西城秀樹を語ろう part40at GEINO西城秀樹を語ろう part40 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト800:通行人さん@無名タレント 18/12/19 12:39:03.23 6BuZNTIv0.net がっつり作業してたかな アルバム一作程度ですぐやめたし、角松敏生ともつづかなかった。 1990年の織田哲郎のからんだアルバムを最後にオリジナルアルバムの制作が止まったのは歌手西城秀樹の最大の謎。 秀樹本人が誰と組みたいという希望があったのかまで知らん。 秀樹は20代前半からカバーを量産しすぎだし、ファンがすぐに「オリジナルより秀樹の方がいい」と言い出すのが嫌だ。 オリジナルの秀樹の曲のよさは1978年頃まで。皮肉にもヤングマンのヒットが分岐点。 あとは、自分の出したいシングルが歌えないから、他人の曲で自分にあいそうな曲を歌ってお茶濁していたようにしかみえない。 801:通行人さん@無名タレント 18/12/19 12:55:09.70 6BuZNTIv0.net >>799 秀樹本人が小田や寺尾や達郎と組みたかったかどうかまでしらんが、歌手と作家陣の結びつけはディレクターの仕事で、当時の秀樹のスタッフにその発想がなかったことにあきれている。 桑名・達郎・マッチの担当は小杉で、小杉が歌謡ロックで松本・京平をつれてきたり、マッチと達郎の接点作った。 同じレコード会社なのにこの流れに全く便乗できてなかったのだから、もったいない。秀樹のスタッフが何考えてたのか知りたいね。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch