美智子資料庫 3at EMPEROR
美智子資料庫 3 - 暇つぶし2ch50:名無しさま
20/04/18 22:54:07.44 okKeHsB9.net
美智子さま 「姑には皇居から出て行って欲しい」と漏らして、珍しく「夫婦喧嘩」
上皇ご夫妻はとても仲の良いご夫婦であることにだれも異論はない。ほとんど喧嘩もないが、
一度だけ大喧嘩を目撃したことがある。それは、嫁姑合戦の延長戦であった。
平成から令和になり皇族方の大引っ越しが始まる。本来ならば高輪御用邸が空いているのだから、
上皇ご夫妻がそこを利用し、これまで使われていた御所に現天皇皇后両陛下が入り、
秋篠宮ご夫妻が旧東宮御所(現、赤坂御所)に入られれば問題なかった。
しかし、美智子さまが旧東宮御所へのお引越しを大変強く望まれたため、引っ越しはかなりアクロバティックになった。
第一の問題は旧東宮御所に上皇ご夫妻が入られる場合、秋篠宮家の行き場所がなくなってしまうのである。
皇嗣となる秋篠宮殿下にとって、これまで使われてきた宮邸のままでは明らかに狭い(職員が倍ほど増加)。
そのため新秋篠宮邸を新築する必要が生じた。この総額が50億円以上となる。
第二の問題は旧東宮御所の改修工事が終わるまで、上皇ご夫妻は高輪御用邸に一時引っ越しされるが、
この高輪御用邸が狭いのだ。引退された上皇ご夫妻に広大な家を必要ないかと思われるかもしれないが、
上皇職は減員されず60人のまま。上皇ご夫妻は引退後も、現役時と同等の生活を望まれているのだ。
そのため高輪御用邸の改修工事もかなり大規模なものになってしまった。
このアクロバティックな引っ越し作業は、まさに美智子さまの“ご希望”に沿った故に起きたもので、
総額100億円以上かかる見込みである。最もシンプルな引っ越し案が採用されたならば、
皇居と東宮御所の小規模な改修工事だけで済んだはずだったのだが…。
ところで上皇職の減員が見送られた折、上皇ご夫妻には、現在使われていない吹上大宮御所を改修して
そこに移っていただく案も出た。吹上大宮御所は、もともと昭和天皇の御所として使われていたもので、
崩御後は香淳皇后の住まいとしてそのまま使われていた。
だが美智子さまはこの案を断固拒否。嫁姑の拗れは20年もの時を経ても未だ色褪せないようだ。
もちろん世間一般でも似た様な嫁姑関係はよくあるし、姑の“お古”を使いたくないという
美智子さまのお気持ちも理解できなくはない。
だが皇室内で嫁姑合戦をされると、ともかく費用が掛かる。そしてその原資は
税金である以上、配慮のある行動をとっていただきたいと願わずにはいられない。
このように令和のお引越しは大規模になったが、平成のお引越しもこれに負けず劣らず大規模なものとなった。
昭和天皇が崩御され、香淳皇后の住まいをどうするのかが重大懸案となった。当時は現在の高輪御用邸のように、
引っ越しに適した御用邸が都内になかったため事態はより複雑だった。いくつかの案が出た。
宮内庁内で最も支持された案は、昭和天皇が使われていた御所を改修し、そこに皇太后(香淳皇后)と
新天皇皇后両陛下が二世帯住宅として利用していただくというものだった。当然ながら、これが最もお金がかからずシンプルだ。
この案に天皇陛下(現、上皇陛下)は理解を示したが、これに美智子さまは激怒。美智子さまが
「怒り」の感情を表に出すことはほとんどないのだが、この時だけは違った。
「皇太后陛下には、吹上皇居から出て行ってもらいたい。那須とか葉山とか京都には
空いている御用邸があるでしょう」とはっきり仰ったのを覚えている。
この言葉に当時の天皇陛下(現、上皇陛下)もさすがに声を強めた。「父が崩御した途端、葬儀も終わっていないのに、
母を“都落ち”させるようなことはできない」と(天皇の葬儀には殯など特殊な儀礼が多くがあるため一年以上かかる)。
温和な上皇陛下が、美智子さまの言葉をさえぎって自身の感情を強く表現されることはめったにない。
この日は珍しく「夫婦喧嘩」となった。もっとも皿などが飛び交うわけではないが…。
それから数日「無言」による夫婦喧嘩を経てたどり着いた妥協案が、皇太后(香淳皇后)には
これまで住んでいた御所をお使いいただき、自分たちには自分たちの新御所を建築するというものだった。
この新御所は総工費56億円。地上2階地下1階で計62部屋と、旧御所よりもはるかに広く大規模なものになった。
この新御所建築で、皇居の自然林が大規模に伐採され、それが「美智子さまバッシング」に繋がっていく。
そう思うと、嫁姑合戦に勝利した美智子さまの悪手が、自らに帰ってきたとも言える。

51:名無しさま
20/04/18 22:58:13.55 okKeHsB9.net
美智子さま「皇居の自然林伐採」の真相  メディア操作の始まり
美智子さまは、誤解を恐れず表現すれば「女優」であり、人前に出ることに大変な「喜び」を覚えるタイプであった。
ほとんど表に出てこなかった香淳皇后とは全く性格が異なる。当然、嫁姑バトルというのはあり、
お二人の仲は良くなかった。これについては、散々報道されているので知っている人も多いだろう。
昭和から平成に御代がかわるや、美智子さまは速やかに皇居に住まいを新築し、自分の荷物を送りこみ、
香淳皇后には速やかに御退場いただいた。
皇居に住まわれた美智子さまは、平成流に従い、昭和を過去の遺物とばかりにすべて排除しようとした。
多くの職員が配置転換となった。昭和天皇の身近に仕えていた方々は、中央から遠ざけられた。
私はこの時、まだ若く、そのため「昭和色が強くない」という理由からか、比較的、美智子さまに近しい立場に配置替された。
運が良かったのか悪かったのか…。
香淳皇后と美智子さまの仲は良好ではなかった。皇太子妃時代の美智子さまは、順列の上で
香淳皇后に頭が上がらなかったから、色々と衝突があるたびに一歩、引き下がらざるを得なかった。
皇室内において「順列」は絶対的な意味を持つ。ゆえに「皇后」になってしまえば、逆らえる人はいない。
美智子さまは「皇后」になられるや、強権を発動した。
当時の週刊誌には「最近の皇室は、皇后の意向で動くといわれ、眉をひそめる関係者も多い」などと
書かれていたが、まさにその通りの状況だった。美智子さまに仕えていたある職員は
「美智子天皇が、陛下に指示を出していましたよ」などと冗談気味によく言っていたものだ。
そんな美智子さまが皇后となり、真っ先に手を付けたことの一つが、自らが住まう御所の新築だった。
昭和天皇と香淳皇后をそのまま使用することは、どうしても生理的に受けつかなかったらしい。
そして総額56億円以上かかったこの工事は、皇居の自然林を大きく伐採し建てられた。
昭和天皇は自然を愛した方であったため、この伐採には宮内庁内で大きな反発を呼びおこした。
そもそも「もともとあった御所を二世帯住宅にして使えばよい」という考えが宮内庁では支配的だった。
だが、皇室において「順列」は絶対的な意味を持つ。“美智子天皇”の決定に異を唱えることなど誰もできなかった。
当時、皇太后であった香淳皇后は、この伐採をひどく悲しまれ動揺されていたという。当然のことだろう。
だが、脚も悪くなっており車いす生活だったこともあり、美智子さまに「忠言」することはできなかった。
美智子さまの態度はもちろん宮内庁内で更なる反発をうんだ。敬意を払った表現を用いるならば、
宮内庁は旧態依然とした場所であるため、美智子さまがあまりにも「斬新」過ぎてついていけなかったのだ。
ゆえに宮内庁職員の誰かがこの「自然林伐採」を『週刊文春』に流した。その結果生まれたのが
「美智子皇后のご希望で 昭和天皇が愛した皇居自然林が丸坊主」(93年9月23号)だ。
今でも思いだす。美智子さまはこの記事―「美智子皇后のご希望で 昭和天皇が愛した皇居自然林が丸坊主」を
眼にするや朝食を中断し、対策チームを編成して対処にあたった。まさに鬼の形相だった。
美智子さまの考えた反撃方法は次のようなものだ。この記事の中には不正確な情報が含まれている。
この点を指摘して、記事全体が「誤り」であるかのように声高に叫べば、自然林伐採も(実際には事実であったとしても)
「誤り」であると皆受け取るに違いない、というのだ。
この不正確な情報とは、具体的には「紀宮さまのベルギーお見合い」というものだ。海外公務中には
現地で様々な人と会食する。その会食のうちの一つが、間違って「お見合い」と受け取られ記事にされていた。
続いて問題となるのは「紀宮さまのベルギーお見合いが“誤りである”と誰が指摘するのか?」ということである。
宮内庁側からこれを必死に主張したのであっては「何か隠そうとしているのか?」と怪しまれかねない。
そこで美智子さまが考え出した妙案が「メディアに情報を意図的にリークして記事を書かせる」だ。
結論的には朝日新聞系列に情報が流されることになり、
その後『週刊朝日』が美智子さまを擁護する記事を連発するようになる。
これが美智子さまによるメディア操作の始まりだったと言って過言ではないだろう。

52:名無しさま
20/04/18 23:55:53 okKeHsB9.net
なぜ、紀子さまは「立皇嗣できない、日本死ね」なのか  美智子さま直伝「人の不幸は蜜の味」の教え

日本で大災害が起これば、普通の国民なら、心痛めて悲しむはずだ。だが災害の速報が流れるや
NHKに目を釘付けされ、犠牲者が多いとなるや意気揚々と「巡行」の指示をする怪物が、日本の中心、
東京の一角に潜んでいる。言わずもがな美智子さまだ。

美智子さまは犠牲者の少ない災害にはほとんど何の関心も示さない。美智子さまが関心を示すのは、
ご自身が被災地に慰安に訪れる必要があるときだけである。
言い方を変えれば、不敬ではあるが、災害の犠牲者が多ければ多いほど悦ぶ方なのだ。

平成の時代を生きた方ならば、大災害の度に、時の両陛下が被災地に慰安・慰霊の旅に赴かれ、
現地の被災者と目線の高さ同じくして言葉を交わされていた。その光景に心励まさされ、感動した国民も多いであろう。

だが、あれは美智子さまが設定したショーに過ぎなかったのだ。美智子さまは大女優だ。被災地慰安は、
美智子さまの絶好の好物であり、その目的は「被災者の慰安」ではなく、慈愛の皇后を演じる「自分に酔いしれる」ためである。

美智子さまにとって「人の不幸」は、“二重”に蜜の味なのだ。敢えて言いたい。美智子さまは、自己愛が強く、
国民のことなど二の次、三の次だ。このDNAをある意味、最も強く受け継いでいるのが紀子さまだ。

皇室利用を厭わない川嶋家(紀子さまご実家)の所業は、美智子さまのご実家・正田家とそっくりだ。
紀子さまの実父はパチンコ業界とねんごろであり、実弟は怪しげな団体の顧問を務めて荒稼ぎ中だ。

今回、延期となった“立皇嗣の礼”をみても紀子さまの異様性は明らかだ。すでに週刊誌などメディアが報じているように、
秋篠宮殿下ご自身は「延期」に柔軟な姿勢を示していたが、最後まで強行に拘っていたのは紀子さまだったという。

緊急事態宣言下でも“立皇嗣の礼”を強行しようとしていた精神は、もはや病人のそれとしか言いようがない。
新型コロナウィルスの感染が広まり大量の死者が出たところで、
紀子さまに取っては“立皇嗣の礼”を延期にする理由にならないのだ。

皇宮警察から感染者が出るやいなや、すぐに延期にした理由も、
自分たちだけは感染したくないという自分勝手な心の裏表だろう。

自分さえよければ国民がいくら苦しんでもいい、むしろ国民の苦しみこそが喜びである。
そんな美智子さまの教えを、紀子さまは忠実になぞっているようだ。

53:名無しさま
20/04/20 19:01:11 kYvbAnLp.net
>>49
【海外】「オナラで新型コロナ感染拡大する可能性」 日本の絵巻物を引用した医師の主張が物議を醸す―オーストラリア[04/20] [無断転載禁止]©bbspink.com
URLリンク(phoebe.bbspink.com)

美智子 の オナラ は 細菌兵器 かもしれない

上皇→糞を漏らしてコロナを拡散
美智子→オナラが臭すぎてコロナを拡散

54:名無しさま
20/05/11 01:52:27 udSYTUN7.net
美智子さま「感謝されて当然、批判は辛い」  ネット上のバッシングに「猛抗議」

3月19日、26年間住まわれた皇居を離れられた上皇さまと美智子さま。現在はご静養先の
葉山御用邸から那須の御料牧場に移動され、今月末の仙洞仮御所への入居をお待ちだ。

昨年5月の天皇陛下ご即位後、宮内庁は遅々として進まない上皇ご夫妻のお引越しに頭を悩ませてきた。
引っ越し延期の要因について宮内庁からは、美智子さまの度重なるご体調不良や、
100トンにも上る荷物の処理などに時間がかかっているためと説明されていた。

さて、昨年4月末に退位され、今月にはやっと皇居を去られたご夫妻。
しかし上皇さまが退位前に望まれた「静かな生活」はまだまだ遠いと見える。

「美智子さまの“お抱え記者”が、朝日系の週刊誌に『ネットの批判に美智子さま“辛い”』という副題を付けた記事を寄稿し、
それがまたネットを中心に波紋を呼んでいます。お引越しが無事終わり、これから静かな生活に入られるというのに、
“寝た子を起こす”ような記事が出回ることに疑問しか感じません。

また宮内庁からは、やっと上皇ご夫妻をお見送りできたことで安堵していたにもかかわらず、この経済不況で
再びご夫妻への苦情というものが急増していて困っているといった話が漏れ伝わります。

その内容は『1年半の仮住まいに5億円もかけるとは何事か』といったものから、『なぜ上皇后が出ていった途端に、
皇后陛下が祭祀に復帰されたのか明快に説明して欲しい』といったものまであるようです。
こういった過剰な美智子さまへの忖度が、上皇后バッシングの火種となりかねないことが理解できないのでしょうか?」

様々な関係者の話によれば、美智子さまは確かにSNSや上皇批判サイトをよくご覧になっては、
怒りを滲ませられていたという。

何度か御用記者に、批判が静まるように、穏健な擁護の記事も依頼していたというのだが…。
さる皇室関係者は語る。

「美智子さまはかつて、週刊誌のバッシングに対して『失声症になった』と公表し、これを鎮めた事がございます。
その成功体験ゆえに、未だこういった事をなさるのかもしれません。

