14/10/07 08:46:28.68 .net
お歯黒の三樹夫さん・・・
101:名乗る程の者ではござらん
14/10/07 08:47:25.71 .net
大竹しのぶの於大は染みったれた感じがするなw
102:名乗る程の者ではござらん
14/10/07 08:55:12.05 .net
淀殿役で夏目雅子が出てきた時は何故か泣けた。
この2年後に死んでしまうんだよなあ。
103:名乗る程の者ではござらん
14/10/07 09:03:05.00 .net
長久手の戦いもなぁ・・・
できれば、平八郎が5百騎で秀吉軍4万と対峙するシーンなんかもやって
欲しかったな・・・
ちなみに鹿の角がないぞ!忠勝の冑!
104:テンプレ修正
14/10/07 11:40:48.29 .net
『徳川家康』の主なキャスト
徳川家康………滝田栄
豊臣秀吉………武田鉄矢
織田信長………役所広司
北政所…………吉行和子
淀君……………夏目雅子
築山殿…………池上季実子
本多作左衛門…長門裕之
濃姫……………藤真利子
納屋蕉庵………石坂浩二
西郷局(亀姫)…竹下景子
南光坊天海……竜雷太
石田三成………鹿賀丈史
石川数正………江原真二郎
本多正信………内藤武敏
伝通院…………大竹しのぶ
雪斎……………小林桂樹
今川義元………成田三樹夫
今川氏真………林与一
105:テンプレ修正
14/10/07 11:41:38.36 .net
華陽院…………八千草薫
武田信玄………佐藤慶
徳川信康………宅麻伸
徳川秀忠………勝野洋
松平忠輝………田中健
豊臣秀頼………利重剛
千姫……………石原真理絵
於万……………東てる美
徳姫……………田中美佐子
朝日姫…………岩本多代
茶屋四郎次郎…中山仁
明智光秀………寺田農
106:テンプレ修正
14/10/07 11:42:25.29 .net
大久保長安……津川雅彦
木の実…………紺野美沙子
酒井忠次………福田豊土
本多忠勝………高岡健二
松平広忠………近藤正臣
伊達政宗………尾上辰之助
柳生宗矩………夏木陽介
おみつ…………萬田久子
大野修理………谷隼人
加藤清正………伊吹吾郎
真田幸村………若林豪
前田利家………瑳川哲朗
亀姫……………原日出子
あやめ…………田中好子
五郎八姫………岡本舞
水野忠政………北村和夫
本多正純………本田博太郎
毛利輝元………御木本伸介
武田勝頼………藤堂新二
岩松八弥………村田雄浩
107:テンプレ修正 終
14/10/07 11:43:28.28 .net
市姫……………真野あづさ
小督……………白都真理
本阿弥光悦……大出俊
片桐且元………久米明
島左近…………川津祐介
水野信元………村井国夫
鳥居強右衛門…上條恒彦
木村重成………加納竜
鳥居忠政………橋爪淳
108:名乗る程の者ではござらん
14/10/07 12:01:40.51 .net
>>103
そりゃそうだよ。
当時のNHK大河は甲冑に予算を回せるほど金が無いよ。
真田太平記(大河ドラマではないが)も同様だが、これ以前の大河は甲冑の使いまわしを結構やっている。
甲冑デザインにまともに金を回すようになったのは「独眼竜」から。
109:名乗る程の者ではござらん
14/10/07 13:54:41.42 .net
夏目雅子の茶々が登場してたね。
はじめに長松丸(徳川秀忠)に輿入れさせようとしたけど、茶々が拒んで
立ち消えになったとは・・・ちょっとハアハアな展開。
110:名乗る程の者ではござらん
14/10/07 14:32:22.97 .net
「竹之内波太郎(熊野若宮)→納屋蕉庵」って相当いい役どころだな>石坂浩二
111:名乗る程の者ではござらん
14/10/07 14:51:58.10 .net
秀吉の失策
小幡城を攻める時に「ワシなら小幡なんて小城は捨てて…とっとと…」と
言いかけてから秀吉&三成は大慌て
家康をナメすぎ?
112:名乗る程の者ではござらん
14/10/07 15:04:26.45 .net
本阿弥光悦:大出俊(本名:大出俊隆)
日本社会党衆議院議員で村山富市内閣で郵政大臣を務めた大出俊は別人であり、血縁関係もない。
113:名乗る程の者ではござらん
14/10/07 15:12:13.88 .net
信玄狙撃の時には笛吹いてたな、熊野若宮
114:名乗る程の者ではござらん
14/10/07 18:24:31.85 .net
カルト宗教一揆煽動しちゃうし
115:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 11:20:31.68 .net
エキセントリックで何を考えているのかわからない的な恐怖を感じる役所信長と、夏目淀君が神キャスティングな大河ドラマ
116:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 11:54:08.90 .net
朝日姫の好感度ややUPでしたなw
117:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 11:56:48.26 .net
鹿賀丈史の三成って野心的で神経質そうなところがいいな。
しかも、めっちゃプライド高そうだし。
118:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 12:05:15.08 .net
石田治部(鹿賀丈史)・・・何か強気なんだか弱気なんだか・・・
119:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 12:06:27.95 .net
左近あっさり戦死・・・川津祐介
120:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 12:07:58.11 .net
成田三樹夫の義元は意外と好きだった
役所の信長はホント、当たり役立ったよね
121:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 12:09:08.79 .net
長安死んだけど、ほとんどお香に黄泉の国に連れて行かれたって感じだな
122:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 12:10:16.17 .net
二段構えだったな>お香
「わっ!出た!幽霊だ!」
「ん?ホントは生きてるんじゃないの?」
「やっぱ死んでんじゃねえかよ!」
という感じ。
123:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 12:22:40.20 .net
やっぱ豊臣秀頼の直参って……という描かれ方だね、谷隼人(大野治長)とか
124:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 12:23:30.35 .net
ありゃ、織田有楽斎というより百地丹波って感じだな、剃髪してないし。
125:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 12:30:02.84 .net
確かに百地っぽいなw
片桐且元と一緒に駿府に出向いて欲しいという淀殿の要請を
「持病があって長旅には耐えられない」とか抜かして�
126:fってい たわりには・・・ その後、おまいはどんだけ長生きしとんねん!!!
127:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 12:37:51.65 .net
前田利家が死ぬ直前に錯乱して見た幻覚の家康
滝田栄がずもももーん?と見下ろしてるのが、何か家康っぽくて良かった
128:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 12:44:31.03 .net
秀忠役として思い出すのは・・・
「中村雅俊」「中村梅雀」「勝野洋」「西田敏行」
129:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 14:45:14.71 .net
梅雀と勝野は2回やってるよね
梅雀は1回は大河じゃないけど
130:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 15:37:10.87 .net
向井理の秀忠は凄かった。
父家康にネチネチと口撃。
あの時代なら殺されてるわ
131:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 17:31:09.28 .net
木の実、小松姫、三条夫人……萌え
132:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 17:32:40.62 .net
夏目雅子の淀殿はどうにか助けてあげたい願望に駆られたが、小川真由美のそれは火矢でも砲弾
でも撃ち込んでやれって感じだったw
133:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 17:42:47.61 .net
助けたい淀ベスト3
1・夏目
2・樋口
3・池上
助からなくていい
1・小川
2・岡田(大河じゃなくて真田太平記)
3・永作
134:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 17:54:00.26 .net
役所広司といえば、この「徳川家康」の信長や、新大型時代劇「宮本武蔵」の武蔵のような
激しい役のイメージがあったので、「いのち」でのイケメン医師役を見た時の
驚きといったらなかったな・・・
135:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 18:34:41.92 .net
本多正純と共に大阪方と交渉した「阿茶の局」は、家康の信任
も厚く、女性ながら相当な人物だったらしい。
和平交渉の中で、さりげなく正純と「堀の埋め立て」の謀略
を合意させている。大坂方は「和平」だけで大喜びしていたが…
136:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 19:04:31.76 .net
阿茶局は、家康没後も家康の遺命で秀忠の相談役をし、徳川和子入内のときに京に上って和子の世話役をやって、従一位をもらってる。
137:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 19:18:58.07 .net
「わたくしも産みとうございます!」には笑ったけどね
138:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 19:49:50.94 .net
その台詞は葵だ
139:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 20:15:34.86 .net
「人生は重荷をしょって遠き道を行くが如し」を地で行ってる生き方が良いよね。
一歩一歩確実に歩を進めていく様は、派手さこそ無いが渋くていい。
140:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 20:18:10.10 .net
甲斐での対北条戦(ドラマには出てこないが)、小牧・長久手での対秀吉戦などは、寡兵を以て大軍を制する
家康らしい戦い方。
141:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 20:22:08.11 .net
>>103
本多平八郎が僅か50
142:0騎で秀吉軍4万に立ちはだかる、あの漢っぷりを 一度再現して欲しいよなぁ・・・
143:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 20:39:56.26 .net
鳥居強右衛門…上條恒彦は、「葵」では上杉景勝役だったな。
いずれも「剛勇+実直さ」がよく出ていた。
144:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 21:34:46.07 .net
『徳川家康』で直江兼続を演じていたのは睦五朗。
『葵 徳川三代』にはナレーション内で登場しただけ。
145:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 21:39:25.19 .net
家康は短気で血の気(反骨心?)が多いのは幼少から見受けられるしね。
正月の席での小便とか。
35氏の言うように、短気で喧嘩好きの癖に、
それを押さえて冷静に冷酷に判断が下せるあたりすごみを感じる。
津川家康はその辺りを上手く演じられていたと思う。
その反面、息子達に対する気配りというか、愛情も垣間見えるし、
それでもいざ公事なら、身内に対してでも厳しく処置したり、人間くさくていい。
146:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 21:50:07.10 .net
真田幸村(若林豪)の夏の陣で突撃する時のイッちゃった目は良かった
147:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 21:53:07.59 .net
幽閉生活の中で終わろうとしていた初老の男が、最後に一花咲かせるというかね。
天下人を相手にその武名を天下に轟かせたのだから。
148:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 22:08:21.27 .net
「負けても屈しなかった」・・・・いい言葉だなぁ
149:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 22:21:25.53 .net
『武田信玄』の三条の方と八重(小川真由美)のコンビも良かったし、
『徳川家康』の木の実も好き。
でも、『真田太平記』(大河じゃないけど)の小松姫が最高だったな。
150:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 22:35:32.85 .net
1話から5話で毎回マイナーチェンジしたメインテーマ、
どの回にも独特の味がある。
151:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 22:45:37.55 .net
大坂の陣、内容薄すぎそれに当時 始めは幸村無名だろ!(始めから評価高すぎ)
152:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 22:47:15.13 .net
若い頃は後家好き、年をとってからはロリコンという性癖を顕わにしてくださった
東照大権現さまの生き様は、男として是非にも見習いたいものです。
153:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 22:51:39.64 .net
徳川時代は「治部少輔」名乗る人がいなかったという。
ホントかどうか知らんけど。
154:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 22:55:08.90 .net
上杉景勝は三成といつから連絡とってたの?
単独で家康と戦う気あったの?
155:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 22:57:37.39 .net
>>152
単独というよりもすでに佐竹や旧領の越後の国人など、
味方にできる勢力にはすでに手をうってますよ。
156:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 23:07:09.73 .net
>>152
上杉景勝と石田三成が共謀して挙兵することを企てたというはっきりした歴史的資料はなし。
ただ上杉家家老「直江兼継」と三成が親しい間柄なのは有名みたいだ。
共謀説を唱える人たちの間では、
慶長三年(1598)九月~翌年四年の四月ごろ。
このころ、三成は上杉家の伏見屋敷に起居している。
そのときに兼継は景勝とともに上洛していて、景勝が会津に帰国するや否や、
軍備や軍用道路の整備を急いだという記録がある。
157:名乗る程の者ではござらん
14/10/08 23:10:50.15 .net
歴史的に見ると、
景勝&兼続が領国に戻り軍備増強をしたが、
上杉征討のきっかけとなる「上杉に叛意あり」は、
1599年十一月に家康に戸沢政盛が密書で動性を伝え、
1600年三月に越後の一揆は景勝の謀略とする越後領主の堀�
158:G治の告発、 同月の上杉家重臣「藤田信吉」が出奔し、「景勝に異心あり」と内報した。 それについて家康が上杉家に対して上洛と釈明を求め、 上杉家の返答「直江状」によって家康が会津にむけ出兵する。 っていうのが通説だね。 対して兼続が三成と直接会えた時期は、 兼続が上杉屋敷にいて、三成が失脚する前の1598年九月~1599年三月。 まだ明確には上杉対徳川という構図はできていない。
159:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 00:35:11.88 .net
なんやかや言っても、結局この作品の肝は
“鬼”作左と“漢”数正、2人の忠臣の忠義と友情。
そして演じた長門裕之、江原真二郎の代表作と言っても過言ではないと思う
160:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 08:56:44.04 .net
このレスに集いしお歴々!! おすえて下さい。
三成は本当に誰かと共謀した歴史資料とかってありまつか?
上のレスみても景勝と共謀した証拠はないとなっておれますが・・・
かの有名な大谷吉継のエピソードでおわかりのように、吉継でさえ会津出征のおりうちあけたと・・・
宇喜多秀家も喜々として応じたが事後承諾だったとか・・・
毛利輝元も総大将要請は安国寺恵けいに託してるし・・・
安国寺、増田、長束あたりが共謀したの?
彼等が三成に同心した時期って大谷より後じゃあなかったっけ?
161:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 09:17:04.09 .net
>>157
一般に言われていることでは1600年七月は、
2日(5日との異説あり)石田三成と大谷吉継と会談(このときは合意せず)
12日 三成、吉継が再び会談して挙兵を決意。同席者は安国寺と増田。
同日。三奉行(三成、増田、長束)連署による輝元への出馬要請書が出される。
同日。安国寺、大阪へ。
15日 毛利輝元、安芸を出立。
16日 毛利輝元、大阪入り。
162:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 09:19:39.59 .net
1600年7月5日。
五大老の一人「宇喜多秀家」が豊国神社において出陣の儀式をとりおこなっている。
(北政所も出席)
163:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 09:26:57.24 .net
「これは糞ではない、焼味噌じゃ! 」
かねがね疑問に思っていたのですが、
なぜ家康の脱糞事件が後世にまで伝わっているのですか?
こんな恥ずかしいことを・・・
時の権力者に都合のいいように歴史を書くのは世の常だし。
しかしこんな後世にまで伝わっているということは
江戸時代に書かれた歴史書に脱糞事件が記されているということでしょう。
なぜ?
164:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 09:34:08.88 .net
>>160
故意に脱糞して家臣の緊張を解いたという話も伝わっているから、
逸話として創作されたと考えられないこともない。
165:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 09:35:58.60 .net
馬はいい迷惑だよな
166:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 09:42:17.64 .net
徳川家康45話『巨城の呼び声』より
松平忠輝『大坂城を、私に下さい。』
家康『黙らっしゃい!!』
豊臣秀頼も淀殿も健在のときに、このような問題(爆弾)発言をした忠輝は、
ある意味凄い人物だと思う。
167:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 09:50:18.19 .net
松平康元・奥平信昌
活躍しているのに、四天王と比べて人気が低い面々。
168:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 11:25:33.92 mrTeRO57.net
奥平家は本多正純の宇都宮転封による亀姫激怒の印象がとても良くない
169:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 11:58:25.64 .net
154 Classical名無しさん 2014/10/09(木) 11:47:52.18 ID:xgP2AsTI
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>>165
亀姫の憎悪は理解できますけどね。
そもそも関係図としては、亀姫の娘が大久保忠隣の嫡子・忠常に嫁し、孫娘が
里見忠義に嫁している。
本多正純と忠隣の政治抗争の結果、忠隣が敗れたことでその里見家の運命も
決してしまったと。
娘と孫夫婦を不幸に陥れ、その上、奥平家までも肥沃な宇都宮の地から転封と
なり、その旧領が正純に与えられたとなれば、亀姫が正純に対して憎悪の念を
抱くのはある意味当然のこと。
その後、正純追い落としに亀姫が加担したのも当然の流れでしょう。
170:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 13:08:07.16 .net
>>165
亀姫の憎悪は理解できますけどね。
そもそも関係図としては、亀姫の娘が大久保忠隣の嫡子・忠常に嫁し、孫娘が
里見忠義に嫁している。
本多正純と忠隣の政治抗争の結果、忠隣が敗れたことでその里見家の運命も
決してしまったと。
娘と孫夫婦を不幸に陥れ、その上、奥平家までも肥沃な宇都宮の地から転封と
なり、その旧領が正純に与えられたとなれば、亀姫が正純に対して憎悪の念を
抱くのはある意味当然のこと。
その後、正純追い落としに亀姫が加担したのも当然の流れでしょう。
171:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 13:22:55.37 .net
側室を置くならば種の濃い間は後家さんがいいね。
子供を産んだ経験があれば尚更。子を産めない側室に無駄な種を使ってもな。
それにどうせ公家娘なんて子を産めるような体力ないだろうし。
で、中年過ぎたら「アンカ」代わりにロリータ趣味に。
その点でも大権現様は合理的。
172:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 13:27:08.39 .net
家康の場合は「無駄撃ちしない」作戦の他に、築山殿へのコンプレックスがあるんじゃないの?
人質時代から散々バカにされ続けたようだし。
築山殿とは対照的な身分の低い寡婦に走ったと。
家康と築山殿には同年説と10歳近い年の差説(築山殿が年上)の説がある。
10歳年上説は、築山御前の悪女ぶりを誇張させるために
後世の人が後付けしたという説がある
言われるほど仲が悪くなかったと言う人もいる。
まあ確かに築山殿が悪女の方が幕府にとっては都合がいい。
実際の築山殿はさっぱりわからないけど。
173:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 13:32:37.33 .net
姉さん女房の方が萌えるじゃん。
今でこそ姉さん女房は珍しくないけど、
夫の方が年上っていう夫婦が圧倒的に多かった当時としては、
家康(同年説もあるが)、秀忠、家光、家綱と4代続けて妻が年上っていう家も珍しいよね。
あと家宣と慶喜もそうだっけか?
174:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 13:40:06.98 .net
>>132
一番助けたくない淀殿は私的には真田太平記の淀
175:名乗る程の者ではござらん
14/10/09 15:31:03.92 .net
10歳年上説をとった場合、築山殿の生年は1532年という事になる
義元の生年が1519年。
築山殿の母は義元の妹ないしは養女といわれてるから、
やっぱ無理が生じてくる罠。
まぁ、家康と同年、年上だとしてもせいぜい1~2歳程度と考えるのが妥当じゃない。
176:名乗る程の者ではござらん
14/10/10 02:22:53.91 .net
滝田栄はいい
でも草燃えるでの伊東なんとか役はもっとよかった
177:名乗る程の者ではござらん
14/10/10 02:24:30.63 .net
秀忠時代に改易されたのは大名家41家。石高にして439万石。
これ以外にも転封が数多く行われている。
ちなみに家康による改易は石高にして377万石。
178:名乗る程の者ではござらん
14/10/10 02:27:44.99 .net
家康が糞を漏らしたというのは誤伝。
武田に完敗し、意気消沈した家康が入城したときに事は起こった。
雨に打たれながら馬に乗っていた為、腰に下げた袋から焼味噌が漏れていたのだ。
暗い雰囲気を払拭しようとした本多作左は一計を案じた。
作左「殿、糞が漏れておりますぞ!」
場は一転して笑いが響く事となった。が、
家康「それは焼味噌じゃ!馬鹿者が!!」
家康はマジギレ。
あまりに怒った為、本当に漏らしたのではという噂が生じたそうだ。
179:名乗る程の者ではござらん
14/10/10 05:29:24.13 .net
プライドの高いお嬢様である瀬名にとって、
自分より家格の低い人質の竹千代が亀姫にばっかにうつつをぬして、
自分を蔑ろにしていてるという現実が許せなかった。
だから意地になって竹千代を振り向かせようとした。
瀬名が竹千代にアプローチ
↓
それを関口のお父さんに見られる。
↓
娘の恋愛成就のために、
関口のお父さんが二人に内緒で義元に娘と竹千代の婚礼を許すよう願い出る。
↓
竹千代、義元から瀬名との婚礼を命じられる。
↓
何も知らない竹千代「工 工 エ エ エ エ ェ ェ ('д`) ェ ェ エ エ エ エ 工 工」
180:名乗る程の者ではござらん
14/10/10 05:46:01.46 .net
山岡荘八の徳川家康は、創作キャラだが石坂浩二が演じた納屋蕉庵(竹之内波太郎)が印象的だった。
初めは信長の影の軍師みたいな位置付けで、そのうち豪商になって時代の見届け人になっていった。
181:名乗る程の者ではござらん
14/10/10 07:52:27.88 .net
納屋蕉庵は作家(山岡荘八)の分身という存在で、何かにつけ出すぎの感じがあったな
182:名乗る程の者ではござらん
14/10/10 11:59:36.29 .net
あの役は、納屋『呂宋』助左衛門や竹之内流関係からインスパイアされたのかも。
小説では朝廷の祭事を執り行う祭司の末裔とか書かれてた。
桶狭間合戦でも村の代表として今川軍に進物をして足止めしたり、
元康だけで織田軍と当たらないように策をうったり、架空の役なのに大活躍すぎるw
183:名乗る程の者ではござらん
14/10/10 12:01:19.83 .net
『半蔵の門』では、信長側から「大高城から動かなければ元康を攻めない」と申し出が
あるんだよな。
但し、その言外に「兵糧と兵の命は保証しない」とも。
信長の梟雄の気性を見抜いた元康は、半蔵に命じて米粒を胡麻粒の大きさにさせて兵に
背負わせ、荷駄の米俵に土を詰めて囮に。
信長軍の一隊に襲われた元康は、囮の荷駄を捨て、一目散に大高城に駆け込む、と。
しかも、仮に今川軍が敗れた時の織田・徳川ことを考え、元康は鷲津砦攻略の先鋒を務めてこれを
攻略、信長に地団駄を踏ませる。
184:名乗る程の者ではござらん
14/10/11 05:06:03.84 .net
徳川家臣団に「忠」の字が多いのはなぜだろう?
秀忠以降の忠吉、忠輝、忠長やその世代の家臣は秀忠の偏諱としても、
本多、酒井、大久保、鳥居は軒並み「忠」の字を使っている。
この辺の「忠」はどこから来たんだろう?
185:名乗る程の者ではござらん
14/10/11 06:06:30.37 .net
>>181
家康から数えて五代前の親忠が初出っぽい。
三代前で曾祖父の信忠、父の広忠、息子の秀忠と、一代置きで使われている。
松平の系字の一つと考えても良いんじゃないか。
186:名乗る程の者ではござらん
14/10/11 06:09:39.95 .net
「徳川家康」の最後の方に出てた万田久子演じるおみつって結局なんのために出てきたんだろう。
納屋蕉庵の孫娘で千姫付きの侍女って設定だったけど、
秀頼の手がついて子供を産んでからどっか消えたよね。
次の回にはおみつはいなかったかのように侍女が別の人(おちょぼ)に変わってた。
187:名乗る程の者ではござらん
14/10/11 06:30:33.04 .net
すみません。孫娘じゃないですね
188:名乗る程の者ではござらん
14/10/11 07:27:39.52 pt79BdSX.net
>>183-184
孫娘でいいじゃないの?ただ、養女ならぬ養孫だけど
189:名乗る程の者ではござらん
14/10/11 09:13:41.10 .net
納屋蕉庵は主役を食ってたな。名前かえて最初から最後までいるしよw
架空キャラを使う事で歴史を新しい視点、違った視点でってやつだわな。
悪く言えば御都合主義だけど、歴史的な事物の空白みたいな所を、
ある程度好きに描いて味付けできるのが歴史小説の醍醐味ではある。
190:名乗る程の者ではござらん
14/10/11 10:42:22.63 .net
家康が好きで、家康のことを世間で言われるほど
陰湿な悪人だとは思わないけど、
山岡壮八の徳川家康は、ちょっといい人に描きすぎで
正直引いてしまうところが何箇所もあった。
191:名乗る程の者ではござらん
14/10/11 10:44:48.18 .net
>>187
私人的観点から見るか、公人的観点から見るかでがらりと評価が変わる人物。
ただ徳川当主として、また天下人として淡々と障害を排除していっただけ。
それに善や悪を持ち込むのは無粋だと思うけどなー。
負けず嫌いの喧嘩好き、だけど忍従を知り、長い雌伏を耐えられるケチでしたたかな親分って所だと思う。
192:名乗る程の者ではござらん
14/10/11 10:53:12.93 .net
そう、まさにその通り。
歴史的な観点で見れば、300年の太平を実現した功だけで
充分評価されるべきだと思うし、なまじ情けをかけて禍根(豊臣家)
を後世に残さなかったのは政治家として正しい判断だと思う。
だから、余計過剰な「いい人」の味付けはいらなかったと思う。
193:名乗る程の者ではござらん
14/10/11 11:04:34.72 .net
70を過ぎて自分は老い先短いのに、前天下人の息子が
成人して天下の堅城に莫大な黄金とともに居座ってるのを見ては
とても死ねんと思ったでしょう。徳川家安泰のために自分の目の玉の
黒いうちになんとしても除いておこうと思案したのは最も自然なことでしょう。
当時の家康の立場にあれば、十人いれば八、九人は同じことをしたのでは
ないですかね。
194:名乗る程の者ではござらん
14/10/11 11:16:46.33 .net
ちなみに徳川作品って本能寺の変直後の甲信攻略戦についてはあまり触れないんだよなぁ。
北条軍5万に対して僅か1万数千で勝利を収めたあたりなどはなかなかに興味深いと思うのだが。
195:名乗る程の者ではござらん
14/10/11 13:14:11.69 .net
>>191
かつて勝頼が放棄した新府城を手直しして本陣を置いた結果、信濃から甲斐に侵攻した
北条軍が完全に足止めされたからね。
真田昌幸が徳川方についた結果、退路まで断たれて和睦するハメに。
196:名乗る程の者ではござらん
14/10/11 13:16:21.45 .net
甲斐・信濃攻略戦は、家康が織田の与力大名から脱却する上で
重要な戦いだったからな。
そこはきちんと描かないと、武田との局地戦に手を焼いていた一属将が、信長が死んだ
途端、天下獲りレースの有力候補に・・・という展開になってしまう。
197:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 12:55:54.02 .net
大河「徳川家康」の大阪夏の陣で柳生宗矩が怒涛の七人斬りをやってたね。
スタジオ撮りなんであまり臨場感はなかったけど。
198:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 12:56:59.39 .net
四天王は影が薄いなぁ・・・。
199:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 12:58:22.91 .net
作左最大の見せ場は秀吉の前で暴言吐いたとこ
200:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 13:04:19.38 .net
お愛が病死した直後、「築山殿は殿に勝ち、お愛殿は殿に敗れたのじゃ・・・」は名言。
201:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 13:13:32.80 .net
>>194
柳生の七人切りは徳川実記に載ってるそうだから史実の可能性大だな。
202:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 13:33:42.13 .net
>>187
いい人というより、世間一般的な道徳観に封じ込めて描こうとするので、
深みのないチープな人間像になってしまうんだよな。
小説にしてもテレビドラマにしても大衆向けだから仕方ないが。
203:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 15:00:50.51 .net
中村梅雀、西田敏行、渡辺いっけい・・・秀忠って常に微妙な位置付けだよな。
勝野洋、中村雅俊ならまだしも。
204:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 16:14:20.25 .net
二枚目か三枚目かの違いだね。
勝野、中村雅の二枚目組は温厚に見えて冷酷非情な一面も持ち合わせているように描かれ、
西田、渡辺(梅雀は未見)の三枚目組は奥さんに尻に敷かれる情けない駄目亭主に描かれてる。
まぁ三枚目組の奥さん役は両方極妻だし頭が上がらないのも無理ないか。
205:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 16:14:21.72 nB5Ujt65.net
>>200
秀忠を二度演じたのは勝野洋だけ
206:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 16:15:24.87 .net
秀忠の恐妻家ぶりは保科正之の出生譚とかである程度有名だから
軽いノリを求める最近の大河にゃ恰好の食い付き処なんだろうね。
207:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 17:20:00.68 .net
しかし、何でそんなに恐妻家なんだ?
