20/02/16 23:15:18 cUZbn3uA.net
>>145
日本統治時代
※日本人によって漸く人道的な施政に
1914年7月、第一次世界大戦が勃発し、10月14日には連合国の主要構成国として参戦した日本軍がドイツ軍を放逐。
パリ講和会議の結論を受けて、1920年に日本の委任統治領となり、南洋庁サイパン支庁が設置された
これまでサイパンを支配しながら【ドイツが放棄していた都市開発や公衆衛生、産業振興、地元民への教育政策】が急速に推進された。
サイパン島は内地から南洋への玄関口として栄え、
サイパンで産出された砂糖の積み出し港としての役割にとどまらず、
同じく日本の委任統治領であるパラオやマーシャル諸島、カロリン諸島などとの間での【貿易の中継地点としても発展】した
大戦末期の1944年6月の【アメリカ軍をはじめとする連合国軍の上陸】の際には、
【住民を巻き込んだ激しい戦闘によって多数の犠牲者】を出した
【日本統治時代のサイパン経済】は、南洋興発による農業(サトウキビ)が中心に位置しており、
その他多くの日本人が協力し、コーヒーやタピオカなどの栽培が盛んであった。
しかし、第二次世界大戦の際に、【アメリカ軍の絨毯爆撃】で【壊滅的打撃を受け崩壊】した。
そのため、世界的なマリンリゾートとして成長した今でもなお、マンゴーやバナナ、タロイモなどを栽培する
小規模な農業以外、ほとんどの農作物は、【アメリカ本土や南米など海外からの輸入がほとんど】である