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2月25日
筆が持ち重りして、手元の原稿が先に進まないことがある。そんな時にかぎって作家、野坂昭如さんのお説が頭の中で明滅を繰り返す。「コラムは3つの『み』で書く。妬(ねた)み、嫉(そね)み、僻(ひが)みだ」。むろん、まねできるわけではない。
▼むしろ、思案に時間を取られてしまう。大方の辞書には妬み、嫉みのどちらにも「うらやみ憎む」とあり、「嫉妬」の語もあるほど両者は近い。作家の真意はどこに。ついには僻み根性が顔を出し、お説の理解を妨げる。超凡の人が達した境地に凡俗がたどり着けるものか、と。
▼僻みついでに書くと、当方の社会人生活はバブル崩壊後の「失われた30年」とほぼ重なる。22日に巷間(こうかん)をにぎわした「東証 史上最高値」のニュースを翌朝の小欄で袖にしたのは、3つの「み」が強過ぎて、手指が職務を拒んだことも一因にある。
▼バブル期の平成元年に記録した株価の最高値と今回の最高値更新では、中身がかなり異なるという。いまの株価は企業の実力を反映しており、一過性に終わる心配は少ない―。そんな専門家の見解が示され、さらなる株高を予想する声も聞かれる。
▼家計が物価高の圧迫を受ける中、全ての人がお金を投資に回せるわけではない。理想は、物価高と賃上げが好循環を描き、個人消費が上向くことである。あらゆる層の人々が日々の暮らしで景気回復を実感できてこそ、妬み、嫉み、僻みに遭うことなく株高が喜ばれるのだろう。
▼低金利下の貯蓄から投資へと振り向け、お金に働いてもらう―。「長期・積立・分散」とともに、最近よく耳にする考え方である。実体以上に膨らむ泡とも、濡(ぬ)れた手でつかむ粟(あわ)とも縁遠いらしい。3つの「み」に縛られたわが手指に、いま猛省を促している。
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