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昨日(28日)配信された記事から
2度の左遷、ストレス太り経て覚醒した「西郷どん」
人の好き嫌い激しく不評も
(松本治人)
1/28(日) 7:47配信 NIKKEI STYLE
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
~薩摩藩の下級武士だった西郷を登用したのは名君、島津斉彬(1809~58)だ。
開明的で聡明(そうめい)な人物だった。
薩摩藩の太守として身軽に動けない自分に代わって情報収集、
交渉する「御庭役方」というポストを新設し、1854年(安政元年)に西郷を抜てきした。
いわば大統領や首相の補佐官のような役職で、身分は低いがトップと直結しているので
藩内外への影響力は強い。西郷は「誠忠組」と呼ぶ下級藩士グループのリーダーで、
農政に関する意見書を提出したことが斉彬の目に止まったとされている。
斉彬は西郷を4回面接したという。西郷は上役からの評判が高くなく、
「郡方書役助」という年貢収集の軽職に10年も据え置かれていた。
実家は貧しく、厳しい生活を強いられていた。
しかし「逆に藩経済の現場を知り尽くして実務能力に長じていた」と安藤氏は分析している。~
以下本記事まで。