しかし、新型コロナの驚異にさらされる国民にとって、美智子さまの事は既に大きな関心事とは言えません。
両陛下のサポートに徹すること、静かに生活をしていただくことがすなわち批判を鎮めることにつながっていくと思いますが…。

やはり何よりもまず怒りが先行するようです。ネット上の批判に対しては、
『美智子皇后の底意地の悪さ、ですって?あたくしは慈愛の皇后です!』
『国民には感謝されて当然です。批判などありえません!』と…。

かつて雅子さまが、苛烈なバッシングにあっていたとき、
美智子さまは一度たりとも『これほど辛いことはない』などと仰ったことが有りません。

今、国民が何を求めているか察していただきたいと願います。

“言論統制”のようなモノではなく、なぜ雅子さまが平成時代、あれほどまでに、
追い込まれなければならなかったのか、その明快なご説明が、求められているのかもしれません」

55:名無しさま
20/05/11 05:54:25 nfY8tTb9.net
>>50



おめぇこれ何度目だ?おまえのムダ書きに皆が迷惑してることに気づけ 
おれはお前にはコロナ感染してくれと願ってる。 

56:名無しさま
20/05/11 06:03:38 nfY8tTb9.net
>>50



おめぇこれ何度目だ?おまえのムダ書きに皆が迷惑してることに気づけ 
おれはお前にはコロナ感染してくれと願ってる。 

57:名無しさま
20/05/11 13:03:39 RKxHJTnm.net
このコピペ荒らしは、一番最後の2行の答えを書いてくれる人を探してるんだと思うよ
追い込まれたのは本人の能力が不足しているせい以外の答えを探してるんだろね
雅子本人の異常な行動は、たぶん後天的な理由で、原因になったおそらく幼少時のソ連での事故をKGBにもみ消されたから、その後に障害がわかっても解決済み案件を蒸し返してまで日本で療育をすることができなかったんだと思うよ
いくらDNA検査をしても健常認定にしかならない雅子の、それにしては異常なエピソードの原因を創作しなければならなくなってるんだよ、きっと

58:名無しさま
20/05/11 13:07:12 RKxHJTnm.net
創作しなければならないのは美智子ねw 外務省も小和田氏も、皇室に対して一度はお断りしてたんだから
ごり押した美智子は何を勘違いしてたのかを素直に言う手もあるんですよーただのおばーちゃんw

59:名無しさま
20/05/11 22:15:22.78 udSYTUN7.net
美智子さま 「姑には皇居から出て行って欲しい」と漏らして、珍しく「夫婦喧嘩」
上皇ご夫妻はとても仲の良いご夫婦であることにだれも異論はない。ほとんど喧嘩もないが、
一度だけ大喧嘩を目撃したことがある。それは、嫁姑合戦の延長戦であった。
平成から令和になり皇族方の大引っ越しが始まる。本来ならば高輪御用邸が空いているのだから、
上皇ご夫妻がそこを利用し、これまで使われていた御所に現天皇皇后両陛下が入り、
秋篠宮ご夫妻が旧東宮御所(現、赤坂御所)に入られれば問題なかった。
しかし、美智子さまが旧東宮御所へのお引越しを大変強く望まれたため、引っ越しはかなりアクロバティックになった。
第一の問題は旧東宮御所に上皇ご夫妻が入られる場合、秋篠宮家の行き場所がなくなってしまうのである。
皇嗣となる秋篠宮殿下にとって、これまで使われてきた宮邸のままでは明らかに狭い(職員が倍ほど増加)。
そのため新秋篠宮邸を新築する必要が生じた。この総額が50億円以上となる。
第二の問題は旧東宮御所の改修工事が終わるまで、上皇ご夫妻は高輪御用邸に一時引っ越しされるが、
この高輪御用邸が狭いのだ。引退された上皇ご夫妻に広大な家を必要ないかと思われるかもしれないが、
上皇職は減員されず60人のまま。上皇ご夫妻は引退後も、現役時と同等の生活を望まれているのだ。
そのため高輪御用邸の改修工事もかなり大規模なものになってしまった。
このアクロバティックな引っ越し作業は、まさに美智子さまの“ご希望”に沿った故に起きたもので、
総額100億円以上かかる見込みである。最もシンプルな引っ越し案が採用されたならば、
皇居と東宮御所の小規模な改修工事だけで済んだはずだったのだが…。
ところで上皇職の減員が見送られた折、上皇ご夫妻には、現在使われていない吹上大宮御所を改修して
そこに移っていただく案も出た。吹上大宮御所は、もともと昭和天皇の御所として使われていたもので、
崩御後は香淳皇后の住まいとしてそのまま使われていた。
だが美智子さまはこの案を断固拒否。嫁姑の拗れは20年もの時を経ても未だ色褪せないようだ。
もちろん世間一般でも似た様な嫁姑関係はよくあるし、姑の“お古”を使いたくないという
美智子さまのお気持ちも理解できなくはない。
だが皇室内で嫁姑合戦をされると、ともかく費用が掛かる。そしてその原資は
税金である以上、配慮のある行動をとっていただきたいと願わずにはいられない。
このように令和のお引越しは大規模になったが、平成のお引越しもこれに負けず劣らず大規模なものとなった。
昭和天皇が崩御され、香淳皇后の住まいをどうするのかが重大懸案となった。当時は現在の高輪御用邸のように、
引っ越しに適した御用邸が都内になかったため事態はより複雑だった。いくつかの案が出た。
宮内庁内で最も支持された案は、昭和天皇が使われていた御所を改修し、そこに皇太后(香淳皇后)と
新天皇皇后両陛下が二世帯住宅として利用していただくというものだった。当然ながら、これが最もお金がかからずシンプルだ。
この案に天皇陛下(現、上皇陛下)は理解を示したが、これに美智子さまは激怒。美智子さまが
「怒り」の感情を表に出すことはほとんどないのだが、この時だけは違った。
「皇太后陛下には、吹上皇居から出て行ってもらいたい。那須とか葉山とか京都には
空いている御用邸があるでしょう」とはっきり仰ったのを覚えている。
この言葉に当時の天皇陛下(現、上皇陛下)もさすがに声を強めた。「父が崩御した途端、葬儀も終わっていないのに、
母を“都落ち”させるようなことはできない」と(天皇の葬儀には殯など特殊な儀礼が多くがあるため一年以上かかる)。
温和な上皇陛下が、美智子さまの言葉をさえぎって自身の感情を強く表現されることはめったにない。
この日は珍しく「夫婦喧嘩」となった。もっとも皿などが飛び交うわけではないが…。
それから数日「無言」による夫婦喧嘩を経てたどり着いた妥協案が、皇太后(香淳皇后)には
これまで住んでいた御所をお使いいただき、自分たちには自分たちの新御所を建築するというものだった。
この新御所は総工費56億円。地上2階地下1階で計62部屋と、旧御所よりもはるかに広く大規模なものになった。
この新御所建築で、皇居の自然林が大規模に伐採され、それが「美智子さまバッシング」に繋がっていく。
そう思うと、嫁姑合戦に勝利した美智子さまの悪手が、自らに帰ってきたとも言える。

60:名無しさま
20/05/11 22:16:18.02 udSYTUN7.net
美智子さま「皇居の自然林伐採」の真相  メディア操作の始まり
美智子さまは、誤解を恐れず表現すれば「女優」であり、人前に出ることに大変な「喜び」を覚えるタイプであった。
ほとんど表に出てこなかった香淳皇后とは全く性格が異なる。当然、嫁姑バトルというのはあり、
お二人の仲は良くなかった。これについては、散々報道されているので知っている人も多いだろう。
昭和から平成に御代がかわるや、美智子さまは速やかに皇居に住まいを新築し、自分の荷物を送りこみ、
香淳皇后には速やかに御退場いただいた。
皇居に住まわれた美智子さまは、平成流に従い、昭和を過去の遺物とばかりにすべて排除しようとした。
多くの職員が配置転換となった。昭和天皇の身近に仕えていた方々は、中央から遠ざけられた。
私はこの時、まだ若く、そのため「昭和色が強くない」という理由からか、比較的、美智子さまに近しい立場に配置替された。
運が良かったのか悪かったのか…。
香淳皇后と美智子さまの仲は良好ではなかった。皇太子妃時代の美智子さまは、順列の上で
香淳皇后に頭が上がらなかったから、色々と衝突があるたびに一歩、引き下がらざるを得なかった。
皇室内において「順列」は絶対的な意味を持つ。ゆえに「皇后」になってしまえば、逆らえる人はいない。
美智子さまは「皇后」になられるや、強権を発動した。
当時の週刊誌には「最近の皇室は、皇后の意向で動くといわれ、眉をひそめる関係者も多い」などと
書かれていたが、まさにその通りの状況だった。美智子さまに仕えていたある職員は
「美智子天皇が、陛下に指示を出していましたよ」などと冗談気味によく言っていたものだ。
そんな美智子さまが皇后となり、真っ先に手を付けたことの一つが、自らが住まう御所の新築だった。
昭和天皇と香淳皇后をそのまま使用することは、どうしても生理的に受けつかなかったらしい。
そして総額56億円以上かかったこの工事は、皇居の自然林を大きく伐採し建てられた。
昭和天皇は自然を愛した方であったため、この伐採には宮内庁内で大きな反発を呼びおこした。
そもそも「もともとあった御所を二世帯住宅にして使えばよい」という考えが宮内庁では支配的だった。
だが、皇室において「順列」は絶対的な意味を持つ。“美智子天皇”の決定に異を唱えることなど誰もできなかった。
当時、皇太后であった香淳皇后は、この伐採をひどく悲しまれ動揺されていたという。当然のことだろう。
だが、脚も悪くなっており車いす生活だったこともあり、美智子さまに「忠言」することはできなかった。
美智子さまの態度はもちろん宮内庁内で更なる反発をうんだ。敬意を払った表現を用いるならば、
宮内庁は旧態依然とした場所であるため、美智子さまがあまりにも「斬新」過ぎてついていけなかったのだ。
ゆえに宮内庁職員の誰かがこの「自然林伐採」を『週刊文春』に流した。その結果生まれたのが
「美智子皇后のご希望で 昭和天皇が愛した皇居自然林が丸坊主」(93年9月23号)だ。
今でも思いだす。美智子さまはこの記事―「美智子皇后のご希望で 昭和天皇が愛した皇居自然林が丸坊主」を
眼にするや朝食を中断し、対策チームを編成して対処にあたった。まさに鬼の形相だった。
美智子さまの考えた反撃方法は次のようなものだ。この記事の中には不正確な情報が含まれている。
この点を指摘して、記事全体が「誤り」であるかのように声高に叫べば、自然林伐採も(実際には事実であったとしても)
「誤り」であると皆受け取るに違いない、というのだ。
この不正確な情報とは、具体的には「紀宮さまのベルギーお見合い」というものだ。海外公務中には
現地で様々な人と会食する。その会食のうちの一つが、間違って「お見合い」と受け取られ記事にされていた。
続いて問題となるのは「紀宮さまのベルギーお見合いが“誤りである”と誰が指摘するのか?」ということである。
宮内庁側からこれを必死に主張したのであっては「何か隠そうとしているのか?」と怪しまれかねない。
そこで美智子さまが考え出した妙案が「メディアに情報を意図的にリークして記事を書かせる」だ。
結論的には朝日新聞系列に情報が流されることになり、
その後『週刊朝日』が美智子さまを擁護する記事を連発するようになる。
これが美智子さまによるメディア操作の始まりだったと言って過言ではないだろう。

61:名無しさま
20/05/11 22:17:04.53 udSYTUN7.net
なぜ、紀子さまは「立皇嗣できない、日本死ね」なのか  美智子さま直伝「人の不幸は蜜の味」の教え
日本で大災害が起これば、普通の国民なら、心痛めて悲しむはずだ。だが災害の速報が流れるや
NHKに目を釘付けされ、犠牲者が多いとなるや意気揚々と「巡行」の指示をする怪物が、日本の中心、
東京の一角に潜んでいる。言わずもがな美智子さまだ。
美智子さまは犠牲者の少ない災害にはほとんど何の関心も示さない。美智子さまが関心を示すのは、
ご自身が被災地に慰安に訪れる必要があるときだけである。
言い方を変えれば、不敬ではあるが、災害の犠牲者が多ければ多いほど悦ぶ方なのだ。
平成の時代を生きた方ならば、大災害の度に、時の両陛下が被災地に慰安・慰霊の旅に赴かれ、
現地の被災者と目線の高さ同じくして言葉を交わされていた。その光景に心励まさされ、感動した国民も多いであろう。
だが、あれは美智子さまが設定したショーに過ぎなかったのだ。美智子さまは大女優だ。被災地慰安は、
美智子さまの絶好の好物であり、その目的は「被災者の慰安」ではなく、慈愛の皇后を演じる「自分に酔いしれる」ためである。
美智子さまにとって「人の不幸」は、“二重”に蜜の味なのだ。敢えて言いたい。美智子さまは、自己愛が強く、
国民のことなど二の次、三の次だ。このDNAをある意味、最も強く受け継いでいるのが紀子さまだ。
皇室利用を厭わない川嶋家(紀子さまご実家)の所業は、美智子さまのご実家・正田家とそっくりだ。
紀子さまの実父はパチンコ業界とねんごろであり、実弟は怪しげな団体の顧問を務めて荒稼ぎ中だ。
今回、延期となった“立皇嗣の礼”をみても紀子さまの異様性は明らかだ。すでに週刊誌などメディアが報じているように、
秋篠宮殿下ご自身は「延期」に柔軟な姿勢を示していたが、最後まで強行に拘っていたのは紀子さまだったという。
緊急事態宣言下でも“立皇嗣の礼”を強行しようとしていた精神は、もはや病人のそれとしか言いようがない。
新型コロナウィルスの感染が広まり大量の死者が出たところで、
紀子さまに取っては“立皇嗣の礼”を延期にする理由にならないのだ。
皇宮警察から感染者が出るやいなや、すぐに延期にした理由も、
自分たちだけは感染したくないという自分勝手な心の裏表だろう。
自分さえよければ国民がいくら苦しんでもいい、むしろ国民の苦しみこそが喜びである。
そんな美智子さまの教えを、紀子さまは忠実になぞっているようだ。

