20/02/13 00:04:35 i0gJIWZG.net
>>295
ラーベにしてみれば、
自分が30年間も支那で培ってきた商売が水の泡になるので、
「日本はこんなひどい事をしている。こんな国との同盟は止めてくれ!」
と言いたかったのでしょう。
しかし、ラーベの荒唐無稽な「数千人」とか「5~6万人」とかの虐殺の話は
あまりにも不自然過ぎて、同胞のドイツ人にも信じて貰えませんでした。
1938年1月9日に南京に戻ったドイツ大使館のシャルフェンベルク事務長は、
2月10日、自分の目で実情を確かめた上で漢口のドイツ大使館に、
ラーベが語る日本軍の暴行事件について、
「暴行事件と言っても全て支那人から一方的に聞いているだけ」
と書き送っています。
結局ラーべの策略は実らず、ドイツに呼び戻され、
二度と支那の土を踏むことはありませんでした。