18/09/30 17:20:45.74 +nC/VDV0.net
正しい信仰っていう宗教の捉え方が諸悪の根源だよ。
宗教ってのは、人間と万物、あるいは人間と宇宙、あるいは人間と神や仏っていう、
人間というミクロコスモスと、万物というマクロコスモスの関連を明らかにして、その両者の分離を再結合させようとする試み。
梵我一如ってやつ。
この人間とマクロコスモスの分離が苦しみを生じさせる原因であることに気づいた賢人達は、時代や場所に応じて、梵と我を結合させる千差万別な方法を編み出してきた。
よって宗教や思想は千差万別な種類があるわけ。
この宗教や思想の千差万別は表現方法が異なるだけであって、どれが正しいとかどれが間違っているとかはない。
あるのは、選択者と宗教との相性や適性。
肉体に囚われた分離の苦しみに気づき、その苦しみを終わらせたい者が、宗教や思想という手段を用いたいときに、自分に合った宗教や思想を選べばいいだけ。
天変地異だの疫病だの日蓮は大騒ぎしたけど、そんなの重要なことじゃない。
宇宙は変化を繰り返し、地球はその宇宙の営みに影響を受けて爆発もすれば安定もする。
その無常の営みに人間は気づかす、自我にとらわれて自分の気に入らない事象を悪と決めつける。
そんな自我の決めつけによる人生への禍根や執着が肉体への煩悩を生じさせカルマとなる。
そのカルマを解消するために、人間は輪廻として何度も生まれ変わらなければならない。
よって宗教において成仏のために大切なことは自己(自我)放棄。
宗教上の優劣や勝利にこだわるのは、新たなカルマを生じさせて輪廻を長引かせるだけ。