他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 13at RONGO
他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 13 - 暇つぶし2ch230:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:40:17.86 WeHPztdI.net

あらゆる美徳は自己放棄によって完成される。
果実の極度の美味は、萌芽を求めていることからである。

いちばん嫌らしい嘘は、いちばん真実に近い虚言だ。

レコードが、小説から今日の作家が得意とする克明な会話などを
清掃してしまう日が来るに相違ない。

人間がもうすこし利口であったならば、戦争から生まれる悲劇を免れたはずである。

家庭よ、閉ざされた家庭よ、私は汝を憎む!

幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。

心というものは、使わずにおくとひからびるものである、
全体がよくなれば、またはよくなるために、部分が貧しくなるものもある。

恋をしたあとの最大の幸福は、自分の恋を告白することだ。

愛される男は、女にとって実は、愛をひっかける釘くらいの値打ちしか持っていない。

永続する芸術作品とは、時とともに嗜好が変わっても、
つねにこれらの新しい嗜好を満足させることのできるものである。

誤り伝えられた自分の面目のゆえに愛されるよりもむしろ、
自分の真実の姿のゆえに憎悪されるほうが気持ちがよい。
ジイド

231:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:41:07.08 WeHPztdI.net

おお運命よ、運命よ、みなが汝を浮気者だという。

やましい心には疑惧がつきまとうものだ。

われらはいかにあるかを知るも、われらがいかになるかを知らず。

人を邪道にひっぱり込むため、暗闇の手下どもが真実を言うことがある、
わずかのまことでひっぱり込んでおいて深刻な結果で裏切るために。

人生は不安定な航海だ。

人間とは、なんと造化の妙をきわめた驚くべき傑作なのだろう!
…でもその人間が、私にとっては、たかのしれた塵芥の精髄としか思われない。

俺のものはお前のもの、お前のものは俺のもの。

偉人には三種ある。生まれたときから偉大な人、
努力して偉人になった人、偉大な人間になることを強いられた人。

口数の少ないのが最上の人。

喜怒哀楽のはげしさは、その感情とともに実行力までも滅ぼす。
悦びにふける者は、悲しみにもふけるが習い。
ともすれば、悲しみが悦び、悦びが悲しむ。

外観というものは、いちばんひどい偽りであるかもしれない。
世間というものはいつも虚飾に歎かれる。

己れの子供を知るは賢い父親だ。
シェイクスピア

232:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:41:27.18 WeHPztdI.net

弱き者よ、汝の名は女なり。

恋とは、いわば深い溜息とともに立ち昇る煙、
きよめられては、恋人のひとみに閃く火ともなれば、乱されては、
恋人の涙に溢れる大海ともなる。それだけのもので、大変分別くさい狂気、
息の根もとまる苦汁かと思えば、生命を養う甘露でもある。

恋は目で見ずに心で見る。だから絵にかいたキューピットは翼を持つが盲目で、
恋の神の心には分別がまったくなく、翼があって目のないことは、せっかちで無鉄砲なしるしだ。
そして、選択がいつも間違いがちだから、恋の神は子供だといわれている。

悲しみは慰めによって酬いられる。

愉しみが終わるや、たちまち侮蔑の念を生じ、
理も非もなく追い求むれど、思いをとぐれば、たちまち理も非もなく憎むにいたる。

愚者は己れが賢いと考えるが、賢者は己れが愚かなことを知る。
シェイクスピア

233:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:41:49.22 WeHPztdI.net

愛が大きければ心配も大きく、いささかなことも気にかかり、
少しの心配が大きくなるところ、大きな愛もそこに生ずるというものだ。

招かれないのに来た客は、帰るときにいちばん歓迎される。

時はすべてのよきことの乳母であり、養い手である。

最上の男よりも悪い夫はほかにない。

求めてえた愛はよし。求めずして与えられた愛や、さらによし。

消えろ、消えろ、つかのまの燭火、人生は歩いている影にすぎぬ。

王侯・貴族の誇るものは、所詮は名目だけの称号にすぎない。
それは内面的な苦悩に対する単なる外面的な栄誉にすぎない。

王冠をいだく頭は、ついに安らかに眠るということがない。

生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。

男は言いよるときだけが春で、夫婦になってしまうともう冬だ。
女は娘でいるうちは五月の花の時のようだが、亭主持ちになると、たちまち空模様が変わる。

石のかいも、真鍮の伸べ金でできた金の城壁も、空気もかよわない土牢も、
いかに強い鉄の鎖も、毅然とした精神力を拒むことだけはできない。

空気のように軽いものでも、嫉妬する者には聖書の本文ほどの手がたい証拠となる。

簡潔は知恵の精神、冗漫は手足や虚飾だ。
シェイクスピア

234:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:42:05.64 WeHPztdI.net

罪から出た所業は、ただ罪によってのみ強力になる。

美徳はけっして怖れられぬ大胆さと強味だ。

臆病者は、本当に死ぬまでにいくたびも死ぬが、勇者は一度しか死を経験しない。

自然でない行いは、自然でない混乱を生む。
病気になった心は、聞こえぬ枕に秘密を打ちあける。

良心という奴は、人を臆病にしてしまうものだ。泥棒しようとすると、とがめやがる。
罵言・中傷してやろうと思うと叱りやがる。
…良心って奴は、人の胸の中で謀反を起こすたいへんな寂しがり屋だ。

話や歴史で聞いたところでも、
真実の恋というものは、けっして好都合にいったためしはないらしい。

誰のことばにも耳をかせ、口は誰のためにも開くな。

軍人の徳である功名心は、大将の影を薄くするような勝利よりも、むしろ敗北を望むものだ。

輝くものすべて金にあらず。

過去と来るべき未来はベストに思える。現在の事柄は最高に悪い。

金を貸すと、金も友だちもなくしてしまう。金を借りると、倹約の心がにぶってしまう。

雄弁が役に立たないときにも、
純な、無邪気な沈黙が、かえって相手を説得することがある。
シェイクスピア

235:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:42:40.02 WeHPztdI.net

すべての人間は平等につくられている。
彼らはその創造主によって固有の奪うべからざる権利を与えられている。

ひとりの熱狂者は迫害者となりうるし、善良な人たちは彼の犠牲になる。

商業の利己主義的思想には国というものはなく、
利潤以外になんの情熱も主義も考えない。

土地を耕やす者は、もっとも価値多き市民である。
彼らは強健であり、最も独立心に富み、最も徳に秀でている。

大地は人間が生活していくための宝庫である。

法の執行は法を制定するよりも重要である。

腹が立ったら、何か言ったり、したりする前に十まで数えよ。
それでも怒りがおさまらなかったら百まで数えよ。
それでもダメなら千まで数えよ。

金を蓄えるまでは金を使うな。

高慢は衣食住に必要なすべてのものよりも高くつく。
ジェファーソン
第3代アメリカ合衆国大統領。
(Thomas Jefferson, 1743 - 1826)

236:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:43:08.01 WeHPztdI.net

人生一世の間は白駒の隙を過ぐるのが如し。

人窮すれば天を呼ぶ。

出婦の郷曲に嫁する者は良婦なり。

剣は一人の敵、学ぶに足らず。

君子は交わり絶ゆるも悪声を出さず、忠臣は国を去るもその名を潔くせず。

天は高くして卑きに聴く。

家貧しければ良妻を思い、国乱れれば良相を思う。

将となる三世の者は、必ず敗る。

常人は故俗に安んじ、学者は聞く所に溺る。

忠言は耳に逆うも、行動するに益あり。

慈母に敗子あり。

智者千慮、必ず一失あり。
司馬遷

237:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:43:28.15 WeHPztdI.net

すべてを世論のせいにする人々は、
観衆の趣味が低級なので、まずい芝居をして拍手喝采される役者に似ている。

世の中には三種類の友がある。諸君を愛する友、諸君を忘れる友、諸君を憎む友が、これである。

中傷は、うるさい蜂のようなものである。
これを殺す確信がないならば、手を出してはいけない。
さもないと、前よりもいっそう激しい突撃をくり返す。

人は自然の悪を知ることを学んで死を軽蔑し、社会の悪を知ることを学んで生を軽蔑する。

女性がなぜ男性との関係を言いふらすのか。
その理由としてあげられている大半は、男性にとって不利である。
その真の理由は、この方法によってしか女性は男性に支配権を持つことができないからである。

姦通はひとつの破産である。ただ普通の破産と違う点は、
破産の被害をこうむった人が不名誉をこうむるということである。

幻想によって幸福な人々は、投機によって財産をつくったようなものであり、
真実によって幸福な人々は、地所あるいは相当の年金によって
財産を所有しているようなものである。

恋愛は結婚よりももっと興味深い。ちょうど、歴史より小説のほうが面白いのと同じように。

愚鈍は、もし英知を怖れなければ真の愚鈍とはいえない。
悪徳は、もし美徳を憎まなけれぱ真の悪徳とはいえない。

真の幸福は目に映じない。
真の幸福は見えざるも、私の場合には希望を失ったとき、はじめて幸福が訪れた。

経済学者とは、とぎすまされたピカピカのメスと刃のこぼれたメスとをもって、
すこぶる巧みに死者を解剖し、生者を残酷に取り扱う外科医のようなものである。

賢者とは何か。法に対して自然を、慣習に対して理性を、
世論に対して自己の良心を、謬見に対して自己の判断を対立させる人間である。

運命と運命をとりまく衣裳は、人生を一幕の芝居にする。上演がすすむに従って、
いちばん律義な人間も、ついには自己の意志に反して役者にさせられてしまう。
シャンフォール
フランスの警句家。
(Sebastien Chamfort, 1741 - 1794)

238:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:44:18.63 WeHPztdI.net

あまりにも女を愛してきた人たちの罰は、つねに女を愛するということである。

ことばの商売においては金貨と銀貨のみしか用いてはならない。

できうれば莞爾として死ななければならない。

チュウリップは魂のない花であるが、バラとユリは魂をもっているように見える。

世の中で成功を収めるには、人から愛される徳と、人を怖れさせる欠点とが必要であろう。

人の不幸はほとんど反省によってのみ生まれる。

信心は一種の羞恥心である。それは羞恥心がわれわれの目を伏せさせるように、
すべての禁断のものの前でわれわれの思想を伏せさせる。

友人が盲目のさいには、私は横顔のほうから彼を視る。

妻の忍耐ほど彼女の名誉となるものはなく、夫の忍耐ほど妻の名誉とならないものはない。

子供には批評よりも手本が必要である。

子供に対して言われる「お利口さん」ということばは、
子供がいつでも理解することばで、しかも人がけっして子供に説明してやらないことばである。

宗教は手本によって燃えつづける火である。人に伝えられなければ消えてしまう。

快楽は肉体のある一点の幸福にすぎない。
真の幸福、唯一の幸福、まったき幸福は、魂全体の平穏なうちに存する。

悪口は意地の悪い人の慰めである。

戦争によってもたらされたものはまた、戦争によって持ち去られるであろう。

政治は群民あるいは多数者を知り、かつ導く技術である。

時はいっさいのものをゆっくりと破壊する。

最善の法律は慣習から生まれる。

正義はつねに目標でなければならず、必ずしも出発点である必要はない。
ジューベル「パンセ」

239:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:44:45.08 WeHPztdI.net

相談するときには過去を、享受する時には現在を、
何かするときには、それが何であれ未来を思え。

精神は魂の空気だ。

肉体は、われわれの存在が野営している仮の小屋である。

行動するときには規則に従い、裁くときには例外を斟酌せねばならない。

論争や討論の目的は勝利であってはならず、改革でなければならない。

趣味は魂の文学的良心である。

迷信は下劣な魂の持主たちに可能な唯一の宗教である。

野蛮人が、その生活をその飢えの犠牲にするように、
専制君主は、その権力をその力の犠牲にする。
専制君主の治世は、その後継者たちの治世を貧り食う。

食卓は祭壇の一種で、祭日や饗宴の日には飾らなければならない。
ジューベル「パンセ」
フランスの哲学者、警句家。
(Joseph Joubert, 1754 - 1824)

240:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:45:07.42 WeHPztdI.net

ある人間の状態をその幸福さによって評価しようとするならば、
彼を満足させるような事柄ではなく、彼を悲しませるような事柄を尋ねるべきである。

われわれの肉体が衣服に包まれているように、われわれの精神は虚偽に包まれている。

われわれの視野・活動範囲・接触範囲が狭いほど、われわれの幸福は大きい。
それらが広いほど、われわれは煩わしく、また不安に感ずる度合いが大きい。
というのは、それらとともに心配・願望・恐怖が増大し、拡がるからである。

