20/06/09 00:02:17.76 MTQMVHRP.net
>>117
インパール作戦後、多くの日本兵が命からがら逃げてきたときも、住民は温かく迎え入れてくれた。
インパールからの敗走路は、行き倒れた日本兵の遺体が散乱し、白骨街道と呼ばれた。
ようやくたどり着いたクンユアムにも無数の遺体がよこたわっていたという
クンユアムの人たちは、そんな傷ついた日本兵を介抱し、食べ物を与えた。
日本兵の方も、クンユアムの人たちならきっと自分たちを助けてくれると考えていたようだ
親日国タイから世界へ発信される等身大の日本兵の姿
それにしても敗残兵といえば、極限状態にあり、気が立っていて何をしでかすかわからないと恐れられるのが普通である。
それなのに恐れられるどころか温かく迎え入れてもらった上、手厚い介護までしてもらったことは、
施しを善とする仏教国であることをさしひいても、当時の日本兵がいかに現地の人たちから信頼されていたかをしめすものであろう。