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許永中は大阪市大淀区(現・北区)中津の同和地区と在日韓国人地区の混在した場所に生まれる。許の父親は第二次世界大戦前に日本統治時代の朝鮮の釜山から日本に渡り通名として「湖山」を称した。
許は大学中退後、不動産広告業者の秘書兼運転手として働く傍ら、経営について学んだ。同じ頃に日本人女性と結婚する。「湖山」姓が在日朝鮮人特有の姓であり、ビジネスで不利になるとの考えから交際中に日本人女性の姓である「藤田」を通名とした。
3:名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 6a2e-oRtz)
23/09/28 22:37:00.04 3TQZ2rE50.net
実は許永中には、同和利権との関りがあるのである。
許は1975年、28歳で大淀建設という会社の経営を引き継いだという。この大淀建設は「大阪府同和建設協会」(同建協)という同和関係の業界団体に所属している。
一在日韓国人の許が同和関係団体のメンバーになれたのは、許が部落解放同盟の幹部に可愛がられていたというのが大きい。
許には、人懐っこいところがあり、年配の人間にかわいがられたという。
在日韓国人としての自分のアイデンティティも自覚していて、1986年には大阪と釜山を結ぶ「大阪国際フェリー」を就航させている。