62:名無しさま
20/05/11 22:43:55.55 udSYTUN7.net
美智子さま「感謝されて当然、批判は辛い」  ネット上のバッシングに「猛抗議」
3月19日、26年間住まわれた皇居を離れられた上皇さまと美智子さま。現在はご静養先の
葉山御用邸から那須の御料牧場に移動され、今月末の仙洞仮御所への入居をお待ちだ。
昨年5月の天皇陛下ご即位後、宮内庁は遅々として進まない上皇ご夫妻のお引越しに頭を悩ませてきた。
引っ越し延期の要因について宮内庁からは、美智子さまの度重なるご体調不良や、
100トンにも上る荷物の処理などに時間がかかっているためと説明されていた。
さて、昨年4月末に退位され、今月にはやっと皇居を去られたご夫妻。
しかし上皇さまが退位前に望まれた「静かな生活」はまだまだ遠いと見える。
「美智子さまの“お抱え記者”が、朝日系の週刊誌に『ネットの批判に美智子さま“辛い”』という副題を付けた記事を寄稿し、
それがまたネットを中心に波紋を呼んでいます。お引越しが無事終わり、これから静かな生活に入られるというのに、
“寝た子を起こす”ような記事が出回ることに疑問しか感じません。
また宮内庁からは、やっと上皇ご夫妻をお見送りできたことで安堵していたにもかかわらず、この経済不況で
再びご夫妻への苦情というものが急増していて困っているといった話が漏れ伝わります。
その内容は『1年半の仮住まいに5億円もかけるとは何事か』といったものから、『なぜ上皇后が出ていった途端に、
皇后陛下が祭祀に復帰されたのか明快に説明して欲しい』といったものまであるようです。
こういった過剰な美智子さまへの忖度が、上皇后バッシングの火種となりかねないことが理解できないのでしょうか?」
様々な関係者の話によれば、美智子さまは確かにSNSや上皇批判サイトをよくご覧になっては、
怒りを滲ませられていたという。
何度か御用記者に、批判が静まるように、穏健な擁護の記事も依頼していたというのだが…。
さる皇室関係者は語る。
「美智子さまは、かつて、週刊誌のバッシングに対して『失声症になった』と公表し、これを鎮めた事がございます。
その成功体験ゆえに、未だこういった事をなさるのかもしれません。
しかし、新型コロナの驚異にさらされる国民にとって、美智子さまの事は既に大きな関心事とは言えません。
両陛下のサポートに徹すること、静かに生活をしていただくことがすなわち批判を鎮めることにつながっていくと思いますが…。
やはり何よりもまず怒りが先行するようです。ネット上の批判に対しては、
『美智子皇后の底意地の悪さ、ですって?あたくしは慈愛の皇后です!』
『国民には感謝されて当然です。批判などありえません!』と…。
かつて雅子さまが、苛烈なバッシングにあっていたとき、
美智子さまは一度たりとも『これほど辛いことはない』などと仰ったことが有りません。
今、国民が何を求めているか察していただきたいと願います。
“言論統制”のようなモノではなく、なぜ雅子さまが平成時代、あれほどまでに、
追い込まれなければならなかったのか、その明快なご説明が、求められているのかもしれません」

63:名無しさま
20/05/14 22:15:33.31 GaTU/Y8F.net
テレ朝news
【速報】   上皇后さまが数日前から微熱 新型コロナ感染を疑う症状はなし 宮内庁
午後3:09 2020年5月14日
はいはい仲良しのアカヒからミテミテ報道させてるわ
出た出た出た!! 満身創痍のミテコの仮病(笑)
乳がんでダメだから、コロナだってよ。バカか痴呆か何だろうね
かまってちゃんのミテコ、早速来たわwww
流行りに便乗、コロナですか????wwwww
ステイ イン トーキョーから京都に逃げたのにエアコロナ?w
美智子は1分熱が上がっただけで微熱だからねえw
おそらくPCR 検査はすぐ受けてて陰性だったのでは?
でもそれ言うと特権行使と非難されるので黙ってるけど、なんかニュースには出したいとか。
言った瞬間に嘘だとばれるのにコロナって
相手にして欲しいだねえ愚かなババア
具体的には何度の熱があったんですか
皿婆のことだから普段36.5度だけど36.6度だったから微熱!とかそんなレベルだったりして
あれだけ雅子は蚕触れないから皇后失格って叩いてたのに皇后陛下が御養蚕始の義に臨まれたことが報じられたから
アテクシもミテミテで報じさせたんでしょうね
ジョーコーがふらついた報道の時はへーって感じだったけどアテクシなら心配されると思ってそうだわ
出かけてないのにコロナになったら職員由来だよね
他の板では乳がんの既往があるから、危ないって論調だったわ。エアガンなのにね
引越が原因ってw
宮内庁は14日、上皇后さまが皇居から仮住まい先の仙洞仮御所(東京・港区)に転居されて以降、
時折微熱の症状がみられると明らかにした。
側近は引っ越し作業による疲労が影響した可能性があるとみている。
強いお気持ちで葉山に御料牧場にと動き回ったのは忘却の彼方なのかしら
まあ単なる自己責任よね…
ほんとほんと葉山と御料牧場がカットされてる
世界一の浪費ババア。皇后さまが、職員1人だけの手伝いで養蚕をされたことで
ババアが居ても立ってもいられなくて微熱報道は、いつもの手w
微熱以上の熱は出ないのに大袈裟ね 。定期的にメディアにでないと死んじゃうビョーキ
特に皇后陛下のニュースのあとはババアが黙っていられないw
引っ越し作業なんて、65人の職員にやらせてるのに疲労とか発熱とかちゃんちゃらおかしい
キチガイクソババアのやつ「上皇后さまから引き継がれた養蚕・・・」と報道させてたけど、
意地悪して引き継ぎしなかったじゃん。紀子とか初孫には 教えてたけど。
皇后陛下、本当は昨年もできたけど、皿婆に遠慮なさったのではないかしら?
ミテコ婆そこまで注目されたかったのなら
高輪ではなく三の丸尚蔵館にでもお引っ越しされればよかったのではないかしら…

64:名無しさま
20/05/15 11:20:22 CBMdhrxv.net
>>60
上皇様が正田美智子さんを選んで結婚された時、香淳皇后様は顔をしかめられたの
です。理由は美智子さんが公家ではなく町人だったから。
その屈辱を忘れられなかった美智子さんは、昭和天皇様が亡くなられ自分が皇后に
なると復讐をした、ということですね。おそろしー。

65:名無しさま
20/05/15 11:25:23 CBMdhrxv.net
>>62
皇后さまに対する接しかたを見れば、お察しー、というところでしょうか。
世間の批判は当たっていて、反省なさる方が良いイメージになるでしょう。

66:名無しさま
20/05/15 11:30:05 CBMdhrxv.net
>>63
雅子皇后さまは、お子様のころからカブトムシが大好きで、家で飼っておられた
そうですよ。上皇后さまはご自分が虫に触るのが嫌だったのでしょうね。

67:名無しさま
20/05/15 19:56:38 L1Un+oF9.net
庶民の何が悪いんですかって勢いでつっぱしって、結局日本を破壊した政治の素人さん
町人どころか海賊のキャリアでは、公家と町人の差は演じる役を選ぶくじ引きの運ぐらいにしか思わなかったんだろう
内側から鍵を開けるまでバレない演技力だけで世渡りして、上皇后にまでなりあがった人
ニュース映像分のロケしかしない嫁もお仲間だし
ただ歴史ある皇室の方が経験豊富で、公家たちに宮中丸ごと座敷牢モードに切り替えられたのは想定外だろなw
上皇后も下皇后も二人仲良く牢名主なんて、国家一級コメディアンだなw

68:名無しさま
20/05/15 23:55:24 pHyWD4aG.net
なぜ、紀子さまは「立皇嗣できない、日本死ね」なのか  美智子さま直伝「人の不幸は蜜の味」の教え

日本で大災害が起これば、普通の国民なら、心痛めて悲しむはずだ。だが災害の速報が流れるや
NHKに目を釘付けされ、犠牲者が多いとなるや意気揚々と「巡行」の指示をする怪物が、日本の中心、
東京の一角に、潜んでいる。言わずもがな美智子さまだ。

美智子さまは犠牲者の少ない災害には、ほとんど何の関心も示さない。美智子さまが関心を示すのは、
ご自身が、被災地に慰安に訪れる必要があるときだけである。
言い方を変えれば、不敬ではあるが、災害の犠牲者が多ければ多いほど悦ぶ方なのだ。

平成の時代を生きた方ならば、大災害の度に、時の両陛下が被災地に慰安・慰霊の旅に赴かれ、
現地の被災者と目線の高さ同じくして言葉を交わされていた。その光景に心励まさされ、感動した国民も多いであろう。

だがあれは、美智子さまが設定したショーに過ぎなかったのだ。美智子さまは大女優だ。被災地慰安は
美智子さまの絶好の好物であり、その目的は「被災者の慰安」ではなく、慈愛の皇后を演じる「自分に酔いしれる」ためである。

美智子さまにとって「人の不幸」は、“二重”に蜜の味なのだ。敢えて言いたい。美智子さまは、自己愛が強く、
国民のことなど二の次、三の次だ。このDNAをある意味、最も強く受け継いでいるのが紀子さまだ。

皇室利用を厭わない川嶋家(紀子さまご実家)の所業は、美智子さまのご実家・正田家とそっくりだ。
紀子さまの実父はパチンコ業界とねんごろであり、実弟は怪しげな団体の顧問を務めて荒稼ぎ中だ。

今回、延期となった“立皇嗣の礼”をみても紀子さまの異様性は明らかだ。すでに週刊誌などメディアが報じているように、
秋篠宮殿下ご自身は、「延期」に柔軟な姿勢を示していたが、最後まで強行に拘っていたのは紀子さまだったという。

緊急事態宣言下でも“立皇嗣の礼”を強行しようとしていた精神は、もはや病人のそれとしか言いようがない。
新型コロナウィルスの感染が広まり大量の死者が出たところで、
紀子さまに取っては“立皇嗣の礼”を延期にする理由にならないのだ。

皇宮警察から感染者が出るやいなや、すぐに延期にした理由も、
自分たちだけは感染したくないという自分勝手な心の裏表だろう。

自分さえよければ、国民がいくら苦しんでもいい、むしろ国民の苦しみこそが喜びである。
そんな美智子さまの教えを、紀子さまは、忠実になぞっているようだ。

69:名無しさま
20/06/22 08:42:39.19 sJLm1y0D.net
この美智子
警察が脅しに来たから何なのかと思ってたら、その後この美智子が来た
さすがに腹が立ったから、怒鳴ってやった
そしたらこの美智子はオナラしてその場を立ち去った
とっさに立ち去ろうとして、力んだときに放屁したのである
皇室は公務をしているが、その時にいる大勢の一般市民はこのように警察に威圧されて萎縮している。
その時に皇族のせいだとすぐに気づく人は少ない

70:名無しさま
20/06/23 02:21:40.05 3I50iKCh.net
新参与に美智子さまの「テニス仲間」が就任  「平成派」の残存で宮内庁は院政を懸念
今月18日、皇室の重要事項について天皇陛下の相談役となる宮内庁参与に五百旗頭真・兵庫県立大理事長(76)、
風岡典之・元宮内庁長官(73)、寺田逸郎・前最高裁長官(72)の3人が就任した。
また同日付で、これまで参与に就任していた、渡辺允・元侍従長(84)、国松孝次・元警察庁長官(82)、
羽毛田信吾・元宮内庁長官(78)、竹崎博允・元最高裁長官(75)の4人が退任となった。
「羽毛田信吾・元宮内庁長官は美智子さまの懐刀とまで言われる側近中の側近でした。
宮内庁長官時代には“愛子さまの参内の回数が依然少なく、両陛下も心配しておられる”など
皇太子ご一家(現在の天皇ご一家)に対する両陛下の苦言を代弁されるなどしてきた、いわゆる平成派の人間です。
羽毛田氏のように上皇ご夫妻の忠義を尽くしてきた人間を一斉に退任させたことは、
令和時代の新しい皇室を目指す宮内庁の姿勢として一定の評価をすべきでしょう」(皇室ジャーナリスト)
とはいえ、新たな参与の人事に関しても、気がかりな点は残るという。
「新参与のメンバーとして気になるのは、やはり美智子さまのテニス仲間でもある五百旗頭真氏でしょう。
五百旗頭氏は美智子さまのテニス仲間であると同時に、キリスト教カトリックの影響を強く受けている信仰仲間でもあります。
美智子さまとはテニス以外でも交流しており、様々な問題について相談することもあるようで、
美智子さまから大変な信頼を受けている人物の一人であることは確かなようです」
実は、この五百旗頭氏を参与として起用することに関して、政府内でも物議を醸したようだ。
五百旗頭氏は、北朝鮮による日本人拉致事件に関し、平成12~13年頃に「拉致なんて取り上げるのは
日本外交として恥ずかしいよ。あんな小さな問題をね」などと発言していたことが知られている。
そのため、政府内でも「宮内庁参与として相応しくないのではないか」という疑問の声も上がったという。
今月19日には菅義偉官房長官が記者会見にて、天皇陛下の相談役である宮内庁参与に五百旗頭氏を
起用した理由について「宮内庁の参与とは皇室の重要事項の相談役であり、経験、人格、識見ともに
ふさわしい者として、天皇陛下のお許しを得て宮内庁がお願いしている」と述べた。
「五百旗頭氏の起用に関して陛下のお許しを得たということは、裏を返せば
“陛下のお許しを得なければ起用が難しいほど、反対意見があった”ということでしょう。
五百旗頭氏は美智子さまの相談相手であると同時に、拉致問題に関する発言もあり、国内の
保守派の評論家などからは“反日的だ”として批判を浴びることも多い人物であり、注意が必要です」
今回の五百旗頭氏の参与への起用に関しては、やはり美智子さまによる推薦があったようだ。
「五百旗頭氏の起用に関しては、美智子さまの強いご希望があったようです。でなければ、
このような問題の多い人物を陛下の相談役に起用することはあり得なかったでしょう。
昨年、週刊誌やネットメディア等で“二重権威だ”といった批判が繰り返されたこともあり、
現在では美智子さまは表舞台に姿を表わされることはほとんどなくなりました。
しかし、今後はこのように親しい人物を宮内庁の重要な役職に推薦するなどといったことを通して
裏から皇室に対する影響力を行使しようと画策されているのかもしれません。
このような美智子さまによる院政に関しては、
職員らも大変懸念しているようです」(宮内庁関係者)
代替わりが行われてから、すでに1年以上が経過したが、いまだに
美智子さまと親しい関係にあった「平成派」の影響力を完全に排除するには至っていないようだ。

