16/09/19 02:34:33.82 c7VcLUg6.net
>>1
乙です
>>5
妻子眷属に亘るまで地湧の菩薩との断言的な教えはないが
諸法実相抄に「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、
日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや」とあるが
これは行者の子孫に対する因果論を指してるのではなく、行者本人の因果具時で解釈するのが妥当だろ
>「創価の家に生まれた福子は地湧の菩薩であり、
この仏法を広める使命を持って願い生まれてきた」
池田か誰かの請け売りかは知らんが創価が御書根本と声高らかに用いているその日蓮遺文に法華信者の子族は余すことなく地湧の菩薩との表現はない
観念的に創価が信者やその子供達を称え使命感を養わせるためにこれらの表現を現したのかもしれないが
日蓮遺文には上記の過去世による因果、宿命論からなる福子と言われる子供達の地湧の使命、地湧の菩薩の定義は説かれていないと解釈するが