大御所様には絶対服従でも、仮にも将軍様だぞ?
208:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 18:45:59.99 .net
>>204
権威的なものより情愛的なものなんじゃない?
年齢差もあるし、妻であり姉であり母であり、
そんな風に見ている気がするよ。
209:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 20:42:45.07 .net
藤堂高虎なんかも尻に敷かれているな。
比喩ではなく、夫の留守は妻が守る時代、
共同統治者として今よりも妻を立てなければならない時代だったんじゃないか?
210:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 21:01:17.98 .net
大谷吉継は義理に厚い武将で好きだけど、小早川秀秋は嫌いやな。忘恩の徒は嫌いじゃ。
211:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 21:12:54.48 .net
豊臣政権
秀吉の存命中から、既に政権基盤の脆弱さを露呈していたよね。
あくまで秀吉という個人の力だけの政権。
彼の老化がそのまま政権の疲弊に直結していた。
しかし、その一方で秀吉の死後、18年にわたって豊臣家が生き長らえたという事実を
どう捉えるかということもあるんだよね。
212:名乗る程の者ではござらん
14/10/12 22:17:43.01 .net
やっぱり関が原後に政権をあっさり家康に渡したことと大幅減封を受け入れたことが
豊臣家の余命を延ばしたんだろうね。
213:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 10:42:34.79 .net
>>209
それはちょっと違うんじゃない?
豊臣家は徳川家に臣従したことはないのだから。
それに家康はあくまで 豊臣家の大老 として戦後処理を行っているからね。
豊臣家としては「何が起こったのかよく分かっていない」というのが実際のところだったのでは?
気がつけば蔵入地は激減し、諸大名は豊臣秀頼から恩賞をもらっておきながら、実際にはそれを
差配した大老・家康に付いていくという捻れ現象が起こっていったのではないかな。
おまけに秀頼は関白職にも就けない※状況では、諸大名は武家の棟梁(征夷大将軍・右大臣・
源氏長者)に従うのか、前関白の子息(内大臣、後に右大臣)に従うのかという選択を迫られるこ
とになる。
結果、軍事的にも政治的にも優位な立場にあった武家の棟梁側に吸収されていったと。
※豊臣家は1595年、秀次の処刑によって関白職まで手放してしまった。
これにより政権の正統性まで失ってしまうという手痛い失策を犯している。
214:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 11:37:53.06 .net
豊臣家ってさ、石田や加藤や福島みたいな子飼いの人材もみんな大名にしちゃったから
肝心の豊臣家自体の軍事組織って石高の割りにもの凄く貧相じゃん?
これってよく考えたらもの凄い異常な状態だよね。 秀吉は本気で自分の死後の
有事の際には恩顧の大名の力だけで相当強大な敵性因子も排除できると思ってたのかな?
それとも呆けてそこまで考えが及ばず、周囲の進言も聞かずの状態だったのかな?
スレ違いだけどすごく大きな謎だよね。
215:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 11:50:18.99 .net
>>44
石川数正の出奔は
ドラマに描かれているようなキレイごとではなかった
216:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 12:22:56.57 .net
「徳川家康」、何気に女性陣にも目が離せない。
世間知らずゆえ非業の最期を遂げた瀬名、
家康を影で支える優しい女性お愛、
実は信長が一番信頼している人なんじゃないか感じさせる賢妻濃姫、
苦労人ながら関白夫人としての気品を持ち合わせた寧々、
根っからお嬢様していた淀殿、秀忠の成長を実の母のように見守る朝日姫、健康的な美人木の実・・・
素朴で心優しい千姫・・・
女性陣の配役が神的に絶妙だった。
特に朝日姫の最期は涙。
217:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 12:24:04.78 .net
女性陣もよかったですな。
戦国の世に翻弄されならも懸命に生きているって感じで、
変にでしゃばりすぎず、でも存在感があって。
最近の大河ではなかなか出せない味でございまする。
華陽院と於大の方も忘れてはいけませんぜ。
218:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 12:25:24.27 EQ8VEW9c.net
>>210
秀吉は、死亡する1598年まで現任の太政大臣だったので、政権の正当性は保持していたと見ることができる。
ただ、秀吉の死亡により現任の大臣が、内大臣の家康一人となり(99年1月に菊亭晴季が右大臣に還補)、1605年に近衛信尹が関白に任じられ、6家の摂家の1つになってしまった。
219:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 12:35:33.17 .net
山岡の『徳川家康』を読んでたら
鳥居強右衛門が磔にされた時、掌に釘を打ち込まれたと書いてあった。
ウソつくな!!
「パッション」のイエスじゃないんだよ!!
220:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 12:44:13.54 .net
滝田栄の家康は、ミスキャストだったし面白みがなかった。全体に、おんな太閤記の配役をいじった感じに思えた。
役所広司って名前も知らない人が織田信長役、と知ってピンとこなかったけど、いざ役所信長が登場してみると、主役の滝田栄を圧倒するほど好演していたのでビックリ。
仲代達也の愛弟子だったんだ。
無名だった真野あずさが、お市役で出てたけど綺麗だったし、徳姫の田中美佐子より演技が上手いように思えた。
公家の悪役が板についてる成田三樹夫の今川義元は、よかった。今川義元役では断トツ!!
221:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 13:04:35.49 .net
>>217
大河板で何でやらないの?
222:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 13:54:41.23 .net
時代劇板には時代劇板ならではの良さがある
223:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 13:58:43.33 .net
みんな固い感じで、自分の持味を生かしてたのは、長門裕之(本多作佐衛門)、津川雅彦(大久保長安)、お大(大竹しのぶ)、成田三樹夫(今川)、華陽院(八千草薫)くらいかな?
かなり好演してた武田鉄矢は「秀吉には、竜馬ほど力が入らない」って言ってたらしい。
夏目雅子は綺麗だったけど、演技は今イチ物足りなかった。
池上季実子の方がうまかったと思うな。
224:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 15:33:58.54 .net
三方ヶ原の戦い
鶴翼の陣の負け
関ヶ原の戦い
鶴翼の陣の負け
225:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 15:37:42.33 .net
家臣「甲斐なき織田の方々」
家康「言うな!」
226:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 15:55:25.55 .net
第四次川中島合戦
鶴翼の陣&別働隊:引き分け
227:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 16:47:04.71 .net
信康の娘たちの子孫は、名が松平や徳川でなくても
信康の女系子孫なのだから、このドラマはつらいだろうね
228:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 17:14:35.02 .net
珍説
信長も家康も〝今川の血を引く信康”を徳川家の嫡子にしたくなくて
信康を死に追いやった。
229:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 17:19:58.69 .net
清滝寺にある信康の墓には「松平三郎信康」と彫られている。
230:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 18:13:34.20 .net
>>44>>212
石川康勝(石川数正の次男)
慶長19年(1614年)、大坂の陣が勃発すると豊臣方に与して大坂城に入る。
大坂冬の陣における真田丸の戦いの最中に配下が火薬を誤爆させ、
康勝自身も負傷したが、この騒ぎを東軍が内応の合図と勘違いした一件が有名である。
翌慶長20年(1615年)の大坂夏の陣において天王寺口の将として出陣、真田信繁隊と運命を共にして乱戦の中で戦死した。
231:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 18:35:09.86 .net
他の大河ドラマのスレもみなさんよろしく
【千代】 功名が辻 其の2 【山内一豊】
スレリンク(kin板)l50
軍師官兵衛(黒田官兵衛孝高)
スレリンク(kin板)l50
春日局
スレリンク(kin板)l50
232:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 18:39:51.45 .net
家康晩年のストーリーをいろいろ捏ね繰り回してあるので
全然現実味が無いのが欠点
233:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 19:36:21.10 .net
築山殿「ほう顔の色が変わったのー」
このときの築山殿の妖艶さが凄い
234:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 19:41:54.17 .net
大賀弥四郎が小谷甚左衛門・倉知平左衛門・山田八蔵と共謀し、
岡崎城を乗っ取って武田勝頼を手引きすることを書いた、武田方への書簡が発見された。
山田八蔵も変心して信康に訴え出たため、大賀は馬に乗せられて浜松城下を引き回され、妻子五人がはりつけにされたのを見せられた後、岡崎で土に埋められ首を通行人に竹鋸で引かれ、七日後に死亡した。
235:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 20:40:40.98 .net
家康の死因は、胃がんという説もあったっけ。
胃がんだとすると、鯛のてんぷらを食べ過ぎた事に
よって体調を崩したけどそれからは回復し、その後で
胃がんによって死去したという流れかな?
たしか鯛のてんぷらを食べたのが死の3ヶ月前、
死の一月前あたりには、勅使の接待をやってたそうだから
少なくとも急性の食中毒で亡くなったって事はないんだろうなぁ。
236:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 21:07:34.81 .net
信玄に鉄砲は命中しなかったんだけど、ものすごくタイミングよく発病、吐血して落命。
237:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 21:10:54.22 .net
信康自刃の真相というのは謎めいた部分があるけど、当時、家康 VS 築山殿・信康の
御家騒動があったとする説もあるね。
酒井忠次の安土行きは徳姫の書状に対する釈明のためではなく、女婿・信康処断の
許可を取り付けるためであり、信康の幽閉先を次々と変えたのは、信康を担ぐ一派の
動向を見極めるためだったとすると辻褄が合う。
武田勝頼と内通していたかどうかの真相は不明だが、旧今川寄りの築山殿がかつての
同盟先である武田家と手を携えようとするのは当然のこと。
勝頼と信康が手を組めば、徳川家の進路は東ではなく西になる。
信康は今川家の血を引いているし、亡き義元の悲願でもあった西進作戦を築山殿が
意識していたとすると・・・徳川・武田連合軍で織田に対すれば勝算はあると。
238:名乗る程の者ではござらん
14/10/13 21:29:47.69 .net
家康 VS 築山殿・信康というより
家康直属の浜松派閥(中央集権化)VS三河国人派閥(昔ながらの連合政権)
の御輿としての信康という説も聞いた事がある。
後の酒井の息子の逸話が事実だとすると、「お前(と石川)に三河を任せ
たのに纏め切れないために息子が死んだ」と言う事となるので辻褄は合う。
徳川家の中央政権化は一向一揆鎮圧でかなり進んでいたが、まだ抵抗勢力
があったとしてもおかしくはない。
239:名乗る程の者ではござらん
14/10/14 11:16:17.52 .net
巷間言われているように、信長による信康排除という可能性は低くなりつつあるね。
徳川家中の問題について、同盟国当主の承認を得て処分すべき者を処分したのだろう。
但し、友軍である松平分家筋の軍事力(三河兵)を損なうことなく恩を売り、結果、家康自らが傷つく道を
選んだのかも知れない。
結果、家康の人間像も「海道一の弓取り」「信長に妻子を殺された悲劇の人」「律義者」に出来上がっていく。で、仕上げは関が原。
240:名乗る程の者ではござらん
14/10/14 14:00:27.34 .net
従来どおりの解釈で何の問題もない、信長信者以外は。
241:名乗る程の者ではござらん
14/10/14 14:33:10.07 .net
>>234-236
研究家
>>237
要らない子
242:名乗る程の者ではござらん
14/10/14 14:48:51.80 .net
今川義元の血を引く信康を徳川家の嫡子にするわけにはいかない
243:名乗る程の者ではござらん
14/10/14 14:52:10.95 SrKmbgu6.net
徳川家内でも発言力の強い酒井忠次と対立する信康をそのままにはできなかったんだろう。
ただ、人の父として、逃げて欲しいという思いはあったようで、大浜城みたいな廃墟同然のところに幽閉し、逃げることを期待した模様
244:名乗る程の者ではござらん
14/10/14 15:15:50.01 .net
石川数正出奔
秀吉との外交を担当していたが、次第に秀吉の器量に惚れ込んで自ら秀吉に投降したという説。
秀吉との外交を担当していたが、秀吉得意の恩賞による篭絡に乗せられたとする説。
秀吉との外交を担当していたが、対秀吉強硬派である本多忠勝らが数正が秀吉と内通していると猜疑し、
数正の徳川家中における立場が著しく悪化したためという説。
信康の後見人を務めていたため、天正7年(1579年)の信康切腹事件を契機に家康と不仲になっていたという説。
信康切腹後、徳川家の実権が数正を筆頭とする岡崎衆(信康派)から酒井忠次ら浜松衆(家康派)に移ったため、
数正は徳川家中で立場がなくなったという説。
父・康正が家康と敵対して失脚すると、家康の縁戚である叔父・家成が石川氏の嫡流とされ、
数正はその功績にも関わらず父の一件ゆえに傍流に甘んじざるを得なかったからとする説。
245:名乗る程の者ではござらん
14/10/14 15:17:37.28 .net
「徳川の家に伝わる古箒(数正の官名・伯耆守のこと)、落ちての後は木の下(秀吉のこと)をはく」
「家康のはき捨てられし古箒 都に入りて塵ほどでもなし」
246:名乗る程の者ではござらん
14/10/14 15:21:44.70 .net
秀吉からすれば、他家の重臣が寝返って自分の膝下に臣從するところまでが興味があり、その後は関心が無い。
だから秀吉に臣從したあとの石川出雲はパッとしなかった
247:名乗る程の者ではござらん
14/10/14 18:24:01.58 .net
作左は秀吉から嫌われていたようだ。
小田原征伐が終わって、家康が北条氏旧領の関東に移されてから後に豊臣秀吉の命を受けた家康により、上総古井戸(小糸とも。現在の千葉県君津市)3,000石にて蟄居を命じられた。
その後、蟄居先が下総国相馬郡井野(現在の茨城県取手市井野)に変更される。
248:名乗る程の者ではござらん
14/10/14 19:39:06.67 .net
>>244
3千石・・・
作左は大名にしてもらえなかったのか・・・
249:名乗る程の者ではござらん
14/10/14 20:55:28.58 .net
家康関東移封で”徳川の”所領が倍増(256万石)したときに
マイナーな家臣でも1万石(以上)もらって
大名になっているんだけどな
250:名乗る程の者ではござらん
14/10/14 21:25:40.36 .net
ポーズであったにしろ、秀吉のかーちゃんと妹を焼き殺す準備しちゃったからなあ
251:名乗る程の者ではござらん
14/10/15 01:54:03.72 .net
息子(お仙泣かすなのお仙)は大名に取り立てられてる。
252:名乗る程の者ではござらん
14/10/15 16:03:20.98 .net
日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の一文は、
重次が天正3年(1575年)の長篠の戦いの陣中から妻にあてて書いた手紙である。
この「お仙」は当時幼子であった嫡子・仙千代(成重・後の丸岡藩主)のことである。なお、手紙の原文は「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」である。
253:名乗る程の者ではござらん
14/10/15 16:48:13.57 .net
・家康に厚遇された本多作左の息子
・家康に改易された石川数正の長男、次男
254:名乗る程の者ではござらん
14/10/15 16:50:52.34 RC225hJR.net
関ヶ原では関東方に付いたので改易の機会を逸したが、邪魔だったから大久保忠鄰、大久保長安もろとも、改易にした
255:名乗る程の者ではござらん
14/10/15 19:22:37.34 .net
おみつが身ごもった秀頼の子供は、その後どうなった?