71:名無しさま
20/06/27 23:58:17.31 14B1sLlZ.net
紀子さま“皇室入り”を唯一歓迎された美智子さま 「自分より地位の低い人間を入れたかった」
現在、眞子さまと結婚延期状態となっている小室圭さん。いまだ多くの国民が結婚に反対しているものの、
両者の意思は固く、複数の週刊誌が、結婚の実現に関して「ほぼ確定」との見方を示している。
小室圭さんの結婚に関して、多くの国民が反対している理由は400万円の借金トラブルもさることながら、
他にも「小室圭さんが皇室を利用しているのではないか?」
「さらに今後を皇室とのコネクションを活用しようと企んでいるのではないか?」
といった不信感がその根底にあるようだ。
実は、こうした皇族の結婚相手に対する不信感は
30年前紀子さまが秋篠宮殿下と結婚された際にも向けられた。
当時も、「妃」への野心、つまり紀子さまは秋篠宮殿下と結婚して皇族入りすることが目的ではないか、
といったことが疑われ、多くの国民からの反発を招いたのだ。
この結婚に反対していたのは、国民だけではない。
実は、宮内庁や上皇陛下(当時は天皇陛下)もこの結婚に反対されていたようだ。
「お二方の婚約が内定したのは1989年の9月ですが、当時は同年1月に崩御された昭和天皇の服喪期間中であり、
宮内庁の一部からは、“この時期の婚約はありえない”といった声も上がっておりました。
また、上皇陛下は平民の身分から皇室入りしたことで大変苦労された美智子さまのお姿を
間近で見られていましたから、平均的な庶民である紀子さまが皇室入りすれば、
必ず苦労するだろうとお考えになり、反対されていたようです」(皇室ジャーナリスト)
しかし、そんな中、紀子さまの皇室入りを大変歓迎されていたのが美智子さまであったという。
「周囲の者たちが反対する中、何故か美智子さまだけは、
非常に熱心に結婚を後押しされていたようです。
結婚前に、上皇ご夫妻と紀子さまのご両親が会談された際にも、ご両親に対して、
美智子さまが熱心に結婚するよう説得されたそうです。
最後まで逡巡されていたご両親にとっても、
おそらくこの美智子さまの後押しが決断の決め手となったのでしょう」
当時、何故、美智子さまのみが紀子さまと秋篠宮殿下との結婚をこれほど熱心に後押しされていたのかは
分からない。しかし、先の皇室ジャーナリストはその理由について次のように推測する。
「何故、美智子さまがお二人結婚をこれほど熱心に後押しされたか、その正確な理由は分かりません。
もしかすると、美智子さまはご自身が平民の身分から皇室入りされたことで様々な批判を浴びたことで
コンプレックスを感じられていたために、“息子には、かつての自分より身分の低い人間を”と
考えられていたのかもしれません」
果たして、このような推測が正しいか確認することは出来ない。
しかし、ともあれ美智子さまは紀子さまのご両親との会談の際に、金銭的支援を行うことを約束した、
とも伝えられており、紀子さまの皇室入りを、大変歓迎されていたことは確かなようだ。

72:名無しさま
20/06/28 00:37:30.28 +XD79YPk.net
香淳皇后二十年式年祭で雅子さま避けられる美智子さま  策に溺れ自ら孤立深める事態に
今月16日、天皇陛下の祖母である香淳皇后が逝去して20年になる「香淳皇后二十年式年祭の儀」が
歴代天皇などを祭る皇居・皇霊殿で行われ、天皇陛下やその他の皇族方が参列された。
また、香淳皇后が埋葬されている東京都八王子市の武蔵野東陵では、天皇陛下の使者が拝礼した後、
秋篠宮家の長女眞子さまと次女佳子さまが、陵の前へ進み、深く頭を下げられた。
今回、参列される予定であった上皇ご夫妻は欠席され代理の宮内庁職員が参拝した。
宮内庁から、上皇ご夫妻が欠席された理由に関して説明はされておらず、その原因は不明となっている。
しかし、上皇ご夫妻のことを良く知るある皇室関係者は次のようにその理由を推測している。
「ご夫妻はすでにご高齢ですから、体調の問題で欠席された可能性が高いとは思います。しかし、仮に、
体調不良が欠席された原因でないとするなら、次の2つのことが理由として考えられるのではないでしょうか。
1つは、美智子さまが香淳皇后から過去に受けられた仕打ちをいまだに恨みに思われていること。そして、
もう1つは雅子さまとの同席を避けられているということです」(上皇ご夫妻に近い皇室関係者)
昭和の時代には、平民の身分から皇室に入られた美智子さまに対してさまざまなイジメがあったことが
報じられている。中でも有名な事件が1975年(昭和50年)に起きた香淳皇后さま無視事件だ。
昭和天皇と香淳皇后が初めて米国訪問に出発される際、美智子さまは皇太子殿下(現在の上皇陛下)はじめ、
各皇族方とともに羽田空港でお見送りされた。
しかし、香淳皇后は、なぜか美智子さまに一瞥もくれずそのまま素通りし、皇太子殿下にお辞儀をされた。
この時の様子はテレビ中継もされており、香淳皇后や女官らによる「美智子さま」が証明された事件として有名だ。
「美智子さまはこの事件を後年まで覚え、大変恨まれておりましたから、
今回もその香淳皇后の二十年式年祭に参列する気になれなかったということかもしれません。
もちろん、このような美智子さまのわがままに付き合わされて、母親である香淳皇后の二十年式年祭に
参加出来なくなってしまったのだとすれば、上皇陛下には気の毒というほかありませんが」
また、美智子さまは、雅子さまとの同席を避けられてもいるようだ。
「美智子さまは、雅子さまとの同席を避けられることで、宮内庁の職員らに対して
一種の踏み絵を踏ませているのかもしれません。
つまり、二重権威という問題が批判されている状況で、“雅子さんが出席されるせいで
私が出席できなくなりました”という被害者の立ち位置に自らを置かれているということです。
そのような状況で、一人一人の職員が、ご自身に味方をするのか、
雅子さまの肩を持つのかということを観察されているのでしょう」
とはいえ、すでに引退された身である美智子さまに対して、そこまで強く味方する職員は、多くないようだ。
「すでに職員の中には、美智子さまに同情するよりも、
むしろ本心では面倒な御隠居と厄介者扱いしている者も少なくないようです」
美智子さまとしては、職員らの同情を引くことで、雅子さまを悪役に仕立て上げたかったのかもしれないが、
むしろ、このように宮内庁職員らを試すような態度を取ることで、煙たがられてしまっているようだ。

73:名無しさま
20/06/28 14:00:11.86 D3Tm+2Be.net
「国母」と慕われた香淳皇后 崩御から20年…宮内庁担当記者が見た最期の2日間
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
私が驚いたのは、この2日間の治療の詳細の話でした。
呼吸器を付けた以外、点滴もせず蘇生術も施されなかったという、要するに延命措置は全く行われなかったこと。点滴や注射は針を刺す苦痛が伴うため、苦しみのない治療をしたということでした。
そして、その治療方針に上皇ご夫妻も賛同されていたという話でした。昭和天皇が約100日間、治療を続ける姿をご覧になった上皇ご夫妻の思いだったような気がします。

> 要するに延命措置は全く行われなかったこと。点滴や注射は針を刺す苦痛が伴うため、苦しみのない治療をしたということでした。 そして、その治療方針に上皇ご夫妻も賛同されていたという話でした。

74:名無しさま
20/06/28 23:55:35.39 +XD79YPk.net
雅子さま愛子さまに蚕を“触らせなかった”美智子さま 「眞子さまに継がせたかった」の本音
今月12日、宮内庁は、天皇、皇后両陛下の長女愛子さまが、住まいの赤坂御所にて
小学校時代から飼育を続けられている蚕の写真を公開した。
愛子さまが飼われていた蚕の写真が公開されたのは今回が初めて。宮内庁侍従職によると、
愛子さまは学習院初等科時代から蚕を飼育され。授業の一環で育てた数匹に始まり、
交配で生まれた子孫を含む蚕を継続して飼われているという。
実は、同庁が愛子さまが蚕を飼育されていることを発表した際、
多くの皇室ジャーナリストらは大変驚いたようだ。
この発表に関して雑誌『女性自身』の皇室担当記者は
「まさか10年近くも飼育を続けられていたなんて……」と、その心境について語っている。
蚕を飼ってその繭から生糸絹を作る養蚕に関しては、皇室の伝統と深い関りを持っている。
安政6年(1859),横浜港が開港し、生糸が輸出品として重要な位置を占め,養蚕業が
国の基幹的な産業となる中、明治4年(1871)に昭憲皇太后がその奨励のために始められた。
皇室のご養蚕は、明治(1868~1912)から大正(1912~1926),昭和(1926~1989)の歴代皇后に継承され、
平成の時代には美智子さまも皇室の一つの伝統として大切に引き継いでこられた。
平成の時代のほとんどの時期を通して、美智子さまは引き継がれた御養蚕の作業に関して、
秋篠宮家の長女眞子さまと次女佳子さまに手伝わせることがあったが、
雅子さまと愛子さまには決して蚕を触らせることがなかった。
つまり、この重要な皇室の伝統に関わる作業から、皇太子一家(現在の天皇ご一家)は爪はじきに
されていたのである。美智子さまがどのようなお気持ちでそうした仕打ちをされたのかを
知ることは出来ないものの、そのこと自体は否定しようのない現実だ。
今年からは雅子さまが美智子さまの後を継ぎ、養蚕に取り組まれているが、週刊誌等では
しばしば「代替わり後は雅子さまではなく、眞子さまが御養蚕を引き継ぐのではないか」と噂されてきたが、
美智子さまの態度からして、そのような憶測が広がるのも無理はなかった。
「美智子さまが、眞子さまとご一緒に蚕の飼育をされている際の嬉しそうなご様子や、
雅子さまと愛子さまには一切触らせることが無かったという事実を考慮するなら、
こうした憶測が皇室記者らの間で広まるのも無理のないことであったように思えます」
美智子さまは眞子さまが小学3年生だったときに「眞子ちゃんは、ばあばがお蚕さんの仕事をする時、
よくいっしょに紅葉山のご養蚕所にいきましたね」と記した手紙を送られたことはよく知られている。
また、皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは、「美智子さまが愛子さまの蚕の飼育についても
知らなかったはずはない」とも語っている(「女性自身」2020年7月7日号)。
こうした現実をみれば、美智子さまは愛子さまが蚕の飼育に特別な思い入れを持っていることを知りながら、
あえて、眞子さまを特別に依怙贔屓していたというこれまた否定しようのない事実が浮かび上がってくる。
「おそらく美智子さまは、実際に雅子さまではなく眞子さまに
御養蚕を引き継がせたいと考えられていたのだと思います。
しかし、御養蚕は代々皇后陛下が引き継がれており、皇后の雅子さまではなく、
内親王の眞子さまが引き継ぐことは皇室の伝統に反することにもなります。
官僚というのは得てして保守的で前例を踏襲することを好みますから、おそらく
“眞子さまに引き継がせたい”という美智子さまのご要望も宮内庁が、撥ねつけたのでしょう」
果たして、このような美智子さまの仕打ちが、天皇ご一家と秋篠宮家の間に、
亀裂を生じさせ、令和皇室にその影響が尾を引くようなことがなければよいのだが。

75:名無しさま
20/06/30 03:09:07 6t2Ag6hL.net
美智子さま「私の60年は何だったのでしょうか・・・」悲痛すぎる懊悩肉声
◆ 美智子上皇后、宮内庁「天皇皇后両陛下」、末盛千枝子
女性自身(2020/07/14), 頁:29


ミテコ自身、「懊悩」とはまた大袈裟な言葉を使うわね。

ババアの懊悩より嘔吐したい国民の怒りを考えたら?

皿婆の60年は懊悩じゃなくて煩悩だらけの60年でしょw

そうそう華子さまの出自に嫉妬
雅子さまの語学力と人気に嫉妬

国の金を乞食一家と食い潰して贅沢したくせに、オーノーとは笑わせる

香淳皇后の「法事」に欠席した理由は発表されてないけど、
結局、いつものオムズガリなのね。どんなにごねても、もう機嫌はとらないわよ

法事は出るべきかどうか微妙だけど、引退しているのだから
今後は一切表に出てこない方がいいと思う

「私の60年は何だったのでしょうか・・・」
なにそれうけるw

「私の60年は何だったのでしょうか・・・」
ススキフクロウに生まれ変わったじゃない。

懊悩が煩悩に見えたわ。

76:名無しさま
20/06/30 03:20:36.45 6t2Ag6hL.net
美智子さま「私の60年は何だったのでしょうか・・・」悲痛すぎる懊悩肉声
◆ 美智子上皇后、宮内庁「天皇皇后両陛下」、末盛千枝子
女性自身(2020/07/14), 頁:29

末盛千枝子
美智子ババアの親友()のカトリック信者が代弁かよwww

77:名無しさま
20/06/30 03:22:29.07 6t2Ag6hL.net
美智子さま「愛子ちゃんに私の蚕を触らせるのは気乗りがしないのです」 皇室内亀裂の真相

このタイトルの記事が削除されてる
美智子ババアが宮内庁経由で抗議して記事を削除させたんだろうな
美智子ババアが眞子や佳子や紀子にだけ手伝わせて、愛子さまや雅子さまのこと誘わない意地悪したのは事実のくせに
雅子皇后陛下や愛子さまの人気に嫉妬し、自分が一番目立ってないと気が済まない美智子ババアは、クズすぎる
人気のない眞子や佳子や紀子には嫉妬しない美智子ババアwww

78:名無しさま
20/07/02 03:40:13.17 nsfjSMi1.net
美智子さま「私の60年は何だったのでしょうか・・・」悲痛すぎる懊悩肉声
◆ 美智子上皇后、宮内庁「天皇皇后両陛下」、末盛千枝子
女性自身(2020/07/14), 頁:29
美智子さま-「85才の不慣れな新居」不安で続く「原因不明の微熱」
◆ 美智子上皇后、高輪皇族邸(仙洞仮御所)、ストレス、養蚕
女性セブン(2020/07/16), 頁:28

