12/01/01 15:22:51.65 WvEPJWW00.net
>>64
富山のタブー
富山は江戸末期まで人食(カニバリズムkannivalism)があった。
雪に閉ざされる富山は、凶作大飢饉が起こると餓死者が一日で1000人超えたとされる。
いよいよ食べるものがなくなると、富山の人々は草木も食べたが、雪が降るとそれすら許されなくなった。
集落で絶滅したところも多く、飢餓で弱り果て、餓死者を埋める体力さえなかった状態であったのだ。
道端に餓死した富山人の死体が無数に転がり、滋養強壮になる犬の肉と偽って人肉を売る商いも現れた。
(これが富山の薬売りシステムを飛躍させたといわれる。しかし羊頭狗肉とは皮肉である。)
1695年の大飢饉では悪法の生類憐みの令により生き物を殺せなくなり、逆に飢えに倒れると
過保護され警戒心が無くなった野良犬に犯されたり食い殺され抵抗も許されなかった。
冷たい神通川に足手まといになる小さな子供を溺死させて、自分達は非人小屋に身売りして飢えを凌ぐ夫婦も多かった。
(この富山出身の非人達が土地に戻るのを、残った富山人は嫌悪し、これが排他的性格の一因とも解される。)
8歳くらいの娘は借金の肩代わりとして、越後や加賀に売られ女中として一生奉公で使われたり、14歳になると遊郭に売られた。
わずか数両で売られた割に利子は高く、逃げると利子が2倍になった。
この経験から明治に入ると富山の人は農業に頼っては飢餓のときに同じ苦しみを味わうことを学び第二次産業にも積極的に着手した。
富山の人が実直で、商売上手、工業産業の普及、貯蓄率が高いのも、このような閉ざされてしまった悲痛な歴史背景に裏打ちされている。
裏を返すと集落の絶滅によって家族単位の結束意識が高く、他の土地の人間を信用せず、自分達で生き抜くという自意識自己中心の表れでもある。