18/11/03 17:09:29.38 Cmksz+ee.net
「黒い手帖」を読んで 2013.10.10(Thu)
URLリンク(trueshow.)■.〇.com/■-entry-83.html(■にblog、〇にfc2)
297ページ「クーデターを立案していた青年部」章に
”池田氏は「内部はどこまでも革命児でなければならない」という考えの持ち主である。
国家を転覆させても、自分が天下を取りたいという野望を抱いており、
「水滸伝」や「三国志」、ヒトラーの「第三帝国」を、公明党の議員や青年部の幹部に
勉強させ、ありとあらゆる権謀術数を会得させようとしているという話もある。
いざというときには、クーデターもやりかねない怖さがある。
実際、1971(昭和46)年頃、青年部の最高幹部の間で過激なクーデター計画が
話し合われていたという証言もある。学会の人材をひそかに送りこんで、自衛隊と放送局、
電波を全部抑え、クーデターを決行すると言う内容だったらしい。”
中略
”「冗談半分だったが、「いざとなったら、こういうことも本気で考えなければならない」という
話がかわされていた事も事実だ」と、ある古参の元議員が雑誌の座談会で暴露していた。
これを読んだ時、うっわー!と思い、次に思い出したのが私が20代前半(1993年)頃に
大きな会合で聞いた、大幹部の指導でした(以前も書きましたが再掲)
「弟子というものは、いざという時、まっさきに師匠の元へかけつけなければなりません。
師匠の一大事のとき、一体どれほどの人が師匠の元へかけつけられるのか。
「先生!」と声をあげ、何を差し置いても、まっさきにかけつけることの出来る人が
どれほどいるのだろうか。
弟子が師匠を求めていくということは、常にそのいざという時のための訓練なのです。
いざという時、かけつけられないようでは本物の弟子ではありません。
そのいざという時が、明日なのか、10年後なのか、20年後なのか、30年後なのかは
誰にもわかりません。
その「いざという時」に本物の信心が試されるのです。
青年部で闘って闘って闘いきって、師匠をどこまでも近くに感じる事が大事なのです」
いざ(クーデター)という時、日本の何処にいようが師匠の下へとかけつけて、師匠のためならと
何でもやれってそういう事だったのかと、妙に納得してしまいました。