われわれ各個人は他人のうちに自己を写す鏡を持っている。

三種の貴族がある。
(1)血統と位階の貴族、(2)財力の貴族、(3)精神的貴族が、すなわちそれである。

不道徳行為を望むのは、大きな誤謬の永続を望むことである。

人は、その生涯の最初の四十年間において本文を著述し、
つづく三十年間において、これに対する注釈を加えていく。

人は通常、金を貸すことを断わることによって友を失わず、金を貸すことによってたやすく友を失う。

人間の嫉妬は、彼らがみずからいかに不幸に感じているかを告げるもので、
彼らが他人の行為に絶えず注目しているのは、
彼らみずからが退屈していることを示すものだ。

人間の幸福の二つの敵は苦痛と退屈である。

信仰の強制は不信仰を喚起するだけである。

医者は人間を弱いもの、弁護士は人間を悪いもの、牧師は人間を愚かなものとみる。

名誉は外に現れた良心であり、良心は内にひそむ名誉である。

宗教はホタルのようなもので、光るためには暗闇を必要とする。
ショウペンハウエル

241:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:45:46.74 WeHPztdI.net

宗教は無知の子供であり、その母より永くは生き延びることができない。

普通人は時をつぶすことに心を用い、才能ある人間が心を用いるのは、時を利用することである。

男性の間では、愚かで無知な者が、女性の間では醜い女が一般に愛され、ちやほやされる。

睡眠は死から借りた行為である。睡眠は生命を維持するために、死から借りるものである。

礼節とは、道徳的にまた知的に貧弱な互いの性質を互いに無視し合いながら、
非難しまいという暗黙のうぢの協定である。

紙上に書かれた思想は、砂上に印した徒歩者の足跡にすぎない。

結婚とは、男の権利を半分にして義務を二倍にすることである。

苦境における友というものは、はたして稀であろうか。反対である!
誰かと友誼を結ぶや否や、その人は苦境にさいしてカネを借りたがる。

誰かが嘘をついていると疑うなら、信じたふりをするがよい。
そうすると彼は大胆になり、もっとひどい嘘をついて正体を暴露する。

重要な思想を誰にでもわからせるように表現するほどむずかしいことはない。
ショウペンハウエル
ドイツの哲学者。
(Arthur Schopenhauer, 1788 - 1860)

242:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:46:13.36 WeHPztdI.net

あなたが他人から誤解されたら、相手との平和と調和を願いつつ
想像上の会話を試みなさい。やがて誤解は解かれるはずです。

あなたが他人について感じたり、考えたりしたことは、
あなた自身の中で体験していることと同じです。
したがって、自分についてこう感じてもらいたいと思うように、
あなたも他人について思わなくてはなりません。

あなたが他人に対して望んでいることを、あなたは自分に対しても
望んでいるのだということを忘れてはなりません。
あなたがもし他人の失敗や不幸を望んでいるとしたら、あなた自身も失敗を招き、
不幸になる可能性が大きいことを知るべきです。なぜならあなた自身がそれを望んだからです。

あなたが信頼している人に、全力をあげてそのことを知らせなさい。
あなたはきっとその返礼を受けとるはずです。

あなたが自分に望むことを他人にも望みなさい。自分が望まないことを他人に望んではなりません。

あなたの上司に対するあなたの考え方や評価を変えなさい。
あなたが肯定的に評価すれば、相手もそのようにふるまうでしょう。

あなたの思想と感情をあらわすあなたの言葉は、あなた自身ばかりでなく
他人をも癒す力を持っています。あなたは自分のためばかりでなく
他人のためにもよい言葉を使う習慣を身につける必要があります。

あなたを悩ましたり、悪口をいう人にも、平静な心で注意を向けなさい。
きっとあなたにとって得るところがあるはずです。良薬が口に苦いように、
あなたに偉大なる存在が苦言を呈しているかもしれないからです。

つねに他人の幸福、富の増大を願いなさい。
そうすればあなたはいっそう富と友人、顧客や依頼者、
驚くべき幸せな経験を自分に引きつけることになるでしょう。

人から忠告を受けたら、彼の中に天の声、天の意思があると思いなさい。
そうすればその忠告は、たとえどんな内容のものであっても、
あなたにとって有益なものとなるでしょう。
ジョセフ・マーフィー

243:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:46:42.63 WeHPztdI.net

人はしばしば他人からの正確な批判に腹を立てます。
しかしどんな批判であれ、あなたがそれに同意しないかぎり、
あなたを傷つけることはできないのです。

人生は不思議なもので、同じような考え方、趣味、気質の人間が
自然と寄り集まってきます。これを類友の法則といいます。
その人のつき合っている人を見ればその人がわかります。

人間関係で悩んでいる人は、他人との折り合いの悪さで悩んでいるのではありません。
自分との折り合いの悪さで悩んでいるのです。

他人があなたを批判し、その批判の内容が当たっているならば、
喜んで感謝し、その言葉を多としなさい。
これはその欠点を正す機会をあなたに与えてくれるものです。

他人とうまくやっていく能力は、自分とうまくやっていく能力と同じです。
まず自分とうまくやっていくことを身につけなさい。
そうすれば他人とうまくやっていけるようになります。

他人の幸せを豊かな気持ちで祝福しなさい。
それは同時に、あなたが自分自身を祝福していることを意味します。

他人の心で状況をながめてみなさい。そうすれば真実が見えてきます。

他人の成功はあなたの成功であり、他人の幸福はあなたの幸福です。
そう思えるようになれるように訓練しなさい。それがあなたにとって最高のツキの訓練です。

他人の暗示や言うことは、あなたを害することはできません。
唯一の力はあなた自身の考え方と行動です。
ジョセフ・マーフィー

244:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:47:25.89 WeHPztdI.net

他人の言うことは、あなた自身の考えや精神的参加を通さないかぎり、あなたを傷つけることはできません。

他人をどうしても許せないという人は、いつまでも痛みのとれない傷を
負っているようなものです。そういう人生が楽しかろうはずがありません。

他人を羨望し、他人のものを欲しがるのは自分自身を貧しくすることです。

他人を豊かにするとあなたはどうなりますか。
ここでは単純な計算は通用しません。あなたもまた豊かになるのです。

信頼とは信頼に値する材料があるからするというものではなく、
まず先に信頼してしまうことなのです。信頼されると人はそれにこたえようとするものです。

口ベタな人は、たんに人に話しかけるのがヘタなのではありません。
自分に語りかけるのがヘタなのです。

周囲の人たちから好感をもたれていると、よいチャンスにめぐり合う機会も多くなります。
では、好感をもたれていないとよいチャンスにめぐり合わないだけですか。
それだけではありません。憎まれたり不快感を待たれていると、
マイナスの機会に出会うことになります。これはチャンスにめぐり合わないよりも悪い事態です。

怒りや憎しみは毒です。毒にあたって苦しむのは、あなた自身です。

愛と善意を人に与えなさい。与えれば与えるほどあなたは受けとることになります。
しかも返ってくるときには非常に大きくなっているものです。
このことはお金についても同じです。

感情が人の運命を大きく左右していることに気づきなさい。
感情のコントロールができる人が人間関係の勝利者です。

感情的な議論や他人のかんしゃくにつられてはいけません。
そういうときは、なだめても無駄です。他人の感情の尻ぬぐいをしてはいけません。
あくまでも正しいことから離れてはいけないのです。

感謝は人間関係がうまくいくコツです。
あなたは自分の夫に妻に、家族に友人に、上司に部下に感謝していますか?
ジョセフ・マーフィー

245:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:48:05.41 WeHPztdI.net

気をつけなさい。「共感」というのは他人とともに泥沼に落ち込むことを意味します。

246:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:48:35.84 WeHPztdI.net

気をつけなさい。同じような心的状態の人間は寄り集まってくるものです。
いつも不平・不満を口にしている人のところには、似たような人間が寄ってきます。
そして、いつも失敗ばかりしている人のところには、失敗者が集まってきます。

247:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:49:13.83 WeHPztdI.net

現実の自分よりも理想の自分を愛しなさい。
そして理想の自分で他人と接するべきです。これが他人から評価される秘訣です。

真の友を得たいと思うなら、まず自分自身が自分に対して
友達になりたいような人物になることを心がけるべきです。

真の友を得たいなら、自分が愛され、正しく評価され、
誰からも頼りにされていると想像し、そう感じるようつとめなさい。
まもなく真の友が得られるでしょう。

自分自身のために願うことを他人のためにも願いなさい。
これが調和的な人間関係を保つ秘訣です。

許すという技術で最も肝心なことは、喜んで許すということです。
もしあなたが心から相手を許したいならば、あなたはその困難の半分以上は越えたことになります。

誰かがあなたが不幸になることを祈っているとき、
その人に力を与えるのは愚かなことです。最良の方法は彼らを笑い飛ばすことです。

誰でも心の中にもっとも深く根ざしている願望は、
自分の本当の価値を認めてもらいたいということです。
他人の価値を認めなさい。そうすればあなたの価値も認めてもらえます。

過去の過ちを改めた人は、すでに生まれ変わっているのです。
いつまでも責めることは、無実の人を責めることと同じです。
ジョセフ・マーフィー
イギリス出身のニューソート派の牧師。
(Joseph Murphy, 1898 - 1981)

248:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:50:02.00 WeHPztdI.net

いかなる人間も自分自身の掟に従って自由に生きたいと思う。

おお嫉妬よ!お前は細事の拡大したものである。

お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない。

お前自身を知ろうとするならば、いかに他の人々が行動するかを観察せよ。
お前が他の人々を理解しようとするならば、お前自身の心を見よ。

世界史は世界審判である。

人生の中から、諸君には二つの道が拓かれている。
一つは理想へ、他の一つは死へと通じている。

人生はほんの一瞬のことにすぎない。死もまた、ほんの一瞬である。

人間はひとりひとりをみると、みんな利口で分別ありげだが、
集団をなせば、たちまち馬鹿が出てくる。

勇敢な男は、自分自身のことは最後に考えるものである。

大衆が芸術を引き下げると一般に言われているが、それは真実ではない。
芸術家が大衆を引き下げるのであって、
芸術が堕落した時代は、いつも芸術家によってであった。

天才のランプは人生のランプより早く燃える。

学問はある人にとっては神々しい女神であり、
他の人にとっては、バターをくれる有能な牝牛である。

学殖のふえるものを味わうのは趣味である。

小心者は成功する率が少ない。

幸福には翼がある。つないでおくことはむずかしい。

悪行の呪いは、絶えずそれが悪を生まざるをえないところにある。

愛の光なき人生は無価値である。

昂奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることはむずかしい。
シラー

249:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:50:19.07 WeHPztdI.net

時の歩みには三とおりある。
未来はためらいながら近づき、現在は矢のように飛び去り、過去は永遠に静止している。

汝が死ぬ前日に懺悔せよ。

神は、もはや人間の力では助けられないときにのみ助ける。

神は勇者を叩く。

自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である。

誰をも怖れない者は、誰からもこわがられている者に劣らず強い。

諸君は暴民の怒号にまどわされてはいけない、狂い立つ愚人の暴力に動じてはいけない。
だが、奴隷が鎖をちぎって自由の人間になったとき、それを怖れおののくことは無用だ。

重荷をいだいた胸は打ち明ければ軽くなる。
シラー
ドイツの詩人、歴史学者。
(Johann Christoph Friedrich von Schiller, 1759 - 1805)

250:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 20:50:53.59 WeHPztdI.net

つねに人間は己れに対しては、あることを考え、他人に対しては他のことを考える。
人間は他人を判断するのとは異なったごとく己れを判断す。

口論にては真理はつねに失わる。

多くの人々は忠告を受けるも、それによりて利するは賢者のみ。

好意を受くるは自由を売ることなり。

己れ自身を幸福と考えざる人間は幸福にあらず。

徳によりて汝がとぐるあたわざることを、汝はへつらいによりて獲得す。

忠告は秘かに、称讃は公に。

恋人は火のごときものなり。動揺すればするほど燃ゆる。

教育を軽蔑する者が唯一の無学者なり。

最高に到達せんと欲せば最低から始めよ。

死の恐怖は死そのものよりも怖ろし。

汝の友を影にて戒め、公には称讃せよ。

裁判をあえて受けざる者は、有罪を告白するものなり。

過失を率直に告白するは、それが無罪となるひとつの段階なり。
シルス
ローマの喜劇作家。
(Publius Syrus, B.C100頃)

251:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:33:42.77 WeHPztdI.net

いっさいのよい議論は人を立腹させる。

型にはまった感傷的な見合いほど馬鹿げたものがどこにあろうか。
この合法的な売淫は羞恥心を傷つけさえする。

天才の特徴は、凡人がひいたレールに自分の思想をのせないことだ。

女というものは、始終どこかに故障のある機械みたいなものだ。

女に愛されていることが確かであると、男は彼女が他の女より美しいか、
美しくないかを検討する。女心がわからないと、顔のことなど考える暇がない。

子供は涙で命令し、聞いてもらえないと、わざと自分を傷つける。

幸福がこのうえもなく大きいときには微笑と涙が生まれる。

恋が生まれるまでは、美貌が看板として必要である。

恋するとは、自分が愛し、自分を愛してくれる相手を見たり、触れたり、
あらゆる感覚をもってできうる限り近くに寄って感じることに快感を感じることである。

恋というものはなんとおそろしい情熱だろうか。
それなのに、世間の嘘つきどもは、恋をあたかも幸福の源泉のように言っている。

恋愛はみずから鋳造した貨幣で支払われる唯一の情熱である。

恋愛は大臣の椅子のように、簡単には手に入れることのできない一つの幸せな将来なのである。

恋敵に関しては、中庸を得るということはない。

暴君に最も好都合な観念は神の観念である。

最も賢明なことは、自分を己れの打ち明け相手にすることである。

軽蔑というのは、馬鹿ていねいなことばのうちにいつも巧みにかくされている。

退屈はすべてを奪う、自殺する勇気さえも奪うのである。

高慢な女は自尊心から嫉妬を移す。

高慢不遜の性格においては、自己に対する憤怒と他人に対する激怒とは紙一重だ。
スタンダール グルノーブル出身のフランスの小説家。

252:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:34:22.54 WeHPztdI.net

あらゆる人間関係の中でもっとも親密な関係、
すなわち確固たる、何もかも分かち合う、愛の関係においては、
まるで円を作って遊んでいる子供のように、
あるいは儀式が進む場所のように、ほとんど言葉なしで話が進む。
そして二人がその場にいるという事だけで、もうお互いに話は通じるのである。

おそらく政治は準備を必要と考えられない唯一の職業であろう。

われらの目的は成功ではなく、失敗にたゆまずして進むことである。

劣忙は生気欠乏の微候である。
そして、怠ける能力は大いなる嗜好欲と、強い個性の意識とを意味する。

愛する二人のお互いに対する理解は、単なる知識以上のものである。
なぜなら愛によって結びついたものは、
他の関係のように捨て去ることも曇らせることもできないからだ。

愛する二人はほとんど無表情で、言葉はなおさら少なく向かい合い、
二人の良い所も悪い所も分かち合おうと努力し合い、互いの心を喜び捧げ持つ。

愛は自然の法則に則っている。
愛は自然の造化に親しむことによって得られ、自分勝手に愛しようとしても無理である。

最も残酷な嘘はしばしば沈黙のうちに語られる。

最上の男は独身者の中にいるけれども、最上の女は既婚者の中にいる。

結婚は人生そのもの。戦場であって、バラの園ではない。

結婚を尻込みする人間は、戦場から逃亡する兵士と同じだ。
スティーブンソン
イギリスの小説家、詩人。

253:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:34:51.95 WeHPztdI.net

健康の維持はわれわれの義務である。生理学的道徳ともいうべきものの存することを知る人は稀である。

子供は父母の行為を写す鏡である。

目にはいったすべての者を愛し、愛した者をすべてむさばった移り気の男。

詩人の詩文は石碑に刻まれて残っていくが、天才はそのまま永く生き残っていく。
スペンサー
イギリスの哲学者、社会学者、倫理学者。
(Herbert Spencer, 1820 - 1903)

254:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:35:10.14 WeHPztdI.net

いかに生きるかを学ぶには全生涯を要す。

なに人も永く仮面を冠りえず。偽装はやがて自己の天性へ還る。

まだ感じやすきうちに心を訓練するは容易なり。

われらはつねに命の短きを嘆じながら、あたかも命の尽くる時期なきごとくふるまう。

われらは自己のものを他と比較することなしに楽しみなし。
他人がより以上幸福であるということに苦しめられるならば、
人はけっして幸福ではありえぬ。

カネによりてもたらされし忠実さは、カネによりて裏切らる。

カネは火によりて験され、勇者は逆境によりて験さる。

人は教えるうちに学ぶ。

人を軽蔑すべく笑止なればなるほど、いよいよ彼の舌は締りなし。

人生よりむずかしき芸術はなし。他の芸術・学問にはいたるところに師あり。

人間が一人でもおれば、必ず親切にしてやる機会がある。

仕事は高貴なる心の栄養なり。

他人に対して善行をなす者は、何よりも多く己れ自身に対して善行をなす。

何であれ伝え方や行ない方次第で、その事柄の価値そのものが大きく変ってくる。
これは人の世話をする場合によく当てはまる。とげとげしい気持でいやいやながら
世話をすれば、親切な行ないも固くなったパンみたいなものになる。
「飢えた者は仕方なく食べるが、ともすると喉につかえる」というではないか。

友情は、つねに利をもたらすも、愛は害をもたらす場合もありうる。

多くの愚者はみずからの倦厭を感ずることによりて悩む。

好首尾かつ好運にはこばれし犯罪は美徳と称さる。
セネカ

255:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:35:33.76 WeHPztdI.net

性格のための証拠は、いかなる細事からでも取り出しうる。

憤怒より己れを抑えるには、他人の怒れるときに静かにそれを観察することなり。

未来を気づかう心は悲惨なり。

死がいかなる場所において汝を待ち受けているか不明なり。
ゆえに、いかなる場所においても死を待ち受けよ。

死自体よりも死の随伴物が人を怖れさす。

汝がいっさいを屈服させんと欲せば、汝自身を理性に屈服せしめよ。

生命は短く芸術は永し。

神が存在すると思わざる人は自己を偽わるものなり。
たとえ、かかることを絶えず確言しても、日夜不安なるがゆえなり。

経済学は己自身の世帯をやりくりする科学なり。

罪を憎みて罪人を憎まず。

耐え忍んだ事柄は甘き記憶なり。

自立への大いなる一歩は満足なる胃にあり。
セネカ
古代ローマの政治家、思想家、詩人。
(Lucius Annaeus Seneca, B.C.5? - B.C.65?)

256:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:36:28.07 WeHPztdI.net

パンさえあれば、たいていの悲しみは堪えられる。

人間とは、己れの行った仕事の子供である。

光り輝くものすべて金にあらず。

好運はそれが失われるまでは知られない。

真の勇気というものは、極端な臆病と向うみずの中間にいる。

自分のポケットの中の小銭は、他人のポケットの中の大金にまさる。
卵を抱いているのはいいことだ。塵も積もれば山となる。

自由のためなら、名誉のためと同じように、
生命を賭けることもできるし、また賭けねばならない。

裸で私はこの世にきた。裸で私はこの世から出ていかねばならないのだ。
セルバンテス「ドン・キホーテ」
スペインの作家。
(Miguel de Cervantes Saavedra, 1547 - 1616)

257:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:37:08.92 WeHPztdI.net

われはアテネ人にあらず、ギリシア人にあらずして世界市民なり。

人は誰ひとりとて、みずから進みて悪事を行う者はなし。

人間の最大の幸福は、日ごとに徳について語りうることなり。
魂なき生活は人間に価する生活にあらず。

他の人々は食わんがために生き、己れ自身は生きんがために食う。

善人においては現世にても死後にても悪は発生せず。

四つが裁判官に必要なり。
親切に聞き、抜け目なく答え、冷静に判断し、公平に裁判することなり。

悪法も法なり。

最も尊重せねばならぬのは、生くることにあらず、よく生くることなり。

死はいうまでもなく、肉体よりの解放にほかならず。

汝が良妻を持たば幸福者にならん。悪妻を持たば哲学者にならん。

猟人は犬もて兎を狩り、おべっか使いは称賛もて愚者を狩る。

私が知るすべては、なにも知らざることなり。

結婚するが可か、せざるが可か。いずれにせよ、汝は後悔せん。

豚となりて楽しまんより、人となりて悲しまん。
ソクラテス

258:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:37:57.68 WeHPztdI.net

たとえ身体は奴隷なるも、精神は自由なり。

事は他人を援助することによりて己れ自身を益す。

女よ、女はものを言わぬが花よ。

模作は文学の基礎である。

陰にてよからぬ企てをする人間どもの心は、
その悪事が実行に移されるに先立ちて、よからぬことを企てし罪に問われがちなり。
ソフォクレス
アテナイの悲劇作家。
(Sophokles, B.C.496? - B.C.406)

259:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:42:40.97 WeHPztdI.net

すべての不幸は未来への踏み台にすぎない。

たとえ善意と協調と思いやりの限りを尽くしても、まだ友情と呼ぶには十分ではない。
友人同土は、世間のいうように単に調和だけに生きるものではなく、
メロディーに合わせて生きるものであるからだ。

ひとりの徳行ある者には九千九百の美徳のパトロンがある。

われわれは友人に食事や衣服や健康の心配をしてもらおうとは、思わない。
そうしたことは隣人たちでもやってくれるだろう。
これと同様のつとめを、われわれの魂に対して果たして欲しいのだ。

ビロードのクッションに坐わっているよりも、
気がねせずにカボチャの上に坐っているほうがよい。

人間は自己の幸福の工匠である。

友を探し求める者は不幸である。というのは、忠実な友はただ彼自身のみなのであるから。
友を探し求める者は、己れ自身に忠実な友たりえない。

地球は死んだ歴史の断片ではなく、生きた詩だ。

奴隷制度が合法化され、かつ保護されている国では、
潔白な市民にふさわしい唯一の場所は牢獄である。

新聞を読まない人たちは幸福である。
なぜならば、彼らは自然に目を向け、それを通じて神を見るからである。

果実を食べる者は、少なくとも種子を植え付けるべきだ。

理不尽に投獄する政府のもとでは、正義の人間の真の場所もまた監獄である。

真に善きものはすべて廉価であり、有害なものはすべて高価である。

詩は真理の全体を包含し、哲学はその部分を表現する。
ソロー
アメリカの作家、思想家、詩人、博物学者。
(Henry David Thoreau, 1817 - 1862)

260:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:42:58.66 WeHPztdI.net

他人を軽視することならば喜んで聞く人間多し。

勇気のあるところに希望あり。

大帝国は小胆によりては維持されず。

孤独になりて、これを平和と称す。

悪意と猜疑は自由を装うこともありうる。

戦争も悲惨なる平和よりよし。

昔は犯罪によりて苦しみ、今日は法律によりて苦しむ。

最悪の敵はほめそやす者なり。

繁栄は人間の心にとりて、不運以上にきびしき試練なり。
人間は不幸に堪えられうるも、幸福には腐らさる。

裏切者は、彼らが利得を与える人たちによってさえも憎まれる。

邪なる平和は、戦争より邪悪なり。
タキトウス
帝政期ローマの政治家、歴史家。
(Cornelius Tacitus, 55? - 120?)

261:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:43:35.45 WeHPztdI.net

およそ人の天に生きんとて地に死ぬるを悲しむ者は、
永劫の雨のさわやかなるをいまだかしこに見ざる者なり。

われは悲しみの市への入口なり、われは永久なる悩みへの入口なり、われは滅びの民への入口なり、
汝らここに入らん者、すべての望みを棄てよ。

初めはつねにむずかしといえども、人の登るに従いて、その労を少なうするは、これこの山の自然なり。

憎しみを天に享くるすべての邪悪は、その目的非を行うにあり、
しかして、いっさいのかかる目的は、あるいは力により、あるいは欺瞞によりて他を苦しむ。

汝が汝の学べるところのものを顧みて、その教えのわがことばに伴うをうるや否やをみる。
ダンテ「神曲」

262:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:43:51.76 WeHPztdI.net

こちらの言い分を相手に聞かせようとする余り、相手のボタンや手を掴んではならない。
相手がこちらの言葉を聞きたくないのなら、いっそ自分の舌を抑えたらどうだ。

たとえ自分自身が正しいと思っても、けっして昂奮して荒々しく討論してはいけない。

できれば、人より賢くなりなさい。しかし、それを、人に知らせてはいけない。

どのように話すかは、話の内容と同じくらい重要である。
判断力を持っている人間よりも、耳をくすぐられて喜ぶ人間の方が多い。

怒りよりも軽蔑をかくすことがより必要である。
前者はけっして忘れられないが、後者はときには忘れられる。
悪意はしばしば忘れられるが、軽蔑はけっして忘れられない。

怠惰は弱い頭の逃避場、愚者の休日にすぎない。

文体とは思想のスタイルである。

無作法な人はしばしば笑うが、けっして微笑しない。
それに反して、躾のよい人々はしばしば微笑するが、けっして笑わない。

相手の本心を知りたければ、相手の顔をじっと見つめることだ。
表情を見ていると、言葉の意味がつかみやすくなる。

知識には作法の衣を着けねばならない。そして世間に出る道を円滑化せねばならない。
作法のない知識は偉大なダイヤモンドの原石のようなものだ。
戸棚に並べて好奇の眼で眺めるのにはもってこいであり、
またその稀少価値のゆえに尊ばれる。しかし最も賞讃されるのは磨き上げられた時である。
チェスターフィールド
イギリスの文人政治家。
(Lord Chesterfield, 1694 - 1773)

263:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:44:07.71 WeHPztdI.net

あなたが明日会う人々の四分の三は、「自分と同じ意見の者はいないか」と
必死になって探している。この望みをかなえてやるのが、人に好かれる秘訣である。

あなたの話し相手は、あなたのことに対して持つ興味の百倍もの興味を、
自分自身のことに対して持っているのである。中国で百万人の餓死する大飢饉が起こっても、
当人にとっては、自分の歯痛のほうがはるかに重大な事件なのだ。
首に出来たおできのほうが、アフリカで地震が四十回起こったよりも
大きな関心事なのである。人と話をする時には、このことをよく考えていただきたい。