女性自身に続いて女性セブンまでミテコのアゲアゲ記事www
これは皇居奪還計画ね
旧高松宮邸をぶんどって、7億もかけて改築して、
至れり尽くせりの環境で、大量の医師団がいて、何が不慣れだ!!!
テメーがPR兼ねて見物に行った避難所の生活はそんなもんじゃないよ。
Q「私の60年は何だったのでしょうか・・・」
A. 浪費、贅沢三昧(税金の無駄)、美談のゴリ押し、言論弾圧、キコ以外の全ての女性皇族への執拗なイジメ
60年そんなことしかしてないわよねw 歴史上の誰も、世界中の金持ちでも使わないくらい金使いまくって、
自分ファーストでしか生きて来なかったのに、ずーっと満たされない人生なのかしらね
雅子皇后陛下が天皇陛下から愛されているのがわかるから余計に嫉妬するのねw
美智子や紀子は言い方悪いけど手を付けた女を嫁さんにしてやったぐらいの感じだし
今回の「オトモダチ」は、昔からの取り巻き編集者。
私の悲痛を報道して頂戴と美智子が依頼したのでしょう
美智子は他人の口を借りて言わせるところが、いやらしいと
元共同通信の記者にも書かれてた
劣り巻きのなかからとくに口の軽い人間を選んで
「絶対に週刊誌になんて漏らさないでね」と念押しして、べらべらしゃべるのw
そして口の軽い劣り巻きは上がった原稿をみせて「これでいいですか?」と確認するのよ
「もっと悲劇的に扱ってちょうだい」と言われるの
「激痛」「満身創痍」って特大フォントでいれてね
あと「この写真つかって こっちのお写真の方がアタクシの懊悩がよく出てるわ」ってなるのよ
皿婆は幾ら贅沢しても満たされない性分なんだよ
普通の人はここまでって我慢できるけど、皿婆は若い頃から贅沢するのを当たり前で生きてきた
無謀なわがままも許されてきたから、自制心がない
こういう人が年老いると、もういいってならず、欲は渇れることはない
容姿も欲望が顔に出るから、人相悪くなるしね
「私の60年は何だったのでしょうか・・・」
インパクトのあるタイトルに、皇室ウォッチャーのTwitterでは
美智子の60年を総括する大喜利になってるわ・・・皆さん、うまくまとめていらっしゃる。
疎開中もお気に入りのワンピースやフリフリのブラウスを着てたってクラスメイトだった方が皇室スペシャルで証言してたよ
みんなはモンペやボロボロの服だったのにって
粉屋でもわがままし放題だったんでしょう。だからお見合いで断れ続けたのよ

79:名無しさま
20/08/13 04:26:45 S7Yf9ui4.net
美智子さま「皇室サイト」に大変お怒り 「国民はコメントを控えて欲しい。雅子さんをイジメていません」とのこと

皇室報道局を作った矢先、6月19日に『週刊新潮』編集部のK.T.さんから
「宮内庁から圧力があったのであれば、その詳細を教えて欲しい」(趣意)というようなメールが来た。

なぜこのようなメールが来たのか、その種明かしはそれから一月後くらいに解った。
美智子さまが本サイトをご覧になり、とりわけコメント欄を気にされていたそうだ。

まず第一の切っ掛けは、『女性自身』(7月14日号)の記事だ。それによれば、ネットの書き込みを
お読みになった美智子さまが「これまで私が60年間やってきたことは、何だったのでしょうか」と
周囲に漏らしていると、皇室担当記者が証言している。

これと前後して私は『女性自身』編集部のF.G.さんと会う機会を得た。すると「美智子さまは
小内さんのサイトを、それもコメント欄をお読みになるのが辛いご様子です。
特に『私は雅子さんをイジメたりしていません』と強い口調で仰ることも多いとか」と。

そこで私は「なんで記事でそうハッキリと書かないんですか?」と聞くと。
「サイトの宣伝になってしまうので(笑)」とのことだった。まぁそれはそうだろう。

その後、メールをいただいて『週刊新潮』編集部のK.T.さんから返信が来て、
「お話を詳しく伺いたい」ということで電話することになった。
どうやら美智子さまの苦情は宮内庁を通して、方々にお達しがあったようだ。

やはり美智子さまが気にされているのは、記事よりもコメント欄らしい。宮内庁曰く
「デイリー新潮のサイトはコメント欄はありませんが、ヤフーニュースのほうのコメント欄も
削除できませんか?」などなどの提案があったらしい。

新潮側は「ヤフーのことは我々にはどうしようも…。でもあれはAIでコメントを制御していますから
大丈夫ですよ」と答えたらしい。しばしばヤフーニュースのコメント欄は5000以上あったものが
一括削除されたり、苦言を呈したユーザーは永久追放されたりするそうだが、
こういったニュース配信者側の事情を聴くと感慨深いものがある。

ところで『週刊新潮』(2020年8月13・20日)の記事「天皇の沈黙」では、
活動的だった平成皇室を賛美する、美智子さま垂涎の内容だ。
まさか美智子さまに忖度したのではないかと考えてしまうほどだ。

週刊新潮や女性自身にも何らかの圧力があったのではないだろうか。
最後に、当サイトに寄せられた宮内庁関係者の提言を紹介したい。

「美智子さまは雅子さまのことを大切に思い、見守ってきたとお考えのようです。
『決してイジメてなどいない』とのこと。色々なメディアがお金儲けのために、
平成時代の美智子さまに問題があるかのような書き方をするのは、
ある意味、致し方のないことだと美智子さまもお考えです。

ですが、記事を真に受けて国民が間違ったコメントをしてしまうことに
美智子さまは心を痛めています。これについて工夫をされてはいかがでしょうか?」

うだうだ言っているが、要は「国民はコメントを控えて欲しい」
「国民がコメントできないサイトにしてほしい」ということだろう。

国民の声やメディアの報道を「雑音」と表現(平成30年5月25日「眞子内親王殿下に関する
最近の週刊誌報道について」)したことすらある、美智子さまの慈愛には驚かされるものがある。

しかし、もし美智子さまに対し「事実を誤認した批判」がコメント欄で集中しているのであれば
そもそも皇室がヤラセありのリアリティーショーだったことを証明しているのではないだろうか? 
やはり美智子さまの「女優ぶり」に問題があるのではないだろうか?

80:名無しさま
20/08/13 04:53:46 S7Yf9ui4.net
美智子さま「ひとりぼっち」 紀子さまに電話するも「留守」が続く

「平成から令和に御代がうつると、かつてメディアから寵愛を受けていた美智子さまと紀子さまは、
突然として「二重権威!」「眞子さまと家庭内不和!」などと批判されるようになった。一方で
雅子さまの評判はうなぎ登り。「かつてのメディア批判はいったい何だったのか?」と疑問に思うほどだ。

「平成の時代は、雅子さまを称賛する記事を書こうとすると上からストップがかかり、
美智子さまのお帽子を絶賛するコラムに差し替えられたこともありました。令和になり、
雅子さまのすばらしさをそのまま伝えられる時代になったことに喜びを覚えています」(女性週刊誌記者)

確かに平成の時代には美智子さまを“慈母”ととらえ、その美しさを称賛する記事が毎週のように報じられた。
『週刊朝日』に至っては、『美智子さまのお帽子』という写真集を発売してしまうほどの熱の入れようだった。

しかしそれも今は昔。栄枯盛衰とはまさにこのことだろう。ところでこの写真集には、美智子さまご自身が
選定された美しい写真が満載だ。美智子さまファンのみならず、国民皆が欲しがるような高貴な装丁の美しい本である。
だが写真集は売れ残っており「当初の想定していた売上の半分程度」(大手取次)だという。

「私の60年間はいったいなんだったのでしょう…」上皇后になられてのち、美智子さまはそうつぶやかれることが
多くなったという。60年にわたり皇太子妃・皇后として「旅」を続けてきた美智子さま。平成時代には
称賛され続きて来たにもかかわらず、令和になったとたん論調が一転した。御代替わりして2019年9月以降、
美智子さまが血の混じった嘔吐を複数回され、体重も減少傾向にあったと宮内庁は発表した(2019年12月13日の会見)。

また同時に、このような事態にもかかわらず宮内庁発表が三カ月も遅れた理由は「雅子さまが皇后としての
お務めに集中できるように」とのご配慮があったと『女性自身』2020年1月1日・7日・14日号は報じた。
だが、SNSの反応は「スマホをご覧にならなければ…」と美智子さまに厳しいままであった。

「かつての侍従たちの日記が次々と公開され、慈愛に満ちた平成皇室像が揺らいでいます。
もはやかつての評判を取り戻すことは難しいでしょう」

美智子さまの“本当のお姿”はすでに当サイトで報じたとおりだ。何十億円もかかった衣装代や、
忠言した侍従たちへの復讐など、驚くような実態が明らかになっている。

「令和となり美智子さまを訪ねにやってくる人はめっきり少なくなりました。お茶会も開店休業状態です。
かつては美智子さまがお電話すればすぐにお茶会仲間が集まったのですが…。いまは新型コロナの影響もありますが、
眞子さまが結婚のご相談に訪れるくらいです。平成の頃は紀子さまがご家族を連れてよく遊びに来られていたのですが」

そんな美智子さまが思わず「ムッ」とされた一件があったという。

「四月に高輪皇族邸に引っ越されてから、美智子さまは『遊びに来てください』と、たびたび秋篠宮邸に
お電話なさっています。ですが、何度かけても先方からは『紀子さまは現在外出中』という返答が。
いまだ紀子さまとは電話できていません。さすがの美智子さまもムっとされ『コロナなのに
いつも外出中というのはどういうことでしょうか?』と問い詰めてしまったとか」

いつも不在の紀子さま。一体、秋篠宮家では何が起こっていたのか?

「現在、紀子さまは引っ越し作業などで忙しくされていますので、その関係で電話に出られなかっただけだと
思います。決して、美智子さまの電話に出たくなかったですとか、そういったことではないと信じています。
実際、上皇ご夫妻が引っ越された際には、紀子さまよりお祝いの品が届けられました」(秋篠家関係者)

蜜月だった美智子さまと紀子さまの関係にも変化が生じているようだ。
美智子さまのお電話が紀子さまにつながるのはいつになるだろうか?

81:名無しさま
20/08/13 11:03:48 eVenI65N.net
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
GHQ将校に媚を売った上流婦人たち…強い女たち列伝3
デイリー新潮
8/13(木) 8:00配信

82:名無しさま
20/08/13 11:59:17 CqhNOaml.net
>Q「私の60年は何だったのでしょうか・・・」
A. 浪費、贅沢三昧(税金の無駄)、美談のゴリ押し、言論弾圧、キコ以外の全ての女性皇族への執拗なイジメ

60年そんなことしかしてないわよねw 歴史上の誰も、世界中の金持ちでも使わないくらい金使いまくって、
自分ファーストでしか生きて来なかったのに、ずーっと満たされない人生なのかしらね 
 
 
その通り。完全に騙されていたという怒りのほうが強い。どこでも好き放題に出かけ自分の人気取り、来られるほうの警察は大動員で完全警備に追いまくられ帰ったらもう二度とこないでくれという心境になった。自分に対する 
ご褒美と称して高額な服や着物を買い放題、贅沢の極み。これをそのまま 
受け継いだバカが紀〇、このオンナもどうにもならんク〇。   

83:名無しさま
20/10/10 02:58:11.40 cHJScxG1.net
美智子さま「雅子の不幸は蜜の味」 慈悲深き上皇后の“お茶会”
雅子さまは「適応障害」で長らく療養していた。そのあいだ週刊誌は
雅子さまの病状・現状をあることないこと書き立てていたことはよく知られる。
実はこの週刊誌の記事は、美智子さま主催のお茶会での「酒の肴」になっていたのだ。
思えば雅子さまバッシングは、皇室批判の一線を明らかに超えていた。
いまは秋篠宮家に批判的な論調が目に付くが、まだまだ生易しいものだろう。
眞子さまと小室圭さんの結婚問題が解決できなければ、秋篠宮家への「向かい風」は一層強くなるだろう。
平成の世は、毎週のように週刊誌に雅子さまバッシング(醜聞)が掲載されていた。
ところで美智子さまの日課は、その日発売された週刊誌の皇室記事をチェックされることだった。
美智子さまが最も気にされたのはご自身が批判的に書かれているかどうかだ。
だが、93年に起きた「美智子さまバッシング」以降、
皇后陛下を直接的に苦言する記事は鳴りを潜めたため、興味関心は別のベクトルに向かった。
そこで新たな楽しみとなったのが「雅子さまバッシング」を面白おかしく楽しまれることだった。
美智子さまは週1くらいの頻度で、プライベートなお茶会を開催されていた。
呼ばれるのは美智子さまの気心の知れた友人が中心で、清子さんは頻繁に、紀子さまは月1くらいで参加された。
そこで「酒の肴」として毎度のごとく取り上げられたのが、雅子さまへのバッシング(醜聞)だ。
たいてい美智子さまが週刊誌のスクラップ帳を持ち出して
「あら。また雅子さんこんなこと書かれちゃってるわね~」といった具合だ。
今も鮮烈に残る光景がある。雅子さまが夜中に
赤坂御用地を徘徊(週刊誌では“散歩”と表現された)しているという報道があった時のことだ。
もちろんこれもお茶会で「酒の肴」にされた。のみならずこの時、ある参加者が、美智子さまの歓心を買おうと、
白目で口を大きくあけ手をだらりとしながら“徘徊される雅子さま”なるお姿を再現され、参加者一同、大笑いしていた。
何とも言えないすごいお茶会であった。
美智子さまの深い慈悲に基づけば「雅子の不幸は蜜の味」だったのだろう。
幸いにもこのお茶会は平成の後半には開店休業状態になった。
その背景には、清子さんが結婚され参加頻度が落ちたこと、
小室圭さん問題などが表出し、紀子さまとの嫁姑関係に変化が起きたことなどがあった。

美智子ババア主催による雅子さまへの悪口三昧お茶会()に出席してたブサヤと紀子www

84:名無しさま
20/10/16 00:44:11.77 OtBRPuZy.net
美智子さま「雅子さんには、シワシワの服がお似合いね」 オランダ国際親善で「恥をかかせる」ためなら“なんでもアリ”
私が記憶に残っているイジメの一つに、雅子さまにアイロンがけしていない衣装をあえて着させたといったものがある。
百聞は一見に如かず。見ていただこう。
これは2013年のオランダ国王の即位式の際の写真だ。雅子さまのドレスにだけ深い皺が刻まれているのが解る。
常識的に考えて、低温アイロンでしわを伸ばしてからお召しになるのが当たり前だ。
このシワの刻まれた雅子さまが日本で報道されるや美智子さまは定例お茶会で
「雅子さんには、皺くちゃの服がお似合いね」と静かに語った。
その直後、遊びに来ていた黒田清子さんが「気品がない!」「常識知らず!」と大声を出され喜ばれた(豹変ぶりに大変驚いた)。
取り巻きの方々も「日本の恥ですね!」などと忖度して美智子さまの歓心を買っていた。
なぜこのような晴れ舞台に「シワ入りドレス」をお召しになっていたのだろうか。
その回答はシンプルだ。美智子さまと雅子さまは内廷皇族であるから、同じ衣装係が服装の準備を担当していた。
どういうわけかこの衣装係が、美智子さまの“ご指示”を受けて公務の際にはデクノボウに等しくなっており、
シワを伸ばさないまま雅子さまに衣服をお渡しするという仰天行動に至ったのだ。
まさに雅子さまに恥をかかせるためなら「なんでもアリ」という状況だ。
(この職員は帰国後に東宮付きから別部署に異動となった。
その後、しばらくしてから美智子さま付きの職員に“大抜擢”された)

