11/05/23 14:55:20.72 MlQtVeMp.net
雅子の小和田家は、本家すらその存在を知らない分家と名乗る騙り者。
①朝鮮流民の金何某が戸籍を買って小和田金吉と名を変えたという説が有力で
②小和田家の婚外子説、③無関係の部落民が勝手に地元の名士の小和田を名乗った説もある。
小和田金吉は小和田道蔵(匡利)が14の時に生まれた次男ということだが、
いくらなんでも12で長男、14で次男が生まれるわけが無い。
おそらく小和田道蔵((匡利)=小和田家の墓石の名)から戸籍を買ったと推定される。
そしてこの金吉は戸籍にも残らず明治30年ごろ死んでいる。
おそらくこの金吉は朝鮮からの密入国者の税務官になった金吉が
小和田道蔵から戸籍を買ったのではと推定されるのである。