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>>262
国内外からこのように高く評価される笹川良一の履歴書を、かいつまんで。
明治32年5月4日、大阪府三島郡豊川村(現・大阪府箕面市)のかつては苗字帯刀を許された庄屋だった造り酒屋の長男として
生まれた。作家の川端康成とは同郷の同級生。26歳(大正14年 1925年)の時に父の遺産を資金源として豊川村の村会議員に立候補
し当選。芸能事務所、株や相場にも手を広げて一財産築く。この頃、大本教の教祖である出口王仁三郎が創設した日本道院紅卍字
会(にほんどういんこうまんじかい 脚注1)に入会している。同会には、安岡正篤(脚注2)も同時期に入会。昭和40年代に、
笹川は日本紅卍字会の会長を務めていた。昭和6年(1931年)に国粋大衆党(脚注3)を結成。ムッソリーニに心酔し、1939年には
イタリアを訪問しムッソリーニと面会するほどだった。