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(英米アングロサクソン、自称ユダヤは仲間内で罵り合い誉め合って各役職に付き、民から吸い取った金を仲間内で廻す汚物)
「アメリカ敗れたり」新正堂 小山甲三 著 昭和17(1942)
ルーズヴェルトの三選が全米をあげて興奮のうちに決定し、就任式が挙げられてから、
アメリカ国民は、ルーズヴェルトの口馴れた言葉が消えて行くことに気づいたのである。
「戦争に訴えない」
という国民を納得させていた安全弁が、この日以来、ふっつりと聞かれなくなったのである。
その代りに、参戦一歩前の武器貸与法案を強制する、強い言葉「民主主義国の兵器廠たらん」との呼びかけが、
それからの炉辺閑話、議会への教書などに現われ、一路戦争へ突進して行ったのである。
ロンドンのケネディー大使、パリーのプラット大使その他、ドイツの実力を知り、
大戦介入の危険を説く外交官達が次から次へと召還され、イギリスびいきの新しい顔ぶれが米外交陣に置きかえられたりしたのである。
ワイナントがイギリス大使として就任した時など、イギリスにとって正に前代未聞の歓迎であった。
ロンドン駅頭、キング・ジョージ六世が親しく、このルーズヴェルトの使臣を迎えて握手をしたのものである。
アメリカは過去において、二度もヨーロッパの戦争に対して、中立を宣言した経験をもっている。
一度はこの前の世界大戦、一度はナポレオン戦争の時だ。
そうして二度とも中立を守り通すことに失敗した。