【オピニオン】「人殺しが日常」だった16世紀ヨーロッパ…権力者は何を奪い合っていたのか? [11/18]at NEWS5PLUS
【オピニオン】「人殺しが日常」だった16世紀ヨーロッパ…権力者は何を奪い合っていたのか? [11/18] - 暇つぶし2ch2:SQNY ★
19/11/21 20:50:07 CAP_USER.net
"国"という概念はなかったヨーロッパ
グロティウスが生まれた頃、オランダはスペイン・ハプスブルク家に対し独立戦争を挑んでいました。
ただ、この時代のヨーロッパには、現在と同じような意味での"国"という概念がありません。教皇、皇帝、国王、貴族という一握りの特権階級だけが支配者で、それぞれがモザイク状に所領を持っているだけでした。
特権階級は宗教貴族と世俗貴族の二つに大きく分けられます。宗教貴族の最大権威がローマ教皇です。片や、世俗貴族の最大勢力はハプスブルク家です。
ハプスブルク家は神聖ローマ皇帝とスペイン国王を輩出していました。本家のオーストリア・ハプスブルク家が皇帝を世襲していましたが、羽振りは分家のスペイン・ハプスブルク家の方が良かったのです。
スペイン・ハプスブルク家は新大陸に植民地を持ち「日の沈まない国」と称され、莫大な富を得ていました。さらに、ポルトガルを併合し同君連合を組み、イベリア半島全体を支配していました。
ヨーロッパの中心のドイツ地方を本家が、西の端のイベリア半島を分家が支配する様子は「双頭の鷲」に例えられます。ややこしいのは、本家のすぐ傍のオランダは分家の持ち物、というように、領地が飛び地だらけなことです。
分家の方はイベリア半島をがっちり抑えた上で、低地地方や新大陸を領有しています。それに対して、本家は皇帝とは名ばかり。ドイツ地方に、「三百諸侯」と言われる貴族がひしめき合っていました。
同時代の日本で、室町将軍家は存在するものの、全国に大小三百くらいの大名がひしめき合っているのと似ています。
戦国時代の日本を訪れた宣教師は、天皇をローマ教皇に、将軍を神聖ローマ皇帝に例えていました。似て非なる存在です。
足利将軍家の正式滅亡は、1858年です(通説は1573年ですが、最後の将軍の足利義昭が幕府再興をあきらめて引退するのは、この年です)。ただ足利将軍家は、最後の90年はマトモな軍事力を持っていませんでしたから、周りの実力者に振り回され続けました。
それに対しハプスブルク皇帝家は、ヨーロッパ最大の軍事力を持っています。言わば、皇帝自身が実力者なので、末期足利将軍のような哀れな存在とは違います。他の諸侯と対等以上に戦っています。
また、日本の天皇は自らが政治の渦中でプレーヤーとなることはありませんが、ローマ教皇は違います。独自の所領と軍隊を持ち、独自の発言権があります。それどころか、常に政争の中心に位置します。

宗教が殺し合いを日常にする
ヨーロッパで戦争が日常なのは、宗教問題で争っているからです。これに金が絡みますから、常に命がけの殺し合いになるのです。
1517年、マルチン・ルターが宗教改革をはじめ、ローマ教皇に喧嘩を売ります。そしてルターと支持者たちは、カトリックに対しプロテスタント(抗議する者)を名乗ります。
世の中、最初から敵だった相手よりも裏切り者の方が憎いのが人情です。両者は、比喩ではなく血で血を洗う抗争を繰り返すこととなります。


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