美智子ババアとブサヤはクズwww

85:名無しさま
20/10/29 18:23:19.63 TT4ic9M1.net
妖怪美智子
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)
明治神宮ミュージアムに到着された上皇ご夫妻(28日、東京都渋谷区で)=代表撮影
 天皇、皇后両陛下と上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻は28日、鎮座100年祭を迎える東京・代々木の明治神宮を参拝された。両陛下そろっての明治神宮参拝は2002年7月以来、18年ぶり。
 両陛下、上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻はそれぞれマスクを着用し、午前から午後にかけて順番に本殿の前で玉串をささげ、拝礼された。皇居以外への外出が7か月ぶりとなった上皇ご夫妻は、しっかりとした足取りで本殿までの階段を上り、元気な姿を見せられた。
 上皇ご夫妻はこの後、明治神宮ミュージアムに立ち寄り、明治天皇の后(きさき)・昭憲(しょうけん)皇太后が身につけた大礼服をご覧になった。

86:名無しさま
20/11/01 00:58:19.10 T8M/QDis.net
美智子さま「残飯を雅子さんのカバンに入れておきなさい」
美智子さまの雅子さまへの攻撃性は尋常ではなかった。ともかく雅子さまは「ひとりぼっち」を強制させられた。
国際親善(2013年のオランダ国王の即位式)の折、
雅子さまにアイロンがけしていない衣装をあえて渡して着させたという驚くべき事件まで起きた。
もっと驚くべきは、2007年12月、雅子さまが晩餐会で食事を残され退室されると、美智子さまは「もったいない」と仰り、
側近に命じ、なんとその残飯を東宮職のクラッチバックの中にぶち込まれた。
驚いた東宮職に美智子さまは「病は気から、病は食欲から。帰ってから食べて元気出してね」と仰って、
満面の笑顔を浮かべられた。『普通、そこまでするか』と多くの方は驚いただろうが、『そこまで徹底的にする』のが
優しき美智子さまの深い慈悲だ。そしてこの美智子さまを慈母と褒めたたえたのが平成皇室であった。
美智子さまが雅子さまをイジメた原因について考察してみたい。
これは端的に言って、雅子さまに対する美智子さまの嫉妬であると思っている。
雅子さまの華々しい登場に、当時の美智子さまは心中複雑だった。
雅子さまは知性も美貌も兼ね備えた方で、そのインパクトは紀子さまなど足元にも及ばない。
もちろん当時の皇太子殿下ご自身が仰っているように、雅子さまは現代的なお方で、
旧来的な皇室のあり方になかなか馴染めなかったのは事実である。
だからといって雅子さまにアレコレ横槍を入れても良い理由にはならないのではないか。
結局のところ美智子さまは、ご自身以上に雅子さまが輝いて欲しくなかったのだろう。
ゆえに海外親善の仕事を割り振らなかったり、ことあるごとに、お茶会で雅子さまを「石女」を揶揄して攻撃し続けたのである。
「人格否定発言」に前後して、時の湯浅宮内庁長官が
秋篠宮家に第三子を所望されたことがすべてを物語っていよう(2003年12月)。
美智子さまは、香淳皇后からイジメられたことを根深く恨んでおいでだったので、
皇后となり頂点となった瞬間、いろいろはじけてしまったのかもしれない。
また雅子さまが皇后となったら、自分が香淳皇后にしたの同じく、
自分が隅に追いやられる番になるという恐怖が「雅子さまイジメ」を加速させたのではないか。
また、当時、メディアは美智子さまを「国民に寄り添う慈母である。平成は素晴らしい時代だ」と褒め称えた。
それに気を良くして美智子さまは「自分は正義で何をしても許される」と自認してしまい、
そのことが香淳皇后イジメ、雅子さまイジメを加速させてしまったのではないだろうか。
また、紀子さまとの関係は良好であったので、将来は長男家ではなく次男家のお世話になればよいと仰っていた。
譲位され上皇后となってから、わざわざ赤坂御用地に引越しを希望された理由は、
雅子さまと同じ空気を吸いたくなかったからもあるが、強い味方(秋篠宮家)が近くにいて欲しいと願ったに違いない。
だがここ数年で眞子さまと小室圭さんの一件が表になり、秋篠宮家と上皇ご夫妻の関係も微妙に変化がきている。

87:名無しさま
20/11/01 17:43:44.24 8uTcZLFY.net
ミ〇コさまがエレベーターに乗ってる時どかどかと数人が乗り込んできたがミテ〇さま 
とは気づかず好きなことをしゃべりあってた、それに頭に来た〇テコさまは次の階で 
下りてしまいドアーが閉まる前に強烈なスカしっぺをかました。後の者たちはあああ~~ 
何をするんだ、あのばあさんふだんなに食ってんだ?クセ~~~~~ 
    

88:名無しさま
20/11/01 17:58:35.99 8uTcZLFY.net
>今月19日には菅義偉官房長官が記者会見にて、天皇陛下の相談役である宮内庁参与に五百旗頭氏を
起用した理由について「宮内庁の参与とは皇室の重要事項の相談役であり、経験、人格、識見ともに
ふさわしい者として、天皇陛下のお許しを得て宮内庁がお願いしている」と述べた。
 
 
 どうしても急に三文判が必要な時ように、首相官邸が 五百旗頭という三文判が見つからずこれを 
 これを見つけた人に100万円を差し上げますと広告を出した、半年になるが一人も返事がない。
    
 
 
 

89:名無しさま
20/11/04 11:12:40.80 OHwUItAH.net
当初の予定を変更…美智子さまが発熱こらえて参拝された真相
記事投稿日:2020/11/04 11:00
URLリンク(jisin.jp)
URLリンク(img.jisin.jp)
 

90:名無しさま
20/11/26 00:41:59.63 jOb3AM3L.net
眞子さま結婚延期は「美智子さまお年玉300万円」が狙いか 「これは餞別。来年は倍額包みましょう」のおことばも
バラバラの方向を向く秋篠宮家。
この様子を静かに、じっと見守られているのが上皇后美智子さまであるという。
「美智子さまは、眞子さまと小室圭さんの結婚に裁可を出したことを、
なんとか雅子さまのせいに出来ないかと思案されています。
また『やはり、紀子のようなどこの馬の骨とも分からぬ者はだめですね、
小室圭と同類です』とお嘆きです」(仙洞仮御所周辺)
以前は、美智子さまも女性宮家の創設に大変前向きで、
将来は眞子さまにこそ筆頭宮家の当主としてご活躍されて欲しいと願われていたという。
しかし、国民の反応をご覧になり、
眞子さまには穏便に、なるべく早く降嫁して欲しいとのお考えに至ったというのだ。
「先日は『今年の眞子のお年玉は、餞別となるかもしれません。
倍額なら納得するかしら?』と悲しげにおっしゃっておられました。漏れ聞くところによると、
美智子さまは秋篠宮家のお子様方に毎年300万ほどのお年玉をお渡しになってきたとのこと。
美智子さまの愛情は、金銭の多寡によって示されます。
愛子さまには5,000円以上は包まれたことがないとのことです。
今年は、眞子さまにさっさと皇室を去っていただくためにも、
今まで以上のお年玉をお渡しになって、“結婚資金づくり”に協力されるおつもりなのでしょう。
ひょっとすると、眞子さまは美智子さまのお年玉倍増という愛情表現を期待され、
結婚を来年以降に延期されたのかもしれません」

91:名無しさま
20/11/26 00:47:22.24 FNkVMzIN.net
>>89
参拝より↓こっちに行きたかったんだろw
> 上皇ご夫妻が見学された明治神宮ミュージアムの展覧会では、修復が進められている昭憲皇太后の「大礼服」が展示されていた。

92:名無しさま
20/11/29 05:46:27.06 L7xkPCM/.net
美智子さま、久子さまに“仰天”のご提案「一緒に雅子をイジメましょう、娘たちがどうなっても良いのですか?」
11月13日の眞子さまの「お気持ち発表」に続き、
24日明らかになった「皇女制度」創設案が波紋を呼んでいる。
現在政府が検討を進めている“皇女制度”によって、眞子さまがご結婚後も
特別職の国家公務員として公務などに携わっていく道が開かれようとしている。
眞子さまは生涯に渡って、税金から捻出される手当で手厚く保護されることとなり、
多くの国民はその伴侶となる小室圭さんが、“皇女”の夫として
様々な“皇室利用”をするつもりなのでは無いかとの疑念を抱いている。
秋篠宮家の立ち回りを巡っては、他の皇族方からの嘆息が相次いでいるようだ。
ある高円宮家の関係者は次のように話す。
「皇室内部では、秋篠宮家は端的に言って孤立しています。平成時代は、
“自由な教育方針”“国民の理想の家族”などとして持て囃されていたものの、その内情、
特に紀子さまの職員に対する“ご指導”の苛烈さを知る皇族方からすれば笑止という一言に尽きるような有様でした。
11月8日、晴れて“立皇嗣の礼”が行なわれ、翌々日には皇居でこの祝賀行事も行なわれましたが、
天皇皇后両陛下や他の皇族方がご出席の中、高円宮家の久子さまは秋篠宮家への抗議の意味で、
これをご欠席されて、奈良、京都への公務を優先されました。
久子さまは13日の眞子さまの『お気持ち公表』によって秋篠宮家への信頼感を完全に失われ、
今後秋篠宮家とどのように関わりを持っていけば良いのか、深くお悩みのご様子です」(高円宮家関係者)
皇室内部で孤立する秋篠宮家。この現状を、なんとか打破したいとお考えになっているのが
上皇后美智子さまであるという。ある仙洞仮御所付き職員は次のように話す。
「美智子さまにとって秋篠宮家は、皇位継承者である悠仁さまを産み、お育てになっている最も大切な宮家です。
美智子さまが悠仁さまに掛ける愛情は、両陛下の皇女、愛子さまの比ではなく、漏れ聞くところによれば、
悠仁さまへのお年玉は数百万単位、愛子さまにはその100分の1程度と、大変な格差を付けているとのこと。
それだけ美智子さまにとっては、皇統維持の危機を救った秋篠宮殿下、紀子さまの存在は大きなモノなのです。
そんな美智子さまにとって、秋篠宮家が他の皇族から孤立している状況は、
将来の天皇である悠仁さまに健やかにご成長していただくためにも見過ごせるものではありません。
立皇嗣の礼の祝賀を欠席したことにより、今後秋篠宮家との断絶の意思を強く示した久子さまには、
様々な提案を持ちかけ、その態度を軟化させるように働きかけているようです」(仙洞仮御所付き職員)
美智子さまは、久子さまに何を提案されているのだろうか?
「現在、“皇女制度”創設が将来の公務の担い手を支える策として最も有力な候補として検討されています。
この対象は今現在、愛子さま、眞子さま、佳子さま、黒田清子さんで、
高円宮家の承子さまや守谷絢子さん、千家典子さんら女王方は対象から外されています。
美智子さまは、久子さまを“秋篠宮派”に傾かせるために
『秋篠宮家への態度を軟化させ、雅子さんへの“ご指導”に協力すれば、
皇女制度の対象に女王も入れるように政府に要請する』とご提案されているのです。」
平成時代に、美智子さまが雅子さまにしてきたあらゆる“いじめ”をご存知の久子さまにとって、
これは「我々の方に付けば、今後娘たちの将来を保証しましょう。さもなくば…」というご提案に聞こえることだろう。
皇女制度を巡っては、皇室内の人間関係にも、様々な影響を及ぼしそうだ。

93:20
21/01/29 04:17:38.16 lZsFLg94.net
93

94:20
21/01/29 04:17:50.25 lZsFLg94.net
94

95:20
21/01/29 04:17:57.93 lZsFLg94.net
95

96:名無しさま
21/01/29 23:28:54.52 WUGWgMDP.net
森のぶてる・眞子 ←画像でググると…
安西・秋篠宮 ←画像でググると…
DNA検査して国民を安心させて下さい

97:名無しさま
21/01/30 20:08:20.50 +elN+IQY.net
  ⊥ i.imgur.com/Mys4u7p.png
i.imgur.com/2xxDJ99.png
i.imgur.com/hWosyrK.png

98:名無しさま
21/01/31 16:14:41.57 CmFXsl7K.net
なぜ上皇陛下が周囲の反対、また憲法違反の恐れがありながらも
譲位を強行されたのか?
その原因の一つは美智子さんの皇室権力を利用した政治介入を
やめさせるためだっと言わざるをえない。
「本来ならば宮内庁の人間が事情を両陛下に申し上げ、
交通規制をするように、ご理解を求めるべきです。
ところが、それをしない。否、できないムードが
あります。
その理由は美智子皇后様の存在です。」
当時からいくたの先輩達が美智子様についての
警鐘を何度も述べられていたのだが、その都度
マスコミは美智子様の肩をもち、それらの警鐘を
マスコミ権力により握りつぶしてきた。
その結果が今の眞子内親王結婚問題に対する
美智子さんの政治介入による正式結婚強行の
方針だろう。
美智子さんはマスコミ、警察を動員し、天皇をも
利用して国民の反対の声を封じて結婚を強行
しようとしている。
国民は騙されていた!
国民はもう気づくべきだろう。

99:名無しさま
21/01/31 16:17:25.63 CmFXsl7K.net
「あえて申し上げます。
皇后(美智子)様に今一度真の国民の平和幸せとは
何かを考えていただきたいと思う時があるのです。
たとえばご自分の評判にずいぶんナーバスになられている。
各種の行事に出席なさる時も一番の関心事はカメラの存在です。
皇后さまはマスコミ報道を非常に気になされます。
新聞などで皇室記事に関する雑誌記事を目になさると必ず
「これを買ってきてください」と侍従に指示なさるほどです。
ですから女性週刊誌は毎号熟読なされます
記事が気に入らないと侍従が呼ばれます。
「この記事が間違っているわね」
それで侍従が動きだすわけです。
具体的に言えばその雑誌の責任者に抗議するわけです。
天皇陛下は若いころから実におおらかなかたでした。
天皇陛下は美智子皇后のことを第三者に対して「あちら」
と表現なさるのです。
スケジュールも皇后様優先です。
「あちら」がいいというのならそれでいいというのです。
皇后様のスケジュール優先です。
こうなったのは宮内庁の責任です。
現在の宮内庁は皇后様のイエスマンばかり。」
元東宮侍従濱尾実氏

100:名無しさま
21/01/31 16:19:24.72 CmFXsl7K.net
「もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が
全部カトリック教徒である。前の田島(道治・初代宮内庁)長官も
カトリック教徒であり、それから宇佐美(毅・第2代同)長官も
カトリック教徒であり、小泉信三氏(東宮御教育常時参与として
皇太子明仁親王の教育の責任者)もカトリック教徒であり、
それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。
それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。
カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという
説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい」
第31回国会、菊池議員質問

101:名無しさま
21/01/31 16:45:27.64 CmFXsl7K.net
>>843
濱尾実氏も熱心なカトリック教徒で
聖心女子学院の中学・高校の教師だったね
841名無しさま2021/01/30(土) 14:52:39.67ID:31ueQGce>>848
>>840
聖心繋がりだったのは、知らなかった
小室をサポートしてるジュリア弁護士も聖心を卒業してる人物

