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【韓国】 売春街「清涼里588」の撤去と売春の国際化~売春も遊郭も日本が朝鮮に持ち込んだ
URLリンク(img.yonhapnews.co.kr)
▲「清涼里588」と呼ばれるソウル典農洞売春街。再開発事業が本格推進されても一部売春会社が残って営業している。
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▲ソウル典農洞集娼村の建物。階下には売春の取り締まりを知らせる警告フレーズが書かれ、上の階には監視カメラがプライバシー侵害で営業妨害だと抗議する文字が書かれている。
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▲ソウル典農洞集娼村で撤去作業が進められる売春会社の鏡とガラスが割れたまま放置されている。
(ソウル=聯合ニュース)イ・ヒヨン記者=ソウル東大門区(トンデムング)典農(チョンノン)1洞602~624番地。
よく「清涼里(チョンニャンニ)588」と呼ばれるここは釜山(プサン)「玩月洞(ワンウォルドン)」、大邱(テグ)「砂利の広場」と共に全国3大集娼村の一つ。
わずか数年前だけでも、この一帯では官能的な身なりをした数百人の女性が大型のガラスドアを開いて多くの男性を誘惑する声が絶えなかった。
2004年、売春防止特別法が発効され、今は爆撃にあった戦場のように廃虚に変わった。
我が国には公認された売春業がなかった。女寺党やキーセン(芸者)などが身体を売ることはあったが売春が本業ではなかったし集団で売春がなされる場所もなかった。
韓国の売春業は開港後、日本人と共に流れてきたものだ。
日本では16世紀後半から遊郭という公認された性売買集結地が形成された。
1895年、日清戦争終結後、日本軍の駐屯地付近に料理屋や旅館を装った風俗会社が生まれ、1902年7月24日釜山(プサン)新昌洞(シンチャンドン)に最初の遊郭である安楽亭の看板を掲げた。
周辺に類似会社が入って場所が狭くなると1907年、席を移して玩月洞(ワンウォルドン)売春街の根元を成す。
(中略:売春街の発展)