23/11/26 21:01:40.43 vdsqj49T.net
11/26(日) 11:41配信
あなたの静岡新聞
戦乱を終結させて天下太平を築いた徳川家康は元和2(1616)年4月、波乱に満ちた75歳の生涯を閉じた。最期の地となった静岡県には、
死因にまつわる逸話や伝承が複数残る。天ぷらによる食あたり、持病、タカ狩り中の暗殺―。最晩年の姿を史料からひもとき、識者に解説を聞いた。
最晩年 少しずつ衰弱
亡くなる直前の家康はどのような状態だったのか。居城だった駿府城の跡地に建つ静岡市歴史博物館の広田浩治学芸課長(55)は「死去する前の3カ月、容体は一進一退だったが、
少しずつ衰弱していったと考えられる」と説明する。当時を伝える史料として知られるのは、家康側近の僧侶だった金地院崇伝の日記「本光国師日記」だ。
記述によると、家康は同年1月21日夜にタカ狩りで訪れた田中(現藤枝市)で発病した。腹痛や痰[たん]に見舞われ、「御虫」の記述から原因は寄生虫と考えられていたようだ。
「萬病圓[まんびょうえん]」「ぎんゑきたん」を服薬して回復し、25日には駿府に帰った。しかし、これを境に体調悪化の記述が増加。発熱や腹痛のほか、食が細くなっていく様子が読み取れる。
タイの天ぷら 真相は
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