20/08/26 22:42:21.94 RBNlXyEa.net
>>218
「ルーズヴェルト大統領はユダヤ人に対する功労によりゴットハイル賞の第十次受賞者たらん」
その側近にもモーゲンソー財務長官、フアンクフアター大審院判事、ローゼン判事、
コーヘン顧問などの有力ユダヤ人を集めて重用している。
ルーズヴェルトの母親サラ・デラノ未亡人は、昨年85才の高齢で死去したが、このデラノ家は、支那貿易で産をなした者で、
サラは、まだ7才の少女時代、母と7人の兄弟と共に、有名な帆船「サープライス」号に乗り、喜望峰を廻って、
125日の航海をつづけ、香港にいた父の許へ行ったのである。
したがって、彼の家には支那産の調度品も多く、また支那に知人もあり、支那貿易で産をなした関係上、
支那に理解と、同情を持つようになったのである。
そこで、満洲事変以来のアメリカの対日関係を見ると、成程と思われることが多い。
満洲事変は、フーヴァー大統領時代に起り、国務長官スチムソンが、猛烈に日本に喰ってかかって来た。
フーヴァは、元来支那で、エンヂニアーをしていた位で支那は大事な顧客、儲けさせて貰った所であると考えている。
したがって、フーヴァ、スチムソン外交は日本に辛く当って来た。
然るに、その政敵である民主党のルーズヴェルトが、このフーヴァ、スチムソン外交を支持する声明を出した。
当時、民主党でも異論あり、彼の友人や顧問等は、ルーズヴェルトに勧告し
「極東積極外交は非常な危険を招来するからやめた方が好い」
と、しきりになだめたのであるが、ルーズヴェルト、断乎としてきかない。
「自分の先祖が、如何に支那と貿易して来たか、それを思うにつけても、私は、支那に対し深甚の同情を寄せる。
どんなことがあっても、私は、スチムソンと共に、日本に当るのだ」
と言いきったということである。