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【米国研究所立ち上げを託された留学帰りの所長(部長級)の車と進路】
1990年代に入り、製薬各社は研究所の拡充を急ぎます。また、他産業は海外に進出し
利益を上げ法人税を国内に還流させましたが、製薬は日本の産業構造の問題があり
未だ外貨を十分に稼ぐ産業となっていませんでした。それらの整備のために、私の勤務して
いた製薬も米国研究所の設立に動きます。
この時入社してその任に当たったのが、私より20歳近く年上で東大薬卒(院修?)の
〇〇(姓失念)先生です。この先生は30歳(35歳?)を超えてから会社を退職し米国に
渡ったとのこと。同じ東大薬の>>33の①先輩も「〇〇先生すごいよね。30過ぎてから会社
辞めて留学するなんて考えられない」と驚きとともに称賛していました。
1か月に1週間程度米国に滞在し、米国研究所の設立準備をする。帰国後は24時間入退館
可能な筑波研究所に寝袋を持ち込んで時差を調整しながら深夜に実験をしている。研究所
の組織は色々変わったので詳細は記憶にありませんが、創薬薬理研究の所長(部長級)
だったと記憶しています。通常社内から昇格した所長は「△△さん」と「さん」付けで
呼びますが、この所長のことはみな「〇〇先生」と呼んでいました。
退社時には車が公道に出るところで数珠つなぎになります。この先生の車の後についた
ところ、トランクグリッドのところに1円玉くらいのサビが未処置。帰国後に購入したと
強く推測される10年落ち程度の中古のマークIIグランデ(フル装備