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築山殿は傲慢で嫉妬深い女性だったと伝わる。
史料の多くは後世の江戸時代に編纂されたもので、多少の誇張もあろうが、
江戸時代に権現様となった家康の正室だった人物がここまで貶められているのは異常とさえ言える。
ただし政治的に考えれば、政略結婚の価値がなくなった彼女を始末した徳川家が、
彼女を処断した事を正当化するためにでっち上げたものであるという可能性も否定できない。
「生得悪質、嫉妬深き御人也」(『玉輿記』)。
「無数の悪質、嫉妬深き婦人也」(『柳営婦人伝』)。
「其心、偏僻邪佞にして嫉妬の害甚し」(『武徳編年集成』)。
「凶悍にてもの妬み深くましまし」(『改正三河後風土記』)。
『改正三河後風土記』では唐人医師の減敬と密通していたとされており、その有様は古代の道鏡・称徳天皇に匹敵するとされている。