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明治天皇の皇子女
「昭憲皇太后 」(一条美子) (1849-1914)
子女無し
「葉室光子」(1853-1873)
稚瑞照彦尊 (1873・第一皇男子/第一子・「死産 」)
「橋本夏子」(1856-1873)
稚高依姫尊 (1873・第一皇女子/第二子・「死産 」)
「明治天皇」(第122代天皇)
梅宮薫子内親王 (1875-1876・第二皇女子/第三子・「夭折 」)
建宮敬仁親王 (1877-1878・第二皇男子/第四子・「夭折 」)
明宮嘉仁親王 (1879-1926・第三皇男子/第五子・大正天皇:第123代天皇)
「柳原愛子」(1855-1943)
滋宮韶子内親王 (1881-1883・第三皇女子/第六子・「夭折 」)
増宮章子内親王 (1883・第四皇女子/第七子・「夭折 」)
「千種任子」(1856-1944)
久宮静子内親王 (1886-1887・第五皇女子/第八子・「夭折 」)
昭宮猷仁親王 (1887-1888・第四皇男子/第九子・「夭折 」)
常宮昌子内親王 (1888-1940・第六皇女子/第十子)
周宮房子内親王 (1890-1974・第七皇女子/第十一子)
富美宮允子内親王 (1891-1933・第八皇女子/第十二子)
満宮輝仁親王 (1893-1894・第五皇男子/第十三子・「夭折 」)
泰宮聡子内親王 (1896-1978・第九皇女子/第十四子)
貞宮多喜子内親王 (1897-1899・第十皇女子/第十五子・「夭折」)
「園祥子」(1867-1947)
問題は明らかに遺伝子だな・・遺伝子に相当な問題がある
明らかに「男系遺伝子」に生物的問題ありだね
「男系皇統を守ろうとした近親相関」の結果だな
古代「欽明朝」の「推古」や「天智」「天武」あたりはみな近親相関
特に欽明朝は異常な近親相関が繰り返された
例えば「推古天皇」と「敏達天皇」は夫婦で兄弟
二人とも父親は「欽明」じゃなかったかな・・
例えば「天智」「天武」の兄弟なのに親子
天智の娘の「持統」が天武の嫁さん
ほんと欽明朝の近親相関は異常な世界
これが「日本会議や保守論客が守ろうと主張する男系皇統遺伝子」の実態
明治天皇は子女が15人出来て5人しか育たなかった
男子は「大正天皇」ひとりだけでやはり遺伝に問題あり
明治天皇の第1子と第2子は死産しかも側室も同時に亡くなってる
他の8人もほぼ1年内に亡くなって近代日本最高の皇室医療制度のなかで・・調べたら第一子の産婆はシーボルトの娘
何とか1人生き残った大正天皇も健常者ではなく脳障害があり平行バランスが取れなかった
その為昭和天皇が摂政として若くして統帥権を持つが結果は軍部に狙われる
確かに明らかに「皇室の男系遺伝子」に相当な生物的な問題が生じているのだろ
認知並びに判断機能が正確に行われていない可能性が否定できない
旧宮家皇族を復帰させても遺伝子の改善にならない
健康かつ優秀な遺伝子と掛け合わせるべきだ
出ないと天皇家は続かない・・だろう
美智子の遺伝子は必要だった
しかし小室の遺伝子は最悪だな・・