23/03/11 07:49:46.39 00LM8uL+0.net
3月11日 産経抄
あれから12年も経(た)ってしまった。あの日生まれた赤子は、もうすぐ小学校を卒業する。平成23年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災は、関連死を含め2万2千人余の命を奪った。今ごろとっくに成人していたはずの子供たちも少なくない。
▼中でも宮城県石巻市の大川小学校を襲った悲劇は、忘れようにも忘れられない。全校児童の7割にあたる74人と、教職員10人が犠牲となった。うち4人はいまだ行方不明のままだ。
▼避難開始まで50分かかり、裏手に小高い山があるにもかかわらず、教師が低地に児童を誘導し、津波に巻き込まれてしまったのである。遺族の一部は、日頃の防災訓練を怠ってきた行政の責任を問うため提訴し、4年前に原告勝訴が確定した。
▼「カネ目当てだろう」といった世間の誹謗(ひぼう)中傷とも戦いながら親たちを裁判に駆り立てたものは何だったのか。先日、新宿で映画「『生きる』大川小学校 津波裁判を闘った人たち」を観(み)て、その一端がわかったような気がした。
▼「なぜ我が子が亡くならねばならなかったか」という切実な親の思いに、学校も市も文部科学省も真摯(しんし)に向き合わなかったのである。当時の市長は「宿命だ」と言い放ち、文科省が主導した検証委員会も迷走した。委員会から遺族を排除し、最終報告書は真相にほど遠いシロモノとなった。この委員会を仕切っていたのが、後に次官となる前川喜平氏である。
▼ある遺族は、「検証委に絶望して訴訟に踏み切った」と語っている。裁判官は「学校が子供の命の最後の場所であってはならない」と断じた。「面従腹背」を公言していた前川氏のような役人がうようよいる文科省は、本当に反省しているのか。大川小の悲劇を二度と再び起こしてはならぬ。