20/05/01 22:13:53 SQ3JBHVX0.net
>>61
(続き)
私は各地で「哲学カフェ」を主宰しています。「街づくり」や「人生百年時代」などの
テーマを決め、肩書や年齢、性別に関係なく対等に議論します。うまく話せない人も、
なにがしかいい発言をします。聞く人にとっては、それに気づくことが、議論に
貢献しているという自覚につながります。外の空気を入れるのは、そんな機会を
どんどん体験することだと思います。
その際、例えば「商店街とはいったい何か」と突き詰めて考えます。
「……とは何か」が腑に落ちないと、おもしろい発想は出てきません。
ウイルス対策も同じだと思います。マスクは何のために存在するのか、なぜSNSに
投稿するのか、現金給付はどんな意味を持つのか……。根本から思考すれば、
布マスクを2枚配るよりも有効な方策が見えてくるかもしれません。
つまり、「哲学的に考えてみる」ということです。哲学はものごとを疑うところから
始まります。市民が集まって議論したって政策にはつながらないじゃないか、
ですって? 本当にそうでしょうか。
「換気のいい」議論には、政治家も官僚も、ふらっと入ってくるかもしれません。
「哲学カフェ」をきっかけに、政治の世界に飛び込んだ人もいます。市民が声を
出すことで、政治家は変わるし、官僚も知恵を出す。そう考えてみましょう。
「学ぶ哲学」より「する哲学」。まず一歩を踏み出すことから始まると思います。
(続く)