ちょっとした心掛け一つで、この世全体が少しでも幸福になる。
一人ぼっちの人や意気消沈している人を見かけたら、
その場で二言三言やさしい言葉をかけてあげよう。
たぶん明日になれば、そんな親切をしたことは忘れてしまうだろう。
だが親切にされた者は、あなたの言葉を一生胸に抱き続けるだろう。

なぜ自分の愛犬をしつける時に用いるのと同じ方法を、人間に応用しないのだろう。
なぜ鞭の代わりに肉を、批評の代わりに賞讃を用いないのだろう。

にっこりするコツおよびその効果を考えよう。まず世間や人々に本当に
誠意をもって対さねばならない。この心掛けがなければ、にっこりしても
不自然にしか見えない。だが人前ではいつもにっこりするよう心掛けるだけでも、
けっこう役に立つ。ほほ笑みかけられた相手が幸福になり、
その幸福がブーメランのように、こちらへはね返ってくるからだ。
相手の気分がよくなれば、こちらの気分もよくなり、間もなく笑顔が本物になる。
また、にっこりすると、不快な気持やよそよそしい気持が抑えられる。
にっこりほほ笑みかければ、相手が好きだということを、それとなく伝えることになる。
相手にもその気持が伝わり、こちらが好きになる。
まあ一ぺんにっこりする習慣をつけてみたまえ。きっといい事があるはずだ。

まず相手の長所を賞める。それから徐々に相手の欠点を教えてやればよい。
この方法を用いれば、会社、工場、家庭で効果があり、
妻に対して、子供に対して、両親に対して、ほとんど世界中の人間に対して効果がある。

もし、口論して千載の悔いを残したくなかったら、いくら自分に理があると思っても、
相手の言う、ちょっと耳の痛いことにもがまんして耳を傾けることだ。

もし一日だけ親切にし、思いやりを示すことができれば、
もう一日続けることができる。これには一銭もかからない。今日から始めよう。
デール・カーネギー

264:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:44:36.63 WeHPztdI.net

もし結婚生活が暗礁に乗り上げそうになったら、自分の伴侶の好ましい所と、
夫や妻としての自分の至らない所を表にして比較してはどうか。
あなたの人生の転機となるかも知れない。

265:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:44:50.11 WeHPztdI.net

われわれはお互いに相手を尊敬すべきだ。どっちみちお互いに大した人間ではないのだから。
百年もすれぼ完全に忘れ去られてしまう。人生は自分の手柄話を
とくとくと述べたてるには短すぎる。相手に話をさせよう。

人から押しつけられた意見よりも、自分で思いついた意見のほうを、
われわれは、はるかに大切にするものである。とすると、人に自分の意見を
押しつけようとするのは、そもそも間違いだといえる。
暗示を与えて、結論は相手に出させるほうが、よほど利口だ。

人と会うたびに何か親切を尽くしてあげることだ。
一日が終ったら、自分の親切が何をもたらしたか、よくかみしめてみよう。
たった一回の親切にどんな大きな意味があるか、ちょっと分らないだろうが、
これだけは確かである。親切は相手が好きだというしるしであり、
親切を受ければ、相手もある程度までこちらが好きになる。

人と会う約束ができることは、相手の信頼を得たしるしである。
もし約束を破れば、相手から盗みをしているのだ。
といっても金を盗んでいるのてはない、「人生」の銀行から
時を盗んでいるのだ。相手にとって一生取り返しがつかない時を。

人はだれでも他人よりも何らかの点で優れていると考えていることを忘れてはならない。
相手の心を確実に掴む方法は、相手が相手なりの
重要人物であるとそれとなく、あるいは心から認めてやることである。

人を動かす秘訣は、この世に、ただ一つしかない。
この事実に気づいている人は、はなはだ少ないように思われる。
しかし、人を動かす秘訣は、間違いなく、一つしかないのである。
すなわち、みずから動きたくなる気持を起こさせること…これが、秘訣だ。
かさねていうが、これ以外に秘訣はない。
もちろん、相手の胸にピストルを突きつけて、腕時計を差し出したくなる気持を
起こさせることはできる。従業員を首きりでおどして、協力させることもできる。
少なくとも、監視の目を向けている間だけは。鞭やおどしことばで
子供を好きなように動かすこともできる。しかし、こういうお粗末な方法には、
常に好ましくない跳ね返りがつきものだ。
人を動かすには、相手の欲しているものを与えるのが、唯一の方法である。

人間にもっとも必要な特質とは何だろうか。管理者の能力、偉大な精神力、
親切心、勇気、ユーモアを解する心、こんなものはみな違う。
もっともそのどれもが、ごく重要であるが。私の考えでは、それは友人を作る能力である。
一言にして言えば、相手の最大の長所を見出す能力である。
デール・カーネギー

266:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:45:53.65 WeHPztdI.net

人間は理性の動物ではない。感情に動かされやすい、偏見に満ちた、
自負心に動かされて行動する動物である。
人を相手にする時は、常にこの心掛けを忘れないことだ。

267:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:46:29.20 WeHPztdI.net

人間嫌いを直す簡単な方法は一つしかない。
相手の長所をみつけることだ。長所は必ずみつかるものだ。

他人に興味を持つことによって自分自身を忘れよう。
毎日、だれかの顔に喜びの微笑が浮かぶような善行を心がげよう。

動作はことばよりも雄弁である。微笑はこう語る。
「わたしはあなたが好きです。あなたのおかげでわたしはとても楽しい。
あなたにお目にかかって嬉しい」。犬がかわいがられるゆえんである。
われわれを見ると、犬は喜んで夢中になる。自然、われわれも犬がかわいくなる。
心にもない笑顔そんなものには、だれもだまされない。
そんな機械的なものには、むしろ腹が立つ。わたしは真の微笑について
語っているのである。心あたたまる微笑、心の底から出てくる笑顔、
千金の価のある笑顔について語っているのだ。

友人が欲しければ友人の事をいつも心にかけるように心掛けることだ。
相手の名前を覚えればその人に対して口では言い尽くせない好意を示したことになる。
その人に対して好印象を与えたことになる。
自分の名前を覚えてくれたことで、相手の自尊心は高まるからだ。

友人を得、こちらの考えに同調させる最も確実な方法は、
相手の意見を十分に取り上げてやり、相手の自尊心を満足させてやることだ。

女性は、誕生日や記念日を重視する。その理由は…これが、男性にはわからない。
普通、男は、あまり多くの日付を覚えなくても、けっこう暮らして行ける。
だが、忘れてならない日も若干はある。たとえば、1492年(コロンブスのアメリカ大陸発見)と
1776年(アメリカの独立宣言)、それに、妻の誕生日と自分たちの結婚記念日だ。
初めの二つは、場合によっては忘れてもよかろう。しかし、あとの二つは絶対に忘れてはならない!
デール・カーネギー

268:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:46:46.04 WeHPztdI.net

子供の大望を聞いて笑ってはいけない。
子供にとって、笑いはからかいを意味することが多く、
からかいほど心を苦しめるものはない。
子供が身のほど知らずの大望について語る時に親のなすべきことは、
その大望についてあらゆる観点から、よく話し合ってやることだ。
そしてできることなら、どうすればその目標に成功する望みをもって近づけるか、
その方法を助言してやる。それからさあ、やりなさいと前進を勧める。
ありとあらゆる激励を与えてやる。
何よりも、子供が自力でできる事には手を貸さないことだ。
自分で自分の成功を育てる特権と感激を取り去ってはいけない。

幸福になりたければ、やれ恩を返せだの恩知らずだのと言わないで、
人に尽くす喜びだけを生き甲斐にしようではないか。

恨みを抱くな。大したことでなければ、堂々と自分の方から謝まろう。
頑固を誇るのは小人の常である。にっこり握手して自分の誤ちを認め、
いっさいを水に流して出直そうと申し出てこそ、大人物である。

成功には何のトリックもない。
私は、私に与えられた仕事に全力を尽くしてきただけだ。

最上の議論をうる唯一の途は、それを避けることにある。

現代生活は忙しい。用件はさっさと述べ、
言うべきことを言ったら、そこで話をやめて、相手に話の場を譲る方がよい。

目つき、口ぶり、身ぶりなどでも、相手の間違いを指摘することができるが、
これは、あからさまに相手を罵倒するのとなんら変りない。
そもそも、相手の間違いを、なんのために指摘するのだ?
相手の同意を得るために?とんでもない! 
相手は、自分の知能、判断、誇り、自尊心に平手打ちを食らわされているのだ。
当然、打ち返してくる。考えを変えようなどと思うわけがない。
どれだけプラトンやカントの論理を説いて聞かせても相手の意見は変らない。
傷つけられたのは、論理ではなく、感情なのだから。

相手に本当の興味を持とうと努力すれば、こちらに興味を持たせようと
二年間悪戦苦闘の末、やっと得られる友人より、多くの友人が二時間もあれば得られる。
言い換えれば、友人を得る最上の方法は、まず自分が友人になることだ。
デール・カーネギー

269:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:47:06.70 WeHPztdI.net

相手の考え、行動には、それぞれ、相当の理由があるはずだ。
その理由を探し出さねばならない。そうすれば、相手の行動、さらには、
相手の性格に対する鍵まで握ることができる。ほんとうに相手の身になってみることだ。

相手は間違っているかも知れないが、彼自身は、自分が間違っているとは
決して思っていないのである。だから、相手を非難しても始まらない。
非難は、どんな馬鹿者でもできる。理解することに努めねばならない。
賢明な人間は、相手を理解しようと努める。

相手を腹の底から笑わせることができれば、友人になる道が開ける。
相手が一緒になって笑うのは、いくらかでもこちらが好きな証拠だ。

自分の長所、欲求を忘れて、他人の長所を考えようではないか。
そうすれば、お世辞などは全く無用になる。
うそでない心からの賞讃を与えよう。”心から賛成し、惜しみなく賛辞を与え”よう。
相手は、それを、心の奥深くしまいこんで、終生忘れないだろう…与えた本人か忘れても、
受けた相手は、いつまでも忘れないでいつくしむだろう。

議論に勝つことは不可能だ。もし負ければ負けたのだし、たとえ勝ったにしても、
やはり負けているのだ。なせかといえは仮に相手を徹底的にやっつけたとして、
その結果はとうなる? やっつけたほうは大いに気をよくするだろうが、
やっつけられたほうは劣等感を持ち、自尊心を傷つけられ、噴慨するだろう。

議論に勝つ最善の方法は、この世にただ一つしかない。
その方法とは議論を避けることだ。毒蛇や地震を避けるように議論を避けるのだ。
デール・カーネギー
アメリカの実業家、作家。
(Dale Carnegie, 1888 - 1955)

270:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:47:35.89 WeHPztdI.net

いまだかつて、敵をつくったことのないような人間は、けっして友を持つことはない。

信仰のあらゆる形式を超えて信仰にしがみつけ。

恋して恋を失ったのは、まったく愛さないよりもましだ。

時には今日なく、永劫には未来なく、永遠には過去はない。

時間の谷間では、しばしば時間の丘が永遠の山をさえぎる。

暗の中に泣く児、泣く声のほかは知らぬ児。

現代には現在なく、来世には未来なく、未来には過去なし。

男は猟師であり、女は獲物、つやつやと光った狩られる動物である。

男同土の相違は、せいぜいのところ天と地くらいだが、
極悪の女と最善の女の相違は、天国と地獄の距りがある。

自愛・自識・自制、この三者だけが
人生を導き、高貴な力にいたらしめるものである。
テニソン
イギリスの詩人。
(Alfred Tennyson, 1809 - 1892)

271:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:47:52.75 WeHPztdI.net

「人類に対する愛」ということばは、
自分が心の中でつくりあげた人類に対する、つまり己れに対する愛である。

いかなる科学の力を借りても、またどんな利子をもって釣ったところで、
人間はけっして不平なしに、財産や権利を分配することはできません。

いちばん簡単で、いちばん明白な思想こそが、いちばん理解しがたい思想である。

もちろん金は絶対的な力である。と同時に、平等の極致でもある。
金の持つ偉大な力は、まさにそこにあるのだ。金はすべての不平等を平等にする。

世の中には、恋人とか情婦としては通用するが、
ほかになんの役にも立たない女がいるものだ。

人は思想をとらえようが、思想はつねに人間よりも現実的である。

人生において何よりもむずかしいことは、嘘をつかずに生きることだ。
そして自分自身の嘘を信じないことだ。

人生は苦痛であり、人生は恐怖である。だから人間は不幸なのだ。
だが、人間はいまでは人生を愛している。それは苦痛と恐怖を愛するからだ。

人類の最も偉大な思考は石をパンに代えるということてある。
ドストエフスキー

272:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:48:37.78 WeHPztdI.net

娘の恋は母にとっては死である。

感情は絶対的である。そのうちでも嫉妬はこの世で最も絶対的な感情である。

真実を語るものは機知のない人間だけである。

神が存在しないならば私が神である。

神と悪魔が闘っている。そして、その戦場こそは人間の心なのだ。

私の欲しいのは金ではなく、また金の力でもない。
金の力でえられるもの、またその力なくしては、どうしてもえられないものが
必要なのだ。それは孤独な落ちついた権力の意識だ!

