて、くだらない当てずっぽをすることにある。

341:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/15 00:00:54.73 7cBDkXFx.net

時間の使い方が最も下手な者が、まずその短さについて苦情をいう。

時間は友情を強めるが、恋愛を弱める。

沈黙は愚者の機知である。

男は自分を愛してくれなくなった女に対して激昂するが、すぐにあきらめる。
女は捨てられると、それほど騒ぎ立てないが、永い間慰められない思いを胸にいだく

相手のちょっとした欠点に目をつぶることができない限り友情は長続きしない。

知性もあらゆるものと同じく消耗する。学問はその栄養である。知性を養い、かつそれを消耗する。

競争心と嫉拓は、同じ技術、同じ才能、自分と同等の人々の間にしか存しない。
すべての嫉妬にはなんらかの羨望がつきまとう。また、しばしばこの二つの情念は
混じり合っている。一方、羨望はときには嫉妬からはっきり分離していることもある。

笑うべき男とは、笑うべきことをやっている間のみ、
愚者の外観を備えている男のことである。愚者のほうは笑うべき格好をくずすときがない。

紳士とは、大道で追いはぎを働かない人間、なに人をも殺さない人間、
つまり、その悪徳が破廉恥ではない人物のことである。

自分は幸福な生まれでないと思っている人でも、その友人や近親の幸福によって
幸せになるくらいのことはできよう。ただうらみだけが、この最後の手を奪うのである。

自由な男、つまり妻を持たない男は、少し才知があれば自己の身分以上の
社交界に出入りして、上流階級の人々と同等に交際することができる。
一方、しばられている男の場合には、こんなに簡単にはいかない。
結婚は、あらゆる人々を自分の中に閉じ込めるから。

阿呆は話さない愚者であるが、話す愚者よりもよい。
ラ・ブリュイエール
フランスのモラリスト。
(Jean de la Bruyere, 1644 - 1696)

342:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/15 00:02:26.78 7cBDkXFx.net

あまり利口でない人たちは、一般に自分の及びえない事柄についてはなんでもけなす。

いちども恋の話を聞かなかったなら、恋なんかけっしてしなかったろうと思われる人間がたくさんいる。

343:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/15 00:02:59.50 7cBDkXFx.net

この世でいちばん幸福な人は、わずかなもので満足する人であるから、
その点、えらい人や野心家たちは最も惨めな連中である。
彼らを満足させるには、実に限りない財宝の山がなくてはならない。

どんな人も自分の記憶が失われていることに不満をいだくが、判断の欠如について不満をいだくものはない。

へつらいは、われわれに虚栄がなければ通用しない贋金である。

やかましい養生のおかげで、やっと自分の健康を保っているのは、
何かやりきれない病気を患っているようなものである。

よい結婚はあるけれども、愉しい結婚はない。

われわれが敵の不幸を隣れむ心の中には、しばしばやさしさよりも
高慢のほうが多分に含まれている。われわれが彼らに同情のしるしをみせるのは、
彼らにわれわれの優越を感じさせたいからである。

われわれの徳行は、往々にして偽装した不徳にすぎない。

われわれの才能より下の職について大人物に見えることはあるが、
われわれの力以上の職につくと、往々にして彼が小人物に見える。

われわれの高慢は、往々にしてわれわれが
なにか一つ自分の欠点をなくすごとに、それだけふくれあがる。

われわれは、あまりにも他人の前に自分を偽装するのに慣れているので、
しまいには自分の前にまで自分を偽装するようになる。

われわれは、われわれの大切な人の死に涙を流しているのだと言いながら、
実際はわれわれ自身のために涙を流している。

われわれはみんな、他人の不幸を平気で見ていられるほどに強い。

一兵卒にとって武勇とは、彼がその生活の糧をうるために選んだ危険な職業のことである。

不徳がわれわれのもとを立ち去ると、
われわれは自分のほうから不徳を棄てたと信じて得意になっている。

世間の人が友愛と呼称するものは、社交・欲望のかけ合い・かけ引き・親切の交換にすぎない。
つまり、自愛がつねに何かとくをしようとする一種の取引にすぎない。

人が不正を非難するのは、そのことを憎悪するからではなく、
むしろ、自分がその害をこうむりたくないからである。

人が大部分の物事を称讃したり、くさしたりするのは、
それらを賛め、それらをそしるのが流行だからである。
ラ・ロシュフーコー

344:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/15 00:03:15.13 7cBDkXFx.net

人は嫉妬するのを恥じるが、嫉妬したことが
あるということや、嫉妬できることを誇りに思う。

人は愛している限り許す。

人間はときに、他人と別人であると同じほどに自分とも別人である。

人間一般を知ることは、個々の人間を知ることよりも容易である。

偉人たちも、永びく不運には打ち負かされるところをみると、
彼らはそれまでは、ただ野心の力で耐え忍んできたもので、
けっして霊魂の力によってではなかったことがわかる。

