20/03/27 02:38:04.51 vQWmA+2e.net
>>78
戦前、外交官・外務大臣などを歴任した重光葵もこの空襲で自宅を焼かれています。
その時のことを記した手記によれば5月24日から25日にかけて
東京にふりそそいだのはソ連(現ロシア)が開発したモロトフバスケット(モロトフのパンかご)と呼ばれた焼夷弾でした。
モロトフバスケットは現代のクラスター爆弾とよく似たしくみでした。
そのしくみとは、モロトフバスケットの一見500キロ級爆弾くらいの容器に
10キロ級焼夷弾を約60発つめこみ、それを上空から投下すると弾は尾翼によって旋回し
ある速度に達すると容器がふたつに開いて、中につめた中型・小型焼夷弾が遠心力で周囲に飛散するという極悪なものでした。