私はなにか善を行おうとする希望を持ち、そこに悦びを感ずることもできる。
だが同時に、悪を行いたいとも思い、そこにも悦びを覚えることができる。

自然法則はキリストを欺瞞の真只中に生きさせたし、キリストを欺瞞のために死なせた。

謙譲な愛は、暴虐よりもずっと効果の多い怖ろしい力である。

選ばれた者は、凡人社会の法を無視する権利がある。

金は鋳造された自由である。
ドストエフスキー

273:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:49:04.83 WeHPztdI.net

お前を永遠に愛すると言うことは、
ろうそくがお前が生きている間燃えつづけると言うに等しい。

すべての幸福な家庭は、互いに似かよっているが、
不幸な家庭はどれもが、それぞれの流儀で不幸である。

人間を法則に服従させるという思想は、人間を隷属させることであり、
神の法則に従うという思想は、人間を開放する思想である。

古人はわれわれに英雄叙事詩の模範を残した。
そのうちで、英雄が歴史の興味の全部をなしている。
だから、われわれはかかる種類の歴史は、この人間時代で
なんらの意味も持たないという考え方に慣れることができない。

善をなすには努力が必要である。
しかし、悪を抑制するには、さらにいっそうの努力が必要である。

女…それは男の活動にとって大きなつまずきの石である。
女を恋しながら何かをすることはむずかしい。
だが、ここに恋が妨げにならない唯一の方法がある。
それは、恋する女と結婚することである。

嫉妬とは、愛の保証への要求である。

家庭愛は自愛と同じである。
したがって犯罪行為の原因とはなるが、それの弁解になることはない。

富裕階級に逸楽を提供することを目的としているわわれの芸術は、
売春婦に似ているどころではない、それ以上のなにものでもない。

愚かな人間は沈黙しているのが最もよい。
だが、もしそのことを知ったならば、その人はもう愚かな人間ではない。

憤怒は他人にとって有害であるが、憤怒に駆られている当人にはもっと有害である。
トルストイ

274:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:49:19.04 WeHPztdI.net

戦争というものは、最も卑しい罪科の多い連中が権カと名誉を奪い合う状態をいう。

最上の幸福は、一年の終わりにおいて、
年頭における自己よりも、よりよくなったと感ずることである。

死の恐怖は解決されない生の矛盾の意識にすぎない。

理性はしばしば罪の奴隷となって、これを弁解する。

真の宗教とは、人間が彼らをとりまく無限の大生命に対して
彼らの生活を、この大無限に結合させ、
それによって自己の行為を指導するという関係を確立することである。

真の愛は個人的福祉の放棄の結果である。

神の国は目で見るべきものではなく、また語るべきものではない。
神の国はここにあり、かしこにあり、それゆえに神の国はわれわれの心の裡にある。

神は真実を見られるが、速やかにはお示しにならぬ。

自由の量が多ければ多いほど、必然の量は少なくなり、
必然の量が増加するにつれて自由の量は減ずる。

芸術は一種の虚偽である。私はもはや美しい虚偽を愛しえない。

芸術は人類進歩の機関のひとつである。人間はことばを通じて思想のうえで交わり、
芸術の形象を通じて、現在のみならず、過去と未来の
あらゆる人間と心持ちのうえで交わっている。

芸術は技芸ではなく、それは、芸術家が体験した感情の伝達である。

言うべきときのほかは言うな。書かざるをえないときのほかは書くな。
君は作家である。書かざるをえないときのほかはけっして書いてはいけない。

金は新しい形式の奴隷制である。それが旧い形式の奴隷制と異なるところは、
奴隷に対してなんら人間的な関係を持っていない非人格的なところにある。
トルストイ

275:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:49:53.13 WeHPztdI.net

この膝は神以上に屈せず。

すべて昨日という日は、阿呆どもが死んで土になりにいく道を照らしたものである。

われわれは善良な農民を欲している。彼らは軍隊の力をつくるものである。

キリストは愛によってひとりで天国を建設したが、
今日までキリストのために何万人という人々が死んだことか!

一歩一歩はい上がるのは冒険家ではなくて、幸福を追っかけている男のすることだ。
人生はとるに足りない夢だ。いつかは消え去ってしまうのだ。

三つの敵意ある新聞は千の銃剣よりも怖ろしい。

人間はあらゆるものを発明することができる、ただし、幸福になる術を除いては。

俺のような人間は、百万人の生命を犠牲にするくらい屁にも思っていない。

勝利は最も根気のある者にもたらされる。

子供の将来の運命は、その母の努力によって定まる。

戦いは最後の五分間にある。

最も偉大な将軍は過失のもっとも少ない者だ。

王位はビロードで蔽われた金ぱくをきかせた一片の木片にすぎない。

生きたいと思わねばならない。そして死ぬことを知らねばならない。

生きている兵卒のほうが、死んだ皇帝よりもずっと価値がある。

社会には剣と精神という二つの力しかない。
結局のところ、つねに剣は精神によって打ち負かされる。
ナポレオン

276:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:50:14.58 WeHPztdI.net

「女は誰をいちばん憎むか」鉄が磁石に問うた。
「私はお前をいちばん憎む。なぜなら、お前は牽くことをなし、
しかも、お前のもとへ牽きよせる十分の力をもたないからである。」

あなたがたの実力以上に有徳であろうとするな。できそうもないことをおのれに要求するな。

あらゆる人間は、いかなる時代におけるのと同じく、現在でも奴隷と自由人に分かれる。
自分の一日の三分の二を自己のために持っていない者は奴隷である。

あらゆる種類の確信に拘束されない自由さは、懐疑家の意思の強さに屈している。
信念を欲すること、肯定においても否定においても、無条件なものを欲することは、弱さの証拠である。

ある巨匠の作品を演奏するピアニストが、その巨匠を忘れさせて、
まるで自分の生涯の物語を語っているとか、まさになにか体験しているふうに
みえたとき、最もうまく弾いたことになろう。

いちばん危険な党員とは、その人間が脱党したら党派全体が瓦解するような人である。だから最良の党員である。

お前たち高名なるすべての賢者よ、お前たちは、民衆と民衆の迷信に奉仕してきたし、
真理には仕えなかった! そして、それゆえにこそ、人はお前たちに畏敬を払った。

たいていの男たちは、誰も彼らの妻をかっさらってくれないことを嘆く。

どちらも相手をとおして自分個人の目標をなにか達成しようとするような
夫婦関係はうまくいく。例えば、妻が夫によって有名になろうとし、
夫が妻をとおして愛されようとするような場合である。

なんじの敵には軽蔑すべき敵を選ぶな。なんじの敵について誇りを感じなければならない。

ひとは女を深いと思う。なぜか? 女の場合、底まで行けないからだ。女は浅くさえもないのだ。

ほかの人に懺悔してしまうと、当人は自己の罪は忘れるが、たいてい相手の人はそれを忘れない。
ニーチェ

277:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:50:35.73 WeHPztdI.net

みずから敵の間へ躍りこんでいくのは、臆病の証拠であるかもしれない。

278:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:51:03.78 WeHPztdI.net

ものの始めを採すことで、人間は蟹になる。
歴史家は後ろ向きにものをみる。ついには後ろ向きに信ずるようになる。

よい格言は、時の歯がたつには堅すぎる。
そして、いかなる時代にも栄養のたしになるのに、幾千年の歳月にも食いつくされはしない。

われわれが不意にある事柄について問われた場合に思いつく最初の意見は、
一般にわれわれの意見ではなく、われわれの階級・地位・素性に
つきもののきまり文句にすぎない。

われわれのうちで、最も勇気のある者でさえ、
自分が本当に知っていることに対する勇気を持つのは稀なことにすぎない。

キリスト教徒はただひとりしかいなかった。そして、その人は十字架の上で死んだ。
この瞬間、以後<福音>と呼ばれているものは、すでに彼が
生きてきたものの正反対、すなわち<禍音>であった。

キリスト教道徳は奴隷の道徳、弱者の道徳である。
生の拡大をさまたげ、本能の発揮を抑え、人間を萎縮させ、退化させる道徳である。

世論とともに考えるような人は、すべて自分で目かくしをし、自分の耳にせんをしている。

乞食…乞食は一掃すへきである。げ
だし何か恵むのもしゃくにさわるし、何もやらないのも、しゃくにさわるから。

人間が神のしくじりにすぎないのか、神が人間のしくじりにすぎないのか。

人間は深淵に架けられた一条の綱である。
渡るも危険、途上にあるも危険、うしろをふりかえるも危険、
身ぶるいして立ちとどまるのも危険。
人間において偉大な点は、それが橋であって目的でないことだ。
人間において愛されうる点は、それが過渡であり、没落であることだ。

人間は行動を約束することはできるが、感情は約束できない。
思うに、感情は気まぐれだからである。

勇気…攻撃する勇気は最善の殺戮者だ、死をも殺戮する。

南国の勤勉は営利欲ではなく、他人に絶えず必要とされるからである。
食わんがためだけなら勤勉は不必要である。北国のそれは、その反対である。

友たるものは、推察と沈黙に熟達した者でなければならない。

279:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:51:33.38 WeHPztdI.net

君は言う「善行のためには戦いを犠牲にせよ」と。
私は言う「善戦のためには万物をも犠牲にする」と。

哲学者とはなにか。
つねに尋常でない事物を経験し、見聞し、猜疑し、希望し、夢見る人間だ。
ニーチェ

280:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:52:07.18 WeHPztdI.net

善とはなにか…人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
悪とはなにか…弱さから生ずるすべてのものである。

善にも強ければ、悪にも強いというのが、いちばん強力な性格である。

善悪において一個の創造者となろうとする者は、まず破壊者でなければならない。
そして、いっさいの価値を粉砕せねばならない。

国家というものは、個人相互に対して個人を保護するための賢明な制度である。
国家の品種改良をやりすぎると、結局は個人は国家によって弱められ、
そのうえ瓦解され…したがって、国家の本質的目的が根本的に無に帰してしまう。

国家におけるいっさいは虚偽である。
かむことを好む者は、ぬすみたる歯をもってかむ。彼の腸すらにせものである。

地球は皮膚をもっている。そしてその皮膚は
さまざまな病気を持っている。その病気のひとつが人間である。

多くのつかのまの愚行それを諸君は愛という。
そして諸君の結婚は、一つの長期間にわたる愚行として、
多くのつかのまの愚行に終止符を打つ。

多くの人間は、その記憶があまりにもよいという唯一の理由から思索者になれない。

多く考える人は党員には向かない。というのは、党派などを突き抜けて考えてしまうからである。

女のもとへ赴こうとするならば鞭を忘れるな。
ニーチェ

281:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:53:01.73 WeHPztdI.net

婦人にはあまりにも永い間、暴君と奴隷とがかくされていた。
婦人に友情を営む能力のないゆえんであって、婦人の知っているのは恋愛だけだ。

学者はよく監視し合うが、最善の信頼を互いに払うことはしない。
小さい好策にすこぶる長け、あしなえた知識を持つ人々を待ち伏せる。

宗教は間接的にも直接的にも、教義としても比喩としても、
いまだかつてひとつの真理を含んだことはない。
というのは、どんな宗教も不安と欲求から生まれたものであるからである。

幸福とは何か…権力が成長しつつあるという感情…抵抗が克服されるという感情である。

恋愛から結ばれる、いわゆる恋愛結婚は、誤謬をその父とし、必要をその母とする。

悪意というものは、他人の苦痛自体を目的とするものにあらずして、
われわれ自身の享楽を目的とする。

悲観をその基盤とし、不幸と悲哀を善とするこの道徳…この善悪の
価値表は、速やかに破り捨てなければならない。

戦争を非難していえば、戦争は勝者を愚かにし、敗者を邪悪にする。
戦争を弁解していえば、さきに述べた二つの作用のいずれの場合でも野蛮にさせ、
それによってより自然的にならしめる。

才能が一つ多いほうが、才能が一つ少ないよりもより危険である。

新聞の強味は、そこで働くひとりひとりが全然、義務も束縛も感じないところにある。

日常生活で、人々がおおむね正直なことを言うのはなぜか。
神様が嘘をつくことを禁じたからではない。
それは第一に、嘘をつかないほうが気楽だからである。

本をめくることばかりしている学者は…ついにはものを考える能力を
まったく喪失する。本をめくらないときには考えない。
ニーチェ

282:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:53:26.32 WeHPztdI.net

極端な行動は虚栄、普通の行動は習慣、中庸な行動は恐怖に
帰せられるならば、過去を犯すことはまずなかろう。

正義とは、ほぼ同等の力の状態を前提とする報償との交換だ。

正義は支払い能力のない者を大目に見のがすことをもって終わる。
…正義のこの自己止揚、それがどんな美名で呼ばれているかを知っているか…いわく恩恵。
それはいうまでもなく、最も強大な特権である。