256:名乗る程の者ではござらん
14/10/15 19:42:39.64 .net
あれは豊臣国松ではないのか?
257:名乗る程の者ではござらん
14/10/15 19:48:49.75 .net
なるほど国松か
258:名乗る程の者ではござらん
14/10/15 20:06:23.32 .net
おみつ→栄の局:萬田久子(納屋蕉庵の養孫、のち豊臣秀頼の侍女、架空の人物)
259:名乗る程の者ではござらん
14/10/15 20:29:59.33 .net
語りによると
おみつが生んだ子は女の子で乳母に預けたとなっています
260:名乗る程の者ではござらん
14/10/16 12:09:11.59 5pkTehJ8.net
>>256
また、そんなことばっか言うて!キミはいい加減にしたまえ。ボクはキミをあまり知らない。もう面倒くさいったらありゃしゃんせ
神戸市の東、芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。
URLリンク(www.youtube.com)
261:名乗る程の者ではござらん
14/10/16 12:27:45.51 r+G4VbsX.net
は?
262:名乗る程の者ではござらん
14/10/16 12:30:46.35 .net
大河徳川家康、TUTAYAレンタルしました。
小学生のとき見たっきり。
瀬名が浮気するシーンとか、じいさんの秀吉を前に瓜売りごっこするシーンとか、
記憶どおりで懐かしかった!
しっかし、役者が若いな!大竹しのぶたとか、老け役なのに、多分まだ�
263:Q0代? 気になったのは、出演者の表示順。 中盤明らかに準主役の秀吉@武田鉄矢が、序列中ごろで、トリがなぜか納屋蕉庵。 なのに藤吉郎時代にトリになっていたり。 淀@夏目雅子がトリの回もあった。 今でこそ(死んでこそ)伝説の女優だが、当時は普通に「実力派の若手」扱いではなかったか?
264:名乗る程の者ではござらん
14/10/16 13:52:15.93 .net
『徳川家康』のクレジット
topから4人くらいまで重要な役
真ん中3人か4人が重要な役
ラスト3が重要な役
265:名乗る程の者ではござらん
14/10/16 14:37:34.45 .net
秀忠と云えば中村雅俊(春日局)
266:名乗る程の者ではござらん
14/10/16 14:39:20.42 .net
最近の大河は役者の年齢層が全体的に低いから若い内はいいけど年とって大名クラスになると威圧感というか貫禄がないんだよね
267:名乗る程の者ではござらん
14/10/16 14:51:12.64 .net
調べてみたら、>>257は、すげえマルチポスト
268:名乗る程の者ではござらん
14/10/16 15:03:55.95 .net
おみつが生んだ女児が天秀尼という設定か
269:名乗る程の者ではござらん
14/10/16 16:43:47.50 .net
このドラマの明智光秀はぱっとしない
明智光秀が頻繁に登場する大河ドラマ『功名が辻』『春日局』
270:名乗る程の者ではござらん
14/10/16 16:57:55.56 .net
>明智光秀が頻繁に登場する大河ドラマ『功名が辻』『春日局』
明智光秀を好意的に描いている作品:功名が辻
明智光秀視点からの本能寺の変が描かれた作品:春日局
271:名乗る程の者ではござらん
14/10/16 18:38:01.43 .net
松平忠輝が徳川宗家より赦免されたのは、死去から300年後の昭和59年(1984年)になってからであった。
忠輝の菩提寺である貞松院の住職・山田和雄が300回忌での赦免を思い立ち、徳川宗家18代目当主の徳川恒孝に願い出て実現した。
272:名乗る程の者ではござらん
14/10/16 19:18:38.63 .net
最終回に家康から忠輝に「永対面禁止」と申し伝えていたね
273:名乗る程の者ではござらん
14/10/16 21:01:15.03 .net
信長って、他人を道具のように使うように、
自分自身も時代の道具になろうとしたんだな。
命を軽く見る、敦盛の歌の歌詞そのままの生き方だ。
274:名乗る程の者ではござらん
14/10/16 23:10:52.75 .net
家康て種違いも含めて兄弟たくさんいたんだね
275:名乗る程の者ではござらん
14/10/17 08:58:07.66 .net
久松な。
276:名乗る程の者ではござらん
14/10/17 10:30:53.06 .net
1話&2話を見たけど、退屈で死にそう。父や母の話なんて興味ないしね。
早く信長、秀吉の時代になってほしいわ
277:名乗る程の者ではござらん
14/10/17 12:11:37.82 .net
第9回 初陣
このあたりから面白くなりますよー
278:名乗る程の者ではござらん
14/10/17 12:37:42.47 LB4gkdHZ.net
>>265
>このドラマの明智光秀はぱっとしない
光秀役だった岸田森急逝で、急遽寺田農に役が変わり光秀が出る回が少なくなったというのもあると思う
279:名乗る程の者ではござらん
14/10/17 12:56:34.05 .net
>>270
兄弟
家康、家元?、内藤信成?、
忠政?、樵臆恵最?、市場姫
異父弟:康元、康俊、定勝
280:名乗る程の者ではござらん
14/10/17 22:33:09.89 .net
大坂の陣
奥原信十郎は豊臣家にとって外様なのに
どうして秀頼のそば近く仕えることが出来たのだろうか
281:名乗る程の者ではござらん
14/10/17 22:54:04.01 .net
>>272
竹千代の元家族や環境がわかっておもしろす
282:名乗る程の者ではござらん
14/10/18 11:39:57.82 .net
>>276
奥原信十郎は柳生宗矩の従兄弟という設定の架空の人物
283:名乗る程の者ではござらん
14/10/18 11:47:10.84 .net
大河徳川家康は泣くシーンが多かった印象がある。それもオイオイではなく、
ウォーと泣いている印象が深い。
284:名乗る程の者ではござらん
14/10/18 11:48:26.98 .net
しかし、秀頼を助けようとしていた、というのは無理あるでしょ。
だったら国松を捜索して処刑したり、姫を出家させたりはしないと思うし。
大和への転封案にしても、豊臣家が絶対に承服しないと踏んだ上で「助命すべく譲歩した」
というポーズだったのだろうしね。
285:名乗る程の者ではござらん
14/10/18 12:16:25.07 .net
天下の平穏と徳川の安泰のためあえて大坂を滅ぼすという設定のほうが
ずっと偉大だし、実際そうだった
山岡は家康を貶めるためあんな卑俗な家康にしたんじゃないか
286:名乗る程の者ではござらん
14/10/18 12:24:23.18 .net
助ける気なんか無かったのは明白だと思うけど、
それならなぜ潜んでいる建物の中に兵を突入させて
秀頼たちを討ち取るか捕縛しなかったのか?
たとえば導火線をちらつかせるなどの
無理に突入できない状況があったのだろうか?
287:名乗る程の者ではござらん
14/10/18 12:25:33.85 .net
仮にも豊臣家の当主だからね。
徳川方の一兵卒に討ち取られるというのは拙いでしょ。
あの場合には自刃以外のシナリオは無かったはず。
288:名乗る程の者ではござらん
14/10/18 12:26:42.90 .net
秀頼を生け捕りにし、縄目の辱めを与え、もはや豊臣家の威勢が地に落ち、その権威など徳川時代には全く通用しないという烙印を押すことは政略的に重要であろう
289:名乗る程の者ではござらん
14/10/18 12:32:37.97 .net
津川が「しまった」といった理由は其処にある
290:名乗る程の者ではござらん
14/10/18 13:24:42.69 .net
大野修理が助命嘆願を願い出ようとしたのを拒否し、包囲・銃撃して自害を迫ったということ自体、
秀頼の死に方を既に家康・秀忠が決めていたということですから。
そうでなければ発見次第、打ち込んで良かったわけですし。
首を刎ねるにしても、切腹と斬首では天と地ほどの差があるように、敗軍の将とはいえ、相手は
右大臣・豊臣秀頼ですからね。
それなりの寓し方をしたのだと思いますよ。
だからこそ、無位無官の国松丸との扱いに差があったことも説明がつきますし。
291:名乗る程の者ではござらん
14/10/18 18:42:14.86 .net
他の大河ドラマのスレもみなさんよろしく
【千代】 功名が辻 其の2 【山内一豊】
スレリンク(kin板)l50
軍師官兵衛(黒田官兵衛孝高)
スレリンク(kin板)l50
春日局
スレリンク(kin板)l50
292:名乗る程の者ではござらん
14/10/18 22:16:03.65 .net
信康自刃事件は徳川家史上最大の謎
293:名乗る程の者ではござらん
14/10/18 22:17:26.04 .net
石川数正が出奔していなければ江戸移封の際20万石は確実だった
294:名乗る程の者ではござらん
14/10/18 22:29:53.64 .net
とりあえず本多作左の唾の飛びっぷりは豪快でしたねw
295:名乗る程の者ではござらん
14/10/18 22:31:13.23 .net
なにしろ本多作左は、薪を山のように積んで
「えぇかぁ!大坂の猿が謀略をしき、殿に変事あらば、すぐさまババア(大政所)と朝日を焼き殺せ!」と聞こえよがしに怒鳴っていた人ですからな
296:名乗る程の者ではござらん
14/10/18 23:23:48.21 .net
そして、「数正ぁ…俺はやってるぞ…」と独りつぶやく
297:名乗る程の者ではござらん
14/10/19 12:39:54.46 .net
桶狭間の戦いで今川義元の最期が描かれていなかった。。。
298:名乗る程の者ではござらん
14/10/19 14:44:48.03 .net
人の一生は、重荷を負いて遠き道を行くが如し
急ぐべからず 不自由を常と思えば不足なし
299:名乗る程の者ではござらん
14/10/19 14:45:20.93 .net
人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
300:名乗る程の者ではござらん
14/10/19 16:29:02.53 .net
>>293
勘九郎義元@『武田信玄』の最後をまた見たい
301:名乗る程の者ではござらん
14/10/19 21:12:59.98 .net
>>296
今川義元「都へ・・・都へ・・・」
302:名乗る程の者ではござらん
14/10/19 22:30:31.76 .net
ショーグンってのが英語でも通用するのは
今の東京を作った人、みたいな理解のされ方で
通じやすいんだよね。
303:名乗る程の者ではござらん
14/10/19 22:32:30.60 .net
家康公はなぜに江戸を拠点にしたのかな?普通は小田原だよね?
家康公が入る前の江戸は湿地帯の糞田舎だったらしいが。
とにかく、現在の東京の繁栄を鑑みるに、家康公の先見の明は偉大だよね
304:名乗る程の者ではござらん
14/10/19 22:36:22.29 .net
250万石の本拠地に成りえる
広い平地が江戸だったとかじゃ無いの?
