【アメリカ】米が中国の新疆自治区で莫大な利権を握る準軍事組織「国家内国家」に人権侵害で制裁を科す [08/01] [SQNY★]at NEWS5PLUS
【アメリカ】米が中国の新疆自治区で莫大な利権を握る準軍事組織「国家内国家」に人権侵害で制裁を科す [08/01] [SQNY★] - 暇つぶし2ch135:七つの海の名無しさん
20/08/05 22:38:14.82 65dw/Qsu.net
>>131
殊に対日感情の悪化して来たのは日露戦争以後であって、
これは日本が東洋に於て指導的地位を占めたことに対する嫉視反感である。
だからこそ日露戦争後、満洲中立の提議、満鉄平行線の計画など、
我が国の当然の戦果を、鳶が魚をさらうように奪取せんと試みたのであり、
さらに第一次欧州戦争の結果、我が国の国威が益々揚るに及んでは、まづパリ講和会議に於て山東問題を種に、
昨日までの興国日本への論難抑制の音頭を取ったのは、時の米国大統領ウィルソンであった。
越えて1921年には英国を誇ってワシントン会議を開き、米・英・日の三国海軍勢力を5・5・3の比率にして、
我が国に劣勢海軍力を押しつけた首謀者も米国である。

136:七つの海の名無しさん
20/08/05 22:38:50.30 65dw/Qsu.net
>>132
そればかりではない。
このワシントン会議に於て、20年来の日英同盟を放棄せしめたのも米国であり、9ヶ国条約を強要して
我が国のアジヤ大陸に於ける政治的活動を抑制せんとした元兇も米国である。
而して他の一面に於ては、桑港学童問題に端を発し、その後加州土地法問題となり、
遂に後年、我が国が大


137:震災の厄に遭っている時、全米排日移民法制定とまで発展した排日運動も瀰漫強化したのである。 それと共に英国も、我が国の孜々営々たる商工立国政策に恐れをなし、 安価なる日本商品の世界的氾濫と称して、如何にも我が国が悪徳行為でもしているかの如き口吻で、 我が国の平和政策をすら抑制する策に出た。 その頂点をなすものはオッタワ会議である。 それまで英米のために尽しこそすれ、微塵も武力的脅威、もしくは圧迫を加えたことのない我が国に対して、 米英はかくの如き理不尽なる暴圧手段を加えてきたのである。 而も我が国は、それでも忍んだ。隠忍自重の永い月日が流れたのである。



138:七つの海の名無しさん
20/08/05 22:40:08.97 65dw/Qsu.net
>>133
満洲事変以後の露骨な暴圧
だが問題は他の方向に発生した。
ワシントン会議以後、約十年の久しきに亘る我が国の忠実な条約尊重の精神を、
蒋介石は、畢竟するにこれは日本の米英に対する弱勢の証拠なりと妄断して、ここに日支衝突の禍因を醸したのである。
その後、蒋介石は常に米英両国の支援を期待して排日侮日に専念、遂に我が国が血を流して強敵ロシヤを追い、
東洋平和のために樹立した満洲の特殊権益まで奪回せんと企てるようになった。
ここに於て我が国は、幣原外交の名に於て知られた永年の対支協調政策を清算せざるを得ない立場におかれたのである。
これが満洲事変の勃発であった。
この満州事変を契機として米国の対日圧迫は一層露骨になり、既にその当時、
時の国務長官(現陸軍長官)スチムソンの如きは、閣議に於て対日宣戦布告論をすら主張するに至ったのである。
我が国が満洲に於ける特殊権益の擁護、自衛の行動に出たことに、何の憚るところなかるべき筈である。

139:七つの海の名無しさん
20/08/05 22:41:48.49 65dw/Qsu.net
>>134
隠忍自重最後まで忍んだ日本
かくの如き暴慢なる対日挑戦に対しても、我が国は歯をくいしばって、太平洋上の平和維持に真剣なる考慮を払った。
・・・局面打開の誠意に対して、酬いられたところは、忍ぶべからざるハル通牒であった。
日米交渉前後10ヶ月、米国は何等互譲の精神を示さず、東亞の現状を無視した独善的抽象論に終始したのである。
かくも露骨なる米国の挑戦に対して・・・戦争の不可避なることは、誰の目にも明かであった。
然るにルーズヴェルト開戦直後、ハワイ真珠湾の攻撃をもって日本の「だまし討」と罵倒した。
この宣伝の手で米国与論の統一を図ったのである。
これは敗戦弁明の一助ともなり、ハワイの奇襲作戦に対する与論への抑えとして一応は成功の如くに見えた。
然しながらその直後に発表されたロバート報告は、米国の対日戦争決意の確定を暴露しており、
如何にルーズヴェルトが得意の堅白異同の弁を以てしても、彼の戦争挑発の責任は躱し切るべくもない。
その後も執拗なる彼は、本年に入ると共に6万語に余る白書を発行せしめて、10年間の外交交渉を発表し、
戦争責任より免れんと努めているが、これも、
その牽強附会(自分の都合のいいように、強引に理屈をこじつけること。)の説は随所に馬脚を現わしている。

