16/10/30 08:48:31.96 5Jj53DBm.net
リアルを生じさせるものとは、人間の意識と呼ばれるものです。
人間の意識とは、蜘蛛が糸をだして巣という関係性を編むように、無意味な現象に関係性を作ってそこに意味を付与します。
この関係性構築は、仏教学では縁起とも表現されます。
言い換えれば、人間の意識とは、映画の映写機のようなものです。
意識が光を投射してスクリーンにリアルと見えるものを現出させます。
映写機が光を投じるスクリーンが、蜘蛛の巣のようなものです。
人間は自分意識が投じた光がスクリーンに映るのを見て、その光に色の差異を区分し、区分に関係性を持たせて、その関係性に意味を与えて、単なる光の移り変わりの軌跡に多様な世界を見出だします。
映画はリアルですか?
リアルです。
光の点滅という映像に意味を見出だすものにとっては。
映画は幻想ですか?
幻想です。
光の点滅に意味を与えるものが存在しなければ。
本尊の偽やリアルもこんな感じ。
私は悟り云々かんぬんを繰り返しますけど、悟りとは、人間の意識の視点を、外部宇宙から、宇宙を現出せしめる意識そのものに移すことです。
でも、普通の人はそうしませんよね。
意識に目を向けないで、意識が作り上げた社会や映像ばかりに人間は目を向けている。
でも、それら外部を作り上げて意味を与えているのは人間の意識です。
意識が全ての根本です。