102:名無しさま
21/01/31 16:46:14.88 CmFXsl7K.net
>>843
濱尾実氏も熱心なカトリック教徒で
聖心女子学院の中学・高校の教師だったね
841名無しさま2021/01/30(土) 14:52:39.67ID:31ueQGce>>848
>>840
聖心繋がりだったのは、知らなかった
小室をサポートしてるジュリア弁護士も聖心を卒業してる人物

103:名無しさま
21/01/31 16:53:53.48 CmFXsl7K.net
ノーマークだったのですが、これって本当ですか?
国際キリスト教大学(ICU)
秋篠宮家  神道つぶし」を担った学校へ入学
この学校は、平成2年の大嘗祭に抗議した「打倒天皇」の「反天連」グループのキリスト教4校
大嘗祭訴訟
26名無しさん@京都板じゃないよ2020/02/25(火) 20:31:46.66ID:DD0G54C/0
一体なぜ宮家の内親王方はキリスト教の学校に通っていたのか?
そして、そこで出会ったのがよりのよって小室氏だっという
27名無しさん@京都板じゃないよ2020/02/25(火) 20:41:36.83ID:DD0G54C/0
反日朝鮮系の巣窟「新宿区西早稲田2-3-18」 日本バプテスト同盟
日本キリスト教協議会 #NCC 日本クリスチャンアカデミー:
反天皇制 #反天連 在日外国人の人権委員会キリスト教団体が即位礼に抗議
「政教分離 ...
日本革命的共産主義者同盟」や「統一共産同盟」などの極左団体
2014/07/16 - 天皇制いらない! uniontube55 公開日: 2013/08/15 8月15日、
ことしも反「靖国」デモが 9団体 の呼びかけで東京・全 ...
【8.15反天連デモ】呼びかけ「韓国左翼とイエス様」
テロ扇動:キリスト教事業所連帯合同労働組合/アジア連帯講座/反

104:名無しさま
21/01/31 16:56:23.98 CmFXsl7K.net
「日本キリスト教会館4F」=「新宿区西早稲田2-3-18」
文鮮明も留学していた早稲田は、怪しげな韓国+キリスト教の聖地
不気味な佇まいを見せる新宿区西早稲田2-3-18にある日本キリスト教協議会のビル
・日本キリスト教協議会 新宿区西早稲田2-3-18
・在日外国人の人権委員会 新宿区西早稲田2-3-18
・在日韓国基督総会全国青年協議会(全協)新宿区西早稲田2-3-18
・平和を実現するキリスト者ネット 新宿区西早稲田2-3-18
・キリスト者女性のネットワーク 新宿区西早稲田2-3-18
・女たちの戦争と平和資料館 新宿区西早稲田2-3-18
・戦時性暴力問題連絡協議会 新宿区西早稲田2-3-18
・キリスト教アジア資料センター 新宿区西早稲田2-3-18
・難民・移住労働者問題キリスト教連絡会<難キ連> 新宿区西早稲田2-3-18
・石原やめろネットワーク 新宿区西早稲田2-3-18
・歴史歪曲を許さない!アジア連帯緊急集会事務局 新宿区西早稲田2-3-18
・国際協力NGOセンター(JANIC) 新宿区西早稲田2-3-18
・日本キリスト教海外医療協力会(JOCS) 新宿区西早稲田2-3-18
・アジアキリスト教教育基金 新宿区西早稲田2-3-18
・財団法人日本クリスチャンアカデミー 新宿区西早稲田2-3-18
・在日韓国人問題研究所 新宿区西早稲田2-3-18
・在日本大韓基督教会 新宿区西早稲田2-3-18
・在日韓国基督総会全国青年協議会(全協)   新宿区西早稲田2-3-18
・外登法問題と取り組む全国キリスト教連     新宿区西早稲田2-3-18
・外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク(代表:田中 宏) 新宿区西早稲田2-3-18
・宗教法人日本バプテスト同盟             新宿区西早稲田2-3-18
・株式会社アバコクリエイティブスタジオ      新宿区西早稲田2-3-18
・移住労働者と連帯する全国ネットワーク     新宿区西早稲田2-3-18
・・・・・
テント村に全国ネットワーク、レイバーネット、在日、韓国、外国人&キリスト教・・・・
なるほど。

105:名無しさま
21/01/31 16:58:47.25 CmFXsl7K.net
オワダ(小和田恆氏)のおかげで学習院が左傾化赤化しなければ学習院のままだっただろうに

106:名無しさま
21/01/31 17:05:22.18 CmFXsl7K.net
「あえて申し上げます。
皇后(美智子)様に今一度真の国民の平和幸せとは
何かを考えていただきたいと思う時があるのです。
たとえばご自分の評判にずいぶんナーバスになられている。
各種の行事に出席なさる時も一番の関心事はカメラの存在です。
皇后さまはマスコミ報道を非常に気になされます。
新聞などで皇室記事に関する雑誌記事を目になさると必ず
「これを買ってきてください」と侍従に指示なさるほどです。
ですから女性週刊誌は毎号熟読なされます
記事が気に入らないと侍従が呼ばれます。
「この記事が間違っているわね」
それで侍従が動きだすわけです。
具体的に言えばその雑誌の責任者に抗議するわけです。」
濱尾実元東宮侍従

107:名無しさま
21/01/31 17:20:22.08 CmFXsl7K.net
1990(平成2)年「雲仙普賢岳噴火」
1993(平成5)年「北海道南西沖地震(奥尻島)」
1995(平成7)年「阪神淡路大震災」(死者行方不明者6400人以上)
2004(平成16)年「新潟中越地震」
2011(平成23)年日本の観測史上最大規模の災害「東日本大震災」(死者行方不明者が2万人超)
2014(平成26)年には「広島土砂災害(安佐地区)」
2016(平成28)年には「熊本地震」
2017年の「平成29年九州北部豪雨」
2018年の「平成30年西日本豪雨」
2018(平成30)年「北海道胆振東部地震」

108:名無しさま
21/02/01 00:23:52.67 tULV+WOH.net
「紀子さま」父、いわくつき「パチンコ社長」と韓国二人旅  宮内庁が懸念する交遊関係
宮内庁にとっての“大いなる懸念”は、
紀子さまの父上である川嶋辰彦・学習院大名誉教授の交遊だという。
問題のお相手とは、新潟県上越市で遊技業「三井企画」を営む三井慶昭社長(75)だ。
「宮内庁はこのような交遊については
くれぐれも慎重になさるよう苦言を呈したというのです」(川嶋家の事情を知る人物)
ところが、その苦言もどこ吹く風か、
川嶋氏と三井社長は、2019年4月にも泊まりがけで韓国を訪れていた…。
その深い関係に不安がつきまとうのは
三井社長が過去にさまざまなトラブルを起こした人物でもあるからだ。
(三井氏は)東京地検特捜部から家宅捜索を受けた過去もあり、
宮内庁が気をもむのもむべなるかな、である。

109:名無しさま
21/02/01 00:26:16.48 tULV+WOH.net
交際関係で問題があるのは、紀子さまとそのご実家の界隈だ。
紀子さまの実弟・川嶋舟さんは、複数のNPO法人の会長を歴任し、
一口10万円、100万円を求める広告塔の役割を、積極的に担っている。
「皇室利用」のために、役職についている思われても、致し方ない。
また、日本食の伝統を守るという団体においては、
保守系の論客として著名な竹田恒泰さんと並んで役員を務めている。
竹田恒泰さんといえば、男系男子の皇位継承を推進する
極めて政治色の強い人物であり、そのような方と並んでしまっているのは、
「変な誤解」を生む火種になりかねない。
また、紀子さまの父・川嶋辰彦さんは、
パチンコ業界の重鎮と深い友情を育まれているようだが、
相手のおごりで韓国旅行をされるなど、かなり脇がスカスカとしか言いようがない。
まして、パチンコはグレー産業であり、イメージ的にはマイナスでしかない。

紀子の父親と弟は、2人とも怪しすぎるだろwww

110:名無しさま
21/02/01 00:27:49.91 tULV+WOH.net
なぜ、紀子さまは「立皇嗣できない、日本死ね」なのか  美智子さま直伝「人の不幸は蜜の味」の教え
日本で大災害が起これば、普通の国民なら、心痛めて悲しむはずだ。だが災害の速報が流れるや
NHKに目を釘付けされ、犠牲者が多いとなるや意気揚々と「巡行」の指示をする怪物が、日本の中心、
東京の一角に潜んでいる。言わずもがな美智子さまだ。
美智子さまは犠牲者の少ない災害にはほとんど何の関心も示さない。美智子さまが関心を示すのは、
ご自身が被災地に慰安に訪れる必要があるときだけである。
言い方を変えれば、不敬ではあるが、災害の犠牲者が多ければ多いほど悦ぶ方なのだ。
平成の時代を生きた方ならば、大災害の度に、時の両陛下が被災地に慰安・慰霊の旅に赴かれ、
現地の被災者と目線の高さ同じくして言葉を交わされていた。その光景に心励まさされ、感動した国民も多いであろう。
だが、あれは美智子さまが設定したショーに過ぎなかったのだ。美智子さまは大女優だ。被災地慰安は、
美智子さまの絶好の好物であり、その目的は「被災者の慰安」ではなく、慈愛の皇后を演じる「自分に酔いしれる」ためである。
美智子さまにとって「人の不幸」は、“二重”に蜜の味なのだ。敢えて言いたい。美智子さまは、自己愛が強く、
国民のことなど二の次、三の次だ。このDNAをある意味、最も強く受け継いでいるのが紀子さまだ。
皇室利用を厭わない川嶋家(紀子さまご実家)の所業は、美智子さまのご実家・正田家とそっくりだ。
紀子さまの実父はパチンコ業界とねんごろであり、実弟は怪しげな団体の顧問を務めて荒稼ぎ中だ。
今回、延期となった“立皇嗣の礼”をみても紀子さまの異様性は明らかだ。すでに週刊誌などメディアが報じているように、
秋篠宮殿下ご自身は「延期」に柔軟な姿勢を示していたが、最後まで強行に拘っていたのは紀子さまだったという。
緊急事態宣言下でも“立皇嗣の礼”を強行しようとしていた精神は、もはや病人のそれとしか言いようがない。
新型コロナウィルスの感染が広まり大量の死者が出たところで、
紀子さまに取っては“立皇嗣の礼”を延期にする理由にならないのだ。
皇宮警察から感染者が出るやいなや、すぐに延期にした理由も、
自分たちだけは感染したくないという自分勝手な心の裏表だろう。
自分さえよければ国民がいくら苦しんでもいい、むしろ国民の苦しみこそが喜びである。
そんな美智子さまの教えを、紀子さまは忠実になぞっているようだ。

111:名無しさま
21/02/01 00:30:14.66 tULV+WOH.net
新参与に美智子さまの「テニス仲間」が就任  「平成派」の残存で宮内庁は院政を懸念
6月18日、皇室の重要事項について天皇陛下の相談役となる宮内庁参与に五百旗頭真・兵庫県立大理事長(76)、
風岡典之・元宮内庁長官(73)、寺田逸郎・前最高裁長官(72)の3人が就任した。
また同日付で、これまで参与に就任していた、渡辺允・元侍従長(84)、国松孝次・元警察庁長官(82)、
羽毛田信吾・元宮内庁長官(78)、竹崎博允・元最高裁長官(75)の4人が退任となった。
「羽毛田信吾・元宮内庁長官は美智子さまの懐刀とまで言われる側近中の側近でした。
宮内庁長官時代には“愛子さまの参内の回数が依然少なく、両陛下も心配しておられる”など
皇太子ご一家(現在の天皇ご一家)に対する両陛下の苦言を代弁されるなどしてきた、いわゆる平成派の人間です。
羽毛田氏のように上皇ご夫妻の忠義を尽くしてきた人間を一斉に退任させたことは、
令和時代の新しい皇室を目指す宮内庁の姿勢として一定の評価をすべきでしょう」(皇室ジャーナリスト)
とはいえ、新たな参与の人事に関しても、気がかりな点は残るという。
「新参与のメンバーとして気になるのは、やはり美智子さまのテニス仲間でもある五百旗頭真氏でしょう。
五百旗頭氏は美智子さまのテニス仲間であると同時に、キリスト教カトリックの影響を強く受けている信仰仲間でもあります。
美智子さまとはテニス以外でも交流しており、様々な問題について相談することもあるようで、
美智子さまから大変な信頼を受けている人物の一人であることは確かなようです」
実は、この五百旗頭氏を参与として起用することに関して、政府内でも物議を醸したようだ。
五百旗頭氏は、北朝鮮による日本人拉致事件に関し、平成12~13年頃に「拉致なんて取り上げるのは
日本外交として恥ずかしいよ。あんな小さな問題をね」などと発言していたことが知られている。
そのため、政府内でも「宮内庁参与として相応しくないのではないか」という疑問の声も上がったという。
今月19日には菅義偉官房長官が記者会見にて、天皇陛下の相談役である宮内庁参与に五百旗頭氏を
起用した理由について「宮内庁の参与とは皇室の重要事項の相談役であり、経験、人格、識見ともに
ふさわしい者として、天皇陛下のお許しを得て宮内庁がお願いしている」と述べた。
「五百旗頭氏の起用に関して陛下のお許しを得たということは、裏を返せば
“陛下のお許しを得なければ起用が難しいほど、反対意見があった”ということでしょう。
五百旗頭氏は美智子さまの相談相手であると同時に、拉致問題に関する発言もあり、国内の
保守派の評論家などからは“反日的だ”として批判を浴びることも多い人物であり、注意が必要です」
今回の五百旗頭氏の参与への起用に関しては、やはり美智子さまによる推薦があったようだ。
「五百旗頭氏の起用に関しては、美智子さまの強いご希望があったようです。でなければ、
このような問題の多い人物を陛下の相談役に起用することはあり得なかったでしょう。
昨年、週刊誌やネットメディア等で“二重権威だ”といった批判が繰り返されたこともあり、
現在では美智子さまは表舞台に姿を表わされることはほとんどなくなりました。
しかし、今後はこのように親しい人物を宮内庁の重要な役職に推薦するなどといったことを通して
裏から皇室に対する影響力を行使しようと画策されているのかもしれません。
このような美智子さまによる院政に関しては、
職員らも大変懸念しているようです」(宮内庁関係者)
代替わりが行われてから、すでに1年以上が経過したが、いまだに
美智子さまと親しい関係にあった「平成派」の影響力を完全に排除するには至っていないようだ。