武装平和とは、自国と隣国を信頼せず、
半ば憎悪、半ば恐怖から武器を放棄しかねる意向上の不和である。

母親は息子の友人が成功すると嫉む。母親は息子よりも息子の中の自分を愛しているのである。

毎日少なくとも一回、何か小さなことを断念しなければ、
毎日は下手に使われ、翌日も駄目になるおそれがある。

汝が平和を求めるならば、それは新しい戦いの準備としての
それでなければならない。永い平和よりも短い平和を求めよ。

犠牲行為によって計画される道徳は半野蛮的階級の道徳である。
ニーチェ

283:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:53:50.56 WeHPztdI.net

犯罪者は犯罪のゆえに苦しまず。恥辱のゆえに、なされた愚行に
対する立腹のゆえに、常習になったもののないことのゆえに苦しむ。

生きるとはなんのことか…生きるとは…死にかけているようものを、
絶えず自分から突き放していくことである。

男たちは、自分の職業が他のいかなる職業よりも大切だと信ずるか、
自分で思い込ませる以外に、その職業を持ちこたえることはまずできない。


男の幸福は「われ欲する」ということであり、
女の幸福は「彼欲する」ということである。

私の真理は怖ろしい。というのは、今まで嘘が真理と
呼ばれてきたのだから、あらゆる価値の価値転倒…これが私の方式だ。

私はお前たちに超人を教える。人間は超克さるべき何物かである。
お前たちは人間を超克すべく何ごとをなしたか? 超人は大地の意義である。

私はキリスト教に対するこの永遠の弾劾を壁という壁、壁さえあればどこでも書き付けたい。
私は盲目でも読める文字を持っている。私はキリスト教を一大呪詛と呼ぶ。

私は人間ではない。私はダイナマイトだ。
…私は宗教的な人と接触したあとでは手を洗わずにはすませない。

科学者が天才視されないのは、単なる理性の児戯にすぎない。

脱皮できない蛇は滅びる。意見を脱皮していくことを
さまたげられた精神も同じことである。それは精神であることをやめる。
ニーチェ

284:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:54:12.28 WeHPztdI.net

自己の思想を氷の上へおくことを心得ていたい人は、論争の熱の中へ身を投じてはいけない。

芸術…芸術こそ至上である! それは生きることを可能ならしめる偉大なもの、
生への偉大な誘惑者、生の大きな刺激である。

苦しみをともにするのではなく、喜びをともにすることが友人をつくる。

血と格言をもって書く者は、読まれることを望まず、暗誦されることを欲する。

論争に応ずる場合には、
双方にとっていちばん不愉快なやり口は、立腹して黙っていることである。
というのは、攻撃者側は、一般的に沈黙を軽蔑のしるしと考えるからである。

道徳的理想の勝利は、他のいずれの勝利と同じく、
「非道徳的」手段によって、つまり暴力・虚言・誹謗・不正によってえられる。

霊魂は肉体が衰え、いまわしくなり、飢えることを欲した。
こうして肉体と地から脱れようと思った。
哀れ、その霊魂こそ痩せ、いまわしくなり、飢えたのだ。

高さがいるから階級が必要なのであり、階段とそれを登っていく人たちの矛盾が
必要なのだ! 人生は登ろうとする。登りながら自己を克服しようとするのである。
ニーチェ

285:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:54:31.31 WeHPztdI.net

大多数の専制は集合化された専制である。

悪い人々が結託するとき、善人たちは団結せねばならない。

政府は人間の欲望を満足させる知恵の案出物である。

教育は国民の安価な防備である。

迷信は弱々しい心の宗教である。
バーク
イギリスの政治家、史論家。
(Edmund Burke, 1729 - 1797)

286:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:55:20.86 WeHPztdI.net

われわれは生産をあまりにも重視し、消費をあまりにも軽視しすぎる。

因襲に全然屈服しない男女から成り立つ社会のほうが、
みんなが画一的になるような社会よりも面白い社会であろう。

売春婦の真の犯罪は職業道徳の空虚さを赤裸にしたことである。

恋愛のために出世をすべて犠牲にするのは、痛ましくも英雄的である場合もあるが、
愚行であろう。だが、出世のために恋愛をすべて犠牲にすることも
同じく愚行で、けっして英雄的ではない。

父親の生物学的機能は、子供をその無力のあいだに保護することで、
この生物学的機能が国家に継承されるならば、父親はその存在事由を失う。

生活のための闘争といっているものは、正直なところ、成功のための闘争にほかならない。

真の世論に対して関心を示さないのは、まさにひとつの力であり、幸福の源泉である。

道徳を云々する者にとっては、退屈こそひとつの重要問題である。
というのは、人類の罪悪の少なくとも半分は、退屈を恐れるあまり犯されるものであるから。

道徳律はつねに変化している。
バートランド・ラッセル

287:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:55:44.14 WeHPztdI.net

あらゆる人間の闘争のうちで、男の芸術家と母としての女の闘争ほど残忍・悲惨なものはない。

あらゆる歴史は、天国と地獄の両極端の間にある世界の振動の記録にすぎない。
一期間というのは、その振子のひと振りにすぎないのに、各時代の人々は、
世界がつねに動いているので進歩しているのだと思っている。

たとえ話は嘘ではない。なぜならば、それはけっして起こらなかった事柄を述べているのだから。

できうるかぎり早く結婚することが女の務めであり、
できるだけ永く独身でいることが男の務めである。

われわれの人類に対する最大の罪は、彼らを憎むことではなく、
無関心であることだ。それは非人間性の精髄だ。

人間の法律とはなんですか? 人間を絞殺するひとつの口実です。

人間の道徳とはなんですか。上品ぶった奴で、生産をせずに消費する一つの口実です。

人類から愛国主義者をなくすまでは、平和な世界は来ないであろう。

健全な肉体は健全な心の生産物だ。

哲学者は自然の水先案内人だ。

嘘つきの受ける罰は、人が信じてくれないというだけのことではなく、
ほかの誰をも信じられなくなる、ということである。

地獄は名誉・義務・正義、その他の怖ろしい徳の故郷なのだ。
地上の悪事はすべて、こういう名のもとに犯される。

女というものは、自分の身についた不潔の疑いには我慢できないのだ。

女の歓びは男の自惚れを傷つけることである。

娘は父親が世話し、息子は母親が世話すべきである。
父親・息子と母親・娘の法則は、愛の法則ではない。それは革命の法則であり、
解放の法則であり、有能な青年が疲れ果てた老人どもを圧服する法則である。
バーナード・ショー

288:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:56:24.22 WeHPztdI.net

家庭は少女の監獄であり、婦人の感化院だ。

幸福と美は副産物にすぎない。

性的にいうと、女は自然が最高の完成を保全するために工夫したものであり、
男は自然の命令をいちばん経済的に果すために女の工夫したものだ。

愚者は自分が恥ずかしく思うことをすると、それは自分の義務だと言い張るものだ。

戦争において、いざ戦おうとするのに必要とするのは、多少の熱い血と、
勝つことよりも負けるほうが危険である、ということを知るにある。

教会は謙譲を教えるとともに、みずから謙譲を学ばねばならない。

生涯の幸福! それに耐えうる人間は生きていけない。それは地上における地獄となろう。

男の義務と責任は、子供のためにパンをうる仕事で終始するのだ。
女にとって男は、子供をつくって育てるための手段にすぎない。

真の芸術家は妻を餓えさせ、子供をはだしにし、七十歳になる母親に
生活の手助けをさせても、自分の芸術以外のことは何もしないのだ。

私が愛する女のむら気は、私を愛する女の無節操によってのみ相殺される。

私の愛する女の将来は、私を愛する女の悪魔のような貞操によってのみ相殺される。

結婚というものは、人間のつくった制度のうちでいちばん放縦なものなのだ。
結婚が人気のあるのは、つまりこのためだ。

結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから。

美徳は悪徳を慎むのではなくて、悪徳を望まないことから成り立つ。

食物を愛するよりも誠実な愛はない。
バーナード・ショー

289:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:56:54.23 WeHPztdI.net

ごまかされて幸福なのは、真の幸福でないことを忘れてはならない。
高い精神的誇りのうちに、たとえ瞬間にもせよ、みずから感ずる幸福は、
漠然たる盲信のうちに長年月を酔生夢死する幸福よりも、ずっと大なることを忘れてはならない。

われわれが友人に求めるのは、われわれの行動に対する賛意ではなくして理解である。

人間…動物の間の貴族。

人間が偉大になればなるほど、罵倒の矢に当たりやすくなる。小人には罵倒の矢さえなかなか当たらない。

偉大なる精神は、偉大なる精神によって形成される。
ただし、それは同化によるよりも、むしろ多くの軋轢による。ダイヤモンドがダィヤモソドを研磨するのだ。

悪魔は理論家である。悪魔は現世のよさや官能の悦びや肉などの
代表であるにとどまらず、彼はまた人間理性の代表者でもある。

暗黒時代には、宗教ほど諸国民を導くのに最適なものはなかった。
というのも、暗黒の中では眼の見えない人がいちばんよい案内役で、
目あきよりもずっと確かだからである。しかし、昼になって明るくなっても
眼の見えない人に案内させているとすれば、それは阿呆である。

率直なご意見を伺いたいとか、きびしくご批評下さいと言いながら、
内心ではただ称讃のことばだけを待っている。
…率直に批評した者が、それによって憎まれなくとも、
より多く愛されることは、まずありますまい。

美しき五月となりて、花のつぼみもゆるとき、わが胸も愛の想いにもえいでぬ。

自由への愛は牢獄の花。牢獄にいて、はじめて自由の価値を知る。

賢者は新しい思想を考え出し、愚者はそれを広める。
ハイネ

290:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 22:57:15.79 WeHPztdI.net

「しかし、ただ死し、往け」と、ああ、すべてが往き、往かねばならぬところ、
わが世に生まれ、悩み生きた前のわが在りし虚無に帰りいくこと。

すべての悲劇は死をもって終焉し、すべての茶番は結婚をもって終わる。

わが生命は、齢もてかぞうべきにあらず、鋤のごとく、しわをのこすときのみ
重ねたれば、わが頭に刻まれし畝問にも似て、深くわが魂に彫りつけられぬ跡もなし。

われわれは人を愛する心の薄きにあらず、自然を愛する心の深きなり。

佳き古き時代…すべての歳月は古くなるとよくなる。

嘘とは何か。それは変装した真実にすぎない。

国を建つるには千年の歳月も足らず、それを地に倒すには一瞬にして足らん。

女は「恋人」を恋するが、次からは、すべて恋を恋する。

彼女が予を愛するよりも予は英知を愛す。

忙しさは悲しみを忘れさせる。

恋と結婚は、同じ故郷に生まれた仲でありながら
ほとんど結びつかぬということは、さびしいこと、
人間のはかなさの悲しい愚かなこと、また罪でもあろう。

知恵は悲しみだ。最も多く知る者は、宿命的な真理を
最も深く嘆かねばならぬ。知恵の樹は生命の樹ではない。

知識は幸福を意味しない。いわんや科学は、
無知と一種の無知ともいうべき知識とを交換することにしかすぎない。

私は母国を愛すとも、母国民は愛していない。
バイロン

291:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:03:15.55 WeHPztdI.net

どんな真面目な仕事も、遊戯に熱してゐる時ほどには、人を真面目にし得ない。

292:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:03:43.37 WeHPztdI.net

女に於ける嫉妬は愛の高雅な情操によるのでなく、
実には猛獣の激情に類するところの、野蛮の本能によるのある。

崇高な不徳は讃美される。
だが卑陋なけち臭い者共は、どんな事情に於ても許され得ない。

幸福人とは、過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、
不幸人とは、それの反対を記憶している人々である。

愛は、その愛するものを独占しようと願つてゐる。
しかしながら、愛はそれに成功してしまつた後では、
競争もなく、嫉妬もなく、退屈で褪め易いものにかはつてくる。

教育は猿を人間にしない。ただ見かけの上で、人間によく似た様子をあたへる。
猿が教育されればされるほど、益々滑稽なものに見えてくる。

最も親しき友人といふものは、常に兄弟のやうに退屈である。

父は永遠に悲壮である。

都会の生活は非人情であり、
そしてそれ故に、遥かに奥床しい高貴の道徳に適つてゐる。
萩原朔太郎

293:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:04:52.63 WeHPztdI.net

いかなる身分でも、気晴しができる限り幸福である。
…それは自己自身を考えることから心をそらしてくれるところの幸福である。

294:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:05:22.20 WeHPztdI.net

いちばん小さい物を軽蔑し、いちぼん大きい事物を信じない人間から何がえられようか。

おなたは君公であられるから、あなたの価値を私が高く評価することは
必要ではございません。必要なことは、私があなたに敬礼することです。

お前は主人から可愛がられ、おだてられたからといって、それだけ奴隷でなくなると思うのか? 
奴隷よ、お前は実におめでたい。お前の主人はお前をおだてているが、いまにお前を打つであろう。