偉人の名声は、それをうるために用いられた手段によって評価されるべきである。

友人や恩人たちの欠点について始終遠慮なく語るようになったなら、
もう彼らに対して持つべき感情を永く持続できない。

哲学は容易に過去と未来の不幸を打ち敗かすが、現在の不幸には打ち敗かされる。

善の究極は悪であり、悪の究極は善である。

善良な裁判官における正義は称讃の愛にすぎず、
野心ある裁判官の正義は昇進の愛にすぎない。

大多数の人間は自己の名誉を失わない程度に戦争の危険をおかすが、
戦争の目的が貫徹されるまで、ずっと危険に身をさらす気でいる者はめったにいない。

大多数の女は、愛人の死を、彼を愛していたから泣くのではなく、
むしろ、ますます愛されるに値する女であるとみられたくて泣く。

女は永くその最初の人を守っている。ただし、第二の人ができないかぎりは。

好運に圧しつぶされないためには、不運に堪える以上に大きな徳を必要とする。

婦人たちの貞淑は、しばしば自分の評判、自分の安静をいとおしむ心にすぎない。
ラ・ロシュフーコー

345:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/15 00:03:34.41 7cBDkXFx.net

媚態をけっして弄さないことを注目させるのもまた、一種の媚態である。

嫉妬のうちには愛よりも自愛のほうが多くひそんでいる。

嫉妬は恋といっしよに生まれるが、恋が死んでも必ずしもいっしょに死にはしない。

嫉妬深い妻を持つことは夫にとっては痛快である。
彼は四六時中、その愛している女のことを聞いていられる。

心の裡を打ち明けるのは虚栄のため、しゃべりたいため、
他人の信頼を惹きつけたいため、秘密の交換をしたいためである。

忠告ほど、気前よく人に与えるものはない。

思い出というものは人間が時間に贈与できる唯一の形式であって、
過ぎていった時間というものは、それを偲ぶ思慕者の心の幅によって
拡大されていってとどまらない。

恋する男と女がいっしょにいて全然退屈しないのは、
始終自分たちのことばかり話しているからである。

恋は火と同じく、不断の動きなしには存続しえない。
なにかを望んだり、怖れたりする気持ちが失せるや否や、恋は息絶える。

恋愛においては往々にして疑うよりもだますほうが先に立つ。
ラ・ロシュフーコー

346:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/15 00:03:55.16 7cBDkXFx.net

悪にかけても善にかけても英雄がいる。

悪は虚栄が随伴するのでなければ、それほど遠くまではいかないであろう。

情念はしばしば自分とは反対の情念を生み出す。
りんしょくはしばしば乱費を、乱費はまた、りんしょくを生む。
人はしばしば弱きがゆえに強く、臆病なるがゆえに大胆である。

敵が欲しければ味方より偉くなればよい。味方が欲しければ味方を引き立ててやればよい。

正義の愛は、大部分の人々においては、不正な目に合うことを怖れる心である。

沈黙は、自己に信用のもてない人には最も確実な才策である。

王侯が持っていない徳について称讃するのは、罪を受けずに彼らを侮辱することである。

王侯に捧げる忠節は第二の自愛である。

王侯の寛容は、人民の忠誠をかちとる一つの政略にすぎない。

相手の張った縄にいかにもはまり込んだような様子を見せるのが、最たる策略である。
相手をだまそうと考えるときほど、まんまとだまされることはない。

相手方の言い分を聞いてやろう、という気持ちがなくなったら、もうその人の負けである

真の勇気は第三者の目撃者のいない場合に示される。

知恵の霊魂におけるは、健康の肉体におけると同じである。
ラ・ロシュフーコー

347:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/15 00:04:11.92 7cBDkXFx.net

礼儀作法は法と称されるもののうちで、いちばんつまらないものだが、最もよく実施されている。

社交においては、われわれのすぐれた特性によってよりも、
われわれの欠点によって気に入られることのほうが、かえって多い。

罪悪でありながら、その輝きや、その数や、その極度のために無罪となるものがある。
それのみか、栄誉となるものすらある。
だからこそ、公の盗みが有能と讃えられ、無法に諸州を奪うことが征服と称される。

老人はよい教訓を言いたがるが、それは、
もう悪い手本を示す年ではなくなったことを、ひそかに自慰するためである。

自愛こそ、この世でいちばんのへつらいである。

薬が調合されるときに、そこに毒が入るように、徳が組み合わされるときに、そこに不徳が入る。
知恵は徳と不徳をうまく調合し、それを人生の不幸に対して役に立てる。

記憶力しか有っていない人間は、足し算しか出来ない人間と同じだ。

語り合ってみて理性も好感も感じられない人間が多いのは、
自分の言いたいことで頭がいっぱいで、相手の言葉に耳を貸さない連中が多いからだ。

贋の紳士とは、自己の欠点を他人にも自分にもごまかす連中であり、
真の紳士とは、それらを完全に認識し、それらを告白する人である。

軽蔑されまいと怖れているのは、軽蔑されてしかるべき輩ばかりである。

通常、青年たちに賦与する教育は、第二の自負を彼らに鼓吹することである。

運命の恵みを少しもこうむらなかった人々にとっては、運命がかくも盲目に見えることはない。

青年は熱い血によりその趣味を変えるし、老人は習慣によりその趣味を保つ。
ラ・ロシュフーコー

348:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/15 00:04:54.67 7cBDkXFx.net

人はみな記憶力の乏しさを嘆く。
しかし、誰も判断力の乏しさを嘆かない。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch