16/11/18 20:23:20.13 R7neSgpU.net
この肉体への執着行為が人格として誕生したのが、‘エゴ’あるいは‘自我’であり、煩悩の生みの親です。
創価は宗教の中でもエゴ性を正当化するのに優れた宗教であるために、正邪を正当化することに成功して、会員はますます自分を「破邪顕正の丈夫」「地涌の菩薩」と称し、常に敵を想定しては排他するという肉体に囚われた闘争を続けています。
なぜなら、この闘争性が魂を肉体に閉じ込めるエゴの戦略に最も効果的だからです。
「自分は正義だ。他は間違っているから攻撃するのが正しい」
という考えほど、肉体の自己保存性質を呼び覚まして、魂が自己の包括性という本質を忘れられる定義付けはありません。
創価学会の皆様。
あなたたちが悪いとは言いません。
また日蓮や創価学会教義が悪いとも言いません。
それもこれも、我々普遍の魂が、包括性から離れて、再び包括性に復帰する為に選んだ仮の人生のステージです。
人生でさえ幻です。
我々創価アンチも幻です。
我々みんなが様々な人間という仮の役柄を選んで、分離という演劇をしています。
全ては包括性の性質である創造と破壊。
分離により包括性の分身が、無限の包括性の可能性を味わうことを可能にする。
なぜなら、我々包括性の分身が、分離という幻の苦しみを味わうことにより、再び包括性と合体するという最上のエクスタシーを得る。
これが悟りであり覚醒。