18/10/08 14:51:23.63 zMrc+RJB0.net
1980年以降になると阿久とコンビ組んでた都倉俊一も書かなくなったね。
いわゆるNM系のバンドで出てきたミッキー吉野、タケカワユキヒデ(ゴダイゴ)
桑田佳祐(サザン)、谷村新司(アリス)、原田真二らが職業作曲家として楽曲提供もするようになった時代。
筒美京平は松田聖子、中森明菜は手掛けなかったけど、マッチを手掛けつつ、
稲垣潤一を書いたりしていた。
松本隆が連れてきた人脈にインスピレーションをもらって、京平の方がNM系への
アプローチみたいなのをやるようになって、それが90年代の井上陽水や藤井フミヤ
につながる。
阿久悠は80年代にはまだ演歌を作詞してたけど、どういうわけだか拓郎以外のNM系の作曲家と組むってのをあまり好まなかったのかな。この辺で、松本隆と入れ替わったように思う。
秀樹の1980年は惜しかったという話だが、その年の最後に出したのがオフコースの
カバーだった「眠れぬ夜」で、これのおかげで80年代の秀樹が持ち直したと思ってた。
この路線は悪くなかったので、ここで小田和正にオリジナルを1曲頼むのも悪くなかったかなあ。あと、他の人の曲を提供するときの桑田佳祐の路線も結構好き。