305:名乗る程の者ではござらん
14/10/19 22:37:06.26 .net
江戸は丘陵地だらけであまり田畑を潰さずに済むのが気に入ったらしい
306:名乗る程の者ではござらん
14/10/20 08:03:05.54 5eT/aDVJ.net
淀川の出口が大坂に対し、墨田・荒川の出口が江戸
つまり江戸は東の大坂
小田原では偏りすぎ
・・・て、原作やドラマでも秀吉も家康も言ってた
307:名乗る程の者ではござらん
14/10/20 14:36:11.48 .net
>>302
サンクス
308:名乗る程の者ではござらん
14/10/20 18:43:50.83 .net
小田原征伐のとき、秀吉が家康を誘って連れ小便して
関東への国替えを申し渡すと共に治所を江戸にするよう奨めた
って話を、秀吉の先見性を誇示するかのように司馬遼あたりが
よく書いてたけど本当なのかね?
309:名乗る程の者ではござらん
14/10/20 19:09:09.06 .net
小便は江戸期の俗説。
秀吉が江戸を勧めた話は、後世の編纂物ばかりなので
本当にあったかと言われると微妙。
310:名乗る程の者ではござらん
14/10/20 23:05:42.37 .net
信長のテーマソング:明るい
秀吉のテーマソング:明るい
311:名乗る程の者ではござらん
14/10/21 07:37:32.73 XBoPCc4P.net
>>302
石垣山の一夜城より小田原城を見下ろして
秀吉「どうじゃ、小田原城は?」
家康「は?・・・」
秀吉「関八州の主としてお身の本拠となるかじゃ」
家康「ここでは少々、偏りすぎてるようで」
秀吉「流石じゃ、大納言。ここへは心ききたる重臣を置けば良い。
では、どこにする?」
家康「淀川の出口が大坂であるように、墨田・荒川の出口にあたる江戸あたりかと」
秀吉「同じじゃ、大納言。江戸はあらゆる意味で東の大坂。その地相を備えておる。
わしをみなろうて、彼の地にでっかい城を建てられよ」
こんな感じの会話だったね、小説や大河ドラマでは。
312:名乗る程の者ではござらん
14/10/21 08:42:15.20 MLAHGkqQ.net
正信「…ご用心なされませ」
家康「案ずるな」
秀吉「なんじゃ手あぶりもでておらんではないか長盛。心尽くしが足りぬ親切が足りぬ」
313:名乗る程の者ではござらん
14/10/21 09:25:15.46 XBoPCc4P.net
>>308
家康上洛、秀長の屋敷にてだね
このあとが例の陣羽織の話
314:名乗る程の者ではござらん
14/10/21 18:34:30.61 .net
真田視点の第一次上田合戦
真田太平記
徳川視点の第一次上田合戦
無し
真田視点の第二次上田合戦
真田太平記
徳川視点の第二次上田合戦
葵徳川三代
315:名乗る程の者ではござらん
14/10/22 19:46:58.83 Xuxi8JrH.net
大坂の陣で「西軍」と言っているが
大坂方とか豊臣方とかで呼ぶべきじゃないのか
316:名乗る程の者ではござらん
14/10/22 20:21:16.71 .net
西軍と言っても西国大名すべて豊臣の敵ですからねw
317:名乗る程の者ではござらん
14/10/22 22:10:54.84 .net
姉川の合戦のとき家康の動員可能兵力は‥・わずか8千
家康は8千のうち5千を信長の援軍としておくった律儀な人
318:名乗る程の者ではござらん
14/10/22 22:19:52.75 .net
8千て「わずか」じゃないぞ
結構な大国の動員力だぞ
319:名乗る程の者ではござらん
14/10/22 22:28:37.92 .net
動員可能兵力
1万石=250人~300人
320:名乗る程の者ではござらん
14/10/23 00:58:35.25 .net
そんなもんなのか
321:名乗る程の者ではござらん
14/10/23 15:25:05.03 .net
山岡荘八氏の「徳川家康」の初版刊行は昭和31年(1956年)。
家康への研究そのものが進んでいなかった事もあって、山岡氏の著作自体にも創作が見られるし、歴史的な矛盾点も存在します(ドラマもその点は基本的に踏襲されている)。
322:名乗る程の者ではござらん
14/10/23 15:37:22.36 .net
おふう(於フウ)は奥平信昌(最初は貞昌 後に織田信長から一字をもらって改名)の妻です。
おふうの処刑後に徳川家康の娘亀姫が信昌の後妻となります。おふうの出自は奥平の一族です。
貞昌の父の貞能の従姉妹にあたります。父は奥平貞友です。
323:名乗る程の者ではござらん
14/10/23 15:52:48.30 .net
家康は、徳川幕府を滅ぼした明治政府のもとで
まるで悪人であったかのような宣伝がさかんになされましたが、
実際の家康は、戦国時代の人にしては、逆にかなり道徳的な人物です。
324:名乗る程の者ではござらん
14/10/24 02:43:06.46 fcLATJ8Y.net
お世話になります。
私、責任者の加茂と申します。以後、宜しくお願い致します。
URLリンク(www.apamanshop.com)
浪速建設様の見解と致しましては、メールによる対応に関しましては
受付しないということで、当初より返信を行っていないようで、今後につい
てもメールや書面での対応は致しかねるというお答えでした。
このように現在まで6通のメールを送られたとのことですが、結果一度も
返信がないとう状況になっています。
私どものほうでも現在までのメール履歴は随時削除を致しております
ので実際に11通のメールを頂戴しているか不明なところであります。
弊社としましても今後メールでのやり取りを差し控えたく、浪速建設様
と同行の上でお会いさせていただきたい所存です。
・ブラックロックシューター
URLリンク(s-at-e.net)
・ベヨネッタ
URLリンク(s-at-e.net)
・風ノ旅ビト
URLリンク(s-at-e.net)
URLリンク(s-at-e.net)
・2012
URLリンク(s-at-e.net)
・プロメテウス
URLリンク(s-at-e.net)
・アバター
URLリンク(s-at-e.net)
325:名乗る程の者ではござらん
14/10/24 14:56:06.73 .net
逸話の真偽はともかく、10万人で半年かけても落とせなかった小田原城を家康に使わせたくないという秀吉の意向はあったんじゃないかと思う。
326:名乗る程の者ではござらん
14/10/24 14:57:00.91 .net
いやいや、小田原城は謙信に囲まれた時は一ヶ月にも満たず
信玄は数日、秀吉も3ヶ月程度しか囲んでないよ。
半年は盛りすぎ。
327:名乗る程の者ではござらん
14/10/24 14:57:48.84 .net
50万石規模であの辺の好きな所へどうぞ~なら小田原を選んでたかもな
328:名乗る程の者ではござらん
14/10/24 15:46:43.28 .net
江戸、小田原以外ならどこを選んだだろうか
なにせ江戸は火事が多かったから
329:名乗る程の者ではござらん
14/10/24 16:59:57.29 .net
小田原は本拠にするには位置が偏りすぎだな。
330:名乗る程の者ではござらん
14/10/24 17:00:52.71 .net
当時の江戸だと水運が中心かな、本格的に街道を整備するのは関ヶ原以降の筈だし
331:名乗る程の者ではござらん
14/10/24 17:01:50.04 .net
水運が便利で、関東の中心として偏りすぎず、田畑を潰さなくて済む丘陵地がちのところ・・・
と考えると大体場所は決まる
332:名乗る程の者ではござらん
14/10/25 20:53:02.52 oZ7Q38i9.net
マイベスト家康
1位
森繁久彌
2位
丹波哲郎
3位
中村梅之助
4位
滝田栄
5位
該当者なし
333:名乗る程の者ではござらん
14/10/25 21:10:11.52 .net
丹波地方での光秀の人気は絶大です
334:名乗る程の者ではござらん
14/10/26 17:47:37.00 .net
>>328
関ヶ原(TBS)、春日局、真田太平記、徳川家康
335:名乗る程の者ではござらん
14/10/27 01:39:19.62 .net
瀬名(築山殿)が大賀弥四郎と密通していたという設定は
瀬名の子孫(女系は現存)には耐えられないだろうね
336:名乗る程の者ではござらん
14/10/27 02:20:00.18 .net
数正が家康のもとを出奔して秀吉の家来になった背景は
はっきりしていません。
従って、秀吉が数正をなぜ松本に配したかについても
その背景については憶測でしかありません。
ただ
・徳川家の史料において、数正の出奔についての詳細を記述することを避けていること。
・数正出奔後、徳川家の軍制が大幅に変更されたこと。
から、徳川家にとって、少なくとも好ましい状況でなかったことは確かだと思います。
その数正を家康の関東移封に合わせて、近接する松本に配したのは
対家康という役割を数正が与えられていたのは間違いないと思います。
抑え、監視役という意味合いもあったのでしょうが
徳川家の内状に最も詳しい、家康のもとを出奔した数正が徳川領のすぐそばにいるという
家康、徳川家への心理的プレッシャー
悪い言い方をすれば、家康へのイヤガラセ
という意味があったのではないでしょうか。
家康、徳川家にすれば、一番イヤな秀吉の家臣がそばにいる
という状況になりますから。
337:名乗る程の者ではござらん
14/10/28 02:01:20.58 .net
豊臣秀次の血統はしっかり残されてます。
しかも秀頼系の血統は天秀尼(秀頼娘)の死で江戸前期に絶えたのに対し、秀次の血統は実は現在も続いてます。
秀次の次女の血統は真田信繁(幸村)の子孫として現存してます。
当初は秀次の名籍を継ぐ形で「三好姓」を名乗ったようですが、
最終的には「真田幸村の子孫のほうが見栄えがいい」という理由かららしく、明治には真田姓に戻したようですが。
歴史の神様は秀次を見捨てなかったとも取れますね。あんなに残したかった秀頼系よりも、秀次系のほうが血統のこりましたからね。
338:名乗る程の者ではござらん
14/10/28 03:35:30.96 .net
マイベスト家康は津川雅彦かな?
339:名乗る程の者ではござらん
14/10/28 05:53:34.10 .net
このドラマは徳川四天王の影が薄い
340:名乗る程の者ではござらん
14/10/28 06:11:50.91 .net
マイベスト家康 投票受付中
森繁久彌>>328 一票
津川雅彦>>334 一票
341:名乗る程の者ではござらん
14/10/29 06:17:57.33 .net
誤読
第36回
28分頃
三成「言葉を慎め。(浅野)ユキナガ殿」(正しくは浅野ヨシナガ)
342:名乗る程の者ではござらん
14/10/29 17:27:05.69 .net
浅野ゆきながという言い間違いは全部で3回くらいあるよ
撮影現場に戦国マニアが誰もいなかったとしか考えられないw
343:名乗る程の者ではござらん
14/10/29 19:35:10.14 .net
徳川の一族だというのに
松平忠輝は損な役回りですな
344:名乗る程の者ではござらん
14/10/29 22:39:59.88 .net
柳生又右衛門宗矩さすがだな。7人くらい斬り捨てた。
345:名乗る程の者ではござらん
14/10/29 23:40:44.57 .net
柳生又右衛門宗矩
慶長20年(1615年)の大坂の役では将軍・秀忠のもとで従軍して徳川軍の案内役を務め、秀忠の元に迫った豊臣方の武者7人(人数に異同あり)を愛刀(大天狗正家)で瞬く間に倒したという。なお、宗矩が人を斬ったと記録されているのは後にも先にもこの時だけである。
346:名乗る程の者ではござらん
14/10/30 00:48:54.59 .net
天正二十年(1592年)の1月4日、徳川家康の6男・松平忠輝が誕生しました。
家康の息子なのに苗字が違うあたりでもうなんとなく見当がつくかもしれませんが、この人は父親に理不尽な嫌われ方をされ続けています。
その理由が「生母の身分が低いから」とか「顔が醜かったから」など、とても人の親がする言い訳とは思えないものばかり。
身分の低い女性がイヤなら手をつけなければいい話ですよねえ。
家康という人は何故か子供の顔に異常なほどこだわりがあったようで、忠輝の異母兄である結城秀康も「顔が魚っぽいからヤダ」というそれこそ子供のワガママのような理由で冷遇し続けています。
347:名乗る程の者ではござらん
14/10/31 00:12:45.06 .net
江戸を居城としたこと自体、戦闘より和平前提の殖産興業を中心でやっていく意思の表れだが、
江戸の町が江戸城を中心とした攻められにくい渦巻き状の町並みになっていることからわかるように
軍事的なシミュレーションを完全に捨てたわけではあるまい
仮想敵の最大のものは豊臣だから、対豊臣戦のシミュレーションがなければほとんど意味はないな
348:名乗る程の者ではござらん
14/10/31 00:41:53.53 .net
>>313-316
葵徳川三代 第九回のアバンタイトルによると
一万石あたり250人(兵站部隊を含めて250人)
349:名乗る程の者ではござらん
14/10/31 22:32:07.56 .net
三河に乱立してる小城の城主って、
かなり見知った苗字(松平・酒井・本多ほか)が多いけど、
概ねどのくらいの身分なの?
石高や常駐兵数とか分かったら教えて欲しい。
家康公の叔父さんの3男が侍大将で
50人率いて城主とかありそうで笑えるw
350:名乗る程の者ではござらん
14/10/31 22:46:13.22 .net
>>345
長沢松平、1,800貫目
深溝松平、8,949俵目
形原松平、750貫目
竹谷松平、1,200貫目
能見松平、250貫目
351:名乗る程の者ではござらん
14/10/31 23:24:35.29 .net
三河遠江駿河甲斐信濃、この五カ国は義元公・信玄公のかつての領土。家康公も感慨深かっただろうな。んで関東に転封されたのは加増といえど相当口惜しかったと察せられる。
かつての強敵達の領土を治めるなんて偶然にしてもロマンがあるよね。
352:名乗る程の者ではござらん
14/11/01 00:08:13.03 .net
関東への転封は良いことずくめだったけどなぁ
北条の進んだ統治技術を学べたし、蔵入地が激増(倍増)した事で
大名権力の強化も出来てる。
旧領では、領土を広げる為に在地の機構や権利を損なわない
ようにして国人の所領も安堵してきたけど、そこら辺も移封で
整理できたし。文句なしなんじゃないかな。
353:名乗る程の者ではござらん
14/11/01 00:31:21.75 .net
関東経営に失敗するようじゃ、とても天下は取れないな
天下を取るためのシミュレーションとして大変有益だったはず
354:名乗る程の者ではござらん
14/11/01 07:22:31.11 .net
関東移封で家康と側近はホクホク、その他の領地と結び付きの強い家臣は内心不満タラタラだったろうな。
そこをまとめて新領を統治できた家康はさすがだが。
355:名乗る程の者ではござらん
14/11/04 01:21:47.26 .net
test
356:名乗る程の者ではござらん
14/11/04 19:48:01.02 .net
一時史料を信用しないと歴史を語れない。二次史料を信用しないと小説は書けない。
357:名乗る程の者ではござらん
14/11/04 19:49:29.41 .net
因みに慶長四年九月の騒動が家康暗殺未遂事件とするのは一次史料には無く、
かろうじて「慶長記」にあるくらいなものだったりする
358:名乗る程の者ではござらん
14/11/04 19:51:16.05 .net
大久保長安と大賀弥四郎、信康と忠輝がダブってしゃ~ない
359:名乗る程の者ではござらん
14/11/06 10:04:42.02 GvdaGDJg.net
>>354
大久保長安に家康が言ってたね。
「わしは昔、そちと似た者を仕えさせたことがある」
忠輝も問題が浮上したとき、家康の夢枕に信康が出てきた。
やはり両方似ているんだね。
360:名乗る程の者ではござらん
14/11/06 16:47:03.03 .net
>>352
一次史料が散逸していたら?
361:名乗る程の者ではござらん
14/11/08 14:49:42.09 .net
桶狭間の戦いを機にやっと家康が岡崎支配を開始なんてのはウソで
事実は今川がノリノリで後援してくれたので、
永禄2年5/16に家康は三河の家臣団へ向けて家中の掟を明示して、
のちの自立に向けての支配統治を開始してる。
そこに義元急死、
遠州総劇が勃発し、
駿河と三河の連絡線が切断されたことを良いことに家康が自立し、火事場泥棒で三河を盗んだだけ
362:名乗る程の者ではござらん
14/11/08 14:52:49.27 .net
清州同盟、あれは従属同盟であり、
対等同盟かどうかも怪しいって話だ。
そもそも国力差がハンパない。
またその関係も、義昭の第一次上洛戦に向けた義昭側による働きかけにより成立したと見るべき。
そしてその失敗により義昭が若狭へ逃亡したのちも、
関係は存続していた。
だからこそ天正2年に家康は信長に内緒で、
義昭の使者と会談し、
徳川武田同盟の話をしていたのだろう。
その義昭との関係を切ったのが徳川北条同盟成立による信康殺害だろう。
363:名乗る程の者ではござらん
14/11/08 15:10:22.35 .net
>>357
しね
364:名乗る程の者ではござらん
14/11/08 16:24:35.97 .net
人質関連年齢差
当主他 織田→今川移送時の年齢
1534年 織田信長 +9 17
1538年 今川氏真 +5 13
1543年 徳川家康 8
1545年 北条氏規 -2. 6
付き従った家臣
1527年 酒井忠次 +16 24
1533年 石川数正 +10 18
1539年 鳥居元忠 +4. 12
1542年 平岩親吉 +1 9
1548年 本多忠勝 -5 4 ただし駿府へは10歳のときとのこと
365:名乗る程の者ではござらん
14/11/08 16:35:51.98 .net
今川義元にとっての家康(今川配下なら元康)は、
秀吉にとっての宇喜多秀家みたいなもんか
一応一門扱いだし
366:名乗る程の者ではござらん
14/11/08 16:38:59.58 .net
6歳 今川の人質になる・・・はずが織田家へ
8歳 やっと駿府へ
14歳 元服して元信
16歳 元康に改名、瀬名姫と結婚
18歳 信康誕生
20歳 独立
367:名乗る程の者ではござらん
14/11/18 23:53:08.15 .net
test
368:名乗る程の者ではござらん
14/11/20 17:40:26.56 .net
偽善者・徳川家康
369:名乗る程の者ではござらん
14/11/21 16:39:47.80 .net
偽善者家康 偽善者家康 偽善者家康 偽善者家康
偽善者家康 偽善者家康 偽善者家康 偽善者家康
偽善者家康 偽善者家康 偽善者家康 偽善者家康
偽善者家康 偽善者家康 偽善者家康 偽善者家康
370:名乗る程の者ではござらん
14/11/24 22:10:37.81 xRY815Zz.net
脇役はいいけど主役に威厳がなさすぎて
371:名乗る程の者ではござらん
14/11/25 17:13:35.15 .net
>>366
めくら?
372:名乗る程の者ではござらん
14/11/26 18:25:05.66 .net
重複スレではないとの裁定
34 :”削除”依頼:2014/10/01(水) 20:35:26.87 HOST:ZH185129.ppp.dion.ne.jp削除対象アドレス:
スレリンク(kin板)
削除理由・詳細・その他:
6. 連続投稿・重複(レス26で誘導)
35 :削花梨 ★:2014/11/08(土) 14:49:35.67 ID:???0>>34 ”削除”依頼さん
重複としてのご依頼でしたら時代劇板内のスレッドに誘導をお願い致します。
373:名乗る程の者ではござらん
14/11/29 21:27:54.17 .net
徳姫の子役はかわいいな
374:名乗る程の者ではござらん
14/11/29 23:59:59.33 .net
今川家がいつどう滅んだのか?完全スルーされているんだなw
375:名乗る程の者ではござらん
14/12/04 08:41:53.83 .net
豊臣秀次の血統はしっかり残されてます。
しかも秀頼系の血統は天秀尼(秀頼娘)の死で江戸前期に絶えたのに対し、秀次の血統は実は現在も続いてます。
秀次の次女の血統は真田信繁(幸村)の子孫として現存してます。
当初は秀次の名籍を継ぐ形で「三好姓」を名乗ったようですが、
最終的には「真田幸村の子孫のほうが見栄えがいい」という理由かららしく、明治には真田姓に戻したようですが。
歴史の神様は秀次を見捨てなかったとも取れますね。あんなに残したかった秀頼系よりも、秀次系のほうが血統のこりましたからね。
376:名乗る程の者ではござらん
14/12/05 04:45:38.57 .net
秀勝の血統も残ってるな。完子から九条家へ、そして貞明皇后を通じて昭和天皇へと。
377:名乗る程の者ではござらん
14/12/05 16:20:31.44 .net
エピソードの数
原作:徳川家康>功名が辻
大河ドラマ:功名が辻>>>>>徳川家康
378:名乗る程の者ではござらん
14/12/05 16:36:56.23 .net
現在の皇室は織田氏、浅井氏、豊臣氏、徳川氏の血を受け継いでいる。
豊臣完子─九条道房─待姫─輔実─幸教─二条宗基(母は徳川吉通の娘信受院)─治孝─九条尚忠─道孝─貞明皇后─昭和天皇─今上天皇
379:名乗る程の者ではござらん
14/12/05 17:16:43.13 .net
ヤフー知恵袋
徳川宗家の現当主の方の奥さんがベトナム人というのは本当なのでしょうか?
一族から反対は無かったのでしょうか。またお子さんはいるのですか?
閲覧数:2,528 回答数:3
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
380:名乗る程の者ではござらん
14/12/06 20:55:58.75 .net
武田勝頼役の俳優さんは何気に美形ですね
381:名乗る程の者ではござらん
14/12/06 23:39:20.77 .net
徳川家広
URLリンク(ja.wikipedia.org)
1997年頃、FAOベトナム支部勤務時代に11歳下のベトナム人女性と知り合い、恋仲となる[2]。早々にこの女性との結婚を決意し、2001年に日本へ帰国[2]。2006年頃、両親は猛反対したが意を曲げずこの女性と婚姻した[2]。
382:名乗る程の者ではござらん
14/12/08 20:38:12.32 .net
朝日姫が美形でがっかり
383:名乗る程の者ではござらん
14/12/08 20:45:36.82 .net
他のドラマでは朝日(旭)がブスで盛り上がっているのにねw
384:名乗る程の者ではござらん
14/12/08 22:48:03.69 .net
他人下げしないと成立しない主役ってのもなぁ・・・
385:名乗る程の者ではござらん
14/12/09 07:47:34.85 .net
今川氏真の暗愚さを描き、氏真をsage
武田勝頼におふうを処刑させ、勝頼をsage
信康に旅の僧侶を殺させ、信康をsage
信長のせいで信康が自害したことにし、信長をsage
石田三成に木の実を殺させ、三成をsage
豊臣秀頼におみつを犯させ、秀頼をsage
築山殿が大賀弥四郎と密通したことにし、築山殿をsage
家康「(中山道の)進軍はゆるりとな」
秀忠がsageられないようにした
386:名乗る程の者ではござらん
14/12/09 11:54:43.03 .net
自力での領土拡張度
秀吉>信長>>>家康
387:名乗る程の者ではござらん
14/12/09 12:04:26.03 .net
北政所が東軍寄りだったというのは間違え
①北政所周辺に西軍関係者が多い
三成の娘(辰姫)が養女になっている
側近の東殿は大谷吉継の母である
一説には小西行長の母ワクサ(洗礼名:マグダレーナ)も側近である
②西軍寄りと見られる行動を取っている
側近の孝蔵主が大津城開城の交渉にあたっている
甥である木下家の兄弟(小早川秀秋の兄弟)の多くが西軍として参加し領地を没収されている
③東軍諸将との関係が薄い
『梵舜日記』(『舜旧記』)に高台院の大坂退去から関ヶ原の戦いの数年後まで高台院と正則らが面会したという記録が無い。
388:名乗る程の者ではござらん
14/12/09 17:33:33.45 .net
今の若い人にとっては夏目雅子さんは「伝説の美女」だそうだ
389:名乗る程の者ではござらん
14/12/09 18:26:27.38 .net
まだプッツンしていない石原真理子が見れる作品
390:名乗る程の者ではござらん
14/12/09 19:02:06.51 .net
>>378-379
「いやぁ、アレはひどかった」関ヶ原(TBS)
「御器量芳しからず」葵徳川三代(NHK大河)
391:名乗る程の者ではござらん
14/12/09 19:30:52.55 .net
朝日はブスに描いたほうがドラマは盛り上がるものだ
392:名乗る程の者ではござらん
14/12/10 07:23:46.49 .net
>>385
全盛期の石原真理子だね
393:名乗る程の者ではござらん
14/12/10 19:00:36.38 .net
ピン子がどうしたって?
394:名乗る程の者ではござらん
14/12/10 21:34:36.20 .net
>>376
勝頼役は藤堂新二さん
395:名乗る程の者ではござらん
14/12/10 21:37:08.19 .net
>>376
武田勝頼:藤堂新二
396:名乗る程の者ではござらん
14/12/10 21:54:37.91 .net
>>389
朝日姫はブスのほうがドラマが盛り上がるって話
397:名乗る程の者ではござらん
14/12/10 22:02:30.58 .net
大河の秀吉の朝日姫は細川直美だったな。歴代で一番綺麗だったんじゃないか。
398:名乗る程の者ではござらん
14/12/11 21:08:35.18 .net
滝田栄セリフ早口すぎワロタ。しかもところどころ噛んでるしwww
「真田太平記」の遥くららも早口だったけど当時は早口セリフが流行ってたのかね?
