滋賀・信楽駅のシンボル「大たぬき」 実はコンクリート製で21匹兄弟の長兄だった [少考さん★]at FEMNEWSPLUS
滋賀・信楽駅のシンボル「大たぬき」 実はコンクリート製で21匹兄弟の長兄だった [少考さん★] - 暇つぶし2ch1:少考さん ★
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滋賀・信楽駅のシンボル「大たぬき」 実はコンクリート製で21匹兄弟の長兄だった 休日に訪ねる - 産経ニュース
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2024/4/30 11:00
信楽駅2番ホームに並ぶ約100体のたぬきの置物 =滋賀県甲賀市
 閉鎖中の2番ホームには大小約100体のたぬきの置物、駅前には5メートルを超える大たぬき。信楽高原鉄道(信楽~貴生川間14・7キロ)の信楽駅(滋賀県甲賀市信楽町長野)は、日本六古窯のひとつ「信楽焼」を象徴するたぬきであふれている。陶器の町の玄関口としてこれ以上の演出はない。ただ、この演出は企画・計画されたものではなかった。鉄道の苦難と悲しい歴史があった。たぬきには、地元や鉄道員の思いが詰まっている。
コンクリート製
高さ5・3メートル、胴回り6・6メートルの「信楽駅前大たぬき」には兄弟が20体いた。
 「みんな知らんけど実はコンクリート製。商売として並のたぬきではなく、大きな、看板にもなるたぬきを作ろうとなった。仲間と有限会社を作り、計21体の大たぬきを作ったが、その第1号が駅前の大たぬきなんや」
藤原陶芸用品店(同)社長の藤原鷲男さん(85)が証言をしてくれた。
大たぬきは、4トンの粘土で原型を作り、型を取り、コンクリートを流し込んで作ったという。1体の制作に1年以上かかり、駅前の大たぬきが完成したのは昭和62年。記念の除幕式は63年4月2日に開かれた。
 国鉄信楽線(信楽~貴生川間)は昭和8年5月に開業。しかし、乗客減で40年代に廃線問題が持ち上がる。以降、長年にわたり反対運動が展開されるが、62年7月に廃止、第3セクター信楽高原鉄道として開業したばかりだった。
「第1号を寄贈すると信楽町(当時)に申し出ると、玄関口の駅前設置が決まった。鉄道の再出発を祝うのにぴったりだった」(藤原さん)
今、大たぬきは駅のシンボルとなっている。
精一杯の思い
「(信楽高原鉄道)事故後、使わなくなった2番ホームに職員がにぎやかしにたぬきを置き出した。聞きつけた業者の方がさらに置いてくれた。徐々にたぬきは増えていったのです」。同鉄道総務係長の神山(こおやま)敬介さん(51)が説明する。
事故とは、平成3年5月14日に発生したわが国の鉄道史に残る大惨事。(略)
※全文・画像はソースで。

※関連スレ
【滋賀】駅前大タヌキ 魔女にドロン 甲賀市・信楽駅[10/18]
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