140:七つの海の名無しさん
20/08/05 22:44:27 bKhm10xI.net
>>135
六四天安門事件

141:七つの海の名無しさん
20/08/05 23:08:33.57 Sc


142:on9v1P.net



143:七つの海の名無しさん
20/08/06 17:15:32 Eyp8UJlF.net
この手の組織は中国内に複数ある
日本でゲーム売ってるトコも軍閥傘下だし
客人としてそういうトコ行くと空港フリーパス、空港からパトカー先導でホテル
デパートその他の買い物は支払い不要で、商売女とか関係無く美人とかに見とれたりすると、その女が夜にはホテルのベッドで待ってる
そりゃ、媚中政治家、マスゴミが中国必死に擁護するよ

144:七つの海の名無しさん
20/08/06 20:00:14 NIYLAtBq.net
いってることは正しいのだが、ネイティブアメリカン駆逐して国を作ったような奴らが何言ってるんだという気もしないでもない。

145:七つの海の名無しさん
20/08/08 06:05:27.42 Ww4yhnfh.net
>>114
は?
単なるガス抜きじゃん、
こんなの

146:七つの海の名無しさん
20/08/08 21:43:27 fxbqi8mR.net
>>137
原住民先住民を悪とする犯罪連合国の世界秩序だからな
これからもウィルスハクジンと特亜蛮族は協力し続けるぞ 同じ性格歴史文化伝統を持つ同じ民族だ

日本人なら最善の選択をするのになぁ

神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 アジア諸国(6-038)満州日日新聞 1933.7.8-0933.7.17 (昭和8)
://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00464228&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
蒙人蒙治主義と対露満人関係

ホロンバイルが蒙古人の有史以来の故土である関係上、五族協和とはいいながら
蒙古人を中心とする政治となり易いことは当然である、故に新旗の旗長は全部蒙古人を任命し、
住民の大部分をロシア人とする額爾克納左翼旗や漢人のみが住んでいる同左翼旗の旗長にも
ロシア人、漢人を任命しないことになって居る、
しかしその下に立つ警察官などにはこれら異人種出身も相当採用して
相互の融和と疎通を図り又警察署長には日本人が当って適宜周旋する筈である

147:七つの海の名無しさん
20/08/08 21:44:44 fxbqi8mR.net
「白人の横暴に反抗する有色民族:白人植民地政策の諸相」日本青年外交協会出版部 日本青年外交協会 編 昭和14

反英闘争は必然的に欧米白人帝国の悪虐と不正に抗争する全般的な闘争として戦われねばならない。

第一 インドにおける反英運動

スペインの世界支配の世紀が、メキシコやペルーの略奪の結果であった如く、イギリスの支配の世紀はインド掠奪の結果である。

1600年にエリザベス女王の勅許によってイギリス東インド会社が創立された。
この会社はインドにおけるイギリス貿易を独占する特許状を得ていたが、当時におけるインド貿易は、
インド人手工業者から無茶苦茶に安い価で品物を買取ってこれをヨーロッパに送って高価に売りつけることであった。
従って東インド会社は莫大な利益をあげ、その配当は年10割乃至25割に及んだといわれる。
イギリスの文豪マコーレーは、東インド会社の暴虐と腐敗とを次の様に書いている。

「東インド会社の社員は、自分の雇主のためではなくして、自分のために、内地商業の買占めをした。
彼等は土人をして高く買わしめ、安く売らしめることを強制した。
イギリス代理店のすべての雇人は、主人の権威の蔭にかくれ、主人達は会社の権威の保護を受けた。莫大な富はカルカッタに急速に蓄積された。
と同時に3億の民衆はこれ以上の悲惨はないという所まで追いつめられて行った。」

148:七つの海の名無しさん
20/08/08 21:46:44 fxbqi8mR.net
>>142
東インド会社は最初インドの封建王侯から小面積の土地を借入れ、これを根拠地としてインドを着々と侵略した。
モガール帝国の衰退や各地方王侯の抗争に乗じて、東インド会社は陰謀術策や賄賂を以て土地を拡張し、
その権力を強めたのみならず、会社は武力によってインド王侯の土地を奪取し、
またポルトガル人・スペイン人を追い払い、フランスの東インド会社と激しく抗争した。