399:名乗る程の者ではござらん
14/12/12 01:40:07.00 .net
春日局(大河)も早口
400:名乗る程の者ではござらん
14/12/12 06:02:08.11 .net
>>394 『徳川家康』は原作が分厚過ぎるから、なんとか本編にいろいろ入れようとして 早口になっちゃったんだと思う
402:名乗る程の者ではござらん
14/12/12 13:37:45.91 .net
非現実的・観念的セリフが多いからな、原作は
403:名乗る程の者ではござらん
14/12/12 21:04:26.71 .net
ナレーション無双でもあるしな
404:名乗る程の者ではござらん
14/12/12 22:38:53.36 .net
清洲会議とか賤ヶ岳なんてのは秀吉の話なんだからそれこそナレーションか家臣の報告で済ませて
関東での駆け引き描けよといいたい
まぁそうゆう反省から独眼竜とか葵徳川という良作が登場したんだろうけど
405:名無しさん@そうだ選挙に行こう
14/12/14 14:03:53.68 .net
松平広忠情けないなー
406:名無しさん@そうだ選挙に行こう
14/12/14 16:33:30.38 .net
松平広忠の暗愚さを描き、松平広忠をsage
今川の雑兵の乱捕りを描き、今川家をsage
407:名無しさん@そうだ選挙に行こう
14/12/14 17:55:14.25 .net
松平竹千代、駿府の今川館にて堂々と立小便す
408:名無しさん@そうだ選挙に行こう
14/12/14 18:23:27.60 .net
しかし平手切腹のあたりは、まるで信長が主人公
409:名無しさん@そうだ選挙に行こう
14/12/14 18:44:56.15 .net
語り:館野直光アナウンサー「氏真がもて遊んで捨てた女(瀬奈)」w
410:名乗る程の者ではござらん
14/12/15 05:18:30.90 .net
>>403
山岡の「織田信長」は、徳川家康の信長のエピソードを切り取って加筆したもの。
411:名乗る程の者ではござらん
14/12/15 05:48:17.77 .net
>>404
あの設定はないよなと思った。
412:名乗る程の者ではござらん
14/12/17 08:40:54.52 .net
今川氏真がもて遊んで捨てた瀬名(築山殿)が主役の正室というのは、ちょっと…
413:更新
14/12/17 15:11:22.56 .net
今川氏真の暗愚さを描き、氏真をsage
武田勝頼におふうを処刑させ、勝頼をsage
信康に旅の僧侶を殺させ、信康をsage
信長のせいで信康が自害したことにし、信長をsage
石田三成に木の実を殺させ、三成をsage
豊臣秀頼におみつを犯させ、秀頼をsage
築山殿が大賀弥四郎と密通したことにし、築山殿をsage
松平広忠の暗愚さを描き、松平広忠をsage
今川の雑兵の乱捕りを描き、今川家をsage
家康「(中山道の)進軍はゆるりとな」
秀忠がsageられないようにした
414:名乗る程の者ではござらん
14/12/17 15:14:57.87 .net
池上季実子さんの妖艶さは強烈
415:名乗る程の者ではござらん
14/12/17 15:49:21.01 .net
随風(のちの天海)の名言「事のならざるが却って慈悲」
416:名乗る程の者ではござらん
14/12/17 15:56:50.25 .net
大賀弥四郎
山岡荘八の『徳川家康』などのフィクションでは、築山殿とも共謀して武田勝頼に内通していたように描かれているものもあるが、史料の裏づけはない。
417:名乗る程の者ではござらん
14/12/17 16:07:56.01 .net
『徳川実記』によると、初めは徳川家康の中間だったが、
算術に長じていたため会計租税の職に試用された後、
三河国奥郡20余郷の代官に抜擢された。
普段は家康の居する浜松にありながら、
ときどき岡崎にいる嫡男松平信康の用も務めるようになり、
両者の信任を得て権勢並びなき者となり増長した。
しかし、家康の家臣近藤某が領地を加増されたとき、
大賀弥四郎が自分のとりなしによるものだと言ったため、
近藤は大賀に追従してまで加増されたくはないと返上を申し出でた。
このことがきっかけで、家康が大賀の日頃の悪行を耳にすることとなり、
大賀は捕らわれて家財を没収された。
すると、大賀が小谷甚左衛門・倉知平左衛門・山田八蔵と共謀し、
岡崎城を乗っ取って武田勝頼を手引きすることを書いた、武田方への書簡が発見された。
山田八蔵も変心して信康に訴え出たため、大賀は馬に乗せられて浜松城下を引き回され、妻子五人がはりつけにされたのを見せられた後、
岡崎で土に埋められ首を通行人に竹鋸で引かれ、七日後に死亡した。なお、小谷は甲州へ逃れ、倉知は討ち取られ、山田は千石を加増されたという。この事件の翌年に、勝頼が徳川方へ侵攻した長篠の戦いが起こっている。
『三河物語』では、上記のエピソードの他に、大賀の讒言によって家康と信康の間が険悪になったとも記されている。
418:名乗る程の者ではござらん
14/12/17 16:26:12.26 .net
岡崎三郎(信康)
現在では一般的には松平 信康と表記されるが、父の家康は信康の元服以前の永禄9年(1566年)に既に徳川に改姓しているため、生前は徳川 信康と名乗っていたということになる。
しかし、江戸時代に入ってから江戸幕府が「徳川」姓は将軍家と御三家のみに限るという方針をとったため、信康は死後になって「松平 信康」に格下げされたという。
419:名乗る程の者ではござらん
14/12/17 17:02:17.42 .net
築山殿
「生得悪質、嫉妬深き御人也」(『玉輿記』)。
「無数の悪質、嫉妬深き婦人也」(『柳営婦人伝』)。
「其心、偏僻邪佞にして嫉妬の害甚し」(『武徳編年集成』)。
「凶悍にてもの妬み深くましまし」(『改正三河後風土記』)。
『改正三河後風土記』では唐人医師の減敬と密通していたとされており、その有様は古代の道鏡・称徳天皇に匹敵するとされている。
420:名乗る程の者ではござらん
14/12/17 17:48:55.66 .net
信康に小侍従を斬らせ、信康をsage
421:名乗る程の者ではござらん
14/12/17 17:52:57.37 .net
キャステイングエピソード
徳川家康 当初は小柄で丸顔、やや小太りという従来のイメージのもとキャスティング選考が行われた。
リストアップされたのは緒形拳、松平健、中村梅之助、江守徹。
しかしながら、前者三人は前年度の大河『峠の群像』に出演しているため見送り、江守もスケジュールや家康の16歳時からの出演という条件には無理があり、こちらも実現出来なかった。
代わってスタッフ間に浮上してきたのが「なにも家康のそっくりショーをやるわけではない。われわれの手で新しい家康像を作り出そうではないか」という声で、30代前半の俳優に的を絞り、実力本位で選考した結果、滝田栄に決定。
かくて長身で面長、「最も家康に似ていない俳優」が家康役に決定した。なお、候補の1人だった中村梅之助は2年後の
422:NHK大型時代劇『真田太平記』で家康を演じている。
423:名乗る程の者ではござらん
14/12/17 17:58:04.16 .net
豊臣秀吉 脚本担当の小山内美江子の強い希望により武田鉄矢に秀吉役が配された。武田は『おんな太閤記』の時にも秀吉役の最有力候補だったが、当時はTBS『3年B組金八先生』第2シリーズ出演中だったため実現しなかった。
424:名乗る程の者ではござらん
14/12/17 18:35:17.99 .net
この時代の大河は俳優たちが一生懸命演じている
425:名乗る程の者ではござらん
14/12/17 18:43:10.50 .net
奥平九八郎「この乱世で一番強いは武田勢と言われてござる。二番目が三河勢だそうな。
此度の戦はその誤りを正す絶好の機会と存ずる」
426:名乗る程の者ではござらん
14/12/17 19:52:36.42 .net
独り言を書いて楽しい?
427:名乗る程の者ではござらん
14/12/17 20:27:55.60 .net
織田信長 「最後の時代劇大河」になるかも知れない、ということで有終の美を飾らんと番組のヒットを祈念するスタッフは信長役には大物俳優の起用を切望していた。
その第一候補は当時の大人気歌手沢田研二である。この出演依頼に沢田も所属事務所の渡辺プロダクションも大乗り気。
早速スケジュールの調整が行われたが沢田の予定は既に先の先まで埋まっており、拘束時間の長い時代劇大河の入り込む余地は殆んど無く、「出演不可能」の結論が出されたのは配役発表の一週間前。
トップ演出の大原誠はじめスタッフは急遽大物スターの起用を諦め、新人採用の方針に転換。
時任三郎などが候補に挙がったが、最終的に端役ながら大河ドラマ出演の経験もあり、3年前に連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』でヒロインの夫の西城亮平役の滝田とも共演済みで、
NHKスタッフには既にその実力が認知されていた無名塾所属の役所広司に決定。
放送後、NHKには問い合わせの電話が殺到、評判となった。送られてきたファンレターも番組出演者中最大量。「役所君の持つ、精悍さの中にある優しい瞳に我々は賭けたのだ」というスタッフの意気に応えた。
428:名乗る程の者ではござらん
14/12/17 20:34:00.84 .net
撮影エピソード
ドラマの戦闘シーンのロケは富士山麓と御殿場市で10日間かけて撮影された。
兵士役はエキストラを招集し東京からバスでロケ地へ送迎していたが、
撮影3日目に東名高速道路で起きた事故の影響で足止めに遭い、撮影の遅れが懸念された。
やむを得ずチーフプロデューサーの澁谷康生をはじめ現場のスタッフ20名が衣装をつけ雑兵役に扮して撮影に臨み、
6時間遅れでエキストラを乗せたバスが到着するまで、撮れることが可能なシーンを撮影して急場を凌いだ。
429:名乗る程の者ではござらん
14/12/18 11:43:29.93 .net
大河ドラマ「徳川家康」は山岡荘八氏の「徳川家康」。
原作は全26巻、総ページ数約10000ページと言う大著です。
それゆえに原作通りにドラマを作ったのでは1年や2年の枠では入り切らず、エピソードを削らざるを得ません。
大河ドラマの原作は司馬遼太郎や堺屋太一など様々な歴史作家が書いていますが、ここまでのボリュームの原作は存在しません。
ただし、山岡荘八氏の「徳川家康」の初版刊行は昭和31年(1956年)。
家康への研究そのものが進んでいなかった事もあって、山岡氏の著作自体にも創作が見られるし、歴史的な矛盾点も存在します(ドラマもその点は基本的に踏襲されている)。
430:名乗る程の者ではござらん
14/12/18 19:49:24.13 .net
>エピソードを削らざるを得ません。
信長や秀吉のエピソードを削ってリメイクして欲しい
431:名乗る程の者ではござらん
14/12/18 22:49:57.93 .net
やるなら良い原作に基づいてリメイクしてほしい。
昔と今では研究結果とか解釈もだいぶ違うだろうから。
432:更新
14/12/19 09:50:13.29 .net
>>415
今川氏真の暗愚さを描き、氏真をsage
武田勝頼におふうを処刑させ、勝頼をsage
信康に旅の僧侶を殺させ、信康をsage
信康に小侍従を斬らせ、信康をsage
信長のせいで信康が自害したことにし、信長をsage
石田三成に木の実を殺させ、三成をsage
豊臣秀頼におみつを犯させ、秀頼をsage
築山殿が大賀弥四郎と密通したことにし、築山殿をsage
松平広忠の暗愚さを描き、松平広忠をsage
今川の雑兵の乱捕りを描き、今川家をsage
家康「(中山道の)進軍はゆるりとな」
秀忠がsageられないようにした
433:名乗る程の者ではござらん
14/12/19 12:59:42.03 .net
徳川の負けイクサ:第1次上田合戦、第2次上田合戦なんかも正直に描けばいいのに。
『葵徳川三代』は逃げずに負けイクサをしっかり描いた。
434:名乗る程の者ではござらん
14/12/19 15:50:17.73 .net
【話題】「織田信長」役がもっとも似合う俳優といえば? 1位は小栗旬、2位は反町隆史★2(c)2ch.net
スレリンク(mnewsplus板)
●1位/小栗旬(『信長協奏曲』/2014年)……12.8%
○2位/反町隆史(『利家とまつ~加賀百万石物語~』/2002年)……10.0%
●3位/及川光博(『信長のシェフ』/2013年)……8.9%
○4位/渡辺謙(『織田信長』/1989年)……7.2%
●5位/渡哲也(『秀吉』/1996年)……6.7%
○6位/江口洋介(『軍師官兵衛』/2014年)……6.1%
●7位/木村拓哉(『織田信長 天下を取ったバカ』/1998年)……5.6%
○7位/豊川悦司(『江~姫たちの戦国~』/2011年)……5.6%
●9位/役所広司(『徳川家康』/1983年)……5.0%
○10位/緒形直人(『信長 KING OF ZIPANGU』/1992年)……3.3%
●10位/伊藤英明(『国盗り物語』/2005年)……3.3%
※単一回答式・12位以下は省略
URLリンク(woman.mynavi.jp)
435:名乗る程の者ではござらん
14/12/19 17:51:13.63 .net
>>428
戦国自衛隊で織田信長役やった鹿賀丈史が入ってないんだな
436:名乗る程の者ではござらん
14/12/20 16:34:26.06 ut5KTxO6.net
>>428
高橋幸治が入っていない時点で、全く信憑性無い。
437:名乗る程の者ではござらん
14/12/20 16:52:51.20 .net
若い人は高橋幸治知らんよ どうしようもない。
438:430
14/12/20 17:07:20.93 ut5KTxO6.net
>>431
リンクにあるスレ及びその前スレを見ると、圧倒的に高橋幸治が無いのはおかしいとの話題になっているよ。
これを見ると、アンケート先の”働く女性”の程度が知れる。
ひょっとしたら、今安部内閣が進めている女性の社会進出に反対するため、「こんなアホな結果を出す連中にやっぱり大切な仕事は任せられない」と社会に印象づけさせるための陰謀かも。
439:名乗る程の者ではござらん
14/12/20 17:50:36.95 .net
いや、だって、幸治知ってる世代で現在「働く女性(フルタイムのことだろ?多分)」やってる女なんてなかなかいないから
440:名乗る程の者ではござらん
14/12/20 18:16:44.41 .net
だな
441:名乗る程の者ではござらん
14/12/20 18:18:23.58 .net
>>426
三成に秀次の妻子を処刑させ、三成をsage
442:名乗る程の者ではござらん
14/12/20 19:13:07.09 .net
>>426
ウザ
443:430
14/12/20 19:13:23.39 ut5KTxO6.net
>>433
黄金の日日なら、最近CSでもやっていたけど、40代後半以上なら地上波でも見るチャンスは有ったと思う。
まあ、高橋幸治を知っているかどうかは、ともかく、アレを1位にする位だから、史実(業績や肖像画など)上の織田信長を知らず、マンガとテレビだけで判断する、何れにしても「アホな結果を出す連中」と言えるのではないかな?
