ジュニアアイドルで抜いたらageるスレ95at GEINOJ
ジュニアアイドルで抜いたらageるスレ95 - 暇つぶし2ch593:名無しさん@お腹いっぱい。
21/06/12 00:27:27.86 931UsYb7.net
皐月賞とダービーの尋常ではない勝ちっぷりから史上最強馬の声も出始め、三冠達成、兄・ビワハヤヒデとの現役最強の座を賭けた対決への期待が高まっていった。ビワハヤヒデは皐月賞の1週間後に天皇賞(春)を1馬身1/4差で優勝し、ダービーの2週間後に宝塚記念を5馬身差で勝っており、しかも道中先行して4コーナーで先頭に立って押し切るというブライアンにそっくりな勝ち方をしていて、1994年の春競馬を兄弟で席巻していたのである。
4歳の夏~立ち込める暗雲
ダービー後のナリタブライアンは避暑のために札幌・函館競馬場へ移送(通常ならば出走しない競走馬の競馬場滞在は許されないが、ナリタブライアンは実績が考慮されて特例で許可された)
しかし、全国的に深刻な米不足を招いた前年1993年の冷夏とは一転してこの1994年の夏は酷暑となる。それは北海道も例外ではなく、ナリタブライアンは夏負けで体調を崩してしまい、一時期は陣営が菊花賞回避を考えるほどに状態が悪化していた。
これが原因となって調整が遅れてしまい、ナリタブライアンは秋緒戦の京都新聞杯(GⅡ)でスターマンにまさかの差し切り勝ちを許してしまう。
さらに菊花賞の1週間前に行われた天皇賞(秋)で、兄のビワハヤヒデがレース中に故障発生となり、同レースを5着に敗北した。屈腱炎を発症していたビワハヤヒデはそのまま引退し、有馬での夢の兄弟対決は幻となってしまった。
ミスターシービーのように秋初戦で大敗した後、体調を立て直して三冠に輝いた例もあるが、タニノムーティエのようにもはや立て直しもままならず惨敗した例もある。また1992年のミホノブルボンのように、京都芝3000mのスペシャリストのライスシャワーに阻まれたという例もある。過去に何頭もの二冠馬が挑戦を前に挫折し、また挑んでは敗れた菊花賞。三冠馬になるには絶対的な能力だけでなく、当日の体調、そして運も必要である。ナリタブライアンの能力を以ってしても三冠の壁は厚いのか、それとも……僅かな不安を抱えたまま、1994年11月6日を迎えることになる。
菊花賞から有馬記念~弟は大丈夫だ!
しかし、そんな不安はナリタブライアンにとって杞憂にすぎなかった。


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