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杵築(きつき)藩の侍医 綾部妥彰は38歳で脱藩、大坂で町医者
麻田剛立と名乗り、幼少期からの天体観測も続け後に私塾
先時館を開く。江戸時代後期 天文方は世襲であった為
高度な研究を行う人材は乏しく暦作りは不正確なままであった。
麻田の名は幕府にも知られ改暦作業への協力を依頼されたが既に59歳の
麻田は門弟の高橋至時(大坂定番後に天文方)と間重富(商人)を
推薦し江戸に下らせた。同時期に伊能忠敬も江戸に転居、
弟子入りしているので、高橋、間の江戸行きを知っていたのである。
(麻田と大坂枡屋の山片蟠桃(財政破綻した仙台藩を再建)は
交流があった為、商人である伊能は桝屋経由で大坂の情報を得て
いたという説がある。) (つづく)
伊能さんの登場や、彼は家督を譲るまで奥さんを三人とお子さんも亡くしてた事
ワシは無知で知らんかった。十数年に及ぶ測量の旅で
現地の神社仏閣への参拝を欠かさなかったのは安全祈願の他に
巡礼のような慰霊も兼ねてたんやろな。
よく「心よりお祈り申し上げます」言うお嬢様がおるが、居座りで
十数億円も浪費するような御人が上目から言ってもそら心に響かんて。