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永禄3年(1560年)5月19日の桶狭間の戦いにて伯父の今川義元が討たれ、元康(元信から改名。のちの家康)は岡崎に帰還することとなった。
永禄5年(1562年)3月、父の親永は娘婿である家康(元康から改名)が信長と同盟を結んだ事で今川氏真の怒りを買い、
正室と共に自害した。
築山殿は、今川義元の妹の夫である上ノ郷城城主・鵜殿長照の2人の遺児との人質交換によって、駿府の今川館から子供たちと共に家康の根拠地である岡崎に移った。
しかし、岡崎城に入ることは許されず、岡崎城の外れにある菅生川のほとりの惣持尼寺で、幽閉同然の生活を強いられたという。
永禄10年(1567年)、信康と織田信長の長女徳姫が結婚する。しかし、築山殿は依然として城外に住まわされたままであった。