かくしてクライヴの時代において東インド会社はその財政権と軍隊とを完全に掌握し、
インドを掠奪し、殊にベンガルは最後の一絲まで掠奪し尽された。
そして約100年間に亘ってイギリスはインド征服のために兵を動かし、その征服戦は1849年のパンジャブ占領と共に漸く終息した。

そしてイギリスはインドの原料資源や農産品、手工品を本国に持ち帰り、それは再びイギリス製造品となってインド市場に氾濫した。
例えば、インドの工場主や商人には織物やその他の産物を時の相場よりも5割も安く売るという契約が強制され、
若しも彼等がこれに躊躇するならば、彼等は裸にされてムチで打たれた。

米や茶なども破格の安値で取り上げられ、それはまたベラ棒に高い価で一般民衆に売りつけられた。
この様な有様であったから、インドの農民や手工業者は急激に貧困に陥り、インドの村落の自給自足経済は破壊され、
インドには幾千万の人達が餓死する飢饉が続発した。

149:七つの海の名無しさん
20/08/08 21:47:43 fxbqi8mR.net
>>143
租税の徴収などに際しても、拷問と鞭打ちとが広く用われ、ヨーロッパへ輸出される生産物は暴力で徴発され、
手工業者は無償で働くことが強制された。
かくの如くしてインド3億の有色人種はイギリスの奴隷にされた。

飢饉と絶望の深淵に陥ったインドの農民は幾度か遂に武器を手にして反抗した。
間断なくインドの各地において農民や手工業者の騒擾が勃発した。
だが、彼等の反乱は常にイギリスの軍隊や土民兵(セポイ)によって残酷に鎮圧された。
そしてその度毎に掠奪と虐殺が行われた。

例えば1775年から85年の所謂「家無き者(サン・ヤシ)」の擾乱も無残に鎮定されたし、
1848年のムルタンの反乱も結局イギリス軍によって鎮圧された。
また1830年のベンガルその他の地方における農民一揆も数千の村落が劫掠され、数千のインド人が虐殺されて終った。

150:七つの海の名無しさん
20/08/08 21:48:45 fxbqi8mR.net
>>144
インドの民族運動は、1857年-59年の大反乱以来、19世紀の後半において次第に発展した。
この大反乱は1857年5月にミールトの土民兵の反乱が契機となり、全インドは反乱の巷となった。
叛軍がデリーを占領し、その波はベンガル・カルカッタ・パンジャブに拡がり、更に中部インドへも波及し、
反乱は約2ヶ年間に亘って継続された。これはインド民族最初の反英戦争であった。
だが、この大反乱も数千の村落が焦土と化し、数万人が射殺されて鎮圧された。

1857年に東インド会社は解散され、インドは王国植民地としてイギリス帝国の直接の支配下におかれた。

1858年に最初の総督に任命されたカンニング卿は、驚嘆すべき巨額の俸給を受け、
その他高給の職分は、悉くイギリス人によって独占された。
そしてイギリスは封建王侯の特権や財産を保障してこれと同盟した。

だがインドの農民は益々零落し、農村は彌々(いよいよ)疲弊した。
この掠奪されたインドにおいて、1860年から80年に亘って、
イギリスの支配に反抗する農民の自然発生的な騒擾が続々と勃発した。
例えば1875年のマーラツト農民の一揆や1879年の大規模の騒擾もこれに属する。

151:七つの海の名無しさん
20/08/08 22:28:53 MwRMIOL/.net
>>145
六四天安門事件
ホロコースト

152:七つの海の名無しさん
20/08/08 22:49:15 N7ZUUQLV.net
五毛の工作員また来てるのか

153:七つの海の名無しさん
20/08/08 23:20:31.62 xXJmVris.net
日本にいる中国人は日本で脱党すればワンチャン見逃してもらえるんやで。脱党支援センターで中国人の安全を保護する活動に貢献できるんや。親戚お友達に教えてあげよう。

154:七つの海の名無しさん
20/08/10 21:32:27 1p/rqiln.net
【兵頭正敏】
日本人が中国や韓国に行って、生活保護を申請しても門前払いを受けます。
しかし彼らが日本に来ると、日本政府は生活保護を支払います、これどう思いますか。
日本のホームレスの数よりも、在日外国人の生活保護受給者のほうが多いのです。
本国の韓国の生活保護受給者は数千人なのに、日本では3万世帯の在日コリアンに支給されてます。
そもそも日本のホームレスは、韓国政府から一円も受給できません。
官僚のなかに入ってるんじゃないですかね在日が、国会には帰化人が150名入ってます。
在日韓国人が実際、何て言ってるかというと、地方参政権があれば国家内国家が実現できる。
://youtu.be/i-loDJanP6c?t=1522
sssp://o.5ch.net/1ohs4.png

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