われわれはつねに現在にいたためしがない。来るのがとても待ちどおしくて、
その歩みを早めさせようとするかのように未来を待ちこがれているか、
あるいは、あまりすみやかに過ぎ去るので、
その歩みを引きとめておこうとするかのように、過去を呼び返している。

われわれは理性によってのみではなく、心によって真実を知る。

カなき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。
力なき正義は反抗を受ける。なぜならは、つねに悪人は絶えないから
正義なき力は弾劾される。それゆえ正義と力を結合せねばならない。

キリスト教の信仰は二つの真理、すなわち人間の自然性の堕落と、
イエス・キリストの贖いとを両立させるところにある。

クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら、大地の全表面は変わっていたであろう。

世論はいわば世界の女王であるが、力は世界の暴君である。
パスカル「パンセ」

295:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:06:23.80 WeHPztdI.net

人々は互いにへつらうことばかりをやっている。
…人間同士の結びつきは、かかる相互の欺瞞のうえに築かれる。

人々は宗教を軽蔑している。彼らは宗教を嫌悪し、宗教が真実であるのを怖れている。
これを矯正するには、まず宗教が理性に反するものでないことを示してやらねばならない。

人の性質は、いつまでも前のほうにのみ進めない。ひき汐あり、さし汐がある。

人は多くの場合、他人と異なるのみならず、
また、いろいろなときにおける自分自身と異なることが多い。

人は恋愛を語ることによって恋愛するようになる。

人間には二種類しかない。一つは、自己を罪人だと思っている義人であり、
他の一つは、自己を義人だと思っている罪人である。

人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
むしろ同時に二つの極端に達し、その中間をすべて満たすことによって、それを示すものである。

人間は一本の葦にすぎない。自然のうちで最もひ弱い葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。

人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない、自分自身においても、また他人に対しても。

人間は天使でもなければ、獣でもない。
しかし不幸なことは、人間は天使のように行動しようと欲しながら、獣のように行動する。

人間は考えるために生まれている。ゆえに人間は、ひとときも考えないではいられない。

人類は、いわば不断に学ぶ唯一の存在である。
パスカル

296:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:06:43.09 WeHPztdI.net

判断の道徳とは、基準を持たない精神の道徳を軽蔑する。
というのは、精神に科学が属しているように、判断には感情が属しているからである。

多くの宗教家が互いに相反しているのをみる。だから、ひとつを除いて、
他はみな虚偽である。どの宗教も、それ自身の権威に基づいて
信じられることを欲し、不信仰者をおびやかす。

心情は理性の知らないところの、それ自身の道理を持っている。

悲しみは知識である。多く知る者は怖ろしき真実を深く嘆かざるをえない。
知識の木は生命の木ではないから。

政治においては、世襲の権利によって統べる愚かな殿様ひとりのほうが、
権勢を欲しがってなぐり合いをする無数の生半可な利口者よりも危険性が少ない。

時は苦しみや争いを癒す。というのは、人が変わるからである。
人はもはや同一人ではないのである。

死は、その危険なしにそれを考えるよりも、それを考えずに受けたほうが、より容易である。

真理が支配しているときに平和を乱すことがひとつの犯罪であると同様に、
真理が破壊されようとしているときに平和にとどまることも、
やはり、ひとつの犯罪ではないか?

知恵は知識にまさる。

自然はそのすべての真理を、それぞれそれ自身のうちにおいた。
われわれの技巧は、それらの一方を他方のうちに閉じこめようとする。だが、それは自然的ではない。

誤った法律を改正する法律くらい誤ったものはない。
法律は正義であるがゆえに従うといって服従している者は、
自分の想像する正義に服従しているのであって、法律の本質に服従しているのではない。

高慢は、われわれの悲惨や誤謬の真只中においても、きわめて自然な仕方で
われわれをとらえている。われわれは人の語り草になるならば、喜んで生命までも棄てる。
パスカル「パンセ」

297:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:07:16.98 WeHPztdI.net

初恋は麻疹の如し。何人も一度は免れずして経験し難し。

善き事を思へるは善き事を思へるに過ぎず、
悪しき事を思へるは悪しき事を為したるなり。

囚人は前科を誇り、宗教家は懺悔を誇る。

外交官と幽霊は微笑をもつて敵を威嚇す。

女の子は売品なり、男の児は非売品なり、
前者の売れざると、後者の買はれたるとは嘆きなり。

女子の涙は勝利の涙なり、男子の涙は降伏の涙なり。

女子は月経に支配せられ、男子は月給に支配せられる。

女性が英雄を好むのは、英雄に征服されようとしているのではない、
英雄を征服しようとしているのだ。

少女の恋は詩なり。年増の恋は哲学なり。

己れを喪へる生は死よりも意義なし、己れを喪はざる死は生よりも意義あり。

戦争の前は憤怒なり、戦争の中は悲惨なり、戦争の後は滑稽なり。

捨てられたる政治家の壮語すると、破れたる靴の鳴るとは悲し。

生命は刹那の事実なり、死は永劫の事実なり。

男子は、一個の女性を礼賛するのにその全生命を以てするが、
全体の女性を礼賛するには舌のみを以てする。

男子は結婚によつて女子の賢を知り、女子は結婚によつて男子の愚を知る。

男子は羽織より売り始め、フンドシに至りて窮まり、
女は肉より売り始め、羽織に至りて窮まる。

聖人の死は自己の復活なり。豪傑の死は他人の復活なり。
長谷川如是閑

298:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:07:48.65 WeHPztdI.net

あらゆる知恵の中で、結婚についての知識がいちばん遅れている。

ヴァイオリニストが同じ音楽を演奏するのに
いくつかのヴァイオリンを必要とするといわれているように、
男は四六時中、ひとりの女を愛しえないのも理に適っている。

人生…人間喜劇。

善良な夫は、けっして夜早く寝ないし、朝は遅く目覚める。

女というものは、善良な夫をつくり出す天才にちがいない。

愛することから始めて反感にいたるときには、愛に戻ることはけっしてない。

男の初恋を満足させるものは、女の最後の恋だけである。

男は年をとると与えるものがなくなり、ただ受けとるばかりだ。
恋人を愛するにも、恋人の裡にある自分を愛する。若いころには、自分の裡にある恋人を愛する。

結婚は一切のものを呑み込む魔物と絶えず戦わなくてはならない。
その魔物とはすなわち、習慣のことだ。

芸術の使命は、自然を模倣することではなくて、自然を表現することである。
バルザック

299:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:08:26.86 WeHPztdI.net

へつらい者…右を向けと言われ、そのとおりにすると、うしろから
足蹴にされることがないように、腹ばいになったまま、えらい人に近づこうとする人間。

博学…学問に勤勉な人の特色であるところの一種の無知

友情…天気のいい日は二人乗るが、悪い日は一人しか乗れない船。

商業…Aなる者がBなる者から、Cなる者の商品を奪い、その埋め合わせに
Bなる者がDなる者のポケットから、Eなる者の所有にかかる金銭をかすめとる取引の一種。

外交…祖国のために嘘を言う愛国的行為。

宗教…「希望」と「恐怖」を両親とし、
「無知」に対して「不可知なもの」の本質を説明する娘。

平和…二つの戦争の時期の間に介在する、だまし合いの時期。

幸福…他人の不幸を眺めることから生ずる快適な感覚。

忍耐…それによって凡人が不名誉な成功を収めるくだらない美徳。

愛国者…政治家に手もなくだまされるお人好し。征服者のお先棒をかつぐ人間。

成功…自分と同輩者に対して犯す、ただひとつの許すべからざる罪。

戦争…平和の技術が産み出す副産物。
国際親善の時期に、政治情勢が最大の危険に直面する。

批評家…自分に機嫌をとる者が誰もいないところから、
自分は気むずかしい人間だと自負している連中。

政治…主義・主張の争いという美味のもとに
正体を隠している利害関係の衝突。私益のために国事を運営すること。
ビアス「悪魔の辞典」

300:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:08:49.70 WeHPztdI.net

政治…仮装して行う利害得失の争い。

教育…それぞれ理解力に欠けていることを、監者に対しては赤裸に示し、
患者に対しては隠匿して見せないようにすること。

正義…忠誠・税金・個人的奉仕に対する酬いとして、度合いの差はあっても、
一国の政府が市民に売りつける品質のおちたる商品。

武勇…虚栄心と義務感と賭博者の希望から成り立っている軍人特有の混合物。

歯医者…お前の口に金属を入れ、お前のポケットから硬貨を引き出す男。

歴史…おおかた悪い支配者と、馬鹿な兵士とによって惹起された、
おおむね事業ではない出来事に関する、おおよそ誤っている記述。

法律家…法律の網をくぐる技術に練達している者。

無宗教…世界中の偉大な信仰の中で、いちばん重要な信仰。

知合い…相手が貧乏だったとか無名であった場合には、顔見知りくらいだといわれ、
金持ちだったり、有名だったりする場合には親密な人間だ、といわれる友人関係をいう。

礼儀…文句なく是認される偽善。

結婚…共同生活体のひとつの場合で、一人の主人と一人の主婦と、
二人の奴隷とから成り、それでいて全部合わせても
二人にしかならない状態あるいは境遇。

議論…他の人々の思い違いをますます強固なものにする方法。

退屈な人間…聞いてもらいたいときに話をする人間。

金銭…手放す場合はともかく、いくら持っていてもなんの利益ももたらさない結構な代物。
教養のしるし、あるいは社交界の入場券。持っていても悪くない、持ちはこび自由な財産。
ビアス「悪魔の辞典」

301:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:09:53.94 WeHPztdI.net

「幸福」ということばには、何か憂鬱な調子がある。
それを口にするとき、すでにそれは逃げ去っている。

よい思想はけっして人間独自の仕事ではない。
それは人間をとおして流れ出るだけのものである。

われわれが、人生で当面する憎しみの大半は、
単に嫉妬か、あるいは辱かしめられた愛にほかならない。

人生において、最も堪えがたいことは、世の経験を積んだ多くの人々の言によると、
悪天侯がつづくことではなく、雲ひとつない日がつづくことなのである。

仕事に対する考えを整理するとか、熟考するとか口走るのは、
おおかた仕事を逃れる口実である。

何かにつけて憤怒をいだくうちは自己を制御していない。
すべての悪に対しては、平静な低抗が最高の勝利をおさめる。

十字架は重い。しかし不思議なことに、それは汝を担うが、
汝はそれをほとんど担ったことがない。

心配に対する最上の対策は忍耐と勇気である。

忠告は雪に似て、静かに降れば降るほど心に長くかかり、
心に食い込んでいくことも深くなる。

恐怖はつねに人間の中に何か正しくないことが生じた徴侯である。
…恐怖は、苦痛が肉体に対して果すのと同様に、精神に対しても貴重な警告者の役目を果す。

悦びがなんであるかは、元来、多くの苦しみを耐え忍んできた人のみが知っている。
その他の人たちは、真の悦びとは似ても似つかない単なる快楽を知っているにすぎない。
ヒルティ

302:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:13:31.94 WeHPztdI.net

悪人が受けるおもな罰は、彼ら悪人が善心に立ちかえった瞬間に、
よりよくなろうと願っても、もはや善の道に還ることができないという点にある。

才能と意志の欠けているところにいちばん嫉妬が生ずる。

旅路の仕度すでに整いたれば、あまりに重荷を負うベからず。
神の和ぎと恵みのうちに悦びもて彼処に進まん。

日々の新聞は、完全によいことを称讃することはめったになく、
逆にほとんどつねに、効果のありそうな、耳目をそばだたせるような
悪いことを書きたてている。

明日は試練に応じた新しい力をもたらすであろう。

河の氾濫が土を掘って田畑を耕すように、病気はすべて人の心を掘って
耕してくれる。病気を正しく理解してこれに耐える人は、より深く、より強く、より大きくなる。

神に代わって人間を支配する三つの力であるカネと名誉と享楽との
関係を断ったときに、人は初めて自分を自由に感じよう。

諸君が求める最も美しい死は、魂と肉体の休息から生ずる肉体的生命の平穏な中止であろう。

高慢はつねに相当量の愚かさに結びついている。高慢はつねに
破滅の一歩手前で現われる。高慢になる人は、もう勝負に負けているのである。
ヒルティ
スイスの法学者、哲学者。
(Carl Hilty, 1833 - 1909)

303:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:14:01.34 WeHPztdI.net

ものを書くのは他人のためであって、自分のために書くのではない。

人生とは精神の生殖作用である。

人間が宗教の始めであり、人間が宗教の中心点であり、人間が宗教の終わりである。

信仰とは意見であるが、その意見は真理を含んだ意見である。

宗教にとっては、神聖なるもののみが真実である。
哲学にとっては、真実なるもののみが神聖である。

法律なければ刑罰もない。

近世の課題は、神の現実化と人間化…つまり神学の人間学への転化と解消であった。
フォイエルバッハ
ドイツの哲学者。
(Ludwig Andreas Feuerbach, 1804 - 1872)

304:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:14:32.27 WeHPztdI.net

お世辞を言うにはカネがかからないが、大多数の者はお世辞に対して大金を支払っている。

今日の卵をうるよりも明日の鶏をうるほうがよい。

信仰とは、耳で見ることである。

勇敢な行為はけっして勝利を欲しない。

多くの人たちは逆境に堪えうるが、軽蔑に堪えうる者は少ない。

妻は絶えず夫に服従することによって彼を支配する。

学習は善人をいっそうよくし、悪人をいっそう悪くする。

慈善と尊大は異なった目的を持つが、両者はともに貧者を養う。

最初の呼吸が死の初めだ。

猫は九つの命を持ち、女は九匹の猫の命を持つ。

男は火であり、女は麻布である。悪魔がやってきて、彼らを燃えあがらせる。

立証が多過ぎることはなにも立証しないことである。

結婚前には目を見開き、結婚してからは目を閉じていることだ。

親しくなればなるほど危険が増す。

記憶は心の貯蔵庫である。
フラー
イギリスの神学者、警句家。
(Thomas Fuller, 1608 - 1661)

305:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:15:01.32 WeHPztdI.net

あらゆる支配を免れし完全なる自由は、
他の人々による節度を有せし支配に少なからず劣るなり。

不正を非難する人とは、己れが不正をなすことを怖れて
非難するにあらずして、不正を被らんことを怖れて非難するなり。

人間のことはなににてあれ、大いなる心労に値せず。

人類の暴君たる法は、本性に反する多くのことをなすべく、しばしばわれわれに強制す。

俗衆の神々を否定することが冒涜にあらずして、俗衆の見解を神々に適用することが冒涜なり。

哲学者の全生涯は、まさに死にいたることと、その死を成就することとにほかならず。

子供はすべての動物のうちで最も取り扱いがたい。
というのは、子供はまだ鍛練されていない思慮の泉をもっとも多くもつだけに、
動物のうちで最もずるく、すばしこく、高慢であるからなり。

寡頭政治とは、財産の評価に依存する政府にて、
そこで富者が権力を有し、貧者が力を奪い取られる。

専制君主の懇願には強制がまじる。

少年たちの勉学を強制と厳格さによりて訓練せず、
彼らに興味をいだかせるべく導くならば、彼らは心の張りを発見せん。

少年を暴力と厳しさによって教え込もうとするな。彼の興味を利用して指導せよ。
そうすれば自分の能力がどこに向いているか、少年自身で見出しやすくなる。

恋する者の狂乱は、あらゆる狂乱の中で最も幸いなるものなり。

戦争と極貧は国制の転覆を強制し、法律を改変す。

本質と存在の融合が最高度に実現されるのは、まさに愛をとおしてのみである。

正義とは、己れにふさわしきものを所有し、己れにふさわしきように行為することなり。
プラトン

306:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:15:33.16 WeHPztdI.net

あまりに寛容な法律はほとんど守られず、あまりに厳格な法律は励行されない。

どんな馬鹿でも、あら探しをしたり、難くせをつけたり、
苦情を言ったりできる…そしてたいていの馬鹿がそれをやる。

もろもろの悪行は、禁じられているがゆえに有害なのではなく、有害なるがゆえに禁じられている。

よい法律家は悪い隣人。

わたしは、人の意見に真っ向から反対したり、自分の意見を断定的に
述べないことにした。決定的な意見を意味するようなことば、たとえば、
「確かに」とか「疑いもなく」などということばはいっさい使わず、
その代わりに「自分としてはこう思うのだが…」とか「わたしにはそう思えるのだが…」
ということにした。相手が明らかに間違ったことを主張しても、
すぐそれに反対し、相手の誤りを指摘することをやめた。
そして、「なるほどそういう場合もあるだろうが、しかしこの場合は、
少し事情が違うように思われるのだが…」というぐあいに切り出すことにした。
こうして、今までのやり方を変えてみると、ずいぶんと利益があった。
人との話し合いが、それまでよりもよほど楽しく進む。控え目に意見を述べると、
相手はすぐ納得し、反対する者も少なくなった。わたし自身の誤りを認めるのが
大して苦にならなくなり、また、相手の誤りも、たやすく認めさせることができるようになった。
フランクリン

307:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:15:56.46 WeHPztdI.net

一つの党派が、その全体としての目的を達成するや否や、各党員は
自己の個人的利益に熱中し、お互いに排除し、党を分裂させ、紛糾を大きくする。

三人の信頼するに足る友がある。老いたる妻、老いたる犬、それに貯金。

人間の幸福は、稀にしかやって来ないような幸運の大きな部分によって
つくられたのではなくて、日々生まれるわずかの利益によってつくられる。

人間は道具をつくる動物である。

今日の一つは明日の二つにまさる。

今日は昨日の生徒である。

借金する者は悲嘆にくれる。

借金というものは、人を束縛し、債権者に対して一種の奴隷にしてしまうものである。

口論はだれにもできるゲームだが、双方とも決して勝てない奇妙なゲームだ。

幸福になるためには二つの道がある。欲望を減らすか、持物をふやすかである。どちらでもよい。

従順でない娘は取り扱いにくい妻である。
フランクリン

308:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:16:13.11 WeHPztdI.net

怒りと愚行は相並んで歩み、悔恨が両者のかかとを踏む。

愚行の第一段階は己れ自身の賢明さを隠匿することにあり、
第二段階はそれを告白することであり、第三段階は忠言を侮ることである。

明日なさねばならないことがあったなら、今日のうちになせ。

書記の職をやめさせて他人にやらせたいならば、私からその職を取り上げるがよい。
私は辞職して、私の敵にいつか復仇してやる権利を捨てるようなことはしない。

神は癒し、医者は治療代をとる。

立っている農夫は、ひざまづいている紳士よりも上にいる。

良い戦争、悪い平和などがあったためしがない。

虚弱な者にとって、朗らかな顔は上天気と同じくらいうれしいものだ。

諸君は100年も生きるつもりで働け。諸君は明日死ぬつもりで遊べ。

議論したり反駁したりしているうちには、相手に勝つようなこともあるだろう。
しかし、それは空しい勝利だ。相手の好意は絶対にかち得られないのだから。

貨幣は繁殖力と結実力を持つものであることを思え。

貿易によって破滅した国はいまだかつてなかった。

金を貸した者は、金を借りた者よりも記憶がよい。

長年の経験が私に教えたことが少なくとも一つある。
相手が不快なことを口走っても嫌がらずに、むしろ積極的にそれを取りあげて、
少しでも相手の意見を尊重していることを示すのだ。
そうすれば相手もこちらの意見を尊重してくれる。
フランクリン
アメリカの政治家、外交官、著述家、物理学者。
(Benjamin Franklin, 1706-1790)

309:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:16:35.41 WeHPztdI.net

ある人が嘘を吐くということを考えてみれば、それは、その者が神に対しては
大胆であり、人間に対しては卑怯である、ということにほかならない。

わが心を打ち明ける友を持たない人々は、己れと己れの心とを食う人喰い鬼である。

不可思議…それは知識の種である。

世には悪のために悪をなす者はいない。
みんな悪によって利益・快楽・名誉をえようと思って悪をなす。

人の天性は良草を生ずるか、雑草を生ずるか、そのいずれかである。
だから、折をみて良草に水をやり、雑草を除かねばならない。

健康な身体は魂の客間であり、病身は監獄である。

党派は低いもの、微力なものほどその結合が固い。

国家が若い時代には武事、中年には学問が栄える。国家が衰亡する時代には工芸技術と商業が栄える。

多くのとるに足りないへつらい者にとりまかれた最大のへつらい者は己れ自身である。

大胆な人間の適切な用い方は、これを頭目として指揮させず、
部下として他の指図を受けさせることにある。

妻子を持つ者は、運命に人質を入れたものである。
というのは、妻子は善であれ、悪であれ、大事業の足手まといになるから。

嫉妬はつねに他人との比較においてであり、比較のないところには嫉妬はない。

宗教は生活の腐敗を妨ぐべき香料である。

平和は戦争よりもよい。というのは、平時において息子たちは父親たちを埋葬し、
戦時において父親たちが息子たちを埋葬するからである。
フランシス・べーコン

310:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:17:34.04 WeHPztdI.net

忍耐というのは集結された根気である。

悪賢い人は勉強を軽蔑し、単純な人は勉強を称賛し、賢い人は勉強を利用する。

愛することと、賢くなることとは不可能だ。

時間を全然消費しなければ、年において若くとも、時間においては老いていることもありうる。

歴史は人間を賢明にし、詩は多才あるものに、数学は鋭敏にし、
自然哲学は深遠にし、倫理学は重厚ならしめ、論理学と修辞学は議論に秀でさせる。

真の友を持てないのは、まったく惨めな孤独である。友人がなければ世界は荒野にすぎない。

租税を過大に課せられた国民は大帝国なるに適さない。

空威張りする人間は賢者に軽蔑され、愚者に感嘆され、
寄生的人間にたてまつられ、彼ら自身の高慢心の奴隷となる。

結婚する男は七年も老いたと思うであろう。

結婚のための愛は人間をつくるが、友情の愛は人間を完成する。

虚偽を加味することは、金銀貨の混合物のように、
金属をより実用に役立たせるかもしれないが、その質を低下させる。

裁判官としての職務は、法律を解明することに存し、法律を制定することではない。

迷信の首魁は民衆である。すべて迷信においては、賢者たちが愚者どもに追随する。
そして正常の場合とは反対に、まず実行があって、あとから理論がこれに当てはめられる。

金はこやしのようなもので、散布しない場合は役に立たない。

金はよい召使いだが、場合によっては悪い主人でもある。

高位にある人間は三重に下僕である。
すなわち、君主または国家の下僕でおり、名声の下僕であり、仕事の下僕である。
フランシス・べーコン

311:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:18:13.55 WeHPztdI.net

あまり若いうちから党派に所属していると、仲問に囲まれているという心地よさと
ひきかえに、自己の判断を売る、という危険を犯すことになる。

われわれがある人間を僧む場合、われわれはただ彼の姿を借りて、
われわれの内部にあるなに者かを憎んでいるのである。

人生は一頭の馬である。軽快なたくましい馬である。
人間はそれを騎手のように大胆に、しかも細心に取り扱わなければならない。

天才は万人から人類の花と認められながら、いたるところに苦難と混乱を惹起する。
天才はつねに孤立して生まれ、孤独の運命を持つ。天才が遺伝することはありえない。

孤独の宗教、それはまだ本物ではない。宗教は共通のものにならねばならない。
宗教は礼拝と陶酔、祝祭と秘法を持たねばならない。

学問とは、相違を発見することに没頭することにほかならない。…学問とは識別の術である。

平和は天国の原始状態でもなく、合意によって秩序づけられた共同生活の一形態でもない。
平和はわれわれが熟知していないもので、ただ探求し、予感しているだけのものだ。

幸福を追い求めている限り、君はいつまで経っても幸福にはなれない、
たとえ最愛のものを手に入れたとしても。

救いの道は右にも左にも通じていない。
それは自分自身の心に通じる道である。そこにのみ神があり、そこにのみ平和がある。

木は神聖なものである。木と話し、木に耳を傾けることを知るものは真理を知る。
木は教養も処分も説かない。木は個々のことにとらわれず、生の根本法則を説く。

私がとても愛している徳がたったひとつある。その名は「わがまま」という。

精神は、真理に対して従順である場合にのみ有益かつ高貴である。

自己の運命を担う勇気を持つ者のみが英雄である。

芸術はいちばん感覚的なもので始まり、いちばん抽象的なものに通ずることができた。
あるいは純粋な観念の世界に始まり、いちばん血の気の多い肉に終わることができた。
ヘッセ

312:名無しさん@お腹いっぱい。
18/10/14 23:18:32.76 WeHPztdI.net

あらゆる愚鈍を汲みつくし、底にある英知に到達する。

人間は異郷に生まれて来る。生きることは故郷を求めることである。
考えることは生きることである。

恋人はミルク、花嫁はバター、妻はチーズ。

暴政を顛覆しようと欲する者は、まず暴君に仕えねばならない。

病気は千もあるが、健康は一つしかない。

自然にも国家と同じように多くの法律があったならば、神でも自然を支配しきれないであろう。

苦痛は英知の父であり、愛情は母である。

銀行の出納係に似ている学者が少なくない。
多くの金を出す鍵は持っていても、そのカネは自分のものではない。
ベルネ
ドイツの政治的作家、文芸評論家。
(Karl Ludwig Borne, 1786 - 1837)


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