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2024.03.18
倉沢 愛子慶應義塾大学名誉教授
わが家が「投票所」に選ばれた
「えっ、うちの庭が投票所に?」ジャカルタの拙宅に常駐している学生さんから連絡を受けた私はびっくりするとともに小躍りした。
私は、26年前からジャカルタに研究拠点となる「自宅」をもっていて、家族ともども住み込み、日本の大学で教えるときには戻り、日本との間を往復していた。
通常外国人が住むような高級住宅街は手がでないし、地域の人たちと触れ合える生活の方が楽しいので、町はずれの、狭い路地裏の、どちらかというと貧しい庶民の住む、集住地区である。
田舎のような密な人間関係を残していて、住み着いて26年もたつと、近所のひとたちとはほぼ顔見知りになり、毎年、ゼミ合宿にやってくる慶応大学のゼミ生たちも含めて快く受け入れてくれている。
ちょっと贅沢に、ランブータンやパパイアなどのトロピカル・フルーツのしげる1300平米の土地に、学生たちが来ても泊まれるように広めの住宅を建て、周囲から見るとかなり大きな「邸宅」だ。
あまりに目立ちすぎるのが気になり、家を建てる段階から土地の人たちにも手伝ってもらって、様々なものをローカルで調達し、建てた家だ。
入居した時には、イスラームの導師を呼んで、町内会(RT)の住民を全員招待して食事会をした。そして一軒一軒尋ね歩き、悉皆(しっかい)調査のようなことをして住民データを作った。写真も貼って住民の顔と名前が一致するように一生懸命勉強した。
月一回ずつ行われる町内会の婦人会の会合には、居合わせる限り出席した。我が家で会合を主催したこともあった。ともすると浮き上がりがちな「外人」で「大きな家」に住んでいる私たちは、そうやってかなり意図的に住民に溶け込む努力をしない限り、受け入れてもらえないのだ。
そのおかげというのか、コロナ期には、広い庭が援助物資の分配やワクチン接種会場にも使われた。そしてこのたび初めて、5年に一度の大統領選挙や国会議員の選挙の投票所に指定されたのだ。
それは、これまで投票所に使われていたバドミントン・コートが、その所有者の居宅ともども地上げされて開発業者の手に渡り、小さい区画で分譲するための更地になってしまったからだ。このあたりにも、開発業者の手が伸び始めているのである。
投票用紙には「クギで穴」
投票所に使われると聞いて、私が小躍りしたのは二つの意味がある。一つは、外人がめったに中まで入っていけない投票所の「内側から」一部始終がみえるから、研究者としては絶好の機会だということである。
もう一つは、「ああ、ここまで信用してもらえるようになったか」という喜びである。選挙は、この国にとって神聖なる大イベント。政争厳しい国であるから、投票率の低い日本の選挙とくらべて関心は高く、緊張感も大きい。何しろ、軍人まできて警備するのだから……。
そういう神聖なる地域として、自分の家の庭が使われるということは、地域の人たちの信頼を意味することである。一応これまで築いてきた関係が認められたかなという嬉しさがあった。
===== 後略 =====
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