18/11/21 18:33:23.26 CAP_USER.net
今、テレビゲーム産業に一つの問題が持ち上がっている。eスポーツが注目を集め、日本のゲーム産業全体の市場規模が1兆円を超えるなど、華々しい話題が続いている陰で、ゲームの歴史を知るための過去の資料が散逸しようとしているのだ。
とりわけ今から40年前、1978年の『スペースインベーダー』の登場で爆発的な人気を得た時代のテレビゲームの資料が危機的な状態にある。それらは世界中のゲームにとって原点のひとつであり、歴史的資料であるにもかかわらず、多くが既に失われている。あるいは劣悪な環境で倉庫に眠ったままの状態だ。
■段ボール350箱もの資料が散逸の危機に
どんな資料があるのか。段ボール350箱にもなる中から、一部を紹介しよう。ゲームに詳しい人なら想像できるだろうが、これらは歴史的な名作ゲームがどのようにして生まれたかを知ることができるゲームファン垂涎(すいぜん)のアイテムであり、全世界のゲーム研究者たちが目を輝かせる貴重な書類だ。
いかがだろう? ゲームのアイデアを記した企画書、それをゲームの形に落とし込むための仕様書、完成後に書かれた最終仕様書、さらにはゲームのアイデアを募集した際のメモにいたるまで、すべてがファイリングされ、残されている。これらが今にも破棄されようとしているのである。
近年はこの現状を問題視し、資料の保存・活用に乗り出す動きも出てきた。先陣を切って活動しているのがバンダイナムコスタジオの「ナムコ開発資料アーカイブプロジェクト」だ。この記事では同プロジェクトに取り組んでいるバンダイナムコスタジオの兵藤岳史氏と、ゲーミフィケーションデザイナーの岸本好弘氏に話を聞いた。
■組織の拡大で資料が残らなくなった
ゲーム史を振り返るうえでも貴重な資料が散逸の危機に陥った経緯を兵藤氏と岸本氏はこう説明する。
「最大の分岐点は1983年にファミリーコンピュータ(ファミコン)が登場したときに会社組織が拡大し、系統立てて資料を残す習慣が失われたことです。個々の開発スタッフの机が手狭になったりあるいは退職したりするときに、まとめて倉庫に送る形になってしまった。全くの未整理のまま、ただ段ボールだけが増えていったんです」(兵藤氏)
「資料の状態が分かったのは2015年、僕がかつて作ったゲームの企画書を探しにナムコを訪れたことがきっかけです。昔のゲームの開発秘話を語る必要があったのですが、もう30年以上も前のことだから、公式な資料が欲しかった。そのときに全資料が倉庫に積まれ、誰も整理していないことを知りました」(岸本氏)
倉庫に積まれていた資料は、その時点で段ボール450箱にもなっていたという。書類保管用の倉庫ではなかったため、文書は劣化していた。そこで兵藤氏と岸本氏は、これらの資料類を保存・活用するためのプロジェクトを立ち上げた。もう少し遅ければ処分されていた可能性を考えると、間一髪のタイミングだったと言えるだろう。
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