20/02/13 00:05:04 i0gJIWZG.net
>>297
1938年2月28日に南京からの退去を日本軍に命ぜられ、ドイツに帰国したラーベは
母国ドイツが日本・イタリアとの三国同盟を予定していることを知り、これに反対する政治活動を開始する。
ベルリンその他で日本軍の残虐行為を喧伝するフィルムの上映・写真の展示を行うとともに、
ヒトラーに上申書を提出し、日本軍による非人道的行為を止めさせるよう働きかけることを提言した。
しかし、【政府からはまったく相手にされない】どころか、直後に【ゲシュタポによって逮捕勾留】される。
【 シーメンス社の介入によってすぐに釈放された 】が、写真の類を没収されるとともに、以後公での発言を禁止された。
【シーメンス社はその後も彼を雇用し続け】、【ラーベの身の安全を確保するためアフガニスタンに一時的に転勤させた 】後、
終戦までベルリン本社で海外出張する社員の世話をする庶務係として勤務させた。wiki