19/12/17 02:26:29 CAP_USER.net
3. アレクサンドル・プーシキン(1799~1837年)
ロシアの「国民詩人」プーシキンは、「我々のすべて」と呼ばれるほどで、女性にももてたが、彼の振舞いは常にスマートなわけではなかった。
例えば、アンナ・ケルンは、彼の最も有名で叙情的な恋愛詩の傑作、「私は妙なる瞬間を覚えている…」をインスパイアした女性だが、その彼女から「望むもの」を手に入れた後、彼は、ごく卑俗な調子で友人に手紙を書いた。「おかげで、ケルンとやったぜ」
おまけに、農奴の女性との関係も、少なくとも一つは資料で確認されている。当時、農奴は基本的に貴族に対して「ノー」と言う選択肢はなかった。
オリガ・カラシコワを妊娠させた後、プーシキンは彼女を遠ざけたうえ、友人の一人に尋ねた。「赤ん坊の面倒をみてくれないか…もしそれが男の子ならね」
罰:プーシキンのすべての作品を焼く―彼が賞賛したサンクトペテルブルクと一緒に。彼のすべての記念碑を破壊し、彼の詩の犠牲者のために、PTSD(心的外傷後ストレス障害)のホットラインと避難所を開設する。プーシキンがこんな男だとは、誰も考えもしなかったから、彼の悪行を見つけたときは、その衝撃に耐えられないだろう。
4. レフ・トルストイ(1828~1910年)
トルストイは、長編『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』などで知られる19世紀の文豪だ。しかし第一に、彼もまた農奴の女性と関係していた(そして、彼女から息子が生まれたが、決して認知しなかった)。
第二に、当時のロシア社会に関する彼の見解はかなり「進歩的」だったとはいえ、こと女性観については、まったくの保守派だったと言わざるを得まい―とくに女性解放をめぐるあらゆるナンセンスを考慮すれば。
「彼は常に、女性の権利の自由と平等に反対した」と妻ソフィアは書いている。「彼はこう言い放った。その女性の仕事がどんなものであれ―教育、医学、芸術その他なんであろうと―女性の目的はただ一つ、性愛だ。女はそれを得ると、他のすべてを投げ捨てる、と」。いやはや、何という女性蔑視か!
ソフィアの生涯は概してしんどかった。トルストイは自分なりに彼女を愛しており、結婚後に浮気はしなかったが、それでも彼は恐ろしい夫だった。これに関する記事はこちら。
罰:トルストイのあらゆる著作を処分し、それを女性の権利拡大に関する本に置き換える。また、彼の著作にあまり接していない女性を集めて、生前の彼がいかに恐るべき男だったかを話して聞かせる。さらに、潜在的なトルストイ主義者がホンモノになるのをできるだけ防ぐために、主なスポーツイベントのハーフタイムでは、(スーパーボウルのコマーシャルのような)ビデオを丸ごと放映する。
5. ピョートル・チャイコフスキー(1840~1893年)
ロシア最高の作曲家の一人であるチャイコフスキーは同性愛者だった。しかし、アメリカの俳優ケヴィン・スペイシーがそうであったように、チャイコフスキーが21世紀に生きていたら、同性愛者だからといってセクハラの告発を免れることはなかっただろう。彼は、その日記と手紙によると、使用人を含む何人かの未成年の少年たちと関係していた。
もっとも、それは作曲家が性的虐待者だったということではない。彼は自分の恋人を「よく扱っていた」。
例えば、チャイコフスキーの伝記作家アレクサンダー・ポズナンスキーによれば、彼の召使だった元農奴アレクセイ・サフロノフは、「『ベッドメイト』から大切な友人に変わっていった。サフロノフは結局、チャイコフスキーに祝福されて結婚したが、彼が死ぬまでその家庭にとどまった」
にもかかわらず、現代の聖なる道徳の審判は、あっさりチャイコフスキーを児童への淫行で非難し、彼の遺産全体を踏みにじりかねない。
※全文はリンク先へ