444:更新
14/12/20 19:16:06.75 .net
今川氏真の暗愚さを描き、氏真をsage
武田勝頼におふうを処刑させ、勝頼をsage
信康に旅の僧侶を殺させ、信康をsage
信康に小侍従を斬らせ、信康をsage
信長のせいで信康が自害したことにし、信長をsage
石田三成に木の実を殺させ、三成をsage
三成に秀次の妻子を処刑させ、三成をsage
豊臣秀頼におみつを犯させ、秀頼をsage
築山殿が大賀弥四郎と密通したことにし、築山殿をsage
松平広忠の暗愚さを描き、松平広忠をsage
今川の雑兵の乱捕りを描き、今川家をsage
家康「(中山道の)進軍はゆるりとな」
秀忠がsageられないようにした
445:名乗る程の者ではござらん
14/12/20 19:24:21.47 .net
380 :名乗る程の者ではござらん:2014/12/08(月) 22:48:03.69 ID:???
他人下げしないと成立しない主役ってのもなぁ・・・
446:名乗る程の者ではござらん
14/12/20 19:53:59.30 .net
語り「金沢の前田家に対し当主利長の母・おま
447:つを江戸に差し出すようにと 家康からの命令が届いていた」 前田利政「あまりといえば、あまりに無法な内府が申しじょう。 一大名が自分の領地に他の大名の人質をおさめさせた例は全くございませぬぞ」
448:名乗る程の者ではござらん
14/12/20 22:54:35.77 .net
>>438
その面子の中で一番下げられているのは信康だと思う
「これでもか、これでもか」と下げられた信康…
449:名乗る程の者ではござらん
14/12/20 23:52:05.04 .net
秀頼の遺児国松の処刑を秀忠の裁断とし、秀忠をsageた
450:名乗る程の者ではござらん
14/12/21 00:08:01.17 .net
秀頼自害を井伊直孝の責任とし、井伊直孝をsageた
451:名乗る程の者ではござらん
14/12/21 00:35:29.89 Tqz5aK5x.net
>>419
武田は、長篠城を落とせず、鳶ノ巣山を襲われ、設楽が原で殲滅される。
確かに誤りを正した。
452:名乗る程の者ではござらん
14/12/21 00:39:46.15 .net
秀頼自害も国松処刑も家康が決めたこと。
井伊直孝と秀忠が気の毒。
453:名乗る程の者ではござらん
14/12/21 09:36:56.14 .net
キチガイの独り言連投がキモすぎる件
454:名乗る程の者ではござらん
14/12/21 11:01:56.99 .net
今川氏真の暗愚さを描き、氏真をsage
武田勝頼におふうを処刑させ、勝頼をsage
信康に旅の僧侶を殺させ、信康をsage
信康に小侍従を斬らせ、信康をsage
信長のせいで信康が自害したことにし、信長をsage
石田三成に木の実を殺させ、三成をsage
三成に秀次の妻子を処刑させ、三成をsage
豊臣秀頼におみつを犯させ、秀頼をsage
築山殿が大賀弥四郎と密通したことにし、築山殿をsage
松平広忠の暗愚さを描き、松平広忠をsage
今川の雑兵の乱捕りを描き、今川家をsage
秀頼の遺児国松の処刑を秀忠の裁断とし、秀忠をsage
秀頼自害を井伊直孝の責任とし、井伊直孝をsage
455:名乗る程の者ではござらん
14/12/21 12:27:16.00 .net
松平忠輝は次兄の結城秀康と同じように、父親から生涯を通じて嫌われた。
その理由は、忠輝同様に母親の身分が低かった秀康とほぼ重なるが、とりわけ忠輝については、その容貌を嫌ったという記録が多い。
「藩翰譜」は「世に伝ふるは介殿(忠輝)生れ給ひし時、徳川殿(家康)御覧じけるに色きわめて黒く、まじなりさかさまに裂けて恐しげなれば憎ませ給ひて捨てよと仰せあり」、
と伝える。
つまり、家康は生まれたばかりの新生児である忠輝の顔が醜いという理由だけで、捨て子扱いしたのである。
456:名乗る程の者ではござらん
14/12/21 14:14:04.01 .net
天正二十年(1592年)の1月4日、徳川家康の6男・松平忠輝が誕生しました。
家康の息子なのに苗字が違うあたりでもうなんとなく見当がつくかもしれませんが、この人は父親に理不尽な嫌われ方をされ続けています。
その理由が「生母の身分が低いから」とか「顔が醜かったから」など、とても人の親がする言い訳とは思えないものばかり。
身分の低い女性がイヤなら手をつけなければいい話ですよねえ。
家康という人は何故か子供の顔に異常なほどこだわりがあったようで、忠輝の異母兄である結城秀康も「顔が魚っぽいからヤダ」というそれこそ子供のワガママのような理由で冷遇し続けています。
457:名乗る程の者ではござらん
14/12/21 18:46:46.21 .net
次男も六男も身分とか顔以外の理由があったのかもね
458:名乗る程の者ではござらん
14/12/25 12:58:15.42 .net
6歳 今川の人質になる・・・はずが織田家へ
8歳 やっと駿府へ
14歳 元服して元信
16歳 元康に改名、瀬名姫と結婚
18歳 信康誕生
20歳 独立
459:名乗る程の者ではござらん
14/12/28 14:38:56.68 .net
家康の三大危機のうち、三方ヶ原の戦い、伊賀越えは上手く描かれているけど
三河一向一揆は手抜き
460:名乗る程の者ではござらん
14/12/28 17:50:48.00 .net
三方ヶ原に家康が率いた兵は8千(&織田援軍3千)
諸城の守りに3千を配備
計1万1千
1万石あたり250人動員として
44万石
461:名乗る程の者ではござらん
14/12/29 02:45:20.48 .net
「語り無双」が目立つドラマですね。
462:名乗る程の者ではござらん
14/12/29 21:59:02.64 .net
珍説
信康は今川氏真の子だった
463:名乗る程の者ではござらん
14/12/29 22:28:31.15 l+OHB2sg.net
大賀弥四郎ネタで引っ張り杉
464:名乗る程の者ではござらん
14/12/30 01:06:41.40 .net
築山殿は、今川義元の妹の夫である上ノ郷城城主・鵜殿長照の2人の遺児との人質交換によって、
駿府の今川館から子供たちと共に家康の根拠地である岡崎に移った。
しかし、岡崎城に入ることは許されず、岡崎城の外れにある菅生川のほとりの惣持尼寺で、
幽閉同然の生活を強いられたという。
永禄10年(1567年)、信康と織田信長の長女徳姫が結婚する。しかし、築山殿は依然として城外に住まわされたままであった。
465:名乗る程の者ではござらん
14/12/30 03:53:24.25 .net
榊原康政はほんのちょっとしか出てこないのな
466:名乗る程の者ではござらん
14/12/30 04:55:24.69 .net
>>457
雪斎による織田信広と竹千代の人質交換に学んでるな。
467:名乗る程の者ではござらん
14/12/30 13:52:03.19 .net
まったりsage進行
468:名乗る程の者ではござらん
14/12/30 15:10:17.52 .net
伊賀越え
堺を経って四日間、全長三〇〇キロの強行軍であった。
469:名乗る程の者ではござらん
14/12/30 15:54:36.80 .net
ねねが漫画家だったとは知らなかったな
470:名乗る程の者ではござらん
14/12/31 12:04:54.41 cSrzbruo.net
>>461
これでは、浅井長政の三女は一緒じゃなかった?
大の大人、しかも戦国武将でも大変だろうけど、9歳の童女に4日間、全長300キロの強行軍は大変だっただろうね。
471:名乗る程の者ではござらん
14/12/31 17:00:35.51 .net
そもそもあの時浅井三女が境にいるわけ無いし
472:名乗る程の者ではござらん
15/01/01 19:12:18.34 UKyt3P0G.net
浅井三女は、堺どころか、その直前、本能寺に居たんでしょ?
473:名乗る程の者ではござらん
15/01/03 08:01:54.93 iQWFt+MS.net
みんなシエのトラウマから抜けられないんだな
474:名乗る程の者ではござらん
15/01/03 17:04:36.47 .net
♪おー、おー! おー、おー!(おっさんの声)…♪ とかゆうお経みたいなBGMダサ杉w
475:名乗る程の者ではござらん
15/01/03 23:19:38.62 .net
960 :日曜8時の名無しさん:2015/01/02(金) 08:38:25.17 ID:/Wm4ABOM
徳川は秀吉との戦に備えて武田の残党を大量に召し抱えてるからな
やたらと武田↑はその所為もある
476:名乗る程の者ではござらん
15/01/20 05:21:56.29 .net
人質関連年齢差
当主他 織田→今川移送時の年齢
1534年 織田信長 +9 17
1538年 今川氏真 +5 13
1543年 徳川家康 8
1545年 北条氏規 -2. 6
付き従った家臣
1527年 酒井忠次 +16 24
1533年 石川数正 +10 18
1539年 鳥居元忠 +4. 12
1542年 平岩親吉 +1 9
1548年 本多忠勝 -5 4 ただし駿府へは10歳のときとのこと
477:名乗る程の者ではござらん
15/01/21 07:53:19.61 .net
家康は、使えた主君は死ぬまで裏切らいと本に書かれてたけど確かに義元、信長、秀吉には死ぬまで裏切らかったね。
家康は義元が死んでから氏真にも、弔い合戦を勧めているし。
氏真が、へたれだから信長についたんだし。
秀頼については、さすがに天下の欲望に勝てなかったんだろうな。
478:名乗る程の者ではござらん
15/01/21 08:20:18.11 .net
氏真については義元死後すぐに裏切ってると思ったが
あと氏真は義元のかたき討ちをしたいという手紙もあったはず
家内の大半の重臣が死んで領内の混乱ももあり断念したようだけど
479:名乗る程の者ではござらん
15/01/21 08:25:57.56 .net
子供の頃から長いこと見てた相手だから見限るにしてもさっさとできたのも当然なんじゃないかね
ああやっぱりこいつは駄目だと
氏真に勧めたというのもその辺のチェックテストみたいなもので
混乱した今川家内を即座まとめられなかった時点で新当主落第という
ただ義元がでかすぎたというのもあるけど
そんな駄目人間をまさかその後ずっと相手するはめになるとは
思ってなかっただろうが
480:名乗る程の者ではござらん
15/01/22 10:41:13.92 .net
本多忠勝愛用の名槍・蜻蛉切が11年ぶり展示 佐野美術館で2月15日まで
ねとらぼ 1月11日(日)13時9分配信
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
481:名乗る程の者ではござらん
15/01/23 02:11:23.04 .net
信康の子供が二人とも女の子で良かったよね
男だったら面倒なことになっていた
482:名乗る程の者ではござらん
15/01/23 04:55:23.76 .net
幼名を於義伊(於義丸/義伊丸/義伊松)と名づけられた秀康は、父・家康に嫌われ、
満3歳になるまで対面を果たせなかった。
その対面も、あまりの冷遇に異母弟を不憫に思った兄・信康による取りなしで実現したものであったという。
冷遇の理由は双子で生まれてきたことにあるともされる。当時双子での出生は「畜生腹」と言われ、忌み嫌われていた。
483:名乗る程の者ではござらん
15/01/23 11:50:58.99 YPYTrjrZ.net
い・・・家康が2人!?
まさか影武者か!? と思ったら片っぽは大久保長安だった。。
て、古いボケスマソ。言ってみたかっただけですんで。。
484:名乗る程の者ではござらん
15/01/23 23:07:13.04 yhGBfoEe.net
>>475
秀康さんは、嫌われてお兄さん亡き後の長子なのに家を継げなくて可哀想だけど、大大名になって子孫も繁栄したからまだマシ。
もっと可哀想なのは、死んだことにされ、知立(池鯉鮒)で息を潜めて生活しひっそり死んでいった双子の弟さんの方だね。
信康さんも、もう一人の弟までは気がつかなかったのかな?
485:名乗る程の者ではござらん
15/01/24 00:07:54.35 .net
>>477
晩年片足が不自由だったらしいけど
神職ってそんなに不遇な訳じゃないでしょ?永見貞愛
486:名乗る程の者ではござらん
15/01/24 03:15:34.42 .net
永見 貞愛(ながみ さだちか、天正2年2月8日(1574年3月1日) - 慶長9年11月16日(1605年1月5日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の人物。
徳川家康の次男・結城秀康の双子の兄弟といわれる。
当時は「犬畜生と同じ双子腹」が忌み嫌われていたため家康から実子として認められず、彼は夭折したことにして、
母(長勝院)の実家である永見家に預けられ、そこでそのまま育った。
永見氏の一人として育った貞愛は、知立神社の神職を伯父の永見貞親から譲り受けたが、慶長9年11月16日に死去。享年31。
子女はいなかったといい、妻の姓名も不詳だが、晩年に足が不自由になっていたと伝わる。
487:石川数正出奔の理由
15/01/24 05:47:14.08 .net
秀吉との外交を担当していたが、次第に秀吉の器量に惚れ込んで自ら秀吉に投降したという説。
秀吉との外交を担当していたが、秀吉得意の恩賞による篭絡に乗せられたとする説。
秀吉との外交を担当していたが、対秀吉強硬派である本多忠勝らが数正が秀吉と内通していると猜疑し、数正の徳川家中における立場が著しく悪化したためという説。
信康の後見人を務めていたため、天正7年(1579年)の信康切腹事件を契機に家康と不仲になっていたという説。
信康切腹後、徳川家の実権が数正を筆頭とする岡崎衆(信康派)から酒井忠次ら浜松衆(家康派)に移ったため、数正は徳川家中で立場がなくなったという説。
父・康正が家康と敵対して失脚すると、家康の縁戚である叔父・家成が石川氏の嫡流とされ、数正はその功績にも関わらず父の一件ゆえに傍流に甘んじざるを得なかったからとする説。