112:名無しさま
21/02/01 00:31:35.32 tULV+WOH.net
紀子さま“皇室入り”を唯一歓迎された美智子さま 「自分より地位の低い人間を入れたかった」
美智子さま「紀子さんは私の引き立て役にすぎません」 「貧富の差」を見せつけるための結婚承認の事実浮上

これが美智子ババアの本音だな
雅子皇后陛下や愛子さまの人気に嫉妬し、自分が一番目立ってないと気が済まない美智子ババアは、クズすぎる
人気のない眞子や佳子や紀子には、全く嫉妬しない美智子ババアwww

113:名無しさま
21/02/01 00:32:53.92 tULV+WOH.net
紀子さま「天皇陛下は小室の味方!すべて雅子の責任!」 捏造記事を“ご依頼”が物議
紀子さまは、なんとか眞子さまの結婚を国民に納得させ、
眞子さまの将来を安泰なものとし、秋篠宮家への逆風を鎮めることに奔走されているという。
さる皇嗣職はこう話す。
「紀子さまは、既にこの件を秋篠宮家だけでおさめる状況は過ぎたとお考えです。両陛下からの応援の言葉が欲しい、
“裁可”のご意志を明確に国民に示して欲しいと、赤坂御所に連日のようにお電話で相談を寄せられているのです。
ただ、国民感情をよくお考えになる両陛下にとって、この結婚は易易と許可できるものではない。
そのため、紀子さまは両陛下は眞子さまを応援しているという“既成事実化”の方に取り掛かられているのです」(皇嗣職の一人)
「秋篠宮ご夫妻は、毎日新聞の江森敬治氏と20年以上にわたりとても親密な関係を築いています。
江森氏に依頼して、『週刊文春』などに度々秋篠宮擁護記事を依頼し、秋篠宮家への逆風を鎮めるために動かれてきたのです。
紀子さまは過去の両陛下と小室圭さんの“接点”となりそうな事を目を血眼になって探し、
江森氏を通じて新たに『陛下が小室圭さんを密かに応援している』という記事を書かせたのです」
この記事は現在、皇室ファンの間で大変な話題となっている。
「小室家の借金問題が取り沙汰されていた’18年8月4日、小室さんが秋篠宮邸を訪れたことがありました。
(中略)その日は赤坂御用地に大勢の報道陣が集まりました。
その日、ほとんどの報道陣は秋篠宮邸に近い「巽門」にいたが、小室さんはそれを避けるかのように、
「東宮御所正門」を通った。当時、皇太子だった天皇が、小室さんの通行を許可し、
眞子さまをアシストされたのだ」『週刊文春』2020年11月26日号
ただ、この日、天皇陛下と雅子さまは夏の甲子園に出席のため兵庫県に外出され、
愛子さまもイギリスに短期留学中で赤坂御所は留守だったという。
ある宮内庁幹部は「秋篠宮ご夫妻や眞子さまから、陛下へのご相談があった記録はない」と憮然とした様子で話す。
また、なんと文春は過去に、この内容と異なる記事を掲載している。
「マスコミのいない東宮御所正門から入らせると決めたのは、秋篠宮さまだったようで、
しかも皇太子さまには無断でお決めになったようでした」『週刊文春』2018年8月30日号
この重大な齟齬はすぐさま皇室ファンに指摘を受け、「両陛下を巻き込もうとする
秋篠宮のやり方にはため息しか出ない」といったような声が現在もSNS上に挙がっている。
「おそらく、紀子さまはできるだけ早くこの事態を切り抜けたい、早く鎮火したい、
できれば全部陛下と雅子さまに責任をかぶせたいと焦っていたのでしょう。
現在宮内庁には事実確認の電話が殺到中ですが、紀子さまはとても狼狽されています。
SNSをご覧になっては『私じゃない、雅子!雅子!』などと悲鳴に近いお声を挙げています。
雅子さまを巻き込みたいというお気持ちが強すぎて、少々情緒面が心配されています」
秋篠宮家が、誠実に国民と向き合う日は、いつになるのだろうか。

114:名無しさま
21/02/01 00:34:43.51 tULV+WOH.net
美智子さま、紀子さま「あの悪夢の日々に戻りたいですか?」 雅子さまに迫った日
昨年12月10日には、宮内庁長官の西村泰彦氏が定例記者会見の場で「小室家の説明責任」について言及した。
当然この背景には、11月30日の秋篠宮殿下の会見での発言がある。宮内庁OBは次のように話す。
「皇室内部から漏れ聞くところによれば、殿下も紀子さまも、眞子さまのお気持ちを最大限に尊重し、
結婚はさせてあげたいという本音を持っている。これは確実なことのようですが、やはりネックとなるのが国民の声です。
実は両殿下は、3年間の間、何度となく小室圭さんに、
『ああいった文書ではなく、質疑応答形式で会見することはできないか』と促されてきたとか。
ただ小室さんはそのたびに、『眞子との将来のために勉学に励んでいる自分にとって、
会見というのは大きな負荷がかかることで、易易と出来るものではない』と言ってきたそうです。
殿下は八方塞がりでいらっしゃったでしょう。今は、7月の彼のNY州弁護士試験が終わった後、
再び国民の前に立ってもらえるように、お膳立てを進めている状況だといいます」
国民の声を鎮め、お二人の祝福ムードに傾くように、
紀子さまがすすめる“お膳立て”とはどのようなものなのだろうか?
「紀子さまは、ここのところ頻繁に美智子さまを頼り、相談を寄せられているそうです。美智子さまは
TV業界や出版業界にも人脈が多く、また美智子さまの一声というのは依然として絶大な威力を持っています。
例えば美智子さまの代理が、『小室圭さんへの報道を自粛した社には報奨金を与え、
あらゆる面での未来永劫に渡る優遇を約束する』とでも通達すれば、メディアは大喜びでこれに乗るでしょう。
紀子さまは美智子さまの支援を惜しみなく受けるために、かつてのように頻繁にお茶会に応じるようになっているとか。
もちろん現在はオンライン開催のようですが、退位された美智子さまにとって、
ご自身が主役となるお茶会は至上の喜びを感じられる場所なのかもしれません」
また、美智子さまと紀子さまの懸念の一つが、
天皇皇后両陛下によるご裁可が、未だに発されていないことにあるようだ。
ある宮内庁幹部の一人はこう話す。
「やはり、令和の天皇皇后両陛下も全面的に眞子さまのご結婚を許可していると国民に示すことは、
眞子さまと小室圭さんの結婚を実現させるために、必須の条件だとお考えのようです。
元旦、皇室の祝賀行事にあたり、美智子さまと雅子さまとの間で直接会話を持たれる機会がありました。美智子さまはここで、
雅子さまに対し『健康も取り戻し、素晴らしい躍進の年でしたね、何よりです』と称賛の言葉をおかけになったとか。
その一方で『眞子についてどうお考えなのかしら?』ですとか、
『またあの悪夢のような日々に戻ることを想像したことがありますか?』という穏当ならざるお声がけもあったようです。
つまり、『裁可を出さなければ、再び昔のようにやってやりますよ』という宣告でしょう。
すでに素晴らしい皇后として国民からの敬愛を一身に受け、心身ともにめざましくご快復なさっている
雅子さまですから、このお話に乗るとはとても思えませんが…。 やはり、国民の見えないところで、
美智子さまからの圧力がかかり続けていることは、間違いないようです」(宮内庁幹部)

115:名無しさま
21/02/01 01:07:58.05 tULV+WOH.net
>眞子さまの婚約が内定したころ、
>美智子さまは「初めての孫だから、かわいくしてあげたいわ」と周囲に漏らし、
>結婚の準備を楽しみにしていた様子だったという。

美智子ババアwww
美智子ババアは娘のブサヤですら、自分の引き立て役にし、可愛くしてあげることを放棄してたくせにw
ブサヤが結婚したのは36歳の時だったのも、全て美智子ババアのせい

116:名無しさま
21/02/01 01:10:09.68 tULV+WOH.net
信子さま「あなたは小室圭と同類」の苦言に、紀子さま“仰天反論”が物議  宮家対立が深刻化
11月13日、秋篠宮家の長女眞子さまは、現在、延期状態となっている
小室圭さんとの結婚に関するお気持ちを文書にて発表された。発表された文書は、
眞子さまの小室圭さんへの一途な想いが綴られており、結婚への固い決意が込められた内容となっている。
今回の文書で眞子さまは、暗に皇室内で結婚の許可が下りたかのように示されている。
だが実際には「発表すると報告しただけ。ご夫妻は正式な結婚許可をしていないどころか、
いまだ結婚には強く反対されている。天皇陛下も雅子さまも困惑されている」(皇嗣職)とのことだ。
今回の“結婚必要宣言”に込められた眞子さまの固い決意とは裏腹に、
紀子さまは今も小室家を訝しがり、ことある度に小言を述べられているという。
「圭さんはただ偉くなりたいだけの人ではないかしら」こんな紀子さまの懸念を周囲は耳にする。小室さんは学生時代に
“海の王子”として活動していたが、 これについても紀子さまは、「コンテストに出るような方には、
自分が認められたいという気持ちがある。 眞子の立場が利用されるのでは…」と漏らすようになる。
しかし、こうした紀子さまの小室圭さんに対する評価に関して、ある宮内庁関係者は
「小室圭さんが眞子さまの結婚相手として適切な人物であるとは言わないが」と前置きして上で、
「紀子さまは世間体を気にしての手のひら返しではないか?」と指摘し、近況をこう語ってくれた。
「紀子さまはもともと、小室圭さんについて『丁寧で穏やか』と語られ、
『小室さんの優しいピアノの音色を聴く時間は、心和む楽しいひとときです』などと手放しで絶賛されておりました。
それが、借金問題が発覚し、世間からの小室圭さんの評判が下がった途端に、
『無礼だ』『あの一家はおかしい』となどと言い出され、
現在では『ただ偉くなりたいだけの人』『眞子を利用しようとしている』などと苦言を呈しておられるのです。
もちろん、こうした評価の変更もやむを得ないことではありますが、小室圭さんとしては、
あまりにも急激な手のひら返しに対して“紀子さまに裏切られた”と感じているのではないでしょうか」
 
また、寬仁親王妃信子さまは、違った観点から、こうした紀子さまのご発言に関して、厳しいご指摘もされているという。
「以前から紀子さまとの不仲が噂されている信子さまですが、
このような紀子さまの『小室圭さんは偉くなりたいだけの人物』というご発言に対して、
『あなただって偉くなりたくて宮さまと結婚したのでしょう。あなたは小室圭と同類ですよ』と慈愛のご指摘されました。
優しさゆえのお言葉ですが、紀子さまにとっては“馬の耳に念仏”だったようで、
『私は皇嗣妃であり、国母です。外見なら信子さんこそ佳代さんにソックリね!羨ましいわ~』と反論されたそうです。
思い返せば紀子さまは、ご結婚前からしばしばお一人で東宮御所へ遊びに行き、
秋篠宮殿下のお部屋に入り浸っておられました。
時には、職員が紀子さまに帰宅するよう促しても、
『いやだ、ずっと二人で一緒にいたいの~』などと仰り、職員を困らせることもありました。
この頃から、何が何でも秋篠宮殿下と結婚するという決意を固められていたのでしょう。
そういった意志の強さは小室圭さんに確かに通じるものがあります」(宮内庁皇嗣職)
若かりし頃の恋愛を懸命に成就させようとする青春の思い出というには、
あまりにも慎み深さの感じられないエピソードである。
おそらくは、信子さまもこうした紀子さまの欲の大きさや執念深さに対して、
あまり良い印象を持たれていないのであろう。
しばしば小室圭さんと佳代さんを非難されているという紀子さまであるが、
こうした非難を行えば行うほどに、ご自身の過去の行動の報いが返ってきているようでもある。
こうした紀子さまの空回りする様子を見ながら、眞子さまと小室圭さんの結婚実現へと準備を進める佳代さんは、
今頃、高笑いして、ガッツポーズの一つも決めているのではないだろうか。

117:名無しさま
21/02/02 12:19:08.50 32Kprw6K.net
美智子さん、カトリック、
九条の会
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

118:名無しさま
21/02/03 00:44:36.05 OEglAf7K.net
なぜ、紀子さまは「立皇嗣できない、日本死ね」なのか  美智子さま直伝「人の不幸は蜜の味」の教え
日本で大災害が起これば、普通の国民なら、心痛めて悲しむはずだ。だが災害の速報が流れるや
NHKに目を釘付けされ、犠牲者が多いとなるや意気揚々と「巡行」の指示をする怪物が、日本の中心、
東京の一角に潜んでいる。言わずもがな美智子さまだ。
美智子さまは、犠牲者の少ない災害にはほとんど何の関心も示さない。美智子さまが関心を示すのは、
ご自身が被災地に慰安に訪れる必要があるときだけである。
言い方を変えれば、不敬ではあるが、災害の犠牲者が多ければ多いほど悦ぶ方なのだ。
平成の時代を生きた方ならば、大災害の度に、時の両陛下が被災地に慰安・慰霊の旅に赴かれ、
現地の被災者と目線の高さ同じくして言葉を交わされていた。その光景に心励まさされ、感動した国民も多いであろう。
だがあれは、美智子さまが設定したショーに過ぎなかったのだ。美智子さまは大女優だ。被災地慰安は
美智子さまの絶好の好物であり、その目的は「被災者の慰安」ではなく、慈愛の皇后を演じる「自分に酔いしれる」ためである。
美智子さまにとって「人の不幸」は、“二重”に蜜の味なのだ。敢えて言いたい。美智子さまは、自己愛が強く、
国民のことなど二の次、三の次だ。このDNAをある意味、最も強く受け継いでいるのが紀子さまだ。
皇室利用を厭わない川嶋家(紀子さまご実家)の所業は、美智子さまのご実家・正田家とそっくりだ。
紀子さまの実父はパチンコ業界とねんごろであり、実弟は怪しげな団体の顧問を務めて荒稼ぎ中だ。
今回、延期となった“立皇嗣の礼”をみても紀子さまの異様性は明らかだ。すでに週刊誌などメディアが報じているように、
秋篠宮殿下ご自身は「延期」に柔軟な姿勢を示していたが、最後まで強行に拘っていたのは紀子さまだったという。
緊急事態宣言下でも“立皇嗣の礼”を強行しようとしていた精神は、もはや病人のそれとしか言いようがない。
新型コロナウィルスの感染が広まり、大量の死者が出たところで、
紀子さまに取っては“立皇嗣の礼”を延期にする理由にならないのだ。
皇宮警察から感染者が出るやいなやすぐに延期にした理由も、
自分たちだけは、感染したくないという自分勝手な心の裏表だろう。
自分さえよければ、国民がいくら苦しんでもいい、むしろ国民の苦しみこそが喜びである。
そんな美智子さまの教えを、紀子さまは忠実になぞっているようだ。


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