18/10/29 00:38:39.65 Dit6yO8/.net
いまだに日蓮正宗がカルト扱いされるのは、マジで創価のせい
日蓮正宗の中にいる俺に言わせれば、元々の日蓮正宗は普通の伝統宗派でしかない
創価が大きくなる前の日蓮正宗は穏健だったし、創価を破門して27年も経った今では元の穏健な宗風に戻っている
(引用ここから)
さて先日、昭和以降の大石寺宗門が創価学会から返って影響を受けて、他宗派排斥や厳格な謗法払い等、排他性を強めてきたことをブログでやや書きました。
ところが、歴史的に見れば、かつての大石寺は浅間神社に本尊を奉納もしていて、法華経が天下一同に広まると本化垂迹天照大神宮に神が宿るという、京都要法寺に近い教義を採用もしていました。
(中略)
大石寺の三門にはかつて「順逆ともに来たれ」と書かれていたことは信徒の間でも、また宗門内でも史実としてよく知られています。
例えば大石寺9世日有は『有師化儀抄』には次のように書かれています。
「法華宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供まいらせ花を捧る事あり、之を制すべからず、既に順縁なるが故なり」
(日有『有師化儀抄』富士宗学要集1-75ページ)
つまり「順逆ともに来たれ」というのは、他宗の教えであってもこちらに礼儀を尽くす者は順縁であると捉える教義だろうと思います。
歴史的に見れば、大石寺は富士門流の諸